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被爆70周年原水禁世界大会・大会のまとめ(藤本泰成・大会事務局長)

2015年08月09日

   8月1日の原水禁世界大会福島大会から広島大会、そして長崎大会も終わりに近づきました。今大会を通じて参加された全ての方に、そして支えていただいた皆さまに、また、世界各国から参加をいただきました海外ゲストの皆さまに、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。若干の時間をいただいて、本大会のまとめを行いたいと思います。時間の関係から議論の全てに触れることができないことをお許し下さい。

   戦後70年、原水禁50年の大会を閉じようとしています。広島の原爆の日の6日、100年目を迎える全国高校野球選手権大会が開幕しました。開幕第一試合は北海高校と鹿児島実業高校でした。6日の朝日新聞に、「北海の豪腕、消えた夢」と言う記事が載りました。1940年の第26回大会の開幕戦は北海高校の前身・北海中学と松江商業、マウンドに立った北海中学の投手坪田幸一さん。彼は、その後プロをめざしますが、戦況が悪化する中、学徒出陣で特攻隊員となり24歳で亡くなったそうです。戦争は、一人ひとりの夢と希望を打ち砕きます。この長崎で、広島で、どれだけの夢と希望が消えていったのでしょうか。
   広島で開催した国際会議では、現在の核兵器をめぐる各国の状況と有効なとりくみの可能性に議論を重ねました。米国や英国の核保有国の政治情勢の厳しさ、米英とロシアの関係悪化が、核兵器削減を拒んでいる状況も見えてきます。政治的対立からは軍縮の道のりは見えてきません。また、米韓原子力協定において、韓国がパイロプロセッシング(乾式再処理)の初期段階が認めらたとの報告もありました。48トンのプルトニウム保有国日本、核保有国北朝鮮、そして韓国がプルトニウムを持てば、アジアの平和は一層遠のくに違いありません。原水禁は、再処理によるプルトニウム利用計画に反対してきました。日本の再処理によるプルトニウムでも核爆弾の製造は可能との報告されています。日本が、プルトニウム利用を放棄することは、東アジアの非核地帯構想や東アジアの平和のためにも重要であると確認しました。

   2011年の福島第一原発事故以降、日本の市民社会は核の平和利用を否定する方向に舵を切りました。全国で既存原発が再稼働へ向かっていること、川内原発、伊方原発、柏崎・刈羽原発現地から報告されています。原子力資料情報室の西尾さんは、「全原発が止まっても何も困らない。原発から電気が送られていないことが忘れられている」と指摘しています。
   安倍政権は、原発推進にまっしぐら、原子力村の利益擁護に走っています。この間原発訴訟の多くに関わってきた海渡雄一弁護士は、関西電力高島3・4号機の福井地裁の運転差し止めを命じる仮処分決定では、「深刻な事態が万が一にも起こらないこと」を基本にしているが、川内原発の運転差し止めの仮処分申請を却下した鹿児島地裁は「事故の可能性が社会通念上容認できるなら、再稼働は可能」と考えているとの指摘があり、川内原発の争点であった火山噴火の可能性に関して、火山学者を一人も招聘せず、破局的な噴火の可能性は少ないとした判断は、多くの火山学者の批判を浴びているとし、多くの根拠を上げて科学的にはまったくデタラメな判断、裁判所として「深刻な事態を起こしてはならないとする姿勢に欠ける」と批判しました。脱原発を求める声が圧倒的な中にあって、裁判所に市民の願いを聞き届ける姿勢がないのは残念です。海渡さんは、原子力村の理論に打ちかつ知識の体得と福島の被害を肌感覚で知り繰り返さないとの誓い、勝てるとの確信の共有が、脱原発に必要だと結んでいます。

   川内原発増設反対鹿児島県共闘会議の荒川譲さんから、再稼働を前にした川内原発について、伊藤鹿児島県知事が「しかし、規制委員会というあれだけ素晴らしい方々が集まった組織が安全性を追求したんです。よくぞここまでやったな、と思います。もし福島みたいなことが起こっても、もう命の問題なんか発生しないのですよね。私はそちらの方を信じます」との発言が報告されました。住民の命と生活を守る自治体の長の発言とは思えない主体性のない判断です。伊藤知事は規制委員会が「安全性の追求をした」と言いましたが、規制委員会は安全であるとは一度も発言していません。新規性基準は、事故が起こることを基本にして、周辺住民や原発労働者の被曝もまたその想定の中にあるのです。つまり原発は危険という認識を基本においたものです。
   荒川さんの報告は、全く進んでいない避難計画にも言及しています。また、周辺自治体住民の署名活動や陳情などの取り組みが報告され、住民の持つ大きな不安が感じられました。また、民主的な手続きによる抗議に警察権力を導入する九州電力の姿勢も報告を受けました。ここからは、脱原発の世論の広がりに対しての、行政や電力会社の焦りが見えてきます。

   このように、住民の命を軽視する判断や政策は、広島・長崎の被爆者の課題、その2世3世の課題につながります。戦後70年を経過して、核兵器の非人道性が被爆者の努力によって国際的に定着してもなお、滞る被爆者の認定、在外被爆者や長崎の被爆体験者という差別、そして、福島からの訴えにあった、事故そのものをなかったものにしようとする策動などの問題が山積しています。この国の政治が、人間主義、人間の理性や感情から最も遠くにあると言うことではないでしょうか。被爆者の思いに寄り添って運動してきた原水禁は、決して命の軽視を許しません。

   ドイツ緑の党のベーベル・ヘーンさんから、ドイツの現状の報告と再生可能エネルギーの可能性について語られました。ドイツ全電力に再生可能エネルギーの占める割合は30%を超えた、欧州全体で100万人の雇用を創出し、関連企業は1300億ユーロの利益を上げている。日本より日照時間の短いドイツでの太陽光発電の電力料金は1kw/hあたり12.2円、日本の電力料金は22円くらいではないかとの指摘もありました。
   原発においては、廃炉費用や廃棄物処分、そして高レベル廃棄物の最終処分などを考え、かつ事故のリスクを考えると、いかにコストの高いものかが見えてきます。
   再生可能エネルギーの可能性を信じ、そのことに私たちの未来をかけようではありませんか。人類が生き延びていくことに、それ以外の道はないように思います。科学で自然をねじ伏せるのではなく、自然とともに生きていく、そのことが大切です。べーベルさんの挨拶にありました。広島・長崎・福島は地球の存亡に関わるシグナルだと。

   日本は、戦後70年、平和と民主主義の岐路に立たされています。沖縄で辺野古新基地建設に反対し座り込んでいる仲間たち、「戦争法案」に反対して国会包囲に立ちあがっている仲間たち、川内原発のゲート前に座り込んでいる仲間たち、私たちはつながって声を上げ、憲法の理念を守らなくてはなりません。一人ひとりの命の上には、何も存在しないことを明らかにしなくてはなりません。日本の侵略戦争の最後に、いったい何があったのか。そのことを語り継いでいかなくてはなりません。それは、日本のアジア諸国に対する責任なのです。
   韓国のゲスト、イキョンジュさんは言いました。「日本国憲法はアジアとの約束です」戦後70年にあたって、その約束を守るべくがんばりあいましょう。

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