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広島大会・長崎大会分科会報告

2016年08月08日

広島第1分科会「脱原子力1-福島原発事故と脱原発社会を考える」

   第1分科会は170名の参加で、このうち70名程度が初参加であった。
   冒頭、ドイツ連邦議会副議長のクラウディア・ロートさんからのスピーチを受けた。クラウディア・ロートさんからは「1986年のチェルノブィリ原発事故の時は、『社会的システムが整ってない国の出来事だから、先進国では原発を稼働してあるのは、テロなどを含む原発事故のリスクだけだ。」と述べるとともに、「『日本は経済大国だから脱原発はできない』という人がいるが、それは違う。再大丈夫』という言い訳が通用したが、先進国の日本でフクシマのような事故が起きた今、そのような論理は通用しない。今現在、新たに建設された原発はなく、生可能エネルギーについて、日本ほど恵まれている国はない。長い海岸線は風力発電を進めるポテンシャルがあることを示しているし、日照時間も長く太陽光発電もできる。その他地熱発電などもある。地域分散型でエネルギーを活用すれば、日本では様々なエネルギーを活用できる」と参加者に熱く訴えた。
   そののち、福島原発告訴団団長の武藤類子さんから、「原発事故は終わらない」と題した講演を受けた。武藤さんはパワーポイントで画像を示しながら、飯館村や富岡町の放射性廃棄物の仮置き場の状況について解説するとともに、仮設の焼却場について、環境影響評価もなされないで作られている現状を説明した。そして、「この状況で何ができるのかを考え、福島原発の刑事告訴に踏み切った。検察審査会によって、東電の元会長ら三人の強制起訴が実現した。今後、裁判の中で真実を明らかにしていきたいと思うので、皆さんもぜひ支援を」と訴えた。
   以上を受け、原子力資料情報室の西尾漠さんから、「福島原発事故と脱原発」と題した講演を受けた。西尾さんからは「福島原発事故からは、被災者の抱える困難や、放射性廃棄物の問題など、解決不能な問題ばかりが見えてくる」と説明したうえで、「高速増殖炉もんじゅを中心とした核燃サイクル政策はすでに破たんしている。このことは『核のゴミ』の処理をする方法が見つからないということであり、原子力政策はすでに破たんしている。電力会社の方も原子力はせいぜい現行維持をして、コスト回収をするところまでで、新増設など無理とわかっているはず」と述べ、脱原発社会の実現に向けて、みんなで頑張って行こうと呼びかけた。
   各地報告としては、「指定廃棄物の放射性濃度の再測定結果と環境省の今後の方針等」について報告があり、続けて行われた質疑では、放射性廃棄物の最終処分地に関してや、被爆労働者の被ばく線量の基準問題などが討議され、分科会を終了した。

広島第2分科会「脱原子力2-核燃料サイクルと再稼働問題」

参加者 84人 初参加者 40人程度

   安倍政権が進めるエネルギー基本計画の中心は、原発再稼働と核燃料サイクルの推進である。原発再稼働は、川内原発、高浜原発と再稼働を強引に推し進めたが、高浜原発は福井地裁、大津地裁で運転差し止めの決定が下され、司法も再稼働の危険性を指摘している。
   地震大国日本は、いま地震の活動期ともいわれ、地震と原発の災害が重なれば壊滅的な被害を受けることは福島原発事故が示している。また、核燃料サイクルでは、六ケ所再処理工場や高速増殖炉もんじゅは、度重なるトラブルなどで、核燃料サイクルそのものの先行きが見通せない状況にある。安倍政権の進めるエネルギー政策の2つの柱の破綻の現状を検証し、原子力政策に未来がないことを明らかにしていくため、講師2人、また海外ゲストから提言があった。また、北海道、青森、福井、愛媛より原発等についての現地報告があった。以下、これらの提言、報告を受けて簡単に質疑・応答・意見の要点を記載する。
   質疑   大学にある研究のための原子炉については、どういう扱いとするのか?
   応答   大学についての廃炉はまだ十分把握していないが、武蔵工大だったか原子炉は閉鎖になっている。原子炉研究は続けるべき。若い人の研究者が少ない。研究者を増やすためにも研究用の原子炉は残すべきだろう。
   質疑   原発について、なぜ、廃炉にできないのか?    応答   投資を回収してできるだけ儲けたいという会社の意向はあるだろう。初期の原発については、規制規準について達成させるためにはコストがかかるので止める方向。地元の動きがないと原発推進となる。反対運動が重要な役割となる。
   意見   福島は除染廃棄物が野積みになっている。未だに放射性物質は取り出せていない。除染は十分でない。早急に運びだしてもらいたい。また、残り4基の廃炉は決定していない。廃炉を強く求めていきたい。
   意見   これまでの運動から、労働組合と市民運動の関係づくりに展望がもてると思う。
   意見   5年たっても福島は終わっていない。労働者は放射線をあびて労働している。熊本地震があったが、地震はどこで起きても不思議ではない。再稼働は止めていかねばならない。
   質疑   福井の4基の廃炉が決まっている。しかし、プールの中にたくさんの核燃料があり、これらのことを含め計画的に行っていってほしいがどうなっているのか?
   応答   原子力市民委員会が立ち上がっている。脱原発がベース。廃炉についてや人材育成についても提言している。廃炉・廃棄物の将来的機関として設立すべきである。

広島第4分科会「平和と核軍縮2-核兵器禁止条約の動き―核なき世界への課題」

参加人員 90名
初参加者 25名

   はじめに、秋葉忠利元広島市長より、昨年は70周年という節目の年だったが、今年の周年は、戦後初の核実験(1946年)から70年。被団協結成60年、太平洋でのフランスの核実験は50年前。チェルノブイリ事故から30年。レイキャビクでのレーガン・ゴルバチョフ会談から30年。国際司法裁判所の勧告的意見と原爆ドームが世界遺産になって20年。オバマ大統領の広島訪問0年。1987年のレイキャビク会談では、核兵器全廃の合意、まさに一歩手前まで進んだが、米国内の軍産学複合体に阻まれ実現しなかった。世論に知らされてなかったから。
   オバマ大統領が5月広島へ。重要なのはアメリカの世論。2009年のプラハ演説から大きく変化した。アメリカの思考の基本―パールハーバーは絶対悪。原爆投下は当然―というくびきから開放された。原爆投下は正しかったか?の世論調査では、<正しい>1945年90%、2009年67%、2015年56%、2016年45%。
   これはオバマ効果であろう。
   国連では8/5~8/19まで「公開作業部会」開催。世界の過半数の政府が核兵器禁止条約締結のための交渉に賛成。2017年に交渉開始をする。期限をつけることが大事。最終報告書に賛成しないのが日本政府。英国の方向も注視。メイ首相は核使用を明言している。スコットランドは独立を望み、目的は核兵器廃絶、すべての市長が平和市長会議に入っている。今おかれている位置の理解や市民運動の重要性を示唆された。
   湯浅一郎さん(ピースデポ)は、「東北アジアの非核化」を重点に、80年代後半、冷戦構造はなくなってくるが、東北アジアは冷戦構造が続いている。38度線の南北分断、1953年7月停戦協定は結ばれたが戦争は終わっていない。どう終わらせるか、6カ国協議、多国間協議、それぞれの国が考えないといけない。
   南半球は非核兵器地帯が実現。中央アジアが北半球で初めて非核兵器地帯をうちだした。新しい状況は、国連軍縮諮問委員会の作業報告で「国連事務総長は、北東アジア非核兵器地帯の実現へ向けた適切な行動を」と勧告。チャンスだ。
   平和首長会議は546名が賛同。さらに宗教者の呼びかけ、キャンペーンが広がっている。オバマの8年間がアメリカの世論を変えたように、市民ひとりひとりの声が変えていくと話された。
   アメリカ・ピースアクション事務局長、ジョン・レインウオーターさんは、ピースアクションは草の根の会員制の平和団体で議員にも直接訴える活動、核兵器のない世界を作るため活動している、と紹介。バラク・オバマの時代は終わろうとしている。ヒラリーの時代に入ろうとしているが世論調査は51%できびしい。社会主義は禁句だったが、ピースアクションはサンダース氏を支持した。より民主的・リベラルに戻そうとした。
   若い人に新しい変化がある。若い層、アジア系、ムスリム系はサンダース氏支持が多い。ヒラリーに核兵器反対を入れようと働きかけている。イラン核合意が成功すれば、北朝鮮との交渉もうまくいくだろう。
   ピースアクションはオバマに対し、ヒロシマに言及するよう求めたが、返事なし。オバマは任期満了に際し、核兵器に対し行動をとるようにしている。ピースアクションはオバマに核兵器政策を提言している。恐怖の論理に振り回されず、核兵器なき世界を作らなければならない。アメリカの政治状況も紆余曲折。黒人への警察の暴力、銃乱射事件。しかし、多くの人は愛は憎悪に勝つと信じ、前向きである。共に前進しよう。

広島第5分科会「ヒバクシャを生まない世界に1-世界のヒバクシャの現状と連帯のために」

総参加者数 60人(講師・ゲスト・運営委員除く)初参加者数30人

   第5分科会は60人の参加者のうち30人が初参加でした。
   講師の豊崎光博さんは冒頭「昨年被爆70年で節目の年だったが、今年は被団協結成60年、チェルノブイリ事故から30年、福島第一原発事故から5年の年である」と切り出しました。豊崎さんは「世界にはウランを採掘する国は19カ国あり、採掘場、濃縮工場での被ばく、また核実験による被ばくがあり、ヒバクシャは広島、長崎だけではない」と強調しました。豊崎さんは「1957年、社会党はビキニ水爆実験による被ばく者や将来の原子力利用による被害者も含めた原爆被害者援護法の制定を提案したが、自民党の保守系の抵抗により頓挫。同年、原爆被害者だけを対象とする『原爆医療法』が施行。そのため、ビキニ環礁などの水爆実験で被ばくした856隻の漁船乗組員約1万6千人、これまで原発に従事した約60万人の労働者の健康を、被爆者援護法によって守ることができなかった」と指摘しました。
   続いて海外ゲストのエカテリーナ・ビィコワさんが報告しました。エカテリーナさんはウクライナのセミョノフカ出身で、現在、ウクライナ国境近くのロシアブリャンスク州ノボズィプコフのラディミチ・チェルノブイリ情報センターで働いています。セミョノフカはチェルノブイリから150キロ離れており、エカテリーナさんは11歳のときにチェルノブイリ原発事故にあいました。エカテリーナさんは「事故当時、政府から何も勧告がなく、メーデーも普通に行われた。衛生局で働く人の子どもたちだけが避難を始め、両親が慌て始めた」と当時の状況を振り返りました。エカテリーナさんはロシアのノボズィプコフにある教員養成学校に通いながらラディミチの前身となるボランティア団体で活動をして、卒業後故郷で4年間教員を務めましたが、学生時代でのボランティア活動が忘れられず、再びノボズィプコフに戻り、現在の職場で働き始めました。ラディミチの主な仕事は、住民の健康調査と放射能教育です。ラディミチには1万6千人の住民が登録し、毎年2000人が健康診断を受けています。その内70%が甲状腺に何かしらの問題を抱えていると報告がありました。エカテリーナさんは「チェルノブイリ事故が起きても、放射能について特に意識しなかったが、25歳のときに関節炎、甲状腺の問題を抱え、ようやく真剣に考えるようになった」と述べました。エカテリーナさんは「今回始めて福島の楢葉町を訪ねた。これから帰還が始まる学校の先生が『子どもたちとどう向き合っていいか分からない』という自信のない言葉を受けてショックを受けた。チェルノブイリに置かれた大人と重なった」と印象を述べました。91年チェルノブイリ法が制定され、ラディミチはゾーン2に指定され、移住の権利が認められました。エカテリーナさんは「放射線防護対策も重要だが、住民への情報開示も重要」と指摘しました。
   質疑応答では、原発は武力攻撃を想定しないで建設されたのか、福島では強制的な帰還政策がすすめられているが今後どうなるのか、希望はどうしたら生まれるのか等の質問が出ました。エカテリーナさんは「同じ絶望を経験した仲間がいて一緒に活動ができたから自分は持ちこたえることができた。絶望を共有し仲間と子どもたちを守るために協働する。子どもに健康のために必要な知識を与えれば、子どもに気づきや発見がある。子どもたちが変わる姿を見て大人も変わる。そこに希望が生まれる。子どもたちのためにすることが自分たちのため、地域のためにもなる。そういったサイクルが希望をつくる。子どもたちと希望のサイクルをつくることができたら世界の原発は止めることができる」と訴えました。

広島第6分科会「ヒバクシャを生まない世界に2-ヒロシマからフクシマへヒバクシャの課題」

*人数41名 *初参加18名

   それぞれ講師、海外ゲストの3人より問題提起を受け討論にはいりました。
   討論の要点は

  1. 大阪 被爆2世から訴え。父が被爆者で2.5㎞で被爆。
       大学を卒業して20数年経って、関わっている。被爆者と次の世代の問題。子どもを産んで遺伝の問題が課題、心配。福島の実態で問題があるのか。被ばくの影響があるのか?子どもを生んで良いのか?。
  2. 新潟 原発問題。
       今回初めて参加。原発には反対。逆に原発を止めたときにどう言う影響があるのか。日本の経済が大きく傾くことになるのではないのか、講師の方に質問。
  3. 兵庫
       JCRB「国立研究開発法人研究所」の出すものが基準となっている。この組織は産業に関わっているひとがつくっている組織。人間の安全をもとにつくられていない。この組織が問題だ。人間の生命などを守ることを基本に考えなければならない。
  4. 大阪
       二度とヒバクシャをつくらないが忘れられている。ヒバクシャの皆さんには共通性が沢山ある。健康に対する不安、子ども・孫に起きてくるのではないかなどの不安。事故の責任を取ってもらって対策を進めていくことが必要である。
       カク・キフンさんに在韓被爆者援護訴訟勝利について辛かったこと、日本の司法についてどう思っているか、率直に聞きたい。
  5. 兵庫
       平野さんの発言で「被爆体験者訴訟」とはどいうものか。

   以上の討論・質問がなされました。それぞれ講師・海外ゲストからのコメント、問題提起を受け、最後に梶原洋一運営委員のまとめで終えました。

 

長崎第2分科会「脱原子力2-福島原発事故と脱原発社会に向けて」

   参加者数は74名で、その内、約3分の1が初めてで約4分の1が原子力の事をあまりわからない参加者であった。
   海外ゲストのクラウディア・ロート(ドイツ連邦議会副議長)からは、福島第一原発事故は、人間の傲慢さで起こった。広島、長崎は、計り知れない悲しみをもたらした象徴である。核兵器は、絶対悪であり、全ての核兵器を無くし、平和憲法を守り憲法改悪にならないよう願ってる。福島第一原発事故は、ドイツの国策として脱原発へと舵を切ることになった。そして、脱原発で、再生可能エネルギー時代の可能・実現性が述べられらた。また、日本は、再生可能エネルギーを生み出すベストな条件を備えている事が語られた。
   藤井石根さんから、福島第一原発事故が起こり政府は、事故の責任を曖昧にし、時代の歯車を逆に回そうとしている。原発を重要なベースロード電源と位置付け、原発再稼働ありきだが、世界は、確実に脱原発・脱炭素社会へと大きく舵を切っている。今後は、太陽や風力、水力、地熱、バイオマスなどの再生エネルギーに立脚した社会を実現すべき。
   西尾漠さんより、福島原発事故は、始まりも、今も、終わりも見えない事故であり、世界初の本格的な「原発震災」である。事故後は、「原子力ムラ」が復権し、原子力委員会の凋落と原子力規制委員会が強大な権限を持つようになった。使用済核燃料再処理サイクルも破綻している。脱原発に向けて、原発再稼働阻止の意義は、次の阻止への大きな力となる。再稼働には、莫大なコストが必要で、電力会社の本音はやめたいが、会社自身で判断できなくなっている。脱原発の世論を高める事が、廃炉へとつながる。
   各地報告として福島から、「避難」は、強制移転である。原発推進から再生可能エネルギーへの転換できない象徴が、福島市議会で原発再稼働反対の議決が否決された。福島市議予算の50パーセントが、除染費用で、学校や家庭では、除染土が放置され、仮置き場も不足している。子どもの甲状腺ガンの問題や風評被害や風化の心配がある。
   質疑応答では、ドイツで脱原発になったが、石炭政策は? 日本では脱原発の運動が、何故広がらないのか? 原発や核燃料廃棄物で政府は、民主的な議論の場や情報が公開されない、市民の意見を言える場はないのか? 政府、電力会社は、賠償責任をうやむやしようとしているが?
   答えとして、ロートさんから難しい問題ではるが2040~50年をめどに脱石炭をめざしている。西尾さん藤井さんから、政治のあり方に問題ある。都合の悪い事は隠し、情報を公開しない、結論だけを知らせる。こうした実態を一人一人共有し、運動につなげ、日本に、本当の民主主義を根付かせる必要がある。東電元幹部は、検察審査会で強制起訴になった。政府も、根拠なく避難解除を進め、「事故」をないものとしようとている。また、賠償金も金融会社から融資を受け、電力料金から支払われている仕組みを明らかにする事が大事だ。

長崎第3分科会「平和と核軍縮1-憲法・沖縄と東北アジアの非核化」

参加人数 280名(うち初参加者数40名)

   NPO法人ピースデポ代表田巻氏からは、日本国内における安保法制の背景には、日米防衛協力の新ガイドラインの合意があり新ガイドラインの履行にあたっては、憲法平和主義の諸原則を修正することなしに履行することが不可能であった。憲法解釈を変更することにより国内法を成立させたことは大きな問題である。また、国内的には、安保法制と核兵器の問題、国際的には、核兵器禁止の潮流にあって日本政府の動向、政府の発言には、注視していかなければならない。このことは、被爆国日本として非常に嘆かわしいことである。国際的には、OEWGでは、100カ国ほどの政府、国際機関等が参加をし核兵器のない世界を目指し論議が行われているが、核兵器保有国からの参加がないこと。世界に広がる非核兵器地帯のなかにおいて北東アジア非核兵器地帯を構築することが必要であることの問題提起が行われた。
   また、ピースアクション事務局長ジョン・レインウォーター氏からは、ピースアクションの取り組みと次期アメリカ代表選挙における候補者の核軍縮、核問題に関する考え方の指摘が行われた。
   現地からの報告では、神奈川県横須賀基地、厚木基地における米軍基地の強化、拡大に反対する取り組み、長崎県佐世保からは、オズプレイ飛来に対する問題点と繁多行動の取り組み、沖縄県からは、参議院選挙後の辺野古、髙江の現状報告が行われた。
   これらの提起に基づき、参加者からは、沖縄と連帯する取り組みを積極的に行べきではないか。核兵器廃絶に向けた取り組みを今以上に展開すべき。国民、国会を蔑ろにする現政権に憤りを感じる。国民がより結集しやすい手法はないのか。との多くの仲間との連携を要望する意見が出され第3分科会は終了した。

長崎第4分科会「平和と核軍縮2-プルトニウム・再処理と核拡散」

参加者49名(延べ人数。出入りあり)

[海外ゲストから]
   サバンナリバーサイトは、冷戦時代、ワシントン州ハンフォード・サイトと並んで米国の二つの核兵器用プルトニウム(及びトリチウム)生産施設の一つとなっていた。5基の生産炉があったが現在ではすべて閉鎖されていて、プルトニウム製造のための再処理も行われていない。新しい役割は主にプルトニウムの処分に関わるもの。米国が核兵器用に余剰と宣言したプルトニウム約50トンの内、ロシアとの間でそれぞれ処分することに合意した34トンをウランと混ぜて「混合酸化物(MOX)」燃料にするための工場がSRSで建設中。しかし、この計画は工事の遅れと建設費高騰のため頓挫している。
   SRSにはすでに処分を待つ13トンのプルトニウムがあり、このうち、化学物質などと混ざっている6トンは、ニューメキシコ州地下の岩塩層に設けられた「廃棄物隔離パイロット・プラント(WIPP)」に送る計画だが、この計画も地元州の態度などによってはどうなるか分からないと危惧されている。
   国際的安全保障上問題のある核兵器利用可能物質をサウス・カロライナ州で厳重に保管するようお願いする立場にあるはずの日本は、「国際原子力機関(IAEA)」の計算方法で核兵器6000発分に相当する約48トンものプルトニウムを抱えながら、さらに使用済み燃料から年間8トンも分離する能力のある六ヶ所再処理工場の早期運転開始を追求する政策を変えていない。原燃は昨年11月、六ヶ所村再処理工場の完工時期を2016年3月から18年度上期に延期すると発表したが、元の予定だと3月のサミットでオバマ政権がFCAのプルトニウムの輸送完了を成果として大々的に宣伝する中、六ヶ所再処理工場完工が大きく報じられるということになるところだった。
   日本からのプルトニウムの搬出をオバマ大統領の核不拡散面の遺産とみなすものがいるかもしれないが、もっと大きな課題がある。核兵器利用可能なプルトニウムの分離、蓄積、燃料としての使用を日本に止めさせること。日本の反核運動は「不条理劇」に気付いて行動を起こすべき。「日本は約48トンのプルトニウムの使い道がなく、再処理工場を稼働して蓄積を増やすべきではない。(プルトニウムを燃料に使う)高速増殖炉もやめるべきだ」と指摘。

[現地報告(青森)]
   六ケ所工場は、2016年3月完成が、23回目の延期となった。経費も7,000億円から2兆円とも言われ、日本経済を圧迫している。5月に再処理促進法が決まり国民負担が大きくなった。
   自治体は交付金頼みできたが、この交付金頼みの運営から脱出しなければならない。昨年6月に県知事選があり候補者を擁立した。結果は敗れたが、今年の参議院選挙の東北の健闘につながったと思う。
Q)日米原子力協定改定で六ケ所を止めることが出来ると思うか。日本での運動団体でどのような議論がされているか。
A)日本とアメリカの交渉で六ケ所を止められるとは思わないが、日本政府に対して強い申し入れを続けていくしかないと思う。

[講師提起]
   六ケ所現地の問題を青森支援ととらえがち。これは反核運動であり、支援問題ではない。
   プルトニウムを増産させるべきではない。オバマ大統領の政策を実行させるように求めていかなければならないが、日本は反対している。
   諸外国が再処理から手を引いているのに、日本は唯一再処理に固執している。アメリ高官が懸念している。長崎の地から再処理反対の動きを作っていかなければならない。再処理は核兵器問題。核のない世界のために再処理中止を目ざす運動を作っていなければならない。アメリカの核先制不使用宣言を止めさせない。六ケ所村は公害にさらされているかわいそうな村、再処理の汚染問題、エネルギー問題などでなく、核兵器問題という認識が必要。プルトニウムがなければ、日本は崩壊するということはない。
   プルトニウムが日本を助けることもない。
Q)非核三原則の法制化を2018年の原子力協定更新までにすべきではないか。
A)非核三原則の法制化運動は意味がると思うが、核を持たないというのは違うと思う。核兵器を持たない、作らないというのはNPT条約担保されている。アメリカが核先制不使用宣言をすると日本の安全保障に責任が持てないという理由で、日本が核武装するのではという懸念を持たれている。

長崎第5分科会「ヒバクシャ1-ヒバクシャ問題を考える」

   今年は、広島・長崎に原爆が投下され71年、ビキニ核実験での第五福竜丸被爆から70年、チェルノブイリ原発事故から30年、福島第一原発事故から5年が経過したなか、被爆者の現状と抱える問題について、講師として豊崎博光さん(フォトジャーナリスト)、振津かつみさん(医師)、海外ゲストとしてエカテリーナ・ヴィコフさん(ロシア/「ラディミチ」:チェルノブイリ情報センター)をお招きし開催しました。
   進行は、司会者・堤典子さん、座長・奥村英二さんで、参加者は全国から32名(初めての参加者約10名)
○豊崎博光さん
   一つ目の課題は、被爆認定者(被爆者健康手帳をもらえる人)は原爆にあった人だけである。ビキニ核実験での第五福竜丸乗組員やウラン鉱山での労働者(人形峠)、福島第一原発事故での住民や事故復旧労働者など、被爆した人は対象外となっている。従って、法整備が必要である。二つ目の課題は、核実験によって肉や魚など食物を食べることによる内部被爆である。イギリスやフランス、アメリカ、中国が行った核実験で大地や海に放射性降下物(死の灰)を放出し、地球全体を被爆させた。三つ目の課題は、原発事故による被爆である。原発事故はスリーマイル島原発(アメリカ)やチェルノブイリ原発(ソ連)、福島第一原発などにより、世界中が汚染された。山は洗浄することができない。これらのことから、考えなければならないことは、『被爆者をつくらない 生み出さないこと』であり、原発を廃止し、核兵器をつくらせないことであると考える。と講演されました。
○エカテリーナ・ヴィコフさん
   チェルノブイリ事故当時、住民は何も知らされていなかった。そして事故についてテレビで知らされたが、「コントロールできている」との報道であった。事故後、町の役人は我が子を他の町に移動させた。この時、住民は何かおかしいと感じた。私たちはいつも森の中で遊んでいた。放射能立入禁止の看板は建っていたが何の看板か分からなかった(放射能とは何なのか知らなかった)。エカテリーナさんは母の薦めで教育養成校に進学したが、そこで先生が辞め町を出て行ったが、情報を得ること無くそのままの生活が流れていった。現在は、障害施設で教員に就いているが、小児マヒや甲状腺ガンの子どもが増えている。そして町では健常児が障害児を受け入れしませんでした。日本では、甲状腺ガン検査が必要だと思う。行わなければならないことは、子どもへの教育(放射線の恐ろしさ・体への影響・身を守る方法など)と、エネルギーにはどんなものがあるかなど、子どもへの情報提供が必要だと思います。と講演されました。
○振津かつみ さん
   福島第一原発事故は未だ収束していない。事故によって引き起こされた問題が山積みであり複雑化している。170名を超える子どもたちが甲状腺ガンと診断され心を痛めているなか、政府は、被害者支援や賠償を打ち切り、年間20ミリシーベルトを基準に住居制限区域の避難指示解除を目指している。そして、被害などまるでなかったかのように原発再稼働や原発輸出を強行しようとしている。絶対、許してはならないことである。事故を起こした今、核利用はコントロールできない。核と人類は共存できない。ことは明かです。浪江町では「健康手帳」を配布し、国に対して「被害者救援法に準じた法整備」や被害者の人格権、生命権、健康権、環境権などを求め、様々な運動に取り組んでいます。今年は、ヒロシマ・ナガサキ71年、チェルノブイリ30年、フクシマ5年です。この教訓を踏まえ、議論を深め、連帯の輪を拡げ、運動を強めていきましょう。と講演されました。
○分科会まとめ
   核兵器と原発事故は格差(差別)を生み出しました。避難児童は、転校先で「あいつに触ると放射能を浴びるぞ」「ガンになるぞ」と虐められ、再び転校を余儀なくされた子がいます。結婚では、「障害児が生まれたらどうする」などと結婚を反対されることが懸念されます。人権をも奪ってしまいます。私たちに何のメリットもありません。安倍首相はチェルノブイリ事故・ソ連のゴルバチョフと同じことを言っています。「福島原発汚染水はコントロールしている」と嘘をつきました。そして、参議院選挙では憲法改正に必要な3分の2の議席を改憲政党で確保しました。国民主権から国家主権とし、再び、戦争へと導こうとしています。この分科会で課題を共有し、全国各地で核兵器廃絶、原発廃炉、安全保障関連法廃止、憲法改正阻止に向け取り組んでいかなければなりません。共に頑張りましょう。

長崎第6分科会「ヒバクシャ2-強制連行と被爆を考える」

   第6分科会は52名の参加で、このうち23名程度が初参加であった。
   最初に長崎大学名誉教授の高實康稔さんから、「強制連行と被爆を考える」と題した講演を受けた。高實さんからはまず、「朝鮮人強制連行は、1939年の閣議決定『労務動員実施計画』のなかに組み込む形で内務・厚生両次官の通牒である『朝鮮人労務者内地移住に関する件』によって開始された。当初行われた『募集』の最大の特徴は『甘言』、すなわち、『日本に行けば、遊んで、飯もたらふく食える』といった類の詐欺罪・誘拐罪が成立するような不法なものであった。そののち、1942年になると、さらに『官斡旋』といわれる方法がとられた。『斡旋』とは事実上の命令であり、役人と警察官がいきなりトラックで押しかけて有無を言わさず連行する、といった事例が後を絶たなかった。」と説明した。そのうえで、「広島・長崎への強制連行は敗戦前7年間に激増した。広島県内在住朝鮮人人口は1945年には84886人、長崎県は61773人となっている。この要因は、三菱重工業をはじめとする軍需産業であった。その中で、広島では5万人、長崎では2万人が被ばくしている」と実情を丁寧に解説した。また、中国人についても、「戦時中日本は約4万人の中国人を強制連行しており、そのうち長崎では、1000人を超える被爆者がいる」と述べた。
   そのうえで、在外被爆者援護の進展と今後の課題について、「在外被爆者を排除する厚生省の通達として『402号通達』があった。その通達を廃止に導いたのはカク・キフンさんの裁判である。この裁判では『被爆者はどこにいても被爆者』を引き出し、在外被爆者援護の課題は大きく前進した。そして、2015年9月8日の最高裁判決によって、内外人平等全額支給が実現した。しかし、手帳取得に対する条件(証人や証拠)が厳しく、韓国原爆被害者協会に所属しながら手帳を取得できていない人が100人を超える。この人たちの手帳取得をどう進めるかが課題だ」と述べた。
   続いて、元韓国原爆被害者協会会長のカク・キフンさんから、自らの被爆体験と、韓国人被爆者の苦難の歴史についてお話があり、そのうえで、「被爆者はどこにいても被爆者」を引き出した裁判の経過についても報告があった。また、韓国原爆被害者協会釜山支部のチョン・テホンさんからも自らの被爆体験についてお話があり、また、韓国に戻った後も朝鮮戦争に巻き込まれるなどの厳しい体験についてもお話があった。
   参加者からは「端島(軍艦島)の被爆の状況について教えてほしい」という質問や、アウシュビッツに訪問した経験から「被爆の体験を学ぶことを通じて今後の活動に生かしていきたい」等の意見が出され、討議が行われ、分科会を終了した。

長崎第7分科会「ヒバクシャ3-被爆二世・三世問題を考える」

○被爆二世・三世問題の解決に向けた国連人権理事会での取り組みや集団訴訟など、被爆71年以降の被爆二世運動の意義と使命、展望について全体で議論を行った。

○全国被爆二世協は、被爆70年以降の新たな運動の柱

○二世集団訴訟

○被爆二世・三世問題の解決に向けて

○全体討論(要旨)

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