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【ニュースペーパー2012年6月号】原水禁関連記事

2012年06月01日

原発ゼロという選択肢をつくり出していく
原子力資料情報室 共同代表・事務局長 伴 英幸さんに聞く

第一次集約を迎える「さようなら原発1000万人署名」
「提出して終わり」でない取り組みを

核セキュリティー上の大問題はプルトニウム

東北アジアの非核化を求めて(2)
米軍の軍事行動で西太平洋の緊張高まる

従来の運動では思いつかないアピールで「脱原発」を
岡山県平和・人権・環境労組会議(県平和センター) 議長 梶原 洋一


原発ゼロという選択肢をつくり出していく

原子力資料情報室 共同代表・事務局長 伴 英幸さんに聞く

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【プロフィール】
 1951年三重県生まれ。69年に東洋大学哲学科に入学、その後、早稲田大学文学部社会学科に転入。大学卒業後、生活協同組合に勤めながら脱原発運動に関わる。90年に原子力資料情報室のスタッフになり、2000年から、西尾漠さん、山口幸夫さんとともに共同代表。著書の『原子力政策大綱批判』(06年)の他、共著は『原子力市民年鑑』『JCO臨界事故と日本の原子力行政』『検証 東電トラブル隠し』など多数。現在、「総合資源エネルギー調査会・基本問題委員会」「原子力委員会・新原子力政策大綱策定会議」「原子力委員会・原子力発電・核燃料サイクル技術等小委員会」でそれぞれ委員を務める。委員会対策や講演に追われる毎日で「釣りが趣味だが、去年の3月11日以降は1回も行くことができない」と言いながらも、「以前は、そうした場も与えられなかったことを思うとありがたい」と、奔走する日々を送る。

──原子力資料情報室に入られるまではどんなことをされていましたか。
 1969年に大学に入りましたが、その頃は大学闘争の真っ最中で、半年くらいはロックアウトで授業を受けられませんでした。私はノンポリであまり運動に参加せず、社交的でも無かったので、人との関わりも持てませんでした。今はこんなふうになるとは思いもよらず、どこかで変わってしまったようです(笑)。
 大学を出たときに、企業の儲け主義の論理の中では生きたくないと考え、生活協同組合(多摩生協)に入りました。70年代前半以降、大学闘争を経験した人たちが生協を作っていた頃でした。生協は生活に身近なテーマとして、大気汚染や食品添加物問題など様々な問題を取り上げていました。私もそうした雰囲気の中で市民運動に関わるようになりました。
 79年のアメリカのスリーマイル島原発事故以後、原発の勉強を始めましたが、特に86年のチェルノブイリ事故で運動が盛り上がりました。82年に生協の勉強会に高木仁三郎さん(原子力資料情報室代表・故人)を招きました。高木さんとはそれ以来のつきあいで、89年に「脱原発法制定運動」が行われたとき、1年間、そこの事務局を手伝いました。その縁で、90年に原子力資料情報室に入ることになったのです。
 私は生協にいた頃、経理やコンピューター導入など、内勤の仕事をやっていたので、資料情報室でも事務局長的なことをやるようになりました。高木仁三郎さんが亡くなられた後、共同代表の1人になりましたが、3人の代表の中では私が最も政治には疎いと思います。昔のノンポリ感覚が残っているからでしょう。政治的な駆け引きや損得勘定を考えずに審議会に臨んでいます。かえって、それがいいのではないかと思います。

──福島原発事故以後、原子力委員会の審議状況は変わりましたか。
 もともと原子力委員会は利害関係集団の集まりなのです。政策や予算まで決めていたので、利益配分をどうするかを検討していました。しかし、95年の高速増殖炉「もんじゅ」事故後、批判的な意見も聞くようになりました。そうした中で、私が04年に脱原発を掲げた人間として初めて審議会に参加しました。当初はわけもわからず、しゃにむにやってきましたので、議論がかみ合わなかった点もありました。審議は公開されているので、今は、できるだけ聴衆の方や他の委員の方にも共感を持ってもらえるようにと心がけています。
 原子力委員会の新大綱策定会議は、05年につくられた原子力政策大綱の見直しを事故前から始めていましたが、事故後、半年間ほど中断した後、慶応大の経済学者の金子勝さんと、気候ネットワークの浅岡美恵さんの2人の原発に批判的な人を入れて再開されました。今までは、全国消費者団体連絡会の阿南久さんと私が主張しても論点がなかなか広がらなかったので、2人が加わったのは良かったと思います。
 それでも、24人の委員の中で明確に脱原発を主張しているのは4人くらいです。原発事故を受けても、審議会の論議が大きく変わり政策に反映されるかどうかは難しい面もあります。

──今後の原子力政策では推進側も巻き返しを図っています。
 原発の推進側は、これまでのようなことはさすがに言えませんが、一定レベルはとにかく維持したいと必死になっています。そこが確保できれば、何年か後にはまた元に戻るのを期待しているようです。「基本問題委員会」で出ている選択肢では、2030年時点で原発はゼロか、全電力の20%、25%、35%かの四つのパターンが示されています。
 実は、原発の「40年間稼働」ということはまだ国会で承認されていないのですが、それを前提に考えて行くと、20%以上というのは、新たに原発をつくらないと達成できないのです。あるいは、新規につくらないとなると、50年間以上の稼働が前提になるのです。
 経済産業省の本音としては、2030年時点で20%に導こうとしているようですが、とにかく、複数の案を示して国民的論議をすると言っています。私たちも原発ゼロという選択肢を支持するという動きをつくり出して行く必要があります。

──福島原発事故のときに、何を考えていましたか。
 想定の中で最悪のパターンは溶けた燃料が原子炉容器を突き破って水の中に落ちて、それによって水蒸気爆発を起こして格納容器も壊れ、大量の放射能が放出することでした。そうなれば100㎞圏内では急性の放射能障害が出てくることも考えられました。幸い、そこまでの最悪のシナリオにはなりませんでしたが、事態は極めて深刻です。
 政府は12月に言葉だけの収束宣言を出しましたが、決して収束していません。しかし、役所的なものの見方をすれば、食品などの基準値を下げることができたのは、一定の収束宣言があったからと思われます。

──再処理の問題も深刻ですが、すでに核燃料サイクルは破たんしています。
 金子勝さんなども、経済的な観点からも再処理は事業破たんしていると言っています。しかし、なかなか審議会の議題として俎上にあげられないのです。その背景には、三村申吾青森県知事が六ヶ所再処理工場を存続させようと強烈に働きかけていることがあります。これまで使用済み燃料の貯蔵をどうするかを議論せずに、再処理に回そうとしてきたツケがあると思います。
 重要な課題であるにもかかわらず、「国策・民営」ということで、政府も電力会社も責任を取ろうとせず、ずるずると続けようとしていることが大きな問題です。

──原水禁・平和フォーラムへの期待をお願いします。
 これまでの市民運動は、どうしても昔からやっている人だけがそのまま続ける形になって、新しい人が入りにくい状態でした。福島原発事故後はそれが大きく変わって、新しい人が参加するようになりましたが、前からの人たちと一緒にやるのには抵抗があるようです。そうした中で、組織運動は、組合で言えば、一定の期間で役員が交代して新しい人が活動を担うような体制ができています。この世代交代ができる構造があるところが、組織としての強みだと思います。今やるべきことは、そうした経験も活かして、運動のすそ野を広げ、いろいろな人たちが参加できるようにしていくことだと思います。
 また、最近は原発と核抑止論を関係づけて言う人がいます。ある意味では、原子力の必要性の本質が表われてきていると思います。原水禁は以前から、核兵器と原発問題の両方を運動として続けてきました。そういう論点がますます重要になってきていることから、原水禁・平和フォーラムの存在は大きいと思います。

〈インタビューを終えて〉
 「嘘のない人生」と言うのはなかなか難しいもので、人は多かれ少なかれ自分の気持ちに嘘をついている部分があるに違いない。しかし、そのことで「他人を陥れる」となったら事情は違ってくる。これまでの原発推進派にそういう人がいかに多かったかと思う。伴さんと話していると、嘘のないさわやかな人生が見えてくる。この人を信じようと思う。

(藤本 泰成)


第一次集約を迎える「さようなら原発1000万人署名」
「提出して終わり」でない取り組みを

署名用紙に様々な想いがこもる
 作家の大江健三郎さんや落合恵子さん、ルポライターの鎌田慧さんら9人の著名人の呼びかけによる、「さようなら原発1000万人署名」がスタートして約1年。この間、国内外から多くの署名が毎日事務局に届いています。問い合わせも毎日途切れることなく続いています。その署名が、4月末時点ですでに660万筆を超え、5月中旬には700万筆を超えようとする勢いです。
 署名は全国各地から来ています。原発のない沖縄や小笠原、徳之島、与論島などからも届いています。特に与論島では、人口約5,500人のところで1,200筆も集まりました。徳之島では署名の実行委員会が市民の手でつくられ集められました。沖縄の竹富島からは、人口340名の島で150名分が届きました。
 また97歳の女性が駅頭に立って集めた署名、生協や病院、お寺、教会など様々な階層、職種、地域、団体、個人の方々から様々な想いがこもった署名が届いています。大分県や宮崎県などのように署名数が県民の1割を超えた地域もあります。
 さらに海外からもアメリカやEU、韓国やインドなどのアジアの国々等40ヵ国を超える地域から、様々な言語に翻訳された署名が送られてきています。その数も4万筆近くになりました。署名に同封された手紙はその想いを熱く伝えています。これらは、七つ森書館から近く本となって出版される予定となっています。
 今回の署名は、個人や小さい団体から送られてくるものが圧倒的に多く、毎日ポストを見るのが楽しみとなっています。数は1筆や2筆、家族分だけというのもたくさんあります。また、一人で500筆、1,000筆と集められる方もおり、頭が下がる思いです。それだけ今回の事故は、社会の様々な層を動かしたものであり、脱原発へ向けた想いが各地で芽吹いていることが感じられます。この想いを大切にしなければならないと、手紙を開くたびに感じています。

原発再稼働阻止の世論づくりへ
 第一次署名集約日を5月末と設定して、それへ向けて各地でも取り組み強化と集約作業が進められていると思います。1,000万筆にどれだけ近づけることができるかと同時に、その署名を持って、今の政治状況にどのように訴えていくかが今後問われています。
 その署名集約集会を6月6日に、日比谷野外音楽堂で開くとともに、署名を直接、野田佳彦首相や横路孝弘衆院議長、平田健二参院議長へ提出できるよう進めています。あわせて国会議員への働きかけとしての院内集会、全政党への要請行動など、署名を軸とした政治への働きかけを丁寧に行わなければなりません。マスコミへのアピールも重要となってきます。想いの詰まった署名だからこそ、ただ単に提出しただけでは済まないものです。具体的要求と合わせて、それを実現できる努力を続けて行かなくてはなりません。
 現在、福井県にある大飯原発の再稼働が大きな焦点になっています。おおい町議会は5月14日、再稼働への同意を明らかにしました。今後、町長や福井県知事の判断が焦点になってきますが、その他にも周辺自治体の了解も重要なファクターになるはずです。安易に同意させない世論づくりが重要になってきます。この署名をその世論づくりに役立てていきます。

7月16日は東京・代々木公園で大集会を開催
 署名行動と並行してこれまで、昨年9月19日の6万人が参加した東京・明治公園での「さようなら原発集会」などを開催してきました。そして今年の7月16日には東京・代々木公園で、前回を上回る10万人の結集をめざす集会を開催することになりました。
 ちょうど夏の「電力危機キャンペーン」が始まる時期であり、政府が進める「エネルギー・環境会議」が、今後のエネルギー政策をめぐる国民的討論を8月にはまとめるとしたちょうどその直前です。また、来年度の概算要求が検討される時期にも当たります。
 こうしたことから7月16日に、今世紀最大規模の脱原発運動の総結集を図ることで、大衆的に大きな世論をつくり上げることが大切です。署名と大集会の二つの取り組みを通して脱原発世論を一気に高め、政策転換を迫っていきたいと考えています。さらなるご協力をお願いします。


核セキュリティー上の大問題はプルトニウム

膨大な余剰プルトニウムを持つ日本
 この物質を少量持っているとされるだけで、国際社会から経済制裁を受けたり、戦争を仕掛けられたりするという大変な核兵器物質が、高濃縮ウランと分離プルトニウムです。ソウルのサミットで話し合われた核セキュリティーの根本問題がこれです。
 2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の前にワシントンで行われた初の核セキュリティーサミットに続いて、今年3月、ソウルで開かれた第2回目のサミットに参加したアメリカのオバマ大統領は、分離プルトニウムの危険性を次のように強調しました。
「われわれは、リンゴほどの大きさのごく少量のプルトニウムが何十万人もの人々を殺傷し、世界的危機をもたらしうることを知っている。核テロリズムの危険性は、世界の安全保障にとって最大の脅威の一つであり続けている」。この言葉は、主に原発の使用済み燃料の再処理を追求する国々へ向けられたものでしょう。前回のサミットで、直前にプラハでロシアと戦略核兵器削減条約(新START)に調印し、NPT再検討会議に向け世界の核軍縮を先導しようとしていたときと比べ、その威光が小さくなっているのは否めませんが、今回の演説は日本のマスコミでは、ほとんど報道されないのはなぜでしょうか。
 さらに「分離済みプルトニウムを大量に増やし続けることは、絶対にしてはならない」とも語ったのは、核燃料再処理計画を自国で進めることを望んでいる韓国に向けた意味合いが強いにしても、日本も無関係どころではありません。膨大な余剰プルトニウムを持つ日本は、再処理やウラン濃縮を望む国々に対して、「日本モデル」を提供しているのです。

日本政府内で議論される核燃料サイクル
 原発中心の「エネルギー政策」を進めることで、日本はすでに核兵器物質のプルトニウムを45トンも溜めました(5キロで核弾頭の製造が可能)。この状況は、サミットで合意された「核兵器物質の管理の強化」だけで対応できるものでしょうか。日本の外交は、核兵器物質生産禁止条約を追求しているはずですが、世界に対して、その言葉に説得力があるでしょうか。核兵器廃絶を訴える一方で、六ヶ所村で年間原爆1,000発分ものプルトニウムを生産できる再処理工場を動かそうとしています。すでにある45トンの使い道も不明なままです。
 現在、再処理を含めた核燃料サイクルが政府内で議論されています。原子力政策自体が東京電力福島第一原発の事故を受けて見直されている中、原子力委員会の「原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会」で議論されているのが、使用済み核燃料の再処理と直接処分との比較です。政策決定の選択肢を出す前提となる大事な議論ですが、その事務局が小委員会座長の指示にも従わず、コスト比較の数字をごまかすようなことを繰り返しています。比較対象の一方である直接処分の方に、再処理工場建設費や廃止措置関連費用を上乗せするなど、再処理路線を続けるための操作を行っているのです。

 それでも、再処理が割高になることが明らかなのですが、これは、同委員会の近藤駿介委員長自らも「皆さん勝手に足し算しちゃった」と誤りを認める発言をするくらい問題があった、2004年検討の「政策変更コスト」の計算の焼き直しです。事務局の構成が、再処理路線を推進してきた文科省・経産省の出身者や電力会社、メーカーに雇用されている事務局員が多いなど、「利害の衝突」によるものとも考えられます。利害関係者はこのようなポジションにつかないことが国際常識です。
 プルトニウムは、コストをかけてMOXに加工して原発で利用するよりも直接処分するほうが安いことが英政府機関の試算でも明らかになっています。英仏に送った日本の使用済み燃料から取り出したプルトニウムも、核セキュリティーを考えるなら、テロリストにも狙われやすい地球を半周する輸送を続けるより、同様に処分することを検討すべきです。核拡散上の大問題を引き起こす計画に、毎年1,100億円もの予算を使い続けるのか、「エネルギー・環境会議」が出す選択肢についての国民的議論の中で問い直しましょう。


東北アジアの非核化を求めて(2)
米軍の軍事行動で西太平洋の緊張高まる

際限なく広がる日米の軍事協力
 今年1月に米・オバマ大統領が発表した、アジア・太平洋に重点を置く「新国防戦略」については、本誌3月号で紹介しましたが、その後、在日米軍再編ロードマップの見直し、日米首脳会談開催と共同声明発表など、国民が状況を理解する間もないほど、日米の軍事協力は際限なく広がりつつあります。これら急速な日米の軍事協力が中国を意識したものであることは明らかです。
 すでに2010年にゲイツ国防長官によって、中国のエリア接近阻止戦略に対抗する「統合エア・シーバトル」(空軍、海軍共同軍事作戦)構想が打ち出されましたが、この構想に基づく作戦が具体化する中で、在沖縄米海兵隊をとりあえず沖縄、グアム、オーストラリア、ハワイへと分散移駐させる。さらにフィリピン軍基地への移駐も検討されているというのが現状と言えます。
 今年に入っての米軍の一連の行動を見てみましょう。日米間では、06年の米軍再編ロードマップによって、3月26日に、航空自衛隊の総体司令部と関連部隊が東京の府中基地から在日米軍横田基地(福生市)に移転し、日米空軍の一体運用が始まることになりました。さらに12年度中には陸上自衛隊の中央即応集団司令部が在日米軍司令部のあるキャンプ座間(神奈川県)に移転し、地上部隊の一体運用が開始されます。

各地で続く合同軍事演習
 アジア・太平洋では、2月7日~17日にかけてタイ・米合同軍事演習が行われ、日本、韓国も参加しました。米・インド合同軍事演習が、4月上旬から約10日間の日程で行われ、直後の16日から27日にかけては、フィリピン軍との合同演習が南シナ海で行われ、さらにベトナムとも4月23日から、米第7艦隊の旗艦であるブルーリッジが参加する米・ベトナム合同軍事演習が行われました。
この間、4月には、米海兵隊2,500人のオーストラリア常駐の第1陣として200人が移駐しましたが、さらにオーストラリア領・ココス島に無人偵察機配備の動きが浮上しています。
 こうした米軍による一連の軍事行動は、西太平洋での緊張を極度に高めています。対抗する形で、中国海軍とロシア海軍が4月22日~29日まで黄海で大規模な合同軍事演習(海上協力2012)を行っています。
 しかし、中国、フィリピン間で起こっているスカボロー島(黄岩島)領有権紛争では、フィリピン海軍艦船と中国監視船による長期間の対峙が続いており、フィリピン政府は米軍を後ろ楯に強気の姿勢を続けている中で、引き際を失った状態となっており、まさに戦争直前の状況と言えます。

北朝鮮を刺激する日米韓の軍事協力
 4月の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の通信衛星打ち上げは、このような中国とフィリピン、さらに中・米緊張が高まりつつある中で行われたのです。衛星打ち上げは失敗しましたが、朝鮮半島での軍事的緊張だけでなく、日米韓3国の軍事協力関係を一気に押し進める結果をもたらしました。
 韓国政府は北朝鮮の衛星発射予告を受け、直ちに韓国配備のミサイルについての協議を米国に申し入れました。韓国はこれまで米国によって300㎞と制限されてきた弾道ミサイル(液体燃料・玄武2)の射程距離を800~1000㎞へ延長することと、弾頭重量を500㎏に制限されてきた巡航ミサイル(玄武3・射程500~1,500㎞)の弾頭重量の変更を求めたのです。
 また、現在禁止されている固体燃料ロケットの開発も求めていると伝えられます。固体燃料なら常時発射態勢が可能です。さらに、現在配備中の巡航、弾道ミサイルも公開するなど、北朝鮮を挑発するかのような姿勢を見せています。
5月9日に韓国紙・中央日報は日米韓3国が合同軍事訓練を行う方向で調整していると報道しました。米韓合同軍事演習には、これまで幾度も日本の自衛隊が参加していますが、それは全てオブザーバー参加でした。日本の植民地下にあった韓国には、自衛隊に対して強い拒否感が存在していたためですが、もし日米韓合同軍事演習が開催されれば、初めての軍事演習となります。
 5月に韓国国防相が来日するのに合わせて、「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)、「物品役務総合提供協定」(ACSA)の覚え書きが交わされると伝えられています。
さすがにこうした協定が日韓で結ばれることに、韓国内では反対の声が相次いでいます。日米韓の軍事協力が、北朝鮮を刺激することは確実で、北朝鮮はさらなるミサイル開発、核武装へと進んで行く可能性があります。日本の運動も問われています。


従来の運動では思いつかないアピールで「脱原発」を

岡山県平和・人権・環境労組会議(県平和センター) 議長 梶原 洋一

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平和行進の出発式(2011年7月27日)

 岡山県平和センターには官民15単産が加盟し、文字通り平和・人権・環境を守る運動を精力的に行っています。また、県内に六つの地域組織があり、自衛隊日本原駐屯地を抱える美作地区平和センターの「2.11反核・軍縮・日本原基地撤去を求める集会」など、その地ならではの運動課題にも独自に取り組んでいます。

 一方、部落解放共闘会議や超党派の団体である「日本と南北朝鮮との友好を進める会」等の事務局も担っており、あらゆる差別の解消と人権の保障された社会の実現のために地道に運動を続けています。
 通常活動としては、「2.11『建国記念の日』を考える平和学習会」「5.3憲法施行周年記念集会」「6.15南北共同宣言記念講演会」「8月の水週間の取り組み」「世界人権宣言周年記念集会」等に取り組み、その他、
米国等が核実験を行えば『平和の像』前で「抗議の座り込み」を行っています。
 また、中国ブロックでの結束も固く、原水禁広島大会への積極的参加はもとより、山口県の上関原発反対現地集会や島根県の島根原発反対現地集会等にも、バスを仕立てて参加しています。

 あの「3.11」は岡山県平和センターにも大きな衝撃が走りました。これまでの運動の弱さを厳しく問い直すと共に、決意新たに「脱原発」に取り組もうと、県内の市民団体等に呼びかけ、「さようなら原発1000万人アクションin岡山実行委員会」を立ち上げ、2011年9月11日に結成総会と講演会・パレードに取り組みました。以後、ほぼ月1回の割合で、学習会・パレード・ライブ・映画会・街頭署名や自治体交渉等に取り組んでいます。この実行委員会には、現在までに23を超える市民団体が集い、実行委員長には弁護士の方が就任し、従来の労働運動では思いつかなかったストリートミュージシャンによる街頭ライブ等、広く県民に「脱原発」をアピールしています。

 今後も、全国の仲間と連帯し、平和・人権・環境を守る運動を力強く推進していきたいと思っています。


 

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