中教審答申に対する抗議声明

教育基本法「改正」反対市民連絡会
2003.3.20

 本日、中央教育審議会が文部科学大臣に対して行った「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」と題する答申に対し、強く抗議します。 私たち教育基本法「改正」反対市民連絡会は、昨年11月14日、中教審の中間報告に対し、私たちの意見表明を行いました。また、つい先日の3月10日には「審議のなされないままでの最終答申、そして教育基本法『見直し』に強く抗議します」という文書において、杜撰な審議で市民の意見を聞いていない中教審は、答申を出さないよう要請しました。

  しかし、残念ながら、その声は届かなかったようです。

  確かに中教審は全国5ヶ所での公聴会を行いました。しかし、意見発表者は改正賛成の人を恣意的に選んだとしか思えない人選で、はなから私たちの意見など聞くつもりはないようでした。その後、有識者や教育関係団体等からの意見聴取も行いましたが、その人選もまったく疑問の残るものです。その上、基本問題部会もほとんど不成立で多くの委員が直接意見を聞いていません。パブリックコメントに寄せられた一般の人々の意見を、中教審の各委員は読んだのですか? あるいは「読んだ」だけで終わりにしていませんか?しかも、答申直前の3月12日になって、「意見提出窓口の設置」だなんて、形式だけ整えれば批判が出ないとでも思っているのでしょうか。

  今回の答申の中身をみるにつけ、私たちのように「見直し」に強い危惧を抱く市民の声が反映されたとは到底言い難く、憤りを感じないわけにはいきません。

  確かに子どもたちをめぐる状況は多くの「問題」をはらんでいます。しかし、それは子どもが問題なのでしょうか。いじめ、校内暴力、少年非行、不登校などから聞こえてくる子どもたちのSOS。そこから私たちが学び考え直さなければいけない大人社会のありようを棚上げにして、ことさらに、子どもたちをコントロールし管理し支配しようという教育基本法「見直し」は、問題の本質をまったく見誤っているばかりでなく、子どもの問題を口実に非常に危険な国家主義に走っていこうとするものです。

 自然を破壊し続けてきた大人が、どんな顔で「自然や環境」を言うのでしょうか。自らの歴史に責任をもたない大人が、どんな口で「伝統と固有の文化」「日本人としての自覚」を言うのでしょうか。嘘と欲にまみれた大人が「公共心」「規範意識」を言えるのでしょうか。在日外国人を差別し、子どもの権利条約をまったく実質化していない大人がどのような「国際社会」を目指すのでしょうか。国際舞台で戦争をできる国際社会ですか?

  はっきり言っておきます。

  一人ひとりの子どもは国家のために教育されるべきではありません。教育は一人ひとりの権利なのです。そして、この答申の内容で、問題が解決することもなければ、子どもたちが伸び伸びと生きる力を開花させて育っていくことはありえません。

  教育基本法前文には、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」とあります。個人の尊重がまず先にあって、その結果として平和的な国家及び社会の形成がありうるとする思想です。しかし、今回の答申では、「公」が強調され、あたかも個人はその「公」に奉仕する人格のない将棋の駒のような論調です。もっと具体的に言うなら、「個性の尊重」「多様性」「選択」という美名のもとに、人間を少数のエリートと文句も言わずそれを支える大多数の層に分け、そういう意味ではすべての人間をまさに「人材」におとしめようとするものです。このような子ども観、人間観は、どうしても容認することができません。人間をばかにするな! と声を大にして言いたい。

  また、「日本の伝統と文化の尊重」「郷土や国を愛する心の涵養」など、一人ひとりの心の内面にまで土足で踏み込むような方向性は、憲法で保障する思想・良心の自由、信教の自由などの基本的人権を侵害するものとしか言いようがありません。

  この答申では、教育内容に国家が踏み込んでくることが方向付けられています。これは教育基本法の根幹に関わる非常に大きな問題です。

  教育基本法は、そもそも戦前の軍国主義・超国家主義の教育への反省から制定されたものです。教育勅語に代わって、憲法の主権在民、基本的人権の尊重、平和主義の理想の実現は教育の力に待つべきものとの考え方でつくられた、準憲法的な意味をもつ非常に重要な法律なのです。にもかかわらず、何と軽々しい、何と思慮に欠ける扱いでしょう。教育基本法がもっている大きな意味、個人の尊厳、差別のない民主的で平和な社会、そういうものをこそ、今、世界は求めているのです。この答申は、それらに全く逆行するものです。そして、この教育基本法を変えることは、とりもなおさず憲法の本質を変えてしまうことになるのです。

  総じて、「国がやってはいけないこと」という大枠を定めた現教育基本法に対し、この答申は「教育振興基本計画策定が必要」など、国家が教育への権利を掌握し、国民一人ひとり、子どもの心や家庭にまで「こうあるべき」という在り方を押しつけて来るようなものだと言わざるを得ません。すなわち、教育基本法の存在意義そのものを大きく方向転換させるものです。

  現行法の一部を残すようにしてうまく批判を避けるつくりになってはいますが、「国家のための人材づくり」という方向性に向かって、すべての項目が練り上げられているのは明白です。

  一人ひとりの人間が尊厳をもって生きられる方向と全く逆行するこの答申に、強く強く、私たち市民は抗議します。

教育基本法「改正」反対市民連絡会