インタビュー・シリーズVol.11
誠実に良心をもって反核運動を築いてほしい
原水爆禁止日本国民会議 岩松 繁俊議長に聞く
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【プロフィール】
1928年長崎市生まれ。45年8月9日、爆心地より1300mの地点で被爆。1952年東京商科大学(現一橋大学)卒業。長崎大学経済学部において、経済学史・社会思想史を教え、とくにバートランド・ラッセルの研究を行う。62年から長崎原水協(分裂以前)理事、原水禁長崎県民会議事務局長、原水禁国民会議事務局次長などを歴任し、97年に原水禁国民会議議長に就任。「反核と戦争責任」、「戦争責任と核廃絶」など著書、論文多数。 |
──被爆された時の状況から教えてください。
学徒動員で、長崎工業経営専門学校(長崎高等商業学校)2年生のときに、三菱重工長崎兵器製作所大橋工場で働かされ、そこで被爆しました。奇跡的に軽い外傷で済みました。しかし、工場や市内はめちゃめちゃになっていたので、たくさんの被爆者や死体の中をさまよい、救急列車で諫早駅に運ばれて、そこの小学校に収容されました。
──その後、日本が降伏しましたが、どう受け止められましたか。
私はもともと天皇制教育を徹底して受けており、非常に忠実な学生でしたから、日本国が負けるわけはないと思っていました。「天皇と大日本帝国を守れ。そのために命を投げ出せ」という命令を正しいと信じていました。8月15日の玉音放送は、音声が悪くてラジオからの天皇の声がよく聞こえず、負けたのか勝ったのかよくわかりませんでした。3日間もわからず、迷いつづけました。もし負けたのなら、自決しなければならならないと思っていました。「天皇に申し訳ない、お詫びしなければいけない。かみそりで頚動脈を切って自殺しなければならない」と思いつめていました。しかし、長崎市内を巡回してきた軍人が、マイクで「アメリカ軍が上陸してくる。婦女子は山や田舎に避難せよ」と叫びつづけていました。これを聞いた私は、「これは大変だ。自決しているときではない。親戚の子どもたちを助けにいかなければならない」と外出しました。こうして自決の機会を逸してしまったのです。
──軍国少年だった岩松さんが、平和や原水禁運動にかかわるようになったきっかけ何だったのでしょうか。
長い時間をかけて、すこしずつ私の思想が変わってきましたが、やはり原爆の影響が大きいですね。1948年に東京商科大学に入学し、近代経済学を学びましたが、社会思想史を教えていた大塚金之助先生の天皇制・軍国主義を否定する考え方に非常に共鳴しました。いままで正しいと考えていた天皇制教育を否定し、ヨーロッパなどの革新的な思想などを紹介してくれました。しかし、戦災後の東京は、その傷跡も大きく、長崎の原爆被害に関心を持つ人もいませんでした。私は東京で長崎での原爆被爆体験を語りたいと切望していましたが、私の希望がかなえられる状況ではなく、全く失望して長崎に帰りました。
60年安保の翌年、二人目の子どもが生まれて、自分の一生の仕事をはっきり決めなければならないと思いつめるようになりました。当時、部落解放同盟長崎県連合会の磯本恒信委員長と親しくなりました。彼は、長崎原水協の役員で、私に教宣担当の役員となって原水協を支援して欲しいと依頼されました。私は、喜んで承諾しました。それが運動に入るきっかけですね。
──その後「原水禁」と、共産党系の「原水協」の歴史的な対立が起こりますね。
私は、「ソ連であろうとアメリカであろうと、いかなる国の核兵器にも反対」という立場で、原水爆反対闘争をすすめてきました。ソ連の核兵器に「賛成」という共産党系の立場には組みしませんでした。
1977年から85年にかけての、原水禁と原水協が統一して大会を開いてきましたが、正直言って「だまされた」という感じでした。共産党は一時、「いかなる国の核実験にも反対」と主張をしましたが、結局、私たちの主張に反対できなかったということではないでしょうか。私は、統一問題にこだわらず、それぞれが運動をつくっていくことで当面はいたしかたないと思っています。私は、バートランド・ラッセルの信念にもとづいて、人類的視野に立って、いかなる国の核にも反対するのが唯一の平和運動だと信じています。
──そのイギリスの哲学者バートランド・ラッセルと交流が深かったようですが、それをお聞かせ下さい。
バートランド・ラッセルとは、1962年から交流が始まりました。最初、日本で被爆した者として、「核兵器廃絶、平和な世界の建設に努力いたしましょう」と訴えた手紙を出したのに対して、こんな偉い人がすぐに返事の手紙を書いて下さったことに感動して交流がはじまりました。原水禁運動を進める私にとってたいへんな助けになり、「ラッセル平和財団日本資料センター」を開設して、ラッセルのベトナム反戦運動などを日本に紹介しました。全国の志を同じくする人たちに支持を呼びかけて支えてもらい、平和運動を豊かにしていただきました。学生にも講義しながら、ラッセルのことを紹介しました。人類的視野にたって、いかなる国の核兵器にも反対するのが真の平和思想だという考えは、ラッセルの確固たる思想でもありました。
──岩松さんが日本の戦争責任、加害者性を強調されるのは、60年代後半からですが、「加害と被害の二重構造」について、どう考えたらいいのでしょうか。
初期の原水禁運動は広島・長崎における被害者救済運動から出発しました。しかし被爆地において原爆の残酷さを体験した人はけっして日本人だけではないということがすぐにわかってきました。なぜ日本の中に外国の人たちがおられるのだろうかと考えると、すぐに事情がわかりました。日本帝国は朝鮮・韓国・中国、その他のアジアの国々に侵略していって、捕虜にし、奴隷にし、虐待していったという残酷な歴史が明らかになってきました。しかもこの冷酷な虐待については、日本軍隊は日本に帰国してもだれにもしゃべるなという、かん口令を厳しく発令しました。だから日本の民衆は日本軍隊の残酷な侵略の蛮行を知りませんでした。
私は、かつて日本が侵略したり対戦した国々にでかけていったときに、そこの民衆から日本軍の蛮行を聞かされました。そこで、私は広島・長崎は被害をうけたけれども、日本も対戦国・侵略国でどんなにひどいことをしてきたか知りました。だから私は日本は「加害・被害の二重構造」の論理で自己批判しなければならないのだと考えるようになったのです。
──原水禁運動に期待することや、後輩たちに残しておくメッセージをお願いします。
私は、これまでたくさんの国々の平和活動関係のみなさんに、私の「加害・被害の二重構造」の論理で語りました。すると、話が終ったとき、みなさんが一斉に大きな拍手をしてくださいましたし、責任者がわたしのところへきて、「大変すばらしいお話をしていただいてありがとうございました」という感謝の言葉をのべて握手していただきました。たくさんの被害者やご家族の方々からも、「実はこういうことがあったのです」と教えてくださいました。それはそれは聞くに堪えない恥ずかしい残酷行為です。今の安倍内閣も、学校の歴史教科書に従軍慰安婦その他は記載しないようにという指示を出して、やはり日本国民に知らせないようにと工作しています。そういうことでは、世界の国の人々は日本政府や日本人のいうことを信用できないと考えています。こういう日本政府の政策では、日本の平和運動まで信頼されなくなります。
私は、これまでの世界の良心的な方々との堅い平和のきずなを築いてきた体験から、一層、平和のきずなを堅くするために、誠実で謙虚で良心的な心をもって、日本の歴史・世界の歴史を研究・勉強して、ほんとうの平和・反核・反戦運動を築いていかれるよう心から希望いたします。教科書に嘘を書かせて嘘の教育をせよと学校教育に強制する自民党内閣は平和を口にする資格などありません。
〈インタビュ─を終えて〉
岩松議長、ご苦労様です。岩松議長の被爆したときの状況、「軍国少年」が平和・反核運動への確信を作り上げて行く過程について、そして反戦・反核の運動について、お話をいただきました。誠実なお人柄が、一言、一言から、伝わってきます。そして岩松思想の核心ともいえる「被害と加害の二重構造」についても、話していただきました。また安倍自公政権が、「憲法9条を改悪」へ踏み出そうとしていることについて、怒りをもって語り、私たちの任務の重さを改めて強調しました。もう一度岩松議長と反核・平和への決意を固めました。〈福山真劫〉 |
厚木基地の爆音闘争 第四次訴訟へ
米空母艦載機の飛行差し止めを求め闘う
第四次厚木爆音訴訟実行委員長 藤田 栄治
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爆音は違法状態にあると断定した東京高裁判決
1997年12月、横浜地裁に提訴した第三次厚木爆音訴訟は、9年7ヵ月の歳月を経た2006年7月、東京高裁で住民勝訴の判決が出され、国側が上告を断念したことにより裁判は終結しました。
判決は、「米海軍厚木基地(神奈川県大和市・綾瀬市)の爆音は違法状態にある」とした上で、「国は基地周辺における騒音状況が悪化しているにもかかわらず、外交交渉等による飛行場の国外への移転や、騒音の廃絶等の抜本的対策について努力した形跡は全く無い。国民の身体生命の安全を図ることを基本的な義務とするその立場からすれば余りにも無為無策であって、騒音等の加害行為を維持継続している。その態度はほとんど故意による侵害行為といわざるを得ない」と、厳しく国の怠慢を指摘し、4,854名の原告に40億4,000万円余の損害賠償金を支払うよう命じました。
訴訟団は、個々の問題では不備、不満な点は多々あるが、判決全体に流れる精神を素直に評価し、住民勝訴と総括しました。
新たな被害地域の仲間を集め新たな訴訟を開始
しかし、裁判には勝利したものの、爆音状態は一向に変わることなく、今も米軍機や自衛隊機は住宅密集地の上空で激しい爆音を轟かせ、住民のいらいらを募らせています。
そんな状況のなかで、厚木基地爆音防止期成同盟(厚木爆同・鈴木保委員長)の会員や第三次訴訟原告団のなかから、「四次訴訟を起こせ!」「闘いを継続させろ」の声が自然発生的におこりました。昨年10月14日、厚木爆同と第三次訴訟団が中心となって、新たに爆音被害地域と認定された藤沢市・相模原市・東京都町田市などに呼びかけ運動の輪をひろげながら、第四次爆音訴訟実行委員会を結成するに至りました。
いま現地では、10月の提訴をめざし、第三次訴訟の5,000名を上回る原告を集めることを目標に、新たな闘いにむけて熱く燃えて一大運動を展開しています。
基地問題解消へ行政訴訟も
第三次訴訟は戦術的には損害賠償一本に絞った裁判でしたが、第四次訴訟は三次訴訟の闘いを踏まえ、「飛行差止め要求」を基本に捉え闘うことを確認しました。
飛行差止めは、過去のいずれの裁判でも棄却され訴えは退けられています。しかし、あえてこれを基調に捉えたのは、「爆音は違法状態」「故意による侵害行為」とまで明確な判断を下した東京高裁判決をさらに前進させ、基地・爆音問題解消の本質をただしていくためです。
そのため、民事訴訟では限界とされていることから、行政訴訟も視野に入れて闘うことを前提に、いま新たに組織された30名の弁護団が鋭意検討を進めています。
反基地・平和運動の一翼を担うために
5,000名の市民を集めて9年7ヵ月にわたって闘ってきた、第三次訴訟には多くの貴重な教訓がありました。第四次訴訟はこの教訓を生かし、運動の基調を、@裁判を通じて違法状態の爆音をなくし、基地返還と平和を訴える運動の輪をひろげていく。A侵害行為を放置している国の責任を追及し、爆音問題解消の展望を開き、そのうえで、爆音被害を受ける住民の被害賠償を求めていく、こととしています。
新たに集まる原告には、この理念に賛同することを求めていくことになりますが、1万人の原告団の結成を目標にしています。終結まで何年かかるかわからない長期の闘いになりますが、訴訟団は、全国で闘う反基地・平和運動の一翼を担う市民団体としての役割を果たせるようがんばり抜きたいと思います。
第28条「事業主は、新たに外国人を雇い入れた場合又はその雇用する外国人が離職した場合には、(略)その者の氏名、在留資格、在留期間その他厚生労働省で定める事項について確認し、当該事項を厚生労働省大臣に届け出なければならない」─このような「雇用対策法」の改正案が今審議中です。外国人労働者を受け入れることによって少子化で労働力不足になるのを解消するため、外国人の雇用や再就職を促進するというのが、上記の条項の理由となっています。
しかし、本当にそれが目的でしょうか? 結果はどうなるでしょうか?
外国人を管理することが本当の目的
改正案の中に次の文言があります。「外国人の不法就労活動を防止し、労働力の不適正な供給が行われないようにすることにより、労働市場を通じた需給調整の機能が適切に発揮されるよう努めなければならない」。つまり、不法就労者がいると、労働者の賃金が安くなってしまうので、それを防ぐことで、労働者の賃金を維持できるというわけです。
それには、次の二つの理由があります。@不法就労者を加えると、労働者の数が多くなり、需給原理で1人当たりの労働者の価格(賃金)は安くなる。A不法労働者の立場が弱く賃金が安くなるので、他の労働者の賃下げの圧力をかけることになること。
改正案の文言とは反対に、労働市場を通じた需給調整機能が発揮されないことにより、賃金を維持するということです。市場の原理の本質は、自由です。それぞれの人間が自由にモノ・サービス・労働を売買することです。新自由主義の主唱者は、国境を越えた自由が必要だと主張しますが、それはあくまで企業や投資家らについてであって、労働者の移動の自由は、禁じられています。
しかし、改正案の目的は、労働者の賃金を維持することではないはずです。企業の利益のためならば、むしろ人件費を最小限するように努めるはずです。では、本当の目的は何か。改正案では「外国人の雇用管理の改善」と書いてあります。外国人が、どこで何をやっているのかを知るためというのが本当の目的だと思われます。現在でも在留資格をもち日本に住んでいる外国人は、既に役所に登録していて、外国人登録証明書を持ち歩く義務もあります。その上、さらに管理されるということです。
また、雇用主の報告義務は不法就労者の摘発につながるということはありえません。なぜならば、雇用主は自分が雇っている不法就労者の従業員の名前などを届けるはずがないのです。外登証も同じです。こうしたことから、今回の改正は、合法に日本で働いている外国人だけを対象とする管理制度です。
外国人の賃金水準の低下も招く
雇用主は、上記のような報告義務があれば、外国人労働者を雇うことが面倒になり、抵抗感を抱くことになります。外国人を採用した場合、いろいろ在留資格の種類やそれでできる仕事の内容について、本人の情報を確認し、色々な書類を届けなければならなくなるのです。その結果、雇用主は雇ってもいいと思える賃金の水準が低下することになります。それは日本人労働者の賃下げ圧力にもつながります。
労働市場を通じた需給調整の機能が適切に発揮されないことになり、国が市場に介入することになります。つまり、目的と正反対に、外国人労働者の賃金を安くするのが本当の目的とも考えられます。
外国人本人にとっても、いつ採用され、いつ離職されるかという情報を厚生労働省に届けることは不愉快です。現在、在留資格の期間中なら自由に転職などができますが、管理制度が導入されると、次は「離職した場合に出国義務が発生する」という内容の法案も考えられます。そうすると、外国人労働者は、現在の雇用主に依存することになり、奴隷に近い状況に置かれることになります。
このような、労働者の安い賃金につながり、外国人を管理する雇用対策法改正案は廃案にすべきです。
「循環可能な緑の公共財」の活用による国土の保全、林業・木材産業の再生を!
全林野 犬飼 米男
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新緑がさわやかな季節になりました。地球温暖化などが騒がれる中、世界各地では、木材の過剰な伐採などにより森林の減少や荒廃が進んでいます。しかし、日本では、戦後植えられた人工林を中心に資源が充実しつつあるものの、採算性の悪化により生産活動が停滞し、手入れ不足による森林の荒廃が起こっています。
木材価格低迷で放置される森林
日本の森林は約4割が人工林であり、そのうち間伐が必要な4〜9齢級(16〜45年生)が約6割を占めるなど、着実な保育作業を行うことが重要となっています。しかし、長い間続いた木材価格の低迷などにより、森林所有者の施業意欲は減退し、木材生産や森林整備作業が実施されず放置される森林が増えています。不在村森林所有者(森林の所在する市町村の区域に移住していない者)の保有する森林も、約320万haと総面積の1割以上に及んでいます。
手入れが遅れた森林では、木が混みすぎて太陽の光が地面に届かず、下草がなくなり土壌が露出し、雨水により土が流され、保水力が低下する弊害が起きてきます。木自体も、自然淘汰を待つひょろひょろの状態になり枯れ、風雪により大きな被害を受けることになります。一方、近年の気象変化による多くの台風上陸や集中豪雨で、山地災害も、03〜04年度で約3,700億円と甚大な被害額となっています。
木材活用は資源循環型社会のモデル
こうした中、昨年秋、利用可能な資源の充実、国民のニーズの多様化、需要構造の変化などを背景に「森林・林業基本計画」が見直され、木材の利用拡大による、国土の保全、林業・木材産業の再生が掲げられました。
間伐などの森林保全作業が行われれば、@水源かん養、二酸化炭素吸収などの多面的機能の充実、A木材供給による住宅産業などの振興、B山村地域の雇用の充実、活性化、C温暖化対策の目標達成への寄与、など多くの波及効果が見込まれるとともに、木材の活用は資源循環型社会のモデルとなりうるものです。
こうした政策を推し進めるためには、林業労働力の確保が不可欠ですが、林業特有の季節性、屋外労働、危険作業、賃金などの作業環境、待遇の改善などの課題が克服されていません。「緑の雇用担い手対策事業」などにより新規就労者もあるものの、05年度の国勢調査では52,000人と、5年前より15,000人減少し、60歳以上が4割を占めています。
また、木材需要が9,000万立方メートル程度で推移する中で、合板や集成材への国産材利用の増加により、2割に満たなかった用材の自給率が、05年は7年ぶりに2割に達するなど利用拡大の兆しも見えつつあります。しかし、木材が広く使用されるには、小規模な森林所有者を中心とする生産地と、消費地を結ぶ流通段階の整備も必要であり、森林状況のデータと消費地のニーズの把握による生産体制の確立が求められます。
市民に恩恵をもたらす共通の財産
日本の文化は「森と木の文化」と言われるように、温暖で雨の豊富な気候に恵まれたことにより、古くから木の資源を広く利用・活用し、木を伐り植林をする作業を繰り返すとともに、治山・治水事業により国土を守ってきた歴史を持っています。自然志向や、癒しなど、安らぎや憩いの場を求める市民の要請も高まっており、森林に目が向けられていますが、理解と参加、産業としての確立を併行して行うことが必要です。
日本の森林はこのような要請に十分応える体力を持ちつつ、行政と市民の連携による有効な活用を待っています。森林は、広く市民に恩恵をもたらす共通の貴重な財産=「循環可能な公共財」です。国土保全や地域振興からも国・自治体の政策を充実させるとともに、社会全体からの支援も必要となっています。
被爆二世健康影響調査の結果公表される
改めて、国家補償に基づく援護対策を求める
全国被爆二世団体連絡協議会副会長 崎山 昇
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2月28日、放射線影響研究所(放影研、広島市・長崎市)が実施してきた被爆二世健康影響調査(二世調査)の一部について、結果が公表されました。
「発症リスクの増加の証拠は見られない」と発表
この調査は、成人期に発症する多因子疾患(高血圧、糖尿病、高コルステロール血症、心筋梗塞、狭心症、脳卒中)の有病率と親の放射線被曝との関連性の有無を調べるために、2000年から行われてきました。対象者は、二世調査集団約77,000人から抽出した24,673人で、そのうち48.4%にあたる11,951人が参加しました。統計解析方法は、上記6疾患のうちいずれかの所見がある場合、「多因子疾患を有する」と定義し、親の被曝線量(父親、母親別)との関係を解析しました。
解析結果は、「今回の調査で得られたデータの解析では、親の放射線被曝に関連した子どもの多因子疾患を一括して見た場合に、発症リスクの増加を示す証拠は見られなかった」というものでした。その一方で、「影響はないと言い切ることは出来ない」としており、継続調査の必要性を強調しています。
調査には様々な限界や困難性が
全国被爆二世団体連絡協議会(全国二世協)では、放影研が調査の実施を発表した1997年8月以来、この調査が国の二世に対する援護対策につながるようにと、国(旧厚生省)や放影研との協議を重ね、当事者として調査に関わってきました。今回の調査には、
@対象疾患が、未解明な様々な遺伝的背景と環境因子の関与する多因子疾患であり、これら諸因子の関与する中で親の原爆放射線被曝による遺伝的影響のみを検出することが困難であること。
A対象者が生存被爆者の子どものうち、遺伝的因子が関与する可能性のあるものも含めて何らかの健康上の問題をも乗りこえて成人に達した者であるという「選択的生存者」である可能性。
B調査の全対象者が24,673人で、そのうち臨床調査に参加したのは約5割の11,951人であり、残りの半数の健康状況は不明であること。
C親の被曝線量の算定が被爆者からの聞き取りによる情報に基づくという限界があること、さらに残留放射線による被曝線量は算入されていないこと。
など、調査に伴ういくつかの限界や困難性が存在しています。
今回の調査結果は、このような調査の限界や困難性がもたらしたものと考えられ、その解釈には、そのことを十分に認識し考慮する必要があります。
今後も継続した調査が必要
今回の調査結果は、「被爆二世に対して原爆放射線の遺伝的影響がない」ということを示すものではありません。調査における対象者の平均年齢は48.6歳であり、今後、多因子疾患の有病率は増加することが考えられます。その点からも、被爆二世の生涯にわたって、継続した調査を行うことが重要であると考えます。
また、「原爆放射線の遺伝的影響」の解明という観点からは、さらに被爆三世への遺伝的健康影響調査の実施も必要です。そして、残留放射線による早期入市被曝や「黒い雨」による被曝の影響も未だに解明されておらず、今後の課題として残されています。
全国二世協では、二世調査の解析結果報告にあたって、国(厚生労働省)及び放影研に対して、原爆放射線の遺伝的影響や被爆二世の健康実態を科学的に解明するため、被爆二世に対する遺伝的健康影響調査を生涯にわたって実施することや、被爆三世への調査も実施することを求めました。
また、国に対しては、被爆二世には原爆放射線の遺伝的影響はないということが科学的に解明されない限り、国家補償に基づく被爆二世への援護対策を求めていくことをあらためて表明しました。
アルジェリアで初の「核実験に関する国際会議」開催
フランス核実験ヒバクシャの補償に向けた第一歩
振津かつみ(内科医師・遺伝学・放射線基礎医学)
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2月13〜14日、アルジェリア政府主催による「世界の核実験に関する国際会議:アルジェリア領サハラの場合」が、首都アルジェで開かれました。核実験に関する国際会議が、アルジェリアで開催されるのは初めてです。これまでもポリネシアなど仏核実験ヒバクシャとの連帯を進めてきた原水禁の要請を受け、広島被爆者の坪井直さん、真下俊樹さん(フランス核問題研究家・本誌2月号に寄稿)とともに参加しました。
会議で確認されたヒバクシャの国際連帯
会議には、アルジェリアの各地から、元兵士、実験場周辺住民、医師、研究者、政府関係者、一般市民、ジャーナリストなど2日間で500名余りが参加。核実験場周辺に住むトワレグ族の代表や、実験場の汚染物処理に携わった元アルジェリア兵士からは、放射能の危険性も知らされずに実験場で作業をしたこと、仲間の作業者や兵士の健康悪化などの証言がされました。
国外からは、米、仏、豪の反核と核実験被害者支援に取り組む活動家や医師、ポリネシアの被害者団体代表、仏本国の被曝退役軍人なども参加し、米英仏による核実験と被害の実情、補償を求める被害者の運動、米国で勝ち取られた補償法などの報告がありました。
被爆者の坪井さんは、「このような核の悲惨な被害を二度と繰り返してはならない。世界のヒバクシャが手を結んで、戦争や核被害のない世界を実現させましょう」と力強く訴え、参加したアルジェリアの被害者の大きな共感と支持を受けました。
私は「日本における被爆者の被害調査、被爆者の健康状態、医療保障、後世代影響、法制度の問題」で報告しましたが、今後フランスに対して補償を求めるため、日本の被爆者の健康被害や医療などの施策の歴史と現状について、強い関心が持たれているようでした。
全体的に、ヒバクシャの国際連帯の中でアルジェリアの核実験被害者の問題をとらえることが強調され、今後の被害調査や補償要求へのアルジェリア政府の前向きな姿勢が感じられました。
核実験場跡の深刻な汚染の実態
会議後、大きな岩山にトンネルを掘って実験が行われたインネケル地下実験場跡へ見学に行きました。フランスは1960年以降、サハラ砂漠で大気圏4回、地下13回の核実験を行いました。
「危険地区」と書かれた立ち入り禁止の金網の中で案内されたのは1962年の実験跡です。この実験では生成した放射能の1割近くが漏れ、1万トンもの放射能に汚染した土砂がトンネルから吹き出す事故を起こしました。まるで溶岩のように吹き出した爆発物が岩山に帯状に残っている場所に近づくと、自然放射線レベルの約千倍もの放射線(最高83マイクロシーベルト/時)が測定され、同行していたアルジェリアの核研究所研究員も「早く引き返そう」と、慌て出す始末でした。
実験当時はさらに汚染が高かったと考えられ、その後の管理のずさんさに絶句してしまいました。そしてフランスの無責任さに改めて強い怒りを感じました。近くの集落のトワレグ族の元市長の話では、住民が核実験のことを知ったのは、ほんの10年前とのこと。
核実験全面禁止とヒバクシャの補償を求めよう
世界では2,000回を越える核実験が行われ、とりわけ核保有国に抑圧されてきた植民地の人々や先住民、少数民族へ放射能汚染と被曝が押しつけられてきました。核実験ヒバクシャの多くは、軍事機密として情報が隠蔽され、汚染や健康被害を明らかにすることすら難しく、救済や補償も受けられない状況が続いています。
アルジェリアでの核実験による放射能汚染、環境や生態系への影響、被害者の健康被害などを明らかにする作業もまだこれからです。今後も世界のヒバクシャや反核運動と連帯し、核実験の全面禁止を求め、被害を明らかにさせ補償を求める運動を前進させましょう。
アジアで非核世界を実現するために
日本は非核3原則の法制化を
核兵器持ち込み公然化めざす自民党と政府
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思わず漏れた右派の本音
昨年10月9日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が核実験を行った直後、日本政府・自民党内から日本核武装についてのさまざまな意見が飛び出しました。10月15日、自民党の中川昭一政調会長がテレビ朝日の報道番組で、北朝鮮の核実験実施発表に関連し、「(日本の)憲法でも核保有は禁止されていない。核があることによって(他国に)攻められる可能性が低くなる。あるいは、やればやりかえす、という論理は当然あり得る。議論は当然あっていい」と語りました。
さらに18日には、麻生太郎外相が衆院外務委員会で「核保有の議論を全くしていないのは多分日本自身であり、他の国がみんなやっているのが現実だ。隣の国が(核兵器を)持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」と語っています。
しかし日本で噴き出した日本核武装論については、米国でも論議を呼び、ライス国務長官が来日した際には、日本への核の傘は変わらないと強調し、政府・与党内の核武装論は一応の収束を見ました。
これを受けてか、これまで日本核武装論者だった中西輝政京都大学教授と西岡力(「救う会」副会長、東京基督教大学教授)は、雑誌「正論」12月号で対談した際、最後の締めで、「アメリカはいざとなったら守ってくれなという不信感から独自に核武装すべきだという意見があるが、中国の強大な核体系に対応できるだけのものを日本も備えねばならず非現実的です。日米同盟があるわけですから、その枠の中で総合的にミサイル防衛システムと戦域核の配備を検討していくべきだ」(西岡)と語りました。
中西も「アメリカの核の傘の下でしか日本の核武装はあり得ないのです」「アメリカの核を日本国内に配備させて、日米のダブルボタンという運用システムを日本が要求すれば、それで日本は核武装したことになります」と語っています。
非核3原則を2原則に変更しようというのです。
非核3原則の佐藤首相答弁から国会決議へ
ここで日本が非核3原則を確定していった経過を見ておきましょう。
日本政府が「非核3原則」を国の基本政策であると明確にしたのは佐藤栄作首相(当時)が、1967年12月の予算委員会で、自民党の松野頼三議員の質問に答えて、「核は保有しない、製造もしない、核を持ち込まないという核に対する3原則、平和憲法のもとにおいて日本の安全をどうしたらいいのか、これが私に課せられた責任です」と答弁し、さらに翌68年の年頭の施政方針演説でも、3原則を明確にしたことによってでした。
さらに1971年11月の国会で、沖縄返還協定承認案が可決された際、「非核・沖縄基地縮小決議案」が採択されました。決議文は次のような文面です。
「一、政府は,核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずの非核3原則を遵守するとともに、沖縄返還時に適切な手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、ならびに返還後も核を持ち込ませない措置をとるべきである。
一、政府は、沖縄米軍基地についてすみやかな将来に縮小整理の措置をとるべきである。右決議する」。
この時の国会は、政府の提案する沖縄返還協定をめぐって大きくもめていました。結果的には自民、公明、民社3党による決議でしたが、現在も継承されている優れた国会決議の一つと言えます。
その後、79年に憲法学者らによって「非核三原則法案」が作成され、さらに89年、国際軍縮議員連盟のメンバーや広島、長崎の市長も参加する「核軍縮を求める22人」委員会が発足し、「非核法案を発表しました。
「非核3原則」の法制化の運動は、西田勝・法政大学教授らによって引き継がれ、またその考えを市民に広げるために「非核自治体」運動を提唱しました。これらの運動には市民はもとより、原水禁も積極的に協力してきました。
いまこそ非核3原則の法制化を
いまアジアでは極めてねじれた状況が現れています。北朝鮮の核兵器については、6ヵ国協議で解決へ向かっています。米国のネオコンがさまざまな妨害を行っていますが、時間はかかっても解決していくでしょう。
しかし、日本は米軍との一体化をひたすら求めています。防衛庁を「省」に昇格させ、海外任務を一般任務としました。ミサイル防衛を日本に張り巡らし、さらにアメリカの核兵器の日本配備を公然化させるようなことをすれば、北朝鮮の核放棄さえ危うくするでしょう。それは日本をアジアで孤立させるだけです。
日本をアジアで孤立させないためにも、アジアの非核化を実現するためにも「非核3原則」法制化がいまあらためて必要とされます。
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外国人研修生殺人事件(安田浩一著 七つ森書館 1600円)
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2006年8月18日、千葉県木更津市の養豚場で、中国人研修生による殺人事件が起きた。被害者は研修生の受け入れ機関である千葉県農業協会の常務理事、加害者は26歳の青年、崔紅義であった。青年は、中国最北端の黒竜江省チチハル市の貧しい農家に生まれ、海外への出稼ぎに活路を見いだそうと、日本で合法的に稼げる「研修生」に応募した。しかし、研修制度は国際貢献や技術習得などの美名の下に、日本人では受け入れられない劣悪な条件と人権無視がまかり通っていた。青年は次第にその矛盾に気づき抗議するが、その結果、帰国を強制させられる。日本への渡航に際し、多額の手数料や保証金を取られた身には、中途帰国は「死ね」というのに等しい。帰国を拒む小競り合いの中、ナイフが光った。
著者は、この事件を追って、青年の故郷へ飛んだ。そこで見たものは、研修制度を食い物として、利権をむさぼる様々な人間や無責任な送り出し機関の存在だった。それは、日本国内でも同様だ。1990年から始まった研修制度は、当初の目的である知識や技術の取得から逸脱し、「研修に名を借りた低賃金労働」が常態化してくる。それを黙認する労働行政と政府関係機関、さらに労働組合OBまで関わったことも明らかになる。
最低賃金をはるかに下回る時給、常軌を逸した長時間労働、パスポートや預金通帳も取り上げての監視と管理、さらには暴力、セクハラ…。職種も繊維や農業自動車産業下請けなど、国際競争力に追われる現場での低賃金構造を支えている。これはかつて、日本国内での出稼ぎ者が直面した構造と相似形だ。私が20年前に出会った出稼ぎ現場も、タコ部屋と呼ばれるプレハブ小屋に暖房もなく、労働災害や賃金不払いが横行していた。少しずつ改善を勝ち取ってきたが、そこからこぼれ落ちたものが、国境を越えて拡がっていたのだ。
「自らの豊かさのために誰かを犠牲にするシステム」の上に私たちも立っていることに愕然とさせられる。研修制度の抜本的改善への運動が、せめてもの償いとなろう。2月からは崔容疑者の公判が進められている。(市村忠文)
今回は、映画「第五福竜丸」を紹介します。この作品は、1959年、48年前の監督・新藤兼人、主演の久保山愛吉さん役を宇野重吉(寺尾聡の父)による作品であり、現在はビデオ化されています。
第五福竜丸事件は日本の民衆の「怒り」に火をつけ、原水禁運動の高揚と活性化の契機となりました。そしてこの作品は、原水禁運動の中で、核実験・核兵器廃絶への意思を固める上で、大きな役割を果たしてきました。今回はビデオでしたが、見るのは3回目です。1度目は、中学生のころ、2度目は、5年前の原水禁の事務局長を引き受けた時です。
アメリカ・ブッシュの核の先制攻撃を含む軍事力による世界支配路線の影響の下で、「平和と核軍縮への流れ」が停滞・後退しています。被爆国であり、平和憲法を持つ日本政府および平和団体の果たすべき役割が従来に増して強く求められています。
53年前の、1954年3月1日、太平洋ビキニ環礁で米政府は水爆実験を行いました。その結果、第五福竜丸の平均年齢25歳の若い乗組員23人や、そのほか日本のカツオ・マグロ漁船員たちの多くをヒバクさせると同時に、ビキニ、ロンゲラップ、エニウエトク、ウトリック、アイルックなど、マーシャル諸島の島民や自然を被曝させました。水爆実験の規模の大きさは15メガトンであり、広島型原子爆弾の1000倍といわれています。その大きさを想像するだけでふるえがくるほどです。いまだに世界には約3万発の核兵器が存在しています。
ヒロシマ、ナガサキのヒバク体験が日本全体で、とりわけ若い人たちの間での風化が指摘され続けています。と同時に日本の第3番目のヒバクと言われる第五福竜丸のヒバク体験の風化はさらに深刻です。第五福竜丸のこと、その船が東京で展示されていることも知らない若い人たちが増え、もう多数派です。
もう一度、ビデオ「第五福竜丸」を見る中で、私たちの知識の中に「第五福竜丸事件」の事を、刻み込みましょう。そこからもう一度平和のこと、核軍縮のことを考えてみましょう。(福山真劫)
「人種差別撤廃NGOネットワーク」始動
国連特別報告者の日本報告書をうけ
反差別国際運動日本委員会 小笠原純恵
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「日本には人種差別が確かに存在する」と指摘
「日本社会には見えなくされ、存在をきちんと知らされてこなかった人々が確かに存在している。そのことを社会的・歴史的背景を含めて認識し、適切な方策を講じることなしに、多文化共生社会の構築はできない」―国連人権委員会が任命した「現代的形態の人種主義、人種差別、外国人嫌悪および関連する不寛容に関する特別報告者」であるドゥドゥ・ディエンさんは、06年1月24日、初の日本公式訪問(05年7月)を踏まえた報告書を公表し、日本社会の問題点をこのように指摘しました。
07年2月27日に立ち上げ記念集会を開催した「人種差別撤廃NGOネットワーク」の活動は、この報告書を受けたNGOによる一連の連携・共同行動からつながっています。
ディエン報告書は、「日本には人種差別と外国人嫌悪が確かに存在する」と明言し、その影響を受けている主な集団として、ナショナル・マイノリティ(被差別部落、アイヌ民族、沖縄の人々)、日本の旧植民地出身者とその子孫、世界各地からやってきた外国人・移住労働者を挙げています。
報告書は、日本政府が人種差別の問題を公式に認め、それを撤廃する政治的意志を表明すること、差別を禁止する法律の制定、歴史教科書の見直しなどを勧告し、法的側面にとどまらず社会的・歴史的文脈にまで踏み込んで、日本における人種差別の根本的な構造を捉えた画期的なものと言えます。
日本政府は報告書に敵対姿勢
この報告書は06年9月、国連人権理事会第2会期で取り上げられ、日本政府や反差別国際運動日本委員会(IMADR−JC)やも交えて議論がなされました。その後も、同年11月の国連総会第3委員会(人権)、07年3月の人権理事会第4会期での報告でフォローアップがなされています。
報告書への日本政府の対応は、残念ながら敵対姿勢をあらわにしたものでした。外務省が国連に提出した口上書は、ディエン報告書の最も重要な部分である「日本には人種主義・人種差別が確かに存在する」という指摘への何らの返答も、勧告の履行に向けた積極的な姿勢も見られず反論に終始し、国連での議論においても同様の反論を繰り返しています。
ディエン報告書の公表をうけて、その意義と価値を守り、広めること、勧告の実現を求めること、マイノリティ間の連携を広げ「語り合い」、報告書を「語りなおす」ことをめざしたマイノリティ当事者団体・個人、ならびに人種差別の撤廃に取り組む団体・個人による連携・共同行動が着実に進められてきました。
報告書を支持する「NGO共同声明」およびマイノリティ当事者団体・NGOの「報告書解釈宣言」とも言える「ディエン特別報告者への共同公開書簡」を作成・公開し、また、日本政府に対して、ディエン報告書の勧告履行のための措置をとること、国連・人種差別撤廃委員会への次回政府報告書にその方針を反映させることなどを求める共同申し入れを行ってきました。
人種差別・人種主義・植民地主義の克服を
人種差別撤廃NGOネットワークは、上記の連携基盤と認識のもとでのIMADR−JCの呼びかけに応えた、マイノリティ当事者団体・個人を中心とした恒常的な広いネットワークで、現在平和フォーラムを含む81団体が参加しています。
これまで、前述の日本政府「口上書」に対する独自のコメントを作成・公表し、ディエン特別報告者および国連人権理事会に提出しており、人権理事会第4会期へのディエン特別報告者の年次報告書でも、市民社会の結集を示す前向きな動きとして、人種差別撤廃ネットワークの結成が特に言及されています。
人種差別撤廃NGOネットワークでは、日本における人種差別・人種主義・植民地主義の克服という共通課題の実現を目指し、「周縁化」・「不可視化」されてきたマイノリティ当事者の歴史と実情を示していくため、今後も連携・共同行動を進めます。
◎反差別国際運動日本委員会のウェブサイト
http://www.imadr.org/japan
今こそ平和・反核の闘いを
岩松先生とともに
岩松先生が今回議長を退任することとなりました。本当に長い間の奮闘に心から敬意を表すると同時にお礼を申し上げたいと思います。
議長は、1945年8月9日の被爆以降長い間の平和・反核運動の経過を踏まえ、1997年、故森瀧市郎議長の後を引き継ぎ、原水爆禁止日本国民会議議長に就任し、10年間となります。私は、5年間、議長と事務局長という関係で仕事をさせてもらいました。いろんな意味でお世話になりました、本当にありがとうございました。
岩松議長の思想の核心は、「被害と加害の二重構造」を踏まえることです。私たち民衆の側は確かに太平洋戦争敗戦にいたる過程で、いろんな意味で被害者でした。とりわけアメリカによる無差別爆撃による被害、広島、長崎への原子爆弾投下による被害などなど被害の事例は枚挙にいとまがありません。とりわけ被爆者は今なお放射線被害の影響下におかれています。
また、一方で日本政府は、日本の軍隊は、日本の企業は、日本の民衆は、朝鮮半島から中国大陸、東南アジアへと侵略を続けてきました。関係国に筆舌に尽くしがたい困難を与え続けてきました。私たちはそれぞれの加害の質の違いはありますが、そうした侵略の事実に対しては、間違いなく「加害者」でした。
日本の「戦後の平和・民主主義」とそれを体現した「日本国憲法」はそうした歴史的現実から出発しました。昨年小泉に代わり安倍首相が誕生するに当たり、「村山談話」、「河野談話」の継承が議論になりました。安倍自公政権は、日本政府の「加害の責任」を消し去りたいのです。私たちはこうした動きに直面しているだけに、岩松議長の「被害と加害の二重構造」という提起をきっちりと受け止め続けることが極めて重要です。
戦争する国づくりをめざす安倍自公政権を許さない
中華人民共和国の「温家宝首相」が来日しました。今後とも、東アジアで平和を確立するために日中の連携強化が期待されます。同時に「安倍首相の靖国参拝問題」も明確にしていくべきです。前述しましたが「過去の責任」をないがしろにするような首相の「靖国参拝」は絶対許されません。
そうした中、日本の政治の焦点は、憲法改悪の手続き法案と米軍再編関連法案です。両法案とも日本をさらに米政府の従属の下「軍事大国化」にさらに傾斜させる法案です。それぞれ民主党、社民党を中心とする野党は、自公案・政府案に対して、反対の姿勢を固めています。なんとしても阻止をするための奮闘を期待します。また私たちも院外からの支援の運動を強化しなければなりません。
4月10日、平和フォーラム・原水禁は、米軍再編成反対の緊急署名を30万筆を、衆議院に提出しました。その他多くの課題が輻輳する中での、1ヵ月の取り組みでしたが、本当によく集まりました。また全国各地で、平和団体、市民団体が反対運動を強化しています。米軍再編成に対して反対運動の中心である沖縄では、今年は、平和行進に続いて、「米軍は沖縄から、日本から出て行け」をスローガンに「嘉手納基地包囲行動」を準備しています。なんとしても成功させたいものです。そして「軍事大国化」に突っ走る安倍自公政権に対する「平和の包囲網」を作りたいものです。
平和フォーラム・原水禁は、4月25日、総会と全国委員会を開催しました。それぞれの会議の中で、今年度方針とともに任務の重さを再確認しました。さあ2007年度、決意を新たに頑張りあいましよう。 |
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