憲法調査会の動向
2000年1月に衆参両院に設置された憲法調査会は、今国会で5年間の活動を終え、4月中にも最終報告書を提出することになっています。最終報告書の内容は、まだ明らかになっていませんが、衆参の調査会とも、審議過程で出された意見を列記し、その中からおおむね3分の2以上の委員が賛意を示した意見を「多数意見」として示すことになっています。
衆院憲法調査会の最終報告書では、「多数意見」として、@女性天皇の是認、A自衛隊の存在容認、C環境権・プライバシー権・知る権利の明記、D憲法裁判所の設置などが挙げられる見込みです。一方、参院では、何を多数意見とするかついて模索が続いていますが、少なくとも自衛隊の存在を憲法上認めることや、二院制の維持については、多数意見として示す予定です。
国会内における今後の憲法論議の進め方については、まだ方針が確定していませんが、与党や民主党は、憲法調査会の後継機関として「憲法委員会」を新設し、同委員会において、憲法改正案の審議・策定などを行うことを検討しています。
自民党改憲試案の内容
今年1月から活動を始めた自民党の「新憲法起草委員会」(委員長:森喜朗前首相)は、この3ヵ月あまりの間に着々と「新憲法」の検討を進め、5月の連休明けにも改憲試案を発表することになっています。試案がどのような内容になるかは、いまだ不確定ですが、@「自衛軍」の保持とその国際協力活動への参加、A「国防の責務」の新設、B環境権やプライバシー権などの新しい権利の明記などを盛り込むことが検討されています。自民党は、この試案に基づいて、結党50年を迎える今年11月に正式な改憲案の発表にこぎつけることを目指していますが、党内においてさえ調整すべき論点が山積しており、11月に間に合うかどうかは微妙な情勢です。
国民投票法案の問題点
憲法改正に際しては、その承認を得るために、国民投票を行うことが必須の条件ですが、そのための手続法はいまだ存在せず、したがって今後の改憲論議に当たっては、憲法改正の内容と共に、国民投票のための手続法である「憲法改正国民投票法」が問題となります。同法の具体的な中身は、まだ正式には明らかになっていませんが、かつて憲法調査推進議員連盟(憲法議連)が、同法の法案を作成し、2002年の通常国会への提出を目指したことがあります。今次の法案作成においても、この憲法議連案を土台にすることで与党の合意が得られており、基本的には議連案の内容に沿った法案が出されることになっています。現在、検討されている法案の骨子は、以下の通りです。
(1)国民投票の投票権は、国政選挙権を有する者に付与する。
(2)投票は憲法改正に反対(×)か賛成(○)かを記号で記載する。
(3)賛成投票が有効投票数の2分の1を超えた場合は、憲法改正に対する国民の承認があったものとする。
(4)外国人による国民投票に関する運動を禁ずる。
(5)公務員や教員による、その地位を利用した国民投票に関する運動を禁ずる。
(6)予想投票の経過や結果の公表を禁ずる。
(7)メディアの不正利用やメディアによる虚偽報道を禁ずる。
これらのうち特に問題となるのは、予想投票の結果公表や外国人による運動を一律に禁止していることです。憲法改正の国民投票は国家の一大事であり、通常の国政選挙よりも大きな重みをもちます。それゆえ、投票に際しては、より多くの情報を国民が享受できるようにしなければなりません。にもかかわらず、予想投票や外国人の運動を禁止することは、国民の知る権利という観点からも、またメディアや外国人の表現の自由という観点からも看過できるものではありません。
また、外国人の中でも、特に在日韓国人等の特別永住者は、日本で生まれ育ち、今後も日本社会で暮らしていく「市民」です。そして、その背景には、日本の戦争責任・戦後責任の問題があります。このような日本社会の現状を鑑みるとき、すべての外国人の運動を一律に禁ずることは、外国人を不当に「よそ者扱い」する行為であり、日本社会の多様性や国際化を否定するものであると言えます。
その他、この法案に関しては、投票権の付与年齢を20歳としていることや、憲法改正の成立要件を「有効投票数の2分の1超」としていること、あるいは投票方式に関する定めがないことなど、種々の問題点が指摘されています。憲法改正の論議以前に、まずは国民投票法案の有するこうした欠陥や問題点について、十分な議論を深めなければなりません。
政府が「国民保護」に関する基本指針を決定
基本的人権の制限を許さない取り組みを
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机上で作った戦争避難計画
核攻撃があった場合には、「風下を避け、手袋、帽子、雨ガッパ等によって放射性降下物による外部被ばくを抑制する」。また弾道ミサイルや爆撃機による攻撃があった場合には、「近傍のコンクリート造りの堅ろうな施設や建築物の地下、地下街、地下駅舎等の地下施設に避難」する…。戦争が始まった時に、このような方法で本当に市民の生命を守ることができるのでしょうか?
これらは3月25日に小泉内閣が閣議決定した、「国民の保護に関する基本指針」に書かれている内容です。この基本指針は、昨年成立した国民保護法に基づき、日本が外国から攻撃を受けた場合の国民の避難や保護の手順を定めたとするものです。今後は05年度中に都道府県の「国民保護計画」と指定公共機関の「国民保護業務計画」が、06年度中に市町村の「国民保護計画」が作成されることになります。
有事法制のおさらい
小泉政府は03年6月、@武力攻撃事態法、A改正安全保障会議設置法、B改正自衛隊法─の有事3法を成立させました。有事3法は、日本が戦争を開始する際の手続きを定めたもので、有事法制の総則編に当たります。さらに政府は04年5月、@国民保護法、A特定公共施設利用法、B外国軍用品海上輸送規制法、C米軍支援措置法、D改正・自衛隊法、E捕虜取扱法、F国際人道法違反処罰法─の有事関連7法を成立させました。有事関連7法は、自衛隊や政府の具体的な行動を定めた有事法制の実働編です。
このうち国民保護法は、戦争に際して国民を避難させることを名目としています。しかし実際には@自治体職員・運送事業者・医療機関従事者などに避難計画への従事を求める、A流通業者に対して食料品の保管・売り渡しが要請される、B国の求めで土地・家屋・物資の収容を可能とする──などの問題点を含んでいます。そもそも国民保護法は「国民の自由と権利に制限を加える」ことを前提として作られているのです。
どのような戦争を想定しているのか
基本指針は「我が国に対する本格的な侵略事態生起の可能性は低下しているものの、大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展、国際テロ組織等の活動を含む新たな脅威や平和と安全に影響を与える多様な事態への対応が差し迫った課題となっている」と述べています。大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散は、米国がイラク攻撃の理由としたものです。国際テロ組織とは、米国がイスラム系武装組織を指して使う言葉です。これらが日本にとっての脅威であるという根拠は、何も示されていません。
また基本指針は日本への侵略の形態として、@着上陸侵攻、Aゲリラや特殊部隊の攻撃、B弾道ミサイル攻撃、C航空攻撃の4つをあげています。しかし、これらは、冷戦期のソ連との全面戦争を想定したものであり、本格的な侵略の可能性が低いという政府の判断と矛盾します。
細かに決められた市民・労働者の動員体制
基本指針には、戦争が起きた場合に自治体や指定公共団体の職員を動員する体制、地域の消防団やボランティア組織への動員要請、またこれらの組織が日ごろから計画を作成し訓練を行うこと、国民に対して啓発活動を行うことなどが、詳細に記載されています。
どのような戦争が起きるのかの前提があいまいで、国民を「保護」する方法については非現実的な内容にもかかわらず、国民を「動員」する体制については事細かに書かれているというのが基本方針の特徴です。このことを見れば、基本指針の目的が、あたかも戦争が起きることを市民の意識に刷り込み、それを利用して戦争体制に自治体や地域住民組織を組み込むことであると考えられます。
いま日本が行うことは
日本政府が行うべきことは、戦争の準備や、ブッシュ政権の単独行動主義に追随して軍事的緊張を高めることではありません。戦争や紛争の原因である「貧困」や「飢餓」を、国連機関と連携して解決することです。
小泉内閣による戦争のできる国づくりを許さず、市民への戦争協力の強制を許さない監視活動を強めていきましょう。
4月5日、文部科学省は、「新しい教科書をつくる会」(以下つくる会)主導の扶桑社申請の中学校社会科「歴史」「公民」教科書の検定合格を発表しました。 今回合格になった教科書は、2006年度から全国の中学校で使用可能となるものです。8月の教科書採択決定を前に5〜7月期は各採択地区での検討という大きな山場を迎えようとしています。
「つくる会」は、これまで「従軍慰安婦」「南京大虐殺」などの記述を「反日的・自虐的」として教科書から排除するキャンペーン、検定基準から「近隣諸国条項」削除の申し入れや教科書調査研究から教職員から排除することを狙った地方議会での陳情・請願や教育委員会への働きかけなどを強行してきました。
報道によると扶桑社の教科書には、申請した8社中最多で歴史124件(前回137件)、公民75件(同99件)の検定意見がつき、同社はすべて修正したとしています。
また、扶桑社版教科書の申請図書(いわゆる白表紙本)が検定作業中に「教員の意見を聞くため」として貸し出され(流出)、3度にわたり文科省から指導を受けていたことが明らかになりました。白表紙本については検定の公正さを確保するために、検定の実施細則で「申請者は検定審査が終了するまでは内容が申請者以外に知られないように適切に管理しなければならない」と定められています。
こうした重大な問題を抱えた教科書を「検定済教科書」としたことを看過できません。このことは、中国・韓国などアジア諸国との深刻な外交問題に発展しており、その原因の責任の一端は、積極的に検定通過させた文科省と小泉内閣にあると言わざるを得ません。
「つくる会」教科書採択の状況や結果は、今通常国会への上程は見送りとされた教育基本法改定の動きとも密接に関係してきます。平和フォーラムは、憲法・教育基本法の理念に反するこうした「つくる会」などの史実と歴史認識を大きく歪める偏狭なナショナリズムの危険性を広く市民に訴えるために一連の取り組みをすすめていきます。
「教科書問題を考える会」の活動も再開します
2001年の採択時に中心となった、市民の力で憲法・教育基本法を尊重した教科書を選び、教科書問題を考えるネットワークです。「歴史の事実」を正確に継承、明らかにし、「アジアとの友好・和解」をすすめるとともに、21世紀を担う「若い世代や子どもの権利」を保障するため、平和・人権を脅かす教科書の採択を許さない取り組みを企画します。【呼びかけ人・大田堯(東大名誉教授)・森田明美(東洋大学教授・子どもの人権連代表委員)江橋崇(平和フォーラム代表)ほか】
事務局連絡先:平和フォーラム03-5289-8222
「つくる会」教科書の問題性を訴えます
パンフレット1種、チラシ2種を作成し活用します。また、6月末〜7月はじめに各地の教科書センターで行われる教科書展示会に「行こう」運動を実施し、「つくる会」本への抗議を集中します。そして、8月の市区町村教育委員会の教科書採択に向けて、都道府県市区町村議会、教育委員会に対して、憲法・教育基本法の精神を尊重し公正な教科書採択、行政を求めると同時にアジアとの友好連帯となる教科書を採択するよう要請を行います。
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陸上自衛隊金沢駐屯地拘束事件を考える
石川県平和運動センター 事務局次長 北野 進
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石川県平和運動センターは今年1月、陸上自衛隊金沢駐屯地から第5次イラク派兵部隊の隊員が送り出されるという情報を得て、集会やデモ、あるいは人間の鎖などの抗議行動を検討していました。私は駐屯地周辺の下見をする必要があると考え、川口事務局長の了解を得て、1月26日午後、野田駐屯地に向かいました。
集会場所として想定していた平和町公園や周辺の駐車スペースを確認したあと、私は駐屯地の入り口に向かいました。ホームページやチラシに掲載する写真を撮ろうと考えたのです。
近くのバスターミナルに車を停め、駐屯地入り口前の道路(片側1車線)を挟んだ向かい側の歩道から2枚(真正面から1枚、右斜めから1枚)、駐屯地の入り口をデジカメで写しました。撮影後、車に引き返したところ、駐屯地から20歳前後の若い隊員3人が血相を変えて飛び出してきました。車に乗り込んだ私に3人はいきなり怒鳴るような大声で話しかけてきました。
「何をやっていたんだ」
「写真を撮っていただろう」
「何に使うんだ」
逃がしてなるものか、という威圧的な態度です。
「私は石川県平和運動センターというところの者で、怪しい者じゃないですよ。基地の入り口の写真を撮っていただけです。ちょっと落ち着いて、ゆっくり話してくださいよ。逃げたりしませんから」
私は窓を開け、彼らを落ち着かせようとこのように返事をしました。
「中に来て、話を聞かせてください」
若い彼らの判断で「どうぞお帰りください」となるとはとても思えませんでした。彼らの指示に従い、私は駐屯地内に車を移動させ、受付事務所のような建物に入りました。
「写真を撮っていたのはこの人です」
いかにも犯罪人を連れてきたという雰囲気でした。
私は責任者的立場にありそうな人に名刺を渡し、立場を明らかにし、敷地の外から入り口を付近の風景を写すことのどこが問題なのか尋ねました。
「上官を呼ぶからこちらの部屋で待っていて欲しい」と、殺風景な応接室のような部屋に通されました。
5分ほどすると「上官」があらわれました。それまで対応していた隊員とは異なり口調は穏やかで、部隊の編成命令直前で駐屯地内が緊張状態にあること、入り口にいる隊員には写真などを撮っている人物がいたらやめさせるよう指示を出していたことなど基地側の事情について話してくれました。
しかし、私に対してはと言えば「勝手に駐屯地を写されては困る」、「派遣が終わるまでは写真を使ってくれるな」と表現は要望ですが、実質的には命令でした。写した画像を知りたがり、フィルムを没収したがっているように感じました。デジカメだからすぐに確認できると伝えると、それならば取ってきてほしいと言われました。画像を見せると、
「駐屯地が写っている写真は困る。消して欲しい」
「そういうわけにはいかない。歩道から見えるところしか写してないのにどこが悪いのか」
特に真正面から写した写真は駐屯地の警備上使われたら困ると言います。一般道を歩く市民から丸見えの入り口の様子が写されただけで警備上支障があるはずがありません。
「では斜めから写した写真だけを使いますよ。これなら敷地内が写ってないから文句はないでしょう」
「いいというわけにはいかない・・・」
私の言葉を信用してはおらず、らちがあきません。私はどうすればこのやり取りを終え、駐屯地を出ることができるかを考えました。真正面からの画像を彼の目の前で削除することしか思い浮かびませんでした。
後日、県平和運動センター、石川県憲法を守る会などの抗議の申し入れに対し、駐屯地側の見解が示されました。駐屯地に入ったのも、画像を消去したのも全ては私(北野)の意思、私の了解にもとづく対応であり、強制はなかったと強弁。なんら反省の弁はありません。司法権のない自衛隊が、彼らから見ての「不審者」を敷地内に強権的に連れ込み、表現の自由の制約など人権侵害の命令を下していく、まさに有事体制の先取りです。イラク派兵は自衛隊にとってはまさに戦時体制への突入なのだとあらためて実感させられた一件でした。
有機農業の振興を求める声拡がる
法制度の不備の是正が必要に |
「有機農産物」と聞けば、国内で生産されたものをイメージされがちですが、2003年の実績では、国産が約5万トンなのに対し、輸入された有機農産物は約30万トンと、6倍にものぼっています。これは、有機農産物を規定しているJAS(日本農林規格)制度や、有機農業の生産振興対策に様々な問題があるためといわれています。食の安全を求める声が高まっている今、有機農産物の制度と課題について検討してみましょう。
2001年から有機農産物の認証制度がスタート
有機農産物とは、農林水産省の定義では「堆肥等で土作りを行い、種まきや植え付けの前の2年以上、禁止された農薬や化学肥料を使用していない田畑で栽培され、栽培中も農薬や化学肥料を使用していない」ものです。また、遺伝子組み換え技術も使用できません。
有機農業は昔は当たり前でしたが、農業の近代化、増産政策の中で、農薬や化学肥料を大量に使用する農業へと変わってきました。そのため、人体や環境に様々な影響を及ぼすようになりました。安全な食べ物を食べたい消費者と、農薬中毒はもうごめんだという生産者が集まって、有機農業運動が始まったのは1970年代からでした。日本では長い間、こうした生産者と消費者の信頼関係の中で、有機農産物が作られてきました。
しかし、有機食品についての基準がなかったために、不適切な「有機」表示が氾濫するようになりました。また、食のグローバル化により世界的に有機食品が流通するようになり、日本でも食品の国際規格が求められるようになりました。そのため、2001年4月からJAS法の中に有機表示制度が作られ、前述のような有機農産物以外は「有機」として表示ができないことになりました。
有機JAS制度の改正に疑問の声
有機JAS表示制度が始まってから5年が経過し、現在、同制度の改正案が国会に提出されています。これに対して、有機農業生産者や、有機食品を扱う生協などから反発の声が挙がっています。
最も問題とされているのは、有機農産物かどうかをチェックする認定機関の登録基準を国際標準化機構(ISO)のガイドラインに準ずるものとして、ハードルを高くしたことです。複雑な事務処理などが要求されるため、基準を満たすためには、企業的な組織体でなければ維持が困難になります。
現在、多くの登録認定機関は、有機農業団体や産直活動を行っている組織などが立ち上げたNPO法人です。そうした認定機関は、生産者の状況を詳しく把握し、農家に負担がかからないような安い料金で認定したりして、有機農業の普及に努めてきています。しかし、制度が変わると、これに適合できなくなり、認定料金も高くなると想定され、「小規模な有機農家は認定されず、有機農業の縮小につながる」という声が出ています。
一方、輸入の有機農産物を検査する外国の認定機関は逆に登録要件が緩和されるため、一層、輸入が増大すると言われています。現在でも、外国で認証された有機農産物は十分にチェックされず、国内認証に比べ緩いものとなっています。制度の改正がこの状況をさらに推進するのではないかとの懸念が拡がっています。
有機農業促進法の制定を
こうした事態に対し、日本有機農業研究会などは、有機農業の振興を図る法律の整備を訴えています。ヨーロッパや韓国などでは、有機農業に取り組む生産者を支援する直接支払い制度などが作られています。3月下旬に都内で開かれた「有機農業振興政策の確立を求める緊急全国集会」では、有機JAS法改正への危惧とともに、有機農業を推進・奨励する制度を求める意見が多く出されました。
集会では、昨年11月に超党派の国会議員で結成された「有機農業推進議員連盟」の事務局長のツルネン・マルティ参議院議員(民主党)が、「来年の通常国会に有機農業促進法(仮称)の提出をめざす」と表明し、JAS法改正へも慎重な姿勢を示しました。
集会参加者は、有機農業促進法の制定や、国内営農面積の20%を有機農業に転換させることを求めて、署名運動などを展開することを確認し合いました。
1940年から戦争批判の詩を書く
今年3月5日は原水禁が結成されて40年目に当たります。原水禁は広島市で記念集会を開催しましたが、その翌日の6日、栗原貞子さんが92歳で亡くなられました。
栗原さんは亡くなるまで非戦と反核の立場を貫きました。1913年生まれの栗原さんは17歳のときに「中国新聞」文芸面で短歌革新の新進歌人としてデビューしますが、18歳のときにアナーキスト栗原唯一さんと駆け落ちするようにして結婚します。唯一さんは召集され、中国へ送られますが病気で除隊となり、広島へ帰ってきます。貞子さんは唯一さんから中国で日本軍が何をしているかをつぶさに知ります。こうして貞子さんは戦争批判の詩や歌を秘かに書き始めたのです。40年代の始めです。
敗戦後の46年にこれらは詩歌集「黒い卵」として自費出版されますが、このときは占領軍による検閲があり、「戦争とは何か」を含むいくつかの詩と短歌が削除されました。83年7月に人文書院から完全復刻版として出版されますが、それでも検閲で削除された3編の詩のうち2編は残っておらず復刻できなかったのです。
詩歌集の題ともなった「黒い卵」という詩や同じ詩歌集に掲載されている「季節はずれ」「手紙」「日向ぼっこをしながら」などの詩は「私の反戦思想の基になっている思想的立場を意味する作品である」と栗原さん自ら書いています(人文書院「黒い卵」)。その詩を読むと、希望をもち、裏切られ、しかし希望を捨てないで生きてきた栗原さんの心の一端を見ることができます。
栗原さんはいつも生活者としての視点から詩を書いてきました。時として激しいのですが、原水禁世界大会などでお会いする栗原さんは、いつも穏やかでした。
広島原水禁常任理事として
栗原さんは日本の敗戦後、唯一さんらとともに中国文化連盟を結成し、機関誌「中国文化」を発行します。こうした文化運動と共に原水禁運動にも積極的に参加されました。ソ連が核実験を再開したときには強く抗議し、広島原水禁結成のとき以降、広島原水禁常任理事として原水禁運動に参加されました。
非核太平洋会議や核被害者世界大会にも参加し、太平洋やウラン鉱山、チェルノブィリの核被害者に、同じヒバクシャとして連帯し、心を痛めました。
[ヒロシマというとき]
<ヒロシマ>というとき
<ああ ヒロシマ>と
やさしくこたえてくれるだろうか
<ヒロシマ>といえ<パールハーバー>
<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>
<ヒロシマ>といえば 女や子どもを
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
<ヒロシマ>といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ
<ヒロシマ>といえば
<ああ ヒロシマ>とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無辜の民が
いっせいにおかされたものの怒りを
噴き出すのだ
<ヒロシマ>といえば
<ああ ヒロシマ>と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるバリアだ
ヒロシマしいえば
ああ ヒロシマと
やさしいこたえがかえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない |
栗原さんは亡くなるまでに500編以上の作品を書きました。原爆投下後、負傷者がひしめく避難所で赤ん坊が生まれる感動をうたった「うましめんかな」は代表作のひとつとして広く知られていますが、ここに紹介した「ヒロシマというとき」は72年5月に書かれた詩で、栗原さんにとっても一つの時代を象徴する作品です。栗原貞子さんの詩集は、ほとんどの公立図書館に置かれています。ぜひこの機会に栗原さんの作品を読んでください。
米軍・自衛隊の再編・再配備とミサイル防衛(2)
アジアにおける米軍再編の行方は
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米軍再編とそれに伴う自衛隊再編はいまひとつ明らかになっていませんが、それでも少しずつ具体像が見えてきました。日本政府は自治体などの対応を計りながら少しずつ進めていく考えですが、米軍は早く具体化することを求め、今年夏までに開催される「2+2」(外交・防衛閣僚による日米安保協議委員会)でほぼ概要が決まるでしょう。
米軍と自衛隊の再編計画で、これまで明らかになってきているのは、@キャンプ座間への米陸軍第1軍団司令部の移転はほぼ確定してきた。A横田基地の第5空軍司令部とグアムの第13空軍司令部が統合されるが、横田空軍司令部の要員240人の大幅な縮小は行われず、司令部機能は維持される。司令部要員の移転もハワイなどに変更される。横田基地には府中の航空自衛隊・航空総隊司令部が移転し、日米共同使用となる。さらに民間使用も認める。B沖縄の負担軽減で最大の目玉となっていた普天間飛行場の辺野古沖への移転は、完成まで時間がかかりすぎるとして、新たに伊江島へ移転し、普天間の管理権は自衛隊に移す案などの検討などです。沖縄の負担軽減は実質的には望めないというのが実態です。
ミサイル防衛計画は60年代から始まる
ミサイル防衛の考えは、ミサイル兵器が生まれたときから存在しています。矛と盾の関係で、勝れたミサイルが生まれた瞬間、それをどう防ぐかが考えられるのです。このミサイル防衛についての開発は1956年頃から米ソ間で始まっています。
64年のソ連革命記念日にモスクワでABMが姿を現し、66年秋にはモスクワ周辺に配備されていることが確認されました。米国はソ連にABMの撤去を要求しますが、ソ連のフルシチョフ書記長は拒否します。このため米国は薄いABM網(センチネル)の建設に取り組みます。センチネルはボストン、シカゴ、シアトル、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス、ホノルルなど15近い主要都市周辺に配備する計画でした。
しかしこのセンチネルはきわめて荒っぽいもので、レーダーで相手のミサイルをキャッチしたら、2メガトン(広島原爆の12.4倍)の水爆搭載ミサイルを使って大気圏外で迎撃し、迎撃に失敗したら、次は10キロトンの核ミサイルで迎撃し、高度5万フィートの上空で撃墜するというのでした。
この計画に衝撃を受けた米国民は各地で次々と反対運動を組織し、米上院軍事委員会委員の多くも反対したため、センチネル計画は中止になりました。
だが、米政府はソ連とABM条約交渉を開始し、米上院軍事委員会が関与できない外交問題へと場所を移したのです。こうして72年に米ソ間の弾道ミサイル防衛(ABM)制限条約が締結・発効しました。条約は74年に改定され、首都もしくはICBM基地周辺のどちらか1ヵ所の半径150キロ以内に迎撃ミサイル100基まで配備することが認められました。しかし米国はグランド・フォークスに導入したABMシステムを直ぐに撤去しました。電磁パルスによる障害があまりにも大きかったからです。ソ連はモスクワ周辺に現在に至るもABM網を配備しています。
レーガンのSDI計画
次に米国にミサイル防衛問題が持ち上がったのは、レーガン大統領のときです。レーガン大統領は83年3月にテレビで演説し、SDI=宇宙基地からレーザーで敵ミサイルを破壊する防衛計画を発表しました。この計画をレーガン大統領に吹き込んだのは、ローレンス・リバモア核兵器研究所の創設者・エドワード・テラーでした。テラーは自ら「第3世代の兵器」と賞賛するX線レーザー兵器を開発していました。
しかしSDI計画はABM条約に抵触しました。ABM条約には「その国の防衛のためのABMシステムをてんかいしないこと、及びそのような防衛のための基地を準備しないこと」(第1条2)とありました。またその実現性にも多くの科学者から疑問が出されたのですが、レーガン大統領は5年間で300億ドルという研究費をちらつかせ、ヨーロッパや日本をSDI計画に誘いました。こうして英国、西独、日本の企業が誘いに乗りました。
それでも結局SDI計画は膨大な予算を使うだけで実現の見通しがなく、次のブッシュ大統領のときに大幅に計画が縮小され、クリントン大統領のときには「SDIの時代は終わった」と宣言されました。
このように一旦は消えてしまった計画が、ブッシュ大統領になってミサイル防衛(MD)計画として復活したのはなぜでしょう。それを理解する大きな鍵は軍需産業の強い要求があります。
2005年5月NPT再検討会議に向けて
核軍縮をめぐる課題 |
核不拡散条約(NPT)再検討会議について
発足35年の核不拡散条約(NPT)再検討会議は5年ごとに開かれ、条約では米国、ロシア、イギリス、フランス、中国の5ヵ国に核保有の特権を認めほかの国々には禁じる一方で、核保有国には核軍縮への取り組みを義務付けています。
2000年に行われた再検討会議では非核兵器国による強い働きかけの末、「核兵器の全面廃絶に対する核保有国の明確な約束」など核軍縮に関する13項目(包括的核実験禁止条約<CTBT>の早期発効、ジュネーブ軍縮会議に核軍縮を扱う下部機関を設置する作業プログラム、等)の実際的措置と、非核兵器国の安全保障に関するプラス2項目(消極的安全保証、非核地帯の設立)の合意が結実しました。
消極的安全保障に対する米政権の消極姿勢
2000年合意のひとつである「消極的安全保障(NSA)」は、核保有国による非核兵器国への核不使用を約束することです。2000年合意の最終文書のなかで、準備委員会では「法的拘束力のある消極的安全保障を達成する方途」について2005年に向けた実質的な勧告を作成することが求められており、2004年準備委員会の最重要問題のひとつでもありました。
2004年準備委員会でブラジル、メキシコなど核軍縮を推進する新アジェンダ連合(NAC)は「2005年再検討会議において安全の保証を検討する下部機関の設置を検討する」ことを提案し、非同盟運動(NAM)も消極的安全保障について十分な議論が行われるよう特別時間の割り当てを要求していました。
しかし最終的に2004年準備委員会では、議論の対立のため最低限の手続きを除き全体としての合意はなされませんでした。米国は2005年会議の議題が2000年会議に言及することを拒否しこれを想定することを嫌ったと伝えられています。
ブッシュ米政権は2005年会議を前に今年の年明け以降、「消極的安全保障」の国際条約化を拒否するとの方針が伝えられています。「ならず者国家」やテロ組織を念頭に、非核兵器国に向けて核兵器を使うこともあり得る、との姿勢を維持しているのです。(この他にも米国は新型核兵器「強力地中貫通型核」開発を計画しています。)
核兵器は世界中にいまだ約3万発も存在しています。イランなど核兵器の闇市場への流出、近年の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核兵器製造の公式宣言など核兵器の強化、拡散の動きは顕著であり、緊張と恐怖を拡大させています。こうした中核軍縮・核不拡散を実現するNPTのあり方自体が大きく問われていると言えます。
日本政府の取り組み姿勢
包括的核実験禁止条約(CTBT)発効に向けて日本政府の努力は見られますが、共催を行った「CTBTフレンズ外相会議」(2004年9月)においてはCTBT発効上最大の障害である米国、中国の批准の重要性については個別に触れておらず、対照的にNAC声明はCTBT発効に向けて両国を名指ししています。また第59回国連総会日本決議(2004年12月)もNAC提案と比べると、現実の打開策としての働きには弱いことも指摘されています。
さらに2004年・新「防衛計画の大綱」は、「核兵器の脅威に対しては、米国の核抑止力に依存する。」と規定しています。米国は核先制不使用の公式採用の際に北朝鮮の「核」の脅威にさらされている日本への「核の傘」が弱まることを懸念して採用を見送っていたとも伝えられています(共同通信、2005年3月4日)。核廃絶を求めながら「核の傘」に依存する唯一の被爆国の矛盾を浮き彫りにしています。
さらに国内的には青森県六ヶ所村でプルトニウム再処理施設が2007年に稼動開始という核拡散への問題を抱えています。日本政府の非核政策の真価を問うていかない限り、米政権ならびに国際社会での核軍縮・不拡散も達成できないでしょう。
2005年NPT再検討会議(5月2日〜27日)に向けて
核軍縮に向けた国際的な動きは強まっています。NGOの中堅国家構想(MPI)による11項目の提言「アトランタ・コンサルテーションU:NPTの将来について」(2005年1月)や、カーネギー平和財団による報告書「普遍的順守─核安全保障戦略」(2005年3月)において、核廃絶に向けた提言がなされています。
また、世界の非核地帯条約に加盟している100ヵ国以上の政府代表による非核地帯会議が、2005年NPT再検討会議直前の4月26日〜28日までメキシコ市で開かれ、会議の宣言案で核兵器廃絶の重要性を改めて強調し、米国など核兵器保有国に核兵器廃絶の「明確な約束」の履行を迫るものとなっています。さらに広島市・長崎両市長が呼びかけを行ってきた平和市長会議では、2020年に核兵器の全廃をめざすとする「2020年ビジョン」を掲げて取り組みを開始しています
(http://www.pcf.city.hiroshima.jp/mayors/jp/ecbn/参照)。
2005年会議では、2000年会議での合意内容を堅持しさらに前進させるべきです。また2000年合意のひとつである非核地帯構想についての東北アジアでの進展なども含め、多くの課題に対し悲観的にならずいかに前進させていくことができるかは私たちの活動にかかっています。
新刊紹介 マーシャル諸島 核の世紀
フォト・ジャーナリスト 豊崎 博光
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1954年3月1日、アメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆ブラボー(15メガトン)実験によって第五福竜丸の乗組員23人、ロンゲラップ環礁住民86人(胎内被曝者4人を含む)、ウトリック環礁住民166人(胎内被曝者9人を含む)が死の灰をあびせられ、翌1955年から原水爆禁止運動が始まりました。
日本人が、福竜丸の被災地点・マーシャル諸島の人々の核実験被害を知ったのは、1971年の原水禁による現地での被曝調査、それ以降の被曝住民やマーシャル諸島議会議員などの来日によってです。また、マーシャル諸島の被曝者の支援運動を通して太平洋の非核独立運動にも取り組むことになりました。
しかし、水爆ブラボー実験はアメリカがマーシャル諸島で行った67回の核実験の一部でしかありません。1946年7月から58年8月まで、ビキニとエニウェトク環礁で行われた67回の核実験の爆発威力の合計はアメリカが広島に投下した原爆に換算して7,200発分(約108メガトン)に相当し、チェルノブイリ原発事故の150倍(約63億キュリー)の放射性ヨウ素131(甲状腺腫などを起す)が放出されたのです。
この結果、核実験場のビキニ環礁は死滅させられ、エニウェトク環礁は半死、ロンゲラップ環礁が崩壊させられただけではなくマーシャル諸島全域が被害を受けました。核実験終了後はクワジェレン環礁で核兵器の運搬手段ミサイルの実験が行われ、その模擬弾頭に詰められた劣化ウランによって新たな放射能被害を受けているのです。
これに対してアメリカは、1987年から15年間の自由連合協定で1億5,000万ドルの被曝補償金などを支払いました。マーシャル諸島政府は、被曝補償金などは不十分として、2000年に約32億ドルの追加補償金を請求しましたが、2005年1月、追加請求は受けつけないと回答しました。
核実験による被害を限定して他の島々の人々の被害を切り捨てたアメリカは、再びマーシャル諸島の被曝者を切り捨てようとしているのです。
私は、1978年以来、何回もマーシャル諸島を訪れ、この67回の核実験によるマーシャル諸島の島々と海、人々に対する被害の取材を行ってきました。マーシャル諸島の人々は健康への被害だけでなく、心もむしばまれ、伝統や文化を消滅させられるなどその被害はこれまで伝えられてきた以上に深刻で、広範囲に及ぶものでした。
それらマーシャル諸島の人々の健康への被害や心の痛み、消滅させられた伝統や文化、そして核の世紀の真只中に投げ込まれてから半世紀以上もの時間を過してきた人々の歴史を記録することは重要と考えてまとめたのが、今回、日本図書センターから出版される「マーシャル諸島 核の世紀」です。
「マーシャル諸島 核の世紀」では、ロンゲラップ環礁元村長ジョン・アンジャインさん(2004年7月、81歳で死去)の「私たちは不安なのです。病気になると爆弾のことを考えます。人々が死ぬと、爆弾のことを考えます」や、弟で前マーシャル諸島議会上院議員のチェトン・アンジャインさん(1993年、骨ガンで死去。60歳)が1985年5月に残留放射能の被害から逃れるために住民全員が故郷のロンゲラップ島を退去する1ヵ月前に米議会で述べた「マーシャル諸島では土地の所有は非常に重要です。土地は将来の世代を含む家族全体に祖先から授けられたもので、土地を持たない者は落伍者であり、二級の市民なのです」など、人々の心の言葉を多数書きとめました。
また、公表されたアメリカの機密解除文書を使って、マーシャル諸島の人々に対する放射能人体実験なども明らかにしました。
本書では、米ソなど核保有国の核開発、核軍縮交渉、世界の被曝者、世界の反核・被曝者救援運動、日本の反核・反原発運動と被爆者救済運動など私がこれまで取材してきたものなどを同時代史として書きとめることで、マーシャル諸島の人々の核実験被害の実態を明らかにしました。この本によって、アメリカによる広島、長崎への原爆投下から60年目、原水爆禁止運動の始まりから50年目を迎えるなか、いまなお続く「核の世紀」の実相を知っていただければ幸いです。
【5月刊行予定】マーシャル諸島 核の世紀〈1914−2004〉
上・下(全2巻)豊崎博光著/A5判500〜550ページ(予定)
問い合わせ先:日本図書センター 電03-3947-9387
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手ごたえあった勝利への確信
もんじゅ訴訟原告団事務局長 小木曽 美和子
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「もんじゅ」設置許可無効確認訴訟で名古屋高裁金沢支部が2003年1月27日に出した原告住民全面勝利判決を不服とする国の上告が受理され、3月17日最高裁で口頭弁論による最後の攻防が行われました。弁論は、原告側が60分の割り当て時間をフルに使って原告、弁護団7人が争点の核心をつく陳述をしたのに対し、国はわずか4分。原告側一人一人の陳述人の顔をじっと見つめたり、うなずいたりする5人の裁判官の反応に確かな手ごたえが感じられ、勝利への確信を強めました。
高裁判決はナトリウム漏えい、蒸気発生器伝熱管破断、炉心崩壊の三つの事故の安全審査について「看過し難い過誤、欠落」があると認め、重大な違法があったと結論しました。また、無効確認訴訟で必要とされる違法の明白性は、特段の事情があり、必要でないとしました。
最高裁の争点は二つ、重大な違法と違法の明白性
この判決に対し最高裁では、@重大な違法とA違法の明白性の2点について原子炉等規制法の解釈や過去の判例に照らし、誤りがなかったかどうかが争点として判断されます。
そこで、判決をめぐる国側、住民側の主張は次のようになります。
違法の重大性について
国側は、安全審査で認められた原子炉を設置、稼動させた場合、重大な事故が起こる可能性が高いと認定される場合に限られ判決のいう「具体的危険性が否定できないとき」は当てはまらない、と主張しています。
住民側は、安全審査が万が一の原子力災害が起きないための具体的な審査基準に適合していなければ、それだけで重大な違法となり、事故が起きる可能性が高いかどうかの認定は必要ない、としています。
明白性が必要かどうかについて
国側は、行政処分を無効にするには重大かつ明白な違法が必要との判決が確立しており、無効になると関係者が被る不利益も大きい、と主張しています。
住民側は、原子力災害で深刻な被害を受ける住民の権利保護は、設置者らの利益保護をはるかに上回っており、明白性は必要ない。不要とする最高裁判例もある、としています。
全国各地のいのちをかけた判決
「もんじゅ」訴訟は85年9月に提訴してから20年の歳月をかけて審理を尽くしてきました。福井県内全域を網羅して代表参加した原告40人は、既に6人が故人となり、残る原告もみな高齢に達しています。
現実に起きたナトリウム火災事故の衝撃を受け、福井県知事に対する「もんじゅを2度と動かさないで下さい草の根県民署名」22万人の声が、この訴訟を支えてきました。この訴訟には、県民の命(見出しでは「いのち」)がかかっています。福井県民だけでなく、口頭弁論に集まった青森から山口に至る全国各地の原発を抱える住民の命をかけた闘いでもあります。
わずか25枚の傍聴券を求めて土砂降りの雨の中、191人が最高裁南門に並びました。その夜には300人が総評会館で集会を開き、最高裁でも勝利を勝ち取ろうと心を一つにしました。国民の多くが重大な関心を持って判決の行方を見守っています。
国の逆転勝利はありえず、判決勝利へさらに世論包囲を
口頭弁論閉廷に際し、「判決期日は追って指定します」と宣言した泉徳治裁判長の言葉は、口頭弁論を受けて合議がさらに重ねられることを示唆したものと理解しています。一般的に上告が受理され、口頭弁論が開かれる場合は、判決が見直され、上告(この場合国)側に有利な判決になると言われています。弁論の段階で既に結論が固まっており、判決日も指定されると言われています。
法廷の雰囲気も閉廷も一般の予測と違う形で終わり、判決に十分期待してもよいと思っています。少なくとも、安全審査の違法を覆す事はできず、国が逆転勝利することは、ありえないことが確信出来ました。
最高裁が安全審査の重大違法を認め、原子力規制行政を正すよう判決へ向けてハガキ要請の集中など、さらに国民世論を高めていきましょう。
原子力空母配備反対署名
31万人分を知事・市長に提出 |
米海軍による原子力空母の横須賀基地への配備計画に反対する署名活動を展開してきた、平和フォーラムも加わる「原子力空母の横須賀母港化を許さない全国連絡会」など3団体は、3月24日に松沢成文神奈川県知事あてに31万1,324人分の署名を提出。応対した尾高副知事は「地元住民らと力を合わせ、県としても国に繰り返し、粘り強く母港化反対を働きかけていくことが必要と考えている」と述べました。同18日には、沢田秀男横須賀市長にも同様の署名を提出しています。
平和フォーラム組織の確立に向けて
平和フォーラムは、4月22日第7回総会を開催しました。昨年1年間の取り組みを総括しながら、今年度の取り組み方針を確認しました。
この1年多くの課題がありました。国内最大の平和団体として、その責務を果たすべく、全力で取り組んできました。それぞれの分野で前進を勝ち取りました。すべて構成団体の皆さんのご支援の結果だと感謝しています。しかし一方、取り組みの中で、中央の組織のあり方について多くの課題も見えてきました。
ひとつは、運動の強化とあわせて政策実現能力の強化の必要性です。政策実現に必要な事務局機能の力量のアップが求められています。それは政策に対する知識や実現のための布陣の構想力です。それをもとに野党との連携強化、連合や平和団体、市民団体との連携強化を図り、中央政府、地方政府等と対抗しなければなりません。事務局が全力で取り組むのは当然ですが、構成団体の支援もお願いしなければなりません。何とか地方では勝っているにもかかわらず、その成果を中央では生かしきれていないという実情を少しでも克服しなければなりません。
もうひとつは、担う課題が拡大する中で、基本課題の取り組みが弱体化しており、課題の重点化が求められています。昨年度の発文数は平和フオーラム、原水禁あわせて254件(2005年4月19日現在)です。1日一件、発文されている計算です。右傾化し、流動化する事態に対応するため、多くの取り組みへの参加要請や紹介を行ってきました。すべての課題が重要課題であることは間違いがありません。しかし平和フォーラムの守備範囲があります。自らの守備範囲をおろそかにして、すべての課題を重点化するわけには行きません。今年は自らの守備範囲をより重点的に取り組むという目的意識を持たねばと思います。
3点目は、連合をはじめ市民団体、平和団体との連携強化です。平和フォーラムは自らの組織の強化・拡大と連携の強化を前進させなければなりません。とりわけ労働団体と市民団体をつなぐ組織としてその役割はますます重要になっています。小泉自公政権は、教育基本法、憲法の改悪すら視野に入れて政策展開を進め、延命を図ろうとしています。しかし国内外あわせていたるところで矛盾が噴出しています。政権として末期的症状を呈し始めています。今年は戦後60周年・被爆60周年です。この年にこそ、憲法理念の実現をめざす大きな連帯が求められています。
以上のような問題意識を持ちながら、2005年度、平和フォーラムは決定された方針に沿って全力で闘います。皆様のご理解、ご支援、ご結集をお願いします。
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