5月10日(木) 那覇市・県立武道館アリーナ
復帰40年 第35回5・15平和行進全国結団式 及び与那国コース引き継ぎ式

5月10日午後3時から、沖縄県那覇市の県立武道館アリーナで、「復帰40年 第35回5・15平和行進全国結団式 及び与那国コース引き継ぎ式」が行われました。
会場となった武道館には、全国からの参加者の先着組と県内からの参加者など約300人が集まりました。


●オープニングは、琉球舞踊の披露です。


●司会進行は山城博治さん。


主催者あいさつ
●崎山嗣幸さん(沖縄平和運動センター議長・県議会議員)

  「復帰40年 5・15平和行進」の成功のために、全国各地から結集された皆さんに、実行委員会を代表して心から感謝を申し上げます。
 この復帰40年の沖縄の現実、私たち沖縄の人々が闘った復帰の姿は、こういった形ではなかったはずです。いま民主党政権は沖縄の地で、与那国をはじめとする軍備増強を行おうとしています。さらに7月には普天間基地へのMV−22オスプレイの配備など、ありとあらゆる形で、沖縄に対して、米軍支配の27年に対する何の反省もなく、復帰40年目に沖縄の軍備を増強しようとする動きがあります。心の底から怒りを込めて、普天間基地の辺野古移設を断固として止めていかなければなりません。政府からは米軍再編の動きとして、辺野古に持っていかなければ普天間基地を固定化するとか、嘉手納基地への統合案などが出ています。沖縄県民は県内のどこにも、普天間基地の移設を容認することはできません。普天間基地の閉鎖・返還を求めて、沖縄を基地の無い島にするためにがんばり抜きたいと思います。
全国の仲間の皆さん。全国各地で、平和運動と反原発運動を共に闘っている仲間の皆さん。沖縄の復帰の実相を問い直さなければなりません。沖縄振興計画も打ち出されています。基地の無い島、沖縄の発展をめざして、しっかりと大衆運動をがんばり抜きたいと思います。この結団式から、3日間の行進を行い、13日の県民大会を成功させましょう。また復帰の日の15日には、「政府の沖縄施策糾弾!5・15怒りの県民集会」も予定されています。
 沖縄平和運動センターならびに5・15実行委員会が、沖縄の平和運動を牽引する気持ちで、全国の皆さんと連帯してがんばります。


連帯あいさつ
●藤本泰成さん(平和フォーラム事務局長)

 戦後67年が経ちました。日米安保とサンフランシスコ講和条約から60年、そして沖縄復帰からは40年です。しかし変わらない沖縄の現実がここにあると思います。そして皆さんは明日からの平和行進で、その現実をまぢかに感じ取ることができるだろうと思います。
 日米関係から、少し話をさせていただきます。先ほど、沖縄に来て買った本を読んでいました。アメリカが最初に日本に来た時、ペリー提督が4隻の軍艦で浦賀に来航しましたが、その1か月前にこの沖縄に来ていたそうです。1854年、その時から日本はアメリカと付き合いを続けてきました。
 最初に不平等条約を結んで屈辱的な思いをした日本は、それから30年経った1885年に福沢諭吉が『脱亜論』を書きました。私たちはアジアから脱して西欧文明に移ったんだと主張した時から、日本は西欧と同じようにアジア諸国を植民地として侵略を重ね、そして1945年に敗北をしました。その時日本は、「アメリカの軍事力に負けた」と考えました。その敗戦からもまた、アジアを差別視しながら、アメリカに追いつけ、アメリカを追い越せとして、一所懸命働きました。
 もういいのではないでしょうか。いま日本の経済を考えれば、沖縄が少女暴行事件の後に大きく燃えた1995年、日本の対米貿易は貿易全体の20パーセントを超えていました。中国は7パーセントです。しかしいまでは中国が20パーセントを超え、アメリカは15パーセントです。中国と日本の関係が、一層強まってきました。しかしいまだに日本は、中国との友好関係、アジアとの友好関係を作ることができないでいます。そしてアメリカと共に進む道を、いまだに取り続けています。
 日本が保有するアメリカ国債は、1兆700億ドルです。中国の保有高は1兆1700億ドルです。この二つを足すと、アメリカが海外に売っている国債の45パーセントを超えます。二つの国が仲良くなることは、アメリカにとっての脅威です。
 いまアメリカは中国を脅威として、新しいアメリカ軍の戦略を、日本を巻き込んで作ろうとしています。それはこの二つの国が仲良くならないようにするためです。アメリカは日本に新防衛計画大綱を作らせ、与那国に自衛隊を配備させ、南西諸島を中国の脅威に対抗するための防衛線にしようとしています。そしてアメリカは日本を中国から守ると、主張しています。しかしアメリカは、日本を守るのではありません。アメリカは自分の国の利益を守るために、この沖縄に存在しているのです。私たちはそのことを、忘れてはならないと思います。
 明日から3日間の平和行進では、そのことをきっちりと見据えて、「アメリカ出ていけ」、「米軍出ていけ」、「私たちは私たちで守る」と主張しなければなりません。
 昨日の新聞に出ていました。日本人は中国を脅威と見ながらも、8割の人々が平和的な外交での解決を求めています。アメリカはいらない、アメリカ軍はいらない。日本には平和憲法がある、その平和憲法で日本を守っていきましょう。そのために、明日からの平和行進を、身体に気をつけて貫徹するようにがんばっていきましょう。
 連帯のあいさつとさせていただきます。


●全国から集まった参加者の皆さん。


政党あいさつ
●山内徳信さん(社民党・参議院議員)

 沖縄はひたすら、平和憲法の下に帰って、人権が保障されている、主権が沖縄県民にある、そういう社会を作ろうと、どれほど憲法9条に対する期待を抱いていたでしょうか。あれから40年が経ちました。期待が次々と裏切られた40年でした。
 この場所のすぐそばに、那覇軍港があります。復帰の目玉として那覇軍港の返還が決まったのは、復帰2年後のことでした。しかしそれから38年が経っても、那覇軍港は帰ってきません。なぜ帰ってこないのでしょうか。私はいつも、怒りを感じています。
 沖縄の人々の精神状態は、相当に怒っております。それにあい呼応して、全国から多くの仲間が駆けつけてくださいました。心から感謝を申し上げます。
 私は行きたいと思いながら行けなかったのですが、あの与那国島で、平和な与那国に自衛隊はいらないということで、島の人々をはじめ皆さん方が5・15の最初の行進を与那国で行った姿を見て、私は涙があふれました。いよいよ明日から、三つのコースに分かれて、基地の島と言われている沖縄を行進します。
 私は私なりに、いつも戦略を持っているつもりです。しかがって国会でも、この2年間で、基地建設は国の専権事項であると言って襲いかかって来るであろうと予想して、総理大臣をはじめ、防衛大臣や外務大臣に、委員会での質疑を通して、そうさせないための外堀を埋めてきたつもりです。
 私は1月21日から28日まで、沖縄の24名の基地問題解決のための訪米要請団の団長としてワシントンD.Cを訪ねました。その時に、ある筋を通して私の直訴の手紙を、オバマ大統領に届けました。国務省・国防総省の日本担当部長にも、沖縄の問題をしっかりと伝えてあります。
 戦後67年経っても今の状態が続いて、オスプレイを配備する、辺野古の基地を作る、普天間基地を固定化するための滑走路の補修を行うならば、戦後最大の県民・国民大衆の大きな抵抗にあうことを覚悟しておけ、民衆に尻を叩かれてアメリカに逃げ帰る姿はみっともないから、67年間普天間や嘉手納をも勝手に使って申し訳なかったと言って引き上げてくれ、そうでないならば、アラブに風が吹いたのと同じように、アメリカのウオール街で風が吹いたのと同じように、沖縄で最大の風を吹かすから、その覚悟をしておけと、私は参議院議員として、沖縄の人間として、闘い続けてきた人間として、ここは天王山を迎える、こういう決意と覚悟をして、アメリカに警告してあります。
 ワシントンの日本大使館を訪ねて、大使にもそのことを伝えてあります。私たちは平和を愛し、基地を無くすという、当たり前のことを言っているだけです。無理な要求はしていません。理を尽くしても聞かないならば、後は民衆の歴史を振り返ると、そこには抵抗のため、正義のため、民主主義のため、人権のために、私たちが立ち上がって新しい歴史を作る。そういう時が刻々と迫っている感じがします。
 全国から集まった皆さん、ありがとうございます。与那国で闘って、その闘いを引きついでくれた皆さん、ありがとうございます。そのことに敬意を表して、社民党を代表しての連帯のあいさつにさせていただきます。


政党あいさつ
●糸数慶子(社会大衆党委員長・参議院議員)

 昨年は東日本大震災の関係で、今日この会場にお集まりの皆さんの、お顔を拝見することができませんでした。さびしい思いをいたしました。また皆さんとお会いできることを心から喜び、いよいよ明日から始まる5・15平和行進を、皆さんと一緒に成功させたいと思います。そうした思いを込めて、この場でごあいさつをさせていただきます。
 私も山内議員と一緒に、1月にアメリカに参りました。その1週間のアメリカの行動の中で一番強く感じたのは、いまのアメリカには海兵隊不要論という大きな動きがあり、アメリカの国防費を削減するために海外の海兵隊を引き上げようという大きな動きがあります。
 その動きを止めているのが、日本の民主党政権であることを感じて帰ってきました。
 1972年の復帰から40年を迎えます。それ以前から沖縄の人々は平和憲法の下へ変えることを求め、「基地抜き・核抜き・本土並み」の3つのスローガンを掲げて復帰したにもかかわらず、その状況は変わらないどころか、ますます悪くなろうとしている現状に対して、皆さんと一緒に心から抗議をします。そして皆さんが行進をする沖縄の基地の周辺をつぶさに見ていただきたいと思います。
 本日は、山口県、長崎県、神奈川県など、沖縄と同じように米軍基地を抱えて苦しんでいる地域の代表の方も参加しています。アメリカ軍基地の問題は沖縄だけの問題ではなく、日本全体の問題です。安保・地位協定の下に苦しんでいる沖縄県民がいることは事実であり、皆さんの地域にも苦しんでいる人がいます。しかし、それにしても沖縄の負担は、大きすぎるのではないでしょうか。このことが如実に表れているのが、普天間基地の県内への移設です。普天間基地を辺野古に移設することも、もともとの発端が何であったのかを、もう一度考えながら行進をしていただきたいと思います。1995年の少女暴行事件で、3人の米兵によって、一人の幼女の人格がズタズタにされました。そうした事件が発生した結果、当時の大田知事が普天間基地の即時閉鎖を求めたのが、事の発端です。しかし回りまわって、基地は県内移設しかないとなりました。しかも普天間基地は閉鎖もせずに、補修工事としてオスプレイ用の滑走路とオスプレイ用の格納庫に、5年間で200億円も使おうというのです。今の日本政府を、皆さんは許せますか。国会では今後5年間、毎年、1885億円を思いやり予算をアメリカに提供することが、何の議論もないままに決まりました。1日当たり5億円以上の血税が、思いやり予算として消えているのです。
 沖縄の復帰40年は、何だったのでしょうか。国会では平和憲法が改悪されようという動きもあります。平和な島与那国に、自衛隊を配備する動きもあります。宮古島や石垣島の自衛隊を強化する動きもあります。北朝鮮の脅威を煽りたて、中国との緊張関係を強くしていく今の政府に対して、私たちはNOの声を突き付けていかなければなりません。そのための今回の平和行進がと思います。
 また6月10日には、沖縄県議会議員選挙が行われます。いまの県議会の与野党の数を、野党多数にしない限り、日本政府は普天間基地の県内移設を強行すると思います。私たちと思いを同じくする県議を、一人でも多く作らなければなりません。県議会選挙の結果で、アメリカ政府が日本政府にどれだけの圧力をかけてくるのか、日本政府が沖縄県議会にどれだけの圧力をかけてくるのか、その大きなポイントです。
 復帰40年の今年、沖縄は最大の岐路に立たされています。皆さんの一歩一歩が、沖縄県民と連帯して平和を築く、平和憲法の下への復帰であることを確実にする、そうした復帰40年にすると思います。平和行進が沖縄の未来を築くことを祈念して、連帯の挨拶といたします。


●崎山議長の音頭で「団結がんばろう」を行い、結団式を締めくくりました。

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