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原水爆禁止世界大会・広島大会 基調提起(藤本泰成・大会事務局長)

2016年08月04日

   ご紹介いただきました。大会実行員会事務局長、原水爆禁止日本国民会議の藤本です。今年も、全国から多くのみなさまに原水禁大会に参加いただきました。心から感謝を申し上げます。また、地元実行委員会の皆さまのご努力にも感謝を申し上げます。
   基調につきましては、皆さまのお手元に配布をさせていただいております。時間の関係もあり全てに触れることはできません。後ほど目を通していただきたいと思います。ここでは、私の思いも含め、若干の課題に触れて、基調の提起とさせていただきます

   本年、5月27日、バラク・オバマ米大統領が、現職の大統領として、初めて被爆地広島を訪れました。平和公園の原爆慰霊碑に献花し、広島・長崎を含む第2次世界大戦の全ての犠牲者に対して、哀悼の意を示すスピーチを行いました。「1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません」とする彼のスピーチには、被爆の実相から目をそらすこと無く、米国の道義的責任を自覚する、自省に満ちた言葉がありました。私たちは、米国を中心とした核保有国が、「核兵器の非人道性」に目を背けること無く、その事実から核兵器廃絶の一歩を進めることを、心から求めます。

   米の著名なNGO「憂慮する科学者同盟(Union of Concerned Scientists、UCS)は、「核兵器が使用される可能性を減らし、核兵器をなくす方向に世界を前進させるために、米国の政策に変更を加えることをオバマ大統領が検討している」と伝え、何人かの連邦議会議員が「先制不使用宣言」を、オバマ大統領に求めているとしています。「核なき世界」を標榜してきたオバマ大統領には、具体的な一歩として、米国は紛争において最初に核兵器を使うことはしないなどとする「先制不使用宣言」の実現を求めます。

   しかし、米国の核の傘の下に、安全保障政策をおく日本政府は、米国の核政策の変更に対して強く反対していると言われています。戦争被爆国として「核廃絶」を主張する日本が、オバマ大統領の「核なき世界」への道の障害になってはなりません。日本政府のそのような姿勢は、塗炭の苦しみの中から核兵器廃絶、二度と被爆者を出してはならないと声を上げ続けてきた被爆者への裏切り以外の何ものでもありません。私たちは、そのような日本政府の姿勢を決して許しません。

   安倍政権は、福島第一原発の事故以降、2030年代の原発ゼロをめざすとした民主党政権の政策を否定し、新エネルギー基本計画において将来の原発依存度を20~22%に設定し、安全基準をクリアした原発から、再稼働を行うとしました。そして、そのエネルギー計画の基本に、使用済み核燃料の再処理によって得られるプルトニウムを、高速増殖炉で利用する「核燃料サイクル計画」を再度位置づけました。日本は、NPT加盟国の非核保有国の中で唯一再処理を認められ、現在国内外に48トンものプルトニウムを保有しています。プルトニウムはご存じのように原子爆弾の原料であり、48トンは、長崎型原子爆弾に換算して約6000発に相当します。
   日本政府は、プルトニウムおよび天然に存在するウランの99%占めるウラン238を高速増殖炉において使用するならば、半永久的にエネルギーをつくり出すことができるとし、プルトニウムを純国産エネルギー、そして高速増殖炉を夢の原子炉と位置づけています。
   しかし、現実はどうでしょうか。再処理工場の稼働は、目処が立っていません。高速増殖炉もんじゅにおいても、1995年のナトリウム漏れの事故以降、事故や点検漏れなどの不祥事が相次ぎ、全く先の見通しが立たない中、1日5500万円、年間200億円とも言われる多額の維持費用だけが、私たちの税金によって費やされています。

   オバマ米大統領は、就任以来「核セキュリティーサミット」を開催し、核テロの可能性に触れて「これ以上分離プルトニウムを増やすべきではない」と主張してきました。高速増殖炉の完成が不明確な中、また2011年3月11日の福島第一原発の事故以降、多くの原発が停止されるきびしい状況にあって、プルトニウムの利用計画は白紙の状態となっています。
   昨年の国連総会において、中国の国連軍縮大使は、日本は48トンのプルトニウムを保有している、核武装を主張する政治勢力が存在する、意図すれば短時間で核保有国になることができるとして、日本のプルトニウム利用に懸念を示しています。
   今年3月に米上院外交委員会公聴会において、カントリーマン国務次官補は「使用済み核燃料の再処理に経済的正当性は無く、米国は支援も奨励もしない。全ての国が撤退すれば喜ばしい」と、日本を意識した発言を行っています。この間、米国の様々な場面で同様の発言があいついでいます。

   原水禁は、東北アジア非核地帯構想を主張し、その議論を重ねてきました。朝鮮民主主義人民共和国が、核保有に向かい、日本が48トンものプルトニウムを保有しいつでも核保有国になり得る条件を確保している中で、韓国も再処理を認めるよう米韓原子力協力協定の交渉で強く要求を行っています。
   長く原水禁運動を牽引した岩松繁俊元原水禁議長は、「ところで、原水禁運動はただ核兵器廃絶だけを目的とした運動ではありません。原発・再処理施設を含む核燃料サイクルは、長崎に投下されたプルトニウムの製造装置であり、原発増設をやめない日本は、世界から核兵器保有の疑惑を持たれています。被爆国日本の核廃絶の訴えは、世界では信用されていないのです」と主張しています。
   被爆国日本として、先の目処も立たず破綻したとしか考えられない「核燃料サイクル計画」プルトニウム利用計画を放棄しなくてはなりません。「廃炉という選択肢は現段階でまったくない」とした馳浩文部科学大臣の主張を許すことはできません。

   福島原発事故から5年を経過して福島はどうなっているのでしょうか。溶融した燃料は、只ひたすら冷却し続けているだけで、放出される放射能と大量の汚染水は、環境への脅威となっています。事故の収束作業は、先の目処が立っていません。海溝型地震である東日本・太平洋沖地震の最大余震がいつ来るのか来ないのか、私たちは未だ原発震災の脅威と向き合っています。
   このような中で政府は、帰還困難区域を除いて、居住制限区域および避難指示解除準備地域において、除染作業が終了し、年間被ばく量が20mSv以下となった地域の避難指示を解除してきました。2017年度末を目途に、帰還困難区域を除く全ての地域で避難指示の解除を行い、同時にこれまでの補償を打ち切ることも示しています。
   避難先での生活が確立しつつあり、仕事の都合や学校の問題、病院やその他のインフラの不足、また20mSv/yという放射線量、山積みされ中には草木が芽を出して破けてしまっている、放射性物質を含む除染廃棄物などを包んだ黒いフレコンバックの山、子どもたちをそのような環境に返していいのだろうかという大きな不安、帰れない人、帰らない人、この間避難指示が解除されても人々の帰還は進みません。人々の思いや不安を無視した一方的な帰還の強要が許されるはずはありません。

    2011年の10月から、事故当時18才以下であった子どもの甲状腺に関する調査が行われてきました。2016年3月現在で、173人が甲状腺ガン又はガンの疑いと診断されています。
   この事故が無ければ、子どもたち全員の甲状腺検査の実施も必要が無く、甲状腺ガンと事故の因果関係を議論するまえに、国が事故の責任を持って支援を強化していく必要があります。
   1986年のチェルノブイリ原発事故においては、社会体制の違いはあるにせよ、人々を被ばくから守るため、汚染地の区分、被災者のカテゴリー、居住と移住の権利、労働の条件などを定め「放射能汚染で生じた生活や医療など多くの問題の解決」をめざす、チェルノブイリ法が制定されています。
   また、原水禁運動は、ヒロシマナガサキの被爆者問題に、被爆者援護法の充実と過去・現在・未来の三つの「ほしょう」を基本にしてに、被爆者そして被ばく二世・三世の課題に取り組んできました。そのこともなお道半ばではありますが、これまでのとりくみを基本に、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを結んで、政府の支援と補償の切り捨てを絶対に許さず、一人ひとりの思いに寄り添い、議論を重ねながら、補償の拡充にとりくんで行きたいと考えます。

   今年、4月、熊本県において震度7を記録する地震が発生しました。活断層上の益城町では、1580ガルの震動を記録しています。稼働中であった隣県の川内原発の基準値振動は620ガル、今回動いた日奈久・布田川断層帯の延長線上、中央構造線に沿って立てられている伊方原発では、650ガルとされています。
   2000年の鳥取西部地震は、地震の空白域で発生し、地震動は1135ガルを記録しています。2008年の岩手・宮城内陸地震も同様で、未知の断層で発生し、上下の地震動はなんと3866ガルと言われ、ギネスブックでも世界最大と認定されています。
   熊本地震においては、稼働中の川内原発の停止を求める声に対して、原子力規制委員会は、問題は無いと応じませんでした。熊本地震は、長く余震が続き、震源域は大分県方面に拡大されました。その震源域が鹿児島方面に動かないと誰が言えるのでしょうか。全国の原発付近で、基準値振動を超える地震が発生しないと誰が断言できるのでしょうか。

   「大飯原発で想定される地震の揺れは、過小に評価されている」とした原子力規制委員会の島崎邦彦前委員長代理の指摘を、原子力規制委員会は、7月28日、「根拠がない」として一蹴しました。
   防波堤を越える津波の予想を黙殺し、メルトダウンという甚大な被害を引き起こしたたった5年前の福島第一原発事故を忘れたのでしょうか。
   安倍首相は、2006年12月の国会答弁で「(原発が爆発したりメルトダウンする深刻事故は想定していない)原子炉の冷却ができない事態が生じないように、安全の確保に万全を期しているところである」と述べています。政治家として、当時の首相としての発言に、いったいどのような責任を取ったのでしょうか。誰も責任を取らない無責任な原発政策は、未だ止まることはありません。

   原水禁岩松繁俊元議長は、「原水禁運動とは何か」との一文で、「 広島・長崎で被爆した人たちすべてが、言語に絶する苛酷な被害にのたうちまわったのみならず、これら被爆体験者をじかに目撃した『非体験者』が、衝撃にたえられず慟哭したという事実こそ、この残虐なジェノサイド兵器への、怒りと悲嘆と絶望ならびに反戦・平和への熱望という反応が『普遍的』であることの客観的証明です」と述べています。そこには、突然に罪なき無辜の人々に降りかかった惨劇への、命への真摯な考察があります。

   作家の村上春樹さんは、2011年6月、バルセロナでのスピーチで、ヒロシマ・ナガサキに触れながら、福島原発事故に関して「何故そんなことになったのか?、戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?、我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう」「理由は簡単です。『効率』です」と述べています。

   原水禁運動は、ヒバクシャの命と真摯に向き合ってきました。そのことの意味をもう一度、私たちは見つめ直すことが必要ではないでしょうか。

   大津地裁の山本善彦裁判長は、高浜原発3・4号機の「再稼働禁止仮処分申立事件」の決定書において、「原子力発電所による発電がいかに効率的であり、発電に要するコスト面では、経済上優位であるとしても、それによる損害が具現化したときには、必ずしも優位であるとはいえない上、その環境破壊の及ぶ範囲は我が国を越えてしまう可能性さえあるのであって、これらの甚大な災禍と引き替えにすべき事情であるとはいい難い」と述べています。

   いのちの問題を経済的効率で語ることはできない、ごく当たり前の話ではないでしょうか。しかし、経済成長を謳歌していた私たちにとって、それは視界の外に置かれた問題ではなかったのでしょうか。つい最近、障害者19人が殺害されるという絶望的事件が起きました。議論は、犯人への憎悪、そして措置入院などの制度の問題に矮小化されています。
   しかし、振り返ると侵略戦争と植民地支配、特攻などの狂信的作戦、戦後は水俣病などの公害、そして原発立地の地方への押しつけ、沖縄への基地の押しつけ、日本の政治が、一人ひとりの命に寄り添うことがあったでしょうか。繰り返される政治家の差別発言が、しかし許されまかり通っている。19人の殺害という衝撃的な事件の原因は、実はそのような命を粗末に扱ってきた日本社会の構造にあるのではないでしょうか。

   先程の村上春樹さんは、2009年のエルサレムでのスピーチで、「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」と述べています。「その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます」「私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った、個性的でかけがえのない心を持っているのです」「私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです」と述べています。

   今、日本社会に必要なのは、一人ひとりの命の側に立つことなのだと思います。原発も、核兵器も、沖縄も、戦争法も、そこから考えると自ずと答が見えいてきます。

   私たちは、正しい。私たちが、ひとりの命ある人間であるからこそ、私たちは、正しい。と、私は思います。

   6日まで、広島大会の皆さまの真摯な議論に期待を寄せて、大会基調の提起といたします。

※大会においては、時間の関係で一部分省いています。ご了解下さい。

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