「つくる会」との闘い ’05年

―成果と課題、そしてこれから―

上杉 聰

  薄氷を踏む「勝利」

  「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)との「激闘」の6ヶ月が終わった。彼らの歴史教科書の採択率を0.4%以下に抑え込んだことにより、一部には「大勝利」の声もきかれるが、実態は、まさしく「激闘」であり、薄氷の「勝利」であった。
  それをよく示すのが、教育委員会(5〜6人)において、2対3などの僅差で「つくる会」教科書(扶桑社)をかろうじて阻止したところが、かなり多いことである。県段階では埼玉県教育委員会、市町村採択区には帯広市、栃木市、江東区、調布市、鎌倉市、枚方市、新居浜市などがあり、合計すると全国9ヵ所にのぼる。情報公開が進めば、今後さらに増える可能性さえある。
  もし、右だけでもすべて採択されていたら、「つくる会」教科書の採択率は、推計すれば2から3%に迫っていた。つまり今回、現実的な可能性として「3%」の数値もありえたのであり、大手の教科書会社の一部には、そのことを事前に予測するところもあった。
  だが結果として、「つくる会」教科書の採択は、10月5日に文部科学省が公表した数値によると、「歴史」が4,912冊で0.39%、「公民」が2,338冊で0.19%にとどまった(表1。文科省は四捨五入し、それぞれを0.4%、0.2%とした)。
  市町村段階では栃木県大田原市や東京都杉並などで初めて採択されたが、この程度にとどまったことについて、「つくる会」会長の八木秀次・高崎経済大学助教授は、4年前(歴史が0.4%、公民が0.55%)と比較し、「それぞれ前回比11倍、3.5倍であり、飛躍的に伸びたといえもするが、惨敗は惨敗である。私たちが掲げた目標の10%には今回も遠く及ばなかった」(『諸君』05年11月号)と、あっさり敗北を認めた。

  私たちの受けた打撃

  だが、彼らの「惨敗」が、すなわち私たちの「大勝利」というわけではない。かろうじての勝利であったことは、すでに述べた僅差で抑えた面だけでなく、表1にある扶桑社以外の採択率にも表れている。「つくる会」が登場する以前の前々回の率も載せたが、扶桑社の登場による日本書籍(新社)の著しい凋落と東京書籍の寡占化が見て取れる。
  これは、「つくる会」と対抗する位置にある教科書の採択が、「つくる会」の批判を警戒するところから困難になるとともに、無難な教科書へと流れる傾向が生まれたためである。日本書籍は、アジアに対する加害の記述で優れていたが、前回の採択において大幅に冊数を減らし、いったん倒産した。その後、日本書籍新社として再建し、今回その名前で検定申請したのだが、「歴史」は半数ちかく、「公民」では三分の二ちかくを減らした。再倒産の危機を同社は迎えていよう。
  いっぽう、「無難」な内容で知られる東京書籍は、寡占状態を今回も維持した。また、前回「つくる会」から強い批判を受けてシェアを減らした大阪書籍は、今回、若干回復したものの、その記述内容は、同会から「非常によくなった」と「評価」されるものとなった(彼らの内部文書による)。ただ、内容の改悪は、何も大阪書籍だけではない。本文から従軍慰安婦の記述が今回すべて消えてしまったし、強制連行の語も2社に減ったのである。南京大虐殺については、被害者数の記述がほとんど消えようとしている(「20万」という数字を残しているのは日本書籍新社のみ)。拉致問題や領土についても、記述が悪化した。
  そして今回、教科書の採択システムもいっそうの悪化をたどり、教員の意思を反映することがより困難になった。採択事務の公開についても、密室状態がいたるところに生まれた。私たちも打撃を受けたのである。これら全体を正確に見据えることで、改めて「つくる会」の限界を突き、また私たち運動の側の強さを伸ばすとともに弱さを克服することができる。以下、それらについて検討し、次の方向性も考えてみたい。

表1 2006年度用中学校歴史・公民教科書の需要数と比率(比率は前回・前々回も)

  歴史 公民
需要冊数 比率 前回 前々回 需要冊数 比率 前回 前々回
東京書籍 639,093 51.2% 51.3% 40.4% 750,572 60.9% 60.1% 48.2%
大阪書籍 191,536 15.4% 14.0% 18.8% 167,648 13.6% 11.0% 15.1%
教育出版 146,876 11.8% 13.0% 18.0% 148,477 12.1% 12.3% 15.7%
清水書院 30,451 2.4% 2.5% 3.9% 47,183 3.8% 5.1% 4.5%
帝国書院 177,495 14.2% 10.9% 1.9% 75,215 6.1% 5.2% 1.2%
日本文教出版 18,028 1.4% 2.3% 3.3% 18,315 1.5% 1.2% 4.6%
扶桑社 4,912  0.39%  0.047% 2,338  0.19%  0.055%
日本書籍新社 39,262 3.1% 5.9% 13.7% 21,924 1.8% 5.0% 10.6%
    1,247,653    1,231,672  

 ※ 文部科学省発表による生徒用及び教師用の必要見込み冊数
 ※ 日本書籍新社の前回比率は日本書籍の比率を使用


  採択率0.39%をどうみるか

  まず、扶桑社が0.39%にとどまった評価について検討しておきたい。最大3%の危険性を抑えたとはいえ、結果として出たこの数値が高かったのか低かったのかについて、「つくる会」の目標値や前回との比較などに振り回されず、私たち自身の基準値を持っておく必要があるからである。
  その際、参考となるのが明成社版の高校歴史教科書である。これは、1986年に日本を守る国民会議(当時、黛敏郎運営委員長)が、原書房の出版により『新編日本史』として登場させ、当時大きな社会問題となった教科書である。このとき、同教科書の検定通過と採択に背後から深くかかわったのが高橋史朗・「つくる会」前副会長であったし、これ支持したのとほぼ同じ勢力が、今「つくる会」教科書を支えている。
  ところが、その後『新編日本史』の採択は伸び悩み、負担に耐えきれなくなって版元が降り、国書刊行会をへて、現在は日本会議が運営する明成社から『最新日本史』のタイトルで出版されている。高校「日本史B」の科目に使われているが、その占有率は、表2にあるように、昨年0.9%であった。
  この占有率は、高校の場合、学校単位の採択という、現場教師の意向がもっとも反映しやすいシステムにおける数値であることに注意する必要がある。つまり、この程度の結果を出せる右派教員が今、高校の現場におり、ほぼ同等の勢力が中学校レベルにもいると想定するならば、そして仮に中学校にこの採択制度が適用されたとするなら、0.9%が使用されてもおかしくないことになる。
  それを今回、0.4%以下に押しとどめたのであるから、この基準から見ても、彼らの惨敗の様相が浮かび上がる。0.9という数値は、「つくる会」の「基礎的力量」の推定値として、まず私たちは押さえておく必要がある。

 表2 2005年度用高校日本史Bの需要数と比率 

発行者 教科書名 冊数 比率
山川 詳説日本史  336,414 57.5%
実教 高校日本史B 41,108 7.0%
東書 新選日本史B 39,228 6.7%
実教 日本史B 35,674 6.1%
山川 高校日本史 35,309 6.0%
清水 高等学校日本史B 24,617 4.2%
三省堂 日本史B 20,480 3.5%
桐原 新日本史B 18,407 3.1%
山川 新日本史 17,923 3.1%
東書 日本史B 10,820 1.8%
明成社 高等学校最新日本史 5,017 0.9%
584,997  100.0%

 *文部科学省の発表による


  「つくる会」惨敗の客観的理由―その一

  とすると「つくる会」は、今回のみならず前回も、その「基礎的力量」に見合った成果を出せなかったことになる。なぜそうなったかについて、もちろん私たちの反対運動も大きく寄与したが、正確に見るとその原因は多岐にわたる。その一つに採択地区制度がある。現在、小中学校の教科書を選定する区域は、全国五八三採択地区に分けられている。一地区にいくつか市町村の含まれることが多く、その場合は各市町村教委が互いに協議して選定する仕組みである。
  そして、いくつもの市町村にまたがれば、また都市部であれば、一採択区であっても、採用される教科書の冊数は大量となる。「つくる会」は、四年前に五l、今年は10%を目指すと公言してきたが、その意図するところは、高校で20年ちかく『最新(新編)日本史』の採択率を伸ばせなかったのとは異なる広域採択システムが、義務制の教科書の選定制度に存在していることがある。彼らは、この制度を利用して、もっと多くの教科書を子どもたちに押しつけたいのである。
  もとよりこれが彼らの「基礎的力量」を超える挑戦であることは論を待たない。しかし、その足りない部分を政治家や地方自治体の首長などによる政治と行政の力によって教育委員会を動かし、採択の目標を実現するという戦略を立ててきた。そのためにも、広範な政治運動の担い手として「つくる会」を作り上げることが運命づけられていたのである。
  ところが、各採択区で他の七社の教科書を押しのけ一位の指名を得ることはきわめて困難であることが、前回と今回の採択を通して明らかになってきた。それは、小選挙区での選挙と同じ性格をもつからである。ある社がわずかな支持を得たとしても、最大多数の支持を集めた社だけがその地域を独占し、それ以外は一冊も採用されないのである。その傾向は、複数の市町村からなる共同採択区になれば、なおさらである。こうして前回は、0.047%に泣いた。

  「つくる会」が陥った自縄自縛

  今回、栃木県大田原市で「つくる会」教科書が採択されたが、この地域はこれまで那須地区の一部に含まれており、4年前は僅差で同教科書が不採択になっていた。今年は、「つくる会」の事前の運動によって共同採択区を分割し、その一つである大田原市においてのみ採択されたのである。つまり、彼らは大採択区において「つくる会」教科書が選ばれることの困難さを知り、冊数は少数となっても確実な採択を目指したことになる。
  また彼らは今回、茨城県大洗町や岡山県総社市などにおいて、採択事務作業の中途で、区割りをあえて変更することを目指した。「つくる会」教科書を支持する教育委員が過半数を占める地区を独立させ、同教科書の採択を実現しようとしたのである。しかし、このアンフェアーなやり方は、逆に行政官僚からの反発を招き、中山文部科学大臣による「つくる会」への協力発言にもかかわらず、実行することができなかった。
  ただ、この採択区の分割・独立という路線は、彼らが自らその採択目標自体を引き下げるという自縄自縛に陥っていることを意味する。そのことに私たちも気づく必要がある。「つくる会」が進めてきた採択区細分化の方針とは、彼らの強さの表れというより、むしろ自らの力の限界を認め、そこへ目標水準を引き下げようとするものなのである。
  したがって、もし仮に義務教育過程においても完全な学校採択制への移行が行われるならば、0.9%程度は「つくる会」に取られる危険性があるものの、それ以上の採択は不可能な安定状態へと落ち着くことを意味する。たしかに、そこに至るまで、数l程度の採択がなされることはあるとしても、一時的なものに終わることが予測される。私たちの大方針として、さらなる採択区の小規模化を進め、最終的には学校採択制を目指す必要性が確認されよう。
  もちろん「『つくる会』の教科書を一冊たりとも採択させない」という方針が間違っているわけではない。ただ60年前、戦後処理としての東京裁判が不徹底に終わったことにより、戦犯勢力が温存され、国会や内閣に今も多数の右派勢力を抱えているのが日本社会の現実である。首相がA旧戦犯容疑者であった国であるし、その孫が今も内閣官房長官を努める国なのである。だが、もう一度、東京裁判をやり直すことなどできはしない。私たちにできることといえば、彼らを封じ込めることなのである。その意味で、採択区が広い現在、彼らに「惨敗」を味あわせつづけることこそ大切であろう。

  「つくる会」惨敗の客観的理由―その二

  今回、「つくる会」が大きな成果を得ることのできなかったもう一つの理由は、教育委員会の独自性の壁であった。
  「つくる会」が今年目指したのは、文部科学省のトップに中山成彬大臣と下村博文政務官(いずれも採択当時。二人は、「つくる会」議員連盟である「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」のそれぞれ前座長と現事務局長である)に座ったことを最大限に生かし、同省からの指示により、都道府県教委から市町村教委への指導を強め、「つくる会」の採択を有利にすることであった。その結果、今回、各都道府県教委には、市町村の教育委員会を指導する「選定資料」を、「つくる会」の採択に有利に働くよう作成したところがかなりの数、生じたのであった。
   また、自民党は、安倍晋三幹事長代理(当時)の力により、昨年来「つくる会」を支援することを決定、いくつかの地域で決起集会などを開いた。地方議会においても、「つくる会」教科書の採択が有利になるよう、「学習指導要領の目標をもっとも踏まえた教科書採択を」などの決議を各地で挙げていった。
  だが、こうした政治的・行政的圧力には限界が存在した。もとより都道府県教委の作成する「選定資料」には、法的拘束力など存在しない。文科省初中教育局の作成した現行の「教科書制度の概要」にさえ、「採択権者は、都道府県の選定資料を参考にするほか、独自に調査・研究した上で…採択します」とあって、市町村教育委員会などが独立して教科書を採択するに際し、参考とする一資料にすぎない。
  まして、地方議会決議が挙げる決議などは、教育基本法第10条の定める「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」の条文からみて、地方議会が国民全体を間接的に、しかもその一定部分を代表するものでしかない以上、またその声が教育外の政治的な決議であることから、これもあくまで資料の一つとして採択権者が参考とする以上のものではない。
  とくに重要なことは、教育委員会の仕事の固有性は、自立した教育の論理にしたがい、また人を育てるという長期的視野に立って、政治的中立性のもとで考えることである。その観点からすれば、採択権者に向けられた「決議」や「指導」が、それ自体で教育上不適切なものとなる場合もあることが自明となる。教育のもつこの固有な現実性こそ、議会決議そのものが法的に「不当な支配」に該当する恐れを生じさせるとともに、都道府県教委の「指導、助言又は援助」も、法律の条文によれば、あくまで「適切な」という形容詞によって修飾され、限定されているのである。

  「つくる会」の戦略的行き詰まりと転換

  こうして、今年の攻防の焦点は、東京都を先頭とする道府県教委や議会の圧力に、どの程度市町村の教育委員会が自立した判断を行うことができるか、という点に大きく絞られていた。「つくる会」指導部はこれを楽観視し、4月末に支持者を集めた会合で、「東京都では横山教育長の働きにより約半分は採択可能」「愛媛県に関しては、ほぼ全域での採択が見込めるとの判断」を示していた。
  ところが、結果は、すでに述べたように惨たんたるありさまだった。各教育委員会は、さまざまな形で選定資料に抵抗した。たとえばある選定資料は、各教科書が取りあげた「人物」の数を数量化し、「つくる会」が「優れている」ことを打ち出した。だが、「人物の数が多いと、むしろ子どもたちが消化不良に陥る」など、よい教科書の基準が、必ずしも数量によって示されるものでないことを示した教委もある。新潟市では、横田夫妻による「つくる会」教科書への後押しさえあったが、拉致問題の記述の多寡だけが教科書の評価につながるものでないことを採択で示した。
  今回の採択結果を見ると、「つくる会」が都道府県の教委を押さえたところは、東京都、愛媛県に加え、新たに滋賀県が入った。同県の中高一貫高三校のうち、河瀬中学に扶桑社版歴史教科書(公民は東書)を選んだからである。だが、いずれもの県も、その下の市町村段階で大きな成果をあげることができなかった。愛媛県、滋賀県は、ともに市町村段階の採択がゼロであった。東京都の杉並での「歴史」採択は、例外にとどまった。
  「つくる会」にとって、この挫折のもつ意味はきわめて大きい。文部科学省のトップを動かし、自民党の幹事長代理の協力を得てもなお、市町村教育委員会による教育の独自性を基礎にした自立的判断――そこには後述するように、外交や教組との関係、法的な問題への配慮、教育行政の円滑化などの判断も加わった――を突き崩すことができなかったからである。教育基本法によって守られた現在の教育制度の強さを改めて示した。
  「つくる会」の行き詰まりは深刻である。同会は、9月25日、第8回の定期総会を開いたが、そこに提案された惨敗を克服する「方針」として、これまで首長や教育委員に対する「攻撃性の欠如」があったとし、今後は「こちら側も果敢な大衆動員によって、賛成派の力を見せつけ」、「『つくる会』攻撃を繰り返す左翼集団に対する適切な反撃と暴露、不当な動きをした教育委員会、個々の教育長、教育委員などへの名指しの批判が展開されるべき」とまで打ち出した。
  この方針は、杉並での大衆動員と教育委員への個人攻撃を指導した藤岡信勝副会長によるものと考えられるが、彼らがこれまで4年間推進してきた、「静謐な採択環境の確保」という基本方針を打ち捨て、転換したのである。「静謐路線」とは、もともと教育委員の権限を強化し、現場教員や保護者・市民の意向が教委に反映することを抑制しようとする方針であったが、今回は、右翼大衆運動を背景として教育委員会を完全に政治と行政の隷属下に置こうとしているのであり、さらに「つくる会」が、保護者・市民と直接にわたりあい、教育を政争の場とすることを意味する。
  こうした「つくる会」の動向を意識した上で、私たちは、今後の方針をどのように打ち立てればよいのだろうか。
 
  私たちの強さと弱さ

  僅少差のところが多かったとはいえ、私たちが「つくる会」教科書の採択を全体として抑えきった要因は、そもそもどこにあったのだろうか。その客観的理由についてはすでに見たが、以下、主体的な要因を考えてみたい。
 第一に「つくる会」教科書の採択を、日韓・日中の友好関係を阻害する要因として浮かび上がらせることに成功した点がある。今回の採択阻止の背景には、3〜4月の韓国・中国における「反日」デモの大きな影響を無視することはできない。その上で、韓国の教科書運動本部や、日本と姉妹都市関係にある韓国の地方自治体、さらには労組や市民団体などからの来日や要請、そして意見広告などの多様な取り組みがなされた。それは日本の各教委に、教科書問題が国際問題へと波及・発展する危険性を強く感じさせ、慎重姿勢を生み出させ、この教科書がアジアの人々と共に私たちが生きる障害となる認識をもたせたのである。
  そして在日社会からの提起として、在日本大韓民国民団をはじめとする多くの運動団体による積極的な働きかけが加わった。日本で生きる在日の子供たちの多くが地元の公立学校に通っている状況にあって「つくる会」教科書を使うことは、国内で多文化共生の可能性を失わせるきわめて深刻な問題となる。そのことを知らせる呼びかけは、各地で強い反響を生んだ。
 第二の要因として、アジアの声に応え、教委の自立性を促すよう働きかけた日本各地の市民・労組運動の力が挙げられなければならない。その際、教組の位置について確認しておきたい。「つくる会」教科書が採択された地域の教組を見れば、栃木県も愛媛県も、日教組・全教ともに微々たる組織率しか持っていないことに気づく。東京都も滋賀県も、組織率は著しく落ちている。
  たしかに教組としては、特定の教科書の不採択を方針として前面に打ち出すことは困難であるにしても、「よりよい教科書を子どもたちに」という現在の教組運動の視点から見ても、「つくる会」教科書は、それに真っ向から対立するものである。そうした教科書をもし教育委員会が採択すれば、教組との間にあつれきを生み、教育行政の円滑な実施に支障をきたすおそれがある。このため、教組の組織率が高いところでは、「つくる会」教科書の採択などほとんど問題にならない現状にある。「つくる会」自身も、第8回総会の議案書で、「採択を阻む三つの壁」と題して、「中韓の外圧」につづいて「日教組など国内の反体制力」を挙げた。そうした組合の存在は、これからも大きな位置をもち続けよう。
  教育委員会が「つくる会」を選ばなかった第三の要因としては、「つくる会」および彼らを支持する勢力の不正行為を突いた運動があった。典型的なのは白表紙本の配布だが、それ以外にも教育関係法を無視した手続きで採択を強行しようとする動きに対して、訴訟も辞さない運動があった(「つくる会」は、先の八木秀次会長の文章でも、白表紙本を大量配布したことについて、まったく反省を示さず、釈明すらしていない。独禁法への違反をはじめとして、違法行為を常習化させてきた団体の性格をよく示している)。
  こうした「つくる会」の不正行為体質を突く運動は、今年の採択において最後まで、教育委員会の姿勢に慎重さを生む原因の一つとなった。公正取引委員会に対して全国六箇所から告発が行われたこともブレーキとなった。「つくる会」教科書の採択を行えば不正への荷担となり、訴訟が起こることを覚悟しなければならないというプレッシャーは、冷静な思考と判断姿勢を教育委員会に与えることになった。
  こうした傾向がもっとも顕著だったのは愛媛である。全県で採択の可能性さえ見せていた同県内での勝利要因は、これまで地元の市民団体が積み重ねてきた裁判などによる法的措置のプレッシャーであった。教育の場に違法な行為が入り込むことを恐れる教育委員会の体質もそこに加わり、大方の予想を覆して、市町村段階でゼロ採択を勝ち取ったのである。

  杉並の採択を乗り越えるために

  それは、東京都杉並との違いの一つといってよいかもしれない。杉並と愛媛の違いには、法的措置をとろうとしたかどうかがあり、動揺した区長と教育長を追いつめる手段として訴訟を構えなかった点がある(ただしこれは、すでに市民サイドで克服の動きが始まっている)。
  また、杉並の採択を考える場合、もう一点、自民系が単独で過半数をとっていない点がある。区長の主導で推進されようとした今年の「つくる会」教科書の採択を阻止しようとすれば、彼を区議会から孤立させ、教委に対して教権を発動できない環境作りを目指すべきであった。
  ところが、多くの区議会議員から市民運動は、過激派か一部の政党関係者によるものと見られていた。そのため、区長を抑制する動きがほとんど議会に起こらなかったのである。そうした事態を変えようとする動きは、採択直前の七月末以降になって、ようやく始まった。区議会関係者が区長に働きかけた結果、八月四日の採択日には、「歴史」「公民」ともに、内定していた扶桑社以外を採択する動きが生じていたとされる。
  これに驚いたのが「つくる会」とそれを支持する教委関係者であった。彼らは急きょ採択の期日を延ばす決定をその日の会議で行い、さらに杉並の中学生たちがソウルで9〜12日にキャンプ交流する期間を避け、時間を稼いでおいて、その間に「つくる会」が反撃を開始し、大衆動員をかけ、扶桑社の採択に反対する教育委員を名指しで攻撃するなどしたのであった。
  彼らは、街頭で公然と宣伝活動を行い、全国から活動家を呼び寄せ、採択日には300人以上の動員をかけた。その先頭に藤岡副会長自らが立ち、教育委員会の傍聴にも加わって圧力をかけた。こうした一連の反撃によって、「歴史」と「公民」で痛み分けにする約束を得るところまで押し戻すことに彼らは成功したのである。教委が「歴史」を採択したことを確認すると、藤岡氏はただちに「公民」の審議を退席した。
  この杉並の経験を「つくる会」なりに定式化したのが、先に紹介した第8回総会の方針である。ただよく考えてみると、これは杉並の運動が抱えた弱点、つまり法的措置を構えなかったことと、逆に市民団体の一部が浮き上がってしまい、議会の多数を自らに引きつけることに失敗した運動の側の弱さの上に立てられた方針なのである。
  ここで私たちは、「つくる会」が、自民党の中でさえ多数派になれない存在(つまり「皇国史観派」)であることをまずおさえておく必要があるだろう。そのことは、今回の採択においても明瞭である。安倍晋三自民党幹事長代理は自民党の「つくる会」への協力体制を一応作りあげたものの、その方針で動く都道府県段階の自民党本部はむしろ少数であった。さらに公明党にいたっては、「つくる会」の組織基盤そのものが反創価学会であることから、もとより彼らに協力などできるものではない。民主党も、一部に彼らに同調する議員はいるが、強固な反対勢力が内部にいるため、党そのものをそれでまとめることはできない。
  したがって、「つくる会」系を孤立させるのが私たちの基本方針であるべきである。そのために広範な勢力との統一戦線と法的対抗措置という二つの手段を駆使すれば、次の局面を私たちは必ず有利に展開できる。その意味で、「つくる会」の新しい攻撃的方針は、むしろ私たちにとってありがたい。彼らを浮かせることが容易だからである。
  ただ、「つくる会」も、必ずしも愚かではないだろう。自ら浮き上がり、無法な右翼勢力であることを際立たせる大衆行動路線を控え、これまで通りの方針に戻る可能性も高い。その方が私たちにとって厄介である。とはいえ、その方針で彼らが今回以上の成果を挙げる保証はまったくない。いずれにしても彼らは袋小路に入ったというしかなく、その前途は暗い。
 
  インターネットとメールの利用について

  今回も大きな力を発揮したものに、インターネットとメーリングリストを使った「つくる会」教科書の不採択要請行動、ないし採択への抗議行動がある。
  採択時の多い場合には一日約2000件のアクセスをもつインターネット・サイトや、活動家の間の情報交換や行動提起の場となってきたメーリングリストがいくつかあり、前回に引き続いて今回も大きな活躍をした。この手段は、これからも有効である。日ごろ静かな教育委員会に、教科書採択の際には多数の声が届けられることによって、彼らの行動がいかに大きな社会的反響をもたらすかを実感させた。賛成、反対の分類までして結果を公表する教委が多いのはそのためである。
  ただ、これらの方法にまったく問題点がないわけではない。それは、地元で運動している人々の了解を得ないで送り付けられるファックスやメールが多いからである。必ずしもすべての教育委員会が外部に開かれているとは限らない。むしろ遠い地域から届けられるファックスに違和感や反発を招くことも起こりうる。そうした状況を一番よく知っていて、今そうした行動が意味あるかどうか判断できるのは、地元の団体しかなく、とりわけ教育委員会と日常的に接触する立場にある人たちである。
  したがって、要請などの行動を効果的に行おうとすれば、メールやファックスで呼びかける前に、まず現地の関係者の了解をとる最低限のルールの確立が今後必要となろう。それがあれば、逆効果を最小限に抑えることができるし、間違った情報に踊らされることも少なくなる。ただし、地元にいても、教育委員会の情報にうとい小さな市民団体ほど、疑心暗鬼となり、安全のためにも「ここは危ない!」と呼びかけたくなる心理が働く。それが教育委員会の反発や市民運動への疑念を生んだ地域が今回かなりあった。次回に向け、このあたりを防止する体制も整える必要があろう。
 
  よりよい教科書作りのために

  最後に、教科書全体の右傾化に対してどう対処するか、検討する段階に入っているように思う。これまで、各社を右へ引っ張ってきた扶桑社を批判すれば、それで全体への対応になると考えてきた面がある。だが、それによって「つくる会」が無くなるわけでも、撤退するわけでもない。今回のような採択率程度で扶桑社の教科書経営は成り立つものではないが、上部資本(フジテレビ)の資本協力によって、採算を度外視して経済的に支える体制ができあがっている。むしろ、他の教科書の内容を悪化させたという「成果」をもとに、彼らの存在意義が評価されている面がある(自己評価も含めて)。私たちとしても、教科書全体の記述の悪化や、優れた教科書の採択率の減少を阻止できなければ、扶桑社に絞った不採択運動を行っても意味を失うことになろう。
  ただ、日本書籍新社が今回も占有率を大幅に落としたことについては、同教科書への内容的な批判もある。つまり、教科書としてのビジュアルなページづくりや子どもたち自らが考える力を養う点に欠ける、などの評価である。だが、それらを改善するための働きかけを含め、よりよい教科書を育て支えるという努力を怠ってきたのが私たちの運動ではなかっただろうか。もっとよい教科書となる可能性あるものには積極的に働きかける必要がある。それを使用した際の良かった点、不具合だった点などを報告し、その克服のためにアイデアを提供することなどは重要である。
  ここにはとくに教員の登場が鍵となる。つまり、教組や市民団体が、組織的に教育会社へ働きかけるだけでは効果が薄く、現状では時として逆効果も起こりうる。しかし、個々の教師が行う教科書使用の実践報告は、必ず教科書の改善につながるだろう。
  そこで、教員一人一人の実践が教科書会社に意見反映するシステムを生み出す運動が必要となる。その場として、教育研究集会に教科書の分科会を新設したり、特別の研究集会を教科書使用の開始から1〜2年後に設定し、それぞれの意見を各教科書会社に伝えるほか、その声が次の検定段階にどう反映したかを『教科書白書』などで点検することなどを試みるべきだろう。教科書を使う主体は、あくまで教員である。これ以上の教科書運動の前進は、教員一人一人の主体的な関わりと関心の高まり抜きには不可能な段階に入っている。採択システムの改善も、その上で可能となろう。
  また、教科書記述の変化は、研究上の積み重ねという地道な努力なしに考えることはできない。従軍慰安婦や強制連行、また南京事件の記述の改善も、歴史研究上の進展を市民団体や教組が支えるとともに、可能であればそこに加わることで可能となる面があるだろう。4年後の「つくる会」との闘いは、こうした私たちの総合的な力が問われることになるように思う。

 (『季刊 戦争責任研究』第50号より)