【取り組み01】
普天間基地撤去、辺野古移設反対 転機をむかえた沖縄の反基地運動(04年9月12日)

 

普天間基地撤去、辺野古移設反対 転機をむかえた沖縄の反基地運動

3万人が「基地撤去」の声
 9月12日、沖縄国際大学のグランドで、「沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落に抗議し、普天間飛行場の早期返還を求める宜野湾市民大会」が開催された。「ほしいのは平和」、「人殺しのシマなんていらない!!」・・・。様々なプラカードを持った人たちが集まってくる。入り口では、大学生が「基地撤去」の署名を集め、若者たちがエイサーを踊る。会場は、県内各地から集まった人びとで一杯になった。
 海兵隊普天間基地所属のCH53D型ヘリが墜落したのは、このグランドから100メートルと離れていない場所。墜落する際にヘリが接触した本館ビルは側面が黒く焼け、建物の周囲に生えている木々も折れている。墜落現場と道を一本隔てた向こう側は、アパートの並ぶ住宅地。人的被害が無かったことは「奇跡」としか言いようがない。
 「今回の事故は、最後の警告」。伊波洋一宜野湾市長は、市民の生命を脅かす基地の危険性を訴えた。市議会議長、PTA・自治会・婦人会、小・中・高校生、大学生、青年団と続く発言もみな、基地の街に住む危機感を語った。この日の集会には、3万人が参加。宜野湾市の人々は「普天間基地撤去」で一つになった。

辺野古への基地移設を許さない
 今回の墜落事故で、軍事基地は危険なことが証明された。しかし日本政府は、その危険な基地を名護市辺野古沖に移設しようとしている。
 9月9日早朝、基地建設のためのボーリング調査を阻止する緊急集会が、辺野古で開催された。県内各地や本土からの支援者も含め、200人以上の人々が集まった。沖縄出身の野党国会議員や、市民グループの代表が次々と「調査阻止」の決意を訴える。辺野古に近い米軍キャンプ・シュワブのゲート前では、キャンプ・シュワブ側からの調査船出向を阻止するために、沖縄平和運動センターが阻止線を張る。
 ところが、反対派の多さに、辺野古からの調査船出航を断念した防衛施設局は、遠く離れた南部の漁港から調査船を出航させたのだ。反対派はその後連日、カヌーやチャーターした漁船を繰り出し、海上での阻止行動に取り組んでいる。

沖縄と本土、思いを一つに

 95年の米兵による少女暴行事件と、米軍用地の強制使用を契機とした沖縄の人々の闘いは、SACO合意と沖縄特措法に解消されてしまった。あの時、本土でも多くの集会が持たれた。しかしその後、本土の反戦・反基地運動は、どれだけ沖縄に関わってきただろうか。沖縄の新聞の読者欄には「基地はいらない」「小泉首相は許せない」といった市民の声が、毎日掲載される。しかし沖縄の思いは、本土のマスメディアを通しては伝わってはこない。沖縄と連帯した反戦・反基地運動を、一から作り直すことが、いま求められている気がする。


沖縄国際大学のグランドに、3万人が集まった。

那覇防衛施設局の職員に、基地建設反対を訴える(辺野古)



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