野菜にも一言いわせて! さよなら原発デモ!! 第2弾
豪雨に負けず! 300人が渋谷を大行進

●2011年5月22日
●東京 代々木公園から渋谷を一周


5月22日(日)午後2時30分から、渋谷にある代々木公園・けやき並木で、「野菜にも一言いわせて!さよなら原発デモ!!」が行われました。主催は、「アジア太平洋資料センター(PARC)」などで作る、同デモ実行委員会です。このデモは、4月16日に同じく渋谷で行った野菜デモの第2弾です。
 午前中は快晴で、「もう夏か!」と思うような日差しでした。ところが、集会の開始時刻が近付くにつれて雲行きが怪しくなり、集会中にポツポツと降り始めた雨は、デモの出発時には土砂降りになっていました。
 政府や東京電力は「安心だ」と言うけれども、福島第一原子力発電所の現状を考えれば、この雨にも恐らく放射性物質が混じっていることでしょう。デモでは、そうしたことも訴えながら、渋谷の街を一周しました。告知期間が短かったためか、はたまた天気予報をちゃんと見ていた人が放射能の雨を避けたためか、参加者は約300人で前回に比べると少なかったのですが、とっても元気なデモでした。
 以下は集会での発言者の発言要旨と、デモの様子です。ぜひ、ご覧になってください。



●内田聖子さん(PARC事務局長)
 午前中は晴れていて、こんなデモ日よりはないと、自分たちの日ごろの素行のよさを褒めあっていました。けれども、2時過ぎから雲行きが怪しくなってきました。もともと雨を心配していましたが、集会とデモは最後まで行います。傘やカッパを各自で用意してください。

 この集会とデモは、第1回目を4月16日に、同じく渋谷の神宮前公園で行いました。その頃は原発事故から約1か月がたっていて、特に風評被害という言葉がいわれていました。その時には福島や茨城の農家の方々などに話をしていただきました。いま海に放射能が垂れ流されていて、これからは海洋汚染がさらに深刻になってくると思います。そうした中で、農業や漁業は先行きが分からず、出荷できない。基準値を下回る野菜でも出荷できない状態が続いています。福島県内では特に、今後農業ができるのだろうかという中で、皆さんが生活をしています。中には、ダメになっても種をまきたいと、いまも種をまいて収穫の準備をしている農家もあります。

 私たちは、消費者として、また東京電力が福島原発で作った電気を使ってきた者として、声なき声の野菜や魚や家畜の立場になって、また耳を澄ませて、その思いを発信しようと思います。前回のデモは大好評で、1500人の方々が集まりました。今回も、それ以上の方に来ていただきたいと思います。

 また今回は野菜や魚に加えて、子どもの問題を訴えたいと思います。福島では子どもの放射線の基準値が、文部科学省によって20ミリシーベルトに引き上げられました。これは、あり得ない暴挙です。許されないことです。問題を指摘されて、原子力安全・保安院が「20ミリシーベルトとは言ってない」としても、文部科学省は基準を撤回しません。親の声や市民の声に、耳を貸そうともしない。そうした状態です。ですから今回は、子どもたちの命を守ることも、デモのテーマに入れました。

 もう一つ、20キロ圏内では、家畜動物も含めて動物たちは、最終的には殺処分にすることが決まりました。ニュースなどをみて、私たちは心を痛めています。動物は、人間の行いに対して、言いたくても言えません。餌も無く死んでいく、あるいは殺処分される。

 子どもたちも動物も、小さな命は、最初に殺されてしまうのです。ですから今回は、野菜・子ども・動物という3つのテーマで、「全ての命を未来につなごう」ということにしました。集会では、それぞれのテーマで、何人かの方にお話をしてもらいます。



●西沢江美子さん(農業ジャーナリスト)
 私は、山の中からやってきた、歯っかけの鬼婆なのです。もう72歳ですから、そろそろ山の中に引き込みたいと思っていた時に、こんな事件が起きてしまいました。鬼婆は、村や山や、町の隅っこや、海の浜で、みんな耐えながら生きてきました。いまものすごく怒っています。特に、浜と山の中、それから畑や田んぼで、怒っています。

 例えば福島では、ずっと種をまき、畑を耕し、嫁いでから半世紀を、嫁として、女性として、家を支えて、農業をやってきました。それは家を支えるだけではなくて、自分につながる命を支えていきたい、生きていくために、いろいろな条件を勝ち取っていきたいということを、100年も前から私たちの前を歩いてきた女の人たちがいました。
 いま農家の女性たちは、だいたい国民年金が月に5万円と、加工や産直などで得ているお金が1年で250万円くらい。これが1人の女性の収入ですよ。この250万円分が、完全に売れなくなっているのです。私たちは、種をまいて、収穫して、皆さんに届けて、安心して食べてもらいたい。そういう信念と誇りを持っていましたが、その誇りさえ無くなってしまいました。
 でも私たちは、まき続けよう、作り続けよう、原発が無くなるまで自分たちの手で放射線量を計って基準内の物を作って届けよう。基準外が出たときには徹底的に闘おうとしています。この闘いは、非常に長くなりそうです。でも私たちは絶対に、作ることをやめません。そして安心、安全なものを求める事を続けたいと思います。それはなぜかというと、鬼婆には、可愛い孫たちがいるのです。その孫たちが、きちんと地球を支えてくれるまで、残念ながら私たちが見届けることはできませんが、その間に早く原発を無くさなければいけない。ですから、作るときは、きちっと作ります。自分たちの手で計りたいのです。東電の計るデータや、国の計るデータが、どれだけ信頼できるのか分かりません。もっと信頼できるデータを作って、少しでも数値が下がり、原発が止まって無くなるまで、皆さんとともに闘いたいと思います。

 今日はとっても荒れた空です。でも、デモの最初に荒れた空なのは、良かったのではないでしょうか。というのは、もうすぐ日米安保条約の決まった、6月15日がやってきます。その時に私は、19歳でした。雨の中でデモをしたり、座り込んだり。あの時の参加者は30万人で、地面が揺らぎました。安保を止めることはできませんでしたが、ある程度の成果をあげることはできました。私たちは、次のデモからは、1人が1人を誘いました。
 家族全員で参加して、この原発を早く止めて、日常の生活を早くできるようにしたいと思います。鬼婆は、今日の夜から福島に入ります。よろしくお願いします。



●宍戸えり さん
 実家が福島県の伊達市で、果樹園を営んでいます。果樹園で果物を作っています。お客さんからの、「毎年楽しみにしているよ」という言葉とか、もちろん族たちのために、お爺ちゃんの代から畑を耕して、雨の日も、雷の日も、寒い日も、朝から夜中まで果樹園をやってきました。
 今回の原発の被害にあって、「いつまでつづくの」という不安を感じました。いままでは自信を持って、「うちの果樹園でとれた果物はおいしいよ」とすすめられました。でもいまは、放射能のせいで、自信を持ってすすめることはできません。
 姪っ子たちが今日、一緒にきています。いままでは当たり前だった、太陽の光を浴びて、土の上を駆けまわって、土の感覚を感じたり、土の匂いをかいだり、風を感じて、草花の音や匂いをかいで、星空を眺めたり…。そうしたことを、放射能を浴びるからと避けています。外も歩けない状態です。そんな不安を、いつまで持ち続けなければいけないのでしょうか。原発がある限り、この不安はぬぐいきれないのです。それをいつも感じています。日本から、この世の中から原発を無くしてもらいたいです。そういう気持ちで、今回のデモに参加させてもらいました。
 皆さんも、原発を無くすために、ご協力をよろしくお願いします。


●鈴木薫さん(いわきアクション!ママの会代表)
 みなさん、こんにちは。鈴木かおりです。先週の日曜日にいわき市で、さよなら原発と、子どもの健康を守るデモをしました。13日にはいわき市長に、子どもが学校や児童施設で過ごす時に気をつけていただきたいことの10項目の提言と、福島原発の廃炉をお願いしました。
 内部被ばくの問題が、とても深刻です。東京では、マスクをしている人も少ないですが、いわきは30キロから60キロ圏内です。原発に近いほど線量が高いというわけではなく、遠くても山沿いだと線量が高いところや、農作物のたくさんとれるところで線量が高かったりします。ですから学校給食の問題も非常に深刻です。どう食べさせるか。お弁当を持たせるか。それだけでも、お母さんたちは、とてもピリピリしている状況です。
 今回の20ミリシーベルトの問題もそうですが、大人の1年間の許容量が1ミリシーベルトなのに、子どもに20ミリシーベルトを課すことは、20倍ではなくて40倍くらいではないかと私は思っています。そうしたことも含めて、地元で向き合っていきたいと思います。
 東京の皆さんがデモをされたり集会をされたりして、問題を忘れずにいてくれることを、ありがたく思っています。これからもよろしくお願いします
(*鈴木さんの写真を、取り損ねてしまいました。ごめんなさい。)



●シゲさん
 福島県いわき市の出身です。いとこは地震後に、子どもを連れてこちらに避難してきました。ガソリンが無い中、ぎりぎりまで関東圏に近付けるように車を走らせて、それで車が止まったところに、僕がレンタカーを借りて迎いにいったことを覚えています。
 いとこの子どもは、1歳半です。いとこが避難を決めたのは、子どものことを思ってなのです。数10年後に、その子どもに何らかの放射能による影響が出たときに、「あの時、避難しておけばよかった」と、自分が思いたくないからだといいました。
 いとこは、6月まで赤坂プリンスホテルにいられます。それから先はどうしたらいいのか、いまは決まっていません。いま一番苦しんでいるのは、いわきに残っている同じような子どもを持つお母さんたちと自分の状況を比べた時に、自分ひとりだけ逃げてきていていいのかと思うのだそうです。残っているお母さんと話をすると、「いつまで避難しているの」といわれるそうです。そういう気持ちのまま、生活をしなければいけないことが辛いといっています。

 先日、いわきに戻って田植えを手伝いました。うちの田舎は、ほんとうに何もありません。山と川と田んぼだけです。ヒバリの鳴き声が聞こえて、風の流れが見えるのです。「やっぱり、いわきはいいな」と思うのです。でもその実家でテレビから流れているニュースは、「メルトダウン」です。テレビのニュース以外は、日常が続いている。そのギャップに、お父さんも、お母さんも、おばあちゃんも、どう対応していいのかわからないのです。
 田植えして小雨が降った時に、僕らは「放射能に汚染される」と思って、カッパを着ます。でもその雨がずーっと降っているのです。いま、いわきのタケノコを食べてはだめだっていわれています。でも1年後にできるタケノコは、そうした水をたっぷりと吸い込んだものです。それでも作らなければならない。父親も母親も、「いわきにいる」以外の選択肢がないのです。母親は、「大丈夫、何の影響もない」と思うようにするといっていました。そのことを僕らは考え続けなければならないし、そのことが答えにつながるのだと思います。
 今できる事を、みんなで考えていきましょう。



●佐々木ちはるさん
 こんにちは。5月8日に「警戒区域の動物たちを見捨てない!デモ」を行いました。佐々木です。普段は東京に住んでいる会社員です。このデモは準備期間が9日の無謀な企画でした。しかしたくさんの方に参加していただきました。それは、原発事故によって最初に命を落としているのが、現地にいる動物たちだという実態があるからです。
 もともと動物愛護活動をしてきた人たちが心を痛め、デモを主催しました。現状では、20キロ圏内では、ペットや家畜は、何万、何十万という単位で飢え死にし、あるいは共食いをしています。愛護団体などは、飯舘村などの計画避難地域で同じことが起きないように、住民にペットの一時預かりなどの情報を提供しています。

 もう一つ。いま20キロ圏内に許可証無しに入ることは違法です。しかし入っている人がいます。そこにいる、ほっておいたら死んでしまう動物たちを、ほってはおけない。また避難している人たちで、動物を置いてこなければいけなかった人が多くいるので、助けに行ってほしいと依頼を受けて、その声を無視するわけにはいかないと、捕まったり、もちろん被爆したりしながら、作業を続けています。
 原発事故で、放射能をまいている側には、罰せられた人はいません。自己責任で、被爆を覚悟しながら、捕まることを覚悟しながら入っている人は、違法行為だと責められているのです。一般の人からも「人間が大変な時、動物をかまっている場合ではない」、「放射能にまみれた動物を連れだして、放射能をばらまく気か」などと批判を受けています。それでも、目の前の命を見捨てる事は出来ないと、活動している人たちがいることを、ぜひ知っていただきたいお思います。
 誤解されていることが多いのですが、20キロ圏から助け出した動物の被ばく量を計っても、決して高くはないのです。さらに除染したうえで連れ出すのですが、誤解されてしまうのです。これは、「福島から来た子と遊んではいけない」みたいな、一種の差別意識が働いているのではないかと思います。
 皆さんにお願いがあります。避難区域から救出された動物、飼い主を失ってしまった動物が、たくさんいます。もし犬や猫と暮らしたい人がいたら、ペットショップではなくて、里親になってください。それも一つの被災地支援です。
 最後に、私の考えてきた文書を読んで終わりにします。

私は知っている。助けを待つ命があることを。
原発の近くで、いままさに奪われていく命があることを。
人間が電気のために作った原発で、動物たちが死んでいく。
人間が都会のために作った原発で、動物たちが死んでいく。
彼らはお腹がすいて、水がほしくて、立てなくなって、
意識がもうろうとして、隣で仲間が命を亡くして、悲しくて、
それでもやっぱりお腹がすいて、お腹がすいて、水がほしくて、水がほしくて、
そうやって死んでいく。

けれど私は知っている。助けに行く人がいることを。
手を差し伸べるために、食事を与えるために、抱きしめるために、愛するために。
彼らは本当は、強くなんてない。彼らは本当は、平気なんかじゃない。
放射能が怖くて、原発が怖くて、不安で、怯えて、被爆して、
それでもやっぱり、助けに行く。
命をあきらめないと決めて、命を見捨てないと決めて、ともに生きようと決めて。

私にはわからない。命は大切だと言いながら、見殺しを強要する社会が。
私にはわからない。差別を批判しながら、動物を汚染物質のようにあつかう社会が。
私にはわからない。被災者を応援すると言いながら、その家族を奪う社会が。

問われているのは東電だ。
問われているのは政府だ。
問われているのは人間だ。
人間が人間のために作った原発で、いまも動物たちは死んでいる。



●堀純司さん
 昨日も、有機農家と話をしました。原発事故直後に、須賀川で有機農家が自殺しました。40年近く、有機農業をやっていた方です。結局、1回の放射能の雨で、何十年とかけて作り続けてきた土が、いっぺんにだめになってしまった。そのことで自殺されたのではないでしょうか。有機農家にすれば、自殺された方の気持ちはよくわかると言います。何十年とやってきて、いっぺんにだめになるのです。それが近代科学と、近代技術の象徴である原発の、もう一つの側面だと思います。
 セシウムの半減期は30年といわれています。では30年後にその土が使えるのか。必ずしも、そうではありません。100年経っても、何もしなければ残るのです。そうした中で今後、福島のみならず、関東圏で、東北で、土をどうするのか。政府なり、皆が考えていかなければいけません。
 チェルノブイリでは、かなりいろいろな所に放射能が飛びました。日本でも、神奈川を含めて、かなり広範囲に汚染されているのは事実です。その農産物を買い支える、食べ続けるには、一定の覚悟がいると思います。子どもたちにどういう食料を与え、どういう食べ物を食べてもらうのか。そうしたことを含めて、考えていかなければならない時代に入ったのだと思います。
 1945年で日本が変わったといいます。また一つ、大きな転換期に来ていると思います。それは、みんなが、一人一人が考える転換期です。一緒に考えていきましょう。



●花崎晶さん
 雨が強くなってきました。まけそうです。でも皆さん、よく集まりました。私も原発の事故以降、いてもたってもいられない思いで、皆さんと一緒に活動しています。
 5月5日に八王子で、放射能の専門家のお話を伺う会を開きました。今度は6月4日に、八王子で田中優さんをお招きして集会を行う予定です。どこでもかしこでも、原発を止めるまで、いろいろな取り組みを進める事が大切だと思います。6月4日の集会では、田中さんの話を伺うだけではなく、参加者と一緒に、暮らしの中でどうしたらいいのか。個人のレベルで、自治体・地域のレベルで、もっと大きなレベルで考えていきたいと思います。それを、連続講座で行いたいと思います。
 「ソーラーパネルって高そうだけれど、どうするの」とか、「子どものたべものは、昆布がいいの?何がいいの?」というような情報交流も含めて行っていきたいと思います。
 今日の雨にも、きっと放射能が含まれていると思います。そういう中で、私たちが生き伸び続けて、子どもたちの未来の世界を続けていけるのか。そこに来ていると思います。負けないでやっていきたいと思います。

 5月の連休に、郡山から埼玉に一時避難している、シングルマザーの方のところに行ってきました。郡山ではいまでも、高い放射能がでています。そこの人たちは事故後に、家の窓を開けたことが無い。学校が始まるがどうしたらいいのか。本当に迷っていました。子どもには「外に出るな」「水を飲むな」と言いながら、自分は忙しくて洗濯物を家の中に干し続ける事ができなくて、晴れた日に外に干してしまう。そんな矛盾の中で生きているといっていました。
 埼玉の放射能の低いところに来て、その日はとても晴れていたのですが、屋外で深呼吸をすること、鳥の声を聞くこと、土を眺めながらなんとなく散歩すること、それだけで涙を流していました。そうした中で、私たちが原発を持ち続けていることを問い続けて、皆さんと一緒に止めていきたいと思います。



●ジョニーHさん
 できたての反原発ソングを2曲、歌ってくれました。


それではここで、いつものように参加者を見てみましょう。


●ウィキペディアによると、「モンサント」は、米国にある多国籍バイオ科学メーカーで、遺伝子組み換え作物などを生産しているようですね。



●こちらの女性はスタッフ。魚とPOPの組み合わせが可愛いです。



●「大根ですか?」ときくと「大根です」。



●避難地区に置き去りにされ死んだ乳牛、これらか計画避難するために殺処分される乳牛、例え生き残っても放射線量が高く出荷できない。毎日のようにテレビに出てくる風景を、政府や東電の責任者たちは見ることが無いのでしょうか。



●3時15分、代々木公園を出発です。カッパも傘も関係ないほどの土砂降りです。
ああ、放射能が…。



●それでも元気に行進します。子どもたちも、たくさん参加してくれました。「海かえせ」。
今日の写真、すこしピンボケ気味です。ごめんなさい。


●こちらもお子さんと一緒です。



●ブラック・ジョークが効いています。



●土砂降りだけど、カッパや傘で元気に行進!。



●せっかくのプラカードが雨に濡れてしまいましたが、渋谷の街を行きかう人たちに精一杯アピールしました。



●ここは東京電力の渋谷支社前です。打楽器隊が大きな音で抗議のアピール。

「警戒区域の動物たちを見捨てない!デモ」
「ティアハイムジャパンのブログ」 5月8日の記事に動物でもの映像がUPされています。
「NO NUKES MORE HEARTSの公式ブログ」 リンクのページに、「いわきアクション!ママの会」通信NO1が掲載されています。
 いわきで行われた5・15デモや、市長への申し入れ行動にもリンクで飛べるようになっています。
野菜デモの映像 You Tubeへのリンクです。


「きょうのグチ」
ここから下は、集会&デモの報告とは関係ありません。主催者とも無関係です。ストレスのせいか、年のせいか、すぐに切れてしまう40おじさんのぐちです。読み飛ばして問題ありませんが、お暇なかたはお付き合いください。

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デモ行進には、若い人も参加すれば、お年寄りも参加します。お子さんを連れたお父さんやお母さんも参加します。だから、歩く速度はみんなバラバラです。
今日の様な雨の日には、早く歩きすぎて、転んだり滑ったりする人がいないように、デモの速度は特に注意が必要です。。
僕は主催者から、ちょっと手伝いを頼まれたスタッフでしたが、「ゆっくり歩いてください」、「前と間隔を空けてください」、「気を付けてください」と声をかけながら、デモの先頭から後ろに向かって歩いていました。

ところが、後ろに行くほど、人と人の間隔が狭くなり、前の人の傘と、後ろの人の傘がくっつくようになっています。
「?」と思っていると、最後尾に機動隊が10人ぐらいいて、「交差点です、急いで」とか、「間隔を詰めて歩いて」とか言いながら、どんどん列を短くしようとするのです。これじゃあ、1人転んだら、将棋倒しになってしまいます。

そこで機動隊員に「子どもや、お年寄りもいるし、雨だからせかさないで。危ないよ。」と声をかけました。
「気がつきませんでした。そうですね」という返事が返って来ると思っていました。ところが1人の、僕より年上な感じの警察官が「子どもはちゃんと歩いてる!大丈夫だ」と怒鳴り返してきたのです。
そりゃ〜子どもだって急いで歩くよ! あんたみたいな警察官が追い立てるのだから。

機動隊員の多くは19歳とか20歳とかの若い子どもたちです。傘をささずにカッパを着ています。「高校卒業して今年入隊しました。高校時代は野球部です!」みたいな機動隊の子たちと比べれば、子どもやお年寄りが傘をさしながら歩く速度が遅いのは当たり前のことです。だけれども、機動隊の子たちは、それが理解できない。そういう子たちに、50過ぎの上官が、「せかせ!」と号令しているのです。

東電前に、横断歩道があります。その横断歩道では信号調節をしていなかったために、デモ隊が通過している途中で横断歩道側の信号が青に変わりました。
デモ隊を横切るように歩行者が横断し始めたので、機動隊の責任者に「歩行者を整理して」と頼むと、彼は部下に「歩行者止めて」と言いました。ところが部下の若い機動隊員は僕に向かって、「あんたがつめれば問題ないだろう」というのです。

例えばお祭りの時、御神輿を担ぐ人に、「交通妨害だ、早く歩け!」とか、箱根駅伝の時に「他の車が迷惑してる!」とかいう警察官がいるでしょうか。デモ行進の主催者は、警察に申請をして、許可を受けています。立場は、お祭りや駅伝と同じです。(適用される法律は異なりますが)だけれども、若い警察官や、年をとっていても「トンデモ」な警察官には、デモ行進は交通の妨害者にしか見えないようです。

19や20の若い機動隊員に、常識がないのは仕方ないのかもしれません。社会人としての経験が無いから、口のきき方が横柄なのもしょうがないでしょう。交通整理ができないのもしかたない。だから、小隊長とか中隊長とか、少しは年かさの責任者がしっかりしなければなりません。
今日のデモについた機動隊の隊長さんや、所轄警察署の警備の責任者は、話を聞いて納得してくれて、滑った、転んだが無いように気をつけてくれました。それでも、あちらで、こちらで、トラブルが起きてしまいます。

「機動隊はさ、若いから真面目なんだよ。言われたことはきちんとやる。でも、言われないことはできないんだよ」。何年か前に、ある機動隊の隊長さんから聞いた言葉です。
しかし、それだけではない何かが、この国の警察をむしばんでいると思うのです。19や20で制服を着て、腰に拳銃を下げていれば、自分が「偉い」と誤解してしまうのかもしれません。また、デモ行進で、お上に楯突くような輩は、「極左だ」と思っているのかもしれません。
秋葉原で「おたく狩り」をして点数を上げる警察官、下町の工場街でアジア系にだけ職質をかける警察官、まじめな警察官がかすんで見えなくなってしまうほど、この国の警察官には、問題のある人が多すぎます。そうした警察官に共通しているのは、「お上意識」や「権力者意識」と、自分の行動に対する責任感の無さです。

だけれども良く考えてみると、お上意識と無責任は、私たちの社会のあちこちにあるような気がします。福島原発の事故に対する、政府や東電の対応も、そこに問題があるのかもしれません。政府に対しても、警察に対しても、「あなたたちの持つ権限は、私たちが信託しているものなのだ」ということを、言い続けなければいけないと思うのです。

(おしまい)


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