在日米軍再編の現状
2009年4月16日


はじめに

(1)米軍再編とは
 米国は現在、海外にある米軍基地の再編成を進めています。冷戦期間中を通して、米国の主要な敵はソ連・東欧諸国を中心にしたヨーロッパの社会主義国と、中国・北朝鮮・ベトナムなどのアジアの社会主義国でした。米国はヨーロッパでの世界戦争と、アジアでの中規模戦争を想定して、この2つの地域に大規模な軍隊を固定的に配備していました。
 しかし冷戦の終焉によって、世界戦争の危機は遠のきました。代わって現れた、米国にとっての新しい脅威は、イラン・イラク・リビア・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)などの中小の軍事国家や、国際的なテロ組織です。これらの国々やテロ組織は、主にアフリカ大陸東岸から東北アジアに集中していることから、米国はこの地域を「不安定の弧」と名づけて反米的な地域紛争が発生した場合には即座に介入するとしました。
 ソ連や中国との戦いには、相手の正面に大部隊を配備することで備えてきました。しかし新しい脅威は、いつ、どこで、どの国が戦争を起こすか、どのグループがテロを起こすか分かりません。あらかじめ敵の正面に部隊を配備することができなくなったのです。そこで米国は新しい脅威に対応するため、海外に展開する基地の見直しを行うことになりました。これが米軍再編です。

 米国は以下のような形で、海外にある基地の再編を進めています。

  @海外に駐留している米軍兵士20万人のうち、10万人を米本国に引き上げる。
  Aドイツや日本などの同盟国に「主要作戦基地」をおき、一定数の部隊を恒常的に配備する。
  B紛争が予想される地域の同盟国に「前方作戦基地」をおき、少数の部隊を交代で配備する。
  C紛争が予想される地域の周辺国に、米軍が利用できる空港や港湾施設などの「協同安全保障施設」をおき、通常は部隊を配備しないが戦時には部隊を配備して拠点とする。

 米国は@本国の基地、Aいくつかの「主要作戦基地」、B多くの「前方作戦基地」、C更に多くの「協同安全保障施設」――をおく事で、「不安定の弧」全体をカバーする米軍基地のネットワークを作ろうとしています。
 その上で「不安定の弧」のどこかで地域紛争が発生した場合には、@→A→B→Cの順番で米軍部隊を移動させるのです。
 米国政府は、本国から紛争地点へ向かう米軍の動きが、蓮の葉の上をカエルが飛び渡る様子に似ていることから、「蓮の葉戦略」と名づけています。


(2)在日米軍の現状
 在日米軍司令部の公式サイトによれば日本には現在、約50,000人の米軍兵士が駐留しています。内訳は、陸軍・約2,000人、海兵隊・約16,000人、海軍(地上勤務)・約6,000人、海軍(第7艦隊)・約13,000人、空軍・約13,000人――です。在日米軍は全国85か所の基地や演習所を、専用施設と使用しています。内訳は本土・52か所、沖縄・33か所です。またこの他にも多くの自衛隊施設・演習場を使用することができます。

 米国は10隻の原子力空母を保有していますが、海外に配備されているのは神奈川県の横須賀港を母港としているジョージ・ワシントン1隻だけです。横須賀港にはジョージ・ワシントン以外にも、第7艦隊旗艦・揚陸指揮艦のブルーリッジやイージス艦9隻が母港配備されています。91年の湾岸戦争、01年のアフガニスタン戦争、03年のイラク戦争では、横須賀に駐留する空母や戦闘艦船が攻撃の中心を担いました。また米国は4つの海兵隊遠征軍を保有していますが、このうち海外に展開しているのは沖縄県に司令部を置く第3海兵遠征軍だけです。海軍と海兵隊にとって日本の基地は、他の同盟国には類を見ない重要な出撃拠点です。
 一方、在日米陸軍は大規模な実戦部隊を保有しません。また在日米空軍も青森県の三沢基地と沖縄県の嘉手納基地に戦闘機部隊を配備していますが、中心は東京の横田基地に駐留する輸送部隊です。


(3)在日米軍再編の経緯
 在日米軍再編にかかわる日米協議や国内法の整備は、以下の経過で進みました。

2001年 2月 ブッシュ大統領が演説。米軍の機動性・迅速性の強化を訴える。
      9月 米国で「9・11同時多発テロ」が発生。
2002年12月 米国ワシントンD.C.で日米安全保障協議委員会(2プラス2)を開催。日米防衛態勢の見直しで合意。
2003年 2月 米国ワシントンD.C.で日米外務次官級戦略協議を開催。 在日米軍兵力構成協議の開始を合意する。
      3月 米同盟軍によるイラク侵攻が始まる。
     11月 ブッシュ大統領が演説。米国の軍事態勢の見直しを正式に表明。
2005年 2月 米国ワシントンD.C.で2プラス2を開催。 「共同発表」を公表。
     10月 米国ワシントンD.C.で2プラス2を開催。  「日米同盟:未来のための変革と再編」(いわゆる中間報告)を発表。
2006年 5月 米国ワシントンD.C.で2プラス2を開催。 「再編実施のための日米のロードマップ」を発表。
2007年 5月 米国ワシントンD.C.で2プラス2を開催。 「同盟の変革:日米の安全保障及び防衛協力の進展」(いわゆる最終報告)を発表。
          「米軍再編特措法」が参議院で可決され成立。
2009年 2月 米国のクリントン国務長官が来日して中曽根外務大臣と会談。 「海兵隊グアム移転協定」に調印。
      4月 「海兵隊グアム移転協定」の承認に関する国会審議が始まる。


重要文書の内容
●「共同発表」(05年2月19日)
  日米の「共通の戦略目標」と「日米安保の防衛協力の強化」で合意した。
●「日米同盟:未来のための変革と再編」(05年10月29日)
  共通の戦略目標に対処するため、日米の「役割・任務・能力」で合意した。
●「再編実施のための日米のロードマップ」(06年5月1日)
  「在日米軍および関連する自衛隊の再編」について合意、具体的な内容を示した。
●「同盟の変革:日米の安全保障及び防衛協力の進展」(07年5月1日)
  「共通戦略目標」、「役割・任務・能力」、「再編ロードマップ」、「BMD及び運用能力の強化」、「BMDシステム能力の向上」など、米軍再編に関する全ての分野で最終的に合意した。
●「米軍再編特措法」(07年5月23日)
  @在沖海兵隊のグアム移転に伴うグアム基地建設費用の一部を日本が負担する、在日米軍再編に際して基地の強化を受け入れる自治体へ交付金を交付する――ことの支出根拠を法律で定めた。
●海兵隊グアム移転協定(09年2月17日)
  @在沖海兵隊のグアム移転に伴うグアム基地建設費用の一部を日本が負担する、海兵隊のグアム移転は普天間基地の代替施設を名護市辺野古に建設した後に実施される――ことを日米両国で合意した。


1.「再編実施のための日米のロードマップ」に記載された事項
 在日米軍再編に関して日米政府が合意した具体的な事項は、06年5月の「ロードマップ」に記載されています。以下は「ロードマップ」に書かれた事項の進捗状況を、1項目ずつまとめたものです。

(1)普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設(期限:2014年)

在日米海兵隊・普天間基地
 米海兵隊普天間基地は沖縄県宜野湾市にあり、第3海兵遠征軍・第1航空団に所属するヘリコプター部隊や空中給油機部隊が配備されています。基地が市の中心部にあり市面積の25パーセントを占めていることから、市の一体的な開発・発展を妨げてきました。また宜野湾市民は航空機による騒音被害を受けると共に、墜落事故などの危険にさらされてきました。

これまでの経緯
 1995年9月4日、3人の海兵隊員が、12歳の少女に性暴力をふるう事件が発生しました。米軍に対する県民の怒りが爆発し、10月21日には8,000人が参加して「県民総決起大会」が開催されました。また96年9月8日には「日米地位協定の見直しと基地の整理縮小を問う県民投票」が行われて、有権者の過半数が地位協定の見直しと基地の整理縮小に賛成票を投じました。日米政府は、沖縄県民の怒りが日米安保を脅かすことを恐れ、「SACO(沖縄に関する特別行動委員会)」を設置して基地の整理・縮小を検討しました。SACOは1996年12月2日に最終報告を取りまとめ、その中で日米政府は普天間基地の返還で合意したのです。

 ところが普天間基地の返還は、沖縄県内の別の場所へ基地を移設することが条件でした。日米政府が新たに基地を建設する場所を名護市辺野古沖の海上としたことから、辺野古では住民による反対運動が沸き起こりました。1997年12月21日、名護市では「ヘリ基地建設の是非を問う名護市民投票」が行われて、条件付反対票と反対票が過半数を占めました。翌98年2月8日に行われた名護市長選挙では、基地建設容認派の市長が当選しましが、辺野古地域の住民は労働組合や市民団体の支援を受けて基地建設を阻止し続けました。

 2004年8月13日、普天間基地所属のヘリコプターが、隣接する沖縄国際大学に墜落しました。幸い死者は出なかったものの、宜野湾市をはじめとして沖縄県内では、普天間基地の閉鎖の声が大きく上がりました。そうした中で同年11月、防衛施設局は新基地建設を進めるために、ボーリング調査用の「やぐら」を、辺野古沖の海上に組み立てました。しかし住民や支援者による海上での阻止行動によって防衛施設局は調査を行うことができず、05年9月にやぐらを撤去しました。

 2005年10月、日米政府は基地建設の基本計画を変更しました。原案の海上基地をあきらめ、辺野古岬の米海兵隊キャンプ・シュワブの敷地内から沖合に延びる基地(沿岸案)へと変更したのです。06年4月には、辺野古集落の上空をヘリが飛ばないようにするためとの理由で、離陸用・着陸用の2本の滑走路を持った基地の設計案(V字型滑走路案)を示しました。しかし「V字型滑走路案」に対しては反対派住民だけではなく、保守系の県知事や名護市長も反対を表明しました。県知事が反対しているために、那覇防衛施設局は新基地建設のための環境影響調査(アセスメント)に、法的に着手することができませんでした。

在日米軍再編での合意
 2006年5月1日の「ロードマップ」では改めて、普天間基地の代替施設を名護市辺野古岬に建設すること、2014年が完成目標であることが確認されました。

最近の状況
 07年5月18日、那覇防衛施設局は環境影響調査の事前調査を、脱法・違法を承知で強行してきました。この時には海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」が派遣され、海上自衛隊のダイバーが調査に協力しました。

 新たな建設計画に基づき、2007年8月に沖縄防衛局は「名護市辺野古への新基地建設に関する環境影響評価(アセスメント)方法書」を作成し、公告縦覧を開始しました。08年1月、知事の諮問をうけてアセスメント方法書を審議していた「県環境影響評価審査会」は、方法書の内容がずさんなことから、書き直し・再審査を求める答申書をまとめました。08年3月、沖縄防衛局は修正を加えた方法書・確定版を提出、3月15日からアセスメントのための調査が開始されました。この調査は09年3月14日まで1年間実施されました。防衛省は今後、調査結果と基地建設の影響を予測した「準備書」を作成し県に提出、その後に「評価書」を策定した上で事業を実施することになります。

 沖縄県では、2008年6月に実施された県議会議員選挙で与野党が逆転しました。社民党・社大党・民主党・共産党などが多数派となった県議会は7月に、普天間基地の辺野古移転に反対する決議を賛成多数で採択しました。
09年2月17日、クリントン国務長官が来日し、中曽根外務大臣と会談。両者は「海兵隊グアム移転協定」に調印しました。この協定は、米国領グアムに建設する米軍基地の建設費用の一部を日本が負担することと、普天間基地の代替施設を名護市辺野古沖に建設することを確定させるものです。沖縄県内では、強い抗議の声が上がりました。県民の声を明らかにするために、3月25日には県議会が「グアム移転協定に反対する意見書」を賛成多数で採択しました。

 防衛省は、辺野古沿岸での基地建設に向けた動きを続けています。しかし県議会では、野党多数で新基地建設に反対しています。また辺野古現地では地域住民・労働組合・市民団体が連日の抗議行動を行っています。こうした中で県民の声を無視して、基地建設に着工することは難しいと思われます。


(2)在沖海兵隊員8,000人・家族9,000人のグアムへの移転(期限:2014年)
沖縄の海兵隊
 米国は、第1海兵遠征軍・第2海兵遠征軍・第3海兵遠征軍・第4海兵遠征軍(予備役)の、4つの海兵隊部隊を保有しています。このうち海外に展開しているのは、日本に駐留している第3海兵遠征軍ただ1つです。在日米軍司令部の公式サイトによれば、日本駐留海兵隊員の数は約16,000人です。このうち沖縄県駐留の海兵隊員数は、沖縄県の調べによれば13,200人、また海兵隊員の家族の数は8,200人です。

在日米軍再編での合意
「ロードマップ」では沖縄駐留海兵隊員のうち、兵士8,000人と、家族9,000人をグアムに移転するとしています。移転の対象となる部隊は以下の通りです。
  ●第3海兵遠征軍・指揮部隊  ●第3海兵後方支援群・司令部  ●第1海兵航空団・司令
  ●第12海兵連隊・司令部

 一方で沖縄県に残る部隊は、以下のように記載されています。
  ●司令部、陸上、航空、戦闘支援及び基地支援能力といった海兵空地任務部隊の要素

 また沖縄に駐留する海兵隊部隊をグアムに移転するに際して、米国が新たにグアムに建設する基地の建設費のうち、日本政府が60.9億ドルを負担することも約束しています。

最近の状況
「ロードマップ」と「海兵隊グアム移転協定」で約束された海兵隊の移転には、不明瞭な点があります。1つは8,000人の海兵隊員がグアムに移転した後に、何人の海兵隊員が沖縄県に残るのかという問題です。「ロードマップ」は移転人数を8,000人としていますが、残留人数は記載していません。日本政府は当初、沖縄駐留海兵隊の定数は18,000人であり、8,000人が移転した後には10,000人が残るとしていました。一方で在日米軍は05年9月段階で、在沖縄海兵隊の実数を12,530人と発表していました。ここから8,000人が移転すれば、残留する海兵隊員は4,530人になります。

衆議院外務委員会では4月3日、「海兵隊グアム移転協定」に関する審議が行われました。社民党の辻元清美議員からの実際の削減数について質問に対して、答弁に立った梅本和義・外務省北米局長は、『協定に記した8000人の削減数は、現状の定員1万8000人から1万人にするものだとし、削減時の実数ではないと説明。「具体的にどの部隊から何人動かすかは米国側が積み上げないと分からない」とした。移転する段階で沖縄駐留要員が定員に満たない場合は、移動人員が8000人を下回ることも「理論的には成り立つ」と述べた』とのことです。(琉球新報インターネット版・09年4月4日)また審議の中で政府は、海兵隊が沖縄からグアムに去った後、別の米軍部隊が沖縄に来る可能性も否定しませんでした。

海兵隊グアム移転関連の費用
グアムへの基地建設費用として日本政府は、09年度予算に346億円を計上しました。なお、米国がグアムに建設する基地の建設費と、日本負担の内訳は以下の通りです。

 ●新基地建設費・家族住宅等建設  総額 1兆1800億円(102.7億ドル)
  ◎日本政府の負担             7000億円( 60.9億ドル)※全体の59%
 (内訳)
   ○基地建設・生活施設建設        3220億円
   ○家族住宅建設             2930億円
   ○基地内のインフラ整備          850億円


(3)嘉手納基地以南の基地の返還と、自衛隊との共同使用
在日米軍再編での合意
 「ロードマップ」では、普天間基地の移転と海兵隊のグアム移転によって、嘉手納基地以南の相当規模の土地返還が可能になるとしています。米軍が返還対象として検討しているのは、以下の6施設です。

  ●キャンプ桑江・全面返還  ●キャンプ瑞慶覧・部分返還と統合
  ●普天間飛行場・全面返還  ●牧港補給地区・ 全面返還
  ●那覇港湾施設・全面返還  ●陸軍貯油施設第1桑江タンクファーム・全面返還

 「ロードマップ」はこれらの施設の返還について、「2007年3月までに、統合のための詳細な計画を作成する」としていました。
しかし07年5月に発表された「同盟の変革:日米の安全保障及び防衛協力の進展」では、『閣僚は、「ロードマップ」に従って、目標の2014年までに普天間飛行場代替施設を完成させることが、第3海兵機動展開部隊のグアムへの移転及びそれに続く沖縄に残る施設・区域の統合を含む、沖縄における再編全体の成功裡かつ時宜に適った実施のための鍵であることを再確認した。閣僚は、統合のための詳細な計画に関する重要な進展を認識し、その完成に向けて引き続き緊密に協議するよう事務当局に指示した』と表記されました。

沖縄米軍基地返還の手順
 これによると嘉手納基地以南の基地の返還は、以下のような手順を踏むことになります。

@辺野古新基地の建設→A普天間基地の返還→B嘉手納以南の基地の返還・整理

 辺野古新基地が完成しなければ、普天間基地をはじめとした基地の返還・縮小と、海兵隊のグアム移転は行われないことになっています。一方でグアムでの日本の建設費支出による新基地建設は、沖縄の進捗とは係わりなく進むのです。


(4)キャンプ座間への米陸軍第1軍団司令部の移転(期限:2008年)
在日米陸軍・キャンプ座間
 在日米陸軍兵士の数は、約2,000人です。空軍・海軍・海兵隊の3軍と異なり、実質的な戦闘部隊は配備されていません。在日米陸軍兵士のほとんどは、神奈川県の座間市と相模原市にまたがるキャンプ座間と相模原市の相模総合補給廠に配備されています。また一部が、沖縄県嘉手納基地の高射砲部隊(地対空ミサイルPAC―2とPAC―3を運用)と、同じく沖縄県トリイ・ステーションの特殊部隊に所属しています。
 これまでキャンプ座間には、在日米陸軍司令部と第9戦域支援集団が置かれていました。この部隊は、東北アジア地域で戦争が発生した場合に、米本国からの実戦部隊を受け入れるための準備が主要な任務です。また相模総合補給廠は、東北アジア地域での戦争に際して使用する武器を貯蔵するための施設です。

在日米軍再編での合意
「ロードマップ」では米陸軍第1軍団司令部をキャンプ座間に移転することと、新設する陸上自衛隊中央即応集団司令部をキャンプ座間に設置することで合意しています。また相模原総合補給廠に、戦闘指揮訓練センターを建設することも決まりました。
米陸軍第1軍団司令部は、米国ワシントン州フォートルイスに拠点を置く部隊です。アジア太平洋地域で戦争が発生した場合に陸軍部隊の指揮をとることが任務です。配下には、第2歩兵師団をはじめとした実戦部隊が配備されています。

最近の状況

 座間・相模原両市は、市長や市議会を先頭に反対運動を行いました。また地域住民によるさまざまな反対組織が作られ、行政・議会・市民が一体となった反対運動が沸き起こりました。現在は市長の交代や、米軍再編合意を受け入れない自治体に対しては国が補助金を出さないなどの財政的な締め付けにより、座間・相模原両市ともに立場を転じました。
しかし広範な反対運動が巻き起こったことによって、キャンプ座間では07年12月に陸軍第1軍団司令部(前方)が100人規模で発足しましたが、当初の予定であった司令部全体の移転はめどが立っていません。
また相模総合補給廠では09年4月2日、戦闘指揮訓練センターの着工式が行われました。この着工式に対しては同日早朝から、神奈川平和運動センターや地域の反対運動による抗議行動が行われました。


(5)航空自衛隊航空総隊司令部および関連部隊の横田基地への移転(期限:2010年)
在日米空軍・横田基地
東京都にある横田基地には、在日米空軍司令部(第5空軍司令部)が置かれています。また、C−130輸送機などを運用する第374航空輸送団が配備されています。在日米空軍の戦闘機部隊は、青森県の三沢基地と沖縄県の嘉手納基地に配備されており、横田基地には配備されていません。

在日米軍再編での合意
 「ロードマップ」では横田基地に、航空自衛隊航空総隊司令部を移転し、防空とミサイル防衛に関する調整を行う日米共同統合運用調整所を設置することが決まりました。

最近の状況
 08年2月15日には横田基地で、「航空自衛隊航空総隊司令部の米軍横田飛行場への移転推進式」が行われています。


(6)厚木飛行場から岩国飛行場への米海軍空母艦載機の移駐(期限:2014年)
在日米海軍・厚木基地
 神奈川県にある厚木基地には、横須賀港を母港とする原子力空母ジョージ・ワシントンの空母艦載機部隊(第5空母航空団)が駐留しています。ジョージ・ワシントンが航海に出ている間は、空母艦載機部隊も行動を共にしています。しかし空母が横須賀港に帰港している間は、空母艦載機は厚木基地に移動して訓練を行っています。厚木基地は、綾瀬市や大和市の住宅街に隣接し、また離着陸に際して飛行する航路下にはさらに多くの市があることから、爆音や事故が常に問題になっていました。過去には厚木基地を飛び立った戦闘機が民家に墜落し、市民が犠牲になる事故も起きています。地域の住民が国を相手に起こした「厚木基地爆音訴訟」では、4回にわたって爆音が違法状態にあるとの判決が下りました。

在日米軍再編での合意
 「ロードマップ」では、厚木基地の空母艦載機部隊を山口県岩国市の岩国基地へ移転することで合意しました。岩国基地には現在、海兵隊所属の航空機が約60機配備されています。ここに、厚木基地から航空機は59機(これは所属機の定数であり、予備機などを含めた実数はさらに多くなると思われます)、普天間基地からは空中給油機12機が移転することになりました。

これまでの経緯
 在日米軍再編合意当時の岩国市長であった井原勝介さんは、日米安保と岩国基地を認める立場でした。しかし、これ以上の基地負担の増大は市民の利益を損なうとの判断から、厚木基地の空母艦載機部隊の受け入れには反対しました。06年3月12日には、井原市長の提案で空母艦載機移転の是非を問う市民投票を実施し、投票者の87パーセントが空母艦載機部隊の移転に反対した。また同年4月23日には、市町村合併にともなう新・岩国市の市長選挙が行われ、井原市長が圧勝しました。

 岩国市は在日米軍再編による空母艦載機部隊の受け入れとは別に、SACOで日米が合意した、普天間基地からのKC−130空中給油機の移転については受け入れを表明していました。この際に日本政府は、岩国市庁舎の新設費用の一部を、空中給油機の受け入れにともなう交付金として、岩国市に支出することを約束していました。ところが日本政府は、井原市長が厚木基地空母艦載機部隊の受け入れ拒否を表明したことから、市庁舎建設費への交付金を凍結してしまったのです。

 すでに建設途中であった新市庁舎への交付金が凍結されたため、岩国市議会内部では自民党系や公明党系の市議会議員を中心に、井原市長への批判が高まりました。08年2月10日には、井原市長がいったん辞職し、空母艦載機部隊の受け入れを争点に再出馬しての市長選挙が実施されました。しかし市長選挙では、政府のテコいれもあり、移転賛成派で現職の衆議院議員を辞任して立候補した福田良彦候補が当選してしまいました。ところが4月27日に行われた衆議院補欠選挙では、移転反対派の平岡秀夫候補が当選しました。こうした選挙結果をみると、空母艦載機部隊の受け入れに関する岩国市民の世論は、大きく揺れ動いているようです。

最近の状況
 岩国基地では、騒音軽減を目的にした滑走路の沖合移設工事が行われています。この工事は09年中に完成します。
 空母艦載機部隊の移転に反対する岩国市の人々は、09年3月、航空機騒音被害の損害賠償と空母艦載機の移転差し止めを国に求める訴訟原告団を結成し、裁判所に提訴しました。
 空母艦載機部隊の移転にともない、兵士や家族約4,000人分の住宅を準備しなければなりません。政府は米軍住宅の建設予定地として、愛宕山を候補地にあげています。愛宕山は岩国基地の滑走路を沖合移設する際に、土砂を搬出して開発した土地です。この開発が赤字になったことから、県や市は国の買い取りを期待しているのです。しかし地域の住民は、住宅地の中に巨大な米軍住宅が出現することに強く反対しています。
 空母艦載機の日常的な整備は海軍の整備部隊が行っていますが、定期的な整備は厚木基地に隣接する民間の航空機整備会社が行っています。現在まで、こうした民間会社の岩国基地周辺への移転は検討されていません。また岩国基地からは、太平洋上にある米軍戦闘機の訓練空域までの距離が遠いという問題もあります。そのため空母艦載機部隊が岩国基地に移転した後も、整備や訓練で頻繁に厚木基地が使用される危険性があります。


(7)ミサイル防衛の推進
在日米軍再編での合意
 「ロードマップ」ならびに07年5月1日の「共同発表」には、ミサイル防衛に関して以下の事項が盛り込まれています。

  ●米国Xバンドレーダーの航空自衛隊車力分屯基地への配備と運用
  ●嘉手納基地への米軍PAC−3大隊の配備
  ●横須賀基地の海軍艦船へのSM−3の継続的な追加
  ●海上自衛隊イージス護衛艦4隻への、SM−3搭載の改修
  ●航空自衛隊へのPAC−3部隊16個の配備
  ●次世代型SM−3の日米共同開発の推進

最近の状況
 米軍は、06年6月にXバンドレーダーを青森県つがる市の航空自衛隊車力分屯地に配備しました。
06年10月には沖縄県の嘉手納基地にPAC−3ミサイルを運用する陸軍防空高射砲大隊を配備しました。また神奈川県の横須賀基地には、イージスシステムとSM−3ミサイルを搭載するMD対応艦船が5隻配備されています。
 航空自衛隊はPAC−3の配備を進めています。08年5月に浜松基地(静岡県)に4個高射隊分、09年2月に岐阜基地(岐阜県)に1個高射隊分の配備を行いました。07年度中に配備を終えた入間基地(埼玉県)・習志野分屯地(千葉県)・武山分屯地(神奈川県)・霞ヶ浦分屯地(茨城県)をあわせて、全国6か所に9個高射隊分のPAC−3が配備されています。海上自衛隊では、イージス護衛艦「こんごう」と「ちょうかい」にSM−3搭載の改修工事が行われて、MD対応艦船になりました。
 航空自衛隊は08年9月に米国ニューメキシコ州ホワイトサンズ射場で、PAC−3の発射訓練を行い、迎撃に成功したと伝えました。また海上自衛隊は08年11月に米国ハワイ州・カウアイ島沖で、イージス艦「ちょうかい」に搭載したSM−3による発射訓練を行いましたが、模擬ミサイルの迎撃には失敗したようです。
 09年4月に北朝鮮が行った人工衛星打ち上げのためのロケット発射を契機にして、日本政府や自民党の中からは、SM−3やPAC−3の配備前倒しや、ミサイル防衛にさらに多くの予算をつぎ込むことを求める声があがっています。


(8)米軍戦闘機の航空自衛隊基地への訓練移転
在日米空軍嘉手納基地
 沖縄県の米空軍嘉手納基地には、F−15戦闘機やKC−135空中給油機など、約100機が配備されています。昼夜を問わぬ米軍機の訓練は、基地周辺の住民にとっては大きな負担になっていました。そのため在日米軍再編の中で、嘉手納基地周辺住民の騒音被害を軽減するという名目で、嘉手納基地に所属する戦闘機部隊の訓練の一部を、本土の航空自衛隊基地に移転することが検討されました。

在日米軍再編での合意
 ところが日米協議が進む中で、当初は嘉手納基地1か所であった移転の対象が、空軍・三沢基地(青森県)、海兵隊・岩国基地(山口県)を含めた3か所に拡大されてしまいました。
 これらの戦闘機部隊の移転先は、航空自衛隊の千歳基地(北海道)、百里基地(茨城県)、小松基地(石川県)、新田原基地(宮崎県)、築城基地(福岡県)の5か所です。航空自衛隊の基地は、過去にも米軍戦闘機部隊の移転訓練を受け入れてきましたが、政府と基地周辺自治体との間では、1年間の移転訓練の実施回数や日数についての上限を定めた合意がありました。ところが在日米軍再編のなかでは、これらの制限が政府の側から一方的に取り払われてしまいました。

最近の状況
 08年度の訓練移転について、防衛省は当初、10回程度計画する予定と発表していました。しかし実際に行われたのは、5回でした。
嘉手納町役場の調べでは、訓練移転開始以降、嘉手納基地所属機で県外での訓練に参加した機体が述べ30機に対して、嘉手納基地以外から飛来する航空機は126機以上であることが判明しました。
米軍戦闘機の航空自衛隊基地への訓練移転は、当初の目的であった騒音被害軽減とは全く関係なく、米軍の訓練基地を拡大するだけの結果になっています。
09年1月には、米国本土から最新鋭ステルス戦闘機のF−22が嘉手納基地に一時配備されました。F−22との空中戦訓練を目的として、アラスカや韓国、また日本国内からも米軍戦闘機が嘉手納基地に一時飛来しています。こうしたことが、嘉手納基地での騒音増大に拍車をかけています。
 なお日本政府は、米軍機の訓練移転にともなう費用の一部を負担しています。08年度の日本負担は11億2300万円、09年度の予算は8億5600万円です。


2.「ロードマップ」記載以外の事項
 在日米軍に関連して現在進んでいる事態の中には、「ロードマップ」には記載されていない事項もあります。その中で特徴的な事項を2つあげます。

(1)原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀母港化
これまでの経緯
 1973年10月5日、米海軍は空母ミッドウェーを横須賀基地に配備しました。これは米海軍がはじめて行った、空母の海外母港配備でした。空母配備に反対する横須賀市民に対して、日本政府はミッドウェーの配備期間を「おおむね3年間」と約束しました。ところがミッドウェーは1991年まで横須賀に居座りました。その後も米海軍は、インディペンデンス(1991年9月11日〜)、キティーホーク(1998年8月11日〜)と空母の横須賀配備を継続したのです。
 米国は1961年に世界初の原子力空母エンタープライズを就航させて以来、原子力空母の建造を進めてきました。しかし横須賀基地に配備されたミッドウェー、インディペンデンス、キティーホークの3隻は通常動力艦でした。そこには「原子力空母の配備は許さない」という市民の強い意志があり、米国政府も市民感情に配慮をしなければかったからなのです。ところがキティーホークの退役が決まった時点で、米国が保有する空母は全て原子力になっていました。そこで米国は、キティーホークの退役後は原子力空母ジョージ・ワシントンを横須賀に配備することを決定し、日本政府に通告したのです。
 横須賀市は当初、横須賀基地への空母配備は認めるが原子力空母は認めないという立場をとっていました。しかし米国と日本政府から、原子力空母以外の選択肢はないこと、原子力空母の安全性は米国が保証することなどを告げられると、横須賀市長は原子力空母の受け入れを容認してしまいました。
 こうした市の動きに対して、原子力空母の配備に反対する市民は、原子力空母配備の是非を問う住民投票条例を求める運動などを起して対抗しました。またジョージ・ワシントンが、米国を出発して日本に向かう途中に火災事故を起したことから、市民の中でも再び不安が高まりました。しかし2008年9月25日に、原子力空母ジョージ・ワシントンは横須賀に配備されたのです。

最近の状況
 ジョージ・ワシントンは09年1月から、横須賀で整備作業を行っています。在日米海軍司令部は当初、「米海軍が原子力艦の安全性について記したファクトシート(説明文書)通り、原子炉の修理や燃料交換は横須賀で行われない」(神奈川新聞インターネット版 1月20日)としていました。ところが同司令部はその後、報道各社の問い合わせに対して、整備の対象に原子炉の一次冷却水系の設備が含まれていること、また整備作業で出た「低レベル放射性廃棄物」約1トンを貨物船に積み込み米国向けに搬出していたことを明らかにしました。
 横須賀港での原子炉の整備や、放射性廃棄物を船から搬出することは、原子力艦船の日本寄港にあたって米海軍が約束した「エード・メモワール」(1964年)や、原子力空母の横須賀母港化にあたって米国が提出した「ファクトシート」で記載した内容に違反する行為です。


(2)米海軍艦船の民間港湾への入港
在日米海軍基地
 在日米海軍は日本国内に、横須賀基地(神奈川県)、佐世保基地(長崎県)、ホワイトビーチ(沖縄県)など専用の軍港を持っています。1997年に締結した「日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)で日本政府は新たに、日本の周辺で戦争が起こった場合に米軍に対して民間港湾や民間空港を提供することを約束しました。そのため97年以降、米海軍の艦船が基地以外の民間港湾に入港する事態が増大しました。さらに、「ロードマップ」締結以降は06年・28隻、07年・28隻、08年・20隻と増加しています。
 09年4月3日には、米海軍の掃海艦パトリオットとガーディアンの2隻が、沖縄県石垣市の石垣港に強行入港しました。石垣港の港湾管理者は、石垣市長です。石垣市長の大浜長照石さんは、米軍艦の入港を拒否しました。ところが中曽根外務大臣は「米軍艦船の日本への寄港は、外交関係の処理にあたる国がその是非を判断すべきものだ。国の決定に地方公共団体が関与し、制約することは港湾管理者の権能を逸脱するものだと思う」と述べ、石垣市は寄港を認める国の判断に従うべきだとの見方を示したのです。
 戦前、日本の港湾は全て国が管理していました。その結果、海外への窓口であるべき港が、軍事施設になってしまいました。そうしたことに対する反省から、戦後は港湾の管理権が自治体に移されました。米軍による石垣港への強行入港と、外務省による追認は、戦前への回帰を進めるものです。


3.「SACO」最終報告に関連する事項
 前述の通り、1995年に沖縄で起きた3人の米兵による少女への性暴力事件に関連して、日米両国政府は同年11月に「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」を設置し、基地の整理縮小の検討を開始しました。96年12月にはSACO最終報告を発表、普天間基地の県内移設や、その他の米軍施設の返還、訓練の移転、騒音の軽減措置などが含まれました。

(1)沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練の分散実施
在沖縄海兵隊・第12砲兵連隊
 沖縄県に駐留する第3海兵遠征軍・第3海兵師団傘下の第12砲兵連隊は、金武町にあるキャンプ・ハンセン内で、155ミリ榴弾砲を使用しての実弾砲撃訓練を行っていました。この砲撃演習に際しては、演習地の中を通る県道104号線を全面封鎖していたことから、近隣住民の生活に大きな負担となっていました。

SACO最終報告
 1996年12月2日に発表されたSACO最終報告では、県道104号線越え実弾射撃訓練を、本土5か所の陸上自衛隊の演習場に移転し、沖縄県内での訓練は取りやめることで合意しました。
 移転先となった演習所は、以下の通りです。
 矢臼別演習場(北海道)、王城寺原演習場(宮城県)、北富士(山梨県)、東富士演習場(静岡県)、日出生台演習場(大分県)

最近の状況
 移転される演習は、当初は155ミリ榴弾砲の砲撃演習のみでした。しかし米軍は、榴弾砲と同時に機関銃や小銃の射撃訓練の実施も要求し、2007年からはこれらの訓練も行われています。

 なお防衛省の発表によれば、09年度の分散実予定は以下の通りです。
●第1回 東富士演習場 平成21年 6月上旬〜 7月上旬
●第2回 矢臼別演習場 平成21年 8月中旬〜 9月中旬
●第3回 北富士演習場 平成21年10月中旬〜11月中旬
●第4回 日出生台演習場 平成22年 1月下旬〜 2月下旬


(2)沖縄県東村・高江でのヘリパッド建設
SACO最終報告
 SACO最終報告の中には、北部訓練場の返還に関する項目があります。そこには、「ヘリコプター着陸帯を、返還される区域から北部訓練場の残余の部分に移設する」ことを条件として、「北部訓練場の過半を返還」することが記載されています。

最近の状況
 ヘリコプター着陸帯(ヘリパット)の建設と北部訓練場の返還問題は、長期間にわたって放置されていました。しかし米軍再編合意とあわせるように事態は動き出し、那覇防衛施設局は07年7月から工事に着工する意向を表明しました。国は新しいヘリパットを、6か所に建設しようとしています。
 この動きに対して地域の住民は、県内の市民団体や労働組合の支援を得て、建設予定地入り口での座り込みを行い、工事を阻止してきました。
 08年12月には、那覇防衛局が那覇地裁名護支部に対して、住民15人の妨害禁止を求める仮処分を申請。現在も裁判が続いています。
 座り込みを行う人々は、広大な北部訓練場に対応する人数が足りずに、工事関係車両の訓練地内への侵入を何度か許してしまっています。しかし那覇防衛局は、ヘリパットの建設には着工できないままです。


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