5月11日(金)〜12日(土)東・西・南の本島3コース
東コース1日目 名護市辺野古で出発式

●平和行進の1日目、東コースは名護市の辺野古からスタートします。写真は民有地部分とアメリカ軍への提供地部分を隔てるフェンス。ここは長いこと有刺鉄線で仕切られていましたが、昨年アメリカ軍によってこのフェンスが建設されました。
アメリカ軍が作った、沖縄の土地を二つに隔てるフェンス。しかし辺野古のテント村の人々は、このフェンスを平和のギャラリーに作り変えてしまいました。全国各地から送られてきたバナーが結びつけられて、風にそよいでいます。
でもアメリカ軍は頻繁に見回りにやってきて、このバナーを取り外していくそうです。最近はアメリカ軍だけではなく、基地建設反対に反対する民間人も闇にまぎれてやってきては、バナーを切っていくようです。
こうした人々に負けないように、毎日各地からたくさんのバナーが辺野古に届いています。


●出発式の始まりです。辺野古の海をバックに、「基地の県内移設に反対するぞ」とシュプレヒコールをあげました。


●熊本・広島・宇都宮・神奈川・和歌山と、各地からの参加団体の旗がたなびいています。


●地元名護市選出の県議会議員、玉城義和さんから歓迎のあいさつ。


●名護市長の稲嶺進さん。基地建設反対を貫いてがんばっています。全国から名護市長に応援を届けましょう。


●テントで座り込みをしている嘉陽のオジーも出発式に参加してくださいました。


●そろいのゼッケンは、和歌山県平和フォーラムの皆さんです。


●ヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さん。


●与那国改革会議からも3人が参加しました。左から議長の崎原正吉さん、町議の田里千代基さん、町議の崎元俊男さん。お互いに経験を交換し、学んでいくことで、私たちの運動は強くなっていくのだと思います。
*ちなみに与那国町会議員の崎元俊男は、与那国で泡盛を作っている「崎元酒造所」の若社長でもあります。自衛隊誘致などには頼らない町の発展について、いろいろと努力されています。


●東コース団長の森岡稔さん(沖教組)から決意表明。


●こちらは本土代表の大久保弘史さん(山口県平和運動フォーラム事務局長)。


●参加者全員で「がんばろう!」


●稲嶺市長を先頭に、平和行進に出発します。


●嘉陽のオジーは列が通り過ぎるまで、「がんばてね〜」「ありがとう〜」と声をかけ続けてくれました。


●こちらは三重からの参加者。そろいのTシャツは後ろが、


このようにカッコいい。


 西コース1日目
東コースの出発を見送った後、車で西コースを追いかけました。西コースの1日目は、読谷村役場からアメリカ陸軍トリイ基地前を通り、嘉手納弾薬庫地区と嘉手納基地周辺を行進します。
お昼休みに入る少し手前で追いつきました。


●嘉手納基地のフェンス沿いを歩く行進団の皆さんです。


●昼食休憩をとるのは、嘉手納ロータリー内の公園です。目の前には防衛省沖縄防衛局の建物がそびえています。


●公園入り口では、地元実行委員会の皆さんが、冷たい飲み物を用意してくれました。


●嘉手納町の副町長さんが、町長さんのメッセージを代読。


●こちらは嘉手納町職員組合の委員長さん。


●本土代表は長崎県平和運動センター副議長の松田圭治さん。


●参加者の皆さん。


●午後の行進に出発する前に、沖縄防衛局に向かって怒りのシュプレヒコールです。


南コース1日目
東と西の二つのコースは、主にアメリカ軍基地の周りを行進します。一方、南コースは、沖縄戦の跡地を巡って戦争の実相を学びます。1日目は県庁前広場を出発し、ひめゆりの塔まで19.2キロを歩きました。








●ひめゆりの塔の前で、ひめゆり平和祈念資料館の館長さんから、当時のお話を伺いました。



 東コース2日目 米軍天願桟橋(うるま市)から出発
ここはうるま市にあるアメリカ軍の天願桟橋です。
2006年10月9日、アメリカ軍は嘉手納基地にミサイル防衛用の地対空ミサイルPAC−3を配備するため、この天願桟橋にミサイルを積んだ貨物船を接岸しました。
沖縄平和運動センターはミサイル配備を阻止するために、3日間にわたって座り込みを行いました。
当時の様子はこちら




●沖縄平和運動センター副議長の山本隆司さんのあいさつで出発式が始まりました。


●地元うるま市選出の県会議員、照屋大河さん。


●沖縄県2区選出の衆議院議員、照屋寛徳さん。


●東コース2日目には、約540人が参加しました。


●天願桟橋のゲート前。








●海の中に突き出ているのが桟橋です。





















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