9・19「さよなら原発 5万人集会」
登壇者の発言要旨

●日時 2011年9月19日(月・休日)
●会場 明治公園(東京都新宿区)

以下は、9月19日に明治公園で開催した「さようなら原発 五万人集会」での、登壇者の発言をまとめたものです。


鎌田慧さん(呼びかけ人)
 全国から集まってくださった皆さん、集まれなかった皆さん、全ての皆さん。私たちは、きょう、ここに、五万人集会を成功させることができました。まだ数は把握していませんが、厳密に言っても四万人は突破しています。ありがとうございました。
 きょうの集会は、これまでの集会の一つの結節点です。そして、これから始まる集会の出発点でもあります。
 一〇〇〇万人署名も始まったばかりです。きょう現在で一〇〇万人は突破しましたが、あと九〇〇万人集めなければなりません。皆さん、必死の思いで集めましょう。そして脱原発一〇〇〇万の声を突き付けましょう。
 野田首相はこれから国連に行って、原発は安全性を高めて再開していくと演説すると、発表しています。しかし安全性と信頼性は、既に破たんしています。それでもなおかつ、再開するというのは、人民に対する敵対であります。いま日本の八割近い人たちは、「原発はいやだ」、「原発はやめてくれ」、「原発のない社会に生きたい」と言っています。その声を無視して、政治ができるわけはありません。

 これまでに、どれくらいの被ばく者が発生しているのか。どのくらいの被ばく労働者が発生しているのか。それはこれから分かります。その恐ろしい結果を、私たちは認めなくてはいけません。その救済を、少しでも始めていかなければなりません。きょうの集会を力強く行うことによって、救済運動も進めていきたいと思います。
 原発から脱する、脱原発運動は、文化革命です。意識を変えていく運動でもあります。皆さん、核に依存して生きることは、人類は絶対にできません。核と人類は、絶対に共存できないのです。それは、広島・長崎、そして今回の福島の事故でも証明されています。どうして、これ以上の犠牲者を作ることができるでしょうか。

 私たちは、原発に「さようなら」を言います。この「さようなら」は、「再見」、「オルボワ―ル」、「また会う日まで」の「さようなら」ではありません。「もう絶対合わない」、「会いたくない」、「アデュー」というのが原発に対する、私たちのメッセージです。
 もう原発のある社会はいらない、そして子どもたちに平和な幸せな社会を残す、そのためにこそ、がんばっていこうではありませんか。
 皆さん、一〇〇〇万人署名に協力して下さい。そして来年3月24日に日比谷野外音楽堂で、集約集会を開きます。それまで皆さん、がんばってください。それまでの間にも、講演会とか、音楽会とか、いろいろなことを考えています。皆さんからのアイディアも募集します。
 皆さん、一緒になって、がんばりましょう。


大江健三郎さん(呼びかけ人)
 二つの文書を引いてお話します。第一は、私の先生の渡辺一夫さんの文書です。「『狂気』なしでは偉大な事業はなしとげられない、と申す人々もおられます。それは、『うそ』だと思います。『狂気』によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴います。真に偉大な事業は、『狂気』に捕らえられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって、地道になされるものです」。
  この文書はいま、次のように読み直されうるでしょう。
 「原発の電気エネルギーなしでは、偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もおられます。それは『うそ』だと思います。原子力によるエネルギーは、必ず荒廃と犠牲を伴います」。

  私が引用します第二の文書は、新聞に載っていたものであります。原子力計画をやめていたイタリアが、それを再開するかどうか国民投票を行いました。反対が九割を占めました。それに対して、日本の自民党の幹事長が、こう語ったそうであります。
 「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情として分かる」。
 偉そうなことを言うものです。もともとイタリアで原子力計画が一旦、停止したのは、二五年前のことです。チェルノブイリ事故がきっかけでした。それから長く考え続けられた上で再開するかどうかを、国民投票で決めることになったのです。その段階で、福島の事故が起こったのです。
 いまの自民党幹事長の談話の締めくくりはこうです。
 「反原発というのは簡単だが、生活をどうするのかということに立ち返った時、国民投票で九割が原発反対だから、やめましょうという簡単な問題ではない」と幹事長は言ったのです。

 原発の事故が、簡単な問題であるはずはありません。福島の放射性物質で汚染された広大な面積の土地を、どのように剥ぎとるか、どう始末するのか、既に内部被ばくしている大きい数の子どもたちの健康をどう管理するのか。
 いまはっきりしていることは、こうです。イタリアではもう決して、人間の命が原発によって奪われることはない。しかし私たち日本人は、これからもさらに原発の事故を恐れなければならないということです。私たちは、それに抵抗する意思を持っている。その意思を、想像力を持たない政党の幹部や、経団連の実力者たちに思い知らせる必要があります。
 そのために、私たちに何ができるのか。私たちには、この民主主義の集会、市民のデモしかないのであります。しっかりやりましょう。


内橋克人さん(呼びかけ人)
 福島はもとより、下北半島の端から、日本中から、また世界から、たくさんの人が集まってくださいました。ありがとうございます。
 一つだけ、注意しなければならないことがございます。それは、原発安全神話の新版、改訂版が台頭しつつあるということです。つまり技術が進み、発展すれば、安全な原発は可能である、こうした安全神話の改定版が台頭しつつあります。
 例えば、地下深く原発を埋め込む、洞窟の中で原子力発電を続ける、こうしたたくらみ、こうした計画が進んでいるということです。地下・洞窟・穴の中に作ってまで、なおかつ原発を持ち続けたいという意図の後ろに、何があるのでしょうか。それは、私たちの国が、核武装が可能な潜在力を持ち続けようという政治的意図だと思います。
 合意なき国策が、ここまで進んできました。私たちは、幾度も幾度も、打ちひしがれた経験を生かさなければなりません。原発エネルギーではなくて、命のエネルギーが輝く、そういう国にしようではありませんか。
 きょう、その一歩が踏み出されます。世界が変わると思います。
 「さようなら原発」、「こんにちは命輝く国」。その第一歩を、皆さんとともに、歩き始めたい。私は喜びとともに、お話をさせていただきました。本当にありがとうございました。


落合恵子さん(呼びかけ人)
 こんにちは。いっぱい声を出してくださいね。あなたに会えて、本当に良かったです。会えたきっかけを考えると、腹立たしくて、腹立たしくてしかたありません。この腹立たしさを新しい力に変えて、明日を変えていきたいと思います。

 私たちの世代は、ビートルズの歌を歌って育ちました。そのビートルズの歌に、「イマジン」という歌があります。「想像してごらん」から始まるあの歌です。
 想像してください。子どもは、どの国の、どの社会に生まれるか、選ぶことはできないのです。そして生まれてきた国に、原発があって、暴走が起こったのが、いまの私たちの社会です。
 想像してください。福島のそれぞれの子どもたちのいまを。そして、この国のそれぞれの子どもたちのいまを。
 想像してください。スリーマイル島、チェルノブイリ、そして福島。あの原発大国のフランスでも、つい先日、核施設の事故がありました。しかしほとんどの情報を手に入れられない現実の中に、私たちは生きています。
 今度はどこで、次は誰が犠牲になるのか、そのストレスを絶え間なく抱いて生きていくのは、もう嫌だ! 私たちはそれぞれ、叫んでいきたいと思います。
 放射性廃棄物の処理能力を持たない人間が、原発を持つ事の罪深さを、私たちは叫んでいきましょう。それは命への、それぞれの自分を生きていこうという人への、国家の犯罪なのです。容易に核兵器に変わり得るものを持つ事は、恒久の平和を約束した憲法を持つ国に生きる私たちは、決して許容してはいけないのです。
 想像してください。まだ平仮名しか知らない小さな子どもが、夜中に突然起きて、「放射能こないで」って泣き叫ぶような社会を、これ以上続けさせてはいけないはずです。
 私たちは、この犯罪に加担しないと、ここでもう一度、自分と約束しましょう。
 原発という呪詛から自由になること、もちろん、反戦・反核・反差別は、全部一つの根っこです。命、ここから始まるのです。
 世界から、原発と核が消える私たちのゴールに向かって、歩きましょう。暴力に対して、私たちは非暴力を貫きます。けれども諦めません。慣れません。忘れません。歩き続けます。この一つのウオークを、けが人ゼロ、熱中症ゼロ、もちろん逮捕者ゼロで、歩きぬきましょう。お願いします。


澤地久枝さん(呼びかけ人)
 こんにちは。皆さん、よくいらしてくださいました。こんなに大勢の方が参加してくれて、どんなに嬉しいか。
 最初の記者会見の後、私は姿を消していました。膝の骨折と手術で、五〇日余り入院したのです。家に帰ってからも、足腰が萎えて、回復がとても遅かったのです。
 しかし今日は、どんなことがあっても、立って参加したかったのです。そういう意思が、私を立ち上がらせ、歩かせたのだと思います。

 昭和の時代には、一五年に及ぶ戦争の日々があり、沖縄戦と広島・長崎への原爆投下の果てに、敗戦をむかえました。人類は、日本という実験場で、初めて原爆を体験したのです。日本は実験場だったと思った方がいいと、私は思います。その日本に、五四基もの原発ができ、福島の事故から半年以上が経っても収束の手立てがないことは、原発の本質と、歴史の痛烈な啓示を示してはいないでしょうか。この国は、原発などを持ってはいけない国だったはずです。
 核が暴走を始めてしまったら、人類はその暴走を止めたり、コントロールしたりするノウハウを、まだ持っていないのです。そういう危険なものは、地球には必要が無いと思います。日本だけでは済みません。放射能は、海を越え国境を越えて広がっていきます。これは、防ぎようがないのです。

 原発を含む日本の電力会社は、過去何十年も抜群の大スポンサーでした。どこに対するスポンサーであったかは、あえて言いません。皆さんはよく、ご存知だと思います。何百億円という現金が、原発の安全性PRと推進のために使われました。そしてその毒は、広がったのです。
 事故の直後から、原発や東京電力批判を差し控え、原発擁護の言説が大手を振ってまかり通っています。特にテレビを見てください。ひどいものだと思います。
 最近、東京電力が役所に提出した報告書は、本文のほとんどが黒線で消されていました。なんと無責任で傲慢な姿勢なのでしょうか。こうした実にレベルの低い、責任を問わない、非科学的な人々に、私たちの命が握られてきたと思うと本当に寒気がします。

 事故直後に、年間被曝許容量の数字を大きく変えた政府発表は、以後の発表に深い不信を抱く原因となったのです。
 その限度量さえ超えて、事故現場で働く作業員の生命は、誰が補償するのでしょうか。多くは、下請けの労働者なのです。東北はいつも、いつも、棄民の対象となってきました。割りを食ってきたひどい歴史を背負っているのです。
 わが子の健康を案じ、住むべき場所、食べさせるものに悩んでいる母親たちが、いっぱいいます。事実を知りたいと、彼女たちはみな、望んでいます。知らなくては、対応のしようがないのです。
 原発が無くなれば電気が不足し、日本経済は成り立たない。雇用が減り、失業率は増え、貧しい二流、三流の国になる、展望を失った暗い社会が訪れると、威嚇交じりの原発擁護が、大っぴらに語られるようになりました。
 しかし就職難、不景気、委縮しがちな世相は、原発事故以前から慢性症状として、あったのではありませんか。いまここで、全てを原発に帰納して、「だから原発が必要だ」という考え方は、どこかですり替えが行われています。ウソがあります。

 私たちは、政治不在の社会を変えようとして、政権交代を実現させました。政治不信が生まれるのは、自然なことです。しかし結果は、結末は私たちに返ってきます。
希望とは、道を見出すべく残されているのは、自覚し考える個の確立と、個と個の連携、その広がり、つまりは市民運動ではないでしょうか。
 きょうの集会の盛況と、一〇〇〇万市民の原発さようならの署名は、私たちが求める新しい国作り、世直しに、道を開くと思います。私はそこに希望をつなぎます。
 同時に、今回の原発事故の原因と経過の真相究明を徹底させたい、政府と東電の秘密主義は、原発事故に限らない、この国の悪しき体質を反映しているからです。
 きょうお出でになっている人たち、特に女性たちに語りたいと思います。きょうまで一人の戦死者も出さなかった戦後は、二度と戦争はさせないと決心した、戦争を体験した、日本の女たちの力だと思います。地球と命を守り、平穏な未来を確保するべく、命を生み育む女性たちが、役割を果たす時はいまです。血縁を問わず、国境を越えて、命を守る闘いには、夫・恋人・友人たちも、闘いの同志に連なるでしょう。その周りには、私のような高齢の思いを同じくする人間がいることを、確かめあって進んでいきましょう。「老若同盟」と、亡くなられた加藤周一さんは言われました。老若男女を問わぬ、人間の砦を築いていきましょう。ここで私たちは負けることはできないのです。皆で一緒に、力を合わせていきたいと思います。
 きょうは本当に、ありがとうございました。


フーベルト・ヴァイガーさん(海外ゲスト・FoEドイツ代表)
 親愛なる皆さん。福島事故から半年後の記念するべき集会で話ができることを、光栄に思います。
 このような計り知れない影響を与える原子力事故が日本で起こったことに、ドイツの私たちも大変な衝撃を受けています。
 何十年間も反原発で闘ってきた、何百万ものドイツの市民から、皆さんへの連帯のあいさつをお伝えしたいと思います。

 福島の事故は世界を変えました。この原発事故は、原子力発電が、どんな国においても、またどんなシステムにおいても、私たち人間に、そして環境に、計り知れない影響を与えるものであり、制御ができないものであることを明らかにしました。この事故は同時に、政府も企業も、このような計り知れない影響には、なすすべもないことを明らかにしました。

  チェルノブイリ事故から二五年、私たちドイツ人も、またヨーロッパの人々も知っています。政府そして原子力産業が、何万人もの死者を前にしても、なお事故の死者を小さく見せよう、隠そうとしていることを、そしていまもそれが続いていることを、です。
 福島の事故は、ドイツやイタリアなどのヨーロッパの国々に変化をもたらしました。ドイツでは事故の後に、きょうのこの場所の様な大きなデモが起こり、ついに政府は八基の原子力発電所を停止し、他の発電所についても二〇二二年までに停止することを決定しました。すなわち二〇二二年には、最大の産業国の一つが、脱原発を実現するのです。

 脱原発は、もはや、「できるのか」、「できないのか」の話ではありません。政治的に、「やるのか」、「やらないのか」の話なのです。電力会社の解体や、再生可能エネルギーの拡大によって、それは可能なのです。
 いま私たちは、民主主義の下で、脱原発を声高く訴えていく時なのです。
 半年前にこの国で起こったことは、日本でも他のどこでも、二度とくり返されてはなりません。そのために一緒に闘っていきましょう。また一緒に闘わなければ、電力会社の連合に勝つことはできないのです。
 脱原発、核兵器のない、原子力発電のない未来をともに実現しましょう。
 ありがとうございました。


山本太郎さん(ゲスト・俳優)
 山本太郎です。すごい! すごい人ですね! 本当に命を守りたい、生きていきたい、日本人の気持ちがここに集まっているのだと思います。
 三・一一以降、僕の人生も大きく変わりました。それはどうしてかというと、「生きていたい」と思ったのです。生きていないと、どうしようもないではないですか。それで、自分一人生きていてもしょうがないのです。ここにいる皆さんにも、ここに来られなかった世界中の人たちにも生きていてもらわないと、意味が無いのです。
 いま、僕たちの目の前には、ものすごい危機が迫ってきていると思います。とにかくいま生き延びるためには、原発を一斉停止するしかないと思うのです。
 でもやはり、目の前の利益を守りたい者にとっては、その発言はものすごく目ざわりなのです。でも僕たちは違いますよ。命がかかっていますから。

 テレビや新聞では、本当のことは、ほとんど流れないと思います。完全にお金ですよ。去勢されて、骨抜きにされていると思います。メディアにとっては、目の前の命よりも、お金の方が大事なのですよね。そして、いま、ここまでいろいろなことがあからさまになって、はっきりしたことがあります。それは、いまの日本の政府は、人々の命を、簡単に無視できる政府だということです。
 いま僕たちがこうやって集まっている間にも、被ばくし続けている人たちがいます。でもそのことをはっきりと伝えて、動きにできる政治家は、どのくらいいるのでしょうか。政治家たちが世の中を変えるということは、もうない話しだということが、はっきりしたと思います。
 一刻も早く、高濃度汚染地域から、人々をサテライト疎開させる、そして原発を一斉停止させることが必要です。代わりのエネルギーはあるのです。電力は足りているのです。三〇パーセントのエネルギーは、原子力からいりません。ではないと、僕たちは生きていられない。世界中に迷惑がかかる。とにかく、生き延びたいのです。みんなで。

 いまできることは何でしょうか。先日、河野太郎さんと、お話してきました。その時におっしゃっていました。デモや署名は、政治家たちにとっては、何にも痛くない話だと。たくさん集められた署名は、どこかの倉庫にぶち込まれるだけです。デモをしても、少し目障りだなと思われるだけです。
 一番必要なのは、人々の力です。市民の力ですよ。それぞれの選挙区で、代議士の事務所に行って、プレッシャーをかけることです。その代議士が、どういう立ち位置にいるのか。どういうつもりなのかを、はっきりさせるのです。でないと、この先は無いと思います。この先の日本は、核廃棄物の置き場になるだけだと思います。
 いま大人がするべきことは、子どもたちを守ることです。そのためには、行動を起こすことです。ぜひ力を貸してください。よろしくお願いします。
 


武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40周年実行委員会)
 皆さん、こんにちは。福島からまいりました。きょうは福島県内から、また避難先から、何台もバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に、やってまいりました。初めて集会やデモに参加する人も、たくさんいます。それでも福島原発で起きた悲しみを伝えよう、私たちこそが「原発いらない」の声をあげようと、声を掛けあい、誘いあってやってきました。
 初めに申し上げたいことがあります。三・一一からの大変な毎日を、命を守るために、あらゆることに取り組んできた皆さん一人一人を、深く尊敬いたします。それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様ざまな支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。
 そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった、子どもたち、若い人たちに、このような現実を作ってしまった世代として、心から謝りたいと思います。本当にごめんなさい。

 さて、皆さん。福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を望む浜通り。モモ・梨・リンゴと果物の宝庫の中通り。猪苗代湖と磐梯山の周りに黄金色の稲穂が垂れる会津平野。その向こうを、深い山々が縁取っています。山は青く、水は清らかな、私たちの故郷です。
 三・一一原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちは被ばく者となりました。大混乱の中で、私たちには様ざまなことが起こりました。すばやく張り巡らされた安全キャンペーンと不安の狭間で、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人が悩み、悲しんだことでしょう。
 毎日、毎日、否応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。子どもにマスクをさせる、させない。洗濯物を外に干す、干さない。畑を耕す、耕さない。何かにもの申す、黙る。様ざまな苦渋の選択がありました。
 そしていま、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、事実は隠されるのだ、国は国民を守らないのだ、事故は未だに終わらないのだ、福島県民は核の実験材料にされるのだ、莫大な放射能のゴミは残るのだ、大きな犠牲の上になお原発を推進しようとする勢力があるのだ、私たちは捨てられたのだ――。私たちは疲れと、やりきれない悲しみに、深いため息をつきます。
 でも口をついてくる言葉は、私たちを馬鹿にするな、私たちの命を奪うな――です。福島県民はいま、怒りと悲しみの中から、静かに立ち上がっています。子どもたちを守ろうと、母親が、父親が、おじいちゃんが、おばあちゃんが。自分たちの未来を奪われまいと若い世代が。大量の被爆に晒されながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと、労働者たちが。土地を汚された絶望の中から、農民が。放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が。一人一人の市民が、国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと、声を上げています。

 私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の土地に留まり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに、注目してください。政府交渉、疎開、裁判、避難、保養、除染、測定、原発と放射能についての学び。そしてどこにでも出かけて、福島を語ります。きょうは、遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りの、あらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。

 もう一つ、お話したいことがあります。それは、私たち自身の生き方、暮らし方です。
 私たちは何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。差別と犠牲の上に成り立っていることに、思いをはせなければなりません。原発は、その向こうにあるのです。
 人類は、地球に生きる、ただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物が、他にいるでしょうか。私は、この地球という美しい星と調和した、まっとうな生き物として生きたいです。ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。だれにも明確な答えは分かりません。
 でき得ることは、誰かが決めたことに従うのではなく、一人一人が、本当に、本当に、本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。一人一人に、その力があることを思い出しましょう。
 私たちは誰でも、変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がりつながり続けていくことが、私たちの力です。たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめ合い、お互いの辛さを聞きあいましょう。涙と怒りを許しあいましょう。いまつないでいる、その手の温もりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
 私たち一人一人の、背負っていかなければならない荷物が、途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあり、軽やかに、朗らかに、生き延びていきましょう。
 ありがとうございました。


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