インタビュー・シリーズ その14
「伊藤博文の千円札」が私にとっての教科書問題
田中 宏 龍谷大学教授に聞く

【プロフィール】
龍谷大教授・一橋大名誉教授、日本・アジア関係史。中国人強制連行を考える会、定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワークなどの代表。1937年東京生まれ。東京外語大中国科卒、一橋大大学院修了後、アジア学生文化協会勤務。愛知県立大、一橋大を経て現職。在日外国人に関わる諸運動を担う。

──田中さんは1945年8月15日をどう迎えましたか。
 疎開先の岡山で小学校3年でした。敗戦後の印象のほうが強烈ですね。進駐軍の放出物資で、一枚ごと銀紙でくるんだチューインガムにはびっくりしました。こんなお菓子を見たことがない。日本はすごい国を相手に戦争して負けた、これからは心を入れ替えよう。チューインガムを口にすると、軍国主義が出ていって民主主義が入ってくるような実感がありました。

──人権の運動に関わるようになったきっかけは。
 1962年から東京・駒込のアジア文化会館という留学生の世話団体の職員になります。ここで10年間、生身の人間と対話し、外国人の処遇や歴史認識の問題に触れました。この10年で自分の一生が決まったと思います。1963年に千円札が伊藤博文になったとき、留学生に「日本人は歴史をどう勉強しているのか」「在日朝鮮人も使うのに残酷と思わないか」「誰一人批判しないのが薄気味悪い」と言われたことは、いわば私にとっての教科書問題でした。また、外国人を「害国人」と思っていないか、犯罪人でもないのに指紋を押した身分証明書を肌身離さず持ち歩かされているといわれ、びっくりしたこともあります。指紋押捺の外国人登録証も初めてみたし、常時携帯義務に反すると警察に捕まる事例も知りました。

──日本の戦争責任と戦後補償についてのお話を。
 在日韓国人の戦後補償に関わったので、日本人に対する補償と比べたことが、私のこの問題の原点です。軍属として右腕を失う戦傷を受けた在日の石成基さんは、日本人なら援護法で年380万円支給されるのに、国籍条項で一銭ももらえない。1994年に村山首相(当時)が10年間で1000億円を用意して戦後処理するといって話題になったとき、私は被爆者二法で年間1400億円支出され、日本の軍人・軍属などには年約2兆円の戦争犠牲者援護費が計上されているなど、戦後補償の内外格差を問題にしました。

──戦後補償についてドイツとの違いが言われます。
 東西冷戦によって、ドイツは分断されましたが、日本は一番重要な相手の朝鮮と中国が分断されました。対中関係では、台湾の蒋介石が賠償放棄し、北京に代わっても周恩来は引き継ぐなど、日本は漁夫の利を得たので、きちんと歴史と向き合っていません。ドイツは、国境も陸続きで、第1次、第2次大戦と荒らし回ったので、身も心も入れ替えないと生きていけない危機感を持って、歴史の問題に対処しました。歴史認識がまったく違います。
 私も、アジア文化会館で働くまでは、真珠湾攻撃したが原爆投下で負けたという意識で、アジアとの戦争という感覚はありませんでした。60年代、私と同年代の留学生たちに、アジアの生々しい戦争の傷跡や余韻を教えられました。シンガポールの留学生から、日本軍の埋めた華僑虐殺の白骨死体が発見されたことや、「日本占領時期死難人民記念碑」の建立のことを初めて聞きました。他方、日本の全国戦没者追悼式では侵略した者をベートーベンの「英雄」で讃える時代が来たと報じるシンガポールの新聞を見せてくれました。

──朝鮮植民地支配の責任や在日の人権についてどう思われますか。
 在日は、本国の分断で、当初、日本でどう生きるかは二の次でした。1958年の北朝鮮帰還協定に民団は北送反対、65年の日韓条約には朝鮮総聯が猛烈に反対し、日本政府はいわば高みの見物でした。いまも地方参政権では総聯と民団の意見の違いが利用されています。
 とはいえ、日本で生まれ育ち、民主主義や人権の教育を受けた世代が、自分たちはどうかを問い、市民運動とともに日本社会のあり方を変えはじめます。1970年には、韓国人を理由に採用を取り消した日立就職差別裁判が、未成年の朴鐘碩さんを原告に起こされ、74年に全面勝訴しました。納得できないことは闘うというメッセージとなり、市営住宅の入居条件、日本育英会の奨学金、電電公社の職員採用などの国籍条項を次々と外させました。金敬得さんは司法試験に合格しても日本国籍を取得せず、初めて最高裁の扉を開けました。この延長線上に指紋押捺拒否があり、20年かけて制度を廃止しました。

──現在の在日コリアンの課題は何でしょうか。
 地方参政権、無年金問題、外国人学校の制度的保障という3つの課題にとりくんでいます。地方参政権の開放は、盧武鉉政権が2005年に法改正し、翌年5月の統一地方選で初の投票が実施。韓国に出来てどうして日本は出来ないのか。日本で実現すれば、玄界灘をはさんで相互に地方参政権が開放され、東アジアの片隅にEUのような共同体の卵ができます。地域社会では同じ住民であるという時代を築くことが重要です。
 在日の無年金問題は本当に歯ぎしりしています。国民年金法の国籍条項は、難民条約で外したものの、沖縄復帰、中国帰国者、最近では拉致被害者のような経過措置がとられていません。韓国政府の再三の要求にも日本政府は応えていません。近く福岡で訴訟を起こし、韓国の世論と連携するつもりです。
 朝鮮学校からブラジル学校までを射程に入れて、外国人学校を制度的に保障したいですね。現在、ブラジル学校は日本に100校近くありますが、まったくの私塾で、通学定期が使えず、授業料に消費税がかかり、自治体の助成金もありません。そこで朝鮮学校の経験も踏まえて各種学校の地位を獲得するため、「外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク」で運動を進めています。各種学校の認可には自前の校舎や運動場が必要ですが、ブラジル学校はほとんど借物です。静岡、岐阜、愛知の3県では設置基準の緩和が実現し4校が認可されました。さらに私学助成の獲得をめざしています。

──問題解決が進まないのはなぜでしょうか。
 一つは、メディアの視点の弱さです。2005年に韓国与党の文喜相党首に地方参政権の開放について聞きましたが、彼は、韓国は日本よりもナショナリズムの強い国なので、思い切って開放したという。日韓にある参政権開放で国が亡ぶという議論をどう乗り越えるかを掘り下げるのがジャーナリストです。ブラジル学校も、17年前に日系人の就労自由化政策を採って、ブラジル人が増加したためです。在日朝鮮人もブラジル人も日本の歴史の遺産です。来年のブラジル移民100周年までに外国人学校問題を前進できればと思います。

──靖国問題についてはどういう見方ですか。
 新資料で厚生省の名簿提供などが明らかになりましたが、特定の宗教法人に政府が関与するのはとんでもない憲法違反です。また、裁判も起きていますが、台湾や韓国の人を勝手に祀ることは、当事者には受け入れられません。さらに、平和条約11条による戦犯裁判受諾の国際約束との矛盾があります。

──安倍政権の動きと在日の権利については。
 当面、総聯の問題が大きいですね。総聯は、一部、朝鮮民主主義人民共和国の代表機関的な側面があるにしても、それと区別して在日の権益擁護、民族団体としての役割を明確にするときです。また、日本政府が、「朝鮮」とは国籍ではなく記号に過ぎないという従来の説明を翻したことは問題です。安倍政権はいい気でやっていると、6カ国協議で日本が取り残されます。

〈インタビュ─を終えて〉
大阪・鶴橋の焼肉屋でインタビュー。田中さんは「能書きだけではない実践の活動家」。日本の戦争責任、戦後補償、在日のコリアンの権利について、一つ一つ闘ってきました。日本の朝鮮半島への侵略の中で、蹂躙され続けてきた民衆の無念と怒りを語ってくれました。平和フォーラムは彼の熱さと怒りにどこまで迫れているのだろうか。田中さんについていこう。そしてがんばろう。 (福山真劫)


原子力空母横須賀母港化阻止に向け訴訟おこす
三浦半島地区労働組合協議会 事務局次長 長 祐輔

拒否された住民投票や浚渫協議差し止め
 神奈川の米海軍横須賀基地には、昨年8月、弾道ミサイル迎撃能力を有するイージス巡洋艦シャイローが配備され、さらに同様の能力を有するイージス駆逐艦の配備が進められるなど、基地機能強化が続いています。また、陸上自衛隊武山駐屯地へのパトリオットミサイル(PAC3)の配備も計画されるなど、軍事的緊張が高まっています。
 三浦半島地区労では、2008年に予定されている米通常型空母キティーホークの退役に伴う原子力空母配備反対の取り組みを粘り強く行ってきています。今年1月、「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」が、約4万の署名を持って行なった住民投票条例制定の直接請求は2月の臨時市議会で否決(賛成10・反対31)されてしまいました。
 また、3月に横須賀港周辺で操業する漁業関係者と市民が、横須賀市を相手取り、横須賀港浚渫協議の差し止めを求める行政訴訟と仮差し止め申請を横浜地裁に提訴しましたが、地裁は仮差止め申請を却下、4月26日には、蒲谷横須賀市長が浚渫協議を終了、工事着工を認めてしまうという厳しい状況に至っています。

市民の65%は原子力空母に強い不安
 浚渫工事は、原子力空母の母港化を目的としたものです。この結果、原子力災害=核事故による危険性が日常化することになります。
 これに対し、浚渫工事の差し止めと仮処分を求める民事訴訟を進めようと、7月1日に「『ストップ原子力空母母港裁判』を進める会」が結成されました。横須賀から半径165km以内(被ばく線量50ミリシーベルト)に在住する住民ならば基本的に誰でも原告になることができることから、7月3日の横浜地裁横須賀支部への提訴時点で649名の市民が原告となり、9月上旬に第1回公判が行われる予定です。
 07年3月に市民団体が1055人の市民を対象に行った調査では、65%の人が原子力空母配備に強い不安を持ち、「反対」の意向を示しています。国や市が行ってきた安全キャンペーンも功を奏していない状態であることから、この裁判を通して、あらためて原子力空母の危険性と浚渫工事による海洋汚染の危険性を市民に訴えていく必要があります。「住民投票を成功させる会」も「裁判を進める会」を支援しつつ、積極的なアピール活動を行っていくと確認しています。
 三浦半島地区労は、原子力空母母港化阻止の立場から「横須賀港浚渫差し止め裁判」を支援し、原子力空母の配備阻止を勝ち取りたいと考えています。そのためには、この運動が、全県・全国的な広範な運動となることが必要です。自衛隊の辺野古への掃海母艦の派兵や陸上自衛隊情報保全隊による市民の監視活動等、武力による市民運動・労働運動の弾圧につながる動きも顕著になっており、これに抗するとりくみや米軍再編反対のとりくみとあわせ、全国的な運動の構築を呼びかけています。

子どもたちと向き合う教職員の熱意引き出す学校へ
現場無視の教育改革に未来はあるのか

国会審議で明らかになった教育三法の問題点
 6月20日、多くの反対を無視し、政府は「教育関連三法」を参議院において可決・成立させました。新聞報道では「疑問がいっそう膨らんだ」「現場の不安置き去り」などとの活字があふれました。両院の委員会審議においても、「教育への国の関与」「学校現場の混乱」などの観点から疑問が噴出しましたが、政府は納得のいく説明ができませんでした。20の付帯決議が法案の不備を象徴しています。
 教育免許法の「改正」による10年ごとの教員免許更新制は、他の免許制との整合性を著しく欠くことは言うまでもありません。また、教員が10年を経過して新たな教育のスキル(技能)を学ぶ機会としていますが、それならば何も更新制度を導入する必要はありません。これまでも教育現場においては、初任者研修、10年および15年経験者研修など、教員の経験年数に沿った必修の研修が実施されています。
 また、必修ではありませんが、それぞれの学校課題や教員の主体的要求を満たすように研修計画が作成され、日々の研修が整っています。加えて、県によっては、ボランティア休暇、学術研究休職制度、民間派遣体験研修など、それぞれの意欲に応じた研修制度も整備されています。

研修と免許更新制は教員を萎縮させる
 しかし一方で、必修研修は生徒との対応の時間を著しく減らすとして、現場の教員から評判がよくありません。ある県の高校での10年経験者の研修は、生徒の夏休み中に25日間拘束され、部活動や生徒の進路選択への顧問、担任としての対応に大きな障害となっています。このような中で、さらに研修を積み上げる必然性はありません。
 現在、不適格教員への対応制度が整備されているなかで、ことさら研修と免許更新制を結びつけることは、教員の主体的な研修と教育のとりくみを萎縮させ、画一的な教室を作ることとなるのではないでしょうか。そのことが、逆に課題である学力不足やいじめの解決を遅らせることにつながっていくという問題が出ています。

画一的な指導が教員の主体性を阻害
 学校教育法の「改正」では、これまでの校長・教頭に加えて副校長・主幹教諭・指導教諭を置くことができるとされました。
学校現場では、学年や教科など一定のグループ内において、子どもの教育について議論を重ね、指導方法の改善や個別生徒への指導方法の取捨選択を行ってきました。そのような取り組みの中で、教員は成長し経験を積んできたのです。教室も子どもたちも一律ではありません。画一的な指導が学級崩壊などを生じさせる原因にもなり得るのです。
 校長・教頭などの管理職の経験もその場に通用するとは限りません。そのためにこそ学年担当などの議論の中で教育指導が行われていくのです。現在の課題解決のために学校に一番必要なことは、そのような子どもたちと向き合う時間と教職員が子どもたちをどのように指導していくかを議論する時間なのです。

息苦しさを増す学校現場
 学校教育法を「改正」し、教育目標に「規範意識」「公共の精神」「国と郷土を愛する態度」を盛り込み、新たな職を導入したとしても、学校教育の現場が息苦しくなり個々の教員の主体的取り組みを阻害するばかりで、課題解決には全くつながりません。
 教育に必要なのは、教職員の熱意です。校長には、そのリーダーシップを発揮し、教職員の熱意と主体的な取り組みを引き出し、教職員の共通理解に基づいた学校運営を築くことが求められています。校長の一方的指示と免許更新制という脅しをもって管理を進めることでは、教職員は国・県・校長という階層の枠の中でしか仕事ができなくなる恐れがあります。そのような、教育現場では、子どもたちの個性が生かされず、能力の伸長もありえません。

5年連続、家庭からの有害排出物の半分以上は合成洗剤!
合成洗剤業界から自治体の洗剤対策に執拗な攻撃
きれいな水といのちを守る合成洗剤追放全国連絡会 岩野淳

 環境省と経済産業省は、毎年、化学物質が環境中にどのくらい排出されているかを調べて公表しています。これは、「化学物質排出把握管理促進法(PRTR法)」に基づくもので、2001年から行われています。事業者が取り扱った化学物質の排出や移動量のほか、家庭や農地、道路など、排出元が特定できない化学物質についても、その排出量を政府が推計して公表しています。
2005年度分の集計結果によると、家庭からの化学物質排出量の半分以上が、合成洗剤の界面活性剤の主成分である、直鎖アルキルベンゼンスルホン酸(LAS)や、ポリ・アルキルエーテル(AE)と呼ばれる物質でした。これは統計公表以来、5年連続で、全ての化学物質の排出量ワースト10にも入っています。
 このように、水質汚染源の1つとして合成洗剤があり、特に家庭からの排出量が多いことから、洗剤対策には各地域での消費者、市民そして自治体の努力・協力が不可欠であることをデータが示しています。

洗剤業界が自治体条例の廃止を求める
 地域での取り組みの1つに自治体による、洗剤の使用に関する条例、指針などの制定があります。これに対し花王やライオンなど、大手合成洗剤メーカーの業界団体である日本石鹸洗剤工業会からの嫌がらせとも思える不当な圧力が続いています。
 合成洗剤追放全国連絡会が結成された1974年ごろまでは、環境中で分解されにくいABS(分岐鎖アルキルベンゼンスルホン酸)を主成分とする有りんの合成洗剤が主流でした。そのため泡が河川に充満し、人体被害、環境汚染が顕著でした。地域住民の取り組みと、自治体による条例の制定が進み、企業もABSをやめて無りんの合成洗剤が作られました。
 しかし、これで合成洗剤問題が解決したわけではありません。そのため、PRTR法でLASやAEなど6種類の合成洗剤の成分が、人の健康や生態系に悪影響を及ぼすおそれがある物質(第1種指定化学物質)とされ、それによる水質汚染が継続している事は政府が公表したとおりです。今後とも地域住民と自治体が協力し、条例や指針などを有効利用し、健康と環境を守るために洗剤対策を強化しなければなりません。
 しかし、自治体の条例等の存在が気に入らない日本石鹸洗剤工業会は、昨年、合成洗剤の安全性・環境問題については解決しているとの前提で、20自治体に対し条例等の廃止を要求し、うち特に厳しい施策を実施している4自治体(千葉県我孫子市、神奈川県、同県藤沢市、京都府)に対して公開質問状への回答を要求、我孫子市に対しては今年3月に再度の公開質問状を送りつける始末です。

化学物質対策の流れに逆行する洗剤工業会
 PRTR法では事業者、市民、行政が情報を共有、協力し化学物質対策を進める(リスクコミュニケーション)としています。工業会の主張を認めなければ執拗に自治体に迫るやり方は異常と言わざるをえません。
 PRTR法では事業者が講ずべき「指針」が国により定められています。そこには化学物質使用対策の一つとして、「排出の抑制、代替物質の使用や技術の導入」が明記されています。洗剤を使用・排出する消費者が減量したり、石けんを工夫して使用することは良いことであり、自治体が出来る範囲でそれを支援することも当然です。
 世界的に化学物質の管理、規制は強化される方向にあります。EUにおいては化学物質の製造・販売者の責任を明確にした新たな管理制度(略称REACH)が今年7月からスタートしました。洗剤の成分もその対象です。しかし産業界はそれを歓迎しているとは思えません。それらが工業会の自治体への対応に表れているのかもしれません。
 PRTR法も今年、見直しの時期にもあたります。油断をせず自治体、業界とのリスクコミュニケーションを強化し、合成洗剤追放運動を前進させましょう。

六ヶ所再処理工場は必要なの?
賛成、反対で徹底討論
ふぇみん婦人民主クラブ 山口泰子
 7月7日、東京で「どうなっているの? 六ヶ所再処理工場 聞こう、知ろう、考えよう!七夕大学習会」が開かれました。主催したのは市民グループが集った「再処理工場を知る会」です。
 現在日本では55基の原子力発電所が運転されています。発電によって発生する使用済み燃料について、日本の原子力政策は当初から再処理を行う方針で、「エネルギー基本法」や原子力委員会の「原子力政策大綱」によって裏付けられています。青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場では本稼動を目前にしています。
 六ヶ所再処理工場の稼動には賛成、反対双方の意見があります。今回立場の違うお二人の原子力専門家にお話を伺い、自分たちの糧とするためにと開かれたのがこの大学習会です。
 ゲストは宮川俊晴さん(青森在住の原子力事業関係者)と小出裕章さん(京都大学原子炉実験所)です。再処理について考え方の違うお2人をむかえるという貴重な機会に対する期待からか、会場は20〜30代を中心に300名近くの参加者であふれました。

放出される放射性物質は安全なのか
 学習会は2つのテーマ別に、それぞれゲストが発言したあと討議するというかたちですすめられました。
 第1のテーマ『放出される放射性物質は安全なのか』について宮川さんは、「放射能の放出について管理目標値を決め、それ以下にすることを約束しています。イギリスの再処理工場の最も低い海洋放出量でも日本の放出管理目標値の1,000倍です。人類は日常的にも放射能を受けています。少しの被曝も容認できないという意見を認めることはできません。」との意見です。
 これに対して小出さんは、「アメリカの科学アカデミーでは最低限の被曝であっても人類に対して危険を及ぼす可能性があると発表しています。六ヶ所再処理工場では、放射能を海からは3キロメートル沖合で44メートルの海底に、陸では高さ150メートルの排気塔から空気中に放出します。これらが世界中を回ることになるのです。こんなことが許されていいのでしょうか」と述べました。

再処理はエネルギー問題に寄与するか
 第2のテーマである『再処理はエネルギー問題に寄与するか』について宮川さんは、「資源と温暖化の問題を解決しないと将来はありません。日本のエネルギーは輸入に依存しています。原油の高騰にどう対応できるのでしょうか。原子力は人類が技術でエネルギーを獲得する手段だと思います。今後中国、アフリカなどのエネルギー需要増を考えると原子力なしではやっていけないと考えます」と主張。
 一方、小出さんは、「石油はなくなるといわれながら、まだ枯渇していません。この地下資源を大切にしながら太陽エネルギーなどの活用を考えていくべきです。原発の燃料であるウランもいつかなくなる資源です。高速増殖炉でプルトニウムをつくるというがその計画は各国が撤退し、日本でも何度も運転計画が延期されていて、実現性は期待できません。世界全体でみると日本はエネルギーを使い過ぎています、市民が暮らし方を見直すことも必要ですが、国家のあり方を変えなければなりません」と主張しました。

再処理工場はプルトニウムを増やす

 この後、参加者から質問が出され、「炭素14やトリチウムの除去装置が設定されていない」ことについて、宮川さんは「空気中で希釈されるから問題ありません」と回答。小出さんからは「自然界の放射能でも被害はある。そのうえ人工的な被曝を付け加えることになるのです」という発言がありました。
 「プルトニウムの使い道」について宮川さんは「プルサーマルでプルトニウムを使う。世界でも十分な実績があり、国内でも最近、浜岡原発でのプルサーマルが認められた。他でも理解を得られるよう努力しています」と回答しましたが、それに対して、小出さんはプルサーマルに反対の立場で「プルトニウムを増やす再処理工場は動かすべきでない」との意見でした。
 期待通り意見の違いがはっきりわかり、自分がどんな社会を選択するのかを考えることのできる非常に有意義な学習会でした。

原水禁大会・海外ゲストの顔ぶれ
6カ国13人参加 討議と交流深める
 今年の原水爆禁止世界大会には、6カ国13人の海外ゲストが参加し、「東北アジアの平和と非核化」や「在外被爆者」、「フランスの核実験被害」、「ヨーロッパの脱原発」などの報告や、メッセージfromヒロシマでの若者の交流を進めていきます。海外ゲストの紹介です。

【核兵器課題】
リーヴァ・パトワルダン(米国・ピースアクション西部広報担当) 大阪・国際会議/広島・第1分科会/長崎・第2分科会
ピースアクションは10万人以上の会員を持つ全米最大の平和団体。パトワルダンさんは米国の外交政策問題を中心に活躍。また、移民の権利や社会正義を守る運動に関わっている。
チン・ヨジョン(韓国・参与連帯運営委員会副議長) 大阪・国際会議/広島・第2分科会
参与連帯は広範な市民団体を結集し、平和運動と政策提言などを進める。チンさんは1999年から2005年まで参与連帯議長、01年〜03年まで民主社会国家教授連合議長も務める。スンコグ大学教授。
*その他、中国・平和軍縮協会から参加予定。

【ヒバクシャ課題】
陣 啓三 広島・第4分科会
16歳で広島市立工業学校在学中被爆。アメリカに留学し、医師資格を取得。カンザス大学医学部教授を勤め、現在、北米被爆者の会相談医。
郭 貴勲 広島シンポジウム/長崎・第4分科会
朝鮮人徴兵令で日本軍に召集され、広島で被爆。韓国で被爆者協会の設立に尽力。会長等歴任。98年に大阪府で健康管理手当の支給を受けるが、帰国後、支給を打ち切られ提訴。在外被爆者へ援護法適用させる。
金 日祚 長崎・第4分科会
韓国被爆者協会。広島の江波で被爆。現在、ハクチョンの被爆福祉会館で療養しながらも、韓国の女性の被爆運動のリーダーとして、多くの被爆者の支援活動を行う。
ロラン・オルダム 広島・第3分科会/長崎・第3分科会
 仏領ポリネシアのフランス核実験被害者団体「モルロア・エ・タトゥ協会」会長。長年にわたり核実験反対運動を推進。また、労働組合の幹部として、不安定な身分の労働者の支援にも取り組む。

【脱原発課題】
レベッカ・ハルムズ(ドイツ・緑の党欧州自由連合グループ副代表) 広島・第5分科会/長崎・第6分科会
2004年から欧州議会議員。「産業、研究およびエネルギー委員会」委員、「環境、公衆衛生および食安全委員会」委員代理。対ウクライナ交流欧州議会議員団メンバー。対ロシア交流欧州議会議員団メンバー代理。

【メッセージfromヒロシマ】(子ども関連行事)
金 娟秀(韓国)
ソウルの高校へ通っているが、日韓高校生平和交流活動を聞いてぜひとも参加したくなった。日本と日本人に対して、もっと理解するきっかけになって、戦争と核兵器がない平和な世界を作りだしたい。
具 珍英(韓国)
3月、日本の高校生平和交流団と共に釜山駅広場での反戦反核署名運動と交流活動へ参加。日本での平和実現交流活動を通じて、日本の友達とよりたくさん交流し、世界平和の実現を助ける人間になりたい。
李 建雨(韓国)
昨年、広島・長崎での平和交流活動を通じて、平和の重要性を肌で感じた。今年は高校生平和大使に、韓国で初めて選出され、国連代表部へ訪問して、戦争と核兵器被害者がない平和運動の先頭に立ちたい。
李 俊協(韓国)
3月、日本の高校生平和交流団が釜山訪問したとき反戦反核署名運動と平和交流活動へ参加。過去を正しく知ることで未来が明るいと信じている。韓国と日本の平和交流でより近い、隣国の関係になるように願う。
ミシェル・バロンゾ(フィリピン)
13歳で、3人兄弟の末っ子。マニラのブカスパラドの近くで、必要なものしかない質素な生活をしています。広島と長崎に行けることを聞いて驚いていますが、日本の若い人たちと友達になり、交流し、平和について多くのことを学ぶのを楽しみにしています。

62年目のヒロシマ・ナガサキの日を前にして
原爆文学が語る衝撃
私たちはまだまだヒロシマ、ナガサキを知らない
占領軍の原爆報道禁止
 1945年8月15日に日本は降伏し、米国などの占領軍が日本にやってきますが、広島、長崎の状況がどのようなものなのか、まったく知りませんでした。
 最初に広島に入った外国のジャーナリストは、英・ディリー・エキスプレス紙特派員、ウィルフレッド・バーチェットで、彼は9月3日に広島に入り、発信した記事は世界に大きな衝撃を与えました。バーチェットは「30日後のヒロシマでは、人がなお死んでゆく。それは神秘的な、そして恐ろしい死であった。その人たちは、あの大激変の時に無傷であったのに、何ものかわからない、私には原爆の疫病としか描写するほか無い何ものかによって死んでゆく」と書きました。
 しかし、同じ頃来日した「米・原子爆弾災害調査団」(団長・ファーレル代将)は、「広島、長崎には原爆で死ぬべき人は死んでしまったから、放射能の影響で苦しんでいるものは皆無である」と発表していたのです。
 調査団は9月8日に広島入りし、数日後に長崎を訪れました。調査団がそこで見たのは、何万人という生存者が放射能で苦しんでいる姿でした。驚いた調査団はただちに報道管制を敷き、広島、長崎を外国人記者の立ち入り禁止区域に指定したのです。
 さらに占領軍は9月12日に、日本に与えるプレスコードを発令します。プレスコードは「連合国に対し、事実に反したり利益に反する批判をしてはならない」「進駐軍に対し、破壊的な批判を加えたり、不信や怨恨を招くような事項を掲載してはならない」とあり、とくに原爆被害の記事に関して厳しく、この規制は新聞だけでなくすべての刊行物にも適用されました。
 敗戦後の日本ではあらゆるものが不足していました。紙不足とプレスコードによって、広島の悲惨な状況の報道も、発表も禁じられました。しかし広島の人たちはひそかに広島の惨状を歌や詩、小説などに書き始めていたのです。

正田篠枝と「さんげ」

 もっとも早く原爆についての作品を発表したのは正田篠枝の「さんげ」という100首の歌を収録した歌集だといわれています。

 鈴なりの 満員電車宙に飛び 落ちてつぶれぬ 地にペシャンコに
 燃える梁(はり)の 下敷の娘 財布もつ手をあげ これ持って逃げよと 母に叫ぶ
 仁王像の 如く腫れあがり 黒く焦げし 裸体の死骸が 累々とかさなる
 子をひとり 焔の中に とりのこし 我ればかり得たる命と 女泣き狂ふ

 これは「さんげ」に収録された歌の一部です。
 正田篠枝は1910年に広島県安芸郡江田島村で生まれました。結婚し、一児を生みましたが夫は40年に病死しています。原爆投下の時は広島市平野町で父正田逸蔵とともに暮らしていました。
 正田は原爆の悲惨をうたった歌集の出版を思い立ちますが、当時の広島で、このような歌集を合法的に発行するのは不可能で、親族も、もし占領軍に見つかったら死刑になると、強く反対しました。彼女は死刑になってもよいとの気持ちで印刷所を探し、知人の紹介で広島刑務所に印刷を頼みこみました。
 原稿を読んだ担当者はびっくりしますが、「もし、マッカーサー司令部に知れたら、きっと殺されますよ。絶対に秘密にして下さい。どんなことがあっても一般の人に頒布してはいけません。誰にも分からないようにして、被爆者だけにそっとさし上げてください。そういう条件でなら、150部だけ印刷してあげます」といって、印刷を引き受けたといいます。

被爆した広島が言わせる言葉がある
 今年の「被爆62周年原水禁大会」基調報告の最初にいくつかの歌を紹介していますので読んでください。
 正田は「さんげ」を「無我夢中で、ひそかに泣いている人に、ひとりひとり差し上げさせていただきました」と語っています。
 正田篠枝は60年に栗原貞子、森滝しげ子、原田和子らと「原水爆禁止母の会」を設立し、機関誌「ひろしまの河」を発刊しますが、65年6月15日に原爆症による乳ガンで死去しました。54歳でした。
 「被爆した広島を言う言葉がある。被爆した広島が言わせる言葉がある」これは広島で生まれ、ヒバクした小説家で評論家の竹西寛子が、原民喜の「夏の花」(晶文社発行)の解説の始めに書いた言葉です。
 これまで多くの人々が広島について書いています。栗原貞子や峠三吉の詩、原民喜の「夏の花」や太田洋子の「屍の街」、井伏鱒二の「黒い雨」など、すぐれた作品が多くあり、読んでほしい作品です。また長崎の被爆詩人・福田須磨子の詩もぜひ読んでほしいと思います。


★☆★☆★☆【本の紹介】★☆★☆★☆★
「あすのために」これが原子爆弾と戦争の真実
広島県高校原爆被爆教職員の会
 県立高校などの教職員OBらでつくる被爆者団体「広島県高校原爆被爆教職員の会」から、会員ら24人の被爆体験記などをつづった本「あすのために」が刊行されました。
 同会が発足した1970年から今日まで、会員が執筆した手記、広島平和記念資料館の「証言ビデオ」に収録されたものの文章化と、寄贈された絵などをまとめたものです。県内の公立図書館、広島市内の小・中・高校をはじめ県内の学校に配布し、平和教育に役立ててもらおうと発行されたものです。
 原爆投下の年や日時について、広島の小学生の5割、中学生の3割が正しく答えられないということが、広島市教育委員会が5年ごとに実施する「平和に関する子どもたちの意識調査」で明らかになりました。広島市教育委員会は3年前から学校での「被爆体験を聞く会」を推進していますが、それに加え、一昨年からは「8月6日に焦点をあて、平和を考える集い等の開催に努める」よう、市内の小中学校に通知しました。
 被爆者は、原爆はどんな理由であっても認められない「絶対悪」であると訴え続けてきました。原爆の惨状は「筆舌に尽くしがたき」と言いますが、被爆者一人ひとりにそれぞれの被爆体験があります。「何が起こり、被爆者はどう生きてきたのか」を正しく理解することは決してやさしいことではありません。
しかし、子どもたちこそ素直に受けとめてくれるのかもしれません。この本が、そうした理解を深めることにつながれば幸いです。
問い合わせは広島高教組まで。電082-244-2511
   (広島平和教育研究所  事務局長 小早川健)

★☆★☆★☆【映画紹介】★☆★☆★☆★
「それでも生きる子供たちへ」
(2005年/イタリア・フランス)画)
 安倍自公政権が「暴走し続けた通常国会」が7月6日、ようやく閉会した。その2日後、久々に渋谷の劇場に映画を見に行った。それがこの映画「それでも生きる子供たちへ」。構成は、7つの国の子どもたちが置かれている現実を、7人の監督がドラマタッチで描いている。アメリカの映画監督スパイク・リーも「HIV感染の少女」を題材に「生きる希望」をテーマに参加している。(写真)
 上映時間が130分なので、一編が約17分。設定された題材は、「ルワンダにおける少年兵」、「窃盗団家族の一員である少年」、「両親からHIVを感染した少女」、「サンパウロのスラムで生きる兄と妹」、「戦場をみた少年」、「暴力団予備軍として生きる少年」、「路上で働く少女」であり、それぞれのテーマで制作者たちがメッセージを発信する。
 私たちに見えていない「子どもたちの直面している重い現実」を、私たちに提示してくれる。その上で私たちは何をしなければならないのかを考えさせると同時に「飽食の国に住む私たち」が「一体おまえはなにをしているのだ」と告発される。
 国連のユニセフによると、「学校に行くことができない子供たちが1億1,000万人以上、HIVによって、親を失った子供たちは1,500万人以上」とされている。WFP国連世界食糧計画によると、「世界人口のおよそ7分の1にあたる8億5,000万人が栄養不足や飢餓に苦しみ、そのうち3億5,000万人が子どもたち。飢えが原因で5秒に1人子どもが命を落としている」とされている。サミット諸国を中心とする世界的なグローバル化の中で引き起こされている現実である。この現実をもう一度見つめなおそう。
 宣伝パンフの中で、アントワーヌ・ド・サン=デグジュペリの「大人は誰も、昔は子どもだった。でも、そのことを忘れずにいる大人はほとんどいない」が紹介されている。わたしたちは、もう一度、「あの画面にいる子どもたち」は、私たちが「忘れてしまっている子どもであったころの私たち」と同じように夢と希望に目を輝かせていることを確認しよう。
6月より、全国順次公開中。    (福山真劫)

◆◇◆◇◆◇ 投稿コーナー ◆◇◆◇◆◇

食品偽装の影にある規制緩和問題
神山美智子(食の安全・監視市民委員会代表、弁護士)
 「週刊金曜日」7月6日号の論争欄で、九州大学名誉教授の藤原昇さんは、「北海道ミート・ホープ社の偽装摘発はスケープゴートに過ぎず、これが食肉加工業界の常態」という趣旨の意見を書いています。高い人件費、無駄ばかりの流通システムを乗り切って、中国製品と価格競争するにはこうするしかないというのです。
 放射能汚染物質の放置、介護保険のコムスン、英会話教室のNOVA事件など、いま各方面でいろいろな偽装、隠蔽工作が噴出していますが、これらは、20年くらい前から行われていたということが多いように思います。1980年代は中曽根行革の結果として、規制緩和、市場開放政策が強引に実施された時代です。このころ「規制緩和は天の声」と題した社説を朝日新聞が掲載しました。ミート・ホープ社など、各個別の問題だけを捉えるのではなく、80年代から始まった規制緩和を根本的に見直すことから始めるべきだと思います。
 83年に政府が公表した「基準・認証制度の改善について」と、85年の「市場開放アクションプログラム」は、「原則自由・例外制限」の基本的考え方に立ち、「政府の規制をできるだけ縮小し、消費者の選択と責任に委ねる」と表明しました。市場開放・規制緩和論者は、安い製品が買えるのは消費者の利益なのに、消費者が食料自給率向上を言うのはおかしいなどとさえ批判しました。
 それらの結果、現在まで、拝金主義がはびこり、効率第一、安全無視の企業活動が当たり前になったのだと思います。これが土地バブルを産み、バブルがはじけて経済が崩壊した後もまだ、「民にできることは民に」と声高に叫ぶ首相が人気を得て、まだこの流れは続いています。
 ミート・ホープ社の検査では、保健所が事前に日程を知らせていたそうですし、内部告発があっても、役所は結局何もしなかったのです。「何でもやりたい放題にやれ、消費者は賢くなってその中から良貨を選べ」などというのでは、政府など存在価値すらありません。
 それにしても、あまり安い商品には必ず裏があることを、私たち消費者も気をつけたいものです。

大間原発と函館─原発訴訟準備すすむ
大場一雄(大間原発訴訟準備会事務局長)
 電源開発?が青森県下北半島の大間町に建設を計画している「大間原発」は、国内最大級の138万3千キロワットで、燃料にウランとプルトニウムを混合したMOXを世界で初めて全炉心に使用する計画の改良型沸騰水型軽水炉原発(ABWR)です。
 大間町から函館市までは津軽海峡を挟んで最短で約18キロメートル、晴れた日には互いの街の建物が識別できる距離です。私たちは、函館市民への説明も行わずに準備工事を進めている「大間原発」計画に反対してきた「ストップ大間原発道南の会」を母体に、昨年12月「大間原発訴訟準備会」を発足させました。
 「準備会」は、電源開発?がめざす2007年8月着工に向けて原子炉設置許可が出された場合、すぐに提訴できるよう弁護団会議を重ねています。これまでにABWR固有の危険性の他に、地震や火山、そして津波等への対応が不十分であることが明らかになっており、これらを大間町民や函館市民、道南の住民に周知して原告団を結成する予定です。
 また、「大間原発」の炉心から約300メートルの場所には、昨年春まで故・熊谷あさ子さんが耕していた畑があります。現在はご遺族が「あさこはうす」と名付けたログハウスがあり、太陽光発電も備えて生活できるように整備を進めています。5月には函館と青森県内から「市民視察団」30名程が訪れ、カボチャの種を植えてきました。今後は毎月手入れに通う計画を立てています。大間・函館間はフェリーで片道1時間40分なので日帰りが可能なのです。
 現在、「大間原発」の8月着工は難しいと思われますが、六ヶ所再処理工場と同様に国のプルトニウム利用計画に欠かすことの出来ないフルMOX炉ですから簡単に断念はしないでしょう。私たちは、裁判も含めて建設を止めるために粘り強く活動を続けていきます。
〈問い合わせ〉大間原発訴訟準備会 函館市松陰町1-12 函館YWCA内 電話0138-51-9718


時代の激動期、必要なのは理想と勇気
民主・リベラル勢力の結集を
 今日12日、参議院選挙が告示されました。29日が投票日ですから、本誌が読者の手元に届くころには、参議院選挙の結果が出ていると思います。
 私たちは、これ以上「安倍自公政権」に政権を任せ続ければ、「日本が壊れてしまう」という危機感から、民主党を中心とする野党の勝利を熱望していました。私たちの熱望は必ず実現していると確信しています。ただ結果として、野党が参議院で過半数の議席を獲得していてもいなくても、与野党による緊張関係の激化と政局の流動化は、必至だと予測されます。
 新しい政治の枠組みが開始されようとする予感がします。それぞれの関係者の「戦争する国づくりへ暴走する安倍自公政権とその枠組み」のぶっ壊しに向けての「理想を掲げての勇気ある行動」を期待したい。私たちもその推移を注目し、政治の場における平和・社会民主主義の勢力の力が強化されることを願い続けたい。そして、私たちが掲げてきた課題が前進することを期待したい。

暑い夏に決意を新たに
 戦後62回目の8月が始まりました。8月は、私たちにとって、スケジュールとして、「原水禁世界大会」、「横須賀原子力空母母港化反対集会」、「8・15平和を誓う集会」と続きます。それぞれの取り組みにあの戦争とその後の歴史が深く刻み込まれています。
 今年の原水禁世界大会の基調の最初に、被爆の悲惨さを告発する被爆者の正田篠枝さんの短歌が紹介されています。私も今回始めて意識して読みました。広島、長崎の被爆体験については、多くの文学作品が作られていますが、その中でもすばらしい作品です。

 ピカッ ドン 一瞬の寂 目をあければ 修羅場と化して 凄惨のうめき
 石炭にあらず 黒焦の 人間なり うづとつみあげ トラック過ぎぬ
 子と母が 繋ぐ手の指 離れざる 二つの死骸 水槽より出づ
 太き骨は 先生ならむ そのそばに 小さきあたまの 骨あつまれり 
(歌集「さんげ」より)

 繰り返して読みたい。そして想像力を働かせたい。瞑った目の前に、被爆した広島の情景が浮かび上がると同時に、胸の中に悲しみと怒りが確実に湧き上がってくるはずです。広島で14万人、長崎で7万人が亡くなりました。そしてあの戦争で多くの人々が軍国主義者たちの暴走によって犠牲となりました。戦争犠牲者たちへの思いを平和運動の原点として心に深く刻みたい。
 こうした中での久間前防衛大臣の「原爆投下はしょうがない」発言は許されるはずもありません。安倍政権の平和に対する消極的態度と「戦争する国づくり」路線がこうした発言を生み出していると思われます。安倍自公政権に即刻退陣を求めたい。
 原水禁世界大会に引き続く8月15日の千鳥ケ淵国立戦没者墓苑での平和を誓う集会で、国内外の戦争犠牲者に思いを馳せながら「平和の決意」をもう一度固めたい。憲法をもう一度確認するためにも、東京だけでなく全国各地での連動した取り組みもお願いしたい。今年の夏は本当に暑い夏です。

今秋から来年にかけて

 平和フォーラム・原水禁は今年度の総会で「組織の強化と運動の前進をめざす」という一定の組織整理を行いました。取り組みの柱は多くありますが、主要には、9条護憲と憲法理念の実現、米軍再編成阻止、核軍縮と東北アジアでの非核地帯の確立、戦争責任と戦後補償の確立、プルトニウム利用計画・原発推進路線への対抗、環境や食の安全・安定の確立です。
 それぞれの課題とも今秋が正念場の闘いとなることが予測されます。そして闘いを前進させるためには闘う勢力の力量強化も必須です。みんなで力をあわせよう。