文科省教育改革フォーラムに参加しての感想

東京傍聴者(小学校教員)

 10月4日12:40虎ノ門ホールに到着。入り口で関係者受付と一般者受付があった。関係者という人は青いリボンをつけている。一般者は赤いリボンをつけた。ペットボトルすら持ち込ませないという物々しい警備にびっくり。たくさんの事務方が警備に入っていてホールの中も背広を着た官僚達がいっぱいだった。
 ホールの中は、なんと前の方5列ほどは誰も座らせない空席にしてあり、その後から真中の通路までは関係者席、そちらは800席ほどだったか。2階になるのか通路から後ろ側500席だけが一般席だった。

では、関係者とは誰なのか?
たくさんの教員が一般席にしか入ることが出来ず、一体誰が関係者なのか?
実際の教育に当たっている、現場の人間が関係者ではなく誰が関係者といえるのか?

舞台からずっと遠い席にようやく抽選で入れた教員達が溢れ、抽選に漏れて会場に入れない教員もたくさんいるというのに、関係者として優遇されて入場できるのは誰なのかを問いたい。

更に、質疑があるというので我慢して何度も聞かされたような中教審の答申概説鳥居『講演』を1時間も我慢して聞き、その後の多くが取り留めない論議にもならない雑談に耐えていたのに、・・・・ですよ。東京会場での質疑は2人だけ。
コーディネーターという上野という女性は、一般参加者がたくさん挙手しているのに「後はよく見えない」とぬかして前の『関係者席』の人を当てる。そのあと、ようやく一般席に超右翼の『キリストの幕屋』の髪型をした女性を見つけ出したのか、その女性を当てたのだ。そしておしまい。
多分既定方針だったのだ。初めからその女性を当てるつもりだったのだがライトのせいでよく見えずに発見できず、関係者を発言させている間にその『幕屋』の女性を発見しておいたというわけだ。

完全な八百長。
しかも、香川や石川では挙手は少なく、「それなら東京を発言させろ」と思った。そのうえ、その2会場の発言者はみんな関係者の青リボンをつけた人だった。
だから東京、香川、石川会場で4人発言できたけど、一般参加者の発言は『キリストの幕屋』とおぼしき女性一人だけだったのです。

こうして反対の声さえ出させないしくみに『民主主義』の未来を見る思いでした。
文科省HPは以下のように本日の目的をのたまわっていますが、「文部科学省では、新しい時代の教育に何が求められているのか、多くの方々に関心を持っていただくために「教育改革フォーラム−エル・ネットで結ぶ新しい教育−《教育改革の推進と教育基本法の在り方について》」を開催します。」

論理のかみ合わないフォーラムで、新しい時代がどういうものであるかもはっきりせず、『多くの方々に関心を持ってもらう』というのは嘘で、『多くの人が教育の未来に嫌気をもよおす』ために開催しているとしか思えませんでした。アリバイ証明に過ぎない催しで実際は人々が関心を持って真剣に考えないうちに教育基本法を変えてしまいたいということだとよく分かりました。

パネラーの構成は東京会場4人(鳥居中教審会長、木村副会長、杉原誠四郎武蔵野大学教授=教員養成審議会委員などの経歴をもつ文部省の御用学者?「道徳教育」の研究者か?『杉原千畝』の事を書いている。
古野博明北海道教育大学教授=教育制度専門の研究者、特に教育基本法成立の歴史に詳しい。改悪に反対)
石川会場(杉本幹博金沢大学教授=理科教育振興、宮川昌江株式会社シーピーユー社長=忙しくて学校のことはあまり分からないと言いながらとにかく改悪を主張)
香川会場(明石安哲四国新聞社論説副委員長=エリートばかり重視する教育に反対。愛国心と言いながら故郷を破壊する教育や社会に反対。愛国心は教え込むものではなく愛せるような国を作っていくことと主張。
松浦孝仁=香川PTA連絡協議会会長)という顔ぶれ。

パネラー8人の中で改悪にはっきり反対した人は2人です。改悪に賛成する人たちの意見はばらばらで正反対の理由からとにかく『変えればいい』という主張です。
石川のパネラー宮川さんという女性の企業人などは家庭でやるべきことも社会でやるべきこともすっとばしてみんな「学校で」まるがかえ論から『教育基本法を変えることに期待している』と言うかと思えば、他の改悪論者からは『家庭教育が崩壊しているからこそ。教育基本法に家庭教育について規定するべきである』という主張が出るのです。

教育について無知な人たちが勝手にあれこれ言いまくって、実際の教育現場の教員というパネラーは一人もいないのですからあきれてしまいます。
杉原という人などは『日本教育学会』の批判ばかり舞台上からまくし立てていましたが、お門違いとしか言いようがありませんでした。

酷いと思ったのは会長発言の「身分、門地」による差別はもうないから、そうした言葉は不要というものでした。
れっきとした『天皇』という身分があるでしょう。また『門地』という言葉は彼の言うように「男爵・伯爵」とかを表す言葉なのかもしれませんが、実際は部落差別問題をそのまま表現しないために入れた言葉と聞いていますので、それを不要というのは明らかに部落解放運動は不要だと言っている事になると思いました。