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原水爆禁止世界大会・広島大会のまとめ

2019年08月06日

 原水爆禁止世界大会広島大会まとめ

原水爆禁止世界大会実行委員会
事務局長 藤本泰成
 
  会場にお集まりいただきました皆さま、猛暑の中、3日間の大会に、真摯な討論をありがとうございました。開会総会から国際シンポジウム、8つの分会会、5つの広場、様々な課題で多くの意見をいただきました。しっかりと今後の運動にいかさなければならないと思います。大会の議論を、少しまとめてお話しさせていただきます。
 
 大会に先立つ8月1日、米露間の中距離核戦力全廃条約の失効に際して、グテレス国連事務総長は、国連本部で記者会見を行い、「世界は核戦争の貴重な歯止めを失う」との危機感を表明しました。同時に、2021年に期限を迎える米露間の、「新戦略兵器削減条約」の延長を呼びかけました。米国のトランプ政権は、イラン核合意やINF全廃条約から一方的に離脱し、オバマ政権が主張した「核なき世界」へのとりくみからも、離脱しようとしています。
 米国ピース・アクションの活動家スージー・アリソン・リットンさんは、開会総会や国際シンポジウムで、「核兵器や核戦争による脅威は、他のことと無関係には存在していない」「貧困や所得の不平等、テロリズム、気候変動とともに、恐怖と実存的脅威のエコシステムの一環だと考えている」と述べました。私たちの環境の中にある人類の脅威の全ては、今、社会の中で複合的に絡み合い、私たちを襲っているのだと、本当に大きな危機感を持って運動の展開をめざさなくてはならないのだと思います。
 スージーさんは、「歴史が繰り返して教えているように、力による安全保障はまったく安全保障にならない」と述べ、平和団体の活動家として「米国の現状には大きな懸念をいだいている」と結んでいます。
 
 米国のトランプ政権に対する大きな危機感は、日本の現在にも、全く同様にあてはまるのだと思います。第一分科会「沖縄で、何がおきているか」では、北上田毅さんと湯浅一郎さんが、辺野古新基地建設の様々な問題点を明らかにしました。
 工法の変更や工期の延長などを考えても、なお深刻な大浦湾の軟弱地盤の問題、辺野古という自然環境への土砂投入が、生物多様性を破壊すること、そして、その背景には、建設反対の世論を民主主義のルールを踏みにじっても無視し、建設を強行しようとする政府の姿勢があります。
スージーさんが言った「貧困と格差が拡大し、民主主義は弱体化し、投票者は権利を奪われ」と言う言葉と、日本社会の全てが、一致しているのではないかと感じます。
 
 第二分科会「日・米・韓軍事同盟の行方」では、軍事評論家の前田哲男さんから、自衛隊自身が「創設以来の大改革」と位置づける、奄美大島へ、宮古島へ南進する自衛隊について、「多次元統合防衛力」という、専守防衛とは全くかけ離れた自衛隊の将来像と中国を主敵とする「自由で開かれたインド太平洋ビジョン」について話されました。宮古島へのミサイル部隊の配備や水陸機動団、秋田県・山口県へのイージス・アショアの配備、今回の中期防全体が、中国を主敵として、明らかに米軍と一体となった運用をめざすものであることは明らかだと思います。
 また、前田さんは、INF全廃条約の失効が意味するものは、米露、米中の軍拡競争の再燃と中距離核戦力の太平洋配備であるとして、イージス・アショアの発射装置VLSにトマホークミサイルを装備すれば、強力な攻撃兵器になると指摘しています。
 米国の自国第一主義と力による平和は、米国との同盟深化、大統領との親密な関係を表出してはばからない安倍政権と一体となって、世界平和の大きな脅威に膨らんでいくのではないかと懸念されます。中距離核の太平洋配備は、日本を巻き込んで新たな脅威を東アジアにつくり出すことになります。
 
 第三分科会「朝鮮半島の非核化と日本」そして国際シンポジウムでは、ピースデポ特別顧問の梅林宏道さんから、この間私たちが継続して訴えている、東北アジアの非核地帯構想について、詳しく提起がされました。
 基調提起で触れましたが、このことが一朝一夕でできるとは思いません。しかし、米国の核抑止力に頼ろうとする日本政府の姿勢が、そのプロセスを阻んでいることは明らかです。その意味では、私たちのとるべき道も明らかになっているのではないかと思います。
 
 第七分科会「ヒバクシャの現在」には、マーシャル諸島共和国からラニー・クラマーさんとシャマンダ・ハナーグさんに来ていただきました。シンポジウムの様々な場面で、原水禁との深い繋がりが見えてきました。カタカナ「ヒバクシャ」でつながる、広い世界が見えてきました。「核」が、ウランの採掘現場から、原爆投下、核実験、原発事故、廃棄物の最終処分、様々な場面で、先住民族の権利を奪ってきた、マーシャルで核実験が行われたことと、福島・新潟。福井そして青森など、経済成長から取り残されるいわゆる「地方」において、原発建設が進められたことと根っこは同じ、「ヒバクシャ」がつながることの意味を再認識させられました。
 シャマンダさんの提起の中に、「不正義」と言う言葉が何度か出てきました。マーシャルに住みながら研究を重ねてきた、明星大学教員の竹峰誠一郎さんは、マーシャルの人々は「復興」という言葉を使わない、Justice、正義を求めるのだと話されました。
 私たち日本の市民の中では「復興」は聞いても「正義」と言う言葉をあまり聞かない、私もあまり使っていないことに気が付きました。「社会正義」そのことにコミットしないことが、日本社会を歪めているのかとも思います。侵害された「権利」を回復するのは、「復興」ではなく「正義」を求めることが大切だとの思いを新たにしました。
 
 第六分科会の「脱原子力Ⅲ‐福島の現実と課題」では、福島県平和フォーラム代表の角田政志さんから、フクシマの被災者の生活再建や賠償・保障の問題について報告がありました。避難者の権利は踏みにじられ、避難指示解除に伴う固定資産税、住宅の無償提供の打ち切り、医療費無料の打ち切り、様々な問題が浮かび上がっています。
 政府は、復興の名の下に、福島原発事故をなかったものにしようとしています。ロニーさんやシャマンダさんの提起にあった「正義を求める」の意味を、私たちはもう一度問い直すべきだと思います。
 高校生平和大使として活躍し、大学卒業後マーシャル諸島で働きながら、マーシャル諸島の人々と交流を深めた大川史織さんは、日本の統治下のマーシャルで戦死(餓死)した日本人兵士の父の慰霊の旅にでる老齢の息子のドキュメント映画『タリナイ』を制作しました。ご覧になった方もいるかもしれません。

 「タリナイ」という明らかな日本語は、マーシャルでは「戦争」を意味します。皆さんなぜでしょうか。マーシャル諸島は、スペインのそしてドイツの統治下に入り、その後1914年から30年間日本の委任統治領でした。日本語を理解する方もいて、「デンキ」「ニカイ」「チャンポ」という日本語も使われていると言うことでした。
 マーシャルの人々は、海とともに、島とともに暮らしてきました。マーシャルの歴史には、戦争はありませんでした。戦争にあたる言葉がありませんでした。戦争は、外から持ち込まれたもの、マーシャルの人々が求めてはいないもの、だから、戦争という意味に「タリナイ」と言う日本語が充てられた。日本の持ち込んだ戦争、アメリカの持ち込んだ核実験、歴史に翻弄されるマーシャルの人々の姿が浮かびます。

 平和を考えるとき、様々な歴史に、私たちは学びます。歴史には、様々な人の生きる姿が、そして「いのち」があります。人々の生きていくその場所から、場所と場所を繋いで「平和」を作りあげていきましょう。
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