日本はいったいどうなるの
今、「あぶない」教科書がアジアの友を遠ざける


 新しい歴史教科書が作られています。この教科書は、発行・産経新聞社、発売・扶桑社(産経新聞社の子会社)となる予定ですが、実質的には、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」)が事実上の発行者となって編集したものです。

●「新しい歴史教科書をつくる会」と産経新聞社、扶桑社は書籍「新しい歴史教科書パイロット版」(仮題『国民の歴史』)、及び教科書「中学歴史教科書」「公民教科書」の出版に関して、合意しました。
●これら書籍、教科書については「つくる会」が執筆を、扶桑社が編集を担当し、産経新聞社が編集に協力するという形になります。
(『史』1998年1月号)

 教科書検定は密室の中で行なわれるため、検定中の申請図書(白表紙本)は、原則非公開ということになっていますが、検定申請直後に西尾幹二「つくる会」会長がテレビで公開し、「つくる会」の会報や同会編集の図書でその内容を公開し、また、扶桑社の社員は白表紙本を学校現場に持参して事前宣伝を行ないました。これがコピーされ各地に出回っています。(資料→公正取引委員会への告発文新聞記事抜粋)(資料1)
 これまで、文部(科学)省は、密室検定をやりやすくするために、検定中の白表紙本は公開しないように検定審議会委員や教科書出版社に指導してきましたが、法的な規制はありませんでした。  そこでこの資料集では、扶桑社自身がが流出させた白表紙本の内容と採択の在り方を中心にその問題を整理します。
 3月5日、ごく一部の報道機関が白表紙本の内容についての検定意見と修正文を報道しました。検定意見とそれに対応する修正文案という、検定関係者と申請者である扶桑社以外には知り得ない情報が、このように流出するということは、前例がありません。中国の全人代(3月6日)、韓国の教科諸問題特使金ジョンビル史の来日」(3月8日)の直前ということから、政治的なにおいのする「意図的な情報リーク」ともいわれますが、現時点では真相不明です。いずれにせよ、教科書検定の権威が大きく揺らいだことは間違いありません。
 これによって、扶桑社版の歴史教科書が、白表紙本から137カ所も修正されて、大きく改善されたという印象を与えたかも知れませんが、しかし、なお大筋で問題は残されたままです。西尾会長も「我々の考え方そのものは残している」とインタビューに答えています(朝日)。以下で、それも含めて検討しようと思います。

歴史教科書の問題点

@日本国憲法、教育基本法の理念を否定する教科書

 大日本帝国憲法を肯定的に描く反面、日本国憲法については、「大日本帝国憲法を改定する必要はなかったのに占領軍によって違法な手続きで押しつけられた」などと徹底的に否定し、憲法調査会の設置を憲法「改正」に向かう動きとして高く評価しています(資料2)。
 また、教育勅語を全文掲載して「近代日本人の人格の背骨をなすもの」と賛美し、それが戦後国会で失効決議されたことは一言もふれていません。3月5日の新聞報道(以下「一部情報」)によると、「近代日本人…」の前に「1945(昭和20)年の終戦に至るまで」の記述が挿入されたのみです。このような憲法否定と教育勅語賛美の教科書は戦後はじめてであり、これは公教育において許されないものといえます。

A韓国併合・植民地化を正当化する教科書です

 白表紙本では、「朝鮮半島は日本に絶えず突きつけられている凶器」だと書き、だから、韓国併合・植民地化は、日本の安全と「東アジアを安定させる」ために必要だった、合法的だったと正当化しています。しかも、植民地支配の実態、言葉・文化・氏名を奪い、強制連行・強制労働させた事実、女性を日本軍性奴隷(「従軍慰安婦」)にした戦争犯罪の実態には一言も触れていません。ただ、3月5日の「一部情報」によると、「凶器」の個所が削られたほか、同化政策などが加えられたと報じられていますが、「従軍慰安婦」の記述は無く、全体のトーンは「日本の韓国併合は、東アジアを安定させる」(毎日)ものという評価を残したままです。

B侵略戦争と植民地支配を肯定・美化する教科書です

 アジア太平洋戦争を「大東亜戦争」と表記し、「日本の緒戦の勝利は、東南アジアの人々、さらにはアフリカの人人(ママ)にまで独立への夢と勇気を育んだ」、1943年に占領地のカイライ政権を集めて開催した大東亜会議の共同宣言は、1960年の国連総会の植民地独立宣言と「同じ趣旨のものであった」などと書き、日本の侵略戦争をアジア解放の戦争だったと肯定・美化しています。3月5日の「一部情報」によると、これらは多少抑制されたものとなっていますが、基本線は崩していません(毎日)。
 また「従軍慰安婦」や「三光作戦」「731部隊」などの日本軍の残虐行為にはまったくふれていません。アジア諸地域の被害について、小さな活字で「日本が戦争で進攻し、戦場となったアジア諸地域の人々にも、大きな被害が出た」と、まるで他人事のように書いています。
 南京大虐殺については、日中戦争のところではふれず(「一部情報」によって若干の改善は報道されていますが、南京事件名が記されるか不明です。、戦後の「極東国際軍事裁判」の項で「この事件の疑問点は多く、今も論争が続いている」と、南京大虐殺否定論の立場を強調して記述しています。
 満州事変の原因は、「中国人の排日運動…略…、列車妨害、日本人学童への暴行、日本商品ボイコット、日本軍人の殺害など、条約違反の違法行為」を行った中国側にあると書き、「国民は関東軍の行動を熱烈に支持し、陸軍には220万円の支援金が寄せられた」と記述しています。また、「満州国は、中国大陸において初めての近代国家を目指した。五族協和、王道楽土建設をスローガンに、満州国は急速に経済成長を遂げた。人人(ママ)の生活は向上し」たと、日本の満州(中国東北部)への侵略・支配を賛美しています。(これらについて白表紙本への検定意見や修正文は「一部情報」では明らかにされていません。)
 アメリカとの戦争についても、アメリカに責任があり、日本にとってはやむを得ない自衛戦争だったとし、「アメリカ軍と戦わずして敗北することを、当時の日本人は選ばなかったのである」と書いています。「一部情報」は、この表現をやさしくしたのみで、大筋を残したと伝えています(読売)。

C戦争そのものを肯定する教科書です

「戦争は政治の延長」「戦争には善悪はつけがたい、国益がぶつかりあって話し合いで解決しなければ、最後は戦争で解決する」などと戦争そのものを肯定しています。
 1999年5月にオランダのハーグで行なわれた市民平和会議の10項目のアピールは、その第1に「各国議会は日本国憲法第9条のように政府が戦争することを禁じる決議をすべきである」を掲げています。
 第1次世界大戦以降、国際社会では戦争を違法化する努力が前進し、平和に対する罪、人道に対する罪、戦争犯罪など戦争そのものを違法化する国際法が確立されてきました。21世紀は、できる限り早い時期に、核兵器を廃絶し、この地球上から戦争をなくしていくのが人類の課題になっています。そのような国際社会の動向を無視して、子どもたちに戦争を肯定することを教える教科書の登場は驚きです。 「一部情報」によると、検定によって上記の表現は中学生にとって「程度が高すぎる」としてやさしく書き換えられていますし、内容も弱められていますが、そのトーンは残されたままです。西尾幹二会長は、この教科書のこの部分は、「私たちの志を表した部分で『つくる会』の原点である」といい、「過去の戦争を評価すること」「過去の戦争が正しかったと理解すること」が必要、「戦争については謝罪してはいけない」と主張しています。このような戦争肯定史観がこの教科書の近現代史部分の基調になっています。

D「天皇中心の神の国」という歴史観を植えつけようとする教科書です

 神話から歴史を記述し、天皇を中心として日本史を描いています。神武天皇からはじまって、昭和天皇の生涯を国民とともに歩んだと美化するコラムでしめくくる構成になっています。また重要なことは、神話と歴史的事実とが明確に区別されていないことです。神武天皇の「東征」を地図入りで詳しく述べ(この地図は戦前の「国史」の教科書から複写したようです)、最後に「2月11日の建国記念の日は、…神武天皇即位の日を太陽暦になおしたものです」と、神武の即位が歴史的事実のように書いています。こうして、実在の人物のように描かれている神武天皇を初代とし、昭和天皇までに19人の天皇を登場させています。しかも、昭和天皇は、戦前・戦中の皇国史観による国定教科書「国史」と同じく「第124代」と記述しています。これは、神話の中の天皇もすべて実在の人物として含めた数え方で、「万世一系」を信じさせようとするものです。

E日本国家、日本文明の優秀性を過度に強調する教科書です

「上高森遺跡から」「石器が見つかり、約60万年前のものと判定され」「原人がこの日本列島にも生存していたことは、これで確実となった」とし、北京原人、ジャワ原人よりも古いことを強調し、「日本列島では、およそ1万6500年前にさかのぼる土器が発見され、現在のところ世界最古」、「縄文文明」は「四大文明に先がけて1万年以上の長期にわたって続いていた『森林と岩清水の文明』があった」と記述しています。白表紙本の以上の箇所のうち、捏造が明らかになったものは自発的に削除されていると思われますが、それ以外の検定修正については「一部情報」でも伝えられていません。
 古代国家が成立した段階の四大文明とそれ以前の段階の「縄文文明」とを年代の古さで比較すること自体が無意味です(本来は「文明」と呼ぶことも問題)。そこまでして日本文化の優秀さを強調するのは、まさに偏狭な国家主義です。また、仁徳天皇陵は、エジプトのピラミッドや秦の始皇帝の墳墓よりも大きかったと強調するなど、日本国家・日本文化の「優秀性」を強調しています。偏狭な民族主義を煽る一方で、他民族、特にアジアの諸民族への蔑視思想を宣伝しています。

F歴史学の研究成果を無視し、歴史教育の観点がない教科書です

「歴史を学ぶのは、過去の事実を知ること」ではない、「歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えたかを学ぶこと」、「歴史は科学ではない」と主張し、歴史研究のこれまでの成果を無視し、都合のよい事実や神話などを大仰にならべる教科書となっています。歴史事実を多面的にとりあげて客観性ある記述にするのではなく、一方的な解釈の押しつけなど、みずからの主張のみを強く押し出した教科書です。

憲法をねじ曲げ、改憲を主張する公民教科書

「つくる会」の「公民」教科書は、「歴史」教科書同様に、天皇中心の内容であり、憲法「改正」を主張する「あぶない教科書」です。
「公民」教科書の編集責任者である西部邁「つくる会」理事は、「日本国憲法に批判的考察を加え」「米国が憲法成立に強く関与したことを示唆」、戦前の「大日本帝国憲法を…略…高く評価」、憲法の「平和主義に対しても批判的考察を加えた」「人権主義、民主主義、平和主義に対しての批判を書いた」と公言していますが、この考え方が「公民」教科書の全編を貫いています。
「わが国の歴史には、天皇を精神的な中心として国民が一致団結して、国家的な危機を乗りこえた時期が何度もあった」「第二次大戦後、憲法は変わっても天皇のあり方には大きな変化はなかった」などと述べ、主権在民を無視して、日本は戦前も今も「立憲君主国」、天皇制は「現代君主制のモデル」と強弁し、天皇が元首であるかのように記述しています。「一部情報」によると、「立憲君主制」の話は、検定削除などされたようですが、基本的な天皇制志向の主張には変化はありません。
 憲法第九条敵視を明確にし、異常なまでに自衛隊を美化していることも特徴で、憲法が自衛隊の活動の「障害になっている」だから「改正がつよく主張されている」と繰り返し書き、さらに「国家に対する忠誠と国防の義務」を強調しています。西部氏は、2000年11月15日の参議院憲法調査会の参考人として、「憲法が自衛隊に違反している」と主張しましたが、この主張が堂々と教科書に書かれているわけです。「一部情報」によると、検定で「憲法改正」のトーンは弱められていますが、教科書でこのような主張がなされるのはまったく初めてのことです。
 公共の福祉による基本的人権の制限も不当に拡大解釈しています。その公共の福祉の中身は「国家の利益」「国家の秩序」としています。つまり、国益と国家秩序を最優先し、それに反すると判断されれば基本的人権はいくらでも制限して良い、という主張です。これを前述の「国家に対する忠誠の義務」とつなげて考えれば、国家反逆罪、すなわち、かつての治安維持法の再現の方向が見えてきます。
 白表紙本は、憲法「九条一項の『戦争放棄』とは、侵略戦争だけを放棄したものと解釈するのがふさわしい」、二項は「侵略戦争に関しての戦力保持や交戦だけを禁止したのだと解釈するのが適当である」、「放棄されるべきものとして憲法が謳っている『国際紛争を解決する手段としての戦争』とは、侵略戦争のことであり、禁止されるべきものとしての戦力保持および交戦権も、侵略戦争に関するものだ、と解釈するのが適当である」などと勝手な憲法解釈を展開しています。そこには、歴史上、戦争を起こした国が常に「侵略戦争ではなく自衛戦争である」と主張してきた事実は無視されています。「つくる会」は日本の侵略戦争はアジア解放戦争・自衛戦争だと主張しているので、この解釈によれば、当時の軍事力や戦争行為は現憲法上からも許されるということになります。
「機会の平等」論では、現実の不公平・不平等を正当化し、反対するものを「秩序を侵す」と反逆者扱いしています。異常なほどフランス革命や社会主義国への敵視が強調されています。
 また「忘れてならないのは、人間社会には、そうした価値の実現のために、生命を犠牲にしなければならない場合もあるということである」と述べ、教育勅語の「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」の再現かと思われる主張が展開されています。歴史教科書の教育勅語賛美と一対をなしています。その他、「消費税は公平」とか「夫婦同姓の制度も、家族の一体性を保つ働きをしてきた」と夫婦別姓に反対する論を展開するなど、全編を通して問題だらけの教科書です。

他の新しい中学歴史教科書は何が変わったか

 これまで中学歴史教科書を発行してきた7社の検定申請図書(白表紙本)の内容にも、今回は改悪されたものが多くあります。何が削除され、何が修正されたのか、以下、とりわけ重大だと思われるいくつかの具体例を紹介します。

(1)「従軍慰安婦」の記述が、7社から3社に減っています(「つくる会」の教科書を含めると「慰安婦」を取り上げているのは8社中3社)。しかも、「慰安婦」を残した会社でも、現行と同じように、日中15年戦争・アジア太平洋戦争のところで扱っているのは2社で、他の1社は戦後補償の「注」だけで扱っています。ちなみに、削除した4社の現行の占有率は80%を超えています。

(2)南京大虐殺事件の記述も大幅に後退しています。「南京大虐殺」の名称を使っていた4社中2社が「南京事件」に変え、3社が使っていた「虐殺」という用語が、すべて「殺害」「殺した」に変わっています。また、現行本では6社が、犠牲者数について「婦女子をふくむ約20万人」などと書いていましたが、その具体的な数字を残したのは2社で、他は「大量に」「多数の」などに修正しています。

(3)日本軍が中国の抗日根拠地に対して行った、「焼きつくし、殺しつくし、奪いつくす」三光作戦については、これまで5社が記述していましたが、残したのは1社だけです。さらに、1社が記述していた731部隊も今回は削除されています。

(4)沖縄戦の記述も後退しています。特にひどい例は、「戦場になった沖縄」というテーマで独立して10行で書いていたのを、「日本の降伏」のテーマの中に入れて2行半で扱っています。そのため、現行本にある沖縄県民の犠牲者数や日本軍による住民殺害の記述が削除されています。

(5)「侵略」の用語を「進出」その他にいいかえるなど意識的に修正しています。例えば、「中国への全面侵略と戦時体制」を「日中戦争の拡大と国民生活」、「日本の東南アジア侵略と太平洋戦争」を「アジアと太平洋への戦争」に変更するなど、「章」「節」のタイトルからすべて「侵略」をなくしている社もあります。本文中でも、「日本は朝鮮侵略をさらに強めました」が削除され、「中国への侵略」が「中国への進出」に修正されるなど、「侵略」の用語をほとんど削除し、他の言葉に換えています。

(6)植民地支配の実態をあいまいにし、アジアにおける加害の記述を削減しています。日本の侵略に対するアジア民衆の抵抗も大幅に削除・修正されています。

教科書記述の改悪の経過

 このような教科書記述の改悪は、今回ばかりではありません。歴史的に見れば下記のような記述変更が行われてきました。

<侵略記述が教科書に登場するまで>

 教科書は、1872(明治5)学制当時の自由発行・自由採択から、検定制度(1886=明19)の時代を経て、国定教科書(1903=明36)となり、教育勅語とあわせて差別と侵略、「教え子を戦場に送る」有力な道具とされた。
 戦後は国定制を廃止し、民主化のための検定を行うとともに、学校採択の制度として再出発した。
 しかし、1955年民主党による「うれうべき教科書」問題以降、逆コースの検定強化がはかられ、1963年「教科書無償」法によって学校採択から「市もしくは郡単位」の広域採択に変えられた。
 1963年、高校「新日本史」(家永三郎著)が検定不合格(発行不能)とされたことに抗議し、検定の違憲性を糾弾する「家永教科書訴訟」が30年以上続くこととなる。とりわけ憲法21条(表現の自由、検閲禁止)と教育基本法10条(不当な支配の禁止)違反を問うものであった。
 その間1982年には検定によって「侵略事実」の削除と「進出」などへの書き換えが強制されたことに中国・韓国などが猛反発し、外交問題となったことから、宮沢官房長官が「政府の責任で是正する」ことで決着をはかり、文部省は検定基準に「近隣諸国条項」を追加した。それは「近隣のアジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の立場から必要な配慮がされていること」というもので、今日も生きている。 こうした流れの中で「侵略」「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などの記述がはじめて日本の教科書に登場したのである。

 98年6月8日の参議院で、町村信孝文相(当時)は、「歴史教科書は偏向している。検定提出前に是正できないか検討している」と答弁しました。これは、教科書発行者に事前の「自主規制」によって、「自虐的記述」を「排除」させようとするものです。
 この町村文相答弁を受けて、99年1月、文部省幹部が教科書会社経営者に対して、「もっとバランスの取れた内容にせよ」「著者構成も見直せ」と申し入れました。さらに、99年12月、「首相官邸筋」から、中学社会科の教科書会社社長に対して、「『従軍慰安婦』記述について慎重に扱うように」と要請する電話がありました。
 このような「官邸筋」まで動いた政治的圧力を受けて、各社は、白表紙本印刷の直前(2〜3月頃)に、「慰安婦」記述削除など「自主規制」を決断したと思われます。ある社の編集部長は、2月頃、個別に著者を訪問して、「従軍慰安婦」を削る、南京大虐殺の脚注をなくすことにしたので了解してほしい、と説得してまわっています。
 今回、7社が「自主規制」を行った理由は、教科書会社の自発的な意思によるものではなく、政府・文部省による強い政治的圧力によるものだという見方もできます。

「新しい歴史教科書をつくる会」とは

 日本の歴史教科書は、家永教科書裁判運動を中心とした国民世論と82年の国際批判(日本政府は教科書検定で歴史を歪曲していると外交問題になった)などによって、80年代後半から大幅に改善されてきました。ところが、こうした歴史教科書の改善に対して、1996年夏から、教科書「偏向」攻撃がはじまりました。教科書の「従軍慰安婦」や南京大虐殺をはじめとした加害の記述を「反日的・自虐的」と誹謗し、「教科書から削除せよ」という一部勢力による攻撃が激しく行われてきました。そ彼らは、現行教科書を「自虐史観」と攻撃するだけでなく、自分たちで中学校の歴史教科書を発行すると宣言し、97年1月に「新しい歴史教科書をつくる会」を結成しました。
「つくる会」は現在10000名を超える会員で、全都道府県に支部を設立し、年間4億2000万円を超える収入で活動しています。自分たちの教科書を検定に合格させ、2001年7月に行われる採択(使用する教科書の選定)で10%(約15万冊)以上採用されることをめざして、各地で支部を推進力にした「国民運動」を展開しています。『国民の歴史』をばら撒き、講演会・議員勉強会・要人(首長・教育長など)面談を行ない、自分たちに有利な採択制度に改悪するよう、地方議会や教育委員会に対して請願・陳情を行っています。「つくる会」の運動に対して、国・地方の自民党議委員が各県ごとに「教科書議連」をつくって全面的にバックアップし、また、改憲組織・日本会議をはじめ右派勢力が総結集して「教科書改善連絡協議会」(会長・三浦朱門)を中央と地方に組織し、「つくる会」と一体となって世論づくりを推し進めています。

「つくる会」の運動を推進した汚職議員・・・「汚れた教科書!」

「つくる会」の地方議会への請願は、2000年6月末までは、2県(宮城・熊本)と22市区町村(東京・千葉・神奈川)でしか採択されず、あまり成果をあげていませんでした。そこで登場したのがKSD汚職で逮捕され、参院議員を辞職した小山孝雄容疑者です。小山氏は、これまでもしばしば「つくる会」を代弁するような国会質問を行ない、西尾幹二「つくる会」会長は「つくる会が最も頼りにする国会議員」と会の内外に紹介してきました。小山氏は、「教科書問題は検定よりも採択が主役」と主張し、その採択制度が「つくる会」に有利なものになるように、2000年8月8日、参議院予算委員会で「つくる会」の請願内容とまったく同じ趣旨の質問をしました。これに対して、中川官房長官(当時)と大島理森文部大臣(当時)が、その主張を全面的に容認し受け入れる答弁をしました。
「つくる会」は、この小山質問と政府答弁について、自分たちの主張が「政府の統一見解になった」「われわれの主張を政府サイドが支持した」「地方議会への請願などの運動は、政府の方針とも一致する」と、会の内外に宣伝し、地方議会議員や教育委員会に働きかけてきました。これによって、7月末には2県にすぎなかった請願採択が28県に増えたのです。小山容疑者が「つくる会」に有利な質問をして政府答弁を引き出し、「つくる会」の運動が有利になるとうのは、KSD汚職とまったく同じ構図です。西尾会長は、逮捕直前の小山容疑者に「教科書問題での質疑は、ありがとう」というねぎらいの電話をし、小山容疑者はそれを聞いて「感涙にむせんだ」と伝えられています。
「つくる会」の教科書は「あぶない」だけでなく「汚れた教科書」だといえます。

教科書採択権は誰にあるか

 文部省や「つくる会」などは、教科書の採択権限は教育委員会にあり、職員にはない、と主張しています。その「主な根拠法令」として地方教育行政の組織及び運営に関する法律第23条第6号と教科書の発行に関する臨時措置法第7条第1項をあげています。ところが、「地教行法」第23条第6号は教育委員会の「教科書その他の教材の取扱に関する」事務を「執行する」という規定です。これは、教育委員会の事務処理権限を規定しているにすぎません。また、「教科書発行法」第7条第1項は「市町村の教育委員会、国立及び私立の学校長は、採択した教科書の需要数を、都道府県の教育委員会に報告しなければならない」というものです。「教科書発行法」第7条第1項にいたっては、教科書需要数の報告義務を定めたものにすぎず、これを採択権の根拠にするのは無理があります。このように、「採択権は教育委員会にある」という主張には、明確な法的根拠をもっていないのです。
 むしろ、「採択権は教育委員会にある」という解釈は、教職員の教育権に介入することになり、教育基本法や学校教育法に違反する疑いが強いという見解もあります。教育基本法第10条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきでものある」(第1項)、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」(第2項)と規定しています。また、学校教育法第28条6項は「教諭は、児童の教育をつかさどる」としています。この二つの法律の条理解釈からすれば、教職員師の教科書採択権は現行法上も認められているとみるべきで、教科書の選定・採択は、各学校の教育課程編成や職員の授業内容編成と密接に関連する教育専門的事項ですから、原則として職員の教育権に属している、と解するほうが自然です。
 1996年10月、行政改革委員会規制緩和小委員会が開催した教科書制度についての公開ディスカッションにおいて、文部省は、「広域(共同)採択のメリットは教員の共同研究と十分な調査にもとづく選定ができることだ」と主張しました(行革委委員からは、「研究などは共同でやればよい、それにもとづいて学校ごとに採択すればよいではないか」と追及され、文部省は返答できませんでした)。文部省は「教員の共同研究」を強調しているのですから、当然、教職員が採択に関与する権限があることを否定できません。その上、行革委の政府への意見(96年12月と97年12月、この意見は97年3月に閣議決定されている)は、近い将来の学校単位の採択を前提にして、現行採択地区の小規模化による採択制度の改善を求め、「教科書の採択の調査研究にあたる教員の数が増えるのが望ましい」としています。文部省はそれにもとづいて97年9月に都道府県教育委員会に「通知」を出しています。

■閣議決定「規制緩和推進計画の再改定について」         1997年3月28日

11教育関係
(1)初等中等教育
J教科書の採択制度
【措置内容】将来的には学校単位の採択の実現に向けて検討していく必要があるとの観点に立ち、当面の措置として、教科書採択の調査研究により多くの教員の意向が反映されるよう、現行の採択地区の小規模化や採択方法の工夫改善についての都道府県の取組みを促す。
   ⇒実施予定時期 平成9年上期
K教科書検定制度の透明化
【措置内容】検定意見個所の一覧や検定意見の具体化個所の具体的記述に即した検定意見の公開、不合格図書の理由書の公開を図るとともに、検定公開の拡充及び公開方法の工夫を行う。
   ⇒実施予定時期 平成9年7月

ところが、「つくる会」は、「教科書の採択権は教育委員会にある」のは、自明のことで「異論をはさむことはできない」(藤岡信勝)と主張しています。しかし、今日の国の施策の方向とは逆行する主張です。
 しかも、「つくる会」は「教育委員が全教科書を自分で調べて採択せよ」と主張しています。教育委員は非常勤であり、しかも教育専門家ではありません。教科書の種類は小学校で約100、中学校で約300あります。見本本が教育委員会に届いてから採択まで3ヶ月弱しかありません。この期間に教育委員がすべての教科書を調べることは不可能です。その上、2001年7月は、小学校と中学校の教科書は同時に採択が行われるため、調査対象教科書は400種類以上になります。教育委員がこの教科書をすべて詳細に検討して、採択を行うこと自体が、極めて非現実的です。そのためか、「つくる会」は、一部地方議会に出した請願・陳情は、「歴史・公民教科書の採択に当たっては」と記しています。自分たちが発行する中学校の歴史と公民教科書だけ調べればよいという、自分勝手な主張です。
 以上に明らかにしたように、「つくる会」などの主張と要求には道理も根拠もありません。それを違法な活動までふくめて推進する「つくる会」の採択活動の野放しを許すわけにはいきません。

終わりに

 1999年「第149国会」では、世論を二分する賛否があったにも関わらず、「日の丸・君が代」が法制化され、周辺有事に日本が参加をすることに道を開いた「ガイドライン関連法」成立、憲法調査会の設置など、憲法改悪へとつながる流れがつくられました。
今回のような歴史教科書の改竄、憲法・教育基本法を否定する公民教科書の登場は、このような動きの一環をしてとらえる必要があります。

 ILO・ユネスコ共同の「教員の地位に関する勧告」(1966年)にあるように、教育の専門家として、主たる教材である教科書採択に関わって十分な調査研究を行う権利と義務を負っています。そのような過程を大切にすることによって、子ども・保護者・市民に対して、学校で行われていく教育活動を説明し、理解と協力を求めていくという責任を果たすことになります。

■「教員の地位に関する勧告」61項
 教育職は、専門職として職務の遂行にあたって、学問の自由を享受すべきである。教員は、児童・生徒に最も適した教材及び方法を判断するために特に資格を与えられたものであるから、承認された計画の枠内で、教育当局の援助を受けて教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の適用などについて不可欠な役割を与えられるべきである。

 教科書は教材の一つであって、私たちは子ども・保護者の願い、地域の実態を十分ふまえた自主的・創造的なカリキュラム編成を積極的に推進することが教職員としての責務です。今後教科書研究は、そのような教育活動の一環としてとらえ、学校全体の課題として推進していく必要があります。