- 原文:「中国の国内統一が進行する中で、不平等条約によって中国に権益をもつ外国勢力を排撃する動きが高まった。それは中国のナショナリズムのあらわれであったが、暴力によって革命を実現したソ連の共産主義思想の影響も受けていたので、過激な性格を帯びるようになった。勢力を拡大してくる日本に対しても、日本商品をボイコットし、日本人を衝撃する排日運動が活発になった。」
[評](一) この記述は20年代に日本軍国主義の中国拡張に対する中国人民の反対を「排日運動」と称し、その原因を「暴力によって革命を実現したソ連の共産主義思想の影響」にし、中国に対する日本の侵蝕と拡張が中国人民の反抗の主因である歴史的事実を隠ぺいした。
(二) 「過激」という言葉で日本の拡張に対する中国民衆の正義な戦いを表現し、日本軍国主義が中国の東北地域で起こした様々な卑劣行為を正当化しようとした。
- 原文:「満州国は、五族協和、王道楽土建設をスローガンに、日本の重工業の進出などにより経済成長を遂げ、中国人などの著しい人口の流入があった。」
[評](一) 1932年7月、関東軍本部が制定した「満州経済編制根本方策案」に、「満州の重要事業が国策上重要な意義を有し、日本国の経営を理想とす」と明記した。この背景の下で、「満鉄」と「満業」など一連の日本資本の企業が中国東北の経済命脈を完全に掌握し、直接に日本の中国拡張と侵略戦争に貢献することになった。いわゆる東北地域の経済成長は、実際には、日本の対中侵略の戦争経済の成長である。
(二) 日本は中国の東北で大規模な略奪を行なった。統計によると、1931年から1944年まで、中国東北から2万2800万トン石炭、1200万トン粗鉄と大量の良質な木材が日本に運ばれ、石炭と粗鉄は当時中国東北の生産量の30%と40%を占めた。このほか、大量の戦略物資が日本軍の中国内陸部に対する侵略と太平洋戦争に直接使用された。
(三) 日本は偽「満州国」政権と結託し、東北地域に大量に移民した。統計によると、1932年から1936年7月まで、日本は五回にわたり、東北に移民し、71.7万人の日本人、87.7万人の朝鮮人を入植し、その後も断続的に30万人を入植した。日本軍が上記の移民のために強奪した農地は当時東北の耕地全体の十分の一以上を占め、大量の中国農民を苦境に追い込めた。いわゆる中国人が著しく東北に流入したということは、実は日本軍が強制連行や、詐欺などの手段で中国の華北地域から1200万人の中国人を東北に入れて労働力にした結果である。
(四) 日本軍は公然と国際法を違反し、東北で細菌戦の研究実験基地を作り、「731」部隊は大量の人間を人体試験に使い、無数の中国人を残害した。日本軍は大量の化学兵器を東北に埋蔵遺棄し、今でも現地の生態環境と人民の生命と財産の安全を脅かしている。
この教科書は以上の事実を隠蔽し、日本支配下の東北地域のいわゆる「繁栄」を極力喧伝することは、歴史的事実に対する重大な歪曲である。
- 原文:「日本軍は国民党政府の首都南京を落とせば蒋介石は降伏すると考え、12月、南京を占領した。(このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た。南京事件)」
原文:「この東京裁判では、日本軍が1937年、日中戦争で南京を占領したとき、多数の中国人民衆を殺害したと認定した(南京事件)。なお、この事件の実態については資料の上で疑問点も出され、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている。」
[評]前記の記述は残酷極める「南京大虐殺」を軽々しく描き、日本軍が南京城を占領した後、中国の平民と武器を放した捕虜に対して計画的に、6週間にわたる大規模な虐殺を実施した歴史的事実を隠ぺいした。
この教科書は「この事件の実態については資料の上で疑問点も出され、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている」と強調する意図は、ごく少数の異議を普遍的な論争であるかのように騒ぎ立て、読者が「南京大虐殺」の真実性と極東国際軍事法廷がこの歴史事実について下した結論に疑問を持たせようとすることにある。
- 原文:「国民党と手を結んだ中国共産党は、政権をうばう戦略として、日本との戦争の長期化を方針にしていた。日本も戦争目的を見失い、和平よりも戦争継続の方針が優位を占めて、際限のない戦争に入っていった。」
[評]当時、中国は国と人種の存亡にかかる民族的危機に瀕しており、中国共産党は「滅亡を救い、生存を図る」ために、抗戦を堅持した。この教科書はこれを「政権奪取のための戦略」と蔑称し、また「日本も戦争目的を見失い」との記述で日本軍国主義が発動した中国侵略戦争の本質を隠ぺいし、戦争長期化の原因を中国共産党が長期対日作戦を制定したことにするのは歴史的事実に対する重大な歪曲である。
- 原文:「1937年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋で、演習していた日本軍に向けて何者かが発砲する事件がおこった。翌朝には、中国の国民党軍との間で戦闘状態になった(盧溝橋事件)。現地解決がはかられたが、やがて日本側も大規模な派兵を命じ、国民党政府もただちに動員令を発した。以後8年間にわたって日中戦争が継続した。
同年8月、外国の権益が集中する上海で、二人の日本人将兵が射殺される事件がおこり、これをきっかけに日中間の全面戦争が始まった。」
[評]日本は中国全面侵略戦争を発動することはかねてから練り上げた陰謀である。1931年、日本は「9.18事変」を通じて中国の東北を占領した。1932年、「1.28事変」で、日本軍は上海を侵攻し、駐留した。1932年3月、日本は偽満州国傀儡政権を作り、東北を中国から分裂させようと図った。1935年、日本軍は南侵し、北平天津を脅かし、「華北五省自治」を画策した。日本が30年代から計画的に中国に対し全面的な軍事進攻を準備し始めたことは大量の歴史的事実によって明らかにされている。この教科書が「全面戦争開始のきっかけ」を二つの偶発的な事件に描いた意図は日本が計画的に中国全面侵略戦争を発動した事実を隠ぺいすることにある。
- 原文:「……日本はこれらのアジア各地域に戦争への協力を求め、あわせてその結束を示すため、1943年11月、この地域の代表を東京に集めて大東亜会議を開催した。会議では、各国の自主独立、各国の提携による経済発展、人種差別撤廃をうたう大東亜共同宣言が発せられ、日本の戦争理念が明らかにされた。」
[評]1943年、「大東亜会議」の出席者は主に日本侵略軍に支えられたアジアの各傀儡政権であり、アジアを代表することはできないし、「アジア各国の団結」を現すこともできない。この教科書の記述は読者に日本のアジア侵略はアジア各国人民の支持を得たかのように偽りの印象を与え、歴史的事実と合わない。
- 原文:「しかし、大東亜共栄圏のもとでは、日本語教育や神社参拝が強要されたので、現地の人の反発が強まった。また、戦局が悪化し、日本軍によって現地の人々が苛酷な労働に従事させられる場合もしばしばおきた。」
[評]日本の侵略者が「共栄共存」という隠れみのを以って、アジア各国で残酷な植民地支配を行い、各国人民の生命と財産に巨大な損害を与え、その暴行は教科書に触れた「日本語教育や神社参拝の強要」や「過酷な労働を従事させた」よりもはるかにひどいものであった。この教科書はこれをできるでけ回避し、軽々しく描き、薄めようとした。
- 原文:「この裁判は、日本が九カ国条約や不戦条約に違反したということを根拠にしていたが、これらの条約には、それに違反した国家の指導者を、このような形で裁判にかけることができるという定めはなかった。」
また、「平和に対する罪」は、自衛戦争ではない戦争を開始することを罪とするものであったが、こうした罪で国家の指導者を罰することも、それまでの国際法の歴史ではなかった。さらに、裁判官はすべて戦勝国から選ばれ、裁判の実際の審理でも、検察側のあげる証拠の多くがそのまま採用されるのに対し、弁護側の申請する証拠調べは却下されることが多かった。東京裁判で唯一国際法の専門家であったインドのラダ・ビノード・パール判事は、この裁判は国際法上の根拠を欠くとして、被告全員の無罪を主張した。しかし、GHQは、このパール判事の意見書の公表を禁じ、その他、いっさいの裁判への批判を許さなかった。」
[評]第二次世界大戦の主要な戦争犯罪者に対し国際的裁判をかけることは現代国際法の重要な発展である。1928年のパリ「不戦公約」は戦争を以って国家政策遂行の道具とすることを廃棄して、戦争犯罪の範疇を拡大した。1943年のモスクワ宣言、1945年の「ロンドン協定」と「ポツダム宣言」及びこれに基づいて制定された「欧州国際軍事法廷憲章」と「極東国際軍事法廷憲章」などの国際的法律文書はドイツ、日本の主要な戦犯に対する国際裁判に法律的原則を確定した。その中に、原則的には、国家元首或いは政府部門の責任者如何に関わらず、被告の公的地位は処罰の免除或いは軽減の理由と認めてはならないと特別に規定した。1946年12月11日、国連総会第95(T)号決議は「欧州国際軍事法廷憲章」の中に含む国際刑法原則(ニュレンバーグ原則)確認した。
東京裁判はニュレンバーグ裁判に続く、国際社会が戦争犯罪を処罰する重要な実践であり、ニュレンバーグ裁判と同等の重要な地位と意義を持つ。その裁判の原則は「ニュレンバーグ原則」及び他の関連国際法の原則と完全に合致し、国際社会に広く認められた。日本政府は1945年敗戦の時、「ポツダム宣言」を受け入れ、1951年の「サンフランシスコ講和条約」第11条の中でも「日本は極東国際軍事法廷及びその他日本国内或いは国外における同盟国戦争法廷の裁判の判決を受け入れる」と表明した。
この教科書は以上の歴史的事実を顧みず、歴史的事実を歪曲し誇張する手法で、軍国主義戦犯のために「冤罪」を主張し、読者に極東国際軍事法廷の裁判の合法性、権威性と公正性について疑問を持たせようとしている。