「つくる会」教科書の検定合格について
 〜教科書の裏口入学〜

上杉 聰


「通すための検定」が行われた

 「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)が主導した教科書が検定に合格したことを、マスコミは4月3日の夜からテレビ報道を始めた。翌朝には、新聞各紙も大きく取り上げた。各社、その報道姿勢は異なるとはいえ、多くの読者は「なぜこんなに問題ある教科書が検定を通ったのだろう?」と、つよい疑問を持ったのではないだろうか。それは、「通すための検定」が行われたからであった。
 例をあげたい。「つくる会」による中学校社会科「歴史」教科書の検定申請本ーー直接には扶桑社が申請したーーに、137カ所の「検定意見」が付けられた(「検定意見」とは、「検定基準」(文部省告示)にしたがって検定申請本のうち、訂正すべきカ所とその理由を示したもの)。今回申請した全8社の歴史教科書に示された検定意見数は、次のようであった(検定受理番号順)。

  東京書籍 18 日本文教出版 41 日本書籍 35 大阪書籍 13 
  扶桑社 137 帝国書院 29 清水書院 22

     つまり「つくる会」(扶桑社)の歴史教科書に加えられた検定意見は、もっとも少ない大阪書籍の10倍以上におよび、2番目に多い日本文教出版と比較しても3倍以上であり、その多さ異常である。
 しかも、扶桑社の場合、上では1点に数えられているにすぎないが、1ページ全体やそれに近い訂正を指示されたものも多い。その場合、ほぼ1ページを書き替えることになるが、そうした修正は、合計で31ページにもわたっていて、「つくる会」の教科書1冊は328ページなので、約1割ちかい分量になる。これだけの大量の記述が改変されると、新たに他のカ所との不整合が生じ、関連して修正しなければならないカ所がさらに多数出てくる。その数は膨大となった。
 重大なことは、修正そのものが不十分にしかなされていない場合が非常に多かったことであり、稀には、改悪されたカ所さえ見られたことだ。ただし、2月下旬ころから強まってきた韓国や中国からの批判をかわすために、その問題となりそうな所にだけ特別な修正を新たに加えた。つまり、今回の検定では、各社に修正のチャンスを計2回、つまり第2次まで与えたが、第3次の修正を、ほとんど「つくる会」教科書のみを対象に追加することさえ行った(教科用図書検定調査審議会第二部会[社会科]の「部会長預かり」名による)。このため当初、社会科教科書の検定通過は2月28日に予定されていたが、約1か月遅れて、今回の発表になったものである。検定合格させるための「特別の計らい」であった。

裏口入学させたシフト

 3月初旬には緊急事態も起こった。韓国から金鍾泌・元首相(韓日議連会長)が教科書問題の申し入れを行うため、急きょ来日することになった。そこで政府は、3月4日、それまで政府寄りの立場をとってきた時事通信のみに、極秘となっていた第1次修正の内容を流したのである。時事通信は、それを内外のマスコミ各社に配信した。検定内容がその審議中に漏れるなどということは、戦後初めてのことであった。しかも、この日は日曜日で、時事通信社から情報を得た新聞各社はあわてた。文部科学省に情報の真偽を確認することさえ容易にできなかったからだ。
 こうした観測気球を上げる一方で、読売新聞にだけ、第2次修正の内容を流して準備した。
 韓国の中央日報は、時事通信の情報を受けた翌日、たとえば「つくる会」の教科書が韓国併合を「東アジアを安定させる政策として欧米列強から支持された」と書いていた問題部分について、検定によって「表現が多少変わったが、そのまま残っている」と、すぐさま批判した。観測気球への反応があったことになる。金鍾泌元首相は、この時事通信情報と韓国マスコミの反応を知った上で7日に来日したであろう。
 ところが、上の中央日報の批判記事は第1次修正の情報にすぎなかった。第2次修正は、たとえば中央日報が批判した上のカ所を、さらに改善していたのである。政府は、韓国に伝えられていない読売新聞が書いた極秘情報を金氏により詳しく与え、「記述はさらによくなっている」と説得したと考えられる。こうして「検定を不合格にするように」という海外からの要求をかわし、字句修正の問題に持ち込んだものと思われる。
 これら検定の極秘情報を流したのは、文部科学省でなく、内閣官房であったと伝えられている。つまり政府の中枢の一角が動いたことになる。森喜朗内閣が、「つくる会」の教科書を通すためにいかに特別な努力を行ってきたか、またいかにマスコミをコントロールしたか、よくわかる。「つくる会」教科書を検定合格させるシフトの一端は、すでに『いらない!「神の国」歴史・公民教科書』(明石書店、17ページ)において、町村文部科学大臣の存在に触れたが、森内閣の中枢にもそれが及んでいたことをここに付け加えたい。

「不合格!」の声は封じられた

 「つくる会」教科書には「通すための検定」がなされ、ただちに国際問題になりうるカ所についてのみかなり修正したものの、十分に修正されていないカ所を多く残すことになった。現に文部科学省は、上の137点以外に非常に多くの問題部分を見逃している。検定に直接タッチした教科書調査官は、「あまり各社(の検定を)厳しくやると、扶桑社の検定意見が多くなり過ぎるから」(『毎日新聞』4月4日)と、検定全体をゆるめたことを述懐している。「つくる会」の教科書は、もし公正な検定が行われたならば、今以上に多くの訂正カ所を抱えていたことになる。
 つまり、これは検定不合格となってもしかたない教科書であった可能性さえある。現に、昨年の10月に、文部省の教科用図書検定調査審議会のメンバーであった元駐インド大使の野田英二郎氏は、「つくる会」の歴史教科書を不合格とする主張をしたという(産経新聞2000年10月13日)。
 野田氏は、そうした主張をしたことを理由に、産経新聞の批判報道や自民党の教科書に関する分科会(KSDで逮捕された小山孝雄氏が座長)などの圧力によって、同月末に更迭された(東京新聞2000年10月31日)。
 教科用図書検定調査審議会とは、教科書の「合否を(文部科学大臣に)答申」することを任務とするものであり、その委員が教科書について、その合否を含めて意見を述べることは務めの一つであり、まったく問題はない。現に文部省は、「不正行為はなかった」(同前)とし、大島文相も「明確な法令違反とはいいがたい」(産経新聞10月31日夕)としていた。にもかかわらず、政治の圧力によって更迭されたことにより、同審議会では「つくる会」教科書に批判的な発言は以後行われなくなったと考えられる。
 本来ならば、申請された教科書があまりにも不出来の場合、検定意見さえ付けられず、一発で不合格になる場合がある。ところが「つくる会」教科書はそうした処置を、政治家などの力によってかろうじて免れ、同年12月、文部省は137カ所の検定意見を告げたのである。つまりこの時点で、部分修正させることによって同教科書を検定合格にする方向が打ち出されていたことになる。直後に、「つくる会」は検定意見を全面的に受け入れることを決定し、今回の事態を迎えたのである。
 ところで、上で更迭された野田委員は、外務省の推薦によってメンバーとなった人物であり、同じ形で「公民」教科書の担当にもう一人、外務省関係者がいた。「教科用図書検定調査審議会令」の第2条は、「委員は…学識経験のある者および関係行政機関の職員のうちから」任命するとあることによるもので、とくに近隣諸国条項にかかわって外務省関係者の位置は重要になっていた。ところが、上の二人は、その後、今年1月の省庁再編にともなう整理を口実に再任されず、現在は同省の関係者は皆無になっている。さらに今年に入ってからは、機密費をめぐる外務省叩きが加わることにより、同省の教科書に対する発言力は極端に低下しているのが現状である。
 「つくる会」の教科書を車両にたとえるならば、あまりに多くの欠陥部品を組み込んだ「欠陥車」は、ついに自由に走り回ることが許されることになった。本来は不合格となってもしかたない車を、一部の修繕のみで文部科学省が「安全な車」と太鼓判を押し、走行許可を与えた。事故についての責任のすべては、森内閣にある。

この教科書では受験に落ちる? 〜設計図は装甲車〜

 そもそもなぜ「つくる会」の教科書には、こんなに欠陥記述が多かったのだろうか。その一つは、歴史や教育に通じていない偏狭な右翼的思想を持つ執筆者たちが集まって、これまでの研究や教科書作りの蓄積などを無視し、慣れない上にあわてて作成したから、という理由があげられるだろう。たとえば、白表紙本には「関東大震災」や「治安維持法」などの受験用語さえ無かった。真珠湾攻撃を行った海軍機動部隊長を「山本五十六長官」(本当は南雲忠一中将)と書き、検定で初歩的な誤りと修正された。高校や大学受験などまったく考えていない右翼文化人が、この教科書の執筆者なのである。
 また、今回検定を通過した他の七社は、すべて本の作りを大きくしている(B5判)が、扶桑社だけ旧来のA5判であり、たいそうに小さく、ビジュアル性や迫力だけみても、他社と著しく劣っている。これらは、教科書づくりに習熟していないことからくる「欠陥」である。こうした教科書を使わされる子どもたちは不幸であろう。
 だだ、なんといってもこの教科書の最大の問題はーーふたたびこの教科書を車両にたとえるならばーー設計図から来ている。多数の欠陥部品が生じた理由は、設計に由来しているのである。つまりこれは、もともとは装甲車か戦車として設計されていたものであり、平和な日常社会を走る自動車には不釣合いな部品からなっていたためである。その一部を検定が、自動車に合うよう交換してみたり、外装を変えてはみたものの、設計図そのものが変わっていないため、時期が来ればーーたとえば、世論のほとぼりが冷めるのを待って四年後の検定の際にはーー完全に装甲車か戦車の姿となって現れることだろう。
 文部科学省の検定は、そのカモフラージュに手を貸したことになる。

 「つくる会」の二冊の教科書が、多少の修正を受けてもなお、どのような問題設計(構造)になっているか、それついての分析と批判は、次回に行いたい。

  了