上杉 聰
教育基本法「改正」の与党「中間報告」が、6月16日公表された。自民党は、「国を愛し」という表現を主張し、公明党は、それを「戦前の国家主義を連想させる」とし、「国を大切にし」という表現まで歩み寄ったものの、最終合意できず、今回は両論併記する形になったという。
自民党としては、「愛すると大切にするではほとんど意味が変わらない」と一本化を目指し、公明党は「これ以上歩み寄れない」と突き放したとも伝えられている。たしかに、通常の感覚からすれば、「愛する」と「大切にする」の間に大きな違いがあるとは思えない。しかも「中間報告」の中身を見るとき、すでに重大な点で改悪への合意がなされており、右の対立というのは、ささいな問題であるかのようにみえる。
たとえば「中間報告」は、教基法第3条の「ひとしく、その能力に応ずる教育」から「ひとしく」の文言を削り、無制限な能力主義に道を開いている。また第10条の「教育は、不当な支配に服することなく」を、「教育行政は、不当な……」とし、教育の国家・行政からの独立を否定し、逆に国家・行政による教育権をうたうものとなった。
そうした観点から見れば、国を「愛する」か「大切にする」かの文言についても、すでに教基法第一条から「平和的国家」の文言を削ることにいっぽうで合意しており、そして「国を愛する―大切にする」の文言が、それに続く箇所に書かれる予定となっている以上、たとえ「戦争する国家」であっても国として「愛する―大切にする」意味となり、そこに大きな差異を見出せないからである。
ただ、「中間報告」には重大な合意がもう一つ盛り込まれていることに注意する必要がある。「付記」として、「『国を愛し』『国を大切にし』については、統治機構を愛するという趣旨ではないとの認識で一致した」とあることだ。「戦争する国家」であれ「平和的国家」であれ、いずれもその場合の「国」は、戦争を遂行する統治機構(政府・軍隊)を意味することを考えれば、それを愛する―大切にするの「ではない」という合意には、好戦的教育をしないという仕掛けが組み込まれている、と見る必要があるからである。
これまで公明党が教育基本法の「改正」に対抗してきた論法とは、次のようなものであった。日本語の「くに」には、「国土(Land)」「国民(Nation)」「統治機構(State)」の三種類が含まれており、このうち国土や国民への愛は認めても、統治機構への愛は絶対に認められないという立場である。
この論法は、公明新聞など、どこを探しても出てこない。同党の中核的幹部の間にのみ共有されてきたもので、与党協議の中で自民党に対し、この言い方で対抗してきた。それが、今回の「中間報告」にも反映したのである。
たしかに、日本語の「くに」は、英語などであればLand、Country、Nation、Stateなどと、それぞれ区別して使われる内容をぼかし、曖昧な言葉であると指摘されてきた(江口圭一『日本の侵略と日本人の戦争観』など)。公明党の論法は、これをさらに宗祖・日蓮にまでさかのぼって肉付けしたものと、私は推測している。
たとえば、「立正安国論」を著したとき、彼は「くに」を三種類の漢字で書き分け、ひとつは「國」、ひとつは「囻 」、ひとつは「国」とした。國はLandに、囻 はNationに、国はStateにそれぞれ対応するものと理解される。
「くに」の語に「国土」や「国民」の意味が含まれているかぎり「愛国心」は容認しても、政府や国家機構はそこから除くべき、とする強い主張がここから繰り出されてきたのである。決して安易に妥協を重ねてきたわけではない、宗教者としての真摯な対応をまず評価すべきである。
ただ、問題はここからである。与党案が今後最終的にどうなるかは、参院選結果などにゆだねられている面があるが、たとえ公明党案にもとづく「新教育基本法」が作られたとしても、ひとたび「国を大切にする」の条文が入れられるならば、結果は自民党の目指すところになるだろう。
つまり、法案さえ通れば、「統治機構を除く」などという付随的な与党合意などは完全に忘れられ、あとは「新教育基本法」にしたがい、「教育行政」が、それを統治機構を含む「愛国心」と理解し、「不当な(民衆による批判や)支配に服することなく」実施していくことになるだろうからである。その点は、国旗国歌法で、事前に「強制しない」という度重なる国会答弁がありながら、現在、きわめてきびしい強制がなされていることをみれば明らかである。
さらに、今この時点で、改めて別な角度から言っておくべき問題があるように思われる。それは、「統治機構」の中に、天皇を含むか否か不問に付されていることである。もし、今後「含む」と名言すれば、公明党は激烈なバッシングを受けることになろう。たとえそれに耐えられたとしても、すでに公明党案には、「伝統文化を尊重し、郷土と国を大切にし」としている。その「伝統文化」について自民党は、「皇室を国民統合の中心とする安定した社会基盤の上に、伝統尊重を縦軸とし、多様性包容を横軸とする独特の文化を開花させてきました」(日本の教育改革有識者懇談会「新しい教育基本法へ6つの提言」)としてきた。
これはすなわち、公明党案に従ってもなおかつ、「皇室を中心とする伝統文化をもつ国を大切にする」ことが、以後は法律により義務化される仕掛けが組み入れられていることを意味する。やがて、天皇を讃える「君が代」(「日の丸」)のいっそうの強制はもちろん、天皇を中心とした「国土」の観念や「国民」の思想教育が、学校現場で強制されることになろう。
公明党は精一杯の抵抗を示しながらも、越えてはならない一線を踏み外しつつある。ここでいったん立ち止まり、改めて自己の位置を、冷静に見直すべきときではなかろうか。