教育改革フォーラム(愛知)報告
2003.6.8
H・I(大阪・教員)
文科省が、教育基本法「改正」に向けて、「国民的合意」を演出するために全国5カ所で開いている「教育改革フォーラム〜教育改革の教育基本法の改正について〜」の最終回=愛知会場を傍聴してきました。以下、傍聴メモと会場付近で行われた教育基本法改悪に反対する抗議行動についての報告です。
6月8日、フォーラム開始の1時間前から、会場付近で約80名が、手作りの横断幕やプラカードを持って、フォーラム傍聴者にビラを手渡し、声を出して「教育基本法改悪反対」「心の教育反対」「愛国心教育反対」等を呼びかける。会場入り口は、警察・警備員が固め、会場内から抗議行動参加者をビデオや写真に撮っている。抗議行動参加の80名の中には、愛知以外の東京・京都・大阪からの参加者も。
傍聴券を持った私は、1時15分頃、会場内に。しかし、ホールに着席したのは、1時30分の開始時刻ぴったり。受付で傍聴券を渡すと、傍聴申込者の住所・氏名・電話番号の一覧表にチェック。「身分証明になるものを出して下さい。」出すと、今度は、「住所と電話番号を確認します。言って下さい。」頭に来て、「嫌です」と断ると、「お約束ですから。」「そんな約束はしていない。傍聴者募集の文科省HPには出てないぞ。」・・・この後、「上司」が出てきて、そのまま受付は一応完了。今度は、ホール入り口で「お荷物の確認をします。」・・・おいおい、今度は「所持品検査」か?「なんで、ここまでするのか。あんたら何さま?」・・「お約束ですから。」・・してない、そんな約束!・・しかし、受付でももめて。時間も迫っているので見せることにして、「人権侵害!」の捨てぜりふ。会場内へ・・・。また、びっくり。ホールの前半分に、傍聴者はびっしり。後ろ半分への着席はNGだそうな。狭い椅子にびっしり腰掛けさせられて、後ろはがらんどう。しかも後ろに、「警備」要員?らしき人物が10人くらい。着席を「許された」席も、両端には文科省スタッフが座って、傍聴者が通路に出られないように完全ガード。「カメラ撮影」でも、立つことは厳禁だそうな。もちろん、「ヤジ」など声を出すことも厳禁・・・。10分の休憩時間も、席を立つことは結局できなかった。
予想通り、「教育基本法改正」の方向を強調する開会挨拶、基調講演でフォーラムは始まった。しかし、・・・パネルディスカッショッンでは、パネラーで「改正」反対派の中嶋哲彦さん(名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授)が、終始議論をリード。中教審委員・梶田叡一氏(ノートルダム女子大学長)は、最後にこうまとめざるを得なかった。
「『教育基本法改正』というから、今日も皆さん(関心をもって)、賛成も反対もこうやって集まったでしょ。いわゆる『ショック療法』。『改正する』−−こういうことを言わなければ、教育基本法や学校教育法や指導要領を読み、考えるきっかけができない。最初から、『賛成・反対』という問題ではない。」
フォーラム終了後、会場近くで、傍聴報告と各地交流会。傍聴券を持たない参加者は、1時30分から約2時間、名古屋市・栄地区の繁華街で、教育基本法改悪反対の署名やビラまき、パフォーマンスをやって報告交流会に合流。ここは元気が出ました。
以下、傍聴メモです。
教育改革フォーラム(愛知)
〜教育改革の推進と教育基本法の改正について〜
2003年6月8日(日)
於:ウィルあいち
1.開会挨拶 池坊保子文部科学大臣政務官
2.基調講演 梶田叡一中央教育審議会委員(ノートルダム女子大学長)
3.パネルディスカッショッン
秋山 仁(東海大学教育開発研究所教授)
小野田誓(名古屋市立小中学校PTA協議会会長)
梶田叡一(中央教育審議会委員)
中嶋哲彦(名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授)
コーディネーター:上野千奈美(フリーアナウンサー)
1.開会挨拶(池坊保子)
◆全国5カ所でのフォーラムの締め。
◆21世紀は将来を予想することのできない激動の時代。日本が国際社会の中で尊敬と愛情で見つめられる人々を作っていくために、誤りなき判断の下で、教育行政を行いたい。子どもたちを取り巻く環境は良好なものではない。
◆21世紀教育新生プランや人間力戦略ビジョンを作成し、さまざまな教育改革を進めてきた。20世紀は画一と受け身、21世紀は自立と創造の時代。教育の構造改革パンフレットを作成した。
◆中教審答申。新しい時代にふさわしい教育基本法のあり方、教育振興基本計画。文科省は答申をきちんと受け止め、教育基本法の改正に向けて準備を進めている。国民の皆さんが、教育基本法を改正するんだという思いがなければできない。その思いから全国各地で教育改革フォーラムを開催している。
2.基調講演(梶田叡一)
◆学習意欲の低下は、主要国で最低レベル。いつの間にこうなったのか。
◆学校へ行きたくないという13万人余りの不登校は、10年前の2倍。この10年間は、「ゆとり」教育で、きちっとした教育への取り組みが緩んだ10年間。
◇教育改革国民会議は、画期的な会議であった。中教審は、それを引き継ぎ「国民会議」の出した17の提案の中の教育基本法、教育振興基本計画についても答申した。
◆教育基本法の問題は、「教育勅語に帰ろう」にも「現行基本法を堅持しよう」にも、重点を置くことは間違い。教育勅語には素晴らしい内容も含まれるが、歴史的な文書である。田の歴史的文書と同様に見なければならない。現行の教育基本法も歴史的な文書。その理念を掲げることは大切にすればよいが、歴史的な文書に頼りすぎるのはどうかと思う。がりがりの保守も、アナクロ反動もだめ。
◆日本は子どもの権利条約を批准している。子どもの意見表明権を含めて、子どもを主体として受け止めることが必要。今の教育基本法は、子どもを「教育されるもの」「育成されるもの」と捉え、子どもを主体に捉えていない。男女雇用機会均等法など、古典的な性差を乗り越えて男女が差別なく社会参加するすべき、教育基本法にはそのような観点からの男女共学の理念もない。私は「愛国論者」だと揶揄されているが、(考えていなかったが)「愛国心」について敢えて言えば、「滅私奉公」も困るが「滅公奉私」も困るでしょう。人間は一人で生きているわけではない。
◆(教育基本法制定から)56年もしたら、またこれからの社会のあり方を考えたら、新たに考えるべき事を教育基本法に盛り込んでいく必要がある。何でも政治的に問題にするのではなく、政治勢力がどうのこうのではなく、10年・20年・30年後の子どもたちの「育ち」に対して、大切にしたいこと、不安なことを議論していくべき。細かいことは置いて、だいたい落ち着くところでまとめていかなければならない。
◆「憲法に準ずるものだから、さわってはいけない」というのはおかしい。国民が憲法に縛られるのではなく、国民が憲法を議論して、変えるべき所は変えるべき。教育基本法は、20年後・30年後の日本のあり方を規定する。その意味で、憲法と同じ重みがあるということには同意する。しかし、だからさわってはいけないというのはおかしい。もう、戦後も50年以上、そろそろ主体性を回復すべきとき。未来志向で、私たちの社会を私たち自身で作っていく必要がある。そういう意味で、過去の教育勅語や教育基本法にとらわれない議論が必要。大枠では、この点について、国民会議も中教審も一致した方向性を出している。
3.パネルディスカッショッン
(中嶋哲彦)
◆教育改革は必要だが、「豊かな未来像」を描きにくくなっている時代に、「豊かな学び」をいかに子どもたちに保障するかが問題。
◆憲法・教育基本法は「改訂」すべきではない。憲法・教育基本法は、国民が何を願っているかに対して、それを政府や行政が土足で踏み込まないようにかけられた歯止めである。国がどうしたいかではなく、国民の領域に国家を踏み込ませないように、国民の権利を保障することを規定するものである。
◆現行教育基本法の下で、個性・能力に応じる教育が追求されてきた。画一的な教育が追求されてきたわけではない。なぜ、個性や能力を根拠に「改正」が問題になるのか。
◆「愛国心」を学校で教えるなどという国民的合意はない。ホームタウンを愛するなどの気持ちは、私にもある。しかし、それを学校で「教える」というのは適切ではない。いくつかの自治体の学校で、「愛国心」評価が行われているが、適切ではない。
◆教育振興基本計画も、文科省がどこにお金を使うかを行政的に決めていこうという計画。国民の目の前で、議論して決めようというのではない。これを教育基本法に位置づける事は適切ではない。
(小野田誓)
◆昨年7月に保護者意識調査を実施。教育基本法を改正すべきか、そうでないかの判断を明確に持っていない方がほとんど。議論はすべきというのが45%、わからないが34%。
◆何のために、誰のために、「改正」するのか。親が具体的に理解でき議論できる内容で、もっともっと様々なところで議論した上で、国民みんなで作っていくという認識が必要。
◆保護者とって、新指導要領に対する期待と不安が半々。学力低下について、4分の3の親が心配している。学校によって、教育の内容や質に格差がある事に対する不安を、圧倒的多数の親が感じている。
(秋山 仁)
◆中教審答申に出てくる言葉(規範項目など)が重要でないと思う人は少ないと思うが、そんなことを強調する必要があるのだろうか。重要なのは実践することではないか。教育基本法のようなものを持たない国もたくさんある。数学で言えば、「公理」でがんじがらめにした方がうまくいく部分と、がんじがらめにした結果うまくいかなくなる部分がある。
◆教育基本法「改正」について、やろうとしている内容には賛成だが、それによって個人までがんじがらめにしてしまうことは良くない。80%以上の国民が、関心もないし知らない。もっと多くの人々が議論していくことが必要。議論しながら、ある程度のコンセンサスが得られた段階で、「改正」する・しないをはっきりさせるべきだ。
(梶田叡一)
◆教育振興基本計画は、文科省の行政プランではない。21世紀教育新生プラントは違う。教育の問題は文科省だけでできない。5年程度のスパンで計画を作り、閣議決定しできれば国会で議決されるべきもの。内閣や文相が代わり、政策が変わっても、教育政策の基本計画が変わらないよう振興基本計画を策定することが必要だ。国家予算の単年度主義に対して、振興計画で長期の網をかけるべきだ。
<教育基本法改正の必要せいについて>
(中嶋哲彦)
◆「改正」しなくても、やれることはたくさんある。今、政府は義務教育国庫負担を止めようとしている。これが現在の基盤。今、危機にあるのはこの基盤部分。基盤が危うくなっているのに、振興基本計画での「重点配分」も何もない。結局、国が都合のいいように予算配分を決定していくものになる。それぞれの地方や学校で計画を立て、住民が内容を見定めて、それに対して自分たちの税金から予算を付けていけばいい。それが、地方自治であり、地方分権改革ではないのか。
(梶田叡一)
◆その通りだと思う。しかし、まだ(振興基本計画の)大綱しかないので、これから本格的に審議することになる。地教委が、主体になって決めていかなければならないことには賛成。地教行法で、地方はもっといろんなことがやれる。
(上野千奈美)
◆「教育基本法改正」「教育振興基本計画」について、まだまだ議論の余地があるということですね。
<文科省パンフ「教育基本法と教育振興基本計画」の内容について>
(秋山 仁)
◆子どもたちに、興味・関心を抱かせる少人数教育は必要。能力を身につけた若者を育てていくためには、これまでとまったく違う教育をやってみることも必要。今までは「静かに聞きなさい」という一斉授業形式。これからは、みんな一人一人が主役となって考える、「深い学び」「豊かな教育」が必要。
(中嶋哲彦)
◆少人数授業は、絶対に必要。個にあわせた授業が必要だが、習熟度別教育には反対。個にあわせた子どもの役割を作ってやることが必要。入り口で分けても、あってはならない教育の格差付けが行われる。促進的な授業や補習的な授業は必要だが、最初から、何かの属性で子どもたちを分けるような枠組みを作ってはならない。
<学校・家庭・地域の連携について>
(小野田誓)
◆子どもたちが、喜んで学校に行きたいと思うことが第一。やたら「個性」がもてはやされるが、いろんな方向を親たちは向いてしまっている。そんな意識で、子ども自身も、学校を一方的に評価してしまうことが起こっている。先生の仕事は、昔の何倍も多くなっている。親からの先生に対する要求も、多様化してしまっている。子どもたち全部に、目を配れない状況。これが、親と学校がぎくしゃくする根底にある。地域が主体となって、学校・家庭・地域三者の協力関係を、積極的に作り出していきたい。
(梶田叡一)
◆親は、本気で親にならないといけない。学校は、本気で学校にならんといかん。地域は、本気で地域にならんといかん。??? 大阪の学校評議会、地域の有力者とかが学校にいろいろ言うわけですよ。あれなんか見ていると、教頭先生なんかは過労死するんじゃないかと思いますよ。子育てに悩む親、それを学校に、もっていかないように自治体での子育て支援が必要。 ・・・・??
<学力について>
(中嶋哲彦)
◆学力には様々な定義がある。犬山市での副教材作りには、保護者も参加し、「学力」ということを間に挟みながら、親と教師のコミュニティーができている。これに対して、東京・荒川区や品川区で、学校ごとに「学力テスト」結果を公表したり、ただ単に競争させようとしている。
(秋山 仁)
◆学び甲斐がある「おもしろい」を教えることのできる先生は、素晴らしい先生。いろいろなことに関心を持たせ、知的好奇心を持たせる授業実践を。
(小野田誓)
◆教える工夫は、議論の中から出てくる結果。先生の資質について、どのクラスでも「このくらいは」というのはある。親も教師も、学力についてもっと議論すべき。抽象的な学力要求では、確かな「学力」にはつながっていかない。
<最後に>
(梶田叡一)
◆本気でこれからの人間のあり方、教育のあり方について、問題を投げかける必要があると言ってきた。「教育基本法改正」というから、今日も皆さん(関心をもって)、賛成も反対もこうやって集まったでしょ。いわゆる「ショック療法」。「改正する」−−こういうことを言わなければ、教育基本法や学校教育法や指導要領を読み、考えるきっかけができない。最初から、「賛成・反対」という問題ではない。