インタビュー・シリーズ
   働く人たちが正当に扱われない社会はおかしい
中小労組政策ネットワーク 平賀健一郎事務局長に聞く
 
【プロフィール】
1941年東京生まれ。高校卒業後、機械設計の会社に入社、労働組合運動に関わる。全国一般・南部の活動家として労働組合の組織化に取り組む。会社退職後、69年から総評地方オルグとして東京地評(当時)で活躍。地評を退職後、主に中小、未組織労働者問題に取り組み、99年に中小労組政策ネットワ─ク(中小ネット)を立ち上げる。
中小ネットは労働組合を構成組織として、政策活動と全国的な共同闘争づくりを推進。現在、12労組18,000人で構成。共同代表は田宮高紀(全統一労組)中村宗一(北関東ユニオンネット)遠藤一郎(全国一般全国協)
平和フォ─ラムに2003年から加盟。

──中小ネットはどういうことから結成されたのですか。
 90年代後半にバブル経済がはじけてから、特に中小・零細企業の倒産が多くなって、労働者の失業や不安定雇用が大きな問題になりました。その頃、95年に日経連(当時)は「新時代の日本的経営」と銘打って、年功序列や終身雇用などを放棄して、労働者を正規社員と専門技能を持つ有期雇用労働者、そしてパ─トや派遣労働者の3つに置き換えることを提案しました。それに合わせるように、98年に労働基準法が改定され、裁量労働制、派遣や有期雇用労働者の拡大という、規制緩和が行われました。私たちは、そうした動きに反対しようと、中小の労組が集まって研究会を立ち上げ、99年に「中小・非正規労働者の声を国会へ!」をスローガンに結成しました。

──どんな組合が参加していて、どのような活動をしてきたんですか。
 当初は8労組で、今は12組合が参加しています。連合や全労協に加盟している組合もあります。倒産や解雇に対する支援はもちろんですが、非正規や外国人労働者の問題にも関わっています。「共同行動」と言って、労働争議を抱える様々な組合が集まり、その当該会社や銀行を順に回りながら抗議や申し入れをしたり、労働法制に関わる全国キャラバンなどをやっています。これには、外国人労働者や市民団体の方も加わるなど、垣根を低くして色々な人たちとコラボレ─ション(共闘)しているのが特徴です。
──非正規労働者などの問題には、どういうスタンスで運動しているんですか。
 いまや非正規労働者は全体の3分の1を占めるまでになっていますが、現在の労働運動はそれらの問題に十分取り組めていません。労組も非正規を都合のよい労働調整弁として見ている傾向もあります。そうした人たちも誇りを持って働いているんだ、正規労働者と同等の権利を与えろと要求しています。ですから、非正規を正規労働者にしろということだけではなく、非正規も自立して運動ができる組織を作ろうとしているのです。ただし、運動を続けることは大変ですから、正社員組合の理解と許容も必要ですね。

──外国人労働者問題ではどんな取り組みがありますか。
 いま特に問題にしているのは、中国からの研修生・実習生のことです。途上国から技能の研修に来るという目的から逸脱して、安い労働力として使われています。いま取り組んでいる岐阜県内の縫製会社では、基本給は月5万円程度で、うち4万円は強制的に貯蓄させられている。毎日残業させられ、その時給は200〜300円、最低賃金法にも違反しています。パスポ─トは取り上げられ、休日もほとんど無い状態です。

──それはひどいですね。それに対してどんな運動をしているのですか。
 そんな低い賃金でも未払いが多く、帰国する直前になって訴えてくるケ─スが月に3〜4件あります。私たちが団体交渉を申し入れても応じない経営者もいます。会社や実習生受け入れ団体の社会的責任を問う交渉を粘り強く進めています。

──ところで平賀さんは、どうして労働運動をやろうと思ったのですか。
 一言で言えば、働く人々が正当に扱われない社会はおかしいと思ったことです。中学3年の時に「共産党宣言」を読んだりしていました。ちょうど、中学の時に勤務評定闘争があって、教諭のストライキを応援していました。また、当時も受験競争が激しく、落ちこぼれの生徒は放っておかれたり、格差を付けられていました。それに抗議して授業ボイコットを呼びかけ、8クラス中6クラス全員で映画館にいきました。

──それは、かなり早熟だったんですね(笑)。
 教諭が青くなってすっ飛んできました。高校の時は60年安保の頃で、アメリカのハガチ─特使の訪日に反対して羽田でヘリコプタ─の下に座り込んで着陸できないようにした行動にも参加しました。会社に入ったのも労働運動がやりたかったからで、そのため、強制配転などにもあいました。
──会社退職後にいよいよ総評のオルグとして活躍されるようになったのですね。その頃、思い出す闘いは何ですか。
 大分の佐伯造船の闘争が印象に残っています。石川島播磨重工業との合併で閉鎖されるということから、支援闘争を行いました。何十回も石川島播磨の本社へ抗議したり、労組を回って支援を訴えました。支援カンパのために、大分から麦焼酎やカボスを送ってもらい、売って歩きました。その頃はあまり東京になかった焼酎にカボスを入れることを流行らせたのは、佐伯闘争の影響かもしれません(笑)。

──ところで、小泉の反動的な政策が続いていますが、どう見ていますか。
 かなり危険な道をたどっていると思います。対米追従の姿勢は世界から孤立してしまいます。共謀罪は労組の活動にもふりかかってくることですし、教育基本法の改悪は次世代に関わる問題です。もう少し私たちも積極的に関わるようにしたいので、日教組の方に職場に来てもらって話してもらうなどを考えています。

──中小ネットの活動で若い人が目立っていますね。
 意識的に若い人を前に出すようにしています。イラク反戦のWPNの時には、事前に何回も会議を開き、シュプレヒコ─ルやボ─ド作りなどを若い人に責任を持たせます。そうすると、知り合いを誘ったりするなど努力しているのですが、まだまだです。

──最近は、若い人が活動する姿が少なくなっていますね。どうしたらいいんでしょう。
 私は若い世代にもっと期待したいと思います。いまやフリ─タ─が30代後半になって生涯設計もできない格差社会です。これにノ─を言っていかなければ、大変なことになるのです。それを口に出せる場を作ることが大切だと思います。人は追いつめられないと行動しないものですが、組合に参加してくる若い人を見ていると、意外によく考えているのです。新鮮な目を持っています。捨てたものじゃありませんよ。ちょっと、楽天的かもしれませんが……。

──平和フォ─ラムに注文することはありますか。
 本当にたくさんの課題を抱えて大変だと思いますが、貴重な存在です。労働問題は平和フォ─ラムの課題ではありませんが、従来の労組課題の枠を超えて人権や環境問題にリンクすることが多くなっています。先に話した中国の実習生の問題などは人権、外交の問題でもあります。中小や非正規の要求は労組だけの問題ではなくなっています。平和フォ─ラムにはそうした社会的問題へもバックアップしてもらいたいですね。

〈インタビュ─を終えて〉
新企画。最初のインタビューです。私は、少し緊張。平賀さんの話し振りの中に、一貫して、活動家として生きてきた闘志と誇りとやさしさを感じ続けました。中小ネットの事務局長として、権利を侵害された労働者のために、奮闘を。〈福山真劫〉

米軍・自衛隊再編成とキャンプ座間
第1軍団の移駐を歓迎しない会事務局長/相模原市議会議員  金子 豊貴男
     
 3月末に出されるといわれていた、日米軍事再編案「日米同盟:未来のための変革と再編」の最終報告は、5月1日、ワシントンでの2+2日米安全保障協議委員会によって、「再編実施のための日米のロードマップ」として発表されました。最終報告という表現はあたかもこれで決定というような意味に取られるため、われわれの側で使う表現ではないと思うので、今回は「再編ロードマップ」として、キャンプ座間への第1軍団司令部移駐問題などを報告します。

相模原市、座間市の反対運動
 昨年10月29日、日米両政府は在日米軍再編成の中間報告「日米同盟:未来のための変革と再編」を発表し、関係する自治体に説明しました。市内に三つの米軍基地を抱える相模原市にも横浜防衛施設局長が出向き、キャンプ座間への陸上自衛隊中央即応集団司令部と米陸軍第1軍団司令部の新設・移駐、相模総合補給廠への陸上自衛隊普通科連隊1,300名の配置を説明しました。
 この説明に対し、相模原市長は絶対容認できないとして撤回を求めました。隣接する座間市にも同様の説明がされました。相模原市は、相模原市米軍基地返還促進等市民協議会(市、市議会、市自治会連合会、地域連合などで構成の市民組織)が絶対反対の立場から、運動の先頭に立ち、緊急抗議市民集会を開催、同様に座間市でも緊急抗議集会を開きました。
 以後、両市は市を上げて反対運動に取り組み、市民の抗議ハガキ投函作戦(15万枚)や自治会連合会主催の市民集会などを実施、座間市でも市長の親書を米政府宛に出したり、市民集会と抗議デモを市長が先頭に立って行いました。
 今年3月17日、政府は神奈川県と相模原市、座間市に対し最終報告に向けての事前状況報告を行いました。内容はいずれも基地強化ばかりが目立つもので、両市とも容認できないとしてはねつけました。
 そして、4月25日額賀防衛庁長官は相模原市の小川市長を呼び、「最終報告」の事前説明を行いましたが、相模総合補給廠の一部を米軍から国に返還し(市への返還ではない)、自衛隊の普通科連隊の配置は取りやめるとしましたが、キャンプ座間へは当初と変わらず、第1軍団司令部の配備と自衛隊中央即応集団司令部の配置を決めるとしました。
 これに対し、相模総合補給廠の一部返還は評価しつつも、基地の強化は反対であるとの市の基本姿勢は変わらないと答えています。5月1日の「再編ロードマップ」でもこの内容は変わらず、市長は「容認も合意もしない」と議会や市民協議会の場で発言(5月10日)していますが、マスコミは政府発表をそそまま鵜呑みにして、あたかも相模原市が合意したかのように書いています。実態は反対の姿勢は変わらず、「基地の強化・恒久化には反対、基地の早期返還が市是」という立場を貫いているのにです。
 座間市も同様でキャンプ座間への第1軍団司令部の移駐反対の姿勢はなんら揺らぐことなく、市や市民の活動が淡々と続けられています。
 今後、政府が様々な反対の自治体の切り崩しを図ってくるでしょうが、簡単にはいかないと思われます。
 04年11月、私達は市民として反対の運動を進めようと「米陸軍第1軍団の移駐を歓迎しない会」を発足させました。米ラムズフェルド国防長官による米軍再編4原則のひとつ「米軍は歓迎されるところに行きたい。歓迎されないところには行きたくないのである」からのネーミングであり、活動も米国政府をにらんだ運動を心がけてきました。
 ポスター添付、ラムズフェルド国防長官へのハガキ作戦や、集会、デモ、そして05年には二回の基地包囲行動等の活動を展開してきました。自治体の活動を後押しする、という視点もあり、相模原・座間、両市が行う活動の支援・協力も積極的に行っています。
小川勇夫・相模原市長は「例え戦車に引かれても断固反対する」と決意を語り、星野勝治・座間市長も「ミサイルを打ち込まれても絶対反対する」と両市長の意気込みは固いです。
 相模原市のスローガンは「基地の下で70年。もう我慢の限界。黙っていると100年先も基地の街」「市民は本気で怒っている」。市の街づくりにとって基地がいかに障害となっているか、怒りがにじみ出ています。
 今、地方自治体が競い合って本気で政府の国防政策に、外交政策に、基地の強化に反乱を始めています。

教育基本法改悪反対、廃案を求めて
日教組 教文局長 西中 幸子
 
 政府は、4月28日、教育基本法の「改正」法案を今国会に上程し、5月16日から審議に入りました。日教組は、「政府法案」の廃案を求め、全国一斉行動を含むとりくみを今展開しています。「政府法案」に関する問題点を指摘した日教組見解と一部取り組みを紹介します。

「国家のための教育」へ転換
 現行の教育基本法は、「憲法の理想の実現は教育にまつべきもの」として、教育の目的を「人格の完成」におき、「一人ひとりの学習権を保障する」ための国の責務を規定しています。しかし、「政府法案」は、教育の目的に「必要な資質を備えた国民の育成」を定め、知識と教養、豊かな情操と道徳心、公共の精神、伝統と文化の尊重、国と郷土への愛などを教育目標としています。
 すなわち、「人格の完成」から「人材の育成」へと公教育のあり方を根本から変え、グローバル化した大競争時代を勝ち抜く国家戦略の手段として公教育を位置づけ、教育に市場原理、競争主義を持ち込み、その結果分断される個を「公共心」や「我が国と郷土を愛する」ことで国家の枠組みで統合しようとするものです。ですから、格差拡大はあっても、連帯や協力・協働の視点、平和な社会の主体的な形成者を育む観点は見出せず、「国民の教育権」から「国家のための教育」へ大きく転換するものです。
 今日の子どもたちの教育環境は、経済的な背景などが就学や進路選択に影響し就学援助を受ける子どもの数も増加しています。能力主義による選別、経済格差・地域格差など教育の機会格差が拡大しており、教育の機会の均等は保障されにくくなっています。地域・性別・階層・国籍などによる教育環境格差の是正が教育行政の解決すべき課題であり、すべての子どもの教育条件整備・充実、共生・共学、教育の機会均等など、子どもの権利条約の具現化が求められています。

「国を愛する態度」の実践を強要
 また、「政府法案」は教育の目的や目標に「伝統と文化の尊重」「我が国と郷土を愛する」「公共の精神」など個人の内心にかかわる事項を規定し、態度を強調しています。これらが、法律で定められれば国民に強要されることも考えられます。憲法が保障する思想・良心の自由に抵触し、教育現場では「国を愛する態度」の実践・指導が課され、その実施状況の点検・調査が始まり、子どもたちへの評価につながります。これは、「国旗・国歌」法が成立した後の学校現場での「日の丸・君が代」の強制の現実をみても明らかです。
 一人ひとりに様々な「郷土」や「生い立ち」があり、「国を愛する」ことについても一人ひとりの心の問題です。また、国際化の流れとともに、学校ではさまざまな子どもたちが学んでいます。一つの価値を押し付けるのではなく、多様性を認め合う教育が必要ではないでしょうか。基本的人権を侵害し、憲法や教育基本法の理念を否定することは許されません。

全国一斉に廃案に向けて立ち上がる
 教育基本法の改正については、なぜ改正が必要なのか、改正により教育がどう変わるのかなど、これまでの審議経過を一切国民に明らかにせず、政府・与党内の密室で協議されてきました。この3年間で70回とされる与党検討会は、資料も回収するなど非公開で行われ、「愛国心」を盛り込むための自公両党の「妥協の産物」といわれています。
 日教組は、これまでも慎重かつ徹底審議を行なうことを求めてきました。皆様にご協力いただいている「教育基本法調査会の設置を求める請願署名」(60万筆を突破)行動を継続して行うとともに、国会前座り込み、教育基本法改悪反対全国キャラバン、議員要請行動、全国一斉統一行動、廃案を求める諸集会、街頭行動等にとりくみます。これまでの全国の仲間のご支援に感謝しつつ、今後も「政府法案」廃案にむけ日教組一丸となり全力でがんばります。

韓国・朝鮮の強制動員犠牲者の遺骨返還と遺族の招請運動
今夏、全国25カ所で集会開く
強制動員真相究明ネットワーク事務局長  福留 範昭

 2004年12月、鹿児島で行われた日韓首脳会談で、韓国の盧武鉉大統領は、小泉首相に、強制動員犠牲者の遺骨の収集と返還に対する協力を要請しました。日本政府は、これに応える形で、関連企業、地方公共団体、宗教団体に対する遺骨の情報収集を開始しました。また韓国では、被害者たちをはじめとする市民の運動によって、2004年2月、「日帝強占下強制動員被害真相糾明等に関する特別法」が制定されました。これに基づき、「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」が設置され、2005年2月から6月まで第1次被害申告の受付けを行い、20万3千余件の申告がなされました。
 戦時中、日本に強制動員された朝鮮人の数は、約70万とされています。そして、炭鉱や土木作業現場で労役中に亡くなった人たちの遺骨の多くが、日本の津々浦々の寺院や山野にいまだ眠っています。その数は定かではありませんが、韓国の委員会に受け付けられた動員「労務者」に関する申告14万5千件のうち、戦後帰国できなかった死亡者・行方不明者の数は約2万3千件にのぼっています。

責任を回避する日本政府――遺骨返還に消極姿勢
 遺骨問題に関する協議が、この間、日韓の政府間で3回行われています。日本政府の調査で、約900体の遺骨の所在が確認され、これらに対する日韓政府での実地調査が計画されています。しかし、ここには多くの問題があります。
 第一に、日本政府の対応が、外交問題としてなされていることです。それゆえ、竹島問題などで日韓関係が膠着すると、政府間協議が開催されず、実地調査の具体的計画すら立てられずにいます。第二に、政府は強制動員労働者を「旧民間徴用者」と呼び、その犠牲者の遺骨を「国と直接雇用関係になかった者の遺骨」とし、その責任を回避しています。したがって第三に、遺骨の所在や情報を得るために企業や自治体から死亡者に関する資料や名簿を積極的に集めるという方法がとられていません。
 これらの結果、日本政府は、日本に残存する犠牲者の遺骨を人道的な観点から可能な限り探し出し、返還しようという姿勢をとっていません。単なるその場限りの対応に過ぎないのです。
 このような政府の姿勢は、私たち日本人が、現在、強制労働やその犠牲者に余り関心を持っていないことに支えられていると考えるべきです。日本には1970年代から各地で強制動員の実態調査や遺骨調査を行ってきた人たちが少なからず存在します。90年代前半には、彼らの活動や強制動員(連行)に関し、マスコミが多く報道してきました。しかし、90年代後半から、これらの報道は非常に少なくなっています。これは、まさに「右傾化」とよばれる状況と軌を一にしています。
 強制動員真相究明ネットワークでは、各地で、遺骨に関する資料収集、仏教界への協力要請、政府への要請などに取り組んできました。そして、韓国民団や朝鮮総連、「アジア太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む会」、平和フォーラム、部落解放同盟などの団体と協力し、今年の夏、全国各地で、強制動員犠牲者の遺族を招請する計画をしています。
 「韓国・朝鮮の遺族とともに──遺骨問題解決へ2006年夏(仮)」と題し、7月29日から8月13日まで、全国25カ所の地域で集会を持つ予定です。父や夫を強制動員によって失い、その遺骨すら帰らず、多くの辛苦を体験してきた方々の生の声を聞くことで、戦中の強制動員が単に過去の問題ではなく、現在の問題でもあることを市民に知っていただきたいと思います。
 過去の客観的な認識なくして、日本の豊かで平和な未来はないと思います。靖国問題、憲法・教育基本法問題などの現在の懸案の根底には、過去の認識の問題があります。それなくして、日韓そしてアジアの平和な未来は築けないでしょう。

BSE アメリカ産の牛肉は安全か?
明らかになるずさんな対応  拙速な輸入再開は危険

 牛海綿状脳症(BSE)に関わり、現在停止している米国産牛肉の輸入問題について、日米間で輸入再開に向けた協議が進められています。6月末には小泉首相の訪米があることから、この問題は大きな山場を迎えつつあります。しかし、米国では、日本に比べて不十分なBSE対策が取られていることから、拙速な輸入再開に反対する声が高まっています。

はじめに輸入ありき――辞任した食品安全委員も怒り
 4月1日、食品安全委員会のなかで、BSE問題を審議する「プリオン専門調査会」の委員改選が行われました。その結果、12人の委員のうち、6人が辞任するという異常な事態が発生しました。辞任した委員は、これまでの審議の中で、米国産牛肉の輸入再開に慎重な意見を表明してきました。食品安全委は、「改選は通常のことであり、年齢や本人の意向を踏まえて行われた」としていますが、中には、「再任は求められなかった」と述べる委員もあり、その異常性は明らかです。
 辞任した委員の一人、山内一也さん(日本生物科学研究所主任研究員・東大名誉教授)は、食の安全・監視市民委員会の開いた講演会で、「私たちは、『科学的には米国産牛肉の安全性を評価できない』という結論を出したにもかかわらず、『輸出条件が守られれば国産牛肉とのリスクの差は非常に小さい』という答申部分だけ使い、農水・厚労両省は『科学的根拠に基づいて輸入再開した』と、科学者に責任を押しつける形で決定した」と証言し、「輸入再開に向けた結論ありきの議論に誘導された」と怒りをあらわにしています。

反省のない米国――「国際基準」も自由化の後押し

 現在、米国産牛肉が輸入中断しているのは、1月に輸入された牛肉のなかに、BSEの感染源となる特定危険部位(SRM)の脊柱(背骨)の混入が見つかったからです。これについて、米国側は、特定の輸出企業がミスをした「特異な事例」としていますが、その後、3月に香港で輸入禁止されている「骨つき牛肉」が見つかったのに続いて、4月に台湾でも骨の混入が発見されています。これらを輸出した企業は、日本向けの輸出を行うことが認められている会社でした。
 また、アメリカ農務省のお目付機関である監査局が発表した報告書でも、BSEの症状を示す歩行困難牛(へたり牛)を原因不明のまま食肉処理をしていたことや、SRMの除去態勢も適切ではなかったことが報告されています。こうしたことから、日本向けの輸出条件を守ることができない米国のずさんな管理という「構造的な問題」があることは明白です。
 以前から指摘されている、甘いBSE検査と抜け穴の残る飼料規制も改善されていません。現在でもBSE検査は1%程度しか行われていませんが、米国政府は今後、さらに検査を縮小しようとしています。自主的に全頭検査を行おうとした企業に対して、農務省がこれを認めようとしないという事態も起きています。
 飼料についても、特定危険部位を含む牛の肉骨粉が製造され、豚や鶏には与えられています。このため、牛の飼料に混合される恐れも続いています。米国内の消費者団体からも飼料規制の強化を求める声が高まっています。こうしたずさんな対応にもかかわらず、米国側は輸出再開に強気です。この背景には、BSEの国際基準を決める国際獣疫事務局(OIE)で、規制緩和が近年の流れになっていることがあります。OIEでは、骨なしの牛肉であれば、BSEの発生国かどうかや、牛の月齢に関係なく、自由な貿易を認めようとしています。これについて、専門家は「科学的根拠がない」と指摘し、日本政府も反対しています。
 しかし、貿易紛争になった場合、仲裁する世界貿易機関(WTO)はOIEの基準を判断の根拠にします。米国が日本の牛肉の輸入条件が厳しすぎるとWTOに訴えた場合、日本は不利になる恐れがあります。食の安全性よりも貿易を優先させようというWTOの自由貿易体制も新たな課題となっています。
 拙速な輸入再開には絶対に反対して運動を広げていく必要があります。

上関原発建設計画の原子炉設置許可申請に必要な「詳細調査」作業規模の拡大を阻止する18日間のたたかい
原水爆禁止山口県民会議 議長  中嶋 光雄
           
 去年9月号の続きを報告し、1982年に計画が表面化して以来、24年間も一貫して現地反対運動の先頭に立って、計画を6度も延期させてきた祝島の闘いに対して、カンパも含めた支援を、全国のみなさんにお願いしたいと思います。
 3月23日、山口地裁岩国支部は「祝島漁協の組合員らには漁業補償契約の効力が及ばないので、原発の建設や運転により生じる迷惑に対する受忍義務や、操業をしないという受忍義務を負わない」と祝島の個人操業権を認め、「工事が、祝島の許可・自由漁業を妨げてはならない」とした判決を出しました。
 今年2月、上関原発の排水口予定海域では鯛が豊漁で、一日の水揚げ量は一船で40キロ、多い人は60キロとなり祝島漁協では、一日の水揚げ量は500キロ〜600キロになりました。そして、原子炉建設予定地の田ノ浦海岸を挟んで反対側の取水口予定海域は、秋には漁船がひしめく様に並ぶ、鯛とヤズ(ハマチの若魚)の好漁場ですが、この海域に中国電力は、4月25日早朝から、既設置のものより約4倍も大きな海上ボーリング台船を設置する作業を行おうとしました。
 この動きを察知した「祝島島民の会」の漁船団が現場に駆けつけ、抗議・監視行動を続け、10時頃になってやっと中電は作業をあきらめ引き揚げました。祝島の長いたたかいの1日目の始まりでした。
 2日目の26日に私たちは「チェルノブイリ原発事故20年・追悼。知事意見書提出後5年・抗議。詳細調査強行開始後1年・抗議」詳細調査に反対する現地集会を田ノ浦海岸で開催。早い人は7時頃から集まりはじめ、現地に300名が集まりましたので、中電側は、全く動きを見せませんでした。
 しかし、3日目の27日午前5時、今度は田ノ浦湾内でクレーン作業台船を曳航した引船が暗闇の中、手薄であった監視の船舶の間を強力なサーチライトを照射しながら強行突破し、抗議する祝島漁船が集結するまでの間に海岸に仮桟橋の土台にするコンクリートブロック3個と大型碇2個を設置して引き上げました。
 現地より、この報をうけ、県庁前で緊急抗議の座り込みを実施。県に対し「中電に危険な作業を強行するな」と、申し入れるよう要請。同時に、平和フォーラム、原水禁から全国の仲間に中電と山口県には抗議電を、祝島には激励電を要請しました。結果、多数の団体・個人のみなさんに取り組んでいただきました。誌面を借りてお礼申し上げます。
 28日には、態勢を整えて県庁前で座り込み。現地では船40隻と海岸に100人を祝島が動員して早朝より監視行動を強化、29日から5月7日の連休中も継続。
 7日の晩からは田ノ浦の海岸に泊まり込んでの24時間阻止態勢を確立、11日夜10時から12日朝10時までの取水口海域での12時間に及ぶ最大の攻防に突入しました。
 結果は、18日間の阻止行動により、連休前までには仮桟橋と大型ボーリング台船の設置作業を完了させたいとしていた中電のもくろみを阻止しています。
 この間、祝島は漁を休んで、燃料代も当然に自分持ちです。対する推進派は中電から1日4万円(?)ともいわれる補償金をもらっての攻防になっています。ある推進派漁協幹部が「100隻船を出して祝島を封じ込むから500万円出せ」と、中電にねだったとの風聞がながれる闘いが続いています。
 最後に、原発反対の山口県議・小中進さんに宛てられた写真家・福島菊次郎さんのメッセージの一部を引用しまとめとします。『地元住民や漁民の「たかりの構造」が55基の危険な原発を狭い国土に乱立させた今、上関原発は危険な原発建設のこれからの可否を決定する最後の砦になっています。周防灘の真中に浮かぶ人口僅か600人の孤島の祝島漁民が過去24年間、金権万能社会に埋没して人間の所在を見失ったこの国の危機的状況に、激しい警鐘を打ち鳴らしつづけてきた爽やかな音色に耳を傾け絶大な声援と、より実質的な支援の手を差し伸べようではありませんか』

玄海プルサーマル、佐賀県知事が同意
反対運動は新たな段階を迎えます。
脱原発ネットワーク・九州  深江 守
 
 九州電力は2010年度までのプルサーマル実施にむけ2004年5月、経済産業大臣に原子炉設置変更許可申請書を提出し、同日、佐賀県と玄海町に対しては事前了解を求めました。申請を受け、経産省原子力安全・保安院が一次審査を行い「妥当」答申、2005年2月には経産省から原子力安全委員会、原子力委員会それぞれに諮問され、同年8月28、29日相次いで「妥当」の答申が出され、9月7日には同省の「許可」を受けています。
 10月2日には国主催の公開討論会が玄海町で開催され、12月25日には県主催の公開討論会が唐津市で開催されました。そして2006年2月7日「プルサーマルについて安全性は確保される」との異例の知事見解を表明し、同意への地ならしを進めます。
 玄海町では2月17日、同町議会による「計画推進の決議」が全会一致で可決。それを受け2月20日には玄海町長が同意を表明。そして県議会での「慎重なる推進」という決議、二階経産大臣の来佐と安全宣言のお墨付きをもらう形で3月26日、ついに古川佐賀県知事はプルサーマル計画への同意を表明したのです。

これまでの運動の流れ
 佐賀県におけるプルサーマル反対の取り組みは、2000年5月「九州電力とのプルサーマル公開討論会を実現させる会」の結成から始まります。玄海原発設置反対佐賀県民会議、脱原発ネットワーク・九州、グリーンコープ生協さがの3団体を中心に「実現させる会」を結成し反対運動がスタートします。
 2004年3月、具体的な計画が急浮上してからは県平和運動センター、原水禁佐賀県協議会も加わる形で緊急20万人署名の取り組みや2種類のマンガパンフの制作(4万7千部)とパンフを使った玄海町と周辺地域への戸別訪問の実施。市民による公開討論会の計画。朝日、毎日、読売、西日本新聞の九州・山口版、佐賀新聞、南日本新聞の全県版に全面広告を掲載する新聞意見広告の取り組みなど、まさにこの2年間、全力で闘ってきました。こうした取り組みにより、少しずつではありましたが反対の声が表面化するようになりました。
 玄海町を除く唐津地区の四漁協による2回に及ぶ「海上デモ」や唐津市では町内会(550世帯)としてプルサーマルに反対するという動きも出てきました。そうした中、唐津市議会では2005年12月、全市議参加の「プルサーマルに係る特別委員会」がつくられ議論が始まりました。しかし、議論が始まったまさにその時、古川知事は「プルサーマルについて安全性は確保される」との見解を表明したのです。

県庁前、15日間のテント村の闘い
 私たちは2月15日、県庁を訪れ「知事見解に対する公開説明会開催」の申し入れ書を手渡し、2月19日には玄海町、3月19日には佐賀市で集会とデモ、県庁を包囲する人間の鎖などの抗議行動を行いました。
 こうした取り組みと合わせて、3月11日からは県庁前での24時間の座り込みの闘いを開始しました。県庁横の大通りに面した広い公園にテントを5つ並べ、横断幕を張り巡らし、市民へのアピール行動を展開しました。季節外れの雪が同情を呼んだのか、テント村には連日市民からの差し入れが届けられました。帰宅途中、わざわざ車を止めて挨拶に来るひと。散歩がてらにのぞきに来る人。たまたま仕事で佐賀市に来ていた玄海町の人は「ほんとはおいたちがやらんといかんとばってん」とカンパを置いていったりと大きな反響に驚きの連続でした。九州各地から座り込みに参加した仲間は、延べ180人に達しています。

プルサーマルの是非は県民投票で決定しよう

 原発から半径10キロ圏内に約2万7千人が住む唐津市民の声を聞くこともなく、県主催の公開討論会からわずか3ヵ月で「同意」しました。拙速に過ぎるとの声は各方面から上がっています。伊万里市議会は「住民側に立った公正な判断を求める意見書」を採択し、お隣の福岡県志摩町議会は「慎重審議を求める意見書」を採択しています。また、佐賀弁護士会は「導入に反対する会長声明」をだすなど、ようやくプルサーマルが全体の問題として捉えられるようになってきたばかりです。
 こうした声を無視する「同意」に対して、プルサーマルの問題は県民投票を実施して、県民一人一人の声で決めることにしようという県民投票条例を求める運動が始まりました。今はまだ小さな集まりですが、やがては佐賀県全体を動かす大きなうねりとなることを確信しています。

大阪地裁 入市ヒバクシャを含め9人全員の原爆症を認定
画期的な判決、原因確率による判断を批判
国はヒバクシャ政策の根本的な転換を

原告9人全員の勝訴
 5月12日、原爆症認定申請を却下された京都、大阪、兵庫のヒバクシャ9人が、却下処分取り消しを求めていた訴訟の判決が大阪地裁であり、西川知一郎裁判長は全員に認定却下取り消しの判決を出しました。
 勝訴した原告は次の方々です(?数は爆心地からの距離です)。
深谷日出子(79) 広島、1.5?・白内障ほか
葛野須耶子(76) 長崎、3.3?・甲状腺機能低下
木村 民子(69) 広島、2?・胃癌
井上 正巳(75) 広島、1.8〜1.9?・右指癌
佐伯 俊昭(73) 広島、2?弱・咽頭腫瘍
小高美代子(81) 広島、1.9?・甲状腺機能低下
甲斐 常一(81) 広島入市・脳梗塞後遺症など
川崎 紀嘉(80) 広島入市・貧血
美根アツエ(78) 長崎、2.1?・肺ガンなど
 大阪地裁の判決が画期的なのは、現在の認定制度を根本的に批判していることです。2000年に最高裁が爆心地からの距離でヒバク放射線量を量る推定方式を否定したことにより、国は01年に新しい認定基準を定めました。
 その基準を簡単に述べますと、それまでの推定方式に性別や年齢、病気ごとの放射線による影響のパーセンテージ(これを原因確率といいます)を算出します。そして原因確率が50%以上の申請は原爆症としてほぼ認定し、確率10%未満の申請はすべて却下してきたのです。
 今回大阪地裁で勝訴した9人は、全員が「原因確率」が10%未満でした。
 判決は、「放射線の人体に与える影響については、詳細が科学的に解明されているとはいい難い状況にあり、……放射線被曝による人体への影響に関する統計的、疫学的及び医学的知見を踏まえつつ、申請者の被爆前の生活状況、健康状態、被爆状況、被爆後の行動経過、活動内容、生活環境、被爆直後に発生した症状の有無、内容や程度、被爆後の生活状況、健康状態、疾病の発症経過や病態、それ以外の疾病の有無などを全体的、総合的に考慮して……申請に係る疾病の発生を招来した関係を……経験則に照らして判断すべきであり」「審査の方針の定める原爆放射線の被曝線量並びに原因確率及びシキイ値は、放射線起因性を検討するに際しての考慮要素の一つとして、他の考慮要素との相関関係においてこれを評価し、斟酌すべきであって、審査の方針で定めるとおり、機械的に適用して当該申請者の放射線起因性を判断することは、相当でないというべきである」と述べています。
 つまりヒバクシャの原爆症認定申請は、被爆当時の状況やその後の疾病の発症歴などを考慮して判断すべきであると、まさにヒバクシャが切に求めていたことを判決で明らかにしたといえます。
厚生労働省はヒバクシャ政策の根本的転換を
 これほど詳細に国の認定制度を批判した判決は初めてです。老齢化したヒバクシャのことを考えるなら、国は直ちに認定判断のあり方を根本的に改めるべきでしょう。これまで認定申請を却下されたヒバクシャは、裁判という手段によってしか、原爆症と認定されてきませんでした。私たちはこうした状況を根本的に変えなければなりません。
 そしていま、多くの在韓ヒバクシャや在外ヒバクシャが、日本在住ヒバクシャと同じ対応を求めて裁判を闘っていることを忘れてはなりません。
 さまざまな障壁を設けて、ヒバクシャ救済を閉ざしてきた国は、とくに在外ヒバクシャに対しては、一層強い差別性をむきだしにしています。この判決を契機に国に政策の根本的な転換を迫りましょう。

緊迫するイラン情勢
米国のイラン軍事攻撃の危険

世界は大乱の時代を迎えるのか
イランのウラン濃縮と安保理
 イランのウラン濃縮をめぐって世界で緊張が高まっています。イランは今年2月11日に中部のナタンツでウラン試験を開始し、4月11日にはアハマディネジャド大統領が164基の遠心分離器を連結した「カスケード」で3.5%の低濃縮ウランの製造に成功したと発表しました。
 イランはNPT(核不拡散条約)に加盟し、IAEA(国際原子力機構)にも加盟していて、このためNPT条約第4条によって、ウラン濃縮や原子力発電などは認められています。現にペルシャ湾岸・プシェールでロシアの協力で軽水炉建設が進んでいます。しかし秘密裏にウラン濃縮を進めようとしていたこと、遠心分離器をパキスタン・カーン博士の「核の闇市場」から調達していたことなどが明らかとなり、イランは核武装を意図しているのではとの疑いが高まりました。
 このためIAEAはウラン濃縮停止を強く求め、イランは、核武装を意図していない、NPTによる権利としてウラン濃縮をしようとしているだけだと主張し、結局、国連安保理に判断が求められたのです。
 国連安保理は3月29日に、イランに30日以内にウラン濃縮の停止を求める決議を採択しましたが、イランは反発し、4月11日の発表になったのです。
 こうした事態のなか、米、英、仏を中心に制裁を含む新たな安保理決議の話が進んでいますが、中・ロが反対していて、どのように展開になるかは不透明です。

地中貫通核爆弾でイランを空爆か?
 そしてにわかに現実味をもって語られているのが、米国によるイラン空爆です。とくに4月8日の米誌ニューヨーカー電子版に、セイモア・ハーシュ記者が「ブッシュ政権はすでに特殊部隊をイランに潜入させ、軍事標的の選定に入っている。攻撃には地中貫通核爆弾の使用が検討されている」という衝撃的な内容の記事が掲載され、世界に緊張が走りました。
 イラン中部・ナタンツのウラン濃縮施設は、地下約23メートルで厚いコンクリートに覆われていて、これを破壊するとしたら、米軍が持っている唯一の地中貫通核爆弾・B―61―11しかありません。
 しかしB―61―11の貫通力は6?以内で、この核爆弾を投下した場合、地下6?以内で核爆発を起こすため、外部に漏れ出る放射能汚染はものすごい量になり、ウラン施設の破壊による複合的な放射能汚染もはかり知れません。また限定空爆(攻撃箇所約400)するとしても、全面戦争へと発展する可能性があり、さらに核兵器開発を阻止するために、核兵器を使うという、これほど矛盾した行動は常識的には考えられません。
 ちなみに、イランが高濃縮ウランを製造するには、さらに大量の遠心分離器を連結する必要があります。

ネオコンとブッシュ・ドクトリン改訂版
 それでも米国によるイラン攻撃説が一定の信憑性をもつのは、米政府はイランの核武装を固く信じているだけでなく、イランの核武装は許せないと考える人たちが、米国内に多数いること。さらに圧倒的な軍事力が世界を制すると考えるネオコンが、なおブッシュ政権で大きな力をもっているからです。
 今年3月16日、米国は「米国の国家安全保障戦略」(ブッシュ・ドクトリン)の改定版を発表しました。02年9月発表のブッシュ・ドクトリンで明らかにした「大量破壊兵器で米国を攻撃する恐れのある国などに、自衛権行使のため先制攻撃する権利がある、先制攻撃には核兵器も使用しうる」とした考えはそのままに、改訂版ブッシュ・ドクトリンは、「イランは20年にわたって核計画を秘匿してきた。テロを支援し、イスラエルの脅威となり、中東和平を妨害し、イラクの民主主義を損ねている」「イランは米国にとって最大の脅威」と激しく非難しています。

NPT体制は崩壊寸前
 米国は今年3月2日、インドに原子力発電の技術提供をすることで合意しました。インドはNPTに未加盟なまま核武装路線を歩んでおり、平和利用に限定するとはいえ、インドに技術提供することは、今後インドの核兵器増強を公然と認めることを意味します。
 米国はこれまでイスラエルの核武装に対して沈黙を通してきました。そして今回の米印合意です。米国のこのような核兵器に対する二重基準こそが、イランを反発させる大きな一因になっているのです。
 米国は核拡散防止をNPTによらず、有志連合によって、しかも力で阻止しようとしています。それはNPT体制を崩壊させるだけです。広島・長崎の体験をもつ日本は、米国の危険な動きを強く批判しなければなりません。いま日本の行動が求められているのです。

正念場の闘いを!
総会を終えて
 4月20日、平和フォーラムは総会を開催し、「人間の安全保障」を基本に「憲法理念を実現する取り組み」を中心とする「2006年度の闘う方針」を確立しました。とりわけ、ブッシュの「世界支配のための軍事戦略」に追従しての小泉の「軍事大国化路線」に対決して闘う事を確認しました。
 また総会の討議で、原水禁大会の3団体による開会式のあり方、平和基本法、平和フォーラムの組織強化について、参加者から提起がありました。この三つの課題は、平和フォーラムの将来の戦略とかかわるだけにそれぞれ極めて重要課題です。引き続き議論をしながら、前に進みたいと思います。ただ3団体による原水禁大会の取り組みは、連合、核禁会議とも取り組みを決定しているだけに、原水禁としても全力で取り組みたいと思います。
 とりわけ脱原発課題等は、3団体での取り組みの意思統一は困難ですが、原水禁としては、「3本柱」の取り組みの一つであり、従来に増して、その重要性が明らかになっていますから、運動の中ではさらに強化する決意です。平和フォーラムの組織のあり方についても、現状の日本の政治情勢、社会運動をめぐる情勢を分析すればするほど、「平和フォーラム」の組織強化の必要性が明確になります。しかし、一方で構成団体の組織人員の減少も大きな課題となっています。運動強化を基本としながら、組織の強化拡大にも取り組まねばなりません。

小泉内閣の暴走を許すな
 小泉自公政権が暴走を続けています。共謀罪新設、教育基本法改悪、米軍再編成、医療制度改悪、国民投票法案などを強行しようとしています。日本の民主主義の伝統は、決して小泉の好き勝手には、できないことを証明すると思います。ようやく野党による反撃の動きも見えてきました。
 労働団体の「連合」も市民団体も、また米軍再編成で負担強化を押し付けられる自治体も頑張っています。教育基本法改悪に反対する日教組も、もちろん私たちも、平和団体、市民団体も全力で闘っています。通常国会も終盤を迎えつつあります。すべての力を結集して、「戦後最悪の内閣である小泉自公政権」の暴走をなんとしても止めましょう。
 5月12日、沖縄で平和行進が始まりました。沖縄の無念、怒り、平和運動の力強さを胸に刻みながらの行進でした。そして最終日の県民大会で、参加者全員で肩を組み「インターナショナル」の大合唱で幕を閉じました。全国各地から3,500人を超える仲間が結集しました。闘いは確実に沖縄から全国に広がるでしょう。
 5月3日の「米軍再編成反対・東アジアに平和を」テーマとする平和フォーラム主催の憲法記念日の集会で、韓国から参加した活動家が、私たちに、問いかけました。「日本の平和運動、その担い手のみなさん、本気ですか。」と。「小泉内閣の暴走を、憲法の破壊を、教育基本法の改悪を、米軍再編成を、六ヶ所の再処理工場の稼動」を「本気で」止めるために闘うのですか。この問いかけを胸に秘め頑張りあいをしたいと思います。