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被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会に2700人

2017年08月04日

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8月4日から広島市内で、被爆72周年原水爆禁止世界大会・広島大会が始まりました。大会に向けて毎年、全国で「非核平和行進」が取り組まれ、この行進が広島の平和公園資料館前に到着。各都道府県・団体も合流し、「折鶴平和行進」が行われました。参加者は横断幕やのぼり、プラカードを手に、「核廃絶を実現しよう!」「原発震災を許さない!」「すべてのヒバクシャの支援を!」などとシュプレヒコールを繰り返しながら、炎天下の繁華街でアピールしました。参加者の中には親子連れも目立ち、元気よく県立総合体育館まで行進しました(上写真は海外ゲストを先頭に平和公園を出発する参加者)。
 
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 県立総合体育館大アリーナで開かれた開会総会には2700人が参加。原爆の犠牲者などに黙祷を行った後、主催者を代表し、川野浩一大会実行委員長(原水禁国民会議議長)は、「安倍政権の暴走に国民が不信を強めている。いまこそ私たちの運動が重要だ」とした後、「核兵器禁止条約が国連で採択されたことの意義は大きい。しかし、日本は採決に加わらず、被爆者は国に見捨てられた思いだ。いまこそ米国の核の傘から脱却すべきだ」と強調。さらに、高齢化する被爆者の援護の重要性や、再稼働を進める原発政策も厳しく批判し「全ての闘いに取り組むことが人類の生き延びる道だ」と呼びかけました。
 広島市長、広島県知事(ともに代理)の来賓挨拶に続き、海外ゲストを代表し、アメリカ・ピースアクションのポール・マーチンさんが「米国人として、原爆を投下したこと、また、トランプを大統領に選出したことを謝罪したい。しかし、この間、私たちはともに闘い、核兵器削減や禁止条約などの成果を上げてきた。よりよい社会を作るために草の根の運動が一層大切になっている」と訴えました。
 被爆者の訴えを広島県被団協の白石多美子さんが行いました。白石さんは6歳の時に爆心地から4キロ離れた宇品で被爆。幸いにも大きな怪我はなかったものの、爆心地に近い所で祖母を探しながら見た光景や臭いは忘れられないと切々と述べました。最後に「人間はもちろん、生きているものは全て平和こそが最大の望みだ。武器ではなく、言葉や優しさを持って平和を守っていこう」と参加者に呼びかけました。
 これに応えるかのように、今年の第20代高校生平和大使に選ばれた広島県内の3人の女子高生が立ち、「原爆の悲惨さを風化させず、多くの被爆者の思いを受け継いで、国連の場に届けたい」と決意を述べました。高校生平和大使は、8月半ばにスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪ね、署名を手渡すとともに、各国代表に訴えることにしています。
 また、福島からの報告を角田政志・福島県平和フォーラム代表が行い、事故が収束していない中で、被災者への帰還が強制されている実態などが話されました。
 大会基調の提案を藤本泰成大会事務局長が行い、最後に全員で「原爆許すまじ」を合唱。閉会挨拶で広島実行委員の秋葉忠利さん(元広島市長)は「核廃絶に向けて着実な歩みが始まった歴史的な年の大会になった。禁止条約が発効すれば、核兵器は法律違反になる。日本も批准をさせて、核廃絶を実現しよう」と強調して幕を閉じました。
 5日は広島市内で分科会やひろば、子どものひろば、フィールドワークなど多彩な取り組みが行われ、6日に広島大会のまとめ集会が行われます。

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