インタビュー・シリーズVol.12
ともに生きる社会のための公共サービスを
全日本自治団体労働組合(自治労) 岡部謙治委員長に聞く

【プロフィール】
 1948年、山口県生まれ。同志社大学卒業後、72年に福岡県中間市役所に入る。78年、中間市職労書記長に就任、83年から自治労福岡県本部の役員を歴任。2001年、自治労中央本部副委員長、05年から委員長を務める。尊敬する人物は杉原千畝(外交官。リトアニア領事代理中に、ナチスの迫害から逃れるユダヤ人にビザを発給し助ける。日本のシンドラーと呼ばれる)。好きな詩人は同郷の金子みすゞ。
 自治労は、1954年に設立され、地域公共サービスの担い手として、県庁や市役所、町村役場、一部事務組合などの自治体職員や、公社・事業団、福祉や医療などに関わる民間労働者、臨時・非常勤等職員などで構成。現在2,721単組、約94万人を組織している。

──岡部さんの学生時代の思い出からお話し下さい。
 父親が炭坑に勤めていた関係で、山口県の宇部市で高校まで過ごしました。ちょうど、民主党の菅直人代表代行が小・中・高校の2年先輩となります。民主党の結成の時に、「後輩です」とあいさつしたら、びっくりしていました。大学時代は、ちょうど全共闘の学生運動のまっ只中でした。それまではマルクスもレーニンも知りませんでしたが、当時の学生としては一般的だと思いますが、全共闘運動は青春の一部です。今から考えると、あの頃の学生運動は戦後民主主義教育を受けてきたことが土壌にあったと思います。

──卒業後は福岡県中間市の市役所に勤められますね。
 父親が病気になり、長男の宿命で父親の郷里である中間市で働くことにしました。転勤のない職場として市役所を選び、最初は市立病院の医事科に配属されました。医事科の仕事は月末になると事務が集中して、慢性的な長時間残業を強いられました。それは問題だとして職場改善を始めました。その後、当時の自治労の運動としては画期的な「救急医療闘争」に携わるようになりました。私が当直の時、交通事故にあった救急の患者が病院をたらい回しにされ、亡くなるという事がありました。それをきっかけに、休日や夜間の救急診療体制を作らなければいけないと市立病院の救急体制の充実に取り組みました。全国的にも救急医療体制の不備があちこちで表面化していました。「いつでもどこでも誰にでも」の地域救急医療体制が出来たのは、こうした運動があってのことだと思っています。

──賃金や労働条件の運動だけでなく、住民の立場に立つことが労働組合の運動の原点というわけですね。
 そのとおりです。1970年代に全国的に自治体の財政危機が問題になりました。とくに福岡県は炭坑を多く抱えていたため、多くの自治体で深刻でした。自治体は職員数を減らし、賃下げなどの合理化提案をしてきましたが、私たちは合理化に反対するだけではなく、組合としても財政問題に積極的に関わろうと「労使による行財政確立委員会」を認めさせて、財政の自主再建をめざしました。そのためには、労使の共同作業で自治を守っていこうとしたわけです。今で言えば労使協議制です。結果として、そうした組合ほど住民の意見にも耳を傾け、結束力も強くなったと思います。

──その他、福岡県本部時代の思い出はありますか。
 やはり、私たちの主張を反映させるには、政治を変えていくことが必要であるという立場で、制度政策闘争や選挙運動に取り組みました。福岡では、奥田県知事(当時)を誕生させるなど、自治労もその役割を担いました。時代が大きく変化する中で、政界再編成が求められ、1992年に自治労も「新しい政治勢力の形成」を提言し、政権交代をめざしました。結果的には民主党が結成され、現在に至っています。

──岡部さんは2001年に自治労中央本部の副委員長に選ばれますが、その直後に自治労の財政をめぐる事件が発生するわけですが…。
 中央に来て最初に直面した事件です。その事件の真相究明委員会の事務局長として、徹底的に調査し、原因を究明しました。それを踏まえて、二度とこうしたことが起こらないように、みんながチェックできるオープンな体制にしました。しかし、システムは変えても、失った信頼を取り戻すことは簡単にできません。さらに、最近の公務員バッシングもあり、私たちは常に原点に戻って運動することを心がけねばなりません。

──いま、自治労など公務労働に携わる組合では、良質な公共サービスを実現する運動を進めていますね。
 5年余りの小泉政権のもとで、格差の拡大と二極化の進行によって、都市と地方、所得の格差が拡がり、地域社会の崩壊やワーキングプアが増大しています。「財政難」の名のもとに、民営化が進められ、公共サービスの後退、社会的弱者の切り捨てが起き、安倍政権のもとでより強められつつあります。誰でも安心・安全と生きがいがもてる「ともに生きる社会」にむけて、市民のニーズにこたえる公共サービスを創ろうとする運動です。その基本となる「公共サービス憲章」の制定を求める署名運動をやっています。

──自治労は、「地域生活圏闘争」など、地域での長年の運動経験があります。
 大切なのは、先ほどの医療問題のように、公共サービスを受ける住民が何を求めているかを考えることです。私たちを批判する人たちとも対話を行っていかねばなりません。自治研活動を長年続けてきましたが、もっと強めていく必要があります。公務員に対する批判があるからといって、多くの人が公共サービスの必要性を感じていないということではないと思います。

──自治労は連合内の最大組織ですが、連合など労働組合の課題はどうでしょうか。
 多くの労働組合は組合員の組織率が低下しています。原因は組合への信頼を失っているからだろうと思います。これまで連合は、正社員や公務員以外の中小、未組織、パートなどの非正規労働者の労働条件の改善に十分応えていなかったと思います。しかし、ナショナルセンターは本来、そうした人たちのことも含めて考えていく責任があります。2003年に出された「連合評価委員会」(座長・中坊公平弁護士)の提言でもそうしたことが強調されていました。最近は、中小共闘による春闘、パートの格差問題にも力を入れています。

──それとともに、自治労のなかでも賃金や雇用に対する取り組みも課題になっています。
 自治体の財政難から賃金の引き下げ圧力もかけられています。日本の公務員の数は欧米に比べてけっして多くはないのですが、世論操作などもあって、批判が強いことは確かです。労働組合としても自治体の行財政をチェックすることも必要でしょう。そのためにも、労働基本権を保障し、労使対等で物事を決めていく団体交渉制度の確立も必要です。政府の専門調査会の答申が秋頃には出されますので全力で取り組んでいます。

──安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を旗印に、改憲手続き法案や米軍再編などを推し進めています。その問題でも労組の役割が重要だと思います。
 小泉前首相は、アメリカの要求を丸飲みしてきましたが、安倍首相の場合は、憲法改正を正面に据えるなど、確信的に戦後民主主義を見直そうとしています。労働組合はこれまで、平和と民主主義を守るために運動してきましたが、今は、そうした異なった意見を排除しようというファッショ的風潮が強まっています。そんな暗黒の社会を作らせないのも労組の使命だと思います。その意味でも、7月の参議院選挙は重要です。野党はまとまって与党と対決しなければなりません。平和フォーラムも憲法論議をしっかりやって、憲法の平和理念と9条改悪さらに解釈改憲によるなしくずしを防ぐためには、平和基本法を制定し、9条の解釈を確定させる必要があります。憲法改悪を具体的に防ぐ運動を構築する責任が平和フォーラムにあります。

〈インタビュ─を終えて〉
 自治労岡部委員長のインタビューです。活動歴から自治労の課題まで、熱っぽく語ってくれました。自治労は、全国に組織を持つと同時に、連合内最大の産別であり、安倍政権の下で、格差社会と右傾化が進行する中で、自治労に対する期待が大きく高まっています。
がんばれ、自治労。(福山真劫)


成立強行された「改憲手続き法」(国民投票法)
問題点だらけを認めた18項目もの「付帯決議」

 5月14日、与党自公両党は、参院憲法調査特別委員会で採決を強行した「改憲手続き法」(国民投票法)を、参議院本会議においても採決し、同法案の成立を強行しました。審議はつくされていないという多くの市民の声を無視して、数の力で採決を強行したものです。
「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍首相は、憲法施行60年にあたる今年の年頭あいさつで「憲法改正」の必要性を強調。憲法記念日までの「改憲手続き法」成立の考えを示し、7月の参院選で改憲問題を争点とするとしました。そして、この2カ月間に、急速かつ強権的な審議がすすめられてきました。
 3月15日には、与党は衆議院憲法調査特別委員会を委員長職権で強行開催し、中央公聴会の日程(3月22日)を強行採決。3月27日、昨年来の民主党との実務者協議と合意事項を受けた形で与党側の修正案(併合修正案)を国会に提出。4月13日に衆議院を通過させ、参議院ではさらに急ビッチに審議し、大型連休を含むわずか1カ月で強行成立させました。
 国のあり方の基本法である日本国憲法に関わるきわめて重要な法律であり、どの法にもまして立憲主義に基づくべき法律が、このような拙速な審議で成立にいたったこと自体が重大な問題点です。

史上最多の付帯決議──審議やり直しが必要
 強行成立した「改憲手続き法」に問題点が多いことは、参議院の憲法調査特別委員会の採決にあたり、提出された付帯決議が国会史上最高となる18項目にもおよぶなど、制定を急いだ側自身が認めていることです。
 平和フォーラムが指摘してきた問題と18項目の決議の関連は以下の通りで、かっこ内は決議の項目です。
@公務員や教育者の運動規制など国民投票に関わる運動について表現の自由を保障せず、投票者への情報提供や議論の場を最大限に保障していないこと(8.国民投票広報協議会の運営と中立性の確保。11.公務員・教育者の地位利用による国民投票運動の規制。12.罰則の検討。13.テレビ・ラジオの有料広告規制。14.罰則の適用)。
A「18歳以上」とされた投票権の拡大もあいまいな部分が多いこと(2.成年年齢に関する関連法令の検討と措置の努力。7.在外投票)。
B憲法改正の発議から投票までの周知期間が短く、議論を広め深めることが保障されていないこと(5.国会による発議の公示と中央選管による投票期日の告示。9.国民投票公報、周知手段)。
C国政の重要問題に関する国民投票制度とされていないこと(1.国民投票の対象・範囲)。
D投票方式が個別改正条項ごとの投票制ではないこと(3.憲法改正原案発議の内容に関する関連性判断)。
E最低投票率規定がなく、無効票を外した有効投票数の過半数で承認とする緩い成立要件であること(6.低投票率により疑義が生じないよう、憲法審査会における最低投票率制度の意義・是非の検討。10.棄権の意思と白票数の明示)。
F「国民による発案権」の保障や憲法改正そのものの是非を問う国民投票が保障されていないこと。
G改正案の修正動議要件から少数派を排除していること(16.憲法審査会の運営と少数会派への配慮)。
H手続き法の枠を越えて憲法審査会を設置し権限をもたせていること(15.憲法審査会における調査)。
I審議の場の国民への保障やその他の部分(4.国民投票の期日について両院不一致の場合の調整。17.憲法審査会における国民への情報提供と国民の意見反映。18.合同審査会での衆参各院の意思の尊重)。
 「付帯決議」は、重大な法案をろくに審議せずに成立させた以上、いちからの審議やり直しを具体化させるものとして問題点を指摘し続ける必要があります。
 すでに、安倍内閣は5月18日には、集団的自衛権を行使できるように憲法解釈を変更するための私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二前駐米大使)の初会合を開き、「戦争のできる国」=「戦後レジームからの脱却」=9条改憲をごり押しですすめようとしています。まさしくこれと全面的に対決していくときです。

沖縄平和行進に基地撤去訴え4600人が参加
13日には嘉手納基地を人間の鎖で包囲

復帰35周年・平和行進30周年
 「政府は憲法を改悪し、米国と一体となって軍事国家へ走っている。沖縄を米軍の前線基地にさせてはいけない。平和行進を成功させ、嘉手納基地を包囲し全国に平和を伝えよう」。5月10日に名護市で開かれた「5・15平和行進」の全国結団式で、沖縄平和運動センター議長の崎山嗣幸さんは力強く訴えました。
 沖縄の本土復帰35周年、第1回平和行進から30周年の今年、平和行進には本土参加者1,500人を含む4,600人が参加しました。10日には「復帰35周年特別コース」として国頭村からの行進を実施。11日・12日は、西東南3コースに分かれて行進を行いました。

爆音ない静かな空を求め1万5,000人が嘉手納を囲む
 極東米軍最大の嘉手納空軍基地(嘉手納町・北谷町・沖縄市)には、戦闘機50機を含む約100機の航空機が駐留し、その騒音は近隣住民の生活を破壊しています。平和行進初日の10日には、暫定配備されていたF22戦闘機が帰国のため、午前3時に飛び立ちました。
 その嘉手納基地の撤去を求めて、13日午後には包囲行動が行われました。平和行進参加者は、「安保粉砕・基地撤去」を叫びながらデモ行進に出発。騒音の最も激しい砂辺地区で、「人間の鎖」を作りました。基地包囲には1万5,000人もの人々が参加しましたが予定していた2万人に届かず、一部の地域で鎖が途切れてしました。しかし「嘉手納基地はいらない」という声を強くアピールすることができました。

アジア太平洋地域から米軍基地をなくそう
 今回の平和行進には、グアムのデビー・キナータさん、フィリピンのコラソン・ファブロスさん、韓国のジュ・ジョンスクさんの、3人の国際ゲストが参加しました。13日午前には嘉手納文化センターで「国際連帯集会」を開催。各国の反米軍基地運動の状況を報告しました。デビー・キナータさんは、「辺野古の人々は、未来の世代へ向けて素晴らしい運動をしている。小さな力も集まれば大きな山を作れる。私たちもグアムから辺野古の勝利を願っている」と連帯の言葉を述べました。

政府が海上自衛隊を辺野古に派遣か
 平和行進1日目の11日、「海上自衛隊の掃海母艦が辺野古に向けて横須賀を出港」というニュースが飛び込んできました。平和フォーラムと沖縄平和運動センターは、国会議員や報道を通して事実関係を調査。14日には辺野古現地で、市民運動団体とともに抗議集会を開催しました。平和運動センター事務局長の山城博治さんは、「自衛隊が来ても、この地での基地建設は絶対に止める。全国の反基地運動の団結で、日本が米軍に蹂躙されるのを止めよう。団結した民衆は、必ず勝利することができる」と訴えました。

オーストラリアとの自由貿易交渉4月から開始
日本に農業はいらないのか? 豪州のNGOからも異議

 昨年12月に安倍首相は、オーストラリア(豪州)とのFTA(自由貿易協定、ただし日本は経済連携協定=EPAと称している)交渉を行うことを決め、4月23、24日に豪州の首都キャンベラで第1回目の会合が行われました。日本はいま、東南アジア諸国や中東、インドなどとも自由貿易交渉を行っていますが、豪州は世界有数の農業大国であり、日本の農業や食料に大きな影響を与える農産物を多く輸出しているため、最も注目される交渉となっています。
 日豪FTA交渉の問題点と、これに対する日本および豪州での運動についてまとめました。

自由貿易で消滅する日本農業 環境や健康も影響

 政府や経済界などからは、各国との自由貿易交渉では、農業問題がネックになっていると言われていますが、これまでは自動車、鉄鋼等の工業製品が難航し、農産物はさほど問題とされませんでした。日本の農産物の関税が高いというのもウソで、平均関税率は11.7%と、EUの19.5%、東南アジア諸国では30〜50%程度あるのに比べて非常に低いのが実態です。
 しかし、豪州の場合は、日本との貿易で農産物の占める割合が高く、しかも重要品目と言われる牛肉や乳製品、小麦、砂糖などの輸出が極めて大きいことから、他国のように、これらを交渉から除外することができません。豪州はこれまで締結してきた自由貿易交渉で、相手国の重要な農産物について、例外なく自由化を求めてきています。日本に対しても、これら品目の関税撤廃を要求することは確実です。
 こうした背景には、1戸当たりの農地面積が日本の1881倍と、飛び抜けた農業生産力があります。経済界やマスコミでは、自由化で日本農業の体質強化を求めていますが、土地に依存する農業では、これだけの差は努力で埋められる限度をはるかに超えています。
 このため、自由化が行われた場合、圧倒的な価格差で、競争で麦や砂糖はほぼ消滅するなど、甚大な打撃があります。関連産業や地域経済を含めると、3兆円規模の影響があるとの試算も出されています。また、現在の40%と、先進国では飛び抜けて低い食料自給率が、30%にまで低下するとされています。
 農業の縮小は国土環境と健康にも関わります。海外から食料として入ってくる窒素は、これまで農地に還元されていましたが、農業がなくなれば窒素は供給超過になり、ブルーベビー症(乳児が重度の酸欠状態になる症状)などの健康障害や、環境悪化にも拍車をかけると言われています。

農業・食料、環境、人権問題で日豪市民が共同声明
 このような多くの問題を抱える日豪FTA交渉に対する反対の声が強くなっています。平和フォーラム等は自治体での意見書採択運動を展開し、これまでに全自治体の3分の1以上、672自治体で獲得しています。北海道では連合などが署名運動を展開しています。
一方、豪州のNGOとも連携を取り、交渉に反対する共同声明を作り、賛同を求める運動を行っています。オーストラリアでは、90以上の団体(地域の組織、教会、労働組合など)・個人がつくる、公正な貿易と投資を求めるネットワーク(AFTINET)が中心となって、これまでもアメリカやタイとのFTA交渉に際して問題点を指摘しています。
 共同声明では日豪FTAは両国の人々に本当の利益をもたらさないとして、農業では、日本ばかりか、豪州でも小規模な家族経営農家の急減を招くとしています。また、食の安全、遺伝子組み換え作物なども懸念されるとして、「貿易交渉によって農民の暮らしが破壊されてはならない。食料主権と農村の発展、農民の暮らしの保護に立脚すべきである」としています。
 また、石炭やウラン燃料輸出による環境と地球温暖化問題、保健衛生や水、教育などの基本的サービスの除外、人権や労働基準の遵守、情報の公開を求め、日豪FTAに反対することを明言しています。
 平和フォーラムが窓口となり、共同声明への賛同を募り、次の日豪FTA交渉時(7月下旬東京開催予定)にむけて両国での運動を盛り上げていくことにしています。

原爆症認定集団訴訟の現状とこれから
司法により5たび断罪された国の基準
原爆症認定集団訴訟・東京弁護団  中川重徳

 4月2日から4日まで、全国の被爆者が厚労省前にテントを設置し、原爆症認定集団訴訟の一括解決を求めて、「にんげんをかえせ!─被爆者の勝利を呼ぶ座り込み」を決行しました。この行動の中で、原告・被爆者らの代表と下村官房副長官の面談が実現し、一括解決に向け一定の前進をかちとることができました。あらためて、裁判の現状と課題を報告します。

1%も満たない原爆症認定の現状

 原爆症認定集団訴訟は、広島・長崎の被爆者が、2003年に全国の地方裁判所に相次いで提訴し、現在、15の地方裁判所、5つの高等裁判所で争われています。原告たちは、@厚生労働大臣の却下処分を取り消して自分たちの病気を原爆症と認定すること、A違法な却下処分に対する慰謝料の支払いを求めています。
 高齢化し病身の被爆者たちが裁判を起こしたのはなぜでしょうか。
 現在、被爆者健康手帳を持っている人は、全国に25万数千人います。さらに、いろいろな理由で被爆者健康手帳を取得できない人々がたくさんいます。そして、被爆者の高齢化とともに、がん等の病気が多発しています。放射線影響研究所(広島・長崎)の研究では、放射線はがんだけでなく、心筋梗塞や脳出血、糖尿病などさまざまな病気の発症を後押しすることが明らかにされています。ところが、現実に自分の病気を原爆症と認定されている被爆者は、わずか2,000人あまり、手帳保持者との比率では0.87%でしかないのです。

被爆者の実態を無視する認定制度
 被爆者援護法は、@被爆者の疾病が原子爆弾の放射線に起因して発症し、または治癒能力が放射線の影響を受けていると言えること(放射線起因性)、A現に治療を要する状態にあること(要医療性)が満たされれば、申請を受けた厚生労働省は原爆症と認定し、医療の給付と月額約13万円の手当の支給を行うと定めています。ところが、この認定制度が法律の趣旨に反して実態とかけ離れた運用がなされているのです。
 昨年7月、東京地裁での結審の日に意見陳述をした故・齊藤泰子さんは、4歳の時、母親に連れられて入市して被爆、全身をガンに侵されて下半身が麻痺していました。それでも、原爆の恐ろしさを知ってほしいと点滴を打ちながら出廷し車椅子から陳述しましたが、今年2月、判決を目前に亡くなりました。
 厚労省がこのような運用をするのは、原爆の恐ろしさを隠ぺいし、小さく見せようとする意図です。原爆が放出した放射線のうち、直接地上に到達した直爆放射線だけをカウントして、土壌や建物・人体等が放射線を浴びて放射性物質となった場合(誘導放射線)や、キノコ雲の下に充満していた放射性微粒子が体表に付着し被曝した場合、さらにそれが体内にとりこまれて微量ではあっても集中的な被曝をした場合(内部被曝)の危険性を一切無視して切り捨てているのです。

国・厚生労働省を追いつめる闘いを
 全国の集団訴訟では、被爆者が自らの60年間の放射線とのたたかいを証言するとともに、各分野の専門家が、放射線の恐ろしさを科学的に明らかにする証言を行いました。私も、市川定夫さん(埼玉大名誉教授・原水禁議長)の尋問を担当し、低線量放射でも人体を傷つける放射線の恐ろしさを証言していただきました。
 その結果、昨年来、大阪、広島、仙台では原告全員が勝訴し、仙台、東京でも、国の審査の方針を厳しく断罪する判決が出され、国の基準は完全に破綻しています。厚労省は頑強に控訴を続けていますが、このような流れの中で、国会内の各党すべてが、認定制度の抜本的改正を求める事態となり与党内の動きも活発になっています。厚労省は完全に孤立しています。
 夏前には熊本地裁の判決も予定され、私たちは幅広い市民の支援をいただいて、原爆症認定訴訟の一括解決を勝ち取りたいと思っています。

許すな!沸騰水型炉の臨界・暴走事故隠し
対策を怠ってきた政府、電力会社、原発メーカー
原子力資料情報室  澤井正子

 最近、原子力発電所をめぐり、海水の温度記録プログラムの改ざん、定期検査中の緊急炉心冷却装置の検査逃れ、原子炉緊急自動停止事故隠しなど、ありとあらゆる脱法的な方法を使って少しでも儲けようとしてきた電力会社の悪事がつぎつぎと明らかになり、最後の最後に出てきたのが臨界事故(暴走事故)でした。

隠されていた2つの重大事故──あわや大惨事に
 北陸電力・志賀原発1号炉(石川県)で1999年6月18日に起きていた臨界事故が明らかになったのは、2007年3月15日のことです。3本の制御棒が落下し、原子炉がパニック状態になったうえに、原子炉の緊急停止装置が働かなかったのです。
 制御棒を固定してから行う制御棒駆動装置の試験の途中で、3本の制御棒がするすると原子炉の中で燃料集合体の間から落下し始めるにつれて、核分裂が起こりはじめました。一時的には、核分裂の回数がネズミ算的に増えつづけて暴走状態になりました。そのうえ、原子炉の緊急停止装置が作動しなかったため、その後の15分間にわたり、核分裂の数が一定になる臨界状態が続いていました。
 たんなる臨界事故というより暴走事故です。チェルノブイリ原発事故(1986年)と同様のことが、日本の原発でも起きたのです。規模がたまたま小さかったのは、制御棒が落下するスピードが比較的ゆっくりで、抜けたのが部分的だったのと、核分裂を起こした燃料集合体の数がずっと少なかったからにすぎません。炉心全体では368体ある燃料集合体のうち、落下した3本の制御棒の周りのそれぞれ4体、あわせて12体の燃料集合体だけが臨界・暴走にかかわったと考えられています。制御棒がもっと勢いよく抜け落ちるとか、条件がちょっと違えば、たくさんの燃料が一瞬にして破裂し、大量の放射能が原発の周りに飛び出す、ということになったかもしれません。
 3月22日には東京電力・福島第一原発3号炉でも1978年11月2日に臨界事故が起きていたことが公表されました。5本の制御棒の落下によるおよそ8時間も続いた臨界事故です。元の運転記録がまったく残されていないため詳しいことがわかりませんが、志賀原発1号炉と同じような暴走事故だったと考えられます。

相次ぐ制御棒の脱落──原発認可審査に不備
 隠され続けた制御棒落下事故は、前述の2件をあわせて全国で10基の原子炉でそれぞれ1回ずつ起きており、落下した制御棒は合計57本にのぼります。制御棒が間違って挿入されていた事故も隠ぺいされていました。7基の原子炉であわせて9回おきていたものが隠されており、合計の誤挿入本数が41本にもなります。
 制御棒落下事故は最近も、06年3月に東北電力・女川原発1号炉(宮城県)で1本、同年5月に東京電力・柏崎刈羽3号炉(新潟県)の1本が起きています。
 日本では、原子炉設置認可の安全審査で、制御棒が落下したり、運転員の誤操作で炉心から引き抜くということを一応想定することになっています。しかし、落下する制御棒を1本(多くても改良型沸騰水型炉での2本)で良いとしているのは、実際に明らかになった事故からみてもどうにも解せません。原子力安全・保安院はいまのところ見直そうともしていません。
 欧米でもよく似た事故が起きており、米原子力規制委員会は自国で起きた2つの事故(1973年と76年)の直後と、スウェーデンで起きた事故(87年)の10ヵ月後に、注意喚起のための情報として事故の原因と経過を公表していました。日本では、国の原子力規制行政機関も、原子力安全委員会も、電力会社も、原発メーカーも、欧米の事故などの情報を知り得たにもかかわらず、制御棒の脱落防止対策を怠ってきました。
 4月20日に、原子力安全・保安院が電力会社と原発メーカーに出した行政処分は、本質的には過ちを不問するような大変甘いものでした。いったい誰に原発の運転を続ける資格があるというのでしょうか。

被爆62周年原水禁世界大会を前に
軍拡が進む世界 
希望は6ヵ国協議の進展
軍拡の世界をつくりだす日米
 今年の原水禁世界大会は、世界的な軍拡が進行しつつあるという、憂慮すべき状況のなかで開催されます。
第1は米軍再編と日米軍事同盟の強化です。とりわけ日本国内で、日米両軍によって急速に進行しているミサイル防衛(MD)は、アジアでの緊張を高めています。
 米軍は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のミサイル発射実験を前に、早期警戒レーダー「Xバンドレーダー」を航空自衛隊・車力分屯基地(青森県つがる市)に配備する一方、沖縄・嘉手納基地でも、パトリオットミサイル(PAC3)発射機三基、PAC2発射機15基を配備しており、今後、嘉手納弾薬庫など、合計24基のパトリオットの配備を予定しています。また2基目のXバンドレーダーも、日本海側への配備を求めています。
 自衛隊では、3月30日に第1高射群本部のある入間基地(埼玉県)に日本初となるPAC3を配備し、さらに07年中に3基地(茨城・霞ヶ浦、千葉・習志野、神奈川・武山)、08年度から10年度にかけて、7基地(浜松、岐阜、三重・白山、福岡・芦屋など)に配備する予定で、11年以降も各高射群基地に配備が予定されています。1基地につき5基の発射台、1基16発のPAC3を搭載するといいます。
 またスタンダードミサイルSM3が、10年度までに海自イージス艦4隻に搭載される予定です。しかし、いずれも費用が膨大な一方で、迎撃能力には大きな不安が存在しています(詳しくは6月発行予定の今年の原水禁大会パンフを参照ください)。

NPTを骨抜きにする「米印原子力協定」

 第2は「米インド(印)原子力協定」の締結で、この協定が実効に移されると、NPT(核不拡散)条約は骨抜きになるといってよいでしょう。
 「米印原子力協定」は06年3月に米印両国によって合意されたのですが、この合意はインドの原子炉22基のうち、14基だけを民生用とし、IAEA(国際子力機関)の保障措置(査察など)を受け入れる一方、高速増殖炉2基を含む8基は保障措置から除外した上で、米国から原子力発電などの技術提供を受けるというものです。
 これは98年の印パ核実験に際して、NPT未加盟国への核技術協力を禁じた米国原子力法に違反する行為で、インドを核保有国として認め、NPT体制を空洞化させることを意味します。
 しかし、合意を実効あるものにするには、IAEAと、原子力関連資・機材、技術供給国グループ(NSG=45ヵ国加盟)の全加盟国が賛成する必要があります。
 このため米国は、日本に合意賛成を強く求めています。被爆国の日本が賛成すれば、全体の合意を得られやすいと考えているからでしょう。そして日本政府は賛成の方向だと伝えらますが、それは日本自らが被爆国という立場を放棄することを意味します。

高まる印パ核戦争の危険、パキスタンでプルトニウム製造

 今年5月、パキスタンがプルトニウム分離のための再処理施設とプルトニウム生産用の重水炉を建設していることが明らかとなりました(5月7日、共同)。パキスタンはこれまで濃縮ウランによる核兵器だけを保有してきましたが、核兵器の小型化には、プルトニウムが必要で、そのための施設建設と考えられます。
 現在でも印パ両国は、新たな核ミサイルの開発競争を行っており、パキスタンの核兵器小型化は、印パ間での核兵器使用の危険を一挙に高めます。インド、パキスタンはともにNPTには未加盟です。

6ヵ国協議の進展と北朝鮮の非核化
 軍拡が進む世界で、一つの希望は、北朝鮮の核問題がようやく進展する可能性が出てきたことです。
 ブッシュ政権が、今年に入って方針を転換した結果、今年2月に6ヵ国協議が再開され、「共同文書」採択という新しい展望が開かれました。現時点では、北朝鮮の凍結された資金の海外銀行への送金が実現せず、共同文書による作業は進んでいませんが、ブッシュ・米大統領の北朝鮮の核問題だけは、交渉による解決という方針によって、今後、米国の「テロ支援国家」の指定解除、「米朝国交正常化」へと、状況は大きく動く可能性が高くなってきました。
 安倍政権は、拉致と核問題は切り離せないとの立場をとり続け、6ヵ国のなかで孤立する心配が出ています。私たち市民の立場から、日朝国交正常化の実現と、日本の非核3原則の法制化をもとめ、東北アジアの非核地帯化の運動を広げていくことが強く求められます。

平和フォーラム総会・原水禁全国委員会で新年度方針を決定
憲法・平和が危うい時代に組織と運動を強化しよう

強引に改憲を押し進める安倍政権

 4月13日、日本国憲法の改正手続に関する法律案(国民投票法案)が、衆議院を通過しました。今166通常国会内での成立をめざすとする、安倍首相の強い方針を受けた結果です(5月14日の参議院本会議で可決成立)。これにより、安倍首相の主張する5年以内の憲法「改正」は、現実のものとなってきました。
 昨年、12月末には教育基本法が改悪されました。自・公政権は、防衛庁の省昇格法、少年法の改悪、改憲手続き法(国民投票法)、米軍特別措置法など、平和・人権などを脅かす諸法案を、国民の合意なしに、圧倒的な数の力で成立させてきました。
 憲法を遵守し、その理念に基づいて政治を行うべき首相が、「戦後レジームからの脱却」を標榜し現体制の変革をめざす、この国の危うさがそこに現れています。
 アメリカは世界的規模での軍再編成に着手し、米陸軍第一軍団司令部の神奈川・キャンプ座間への移駐、横須賀への原子力空母配備、沖縄駐留海兵隊のグアム移転などを計画、東アジアでの軍備強化を企図しています。日本政府は、陸上自衛隊中央即応集団司令部の米軍キャンプ座間移駐、航空自衛隊パトリオットミサイル(PAC3)の埼玉・入間基地や神奈川・武山基地への配備など、米軍との一体感をより強めています。
 そのような中で、安倍首相は、4月25日の訪米前に、私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置し、「現憲法下において、集団的自衛権が行使できるかを検討する」としました。「戦争をする国」を基本とした考え方です。
 昨年10月の北朝鮮の核実験をめぐって、中川昭一自民党政調会長は「日本においても核武装を議論すべき」との持論を展開。非核三原則を国是としてきた日本で、政府首脳のこの発言は、危うい時代を象徴しています。

人間の安全保障、核廃絶、循環型社会実現へ

 そのような中で、フォーラム平和・人権・環境の第9回総会および原水爆禁止日本国民会議の第82回全国委員会が4月25日に、東京・総評会館で開かれました。150人が参加し、代議員からは、原発のデータ改ざん・事故隠し問題、高レベル放射性廃棄物処分場問題、原子力空母や第一軍団移設などの米軍再編と厚木基地爆音訴訟、改憲手続き法案反対の取り組み、平和基本法の具体化などについて重要な提起が相次ぎました。
 総会は、「平和フォーラム・原水禁は引き続き、めざすべき課題として、@人間の安全保障の推進と憲法理念の実現、A核兵器廃絶と脱原発、B循環型社会作りなどを掲げ、政策転換、政権交代を意識し、最大の平和団体としての組織と運動の強化、市民団体・平和団体・連合などの労働団体、民主党・社民党等の野党との連携強化、また国際的な連携強化をはかり、課題の前進めざして、全力でとりくみます」とする2007年度の運動方針を満場一致で確認しました。

岩松繁俊さん勇退 市川定夫さんを選出
 今期で岩松繁俊原水禁議長・平和フォーラム代表が勇退され、市川定夫さんに引き継がれました。これまでの岩松さんのご労苦に全員の拍手で応えました。最後に岩松さんの言葉を紹介します。
 「日本政府の政権を握っている保守層とその追随者たちは、アメリカの当局と連携をとって、日本人の真面目な反省をイデオロギー的偏見だと非難する。(中略)日本の現状はわれわれが侵略戦争の先頭に立っていた1930年代初頭に似ている。同時に、私は日本に原爆を投下したアメリカの罪の深刻さを再び強調しなければならない。多くの思慮深いアメリカ人はすでに日本人に謝罪している。この罪は核兵器の開発と生産を阻止し、軍備放棄と平和な惑星の建設のために全世界に訴える民衆の努力によって償わなければならない」

「子どもたちに希望を託して」
13年目のヒロシマ子どもツアー
生活クラブ生協神奈川 中森 圭子
「見て、聞いて、感じて、想像する」
 生活クラブ生協神奈川がヒロシマ子どもツアーを始めてから、今年で13年目を迎えます。生活クラブでは、平和への思いをカンパに託して毎夏、広島へ生協組合員の代表派遣を続けていますが、一緒に行く子どもが増えていく中で、1994年、大人とは違う子どもの目線で「見て、聞いて、感じて、想像する」ヒロシマ体験ができるようにと取り組んだのが「ヒロシマ子どもツアー」の始まりです。
 小学校3年生から中学生まで(ここ数年は高校生も参加)と、異年齢の子どもたちが、3日間寝食をともにすることは、学校とはまたひと味違った平和を学ぶ体験になっていると思います。年齢も学校も違い、ツアーで初めて出会うためか、最初はぎこちなくても、新幹線の中ですぐ打ち解けてワイワイ、ガヤガヤ、賑やかで楽しい3日間の「平和への旅」となります。
 私たち大人の、次世代に平和な社会を担ってほしいと思う気持ちが強いのか、分刻みのハードなスケジュールになってしまいます。被爆者の証言、原爆ドーム前でのダイイン、原爆資料館見学、平和公園内の碑めぐり、広島城周辺のフィールドワーク、灯籠流しと精力的に動く3日間ですが、柔軟な感性でついて来てくれる子どもたちに逆に励まされ、エネルギーをもらっているように思います。

語り継いでいくことの大切さを実感
 戦後60年を過ぎ、ヒロシマ・ナガサキにとどまらない、戦争そのものの風化が心配される今日、ますます語り継いでいくことの大切さを痛感しています。しかし、戦後生まれが70%を超え、戦争体験を親に持たない世代が親となっていることを考えると、どのように語り伝えていけばいいのか、戦争を過去から現実のものへと共感できるような伝え方が求められているように感じます。
 実体験がない世代にとって戦争は過去のことであり、殺し殺されることがどういうことなのか想像の範囲を超えるのではないでしょうか。「ヒロシマ・原爆」という歴史の一行を学ぶのではなく、暑い広島で体験して感じたことを心に刻んでほしい。そして大人になった時、平和な社会を支える力を発揮してほしい、そこに希望を託しています。
 原水禁大会の関連企画である「メッセージfromヒロシマ」へは、2001年の初回から毎年参加しています。「平和の大切さを呼びかけていけるのは子どもにしかできない」と行動を起こした若い世代に感動し、また「戦争について学び、平和について考えようとしている仲間が、全国にこんなにもいるんだよ」と伝えたくて、楽しみに参加しています。
 私たちは5日に広島到着のため、途中参加になってしまうのですが、海外からの参加者を含めた大勢の仲間に出会えることは、この瞬間ここにいるのは自分一人ではないことを意識させてくれるので、どの子も安心したような顔をします。初めは会場内の熱気に圧倒されるようですが、「同じ年の子が、平和について意見を言っているのを聞いてすごいなと思った」と感想を述べています。

「メッセージfromヒロシマ」で世界ともつながり
 受け身ではない、積極的かつ主体的に参加できるプログラムは、「平和とは楽しいもの」と子どもたちの心に写ったことでしょう。2001年の折り鶴で作られた子どもの顔のモニュメントは、新幹線の中でも一生懸命ツルを折ったので、特に子どもたちの喜びが大きかったことが思い出されます。さらに世界各国への「核廃絶を求める」メール送信など、主体的に関わることの楽しさを感じているようです。この子どもたちが大きくなって、今度はスタッフとして広島を訪れてくれれば、平和の芽が次々育ち、その思いを紡いでいけると思います。
 次世代に「憲法9条」を渡せなくなる日が来るかもしれない状況です。戦争のできる国になっても、立ち向かうために「生きる力・未来を切り開く力」をつけてほしいと切望します。被爆者の方たちが絶望の中で生き抜いてきた姿は私たちに多くのことを教えてくれます。毎年ヒロシマを学ぼうとする子どもたちがいる限り希望は見えてきます。「ヒロシマは平和の原点」との思いに立ち、世代を超えともに学ぶ子どもツアーは財産となっています。

8月5日はヒロシマで子どもたちの平和のお祭り!!
メッセージfromヒロシマ参加者募集!!
◎メッセージfromヒロシマとは
メッセージfromヒロシマは、核も戦争もない世界の実現を目指して開催される、子どもによる子どものためのイベントです。2001年はじめて開催し、例年8月5日に行われています。全国からヒロシマを学びに来る子どもたち(主に小・中生)に、遊びながら楽しく核や戦争について考え交流してもらおうと、若者・高校生が企画・運営を担っています。今年も参加してくれる子どもたちを募集しています。
 メッセージfromヒロシマに関連して、次のような企画も予定されています。※要事前申し込み

◆子どものひろば
子ども慰霊祭/平和公園内フィールドワーク/原爆ドーム前でダイイン/被爆電車(電車に乗って被爆体験を聞く)/灯ろうづくり/海外から来たお友達との交流会など
■問い合わせ先:フォーラム平和・人権・環境気付『メッセージfromヒロシマ2007』チーム(略称:メッティー)担当:石出・阿部
TEL:03-5289-8222 FAX:03-5289-8223

戦後62年、沖縄復帰35年─ああ沖縄
沖縄から
 報告しなければならないことがたくさんあります。その一部を。沖縄復帰35周年、5月10日に結団式を行い、11日から、30回目の「5・15沖縄平和行進」が始まりました。全国から沖縄へは、約1500人の仲間が参加し、昨年よりは確実に増加しています。「沖縄・辺野古への米軍基地建設・米軍再編成推進、憲法改悪・戦争する国づくりに暴走する」安倍政権になんとしても抗議・抵抗したいとの思いにかられ、全国から多くの仲間が駆けつけました。
 11日、12日と平和行進を行い、13日は、国際会議と「嘉手納基地包囲行動」です。「嘉手納包囲行動」は、一部でつながりませんでしたが、15,270人が結集し、「沖縄から基地は出てゆけ、憲法9条の改悪は許さない」とのシュプレヒコールで覆い尽くしました。そうした行動を通して、本土からの参加者は、沖縄の基地の実態、闘いの実態を体験しながら、「沖縄での新基地建設は許さない、米軍再編成は許さない、憲法9条の改悪は許さない」と決意を固めました。
 「平和行進」の東コースは、名護市辺野古が出発地点です。日米両国政府が勝手に新基地を建設すると合意し、強行しようとする動きに対して、沖縄の「おじい、おばあ」が「辺野古に米軍基地は作らせない」と1100日を超えて座り込み、多くの支援者・団体が結集し、若者たちが海上にカヌーを出し、海上からの攻撃にも反撃しています。辺野古は沖縄の中でも闘いの最前線です。この地に立ち、すばらしい海を見詰めていると安倍自公政権の動きに自然に怒りがこみあげ、絶対に彼らに負けるものかと決意が固まります。

「オイコラ、非国民」と呼ばれる前に
 出発式で、「座り込み」のおじい、おばあを代表して嘉陽宗義さん(84才)が語りました。「皆さん大事なことだからよく聞いてほしい。権力に歯向かい闘う者は、まず警察からオイコラと呼ばれることから始まり、次は「非国民」呼ばわりされ、次はスパイ、そして次は刑務所に放り込まれ、次は戦場へと引っ張って行かれる。そしてあの敗戦です。もうオイコラの段階が始まっている」と、戦前から現在に至る沖縄における体験を通して、「権力による弾圧の歴史」を語りました。
 若い人にはわかりにくいかとも思われますが、これが戦前「平和、民主主義」を訴えた人々の運命でした。嘉陽さんには、今また「戦前」と同じことが安倍自公政権によって作られようとしているとはっきりと見えているのです。
 2007年の現在は、まだ「オイコラ」の段階かも知れませんが、平和・民主主義・労働運動が力でつぶされ、「平和や民主主義」をめざす私たちが「非国民」とレッテルを張られる段階がもう目の前に来ているかもしれません。安倍自公政権の最近の「なりふりかまわぬ右傾化の動き」を見れば、確実に「現在は戦後ではなく、新たな戦前が始まっている」と実感します。
 しかし、もうひとつの現実もあります。それは、国民は「戦争」も「新たな戦前の始まり」も「格差社会」も、望みも求めてもいないということです。一部の右翼政治家が国民を誘導しようとしているだけなのです。
 臨時国会で「教育基本法」の改悪を強行した安倍自公政権は、「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改悪・戦争する国づくりへ暴走を始めました。国民投票法案、米軍再編成法案、イラク特措法を次々に強行採決しました。私たちは、いつまでも安倍自公政権を許し続けはしません。大衆運動で国会を包囲しよう。参議院選挙で野党の勝利めざしてがんばろう。