改めて問われる日本の戦争・戦後責任
   二次の「中国平和の旅」で痛感

 平和フォーラムは、8月15日の戦後60周年を前に、2004年11月8日〜13日、2005年6月28日〜7月4日と2度にわたる「中国平和の旅」を実施しました。昨年の旅は、北京、天津、南京、上海など、主に1937年からの日中戦争時の日本軍の侵略地となった南部の都市・地域でした。北京では、1874年台湾出兵以来の日本による中国侵略の歴史を展示した「中国人民抗日戦争紀念館」、1937年7月7日に日本軍が中国側からの発砲を口実に本格的戦争行動を開始した「盧溝橋」、天津では、抗日戦争の地の一つ「天津盤山烈士陵園」、南京では、1937年12月の30万人もの南京大虐殺について記録・展示した「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」などを視察しました。
 つづく本年の旅は、瀋陽、撫順、長春、哈爾浜、大連など、旧満州国やそれ以前の明治期から日本軍が侵略・介入した東北の都市・地域でした。瀋陽では、日本のカイライ・満州国建国に向けて関東軍が引き起こした1928年の「張作霖爆殺」、1931年9月18日の「柳条溝事件」とその記録を展示した「9・18歴史博物館」、撫順では、1932年9月16日に日本軍が引き起こした3,000人の住民虐殺現場に残された遺骨を発掘後そのまま保存している「平頂山惨案遺跡記念館」、戦後日本の1,000人弱の戦犯が更生・収容されていた「撫順戦犯管理所旧跡陳列館」、哈爾浜では、中国やロシアの捕虜に対して凍傷、細菌などの生体実験した「侵華日軍731部隊罪証遺跡陳列館」などを視察しました。
 代表団は、それぞれの遺跡や記録・展示に一つひとつ重みを感じながら戦争犠牲者に対する追悼を行うとともに、2度と戦争を起こさない、起こさせない誓いを新たにしました。なかでもとりわけ800体以上の遺骨が目の前にあらわれる「平頂山惨案遺跡記念館」では参加者は一同、声にならないほどの痛みを覚えました。
 南京事件や平頂山事件の生存者からは貴重な証言を伺うこともできました。南京事件当時14歳だった五さんは、日本軍による連日の爆撃と戦闘、占領後は青年・壮年者は大量に連行・殺害され、女性は暴行されたとの証言でした。8歳のときに平頂山事件を体験した楊玉芬さんは、日本軍が住民を銃撃で殺傷し、その後銃剣で突き殺し、さらに焼き捨てたことを証言。家族24人のうち18人を失いながら、亡くなられたご両親、ご兄弟が文字通り身を挺して守られたので奇跡的に生きながらえたとのお話しでした。証言された方はいずれも80歳を超える高齢者です。平頂山事件の生存者はおそらくもう10人もいないだろうとのことでした。こうした歴史は日本のなかでほとんど知られていません。
 この10年、中国の戦争被害者は相次いで裁判に訴えましたが、敗訴判決が相次いでいます。本年4月19日には731部隊・南京大虐殺・無差別爆撃事件訴訟で、5月13日には平頂山事件訴訟で、東京高裁は、国の賠償を免責し、いずれも原告側敗訴としました。さまざまな理屈で国を免責する非人間的判決がつづいているのが日本です。
 9・18歴史博物館をはじめ各記念館の展示で、日本へのメッセージとして強調されているのは、やはり靖国や歴史歪曲教科書など、日本の歴史認識の問題です。戦争加害の事実すらなかなか認めず、たとえ認めても謝罪も補償もしない日本。それどころか戦争を美化する動きを増す日本に対する憤りを強く示していました。
 南京大虐殺や平頂山の虐殺、731部隊の生体実験などの真実を正しく伝えるとともに、日本が戦争・戦後責任、道義的責任を果たすことがますます問われています。
中国人民抗日戦争紀念館
http://www.1937china.org.cn/
侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館
http://www.arts.cuhk.edu.hk/NanjingMassacre/NM.html
9・18歴史博物館=http://www.918museum.org.cn/
侵華日軍731部隊罪証遺跡陳列館
http://www.731museum.com/

駐韓米軍の再編計画と地域の現状(2)
アジア太平洋資料センター調査研究員 李 泳采(イ・ヨンチェ)

 去る7月10日、「汎国民対策委員会」主催で平沢では大学生、市民、農民等1万2千余名が集まり、「平沢米軍基地拡張阻止及び朝鮮半島戦争反対のための平和大行進」を行いました。参加した農民らは「死んでもこの土地からは離れない」と、基地拡張反対闘争の固い決議を表明しました。駐韓米軍再編の「台風の目」として浮上した平沢。ここでは現在311日目、基地拡張反対のためのキャンドル集会が毎晩続いています。
 平沢市大推里(デチュリ)にある米軍基地と村の境界線にある鉄條網には地図が一枚描かれています。これは「心理地図」と呼ばれています。そこには、村の年配者が幼いころの記憶を辿り、米軍基地内で生活していた村の昔の風景を描いているからです。地図には山、川、学校、大きい岩など古村の地形が表示されています。注目されるのは、その絵の中に、「日本兵士」の姿、「日本軍飛行場」などと書かれているのです。これは、この地域が日本の植民地時代から基地として使われていたことを暗示しています。
 日帝植民地時代、平沢に日本軍の飛行場が建設され、住民はその地域から追い出されました。45年8月、朝鮮解放以後、この地域は米軍飛行場に変わりました。そして、朝鮮戦争以後、米軍は大々的な基地拡張を展開し、さらに多くの住民たちが鉄條網の外側にもう一回追い出されました。さらに、50余年が流れた後、今度は駐韓米軍の再編とともに、米軍基地の大々的な拡張を理由に、住民から再び村と農地を根こそぎ奪おうとしています。しかし、冷戦時期、反共の影響もあり、2回も村から追い出されながらも、声さえだせなかった彼らは、今回は決して自分の村と土地を奪われないと強い意志を見せています。
 ペンソン地域内の米軍基地面積は、現在148.1万坪で、今後新しく拡大される基地面積は405.1万坪、何と3倍近く面積が拡張されるのです。この計画によると、合計8ヶ村が基地拡大で消滅することになります。これらの村の代表を中心とする住民対策委員会と、市民団体を中心とする市民対策委員会が構成され、連帯しながら、毎晩キャンドル集会、全国巡回広報、連帯活動、10万人の平沢を守る会員募集活動などを行っています。
 一方、去る6月18日、平沢から約1時間離れている梅香里で、米軍射撃場閉鎖対策委委員長であるジョンマンキュさんは、二日後の住民大会の前に、緊急村対策会議を招集しました。
 来年8月まで梅香里射撃場を閉鎖するという国防部の方針以後、公式的な発表が出ていない状況で、代替地として言われた全羅北道の直島で住民たちの反対運動がおき、梅香里の射撃場閉鎖の方針に影響があるという可能性が強くなってきました。対策委員会は、住民たちの中にまた不安感が拡大することを考慮し、政府の射撃場閉鎖発表を促す「全住民大会」を予定していましたが、当日の朝、国防部の射撃場閉鎖方針という報道がなされました。対策委員会は、その真意を確かめるため、国防部への確認結果、部署間の意見が一致しないことから、この報道は、住民大会を分裂させるための誤報だという結論を出していました。このような緊急村対策会議を前に、ジョンマンキュ委員長は笑顔で、梅香里射撃場が閉鎖され、その地に平和公園が建設される日まで、住民たちの闘いは終わらないと、決意を述べていました。
 また、「民主化の都市」と呼ばれている光州でのパトリオット撤退闘争も活発に展開しています。光州松亭里の光州飛行場に、昨年11月、パトリオット・ミサイル部隊である駐韓米軍第35防空砲旅団兵力450人が追加で配置され、16機のパトリオット・ミサイルが配置されました。
 市民団体はこれに対抗して、パトリオット撤去のための光州全南共同対策委を構成し、毎週金曜集会、全国署名運動、平和行進などを展開しています。去る5月15日には光州民主化運動週間にパトリオット撤去のための全国大会を開催し、この問題を全国的に知らせるために努めました。また、共同対策委は去る7月8日、31回目の金曜集会を開きました。そこで対策委員会は「光州は5月民主化抗争の精神を受け継いで、民主主義死守と戦争反対、朝鮮半島の平和を守る聖地として、パトリオット・ミサイル撤去のために最後まで闘う」と表明しました。
 そのほか、東豆川、議政府、春川など基地返還が予定されている地域では返還地の市民公園への転換のため「無条件返還」を要求しています。
写真参考:
http://www.ohmynews.com/articleview/article_view.asp?at_code=262710

「護憲大会」――遠藤三郎賞のルーツ
東京国際大学教授 前田哲男

 平和フォーラムが秋に開く護憲大会で表彰する「遠藤三郎賞」の名を残すその人物を知っている人は、もう少ないでしょう。しかし、中国で日中関係に携わっている人と話すとき、遠藤三郎の業績が敬意をもって追憶される機会に、いまでも接することがあります。91年の生涯(1893〜1984年)を、前半は軍人の肩書で中国との戦争に深くかかわり、それより長い後半生を護憲平和・日中友好に貫いたこの日本人を、中国人は「井戸を掘った」ひとりとして、世紀をこえて記憶しているのです。戦後の遠藤三郎は変身しました。だが、決して変節はしていません。
 遠藤さんは異色の陸軍軍人でした。陸幼・陸士・陸大を抜群の成績で通過したこのエリート将校は、満州事変にはじまる日中戦争のおおくの期間、軍刀を下げて中国にいました。彼もまた「坂の上の雲」を見上げる典型的な明治人でしたが、政治的な軍人ではありませんでした。「日ソ衝突は将来避け難しとの主観的判断を基礎として一撃を与えんとするが如きは皇国の武士道、大和民族の正義心が許さざる所」と日記に書き(1932年7月17日)、また陸大兵学教官時代に「日清戦争で遼東半島や台湾の領土割譲を迫ったのは誤り、と講義して物議を起こした」(自著『日中十五年戦争と私』)ような思考と姿勢をつねに持していました。第三飛行団長時代、抗戦首都・重慶に対する無差別爆撃の軍事作戦を批判し、「重慶爆撃無用論」を参謀本部に具申しています。ふつうの軍人にはとてもなし得ぬ硬骨漢ぶりです。
 何が、遠藤さんの人格をつくったのでしょうか。大尉のときフランス陸軍大学に二年間留学した体験が原点でしょう。そこでクーデンホーフ・カレルギーの「世界連邦思想」に出会うのです。日本人を母にもつ政治学者カレルギーの「汎欧州主義」──今日EUとなって実現している──が第一次大戦後の荒廃した光景と重なって遠藤さんの心にしみこみました。ベルダン戦場の視察旅行からは現代戦の惨状がなお生々しくつたわり、若い大尉を慄然とさせました。帰国船上の日記(1929年11月29日)に「軍備縮小の必要なるを感ず。軍備縮小は理想なり。吾人はこれに向かい努力せざるべからず」と記しています。陸軍省に「汎欧州主義」の概要報告を行い研究の進言をしたが「全く反響はありませんでした」(自著)。
 52歳、陸軍中将で敗戦を迎えた遠藤さんは、「軍隊はなくともいい」と声明を出します。旧知の東久邇首相に面談して「軍隊のなくなることは日本の黎明であり慶ぶべきことである」と訴えました。翌年、日本国憲法が制定され「私の悲願が明文化された」のをみつつ、遠藤さんは軍刀を鍬に持ちかえ開拓農民となり埼玉県入間の旧航空士官学校跡地で家族とともに農業生活にはいりました。「貧乏生活にも楽しい日々」と、そのころの暮らしをつづっています。
 しかし、朝鮮戦争を機に警察予備隊が創設され再軍備への動きがあらわになると、遠藤さんは居ても立ってもいられなくなってきました。主張に共鳴する人たちや団体からの執筆、講演依頼も舞い込むようになりました。鍬をおいて全国行脚するうち片山哲氏や有田八郎氏と語り合い、ともに「憲法擁護国民連合」の結成(1954年)に参画、理事、代表委員に就任しました。その発会式でのあいさつで、こう述べました。「今後日本の国防は、あるかないか分かりもしない外国軍隊の侵略に対し、軍隊をもって国を守るのではなく、必然的に来る台風や地震、その他の災害に対し国民の安全を守ることを第一に考えるべきである」。いまでも、いや、今だからこそより切実に聞こえる一節ではないでしょうか。片山代表委員が「本式の平和主義者だ。あれでよく軍人が勤まった」と書いていますが、まったくそのとおりでした。
 遠藤さんの信念は旧軍人や右翼による迫害の的となり、陸士同期生会から除名されましたが、動じることはありませんでした。軍備不要の環境を「日中不戦」によって現実化するため、55年から72年にかけ5回にわたる訪中を行い毛沢東首席や周恩来総理と会談しました。毛首席に「左翼だけでなく右翼も」といわれ、「元軍人訪中団」を組織し、それはやがて「日中友好元軍人の会」へと発展しました。会則第1条は「過去の戦争に対する反省に立脚し、戦争準備の動きを防止し、平和と日中友好に貢献」とさだめています。82年護憲連合議長となり84年亡くなりますが、遠藤さんの精神はいまも新しい。
 本稿執筆にあたって、遠藤三郎著『日中一五年戦争と私 国賊・赤の将軍と人はいう』(日中書林1974年)および宮武剛著『将軍の遺言 遠藤三郎日記』(毎日新聞社1986年)を参照しました。

劉連仁事件裁判(中国人強制連行東京第1次訴訟)不当判決
中国人強制連行・劉連仁事件裁判勝利実行委員会  小林 新

 6月23日に劉連仁事件裁判(中国人強制連行東京第1次訴訟)判決が東京高裁でありました。判決では、2,000万円の賠償を命じた第1審判決(東京地裁)を取り消し、原告らの請求を棄却する判決を言い渡しました。
 判決では、国の中国人強制連行を認め、明治鉱業所での劣悪な労働条件下の過酷なものであり強制労働であること、その結果、13年間の過酷な逃亡生活を体験したこと、それが国の救護義務違反の結果であることなどの事実をすべて認定しました。また、国が国会で「外務省報告書はない」と虚偽の答弁を行い、事実を隠蔽したことの不公正さも認定するなど、強制連行・強制労働の事実認定を詳細に認め、戦後の救護義務違反を認めながらも、国側に勝たせるためにはじめに結論ありきの国家賠償法6条(相互保証)の適用がないこと、除斥期間の経過を理由にして、原告の請求を棄却する不当判決を言い渡しました。
 今回の判決で最大のポイントは、「相互保証」で劉連仁さんの請求を棄却したことです。今までの国家賠償訴訟では「相互保証」を理由に原告の請求権を棄却したのは初めてです。劉連仁さんが発見された当時(1958年)、日本には国家賠償法があったが、中国には国家賠償法がなかったから、原告には請求権がないと判断しました。中国で国家賠償ができたのは1995年。劉連仁さんが日本政府を相手に損害賠償請求裁判を起こした1996年の段階では、日中両国に国家賠償法は存在していたため、国を勝たせるための判断としかいいようがなく、国際的にも通用しません。本来は、劉連仁さんが裁判を提訴した段階でどうだったかが大切です。
 また、除斥についても、「劉連仁の支援団体は昭和33年の時点で少なくともその一部を既に入手していたくもので,劉連仁が提訴できなかったということはできない。」と判断し、「除斥期間を適用することが著しく正義,公平の理念に反する特段の事情があるものとは認められない」と除斥期間を適用しました。劉連仁さんは、発見後から帰国までの間に国の責任を認め賠償するよう2度の声明を発しました。帰国後も日本政府に対して何度も請求しましたが、国は真摯な対応をしてきませんでした。
 長男の劉煥新さんは、高裁判決後の報告集会で「このひどい判決を、あの世の父にどう伝えてよいのか。この闘いは、これからもずっと続けていく」と述べています。
 日本政府は金銭の支払い義務が免責されたものの、強制連行・強制労働の犯罪行為が認定され、国の保護義務違反という責任も明確とされた以上、日本政府はこの問題を解決すべき道義的・政治的責任があることは明白です。
 裁判を提訴した劉連仁さんは第1審判決がだされる直前に亡くなり、遺族である趙玉蘭さん(83歳)や劉煥新さんら家族3人が裁判を引き継いで闘っています。劉連仁さんだけでなく強制連行・強制労働など戦争被害者は高齢で亡くなるか、病弱になり、一日も早い全面解決が求められています。中国人の強制連行を巡っては、現在13件が係争中です。
 今年は、日本の敗戦60年の年。これからは、最高裁判所に司法での闘いが移ります。同時に政府に対して人道的な責任を求め、政治的な解決をはかる闘いが必要になっています。
 最後に、今日までの「100万人国際署名」をはじめ法廷傍聴、報告集会など平和フォーラムの皆様のご支援にお礼申し上げますとともに、最高裁闘争や早期解決を求める諸行動に引き続き、ご支援をお願いします。

化学物質汚染のない地球をめざして
包括的な規制を求める運動始まる
有害化学物質削減ネットワーク代表 中地 重晴
 昨年11月、「有害化学物質削減ネットワーク」やWWFジャパン、ダイオキシン・環境ホルモン対策国民会議など7つの市民団体が、「EUの新化学物質政策(REACH)」についての国際市民セミナーを開催し、「化学物質汚染のない地球をめざす東京宣言」を確認して、現在その署名活動に取り組んでいます。
人体や環境を汚染する人工化学物質
 これまで人間が創り出した多くの化学物質は私たちに豊かで快適な生活をもたらしてくれました。しかしその反面、私たちの体内だけでなく地球全体がこれまで存在しなかった人工化学物質で汚染されています。近年のガン、心臓血管系疾患、呼吸器系疾患、喘息、アレルギー、生殖器系疾患、脳神経系の発達障害などの増加および野生生物に見られる異常との関連が強く疑われています。安全性が確かめられていない多数の化学物質を大量に使用続けることを許し、有害性がわかっても迅速に対応できないこれまでの化学物質管理のあり方を早急に見直す時がきています。
 化学物質をどう管理していくのかは、1992年の地球サミットで合意された「アジェンダ21」でも取りあげられており、各国政府は化学物質管理において予防的アプローチ、製造者責任の原則などの採用を検討することが勧告されました。EUでは世界に先駆けて取組みが始まり、1998年に欧州理事会がEUの化学物質規制の見直しを指示し、2003年10月に予防原則を取り入れた新しい化学品規制案(REACH)としてまとめられ、現在EU議会で審議中されています。
予防原則を取り入れた新化学物質政策REACH
 REACHで提案された内容は、市場に出る化学物質の安全性を確認することを目的として、
@ヨーロッパ域内の製造者・輸入者は欧州化学品庁に取り扱う化学物質の有害性情報等の提出を義務付ける。登録義務の対象物質は約3万物質ある。
A登録された化学物質の用途ごとに提案される試験実施計画について評価し、必要に応じて追加情報の提供を要求することができる。
B発がん性、変異原性、生殖毒性、難分解性、生体蓄積性、有毒性などの有害物質については、製造者・輸入者は使用前に許可を必要とする―等です。
 REACHの根底には、市場にある化学物質の安全性確認、安全性の立証責任の産業界への移行、予防原則、代替原則などの基本理念があります。化学物質に関するEUの既存の指令を統合した総合的な化学物質規制として導入されるので、効果的に機能し、化学物質による健康影響や環境汚染の低減が期待されます。
遅れている日本の化学物質管理
 EU、米国に次ぐ化学物質生産国である日本は、過去に水俣病、カネミ油症などの悲惨な経験を持ち、今も化学物質との関連が疑われる疾患や異常等は増加の一途をたどっています。しかし、経団連はREACHに反対を表明し、政府も、化学物質管理の見直しの動きがまったく見られないばかりか、米国と歩調をあわせREACHを弱体化させようとしています。
 化学物質は国境を自由に行き来するものであり、化学物質汚染のない地球を実現するためには、一部の地域だけでなく世界全体が足並みをそろえ化学物質管理の改革に取り組むことが不可欠です。
 そのため私たちは、政府に対し、EUのREACHのような、化学物質制度の包括的な見直しを求めるため、署名活動などを行い、意思表示をすることが必要だと考えます。署名内容は次の通りで、8月末まで個人と団体の署名を集めています。より多くの皆様に署名活動への協力を呼びかけます。
@予防原則を中心にすえ、より安全な物質等への代替を促進させること。A安全性の不確かな化学物質を使い続けることをやめること。B安全性の立証責任を行政から事業者へと転換し、汚染者負担の原則など製造者責任を強化すること。C製品中の化学物質情報の開示など、市民の知る権利を保障すること。D規制等の政策決定への市民参加を制度化すること。
※詳細および署名用紙は次のホームページをご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/tokyo/  

核兵器のない東北アジアをめさして
   6ヵ国協議再開への期待
  求められる日本の積極的な関与
6者協議再開は新たなスタートか?
 1年以上中断状態だった「6ヵ国協議」がいよいよ再開されることになりました。すでに今年5月以降、米国務省・デラトニ担当大使が北朝鮮国連代表部を極秘に訪問し、ブッシュ政権の北朝鮮を「主権国家」として認める方針を伝達するなど、米・朝の接触が続いていました。一方、韓国と北朝鮮の間でも積極的な交流が行われていて、朝鮮半島の非核化を最終目標とすることなどが合意されていましたから、6者協議再開の条件は整いつつありました。
 しかし、6ヵ国協議の再開は、あくまで再開であって、今後、米、朝両国を中心に要求を出し合っていくなかで、再び会議がもつれる可能性も存在します。
 ただ、これまではブッシュ政権内に、北朝鮮の核政策放棄を優先させようとする現実派と、政府そのものの転覆を考える強硬派との対立が存在していて、それが硬直した米国の対応となっていましたが、ここにきて現実派の国務省が主導権を握ってきたようで(少なくとも北朝鮮問題に関して)、それがブッシュ政権の北朝鮮政府を「主権国家」として認めることになったと考えられ、その意味では、米国がその立場を堅持する限り、6ヵ国協議が大きく前進することが期待できます。
ウラン濃縮をめぐる攻防?
 しかし、米国の北朝鮮に対する核政策放棄は、どこまで含まれるのか?米国がこれまで主張してきたウラン濃縮問題の完全放棄まで求めるならば、6ヵ国協議は再び、袋小路へ入り込む危険があります。
 米国が北朝鮮と積極的に接触し始めたのに合わせたように、今年5月、北朝鮮がロシアからウレンコ型の遠心分離器に使用するアルミ管2600本を輸入したという情報が、米政府筋からリークされました(注)。
 これまで米国内でも、「北朝鮮がウラン濃縮を行っている」「いやその意図を持っているのは事実だが、現実には不可能だ」などの議論がはげしく行われてきましたが、このように具体的な数字が出たのは初めてです。それだけに信憑性も疑わしいのですが、この時期に出てきたことに、ある意図的なものを感じます。
 ウレンコ型遠心分離器は、ドイツ、英国、オランダ三国によって共同開発された、濃縮効率のよいウランの分離・濃縮機器で、パキスタンのカーン博士が、その設計図をウレンコに勤務していたときに盗み出し、その設計図によって、パキスタンがウラン濃縮を進め、核爆弾を製造したことは、広く知られています。その後カーン博士を中心に、秘密裏に遠心分離器の設計図や、機器がリビア、イラン、北朝鮮などに輸出されていたといわれています。
急転直下の解決の可能性
 イランでもウレンコ型の遠心分離器による低濃縮ウランの製造を、権利として主張するイランと、いっさいの運転停止を求める米・欧との間で、緊張した交渉が続いていることを考えると、6ヵ国協議においても、ウラン濃縮問題はこじれる可能性があります。
 ただ、現在の米国は、イラク侵攻で、抜き差しならない泥沼に入り込んでおり、ブッシュ大統領が北朝鮮を悪の枢軸と表現し、武力攻撃の可能性をちらつかせ、脅迫的な言辞を使っていた頃とは、状況が大きく変わっています。場合によれば北朝鮮核問題は、一気に解決へ向かう可能性も存在します。
 この場合、日本政府はどのような対応をとるのでしょうか? 拉致問題だけでなく、米国の「核の傘」の下に入ることによって、日本の安全が守られるとしてきた立場からは、米国が北朝鮮に対して武力攻撃をしないと約束することは、大変困ったことになります。場合によれば、日本が孤立することになりかねません。いまこそ自主的で、平和を基調としたなアジア外交の展開が必要なのです。このニュースが皆さんの手に届く頃には、再開6ヵ国協議の状況が明らかになっているでしょう。私たちは6ヵ国協議の進展に期待しましょう。
(注)ウレンコ型遠心分離器によるウラン濃縮について、米・トマス・J・ワトソン研究所のリチャード・ガーウィン氏は、年間3SWUの生産能力をもつウレンコ社の高速遠心分離器を用いた場合、初歩的な核兵器1個をつくるのに必要な高濃縮ウランを60キロとして、1300の遠心分離器を、年間3SWUのペースで、3年間稼働させなければならない。もし20キロで小型核兵器をつくるとすれば、1300の遠心分離器を年間3SWUのペースで稼働すれば、約14カ月でつくれると述べています(朝日新聞社「論座」2005年4月号)。ただ一つ一つの遠心分離器は内蔵したモーターで動くことになっていて、それを管理する数多くのコンピューター、安定的な電力の供給が必要とも述べています。

法律審としての立場を大きく逸脱した最高裁
  「もんじゅ」裁判の原告ら再審請求

「もんじゅ」の危険性から逃げた最高裁
 高速増殖炉・原型炉「もんじゅ」に対する国の設置許可の無効確認を求めていた原告らは、6月28日、最高裁に対して再審請求を行いました。
 高速増殖炉はプルトニウムを燃料とする一方、天然ウランをプルトニウムに転換する原子炉で、日本でも建設が計画され、83年5月に、当時の中曽根首相が原型炉として「もんじゅ」の設置許可を出しました。
 しかし、高速増殖炉は、@冷却材にナトリウムを使う。A蒸気発生器の伝熱管が次々と破断する事故の危険。B「もんじゅ」の近くを地震活断層が連続して走っており、地震による大事故の可能性。Cこうした事故による炉心崩壊の危険――などの問題点があるとして、85年9月26日に、福井県在住の住民39人を:原告として、「設置許可の無効確認と運転差し止めを求める」裁判を起こしました。  
 この間「もんじゅ」の建設は完了し、試運転が始まります。94年4月に臨界に達し、95年8月29日に初送電が始まりますが、出力40%の性能試験中の95年12月8日、ナトリウム漏れ・火災事故が発生しました。
 このナトリウム漏れ事故では、当時の動力炉・核燃料開発事業団(動燃、現・核燃料サイクル機構)による虚偽報告や撮影した事故ビデオ隠しなどが発覚し、これが動燃解体、現在の核燃料サイクル開発機構への組織替えとなっていきました。
 このナトリウム漏れは、世界の高速増殖炉が共通に抱える悩みで、この問題が解決できないため、世界は高速増殖炉から撤退を余儀なくされてきたのです。「もんじゅ」も結局、同じ問題に直面したわけです。
 しかし、最高裁の5月末の判決は、高速増殖炉がプルトニウムを燃料とすることの危険について、なにひとつ理解していないだけでなく、米国や、ドイツ、フランスが高速増殖炉の開発から撤退していったという事実からも目をそらしています。
名古屋高裁・金沢支部の判決
 03年1月27日、名古屋高裁・金沢支部は、@ナトリウム漏洩事故、A蒸気発生器の伝熱管破損事故、B炉心崩壊事故の3点において、安全審査の審議調査、判断の過程に、見過ごせない過ちがある。放射能大事故の可能性を否定できないとして、「設置許可の無効を確認する」判決を出しました。
最高裁判決の問題点
 高裁判決に対して、国は「上告受理申立書」を提出し、最高裁は05年5月30日、「原子力安全委員会の審査・評価・判断に不合理な点はなく、安全審査の過程に違法性はないとして、国の安全審査は適法との判決を出しました。
 しかし、最高裁は、この判決のなかで、法律審としての立場を踏み越えてしまうという過ちを犯しました。それは、民事訴訟法第312条によって、最高裁への上告は、憲法違反に限定されているため、(国の)「上告受理申立理由」は、判例違反や法令解釈に重要な事項を含む場合に限られるのです。また民事訴訟法第321条は、原判決(高裁判決)が適法に確定した事実は、上告裁判所を拘束する」とあります。
 最高裁は、高裁で確定した事実関係に拘束されるため、高裁判決が違法であるかどうかを審査するだけで、新たな証拠調べや事実関係の変更はできません。
 しかし最高裁は、高裁で確定した事実関係を、勝手に変更し、欠落させて、判決文を作成しました。
事実認定を変えた部分は、@95年のナトリウム漏れ事故によって、コンクリート床の上に敷かれている鋼鉄製ライナーが溶けてしまったことに関する部分。A蒸気発生器の伝熱管破損事故に関する部分。B冷却材がなくなって炉心が崩壊した場合――住民が「もんじゅ」の安全性で問題とし、高裁判がこの部分について、国の安全審査は見過ごせない過ちがあるとした部分の事実認定をすべて変えてしまったのです。最高裁として、あってはならないことをやってしまったのです。
 核燃サイクル機構は、最高裁判決を受けて、「もんじゅ」運転再開を目指しています。しかし、ナトリウム漏れ・火災事故によって、煙となって隅々にまで広がったナトリウムによる腐食は、「もんじゅ」の運転再開をきわめて困難にしています。今後の高速増殖炉の見通しもまったくありません。私たちは「もんじゅ」運転再開を許してはなりません。  

「日韓被爆二世シンポジウム」を終えて
広島県被爆二世団体連絡協議会 事務局長 角田 拓

 第5回になる被爆二世シンポジウムが、広島市中区の平和資料館東館のメモリアルホールで行われました。このシンポジウムは全国被爆二世団体連絡協議会と韓国被爆二世の会、原水爆禁止国民会議の主催でおこなわれ、「日韓被爆二世の連帯で平和な明日を創ろう。〜再びヒバクシャをつくらないために〜」をサブタイトルに、韓国からも7人の被爆二世が来日し、あわせて約250名ほどが参加しました。
 午前中は原水禁の福山事務局長をコーディネーターにパネルディスカッションが行われ、日韓それぞれの被爆二世から自分の体験を交え、被爆二世問題の現状やその課題などが訴えられました。特に韓国の二世からは日韓の両方の政府から放置されてきた在韓被爆者とその子どもである被爆二世の窮状、また靖国神社参拝などで揺れる日韓の歴史問題などにも言及する発言がありました。
 また、今年の高校生平和大使で自らも被爆三世である長崎の活水高校3年、平湯あゆみさんと、広島の三原東高3年、西迫駿さんから決意が述べられました。
 午後からは、講演が行われ、「在外被爆者支援運動」の歴史について、韓国の原爆被害者を救援する市民の会の豊永恵三郎さんから報告を受け、放影研の陶山昭彦さん、山田美智子さんからは「被爆二世健康影響調査」の経過と課題が報告されました。
 その後、三菱徴用工裁判の足立修一さんと韓国被爆二世の会の李承徳会長から特別報告がありましたが、李会長は、昨年に韓国政府により実施された二世の実態調査についての内容を交えながら報告し、「様々な問題もあるが韓国政府が被爆二世に関心を示した意味は大きい」と述べました。
 最後は平野伸人会長と李会長の読み上げた共同宣言で採択し締めくくられましたが、最後まで多くの熱心な参加者に支えられ、多岐にわたる内容を深化させるという非常にハードな内容だったにもかかわらず、成功裡に終えることができたと思います。
 今回で5回目となる日韓被爆二世シンポジウムですが、隣国とはいえ、外国との共同での開催となると中々その準備も大変で、韓国側との連絡に平野会長が何度も渡韓し調整にあたったり、広島でも会場の確保など半年ほど前から準備を進めてきました。
 いろいろ苦労もあった今回のシンポジウムですが、特に印象に残ったのは高校生平和大使でした。非常に力強い決意を持って自分たちの活動を紹介し訴える姿は、被爆60周年という節目の年にあたり、未来への希望を感じさせるものでした。
 私たちも今後も日韓被爆二世の連帯を深め、被爆二世問題を両国をはじめとした人類共通の課題とすべく、また世界の平和に貢献できる日韓被爆二世運動をめざしてこれからもますます運動の発展を目指していきたいと思います。  

原子力2法成立! 法案阻止取り組みの総括を
核のゴミキャンペーン関西 末田 一秀

 通常国会に提出されていた原子力2法が、5月13日に成立し、5月20日に公布されました。
 2法とは、再処理工場廃止費用や超ウラン廃棄物処分費用などこれまで措置されてこなかったバックエンド費用を新たに電気料金に上乗せして徴収する「再処理積立金法案」と、スソ切り処分(クリアランス制度)を導入し、核物質防護対策の強化を盛り込んだ原子炉等規制法改「正」案です。
 一定レベル以下の放射性廃棄物を規制から外すスソ切り処分については、「放射性廃棄物スソ切り問題連絡会」を結成して、反対キャンペーンを行ってきましたが、世論を動かすところまで浸透しなかったことは、率直に反省しなければなりません。
 また、国会議員への資料送付、修正案・質問案の提出、抗議・要請電報、院内集会などにも取り組みましたが、国会審議では十分な質疑が尽くされたとはいえません。電力・電機などの労働組合が法成立を働きかけ、民主党が賛成に回ったことも反省材料のひとつとして報告しておきたいと思います。
スソ切り問題の今後の取り組み
 スソ切り制度では、スソきり後のごく低レベルの廃材を何に使おうが自由で、追跡記録も表示も不要とされていますが、電力業界は「制度が定着するまでの間、@事業者が自主的に搬出ルートを把握、A業界内で再生利用」すると約束しています。そこで、「制度が定着」したといつ誰が判断するのかが問題です。
 この点についての国会答弁は、「制度の運用開始後、審議会でデータを示し、透明公開のプロセスで判断していきたい。」というものでした。したがって、反対キャンペーンを続け、「社会に定着」したと判断させない取り組みが求められます。また、経済産業省と環境省は、実際の取扱いをどうするかマニュアルを作ると国会答弁しているので、施行令、施行規則やマニュアル類についても監視していきたいと思います。
 当面、スソ切り対象となる廃炉原発は、1998年に営業運転を終えた東海原発だけです。2001年12月から周辺設備を中心にした解体工事が進められていますが、スソ切り対象の放射性廃棄物が発生する、熱交換器などの解体を行う第2期工事は来年から、原子炉本体の解体撤去を行う第3期工事が2011年から行われる計画です。この解体工事の廃棄物の監視を行うことが必要です。
 また、スソ切り後の産業廃棄物の規制指導を実際に行うのは都道府県と保健所設置市です。これら自治体にも、十分な監視を行うことなどを働きかける必要があります。
 ところで、「制度が定着」したと判断されるまでは、スソ切りされたものが社会に出回らないかというと必ずしもそうでもありません。スソ切り処分の対象は、原発だけでなく、核燃料の精錬、加工や使用済み燃料貯蔵、再処理、廃棄の事業者、核燃料物質使用者、試験研究炉設置者、さらには米軍の原子力船にも適用されます。試験研究炉ではこれまでに8基が廃止され、解体工事中です。「業界内で再生利用」などという約束はあくまで原発の話ですから、この廃棄物がどうなるかは国会審議でも明らかにされていません。対政府交渉や質問趣意書の活用で、制度の疑問点を今後も追及していかなければなりません。
 さらに、病院・研究所などであつかう放射能のごみは、別の法律(放射線障害防止法)のため、スソ切り処分導入の法「改正」は別途行われる予定です。病院などの放射能ごみを出す事業所は全国で約5,000ヵ所、放射能を扱う研究施設も全国で約180か所あります。これらの事業所で発生した放射性廃棄物は現在アイソトープ協会が回収していますが、発生箇所が多いだけに、スソ切り処分が導入されたときに十分な管理が行われるかどうか分かりません。さらなる法改悪を許さない取り組みが必要です。
核管理社会を許さないために
 一方、核物質防護対策の強化では、「核物質防護対策官」が新設され、防護措置体系を知る電力会社等の従事者に守秘義務がかけられました。国会審議では、これらはテロ等の外部脅威対策で、さらに内部脅威対策を今後検討していくとされていました。不満を持つ従業員を「仮想敵」とし、借金状況やアルコール・薬物依存性、犯歴などの個人情報を一括管理することが米国では行われているそうで、日本でも導入可能性の審議が総合資源エネルギー調査会で進められています。さらなる改悪を許さない闘いが、こちらも必要です。  

弾道ミサイル「防衛」への疑問
軍事問題研究会  桜井 宏之

軍需産業技術担当者も認めた
 「届くかどうかについて言える立場にない」。その発言は、良心の呵責に耐えかねたかのように筆者には感じられました。
 これは、昨年11月11日〜12日に開催された「第4回日米安全保障戦略会議」(主催:安全保障議員協議会他)で開催された「日本におけるミサイル防衛の課題」と題するセミナーでの出席パネラーの発言でした。
 同セミナーは、弾道ミサイル防衛(BMD)に関係する日米軍需産業の技術担当者が、BMDの技術的有効性をアピールするというものでした。
 会場からの質疑応答が許されたのを機会に筆者はこれまで疑問に思っていた、イージス艦から発射されるSM−3ミサイルの迎撃高度が、北朝鮮から飛来するノドン・ミサイルの飛翔高度に届くのかという質問をぶつけました。冒頭の発言は、日本側パネラーによるその回答です。
 この回答で筆者のこれまでの疑問は確信に変わりました。日本がこれから導入するBMDシステムの中核をなすイージス艦搭載SM−3ミサイルの迎撃高度では、北朝鮮ノドン・ミサイルを迎撃することができないのです。
弾道ミサイルの特性
 弾道ミサイルは爆弾などの弾頭を弾道飛行させるミサイルです。弾道とは重力によって放物線を描いて物体が飛行する道筋のことであり、弾道ミサイルはロケットとその誘導装置によってその道筋を付けます。ミサイルの誘導と加速はロケットエンジンの停止によって終わり、後は放物線を描いて目標に向かって飛翔することになります。
 ちなみにブースト段階というのは、ロケットエンジンの停止までのことをいい、この段階で迎撃すれば弾頭は目標に到達することはあり得なくなります。また弾道が放物線を描くのは地球の重力によるものですからエンジン停止後のミサイルの方向と速度が決まってしまえば、弾道は決まってしまいます。この段階をミッドコース段階といい、弾着直前をターミナル段階というのです。
 またエンジン停止時に地表と平行の面に対して45度の角度である場合が最も飛翔距離は伸びることになり、この際の最高飛翔高度は射程距離の1/4程度となります。当然、弾道ミサイルである限り、いかなる国のものであろうともこの原理から逃れることはできません。
 そこで最大射程が1,300?といわれているノドン・ミサイルが最長弾道で発射された場合、最高飛翔高度は射程の1/3〜1/4程度(単純計算では1/4であるが、ブースト段階の上昇分や重力が減少することを考慮すると、計算上よりは高くなる)となり、概ね高度433km〜325kmを飛翔することになります。
SM−3では届かないわけ
 現在の科学技術では弾道ミサイルの射程は、ミサイルのサイズにほぼ比例します。これは大型のミサイルの方がそれだけ燃料を搭載できるからです。大砲が、弾頭重量が重くなるにも関わらず、砲弾に詰める火薬量が増えるため、大口径ほど射程距離が長くなることと同じ理屈であると考えてもらって良いと思います。
 イージス艦のミサイル発射システムであるVLS(垂直発射システム)はミサイルを収納する容器の規格が定まっており、それを超える大型のミサイルを収納することはできません。そして現在の技術では、このVLSに収納できるサイズのミサイル(つまりSM−3)は、ノドンの飛翔高度に届くほどの迎撃高度を得ることができないのです。
 冒頭のパネラーの発言は、筆者のこの指摘に対する婉曲の肯定だったのです。

原水禁大会 主な海外ゲストの紹介
デイブ・ナイト(イギリス・CND副会長)
 ヨーロッパ最大の平和運動団体である英国・核軍縮キャンペーン(CND)の副代表。2001年まで代表。
グレッグ・フィールド(アメリカ・メーン州ピースアクション代表)
 ピースアクションは全米最大の平和・軍縮運動団体。76,000人の会員を持つ。
盆子原 国彦(ブラジル在住・原爆被害者協会理事)
 広島市で被爆。母、姉を失う。ブラジルに移民として渡り、仕事の傍ら、原爆被害者の活動を行う。
岡崎 昌彦(アメリカ在住・北米被爆者の会会員)
 広島市で被爆。家族も死亡や被爆。アメリカに渡り、2004年の帰国時に被爆者健康手帳を取得。
ロリ・グッドマン(アメリカ・ネバダ核実験場風下住民)
 アメリカが行ったネバダ核実験場の風下住民として被曝。ウラン採掘被曝者でもある。
ショーン・バーニー(オランダ・グリーンピース)
 グリーンピースで核問題を担当。青森・六ヶ所村の再処理工場反対キャンペーンを展開。
イードレス・ハミード・アルヤシリー(イラク・バスラ「アル・サドル教育病院」)
 内科医、血液学、癌学の専門医。
モハメッド・カミール・アッバス・アルドーキー(イラク・バスラ「産科小児科病院」)
 小児科医、小児癌、先天異常の専門家。ともに、イラク攻撃で大量に使用された劣化ウラン弾の影響と思われる、小児ガン、白血病などが多発していることから、長崎大医学部小児科で研修を受ける。
郭 貴勲(韓国原爆被害者協会会長)
車 貞述(韓国原爆被害者協会前釜山支部長)
李 康寧(韓国原爆被害者協会釜山支部長)
 ともに日本に徴兵・徴用され、広島または長崎で被爆。朝鮮半島に帰り、原爆被爆者協会で活動。来日時に、被爆者手帳を交付され、健康管理手当の支給を受けるが、帰国後、支給を打ち切られたことから、提訴し、地裁、高裁などで勝訴。
このほか、「ひろば」などへも海外ゲストが多数参加。

60年目の8月を迎えるにあたって
〈政局は動き出している〉
 今年は被爆60周年、戦後60周年です。この60周年を記念して、多くの取り組みが各団体によって、企画され、取り組みが開始されています。それぞれの取り組みが相乗効果を挙げ、平和・核軍縮、戦争被害者の権利が大きく前進することを期待します。
 また、一方私たちを取り巻く情勢も大きく動こうとしています。6ヵ国協議が始まります。なんとしても朝鮮民主主義人民共和国の「核兵器疑惑」に決着をつけ、北朝鮮の「NPT体制」復帰を実現したいものです。また小泉政権も「郵政民営化」をめぐって、政権の危機に直面しています。政界再編成も予想されます。野党、労働団体、平和団体、市民団体、国民の団結の力によって、国会の会期末に向け、運動を大きく高揚させれば、自民党に分岐をもたらし、小泉政権を打倒する展望を切り開く可能性が大きく拡大しています。頑張りたいものです。
〈私たちは被害者だけではない〉
 私たち、平和フォーラム・原水禁も、この8月は原水禁世界大会と「8・15平和を誓う集会」などを予定しています。また神奈川の横須賀では原子力空母母港化反対集会もあります。
 私たちの各種集会の基調に流れている基本認識は、原水禁の岩松議長が訴え続けていますが、加害者性の認識とそれを基本にした取り組みです。明治以降、日本の軍国主義による侵略は「時の政府」の責任であることは当然ですが、「日本の市民」は、私たちは、被害者であったと同時に侵略戦争をとめることができなかったこと、その結果として朝鮮半島、中国で侵略行為を実行し、また加担をしてしまったことは事実であり、私たちの責任は免れません。
 6月末、平和フォ−ラムの「中国平和の旅」に参加し、「平頂山虐殺記念館」の見学をすると同時に「生き証人」楊玉分さん(81歳)から証言を聞きました。彼女は8歳のときに事件に遭遇し、積み重なる死体の底に隠れ、生き延びたそうです。日本軍は、ゲリラ掃討を理由に、無差別に3,000人の村民を虐殺しました。白骨化した死体がそのまま無念を訴えていました。731部隊記念館も見学しました。日本軍は、生物化学兵器の「人体実験」を実施し、3,000人を虐殺したと言われています。さまざまな証拠を見ていると「生きたまま人体実験をされた人々の悲しみ」が襲いかかり、体中が震える思いでした。これらは中国、朝鮮における日本軍犯罪の爪痕の一部です。強制連行は、軍隊慰安婦は、遺棄した兵器は、これらの事実が次から次へと日本軍の犯罪を告発し続けています。
 彼らに対する日本政府の戦後補償は極めて不十分です。
 そうした中での戦後、被爆60周年です。