「憲法と平和を考える」
施行58周年憲法記念日シンポジウムを開催
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憲法を取り巻く状況は激動しています。今年は戦後60周年であり、11月15日が自民党結党50周年の節目となることから、同党は小泉総裁を本部長、森前首相を起草委員長とする形で憲法改正案の作成を進めています。また、与党自民・公明両党は、憲法改正のための手続きを定めた国民投票法案の成立に向けて、手続き、法案骨子について合意しています。
平和フォーラムは、憲法前文、第9条などの変更は絶対に認めない立場を堅持するとともに、市民一人ひとりが憲法理念を育み発展させていく取り組みをすすめています。特に第9条を象徴に条文と現実のギャップが強まるばかりの事態に対して、自衛隊の縮小などに向けた平和基本法など具体的指針の確立を目指しています。
こうしたことから、今年の憲法記念日集会は「平和基本法」をテーマに市民版憲法調査会(世話人=五十嵐敬喜・法政大学教授・五百蔵洋一弁護士ら)との共催で開催し約700人が参加しました。
はじめに、五十嵐敬喜・法政大学教授から「『アジア憲法』策定を構想するために」、枝野幸男衆議院議員・民主党憲法調査会長から「憲法改正と国民投票」と題して講演がありました。
枝野さんは、憲法の姿を決定する権限を最終的に有しているのは、政党でも議会でもなく、国民であり、今後はさらに、憲法を制定する当時者である国民の自由闊達な議論を大いに喚起していくことの重要性を強調。民主党が「憲法提言」の策定に向けて集約を進めていることが紹介されました。
引き続く「平和基本法を再考する」をテーマにしたパネルディスカッションでは、民主党・平岡秀夫衆議院議員、社民党・阿部知子衆議院議員(党政審会長)、前田哲男・東京国際大学教授の3人が対談しました。 元内閣法制局参事官の平岡さんは、「憲法の平和主義及び国際協調主義の理念を踏まえ、特に憲法第9条に関し現行解釈を前提として、その解釈を確定させ、必要最小限の自衛力の保持と自衛権行使の限界、国連を中心とした国際社会の諸努力への参加の原則を明らかにすることにより、平和主義と国際協調主義に立脚した日本の安全保障への取り組みを明示する」ことを目的とした「安全保障基本法」(私案)を提案しました。
前田さんは、「いま、なぜ平和基本法か」として、冷戦崩壊後の日本の安全保障のあり方として、アメリカに見られる「軍事中心・単独行動主義」的な「脅威対抗」型ではなく、ヨーロッパなどが追求してきた「共通の安全保障」を基盤とした「地域国際協力」型の導入が有効あることを指摘しました。
そして、憲法に反して肥大化した自衛隊の任務や装備などを見直し(予算縮小・人員削減・兵器廃棄計画)、法律で許容される範囲を明確にすることこそ周辺諸国との対立を避け、信頼関係の構築に役立つことを強調しました。
その上で「平和基本法」に盛り込む内容として、@禁止される「戦力」および、許容される「自衛権・自衛行動・自衛力」の概念規定と定義Aこれまで政府が見解、政策としてきた非核三原則や武器輸出三原則、宇宙の平和利用限定、攻撃的兵器の不保持、集団的自衛権の禁止、文民統制などの法制化B憲法前文に基づく「共通の安全保障」「人間の安全保障」の実施規定による国際社会に対する寄与Cあるべき自衛権行使のかたちを明確にし、「9条具現法」ないし、「憲法補強法」としての位置づけ……をあげました。
阿部さんは憲法9条を守り、他国間で東北アジアの総合安全保障づくりを進めるという党の基本的な安全保障政策を説明するとともに、自衛隊の現状について「イラク派兵の事実を見るまでもなく数多くの違憲状態がある。もう一度、日本の周辺・地域諸国との関係を考えながら、専守防衛という『最低限度の防衛力』の方向へ持っていけるかを考えるためにも平和基本法の議論は必要」だとの考えを示しました。
また、「パネルディスカッション2」では「“平和を希求する”道を探るために」と題して、ジャーナリストの筑紫哲也さん、衆議院議員の菅直人さん、「カタログハウス」代表の斉藤駿さんの3人により行われました。
自民党の新憲法起草委員会(委員長・森前首相)が1ヵ月半ぶりに議論を再開しました。
「文化人」や経済界の代表もまじえた「諮問会議」の初会合を18日に開き、4月初めに起草委員会の10小委員会がまとめた「要綱」をもとに夏までに試案を作成する見通しです。
ただ、安全保障や天皇制といった骨格部分で意見集約が不十分なため、試案段階での条文化は見送り、夏以降、結党50周年の11月に向けて条文化を進める方針です。
「諮問会議」開催の背景には、当初は「要綱」をもとに、4月中に条文化した森委員長試案をつくる予定でしたが、要綱で両論併記や結論先送りが続出したため、単なる「相談役」と位置づけていた諮問会議を実質的な調整を行う場にすることとなったためです。
諮問会議の委員には、首相や衆参両院議長の経験者など政治家に加え、作家の三浦朱門、上坂冬子さんらを含む17人を選びました。憲法前文を「正しい日本語で、平易でありながら一定の格調を持った文章とする」(前文小委員会要綱)のため、作家の知恵を借りるのだそうです。
三浦さんは改憲を目指す「有識者」でつくる「民間憲法臨調」の代表世話人をつとめています。
また、外務省出身で日米同盟論者である岡崎久彦元駐タイ大使や改憲を求める報告書を出した経済3団体(日本経団連・経済同友会・日本商工会議所)から1人ずつ代表を選んでいます。
諮問会議での主要テーマは9条と天皇制になる見通しです。要綱で、条文には明記せず、解釈で認めることとした集団的自衛権の行使については、@制限なしに認めるA安全保障基本法(仮称)を制定し地理的範囲などの条件を定める……などが議論されます。
天皇小委員会の要綱は、現行の象徴天皇制の維持を盛り込む一方、元首としての位置づけを求める中曽根元首相に配慮して「元首と明記すべきだとの意見もあった」と付記していました。このため条文化に向けた一本化作業が必要となります。
諮問会議の委員
起草委員
森喜朗、与謝野馨、中曽根弘文、保岡興治、舛添要一
議長経験者
綿貫民輔、倉田寛之
首相経験者
宮沢喜一、海部俊樹、橋本龍太郎、中曽根康弘
有識者
三浦朱門、上坂冬子、岡崎久彦
経済界
三木繁光(日本経団連副会長)、北城格太郎(経済同友会代表幹事)、高梨昌芳(日本商工会議所副会頭)
| 「人身売買禁止法」は
人権救済なし・刑法の一部改正で成立
清水 澄子 |
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去る4月22日、参議院本会議で人身売買罪を盛り込んだ刑法の一部改正案が可決・成立しました。この法律は「国際組織犯罪防止条約」と、それを補完する「人身売買、特に女性と子どもの人身売買の防止、禁止、処罰に関する議定書」の批准にあたり、国内法を整備したものです。しかし、法案の中身は条約や国際社会が求めているものとは程遠く、被害者の人権救済は既存の法律の枠内にとどめた「行動計画」でお茶をにごし、加害者の処罰規定のみとなりました。
日本ではこの種の人権問題については、政治家を始め社会全体の関心が極めて薄く、運動の分野でも例外ではありません。特に日本は人身売買被害者の受け入れ大国であると国際社会から批判を受けているにもかかわらず、また売春需要が世界一という恥ずべき統計が報告されていることについても知らない人たちが圧倒的に多いのではないでしょうか。
では今なぜ「人身売買禁止法」が必要なのか。それはグローバル経済の進行とともに、人、物、金が国境を越えて激しく移動するようになりました。あらゆるものが商品化し、組織犯罪のネットワークが拡大し国際社会の大きな問題となってきました。特に武器や麻薬を密売していた犯罪集団は、それらの商品よもりリスクが少なく利益の大きい性産業の国際市場を形成し、女性や子どもを甘誘して売買し莫大な利益を上げています。いまや性的商品の供給源となっている地域は、タイ、中国、フィリピン、台湾、韓国のアジア諸国の他にコロンビアやロシア、東欧など多様な国にまたがっています。
さらに、イラクやアフガニスタンなど武力紛争から逃れてきた女性や孤児たち、インド、パキスタンなど貧困地域からの流出が目立ちます。特に女性たちはリクルーターや仲介人に、日本に行けば良い仕事があると騙されて日本に送り込まれ、空港ではヤクザが待ち受け、そのまま性関連産業に転売されています。パスポートは取り上げられて一人500万円相当の借金を負わされ(航空券、パスポート、渡航書類、などという名目)を強制されるというのが通常のパターンとなっています。まさに現代の「性奴隷」と言わねばなりません。
にもかかわらず、日本には「人身売買を犯罪」と規定した法律が制定されていないために、彼女たちは日本に入国した時点で「不法入国者」となり、超過滞在となれば「不法滞在者」として、摘発され強制送還されるという「犯罪者」としての扱いを受けてきました。国際社会が、この矛盾に気づき2000年には、国連で「国際組織犯罪防止条約」を採択し、同時に「人身売買禁止」の「新たな定義」の議定書を採択しました。
人身売買とは「搾取の目的で、暴力及び脅迫その他の形態の強制、誘拐、詐欺、欺もう、権力乱用、弱みに付け込むこと、他人を支配下に置くために金銭や利益の授受を手段として、人の募集、運搬、移送、住居提供、受け取りを行うこと」、また「他人の売春からの搾取、その他の形態の性的搾取をはじめ、強制労働や役務の提供、奴隷状態、苦役、臓器摘出を含む」というものです。
そしてこれらの状況におかれた場合には、例え本人が同意しても人身売買の犯罪に当たる。18歳未満の子どもは、全て人身売買とみなす」と明快な定義を示しました。その上で人身売買の被害者の人権を十分に尊重し、保護し、支援するための国内法の整備と、国際社会が協力して本人の二次被害を防止し、社会的に自立して暮らせるための万全の支援策を講ずるように規定しました。
各国ではすでにこれら条約の定義に沿った法制度が制定され、被害者が加害者を訴追する権利を始め、一時滞在の期間の延長や支援、拘留中の救済や安全の保障ならびに、シェルター、医療保障、通訳のサービスや本国に帰る航空運賃の支給等、被害者の人権保障についても法的に権利を保障する措置がとられています。
日本政府は5年も遅れて腰を上げたにもかかわらず、風営法と入管法の改正と量刑の引き上げのみで、被害者の一時保護は婦人保護施設と民間のシェルターに一日7,000円程度で委託する1千万円の予算計上に過ぎません。これに対し参議院では社民、共産、無所属の議員で「人身取り引きの防止及び被害者の保護に関する法律案」を作成しましたが定数不足で未提出となりました。民主党とも連携して次期国会に提出することをめざしています。
アメリカ産牛肉の輸入問題を考える
問題の多いBSE対策 拙速な輸入再開に反対
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牛海綿状脳症(BSE)対策の見直しを審議していた食品安全委員会は5月6日、20ヵ月齢以下の牛を検査の対象から外すことを容認する答申を行いました。これを受けて、厚生労働省と農林水産省は検査緩和などの対策を8月から実施することにしています。
さらに、現在輸入が禁止されているアメリカ産牛肉の輸入再開をめざして、5月にも厚生労働省、農林水産省は食品安全委員会に諮問するものとみられます。現在、アメリカ政府や国内の牛肉業界などからは、早期輸入再開や、さらなる検査の緩和を要求する動きも強まっています。
BSEは未解明の部分が非常に多く、汚染源や感染経路も不明なままとなっています。さらに、アメリカ産牛肉については次のような様々な問題があります。
BSEの検査は1%以下、牛の月齢もわからない
アメリカでは1億頭もの牛が飼育され、毎年3,500万頭規模でと畜処理が行われています。このうち、昨年、BSE検査が行われたのは約20万頭で、全体の1%以下しかありません。それも、主に病気が疑われるもののみです。本年度は検査頭数を減らすとも伝えられており、安全対策を強化するつもりはありません。
さらに、日本のように、牛の生産や流通の履歴が分かるトレーサビリティ制度もなく、いつ生まれたのか月齢が不明です。これでは、20ヵ月齢以下であるかどうかわかりません。
そのため、肉質や骨化の状況などを検査官が見て月齢を判定するという仕組みをアメリカ側が提案し、日本も科学的検討も十分になされないまま、これを受け入れました。しかし、人間が短時間で正確に月齢を判断できるかどうか、疑問視されています。
特定危険部位の処理や飼料対策も不徹底
BSEの原因である異常プリオンは牛の特定の部分に蓄積すると言われています。日本では、と畜されるすべての牛の脳、脊髄、回腸遠位部、扁桃腺を特定危険部位と定義し、その除去を行い、焼却処分されます。
アメリカでもこれらは特定危険部位と定義され、除去を行っていますが、30ヵ月以上に育った牛に限られています。もし、日本で発見されたような30ヵ月齢以下の若い牛に感染がおこっていても、全頭検査も危険部位の除去も行われず、流通してしまう危険性があります。
さらに、アメリカでは除去された特定危険部位は処分されず、BSE感染源と言われる肉骨粉の原料にされています。肉骨粉を牛の飼料とすることは禁止されていますが、豚や鶏、ペット、魚に与えることは認められています。そのため、飼料の製造や運搬の過程で、危険な肉骨粉が牛の飼料に混じったり、誤って牛に与えられる恐れがあります。
また、肉骨粉が入っている飼料は国内向けには「牛その他の反すう動物に与えてはならない」という表示が義務づけられていますが、輸出向け飼料には表示は義務づけられていません。アメリカ議会の見張り役であるアメリカ会計検査院(GAO)の監査報告でも、飼料の規制が不十分だという報告がされています。
アメリカのための日本の検査見直し
アメリカ産牛肉の輸入を認めて、消費者の選択に任せるべきだという意見もあります。しかし、外食や給食などに使用された場合は原産地表示の義務がなく、選択の余地はありません。
20ヶ月齢以下の牛を検査の対象から外すことが決まっても、日本の牛肉は8割以上が21ヵ月齢以上で、多くは検査を引き続き行うことになります。検査を行う現場からは線引きをすることで作業が煩雑になるとの声もあがっています。さらに、検査緩和をおこなうと、若齢牛での検査ができずに、検査感度を改良する技術開発にも支障が出てくることが指摘されています。
一方、輸入されるアメリカ産牛肉の約9割が20ヶ月齢以下の牛です。検査の基準を見直すことは、結局、アメリカからの輸入のための対策でしかありません。
こうしたことから、平和フォーラムは、アメリカ産牛肉の拙速な輸入再開に反対するとともに、今後とも国内におけるBSEの万全な対策を求めていくこととし、特に、アメリカ産牛肉の輸入再開に向けた論議が山場を迎えると見られる6月前後にかけて、各自治体での輸入再開反対の意見書採択などの取り組みを行うことにしています。
カンボジアへ支援米届ける
秋田県労農市民会議が現地で贈呈式
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4月28日にカンボジアの首都プノンペンにおいて、日本から送られた支援米の贈呈式が行われ、現地を訪問していた「食とみどり、水を守る秋田県労農市民会議」(石田寛議長)の代表団6名が参加し、子どもたちに手渡しました。訪問団の団長を務めた石田議長からの報告をもとにレポートします。
子どもたちの学校給食に活用
平和フォーラムは1995年から毎年、沖縄県を除く各都道府県で、食料不足に苦しむアジア・アフリカ諸国に支援のお米を送る運動を続けています。それも、単にカンパ米を持ち寄るのではなく、生産調整のために使われなくなっていた水田を利用して米を作付けています。これは、水田の維持保全、国土・環境を守ることにもつながり、最近は、子どもたちや市民が作付けに参加しています。特に小学校の総合学習の一環として取り組む例も多くなっています。
昨年、支援米は総計で7万?以上に達し、カンボジアに3万7千?、アフリカのマリへ3万4千?が3月までに送られました。カンボジアへの支援米は、1999年から、国連世界食糧計画(WFP)を通じて送られ、家庭内で食事を受けることができない子ども達に食事を提供し、教育や就職のための活動を行っているNGO団体「フォー・ザ・スマイル・オブ・チャイルド」(子どもたちの笑顔のために)の施設での学校給食に活用されることになっています。
この施設ではWFPカンボジア事務所から提供を受けた食料で、約1,600人の子どもに食事を提供しています。生活に苦しんでいる家庭には月15?の米も提供されます。働き手の子どもを学校に通わせない親もおり、給食や持ち帰り用とすることで、学校へ通える状況を作り出しています。
農家の3分の2が食料不足に
WFPの調査によると、カンボジアでは人口の36%が貧困に苦しんでいます。特に、海外からの農産物の輸入増加などから、人口の8割を占める農村でも、自分で生産した米を自分で食べることができない農民が多数を占めるという状況にあります。自家用米が足りる農家は3分の1にすぎず、残りは米を買うために借金をしています。
このため農民が借金返済のため土地を奪われ、農村から都市部へ移り住み、仕事もないため、「ゴミ山」(ゴミの集積場)に集められたごみの中から空き缶やペットボトルを探し、売って生活している人々も多くいます。ものすごい悪臭の中に住居があり、気管支障害をおこす子どもも出ています。このような所で働く子どもに対して、ボランティア団体が学校と職業訓練施設を提供し、様々な技術を身につけ社会で働くことができるようにしています。そうした子どもたちの給食用として日本からの支援米が使われています。
贈呈式では、400人以上の子どもたちの歓迎を受け、石田議長が、「私が住む秋田県大館市では60人以上の市民が参加し、近くの幼稚園児も参加してくれた。ここでの話を子どもたちに伝え、国際交流の心が芽生えるきっかけにもしたい」とあいさつ。これに対して、WFPカンボジア事務所のラム・サラバナムテュー所長も「日本の子どもや各地の皆さんの支援は賞賛すべきことだ。食事を取れない子どもたちがカンボジアからいなくなるまでがんばる」と謝礼を述べました。
日本の参加者は、「支援米が本当に援助が必要な人に届いているのかという疑問もあったが、現地で生活すらままならない状況を見て心配は吹き飛んだ。こうした援助をボランティア組織が取り組んでいることも驚かされた。さらに活動を拡げたい」と語りました。
| 被爆60周年
多くの課題が山積する原水禁世界大会(1) |
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この原稿を書いている現在は、NPT再検討会議が開会されてから10日余。いまだに議題が決まりそうで決まらないという状況が続いていて、ほとんど成果なく終わるのではないかと思われます。一方で北朝鮮が寧辺の実験用黒鉛減速炉から使用済み核燃料棒8000本の取り出しを表明。核実験も近いのではないかとの推測もあります。
被爆60周年という今年は、このような核兵器の無法時代の到来さえ心配されるなかで開催されるのです。
60年前の広島、長崎の惨劇を知ることから
広島、長崎に原子爆弾が投下されてから60年も経過すると、当時の惨状への記憶も風化してきます。私たちは広島、長崎の原爆資料館を見学したり、ヒバクシャの方々の話を聞いて当時を想像する以外に、60年前の惨劇を知ることはできないのです。これは私たちの日常的な状況として理解する必要があります。
このような状況のなかで、私たちは核戦争がどのような悲劇を作り出すのか、想像力を回復することから始めたいと考えます。核戦争の被害を理解するひとつの事例としてチェルノブィリ原発事故があります。チェルノブィリ原発事故当時、ソ連共産党書記長だったゴルバチョフは「私はこの事故によって核戦争の恐ろしさを実感した」と語っています。
チェルノブィリ原発が人々にもたらした被害は放射能による被害です。広島、長崎の被害はそれに爆風、熱線の被害が加わります。しかしどちらもウラン原子の核分裂によって起こった悲劇なのです。
不幸なことに日本の運動のなかに、広島、長崎の被害と原発事故の被害を区別しようとする人たちがいます。それは広島、長崎のヒバクシャのなかにもあって、そのことが逆に広島、長崎が十分に引き継がれない一因になっているといえます。2006年はチェルノブィリ原発事故20周年になります。改めて広島、長崎、チェルノブィリ(そして東海村)をつなぐ運動を作っていくことが重要です。
広島、長崎の記憶は、未来の核戦争への恐怖を想像させるから大きな意味があるのです。チェルノブィリや東海村の同じ核による被害として理解することが未来につながる大きな力となるのです。
北朝鮮の核武装化にどう対応するのか
北朝鮮が自国存続の保証を確実にするためだけに、核兵器保有を誇示することは、広島、長崎の悲劇をなんら教訓化していないといえます。北朝鮮には広島、長崎のヒバクシャが数多くいると考えられますが、この人たちの経験がまったく一般化していないのは北朝鮮にとっても世界にとっても不幸なことです。
北朝鮮は核兵器保有を主張していますが、どのような核兵器を保有しているのかは明らかでありません。その核兵器がミサイルに積載できるほど小型化されているのかなど、不明な点は多いのです。しかし核兵器のために努力を続ければ、いつかは必要なものが完成すると考えます。
北朝鮮の核問題は六者協議による解決しか存在しないのですが、米国は根拠の不確かなウラン濃縮まで含めた廃棄を求めています。一方日本は、拉致問題が大きな足かせとなっていて、有効な方策を打ち出せないでいます。日本も米国も六者協議再開を中国の努力に求めていますが、日本がプルトニウムだけに問題をしぼるように、米国を説得すれば、状況は大きく動くことが考えられます。
しかし六者協議を巡っての日本の動きを見ていると、北朝鮮・核問題の早急な解決を望まない勢力が存在しているとしか思えないときがあります。拉致問題、核兵器問題をテコとして、日本の民族主義を鼓舞し、核武装化を遠い将来であっても視野に入れて動いている人たちがいるのではないかと。
六者協議が開催されないまま、いずれ北朝鮮が核実験を行ったとして、米国がその段階で妥協することは望めません。つまり私たちは核兵器を保有し、ときに脅迫的な言辞を弄する隣国との共存が迫られる可能性が大きいといえます。
私たちはあくまでも北朝鮮の核兵器廃絶を要求し続けますが、それは米国の軍事的圧力などによってではなく、東アジアの友好的な共生関係を作っていくなかでしか解決しないことを理解すべきでしょう。
東アジアには北朝鮮核問題だけではなく、ミサイル防衛など、中国をターゲットとした日米軍事戦略網も展開されようとしているのですから、ますます東アジア共通の安全保障を考えるときにきていると思います。
米軍・自衛隊の再編・再配備とミサイル防衛(3)
レーガンのSDI計画
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レーガン大統領のSDI計画(1983年)について少し詳しく紹介します。SDI計画の特徴を一言でいうと、相手の弾道ミサイルの迎撃を宇宙で行おうとするシステムで、そのために宇宙から発射する、電磁レールガン(電磁力で鉄の弾丸を発射)、X線レーザー、ガンマ線レーザー、化学レーザー、粒子ビーム兵器、さらに相手ミサイルの電子機器を破壊する電子パルス兵器など、さまざまな新兵器研究が行われました。また宇宙に打ち上げ、化学レーザーを反射させるレーザー反射鏡の研究も進めました。
しかしX線レーザーや電子パルス兵器は核爆発を必要とし、化学レーザーの反射鏡は、口径10メートルの完全な鏡を打ち上げ、そこに25メガワットの電力を使って、高速で移動する目標に7秒間もレーザーを反射して、当て続けるというものでした。粒子ビーム兵器も巨大な加速器が必要であり、電磁レールガンも核爆発などによる巨大な電磁場が必要など、それぞれ実用化にほど遠いものでした。
ブッシュからクリントン、そしてブッシュ
このためレーガンの後を引き継いだブッシュ大統領は、実用化が望めないレールガンやレーザー兵器などの配備を取りやめ、弾道ミサイルに直接体当たりする地上発射の迎撃兵器に重点を移した「限定攻撃に対するグローバル防衛」(GPALS)構想に縮小しました。防衛対象もまた旧ソ連を含む全世界に広げました。
さらに民主党のクリントン大統領が登場し、GPALSを発展的に解消、海外に展開する米軍と同盟国を防衛する戦域ミサイル防衛(TMD)と国家ミサイル防衛(NMD)から構成される弾道ミサイル防衛(BMD)構想を発表しますが、政策としてはTMDに重点をおくものでした。議会で多数をしめる共和党からはNMDの推進を強く求められ、クリントン大統領は妥協を重ねますが、結局、ABM条約に違反するミサイル防衛は承認しませんでした。
ブッシュ大統領が登場し、TMDとNMDを統一するミサイル防衛(MD)推進を打ち出し、ABM条約から脱退したことは、以前紹介したとおりです。
1985年にブッシュ大統領が打ち出したGPALS構想のなかで、現在のミサイル防衛で中心的な役割を果たすPAC3=パトリオットミサイル3、戦域高々度防衛ミサイル(THAAD)、海上配備スタンダードミサイル・ブロック4A研究開発が始まったのです。
PAC3は、航空自衛隊が配備しているPAC2の改良型ではなく、まったく新しい設計による迎撃ミサイルですが、射程が20キロ(50キロ説も一部にある)以下と短いため、敵の弾道ミサイルが大気圏に再突入するときに備えるミサイルです。THAADは、相手弾道ミサイルが大気圏に再突入する前の高度50〜100
キロで直接命中させる迎撃ミサイルです。海上配備スタンダードミサイルは、海上自衛隊のイージス艦に07年から配備予定のSM3のことで、大気圏内を飛行する弾道ミサイルに近接して爆発するシステムです。
このほかNTWD=海上配備・高々度広域防衛ミサイルの日米共同研究が1998年から始まっていて、体当たりする弾頭部分の研究は日本が進めています。
ミサイル防衛と軍事産業
SDI計画を発表したレーガン大統領は、ベトナム戦争終了後、落ち込んだ軍需の拡大を求める軍事産業の強い支持によって当選しました。従ってSDI計画は米国軍事産業界の要求でもあったわけで、米政府以外に軍事産業界も莫大な先行投資を行いました。
しかしブッシュ大統領により、SDI計画が大きく縮小された上、冷戦が終結、ソ連崩壊という事態のなかで軍事費の削減が一気に進みました。冷戦終結後の1990年代、米軍事産業にとって厳しい時代が続きます。
多くの軍事産業で航空・宇宙部門からの撤退が相次ぎ、産業界全体の縮小・再編が進みます。軍事・航空機部門ではボーイング社とロッキード・マーチン社の2社寡占体制に、軍事電子関係部門はレイセオン社の1社に集中していきます。(注)。
SDI計画に参入した多くの米軍事産業は、議会に働きかけレーザー兵器を含むミサイル防衛の復活・拡大を求めました。これが90年代終わり頃の共和党によるNMD推進要求となったのです。こうして多くの米軍事産業が息を吹き返しました。米議会はまた、これら軍事産業とも深く結びついているのです。
しかし、結局、ボーイングとロッキード・マーチン、レイセオンの寡占体制は現在も変わっていません。ストックホルム国際平和研究所のSPRI・04年版で、世界の軍事企業・ビッグ3は上位5位に名を出しています。
(注=松村昌弘「日米軍事同盟と軍事技術」勁草書房)
5月2日から開始された核拡散防止条約(NPT)再検討会議において、政府代表団への働きかけを行い、また全世界から結集する市民団体の行動に参加するため、原水禁・平和フォーラム派遣団(団長=福山真劫原水禁・平和フォーラム事務局長)25名が、4月28日から5月4日にかけてワシントン市とニューヨーク市を訪問しました。
核拡散防止条約(NPT)は1968年に締結され、70年に発効し現在188ヵ国が加盟しています。安全保障関連ではもっとも多くの加盟国を持つ条約です。この条約の目的は核兵器の拡散防止、核軍縮、核技術の平和利用の推進です。当初は25年間の期限付きの条約でしたが、1995年の延長再検討会議で無期限延長が決められました。
今回の再検討会議は核兵器国と非核兵器国の意見の大きな違いから、今後の取り組みについて具体的に何も決まらない危険性があります。インド、パキスタン、イスラエルなど非加盟国の核保有がすすむ一方で、北朝鮮がNPTを脱退して核保有を宣言し、イランがウラン濃縮計画をすすめ、また核の闇市場の存在など核兵器、核物質、核技術の拡散が進行しています。
核保有国は、自分たちの核軍縮義務を果たさず、特にブッシュ政府はNPT体制強化に不可欠な「包括的核実験禁止条約」(CTBT)を批准せずその発効を妨げ、小型核の開発なども進めようとしています。NPTに基づく核不拡散体制は危機的状況にあります。
核兵器国が核軍縮について具体的に取り組みをすすめ、加盟国全体の合意をもとにしての拡散防止策、NPT脱退防止策を強化し、NPT体制自体の検証能力を向上させ、対抗措置を取れるシステムを作る方向性が打ち出されることが、今回の再検討会議で求められています。
4月28日、成田で結団式を行い出発した団は、まずワシントン市に立ち寄り、翌29日午前中に原爆投下機・エラノゲイが展示されているスミソンニアン博物館への申し入れを行いました。
エラノゲイは2003年12月開館した別館(STEVEN F.UDVAR-HAZY CENTER)に展示されていましたが、その説明では原爆投下による被害には一切触れられていませんでした。派遣団が、広島での原爆被害の実相についてきちんと伝えるようにという要望書を博物館側に渡そうとしましたが、警備は「見学以外の行為は一切認めない。手紙を渡す、あるいは抗議の意思を表明するような行動を行ったら拘束、排除する」という強硬な態度に終始しました。
そのため別館では要望書を渡せず、その後本館の方で交渉し、副館長級の職員が受け取り、館長にも伝えるということを約束してくれました。
その日の午後は9.11への報復戦争にただひとり反対したバーバラ・リー下院議員(カルフォルニア州選出)の議会事務所を訪問し、政策スタッフと交流しました。ブッシュ政府の単独行動主義が核政策にも及んでおり、核軍縮を妨げ、核拡散を促進していることにバーバラ・リー議員は懸念を持ち、ヒロシマ、ナガサキの悲劇が繰り返されないために共に協力をしていきたいという彼女の意向が伝えられました。
また、原水禁大会に何回も招待しているアメリカの平和団体「ピースアクション」(Peace Action)と交流会を持ちました。「ピースアクション」は全米に基盤を持つ全国的な平和団体であり、イラク反戦運動でも大きな役割を果たしています。ワシントンでは平和教育や議会へのロビー活動などに力を入れており、ブッシュ政権が進めようとする新型核兵器開発のための予算を議会で削減させるなどの成果を上げています。ただブッシュは再び予算獲得を画策しており、今後も攻防が続くということでした。
ニューヨークに移動した団は5月1日反核団体“Abolition Now!”(「ただちに核廃絶を!」)とイラク反戦に取り組む“United
for Peace and Justice”(「平和と正義のために統一」)が共催するデモと集会に参加しました。ニューヨーク市民の反応は極めて好意的でした。
約4万人が集まり、日本のメディアでも取り上げられたこの行動には、日本からも被爆者、広島・長崎両市長をはじめ多くの参加者がありました。現地での参加者の多くは若者で占められ、ブッシュ再選という厳しい政治情勢にもかかわらず、世代交代をすすめ確実に力をつけているアメリカの平和運動の姿を見ることができました。
5月2日のNPT再検討会議初日、会議を傍聴しようと多くの市民が国連本部に朝から列を作りました。私たちも会議登録を行い、本会議や「平和市長会議」の傍聴を行い、また「劣化ウラン弾」、「六ヶ所再処理工場」に関するNGOの主催する集会などに参加しました。
今回派遣団は、「核兵器廃絶1000万署名」で850万以上の署名を共に集めた連合・核禁会議と「核兵器廃絶ニューヨーク行動」を結成し、5月1日のデモ、集会などに参加しました。
また2日には9.11テロ事件の被害者家族が「報復戦争に反対」して結成した「ピースフル・トゥモロウズ」との交流を行い、3日には国際自由労連(ICFTU)と連合が主催する「平和のための労働組合・国際会議」に参加しました。町村外相、美根軍縮大使への申し入れも共同で行いました。また、850万名のアナン事務総長宛の署名を、5月4日に三団体でNPT再検討会議のドゥアルテ議長に提出しました。
そして、今回の派遣団の中で特筆すべきこととして、長崎から高校生が参加し「高校生一万人署名」を行く先々で集め、またニューヨークの高校やフランス・ドイツの若者たちの団体と交流を行い、積極的に核廃絶を訴えて回りました。若い力が伸びていくことが、今後の核廃絶運動の希望でしょう。
NPT再検討会議は、核廃絶を訴え集まった市民の熱気、それを受けて核軍縮を進めようとする「新アジェンダ連合」や「非同盟諸国」、核軍縮に背を向けて特定の国に焦点をむけようとするアメリカなどの核兵器国が対峙している状態でした。
CTBT発効への外交努力に加え、核兵器に頼らない安全保障政策への転換や六ヶ所村再処理工場計画の凍結、北東アジア非核地帯の設置など、日本がNPT体制強化に貢献できることは数多くあると思われます。こうした中、日本での行動の重要性を確認しながら、帰国の途につきました。
| 日韓被爆二世シンポジウム2005in広島 全国被爆二世協会長 平野 伸人 |
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日韓被爆二世交流の歴史
日本と韓国の被爆二世の交流の歴史は、20年前に日本被爆二世訪韓団が、韓国の被爆者や被爆二世を訪問したことから始まりました。しかし、日本の侵略・植民地支配のはてに原爆被爆という悲惨な体験をし、しかも戦後は被爆者援護からも切り捨てられた在韓被爆者、そして、被爆者の子どもとして親の苦しみを見てきた被爆二世との意識の差は大きく、同じ被爆二世としての連帯を作り上げていくには、多くの困難がありました。しかし、日本の被爆二世が在韓被爆者の支援を続けてきたことから、信頼関係が生まれるに至りました。
このような歴史をへて、1989年に第1回の日韓被爆二世シンポジウムが広島・長崎で開催されました。被爆二世でありながら日韓の被爆二世の問題意識やそれぞれが抱える課題にはおおきな隔たりがあり、むしろ、その隔たりを認識することが重要な課題であったともいえました。しかし、この日韓被爆二世シンポジウムの開催によって、被爆二世として何をなすべきか、それぞれが自覚させられるきっかけとなりました。そして、日本の被爆二世が在韓被爆者の支援活動に取り組んだり、韓国の被爆二世の中心メンバーの事情などもあり、しばらく交流が途絶えた時期もありました。
11年後の2000年に韓国ソウルにおいて、第2回の日韓被爆二世シンポジウムが開かれました。このソウル・シンポジウムでは、主として,日韓の歴史認識と在韓被爆者についての論議がなされました。被爆二世としての共通の基盤を持つために必要不可欠な課題への取り組みといえました。そして、第3回は2003年に韓国・釜山で開催され、歴史認識を共有するとともにこのようなシンポジウムや交流を通して日韓の被爆二世同士の連帯を深めてきました。
昨年は、東京において第4回の日韓被爆二世シンポジウムが開催され、歴史認識の共有や在外被爆者問題ばかりではなく,被爆二世の援護の問題や被爆体験の継承、核兵器の廃絶などの平和問題などにも共通の問題意識と活動の方向性を持つことができました。
被爆60年・広島開催の意義と課題
そして、被爆60年の今年は、これまでの経過を踏まえ、今後の被爆二世の運動を両国での国民的な課題としていくための重大なシンポジウムであるという位置づけのもと、被爆地・広島で開催されることとなりました。
今回のシンポジウムの目的としては、以下の2点があげられます。
@原爆被爆60年にあたり、被爆二世の問題を日韓両国をはじめとした人類共通の課題として、被爆二世の援護を求めていく。そのために、被爆二世問題の理解を深めるとともに世論を喚起する機会とする。
A日韓被爆二世の連帯を深め,共通の課題のもとに世界の平和に貢献できる日韓被爆二世運動の構築をめざすことです。
日韓被爆二世シンポジウムへの期待
今回のシンポジウムは、韓国から5人の被爆二世を迎え、2005年6月26日(日)広島平和記念資料館;メモリアル・ホールにて開催されます。第1部(シンポジウム)と第2部(講演・報告)に分かれ『日韓被爆二世の連帯で平和な明日をつくろう』〜再びヒバクシャをつくらないために〜のテーマのもと、終日、論議が深められます。被爆60年・被爆二世の援護を求めるとともに、核兵器廃絶・世界の平和をめざす日韓被爆二世運動の構築に向けた論議が期待されます。多数の方々のご参加をお待ちしています。
日時;2005年6月26日(日)10:00〜16:00
場所;広島平和記念資料館(広島市中区中島町1-2東館地下1階・メモリアルホール)
コーデイネーター:福山真劫(日本・原水禁) パネリスト:寺中正樹(日本・山口)/中谷悦子(日本・広島)/崎山昇(日本・長崎)/カン・ソンホ(韓国・テグ)/イ・テジェ(韓国・プサン)
講演@『日韓被爆二世運動に期待する』(仮題)豊永恵三郎 (韓国の原爆被害者を救援する市民の会・広島支部長)
講演A『被爆二世健康影響調査の現状と課題』山田美智子(広島放射線影響研究所・臨床研究部副部長)/陶山昭彦(長崎放射線影響研究所・疫学部部長)
特別報告@『三菱徴用工裁判・控訴審判決の意味と意義』三菱徴用工裁判を支援する会
特別報告A『韓国における被爆二世の実態調査について』韓国被爆二世の会
主催:全国被爆二世団体連絡協議会/韓国被爆二世の会/原水爆禁止日本国民会議
共催:広島県被爆二世団体連絡協議会/長崎県被爆二世の会
後援:韓国原爆被害者協会ほか |
平和フォーラムは4月22日に東京・全水道会館で第7回総会を開催しました。
江橋崇代表のあいさつ、メツセージ・祝電紹介に続いて、報告事項として福山真劫事務局長が2004年度の活動報告・総括、2004年度の会計決算報告を行い一括して承認されました。議事として「2005年度の運動方針案」「当面の制度・政策要求」「2005年度の予算案」を福山事務局長が提案しました。
参加者からは、非核・平和条例全国集会の開催およびJR不採用問題への取り組み(北海道)、経済界の改憲の動きに対する取り組み(新潟)、自衛隊内での人権侵害問題(宮崎)、憲法問題と平和基本法について(国公総連)、教育基本法改悪と教科書採択問題(日教組)に関して意見が出され、福山事務局長から、意見を積極的に受け止めて運動に取り組む旨の答弁があり、議案は一括して承認されました。
新役員の選出に続いて「戦後・被爆60周年にあたっての特別決議」が提案され、満場一致で採択され、総会を終了しました。また、総会に先立ち、原水禁国民会議第80回全国委員会が開催され、2004年の活動報告、2005年度の運動方針、活動計画や「被爆60周年原水爆禁止世界大会」についての提案がありました。参加者からは、六ケ所村・核燃再処理工場のウラン試験やアクティブ試験(使用済核燃料を使った試験)強行を許さない取り組み(青森)の報告がありました。
新しい可能性への踏み出し
2005年のNPT再検討会議が始まっています。最大の焦点は、米国の新しい核軍事戦略の中で、2000年の13項目合意をさらに前進できるのかどうかです。このペーパーが出るころにはその帰趨が明確になっていると思われます。
NPT再検討会議に向けての核軍縮をめざす取り組みは、原水禁、連合、核禁会議の3団体の共同行動として行われました。戦後・被爆60周年の中で、なんとしても「平和・核軍縮」をめざす多数派を形成する必要があると同時に大きな運動を作りたいと考えたからです。
主要な取り組みは、署名運動と対政府、国連への要請行動、ニューヨーク行動などです。「核兵器廃絶」の署名運動は、結果として、850万を超える署名を集約できました。連合が取り組んだ署名では、集約数で公務員制度改革署名に次ぐ2番目の多さです。この取り組みは高く評価すべきだと思います。この流れの中で、原水禁世界大会も成功させたいものです。
一方、課題も見えてきています。ひとつは連合として、核軍縮課題で、もう一歩前に進めるかどうかです。
つまり、世界的な核軍縮の流れを、東アジアで前進させるためには、大韓民国、朝鮮人民民主主義共和国、日本による東北アジア非核地帯の成立させることが不可欠です。そのためには、日本政府は、非核3原則の堅持、米国の「核の傘」から離脱、米国の先制攻撃政策反対、東アジア非核地帯確立へと進まなければなりません。ぜひ連合・核禁会議とともに、日本政府に従来の「米国の核抑止力」に依存する政策の転換を求めて、もう一歩進みたいものです。
二つは、今回のNPT再検討会議の焦点は、「再処理工場稼動阻止」も大きな課題でした。
原子力資料情報室、グリンピースとともに連絡会を結成し、取り組みましたが、重点は連合との共同行動においたがゆえに不十分でした。原子力資料情報室等NGOの取り組みに敬意を表したいと思います。
非核保有国で唯一の再処理工場となるだけに、青森現地の闘いと連動しての取り組み強化が求められています。とりわけ連合との関係では、エネルギー政策にかかわって議論が必要であると同時に、再処理工場については、別途の議論が可能ではないかと思われます。
最後に、5月15日、沖縄では平和行進、普天間包囲行動に続いて、普天間基地即時返還をめざして県民集会が開催されました。画期的だったのは、沖縄を中心とする運動の盛り上がりと民主党岡田代表、又市社民党幹事長、社会大衆党、志位共産党委員長と全野党の代表が県民集会に結集したことでした。全国的な大衆運動の高揚とこの枠組みの強化の中で、はじめて普天間基地返還の展望が見えてきます。
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