福島の子どもたちを放射能から守ろう! 原発も再処理もいらない!
1500人が銀座をデモ行進

●2011年5月27日
●集会 東京・日比谷公園野外音楽堂
●デモ 日比谷公園〜東京電力本社前〜銀座〜東京駅前〜常盤橋公園




 5月27日午後6時から、東京都千代田区の日比谷公園野外音楽堂で、「福島の子どもたちを放射能から守ろう! 原発も再処理もいならい! 5・27集会」が行われました。主催は、「原発とめよう!東京ネットワーク」と、「再処理止めたい!首都圏市民のつどい」の2つのネットワークです。3月11日の東日本大地震と福島第一原発事故以来、初めての平日夜間の集会となりましたが、個人参加の方、市民運動団体、労働組合など約1500人の人々が参加しました。
 今回の集会では、特に、福島県在住の子どもたちの被ばく問題を訴えました。また青森県の六ヶ所再処理工場、新潟県の柏崎刈羽原発、静岡県の浜岡原発に反対する行動についても報告を受けました。
 以下に、写真と、発言者の要旨を記載します。ぜひご覧ください。





●集会は、生田卍さんの歌で始まりました。



●司会は、おなじみの高木章次さん(プルトニウムなんていらないよ!東京)です。



●主催者あいさつ
 伴英幸さん(原子力資料情報室)

 皆さん、こんにちは。「原発とめよう!東京ネットワーク」と「再処理とめたい!首都圏市民のつどい」の2つの団体を中心に、本日の集会を準備しました。その2つを代表して、一言あいさつを申しあげます。
 福島第一原子力発電所では、過酷事故と呼ばれる、非常に厳しい事故が起こりました。現在でもまだ、予断を許さない状況が続いています。この事故によって、広範囲に、放射能の汚染状況がもたらされました。後ほど報告がありますが、子どもの問題は深刻です。また大人たちも、長い間、放射能で汚染された環境で暮らしていかなければなりません。その影響についても心配されます。
 こうした事故は、「絶対に起こらない」と、いわれていました。しかし、この日本で現実となったのです。私たちの上に、放射能が降り注いだのです。もはや原発を止めるしかありません。
 今日、ここにお集まりの皆さんは、一人一人が「原発を止めたい」、「1日でも早く止めたい」、という思いでがんばっていると思います。短い集会ですが、その後には、街に繰り出していきます。一人一人の「原発止めたい」という思いを、街の皆さんに届けましょう。




●福島原発事故と子どもたちの被ばく問題
 福島みずほさん(参議院議員・社民党党首)

 雨の中、肌寒いですが、脱原発に向けて、元気いっぱいで、一緒にがんばっていきましょう。浜岡原発も止まりました。残りの原発も、みんなで止めていきましょう。
 私たちと福島県の保護者の皆さんが、何度も何度も行政交渉しました。今週の月曜日には文部科学省の中で、福島県からバスでやってきた多くの皆さんたちと、文部科学省との交渉を行いました。
 「20ミリシーベルトは高い、おかしい。一般人と同じ1ミリシーベルト以下にするようにめざしてくれ」、「文部科学省は、自治体に任せるのではなく、財政的な支援を行え。政府が責任を持って放射線量を低めるようにして欲しい」。この2つを、その時にいいました。
 「持ちかえって」ということでしたが、3役に伝えたかを、毎日のように連絡しました。そして昨日、文部科学大臣と一対一で会いました。最初は「来週の月曜日」とのことでしたが、一刻も早く会いたいと主張して、昨日会ったのです。社民党として、申し入れを行いました。
 今日、文部科学大臣は、「20ミリシーベルト以下を維持するが、年間1ミリシーベルト以下を目指す」ということと、「放射線量を低くするために財政的措置を取る」という2つの事を記者会見でいいました。これは、一歩前進です。これから、本当に1ミリシーベルト以下になるように、いろいろなことを含めて、私たちはやらなければなりません。また文部科学省にやらせなければなりません。でも財政的措置を取ると文部科学省が発表したことは、福島の人たちの子どもたちを被ばくさせたくないという思いが、文部科学省を動かしたのだと思います。
 皆さん。20ミリシーベルト撤回も、続けていきましょう。20ミリシーベルトが独り歩きしないように、20ミリシーベルト以下にするように、国が財政措置を取るように、皆さんと一緒にやっていきましょう。

 社民党は、「脱原発アクションプログラム」を発表しました。電力消費量を電力会社ごとに計算し、今年の夏も来年の夏も、原発に依存しなくても大丈夫という計算をしました。そして自然エネルギーを促進し、2020年までに原発をゼロにする。2050年には自然エネルギーを100パーセントにする。そのアクションプログラムです。G8に行く前の菅首相に持って行きました。ドイツでは2022年までに原発ゼロです。日本は前倒しでやりましょうといいました。
 政府が脱原発を選択するように、皆さんたちと、しっかりがんばっていきたいと思います。上関原発も、新規の原発も、全部止めようではありませんか。そして2020年、本当はもっともっと前倒しをしたいのですが、原発がゼロになるように、社民党と福島みずほは、市民の皆さんと、組合の皆さんと、力一杯、元気にがんばります。




●福島原発事故と子どもたちの被ばく問題
 青木一政さん(福島老朽原発を考える会)

 福島原発は、大変深刻な状況です。放射能汚染が、極めて深刻になっています。影響は福島県周辺を超えて、東日本全体の問題になりつつあるのが現状です。
 私たちの調査でも、宮城県の南部での土壌汚染は、チェルノブイリ事故の際に住民が避難した地域と同じくらいにまで進んでいます。
 また海洋汚染も進んでいます。政府や東電は「海中に拡散するから影響はない」といっています。しかし明らかに、生物濃縮を通じて、放射能汚染が深刻になっています。
 事故の終息そのものも、極めて困難であることが明らかになっています。最前線で働いている労働者の被曝の問題も、極めて深刻です。国や東電は、事故の最前線で働く労働者の、被ばく防止や健康管理に、もっと力を尽くすべきです。
 いま放射能汚染の長期化と、範囲の拡大も明らかです。私たちは、こうした現実にしっかり向き合って、その上で将来にわたって生命と健康を守る、すべての被害の補償を国や東電に要求していくことが必要だと考えています。

 しかし皆さん、こうした深刻な状況の中で、その深刻さの原因になっているのが、菅政権の対応だと思います。いまもフランスで、G8サミットが開かれています。菅首相はオバマ大統領に対して何といったか、皆さんはご存知ですか。「原発も安定してきた」と、こんなことを恥ずかしげもなくいっているのです。さらに公式宣言では、「原発周辺地域を除けば、放射性物質のレベルは減少してきており、人体にまったく危険はない」とまでいっています。しかし、現実を隠ぺいして、言葉のすり替えやごまかしでは、事故の終息は絶対に進みません。
 いま政府が行っていることは、被害補償や経済への影響と、住民の生命とを、天秤にかけているのです。特に将来を担う子どもたちの生命と健康を、コスト計算するようなやり方に、私は強い憤りを感じます。断固として「NO」の声をあげていかなければなりません。

 希望もあります。日本中で、世界中で、若い人々が、放射能と原発の危険性について、真剣に考えています。そして立ち上がっています。
 20ミリシーベルトの問題では、これまで放射能のことをほとんど考えたことのなかった、お父さんやお母さんたちが、本当に真剣に、自分たちの子どものたちの未来を考えて立ち上がり、驚くほどの活発さで活動を始めています。こうした動きは、私たちが求める脱原発の社会へつながっていると、確信しています。




●福島原発事故と子どもたちの被ばく問題
 満田夏花さん(国際環境NGO FoEJapan)

 20ミリシーベルト問題では、たくさんの人々の心配と怒りが集まりました。今日、大きな一歩がありました。先ほど福島みずほさんが紹介したとおり、先ほど文部科学省が、「福島県内における児童生徒等が学校等において受ける線量低減に向けた当面の対応について」という発表を行いました。
 この中で文科省は、「今後できる限り児童生徒等の受ける線量を減らしていくという基本に立って、今年度学校において児童生徒等が受ける線量について、当面年間1ミリシーベルト以下を目指すこと」としました。また「また校庭等の土壌に関して、児童生徒等の受ける線量を低減する取組みに対して、学校施設の災害復旧事業の枠組みで財政的支援を行う」としました。年限を拘束していませんが、事実上は、年間20ミリシーベルトの立場に基づいた校庭の使用制限の通知を、ごまかし、棚上げしながらも、私たちが目指していた1ミリシーベルトを、文書で示したのです。これは大きな一歩だと思います。
 私たちは4月19日以来、政府との交渉を行いました。今週の月曜日には、福島からお父さんやお母さんが大挙して文部科学省にやってきました。怒れる市民たちが文部科学省を包囲して、迫った結果であると考えています。

 日本政府は、いろいろと過ちを犯していますが、この20ミリシーベルト問題は、その象徴的なものです。人道上の罪といっても、過言ではありません。さらされているのは、子どもの命と健康です。未来を担う子供たちの命が、脅かされているのです。
 この数値が発表されると、世界中から抗議の声が殺到しました。世界中の専門家が、おかしい、あまりにひどいと、声明を出しました。20ミリが安全、100ミリが安全といっているのは、日本の専門家だけです。
 私たちも署名運動を開始しました。多くの方が署名に参加してくれました。短い期間で、5万5000筆を超える署名が集まりました。
 それに加えて政府交渉を重ねていきました。政府のいっていることは、だんだん、支離滅裂になっていきました。最初に文部科学省は「原子力安全委員会のお墨付きを得ているから安全」と主張しました。しかし原子力安全委員会は、「どの専門家も20ミリシーベルトが安全とはいっていない」というのです。政府同士の、責任のなすり合いが始まったのです。
 今週の月曜日に小雨がぱらつく中で、福島から来たお父さん、お母さん、また全国から集まった市民が、文科省を包囲して圧力をかけました。その席上で文科省の口から「文科省としても20ミリシーベルトが安全だとはいっていない」「1ミリシーベルトに近づけていく」という言葉を引き出すことができました。
 私たちは、そういうのであれば、文書にしてくれ、と要求しました。また多くの市民が文科省に電話をかけ、FAXを送りました。そうした全国からの市民の声が実ったのだと思います。
 ただし文科省は、明確には20ミリシーベルトを撤回していません。また2番目の問題は、財政支援を、除染措置に限っていることです。ですから避難や疎開に関しては、支援は行われていません。また支援の対象も、毎時1マイクロシーベルト以上の学校に限っています。

 今回の問題の根底にあるものは、文科省が派遣した「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」の山下俊一・長崎大学教授をはじめとした多くの専門家が、「100ミリシーベルトまでは安全」と繰り返し主張したことです。これが大きな誤解を生んだのです。福島県には、まだこのことを信じている方もいます。こういった専門家を排除しない限り、同じような問題が繰り返し起こってしまうのです。
 山下さんは、政府に置かれた「原子力損害賠償紛争審査会」の委員をしています。低線量被爆についての危機感が薄く、偏った意見を持った人が、審査会の委員に入っていることは危険です。私たちは、こうしたことにも、声を上げていかなければなりません。
 ここで皆さんにお願いがあります。お手元に「脱原発ロビーマニュアル」が配られています。ここには皆さんがどのように国会議員に働きかけて、脱原発や子どもたちの被ばくの問題を進めていくかのマニュアルです。ぜひ皆さんの声を国会に届けて、国政に働きかけて、脱原発、子どもたちの被害の最小化を進めるツールにしていただければと思います。

 30分でできる『脱原発ロビーマニュアル』 (eシフトのサイトへのリンク)



●六ヶ所再処理工場について
 山口泰子さん(ふぇみん婦人民主クラブ)

 皆さん、こんばんは。
 再処理工場は、原子力発電所から出てくる使用済み核燃料からプルトニウムを取り出して、また再利用するための工場です。1993年に着工しました。2004年にウラン試験が始まり、その後、アクティブ試験(実際に使用済み核燃料を使用してプルトニウムとウランを分ける試験)が行われました。そうすると、高レベルの廃棄物が出ます。廃棄物を処分するために、ガラスで固める「ガラス固化体」を作らなければいけないのです。
 しかし六ヶ所再処理工場では、ガラス固化体を作るための試験が、いくらやっても、上手くいかないのです。そのため全ての作業が中断しています。そうした、まったく見通しの立たない、宙ぶらりんの再処理工場があるのです。そこには、いままでに抽出したプルトニウムがあるのです。それは長崎原爆の40個分くらいのプルトニウムが、工場の中にたまっています。
 それだけではありません。この工場はトラブル続きです。労働者の被ばくまで出ています。また工場の完成は、つい最近、2010年10月から2012年10月に延期されましたが、これは18回目の延期なのです。費用は7600億円の予定でしたが、現在では2兆200億円です。停止している間にもお金がかかっています。

 再処理工場の大きな問題点は、原発の1年分の放射能を1日で排出することです。稼働が始まれば、青森だけではなく、近郊の海も空も全てが汚されてしまうのです。そこでたくさんの市民が反対運動を行っています。私たちも、東京の市民として、ごみを押し付けている責任があります。そこから、再処理工場の建設に対して、反対を強めていこうと考えています。日本消費者連盟、原子力資料情報室、原水禁、ふぇみん婦人民主クラブ、大地を守る会、たんぽぽ舎、プルトニウムなんていらないよ!東京、福島老朽原発を考える会、日本山妙法寺、グリーンピースジャパンなどで協力して、運動を継続してきました。毎月1回、原子力安全・保安院のある経済産業省別館前で、経産省の職員をはじめとして、道行く人たちに、再処理工場の問題点を説明してきました。再処理工場はトラブル続きなので、毎月のニュースに事欠かないのです。それでもなお、再処理工場を続けようとしているのです。やめることには至っていません。
 また私たちは、毎月1回のデモ行進も行ってきました。毎月、渋谷や銀座を歩いて、再処理工場の問題点を訴えてきました。だんだんと参加する人が少なくなって、2月には10人くらいでした。しかし3月11日の後には、1200人のデモ隊になりました。問題が起こらなければ気づかないという、複雑な気持ちで私たちはデモを行いました。
 今日の集会とデモも、そうした行動の一環として行っています。たくさんの人たちに、再処理工場を止めよう、原発を止めようという運動が広がっていくことを願っています。

 青森で長い間、反核燃の運動をしてきた山田清彦さんに今日の集会の話をしたら、メッセージを送ってくれました。
 「いま再処理工場には、使用済み核燃料が、プールに一杯たまっている。もし福島のように地震が起きて電源が止まれば、大変なことになってしまう」と訴えています。そして皆さんにぜひ、伝えたいことがあるとしています。そのところを読ませていただきます。
 「これ以上、六ヶ所の再処理工場に使用済み核燃料を押し付けないでください。そして六ヶ所の再処理工場が運転されないことを前提に、原子力発電所の運転中止と、使用済み燃料の再利用を旨とする原子力政策を即時中止するようにがんばってください」
 皆さん、再処理工場、もんじゅ、核燃サイクルの中止はもちろん、脱原発のために、がんばっていきましょう。




●柏崎刈羽原発について
 山口幸夫さん(柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会)

 こんばんは。「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」、すこし長い名前です。略称は「柏崎刈羽科学者の会」です。山口幸夫です。
 4年ほど前に、新潟県中越沖地震が、東京電力が持つ、世界最大の原発基地である、820万キロワットある柏崎刈羽原発7基を、全て止めてしまいました。これは実に大変なことです。襲ってきた揺れは、原発を推進する国側の人たちが想定していた「限界震度」を、数倍上回るものだったのです。
 到底再開は無理だと思いましたが、国際原子力機関(IAEA)、東京電力、経産省、原子力安全・保安院、原子力安全委員会など、国側の推進派は再開をたくらみました。そこで私たちが4人で声明を出して、全部閉鎖するべきだと訴えたのが、地震後一月が経過した頃です。それが契機になって、柏崎刈羽科学者の会ができました。今回の3月11日の地震と大津波で、「福島原発の閉鎖をめざす会」はできませんでした。残念です。悔しい。

 新潟県は2002年の東電のトラブル隠しで、東電に愛想が尽きました。そこで行政の責任者は、県民の安心と安全のために、御用学者が入っていない検討委員会を2つ作りました。国の審議会はたくさんできましたが、これは御用学者の集まりでした。そうではない検討委員会を作ったのです。2つを会わせると、80回近く審議を重ねてきました。公開です。そのほとんど全部に、私は東京から参加しました。
 柏崎刈羽原発は、作られる当初から強い反対運動があり、いまも続いています。当初は「構造の上に原発を作るな」というスローガンを掲げました。反対運動は、最高裁まで争いました。その反対運動の中で、大きな力をつけました。反対運動の人たちは、委員会を傍聴しました。そしてクレームをつける。いい加減にするなと指摘する。柏崎刈羽の会は、批判的な委員とつながって、地道な努力を続けてきました。しかし7基のうち、4基が再開されてしまいました。
 3月11日には、ちょうど委員会が開かれていました。地震・地質の委員会です。議論していた中身は、津波がやってきたも大丈夫かということです。東京電力は、寄せる波が3メートル、引く波が3メートルで、その位は大丈夫です、と説明しました。そこを批判した途端に、大きな揺れがやってきたのです。
 会議は中断しました。その直後に、大津波がやってきました。東京電力は3メートルの手当てをしてあるから大丈夫と言いましたが、15メートルの津波がやってきたのです。福島原発が、地震によってダウンしたのか、津波によってダウンしたのか、考え方が大きく分かれるところです。柏崎刈羽科学者の会は、地震によって大打撃を受けてと分析し、案をまとめています。
 
 何とかして、原発を全部、廃炉にする努力をしなければいけません。私がいう新潟方式、強い住民運動と、それにつながる研究者が必要です。それが広範な市民につながる仕組みを、福島で作る必要があると思うのです。
 事故調査委員会を発足させるそうです。委員長の人事は決まりました。「原子力村」の人ではないと思います。まだ委員は全部決まっていない現状です。その中に、絶対に住民代表・市民代表が入るべきだと思います。そうでないと、「原子力村」に関係ない、中立な学者などいないのです。推進するか、反対するか、その2つしかないのです。専門家に任せておかないで、住民・市民の代表が入って、徹底的な調査を行って事実を明らかにしてもらいたいと思います。IAEAは向こう側ですから、それとも闘うことになると思います。
  この放射能汚染は、まだ見ぬ私たちの子どもの世代を、左右することになると思います。結集したみなさん、一緒に力を合わせて全国の原発を止めるために、闘おうではありませんか。そのことを訴えます。




●浜岡原発について 
 槌田晴美さん(たんぽぽ舎)


 3月11日、東日本大震災では、地震と津波に加えて、心配されていた原発震災が現実のものになってしまいました。地震によって原発事故が起きると、避難することもままなりません。予測されていたことが目の前で起こってしまって、本当に愕然としました。
 地球を覆う薄くて卵のカラのようなプレートが、日本列島周辺には4つもひしめき合っています。これにより日本周辺が、地震の巣になっているのです。その地震の巣であるプレート境界の、その真上に原発を立てている、考えられない暴挙を行っているのが、中部電力・浜岡原子力発電所ではないでしょうか。
 東日本大震災を受け、菅首相は、津波対策ができるまでの間、2、3年の間の停止を要請しました。中部電力も、しぶしぶ応じました。これは一定の評価はできますが、浜岡で心配なのは津波よりも地震ではないでしょうか。福島第一原発の被害が、主として津波だという理由で津波対策を行うのは、泥縄もいいところです。
 直下型地震という言葉がありますが、これは地震が起きた場所に、たまたま人が住んでいた場合に使われる報道用語です。地震が起きた場所に住んでいると被害が甚大になるために、わざわざ名前が付けられたそうです。
 東海地震が起きた場合に、福島第一原発とは異なり、地震が起きた直後に、原発の被害が出ることが心配されます。当然、避難する時間もなく、今回よりも被爆被害が予想されます。その時は、私たちは全員、ここには生きていられないと思います。津波対策も、板の様な防波壁で済まそうとしています。津波は板の様なものではとまりません。菅首相の本音が、自分が首相の間は止めておくという、責任逃れにしか聞こえないのは、私たちだけでしょうか。
 さらに国の見解では、浜岡原発を含む静岡県沿岸は、次の東海地震で均等に1メートル持ち上がるとされています。その後はプレートが年間数ミリ単位で、沈降して、隆起部分が帳消しになるとされています。中部電力は海側に砂丘があるから防波堤の役割をしているといってきました。とんでもないことです。次の地震では、真下から突き上げられるのではないでしょうか。
 結論を言います。浜岡のように、プレート境界上にある原発は、動かしてはいけません。また日本列島は、世界にまれな地震が集中している地域です。日本の中に、原発を建てても大丈夫な場所は、絶対に無いと思います。日本列島全部の原発を、廃炉にしましょう。




●9・19全国集会について
 市村忠文さん(原水禁)

 私たちは、この1年の間に脱原発社会への道筋をつける決意で、「さよなら原発1000万人アクション」を展開します。このアクションの大きな柱は2つです。1つは、1000万人の署名を集めることです。6月から開始するために準備に入っています。人口の1割です。大きな数字ですが、なんとしても来年の3月11日の震災1周年までに、達成したいと思います。
 2つ目は、9月19日に明治公園で、5万人の参加を目標にして集会を開催します。全国津々浦々からの結集で、政府に対して要求を突き付けていきたいと思います。
 ぜひ署名と集会に協力してください。



◆デモ行進の写真◆











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