<アピール>平和、人権、民主主義の教育が危ない


いま、平和、人権、民主主義の教育が危機的な状況を迎えつつあります。憲法、教育基本法の趣旨にもとづいて、教育のあり方を考え、教育改革を広く提言する活動を行ってきた私たちは、この危機的状況を黙認できないものと考え、さまざまな活動を行うことを決意し、立ちあがることにしました。

周知のように、「自由主義史観」を標榜するグループが組織的な活動を展開しています。このグループは「自虐史観からの脱却」を訴え、かつてのアジア侵略戦争を美化、肯定する歴史認識の形成を図ろうとして、全国各地で活発に行動しています。

その中でもっとも危険な活動は、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」)の動きです。「つくる会」はこれまでの歴史教育や教科書の批判を繰り広げるばかりでなく、「自国の正史を回復するための良識ある歴史教科書をつくる」として、自国中心主義的で、史実を歪める中学歴史教科書を作成し、検定申請を行いました。この検定申請本は昨年12月、137箇所の検定意見が付されましたが、検定による修正意見に応じて、検定を通過する見込みにあるといわれています。アジア、太平洋地域に対するかつての日本の植民地支配、侵略などを反省した村山首相談話(1995年)と、近現代史について近隣諸国との国際理解、協調を配慮するという教科書検定基準(いわゆる近隣諸国条項)は、形骸化されかねません。さらに、「つくる会」は中学公民の教科書も作成し、検定を受けています。そこでは憲法、教育基本法の「改正」につながる考え方が記述されています。

しかし、私たちは、教科書は個性的で多様であって欲しい、だが、真理と真実を踏みにじる教科書はどうしても容認できない、という立場から「つくる会」の活動を問題にしているのであって、検定強化を訴えるものでは決してありません。

私たちが危惧を覚えるのは、そればかりではありません。「つくる会」は教科書採択の段階に手を伸ばし、調査員制を廃止して、採択手続きを教育委員会に集中させるよう自治体議会に請願しています。この請願を採択した自治体は2001年1月末段階で165議会と言われます。その際、『国民の油断―歴史教科書が危ない―』やパイロット版歴史教科書『国民の歴史』を教育委員会などに配布し、なおかつ他社教科書を批判する文書なども出して、同会作成の教科書採択を事前に働きかけてきました。

現在、こうした動きについて二人の研究者が、他社発行の教科書を誹謗中傷する文書などを執筆、発行、頒布し、教育委員会に物品供与したのは「不正な手段をもって、他の者の発行する教科書の使用または選択を妨害すること」にあたるとして、私的独占禁止法違反で排除勧告の措置を公正取引委員会に対し申し立てています。 

教育委員会には何よりも、こうした違法、不当な圧力を排し、教育と学問に関わる専門的な判断、公平・公正な判断が求められます。そして、政府の行政改革委員会意見を受けた1997年の規制緩和策の閣議決定と文部省通知も、教科書採択について、将来的には学校単位の採択を検討し、多くの教員の意向反映と現行採択地区の小規模化などを強く促しています。

もう一つ危惧しなければならない動きがあります。首相の私的諮問機関として設置された「教育改革国民会議」が、昨年12月の報告で17項目の提言を行いました。なかでも、「奉仕活動」の導入と教育基本法「改正」という提言には大きな問題が含まれ、多くの疑問、批判が投げかけられてきました。「憲法の外堀が埋められることは、民主主義の否定以外の何ものでもなかろう」という日本ペンクラブが発表した声明(同12月15日)は、その代表です。

それにもかかわらず、奉仕活動については学校教育法等の関連法「改正」案が国会に上程されようとしています。町村信孝文科相が自衛隊での体験に言及するような危険な側面も明らかになっています。

憲法「改正」問題とも絡む教育基本法「改正」は今後の政治情勢によって日程が変わってくるでしょうが、文部省で「改正」案をつくり、それを6月段階で中央教育審議会に諮問する動きも伝えられています。「改正」の狙いが「日本の伝統文化に基づく国家意識の形成」にあることは明白ですし、憲法「改正」の露払い的な役割も持っています。

教科書問題と教育改革国民会議という二つの動きは、密接な関連をもっています。これらが具体化されるならば、真理にふたをし、個人の尊厳を抑圧し、アジアの人々を踏みにじった戦前教育の否定から出発した平和、人権そして民主主義の教育が、まさに重大な危機にさらされます。もちろん、教育の危機ばかりではありません。これは、日本社会全体の危機と言えます。

こうした動きに対しては、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国など近隣諸国が懸念を表明しています。しかし、なによりここ日本において、子どもたちとともに真理と真実の教育を大事にしてきた私たち自身が、国際人権規約や子どもの権利条約など国際的な人権保障の枠組みに反し、日本をいっそう国際的に孤立させるこれらの動きを座視するわけにはいきません。

私たちは、憲法・教育基本法の趣旨を徹底する研究を進めてきた国民教育文化総合研究所(教育総研)に集うものを中心に、国の内外の人々にこうした事態の本質を広く訴えるとともに、歴史認識を歪め、真理と真実をないがしろにする教科書の普及活動と教育基本法「改正」に反対し、それを超える活動を幅広く展開していくために「平和、人権、民主主義の教育の危機に立ちあがる会」をつくり、教育文化フォーラムの開催、パンフレットの発行、内外の人々との交流など積極的に活動していくことをここに決意します。

 

2001年3月9日

平和、人権、民主主義の教育の危機に立ちあがる会

 

 

呼びかけ人(50音順)

李 仁夏(在日大韓基督教会川崎教会名誉牧師)、石井小夜子(弁護士・世話人)、市川 昭午(国立学校財務センター教授)、大田 堯(東京大学名誉教授)、大谷 恭子(弁護士)、小沢 牧子(臨床心理学研究者)、鎌倉 孝夫(埼玉大学名誉教授)、川西 玲子(研究室主宰)、銀林 浩(明治大学名誉教授)、熊谷 一乗(創価大学教授)、黒沢 惟昭(東京学芸大学教授・世話人)、榊原 長一(日教組委員長)、柴山恵美子(評論家)、関 啓子(一橋大学教授)、暉峻 淑子(埼玉大学名誉教授・世話人)、永井 憲一(法政大学教授)、西村 絢子(日本女子体育大学教授)、長谷川 孝(教育評論家・世話人)、原田 三朗(駿河台大学教授)、日高 六郎(元教育総研所長)、槙枝 元文(元総評議長)、増田 祐司(島根県立大学教授)、嶺井 正也(専修大学教授・世話人)、宮坂 広作(東京大学名誉教授)、矢倉 久泰(教育ジャーナリスト)、山住 正己(東京都立大学名誉教授)