改めて教育基本法の「改悪」に反対します
――教育と文化を世界に開かれたものにしていくために
(2003年3月20日)
中央教育審議会は2003年3月20日、「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成を目指す観点から」「教育基本法を改正する必要がある」と
する答申を文部科学大臣に提出しました。同答申は、昨年七月に「教育と文化を世界に開く会」の発表した声明が危惧したとおり、「日本の伝統・文化の尊重」
を謳い、「愛国心の育成」「復古的な道徳教育の強化」や「国家への奉仕・献身」の重要性を強調し、もう一方で、能力主義・競争主義・強者の論理による教育
再編を促す内容となっています。
私たちは、この中教審答申に以下の理由で反対し、このような答申に即して教育基本法を「改悪」しようとすることに抗議します。
1 「改正」の理由・根拠が非合理的かつ薄弱である
第一には、教育基本法を「改正」しようとする理由、根拠があまりにも非合理的かつ薄弱だということです。同答申は、日本社会や学校教育の抱える様々の問題
や課題なるものを列挙していますが、それらが教育に起因する問題なのか社会に起因する問題なのかを見極めることもなく、すべて教育基本法を変えれば解決・改
善されるかのように論じています。日本社会や学校教育の現状に様々の問題や課題があることは事実です。しかし、その多くは教育基本法を変えることによって解
決・改善・克服できるような性質のものではありません。それは、これまで多くの学問的研究や専門的経験が明らかにしてきたところです。
2 手続きがあまりにも異常かつ不適正である
第二には、教育根本法といわれる教育の基本を定めた法律の「改正」を答申するにしては、あまりにお粗末かつ不適正な審議に終始したことです。首相の私的
諮問機関である教育改革国民会議の「見直し」提言を受け、教育基本法の「改正」を前提とした見直しを、文部科学省の正式な審議会である中教審に形式的に諮
問し、定足数も無視して審議を強行し、議論がまとまってもいないのに、中教審事務局・文部官僚が作文したものを「中間報告」として公表しました。その後も、
例えば公聴会では「改正」賛成派に偏重した人選を行い、また、委員の補充に際しては諮問した側の文部官僚を答申する側に据えるなど、すべてのプロセスがこれ
までの常識では考えられないような異例かつ不適正な手続きで進められました。その結果、発表された答申は、これまでの中教審の歩みの中でも最悪と言っても過
言でないような、無知・偏見・独善に満ちた、特定のイデオロギー色の強いものとなっています。
3 時代錯誤の文化ナショナリズムと強者の論理により教育を歪めようとしている
第三には、時代錯誤の〈教育・文化ナショナリズム〉と〈強者の論理〉により教育を歪めようとしていることです。教育とは、一人ひとりの人間の自己形成を 促進し支援する営みであり、国家が特定の人間像を押し付け、その形成を図るといったものであってはなりません。しかし、同答申が示す基本法「改正」の要点 は、戦前・戦中の日本の教育が目的として掲げた「皇国民練成」と同質の「たくましい日本人の育成」という目的を掲げ、教育の条理を逸脱し、復古的で偏狭な 〈教育・文化ナショナリズム〉によって教育を歪めようとするものです。それは、教育への不当な介入を禁じた教育基本法一〇条に違反するものであります。 また、能力主義・競争主義による教育の再編を時代の要請・趨勢だとして主張しています。しかし、それは、〈強者の論理〉〈弱者切り捨ての論理〉による教 育の再編を企図するものであり、教育権を保障した憲法二六条や教育の機会均等を定めた教育基本法四条の理念を歪めるものです。
4 子どもの心、家庭に国家が過剰な介入をしようとしている
第四には、同答申が想定している教育基本法「改正」案は、子どもの心や家庭への国家の過剰な介入を促進・容認するものだということです。同答申は、
教育基本法に、「感性」「『公共』の精神、道徳心、自立心の涵養」「日本の伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養」
などを教育の理念として盛り込み、「家庭の責任、家庭教育の役割」を明記すべきだと提案しています。しかし、それは、子どもの心や家庭問題に国家が土足
で踏み込み、私生活への過剰な介入を容認・促進しようとするものです。それは、法が関与できる範囲、法が規定すべき範囲をはるかに超えています。それは
明らかに、日本国憲法や子どもの権利条約(一九九四年国内発効)に定められた「思想・良心の自由」、子ども・市民の精神的自由を侵害するものです。万一
このような答申に即して教育基本法が「改正」されることになるなら、それは憲法違反であり、実質的な改憲といってよい事態を引き起こすことになります。
今回の中教審が、こうした支離滅裂な戦後最悪の答申を出してしまった原因として、私たちは、中教審が、本来備えるべき最低限の専門的な機能すら放棄
してしまったことを指摘せざるをえません。それは、たとえば、法の限界や憲法に関する基本認識を欠いていることや、日本も批准し国内法として適用され
ている国連・子どもの権利条約や女性差別撤廃条約などの国際基準との調整を一切行っていないことなどに現れています。また、何事も適切な改革や政策を
提案するためには、その根拠となる実態や問題の分析が不可欠ですが、それさえ満足に行った形跡がありません。さらに、答申には、二一世紀の時代を展望
し、教育と社会の未来を構想するにふさわしい理念や理論のひとかけらも見られません。それどころか、データに基づく実証的な裏付けもなく「少年の凶
悪犯罪の増加」を煽り、「いじめ、校内暴力の『5年間で半減』を目指す」といった選挙公約%Iな政策目標を掲げてさえいます。
私たちは、この無責任さと見識のなさに慨嘆すると同時に、それは、同答申が政治のイデオロギー的な要求に基づいて官僚によって作文された結果である と考えざるをえません。このような戦後最悪の答申をもとにした教育基本法の安直な「改悪」を、私たちは認めるわけにはいきません。以上の理由により、 私たちは、ここに、この答申に反対を表明し、その撤回を求めるものです。
2003年3月20日
教育と文化を世界に開く会
<声明呼びかけ人>
辻井喬(作家)、暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)、藤田英典(東京大学教授、前教育改革国民会議委員)
<声明賛同人>
赤川次郎(作家) 田島泰彦(上智大学教授)
味岡尚子※(全国PTA問題研究会) 田中克彦(中京大学教授)
池辺晋一郎(作曲家) 俵義文※(子どもと教科書全国ネット21)
伊藤成彦(中央大学名誉教授) 鶴見俊輔(評論家)
伊藤比呂美(詩人) 永井憲一(法政大学名誉教授)
井上ひさし(作家) 中川明※(弁護士)
石井小夜子※(弁護士) 中川李枝子(作家)
梅原猛※(哲学者) 中山千夏※(作家)
海老坂武(関西学院大学教授) なだいなだ※(作家・精神科医)
大岡信※(詩人) 西田勝(元・法政大学教授)
岡部伊都子(エッセイスト) 西原博史※(早稲田大学教授) 尾木直樹※(教育評論家) 沼野充義(ロシア文学者・東京大学助教授)
奥地圭子※(東京シューレ) 灰谷健次郎※(作家)
加藤幸子(作家) 林郁(作家)
桂敬一(東京情報大学教授) 林光(作曲家)
鎌田慧(ルポライター) 針生一郎(和光大学名誉教授)
川田龍平※(人権アクティビストの会) 増田れい子※(エッセイスト)
喜多明人※(早稲田大学教授) 間宮陽介(京都大学教授)
栗原彬(政治社会学者) 水島朝穂(早稲田大学教授)
小森陽一※(東京大学教授) 水田洋(日本学士院会員)
佐高信(評論家) 宮内勝典(作家)
佐藤学※(東京大学教授) 三宅晶子(千葉大学教員)
杉原泰雄(一橋大学名誉教授) 宮田光雄(東北大学名誉教授)
瀬戸内寂聴※(作家) 牟田悌三※(俳優)
袖井林二郎(法政大学名誉教授) むのたけじ(ジャーナリスト)
高木敏子(児童文学作家) 毛利子来※(小児科医)
高橋哲哉(東京大学助教授) 山崎朋子(女性史・ノンフィクション作家)
高畑勲(アニメーション映画監督) 山中恒(児童読物作家・戦時史研究)
武田清子(国際基督教大学名誉教授) 湯川れい子(音楽評論家)
<発表後の追加>
木下順二(劇作家)
小中陽太郎(中部大学教授)
吉永春子(ジャーナリスト)
(五〇音順・敬称略、声明呼びかけ人と※の声明賛同人は七月発表声明の呼びかけ人)