インタビュー・シリーズ その16
ひとり一人が主体的に参加していく運動が大事
東京平和運動センター 関 久事務局長に聞く
【プロフィール】
1944年東京・五反田生まれ。63年、高校卒業後、民間企業を経て、大阪、愛知で生活。72年に東京都交通局に入る。労働組合の青年部活動を皮切りに、支部の役員などを歴任。97年から東京交通労働組合(東交)の本部役員に選出され、2003年から書記長を務める。退職後、05年から東京平和運動センター事務局長に就任。趣味は夫婦での山登り。「北アルプスや中央アルプスを登ってから麓の温泉に入るのがストレスの解消法」だが、最近はその機会もなかなか取れない。
──1944年生まれということは、ちょうど「60年安保」の頃は高校生ですか。
はい、高校が新橋にあって、国会が近いことから、連日、労働者や学生が学校の前を通って行きました。私もそれを見て仲間と一緒に国会近くに行っていました。6月15日の樺美智子さんが殺された翌日は、私もデモに参加しましたが、本当にすごい人の波でした。
──学校卒業後に、民間会社で働いたり、大阪や愛知にも行かれましたね。
大阪では日雇いの仕事もしたりして、釜ケ崎のドヤ街で寝ていたこともあります。その後、愛知に行ってから民間会社に入って労働組合をやってみようと思うようになりました。それは、当時のベトナム反戦運動などが高揚する中で、平和運動などの中心に労働者が立つことが必要だと思ったからです。
──そうした様々な経験が、その後の東京交通労働組合(東交)での運動の原点になったわけですね。当時の組合活動はどんなでしたか。
1972年に偶然に目にした募集広告で東京都の交通局に入り、地下鉄「五反田駅」に配属になりました。その頃は、駅の清掃からゴミ収集、職員の食事作りなんていうのもありました。今では考えられません。でも、一緒に飯を食いながら、安保闘争や職場活動の話などを聞いていました。私も青年部から組合運動を始めましたが、その頃の組合は、現場協議制が徹底していました。所属長を囲んでの団体交渉を連日行っていました。また、メーデーが近づくと、1ヶ月もかけて、みんなでデコレーションを作り上げていきました。とにかく、一体感が職場にあふれていましたね。
──その頃はどんな問題が起きていましたか。
職場の合理化が大きな課題でした。75年頃から、運転司令所の集中化問題が起こり、駅にふとんや食材を持ち込んで1ヶ月近くも泊まり込みで闘争しました。また、80年代には切符販売や改札業務の機械化、定期券売り場の縮小に反対して、駅の中を占拠して、業務を8日間も止めたこともありました。また、民間や官公労の様々な労組の争議とも相互に支援活動をやってきました。
──東交の本部役員、書記長も歴任されましたが、最近の組合活動はどうでしょうか。
私は組合員が主体となった運動、特に現場協議制を大事にしてきました。しかし、90年代になってからは、公務員と民間労働者の賃金や労働条件の比較などのバッシングが激しくなってきました。全体的にパートや派遣労働者が増えてきましたが、私たちの電車やバスなどの職場でも、民間会社による業務の一部委託という形で賃金や労働条件の格差が生まれてきました。そうしたことに労働組合が十分に対応できてこなかったことも事実だろうと思います。
──組合を退職されて、2005年から東京平和運動センターの事務局長に就任されましたが、それまでの活動とは違う面が多いと思います。
平和フォーラム・原水禁からの連絡を受けて活動することが多いのですが、本当に課題がたくさんあるのに驚いています。基地問題や憲法問題、部落差別、北朝鮮問題などは、労働組合でもある程度やってきましたが、環境問題や食料問題などはまったく経験がなくて、戸惑うことが多かったですね。国際的な交流も平和フォーラム・原水禁ならではの取り組みがあり、情勢に応じて敏感に動いているなあと思います。
──確かに課題が多くて地域組織は大変だと思います。
労働組合はどうしても自らの労働条件などの活動が中心になりがちで、かつてのような政治活動はあまりしなくなっています。選挙運動でも組合員の動きは鈍くなっています。しかし、そうした政治や経済の動きが私たちの暮らしとも密接に繋がっているのですから、自分のことだけを考えているわけにはいきません。平和フォーラムが幅広い分野で適切に判断して問題を提起しているのは、貴重なことだと思います。
──これからの運動をどうつくっていったらいいのでしょうか。
国民もこのままでいいとは思っていないでしょう。その表れが先の参議院選挙だったのではないでしょうか。運動で世の中を変えられるということは、ヨーロッパや韓国など世界各地で起きています。ひとり一人が主体的に参加していく運動が大事だと思います。過剰な競争社会から生活者を大切にされる世の中を作っていきたいですね。そして、やはり自公政権を打倒することをめざして、総選挙を求めていくべきではないでしょうか。
──そのために、何か平和フォーラムへの注文はありますか。
運動体であるとともに、政策も重視して、その実現をめざしてほしいですね。これまでは自公政権の策動に対応するだけの活動が多かったと思いますが、こちら側からも政策を打ち立てて攻めることが必要でしょう。そのためには政治家や学者、活動者なども集めて、戦略を立てていくことが求められます。また、加盟団体との議論もしっかりやって、共通認識を作っていくことも大切です。
──そうした中で、11月2日から4日に「憲法理念の実現をめざす第44回大会」(護憲大会)が東京で開かれます。
いま、必死になって参加者を集めているところです(笑)。加盟団体はもちろんですが、労働組合のOBにも声を掛けています。福田政権になって、憲法をはじめ、平和や人権を守る運動をどのように展開したらいいか、とても重要な大会になると思います。私たちもフィールドワークなどでお手伝いをさせていただきます。
──東京平和運動センターとして、これからどんな活動をしていきますか。
東京は、日本の中心であるとともに、住民もどんどん替わっていくなど、なかなか地域性を持った運動が出来にくい所です。東京の中でも多摩地域では横田基地闘争や地域での様々な取り組みがあるのですが、特に23区部は難しい点があります。しかし、今後は都議会議員や区議会議員などで、私たちの運動に共鳴してくれる人たちとネットワークを作っていきたいと思っています。石原都知事の言動はあまりにひどいものがありますが、それにどう対抗していくかも課題になっています。
──これからの運動を担う若い人たちに一言お願いします。
私たちはかつて、自ら考え、調べて運動を切り開いていきました。今の若い人たちにも、精神的に自立して、自ら判断できるようになっていってほしいと思います。非正規労働者などの運動は、まさにそうした主体性を持った闘いになろうとしていると思います。
〈インタビュ─を終えて〉
関さんは、昔を懐かしみながら、60年安保闘争のこと、70年代のスト権ストに連帯しての闘い、80年代以降の職場での機械化に対しての反合理化闘争のこと、連合に結集してからの闘いなどを熱く語ってくれました。話を聞きながら、総評運動が、平和と民主主義の闘いで、労働運動で輝いていた頃に引き戻されてしまいます。いまもう一度、関さんとわれわれは何をめざしてきたのか確認したい。そして今一度決意を固めたい。(福山真劫)
「集団自決」に日本軍が関与していたことは明らか
沖縄戦の歴史的事実の歪曲を許すな!11万人が怒りの県民大会
意図的に検定意見をねつ造
「沖縄戦における住民の『集団自決』は日本軍が関与していた」。この3月文部科学省は08年度から使用する高校歴史教科書において、この事実を否定する検定意見を発表しました。そのため、沖縄県を中心に、文科省に対する不信感そして反発の輪が、じわじわと広まっていきました。
日本で唯一、地上戦の被害を受けた沖縄では、親族を目の前で失った悲しみの中で、今まで口を閉ざしてきた戦争体験者が声を出し始めました。そして9月29日、沖縄県宜野湾市の海浜公園は、11万人を超える県民そして全国から集まった人々で埋め尽くされました。県議会議長、県知事、県教育長、そして戦争体験者、高校生までもが「歴史の真実を歪曲するな!」と声を張り上げました。これまで取り上げなかった全国紙も取り上げざる得なくなりました。
ここに来て、真実がはっきりしてきました。それは、「日本軍の関与があった」ということではありません。そのことはすでに明確です。今ここで明確になったことは、文科省の職員である「教科書調査官」が、意図的にこの検定意見をねつ造したという事実です。ねつ造とあえて言うのは、この検定意見が歴史事実を歪曲していることが最初から明らかだったからです。
文科省の責任で検定意見の撤回を
平和フォーラムはこれまで、@この間、教科書記述を変更するような新たな事実や研究成果がないこと、A文科省が理由にあげた裁判は係争中であり、確定しない判決の一方の主張に基づくことをこれまでも文科省は認めてこなかったこと、B教科書審議会で議論がなかったことなどを明らかにしてきました。
ここまで来て、「日本軍の関与」という事実での議論はなくなりましたが、未だ首相や文科大臣は、「ここで検定意見を覆すことは政治の介入になる」として、自らが検定意見の撤回を指示することは控えるべきとしています。しかし、そのこと自体が問題です。
この検定意見自体が恣意的に作られたものであることは明確です。議論の余地のない歴史事実に手をつけたことは、沖縄県民が11万人も、しかも県行政の責任者がこぞって検定意見撤回のための集会に参加している事実からも明らかです。議論があるのであれば、逆の立場からも集会が成立するはずですし、11万人も集まらないでしょう。
議論の余地がない事実を歪曲する考え方が、政治的でなくて何でしょうか。しかも、これまで「日本軍の関与はなかった」と主張してきたのは、「新しい歴史教科書をつくる会」というきわめて政治的な組織だったのです。
このように、文科省の官僚が国民の意思に反して歴史事実を歪曲することは許されません。そのこと自体が糾弾されるべきです。その上で、首相や文科大臣は、その与えられた職責の中で、国民の意志に基づいて自らの責任で検定意見の撤回をすべきです。
教科書検定制度に「沖縄条項」を
沖縄県民、そして国民は主権者です。今回の場合はそれが一部の県民ではありません。国民主権、民主主義の原則から言えば、首相と文科大臣が、主権者の意志に基づいて検定意見を撤回することが、「政治の介入」に当たるはずがありません。このまま、口をつぐむことが文科省官僚の政治的意図を持った歴史歪曲検定意見を追認することであり、政治的意志の介入を許すことだと言わざるを得ません。
首相・文科大臣の責任で検定意見を撤回させ、加えて、今後このようなことのないよう教科書検定制度の中に、沖縄戦の記述に関しては歴史事実を歪曲することなく沖縄県民感情に配慮した記述を行う「沖縄条項」を制定することを強く要求します。
11月3日〜17日は「在日朝鮮人歴史・人権週間」
在日朝鮮人への差別の歴史と人権状況を見つめる
洪 祥進(朝鮮人強制連行真相調査団・朝鮮人側事務局長)
世界人権宣言において「固有の尊厳」と「平等」は「平和の基礎」であるとされています。しかし、日本において、在日朝鮮人の「固有の尊厳」と言える民族的アイデンティティの尊重と、差別的な処遇の改善は未だなされてはいません。
昨年、国連の人種主義等に関する特別報告者は日本における差別の現状について次のように指摘しました。「最も甚大な表れ方をしているのは文化的・歴史的性質を有する差別である」「コリアン・中国人コミュニティについては、こうしたマイノリティに対する差別の歴史的・文化的根深さが日本では認識されていない」。(D・ディェン国連特別報告者「日本公式筋間」報告書2006年1月 反差別国際運動日本委員会訳)
在日朝鮮人の人権問題は文化的・歴史的性質を有しており、その民族性を尊重するためには約1世紀におよぶ歴史を知ることが不可欠です。
意図的に作られた差別の歴史
『在日朝鮮人歴史・人権週間』のテーマの1つは、1905年条約(乙巳五条約・韓国保護条約)です。伊藤博文は、この条約を強制するために韓国の閣議に介入し、また「あまり駄々をこねる様だったら殺ってしまへ」と脅迫しました。近年、外交資料館から、「消失史料」となっていた伊藤の「復命書」(天皇への報告)の原文が発見されましたが、伊藤はこの条約締結にいたる報告書を捏造していたのです。“朝鮮皇帝が同意しない”とあるのを同意したように書き直し、その結果、朝鮮が自ら日本の「保護国」になることを望んだかのように受け取られたのです。(詳しくは「人権週間」リーフレット参照)
以降、日本では「今では既に保護国となっている韓国の人民…その不潔であること、その怠惰であること…その薄っ馬鹿であることなどは、たしかに彼らの特有性である」(1908年8月15日『神戸新聞』)という報道が公然とされました。朝鮮人に対する差別は、歴史的に意図的に作られたものなのです。
石原都知事や警察庁長官が世論を扇動
2000年4月、石原都知事は「不法入国した三国人…大災害が起きたら騒じょう事件も想定される」と発言しました。この発言は、国連人種差別撤廃委員会で取り上げられ、重大な問題であると日本政府に勧告が出されました。なぜならば、日本が批准した「人種差別撤廃条約」第4条Cにおける「国又は地方の公の当局又は公の機関が人種差別を助長し又は扇動することを許さない」に該当するからです。
ところがこの勧告をうけた後の2007年1月、今度は政府高官である漆間警察庁長官が記者会見で、“北朝鮮による拉致問題の解決に向けて”として「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」(時事通信)と発言しました。
すでにこの発言のとおり、「薬事法」絡みの朝鮮総連への不当な家宅捜索が大々的に行われていました。ところが去る6月、東京地検はこれについて「不起訴処分」とし、捜査の不当性は証明されましたが、謝罪もありません。政府高官による世界的にも異質な世論扇動と一連の朝鮮総連に対する弾圧に対し、国連勧告は必至です。
このような事実を在日朝鮮人と日本人がともに知り、現在の人権状況について考えることを目的として、『在日朝鮮人歴史・人権週間』を本年から始めることとなりました。過去の在日の歴史を知り、現在の人権状況を国際的なすう勢から見つめることが、今、求められています。また、このことは日本の平和と人権擁護に寄与し、ひいては南北朝鮮との和解と平和に貢献するものと確信します。
政府のBSE検査体制が縮小 若齢牛を対象外に
食の安全に逆行 米国産牛肉の輸入拡大へ道を開く
全頭検査体制が来年7月で打ち切りへ
厚生労働省と農林水産省は今年8月末、これまでの生後20ヶ月齢以下の牛を対象に、都道府県が自主的に行っている牛海綿状脳症(BSE)検査に対する国の補助を、来年の7月末で打ち切ると発表しました。日本ではBSE感染牛が見つかった2001年から全ての牛についてと殺する時に検査をすることになり、BSEが溜まりやすい特定危険部位の除去と併せて、牛肉への不安を払拭してきました。
しかし、05年に食品安全委員会が、検査の対象を21ヶ月齢以下にしても人へのリスク(危険性)は非常に低いと答申。これを受けて厚労省は20ヶ月齢以下を検査の対象から除外することを決めました。ところが、国民の不安が依然として高く、消費者団体などの強い要求から、08年7月までは20ヶ月齢以下の牛についても自治体が行う検査の費用を国が補助することになりました。こうした経緯をたどり、厚労省は「当初の予定通り」来年の打ち切りを決めたとしています。
食の信頼へ自治体は検査の継続求める
今回の検査費用補助の打ち切りに対して、様々な問題点が指摘されています。
第1には、食の安全についてです。日本が実施しているBSE対策の中でも、検査をすべての牛に実施することは重要な意味を持っています。それは若齢牛を含めた検査によりBSEの発生メカニズムを科学的に解明するデータを得ることができ、また市場にBSE感染牛を出さない防波堤となっています。これによって日本においては、世界でもまれな21ヶ月と23ヶ月齢の牛の異常プリオンも発見されました。こうした世界で最も厳密と言われるBSE対策に消費者は信頼を寄せています。
科学者からも、「全頭検査と危険部位の除去という二重の安全対策が必要」(福岡伸一青山学院大教授)などとの声が挙がっています。全国で検査される牛のうち、20ヶ月齢以下は12〜13%程度で、補助金は約2億円とみられています。しかし、大産地の北海道は約4割が20ヶ月齢以下の牛のため、1億円近くの支出となります。「これから道民の意見を聞いて決めるが、食への信頼を得るためには、検査打ち切りというわけにはいかないのではないか。問題は政府がこの問題についてこれまで何ら消費者に説明してこなかったことだ」(北海道庁)などと反発の声が高まり、政府に補助の継続を求めています。
牛肉輸入拡大へ圧力をかける米国
第2に、これが、米国から日本への牛肉輸出の条件となっている「20ヶ月齢以下の牛に限る」という条件を外すための環境作りになることです。これは、米国ではほとんどBSE検査が行われていないために設けられた措置です。すでに輸入条件の緩和に関する日米政府の専門家会合が6月から始められていますが、米ブッシュ大統領自らが9月に安倍前首相に月齢制限の撤廃を求めています。こうした圧力に屈して輸入条件が緩和されれば、さらに消費者の不信を招くことは明白です。
こうした中での国内検査の縮小の動きは、米国の圧力に利するものです。今後、米国の主張通りに30ヶ月齢以下ならBSE検査なしでも安全だとして輸入が認められれば、国内外無差別の原則から、国内でも30ヶ月齢以下の牛を検査する根拠がなくなります。日本では、30ヶ月齢以下の牛は全体の約6割を占めることから、自治体が検査を継続しようとしても負担が膨大となり、断念せざるをえなくなるという事態が考えられます。
さらに、検査を行う現場からは、月齢で線引きをすることで作業が煩雑になるとの声もあがっています。さらに、検査緩和をおこなうと、若齢牛での検査ができずに、検査感度を改良する技術開発にも支障が出てくることが指摘されています。
平和フォーラムは、政府に検査補助の打ち切りに抗議するとともに、各自治体に対しても、検査を継続するよう求めて、各県で取り組みを進めることにしています。
オーストラリアのウランがインドへ?
米印原子力協力による核拡散
今年8月に発表された米印原子力協力協定(米国からインドへの核燃料や核技術の輸出を認める内容)は、ブッシュ米大統領とシン・インド首相の強引な動きに対し、国内からの反発によって、早期発効の可能性は低くなりました。しかし、今後の動きは不確実で、協力協定が核不拡散条約(NPT)に反するという本質は軽視できないものです。
これを受け、8月16日にオーストラリア政府がウランをインドに輸出する計画を発表するなど、国際的に大きな影響を与えています。
オーストラリアでもウラン輸出に反対の声高まる
協力協定に対して、日本国内では自治体から、核関連輸出の国際的枠組みである原子力供給国グループ(NSG、日本を含む45ヵ国)の場で、被爆国の日本が慎重な議論を主導すべきだとの要請が相次いでいます。なかでも鹿児島県では14市町で意見書が採択されています。
10月1日には、オーストラリアから来日したIPPNW(核戦争防止国際医師会議)理事のティルマン・ラフ博士が、ウランの輸出など国際的原子力協力の問題について外務省に要請、同時にオーストラリア大使館にも反核・平和団体が抗議するなどの行動を行いました。
外務省との話し合いでラフ博士は、オーストラリア国内でインドへのウラン輸出が大きな議論になっていること、経済的にもメリットがなくウラン鉱を持つ大手資源会社も輸出を渋っていること、ハワード豪政権が国民の支持のない中で政治的に押し進めているが、年内の総選挙で政権が交代する可能性の大きいことなどが説明されました。
また、米印原子力協定が、インドに核実験や核分裂性物質生産の禁止も求めず、核施設が査察対象となるかどうかの線引きも自由にできるなど、全くNPTの基本ルールを外れていることや、この例外を認めれば、パキスタンやイスラエル、その他の核開発疑惑国などに「核兵器を持ってしまえば国際的に優遇される」というような間違ったメッセージをおくることになるなどを強調しました。
非核地帯からの核兵器開発協力はゆるされない
オーストラリアからのウラン輸出については、「NPTの締約国以外にはウランを輸出しないとの豪州のこれまでの方針を変える決定であり、国民の反対が大きい」と指摘しました。
オーストラリアは、NPTに入っていない国へのウラン輸出を禁止した南太平洋非核地帯条約の締約国です。「条約に違反して、核兵器の開発につながる協力はとても受け入れられるものではない。核不拡散についてオーストラリア政府が表明している約束と矛盾している。国際原子力機関(IAEA)などの場で、NSGガイドラインの一貫性のある適用と、核拡散防止と核軍縮の促進のための国際的な法的規則と制裁措置の強化すべき」と要請しました。
さらに、原子力計画の増強によって、風力や太陽をはじめとする環境に優しい再生可能エネルギーの開発が縮小されて、長期的なエネルギー安全保障と気候変動などに深刻な影響をもたらすことになることも指摘されました。
外務省からは、ごく基本的な核軍縮へむけた政策以外に具体的な方針などを聞くことはできませんでしたが、今後もNSGでの議論へ向けての情報交換などを約束しました。
これらの詳細について原水禁のウェブサイトでご覧下さい。
http://www.gensuikin.org/mt/000112.html
南太平洋非核地帯条約条文「平和的核活動」より
各締約国は、次のように約束する:
(a)原料物質若しくは特殊核分裂性物質、または、平和目的の特殊核分裂性物質の再処理、使用若しくは生産のために特に設計され若しくは作成された設備、若しくは資材を、
(i)非核兵器国には、NPTの第3条1で規定された保障措置の適用を受けていない限り(ii)核兵器国には、国際原子力機関(IAEA)との間の適切な保障措置協定の適用を受けていない限り、提供しない。
北朝鮮の被爆者支援で原水禁が現地調査
明らかになった在朝被爆者の実態 いますぐ政府は救済を
10月6日〜10日、原水爆禁止日本国民会議は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)在住の被爆者の実態把握と今後の対応についての協議をするため、向井高志原水禁副議長を団長に9名が訪朝しました。被爆62年を過ぎてもなお日朝関係が不正常な状態の中で、在朝被爆者に対していまだ援護の手が差し伸べられていない現状を少しでも打開しようとするための訪朝でした。
2002年末現在で確認された在朝被爆者数は1953名、うち生存者は928名となっていましたが、その後、被爆者の高齢化にともない、実態の再調査が現在進められていることが北朝鮮側から報告されました。早急な被爆者援護の対応とともに日本の戦争責任・戦後補償の問題としても十分な対応が必要となっています。
日本の戦争責任を厳しく追及
10月8日、反核・平和のための朝鮮被爆者協会の李哲(リ・チョル)会長や、現在唯一、被爆者手帳を持っている朴文淑(パク・ムンスク)副会長(64歳・長崎被爆)らと面談しました。李会長からは、「62年間、なんの謝罪もなく、国交がないという理由で人道的援護措置すら取られていない。そのことは、先の戦争に対して心から反省していないことを示している。被爆者はどこにいても被爆者であり、謝罪・補償を受ける権利があり、早急に措置を取ることを求めたい」と、これまでの日本政府の無為無策に対して厳しい意見が出されました。
日本政府はこれまで、02年に訪朝し調査を行い、「被爆者援護の精神に則り、人道的観点を踏まえつつ、今後の日朝関係全般の中で検討する」としました。しかし、その後なんらの対応もしておらず、被爆者は日本政府に激しい不信を抱いています。
国交がないことがハードルに
3人の在朝被爆者への聞き取りを行う中で、李桂先(リ・ケソン)さん(66歳)は、3歳で広島で被爆し、被爆当時の記憶はほとんどありませんでしたが、今回の調査で広島県が保管する父親の手帳申請関係記録の内容と一致することが確認されました。被爆者健康手帳の発行条件を満たしていることがわかり、今後、取得にむけた対応を検討することになりました。李さんは、若い頃から消化器、貧血、関節炎などで苦しみ、現在も無力症で疲れやすいと言います。
慎培根(シン・ペグン)さん(71歳)は、9歳の時、長崎市内の波止場の倉庫前で被爆し、その後、父親が死体運搬等の作業に従事していたため、それに1〜2回ついていって入市被爆した可能性があると証言しました。また、金明愛(キム・ミョンエ)さん(63歳)は、1歳の時、おばさんに背負われて入市し被爆したため、現在、内臓や泌尿器系、循環器系などの具合が悪いと訴えました。
しかし、二人については、被爆したことを証明する証拠や証言を十分に見つけることはできませんでした。被爆後62年が過ぎ、日本との具体的な交流がない中にいる在朝被爆者にとっては、「証明や証言」などを探し出すことは難しいハードルがあります。むしろ人道的な立場からも被爆者認定や被爆者援護を考慮する必要があります。
現在、在外被爆者に対しても居住国で被爆者手当と葬祭料が支給されるようになっていますが、援護法によれば、その前提となる被爆者健康手帳の交付は、来日して申請しなければならないとされています。国交のない在朝被爆者にとっては、個人としての力量を超える問題です。人道的な立場からの救済が求められています。
急展開する朝鮮半島の平和をまえに
軍事力増大が進むアジアの不安定さ
米国の核の傘からの離脱を
朝鮮半島の平和はもう後戻りはしない
米朝関係がゆっくりと改善されていく中で、朝鮮半島では2回目の南北首脳会談の開催によって、一足早く朝鮮戦争終結への動きが始まりました。
10月4日に発表された「南北関係発展と平和繁栄のための宣言」(南北首脳宣言)の骨子は次のような内容です(朝日新聞、および共同通信を参考)。
○南北は軍事的敵対関係を終息させ、朝鮮半島で緊張緩和と平和を保障するため緊密に協力
○南北は朝鮮半島休戦体制を終息させ、恒久的な平和体制の構築。そのため南北+米国の3ヵ国または南北、米中の4ヵ国首脳が朝鮮半島で会い、終戦を宣言する問題を進める
○南北は朝鮮半島の核問題解決のため6ヵ国協議共同声明と合意が順調に履行されるよう努力
○11月に南北首相会談をソウルで開催
○11月に南北国防相会談を平壌で開催
○「黄海平和協力特別地帯」を設定・京義線の鉄道貨物輸送を開始
○南北応援団が京義線を利用し北京五輪に参加
日本のマスコミは第2回南北首脳会談をあまり評価していませんし、韓国でも野党は、宣言に実効性がないと批判的です。しかし盧大統領の報告発表後に支持率が急上昇したことを考えると、政治以外のさまざまな分野での南北協力が、今後、一層加速していくことは間違いないでしょう。
年内に「テロ支援国家」指定解除の可能性
一方、ほぼ時を同じくして6ヵ国協議の「合意文書」(別項=朝日新聞参考)が発表されました。
この合意を受けて、さっそく米の専門家チームが10月11日に北朝鮮入りし、年内の核施設無能力化の手順などで北朝鮮側と協議に入りました。
合意文書では北朝鮮の核無力化の行動と並行して、米国は北朝鮮に対する「テロ支援国家指定を解除する作業を開始する」とありますから、今年中に解除される可能性は高まっています。
日本政府は拉致被害者全員の帰国を、拉致問題解決とし、それまでは米国に「テロ支援国家指定」を解除しないよう求めていますが、米国は横田めぐみさんら8人(北朝鮮政府が死亡したとしている)についての追加情報を「誠実かつ十分な協力姿勢」をとって日本側に示すことを、解決条件としており、この米国の立場は日本政府にも伝えられているといいます。
○北朝鮮・寧辺の原子炉など3施設を年内に無能力化、米国が当初資金を提供。2週間以内に専門家を派遣
○北朝鮮はすべての核計画を年内に申告
○北朝鮮は核物質や核技術を移転しないことを再確認
○米国は北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除する作業を開始。北朝鮮の行動と並行して約束を履行
○日朝は国交正常化にむけ誠実に努力
○北朝鮮に重油100万トン相当を支援
拉致被害者家族にとっては辛い話ですが、国交正常化交渉(旧植民地時代の補償などを含めて)の中で、拉致問題について十分な話し合いの場をもつことが、いま取るべき最良の道ではないでしょうか。
また北朝鮮の核無能力化から、保有している核兵器の完全廃棄を実現していくためにも、日朝の国交正常化、信頼醸成は不可欠でしょう。
自衛隊の侵略性をなくすことがまず必要
北朝鮮の核兵器の完全廃棄を求めていく過程で問題となっていくのは、米国による核の傘です。
東北アジアで急速に状況が改善されようとしているとき、日本が米国の核の傘で守られて、さらに日米一体の軍事力強化を進めるという状況は、東北アジアの非核化を実現する上でも、大きな障害となります。
東北アジアの非核化のために必要な、日本が米の核の傘から離脱するという決断には、日本に未来へ向けた外交戦略と強い意志力が必要です。米国はこれまでアジア・太平洋で保持してきた軍事的主導権を今後も持ち続けることに強い意志を示していて、そのために沖縄の米軍基地を重要とし、また日本の協力を不可欠としています。しかし「6ヵ国協議」を今後の「東北アジア協議」の場へと発展させることを考えると、侵略性の強い米軍との共同作戦体制を取り続ける日本の軍事力は、大きな障害となるでしょう。
とくにミサイル防衛は、東北アジアにおける大きな不協和音となることは明らかです。日本が全国18ヵ所に配備予定のPAC・3(対空ミサイル)は、当面、役に立たないと考えますが、一方でそのために性能を強化し、配備されるレーダー基地は、青森県車力の米軍・Xバンドレーダーとともに米国本土を防衛するための重要な基地となり、日米の一体化はアジアでより明確になり、東北アジアの対話に影を落とすでしょう。
★☆★☆★☆【本の紹介】★☆★☆★☆★
これだけは伝えておきたい ビキニ事件の表と裏
大石又七 著
原水禁3・1ビキニデー全国集会などで、貴重な証言をしていただいている元第五福竜丸乗組員・大石又七さん(73歳)の、前回の労作「ビキニ事件の真実−いのちの岐路で」(みすず書房・2003年)に続き、若い世代にビキニ事件の真相と大石さんのメッセージが込めた「これだけは伝えておきたい−ビキニ事件の表と裏」が刊行されました。
原水禁運動の契機になったビキニ事件。その風化が叫ばれる今日、その事件の渦中にあった者だからこそ、自分も含め当時の仲間が背負った苦しみを私たちに語りかけてくれています。被爆の後障害や周囲の無理解から逃げ出したことや、自身のガンや仲間の病気、そして最初の子どもの異常出産死など、当事者だからこそビキニ事件の裏側で起こった悲劇と不条理を語っています。
特に子どもの死は、「外からの差別や偏見よりも、もっと怖い身体の中の見えない悪魔におびえ」、被爆させられた者の「隠したいという気持ちと、被爆者の本当の悩み、苦しみを知ってほしいという気持ち」の葛藤の中で苦しんできたことを語っています。
この数行の中にどれほどの苦しみがあったのか。私たちはその思いを少しでも知ることが重要だと思います。
日米間での政治によって事件の全容の解明が困難な中、大石さんは自分を苦しめている事件の核心と全体像を、いまも執念で追いつづけています。
前回の労作とともに、あらためてビキニ事件の持つ意味と、そこから私たちが何を受け継いでいくことが必要かを考えたいものです。ぜひご一読を。(かもがわ出版2007年7月刊 1500円+税)(井上年弘)
★☆★☆★☆【映画紹介】★☆★☆★☆★
不都合な真実(2006年/アメリカ)
1年前に公開されたデイヴィス・グッケンハイム監督のドキュメンタリー映画「不都合な真実」。今年、アル・ゴア元米国副大統領がノーベル平和賞を受賞との報道のなかで、DVDを購入して見てみました。
この映画は、世界の課題はテロだけではないとして、地球温暖化を告発しています。ゴア元副大統領が講義風に、地球温暖化からくる環境破壊の深刻な実態、原因、そして解決の方向を映像と資料で解説・提起しています。ハリケーンや集中豪雨の頻発と被害の深刻化、干上がる湖水と砂漠化、生態系の変化による生物の絶滅と伝染病の拡大、さんご礁の破壊、迫りくる海面上昇による主要都市などの水没、とりわけ海面温度上昇とグリーンランドや南極の氷、氷河の融解による海面上昇の深刻さが強調され、世界各地で起こっている「氷河が融解し続けている映像」は衝撃的です。
そして、温暖化とそれともなう異常現象・環境破壊の基本的原因が大気中の二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの増加と連動していることが明らかにされます。世界最大のCO2排出国のアメリカと第2位の中国を告発。「両国とも環境破壊型生活様式から抜け出せずに苦労している。だが決して容認できぬ事態が間近に迫っている」「審判の日にもっと早く気づいていればよかった後悔しても遅い」と語ります。
さらに京都議定書を批准していない先進国はアメリカとオーストラリアであり、ブッシュ政権の消極的態度が批判されます。また彼は、正しい政策への転換と経済成長は矛盾しないと語ります。そしてすべての鑑賞者に「生活のスタイルを省エネ型に変えようではないか」と提起し、アフリカの古いことわざに「何か祈る時は、行動もすべし」とあるとまとめています。あのゴアが語るのです。
温暖化対策として、日本でも原発推進を語る人たちが多くいます。しかしこの映画にはそうした主張はありません。原発推進を語る人たちも一度みたらいいと思う、必見のDVDです。(福山真劫)
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大きな局面を迎える水俣病問題
私たちに問われているのは民主主義を守るか否かだ
新潟県平和運動センター事務局長 高野秀男
再び関心が高まる新潟水俣病を現地調査
新潟水俣病の現地調査を9月29日に行いました。新潟水俣病の発生源である旧昭和電工鹿瀬工場(現・新潟昭和)や被害地である阿賀野川流域を視察し、患者と膝を交えて交流する催しです。毎年この時期に実施しており、今年も70人がマイクロバス3台に分乗して、事件公表から42年たった現場を見て回りました。
今年の現地調査の特徴は、行政、教育の関係者が多数参加したことです。これは新潟でも、今年4月に国や昭和電工を相手に損害賠償を求める訴訟が提起され、それとは別に今年6月に補償・救済を求める患者団体が結成されるなど、新潟水俣病が依然終わっていないことが社会化したことによります。
参加者からは「当時の状況を聞き、言葉で言い表せない心情になった。関心を持ち続けていきたい」「身体被害だけでなく偏見や差別に苦しみ、今なおその苦しみが解消されていないことに驚きと憤りを禁じえない。被害者の生の声は決して忘れない」などの感想が寄せられました。
最高裁判決を機に新たに1万7千人が認定請求
水俣病はいま、大きな局面を迎えています。きっかけは2004年10月の水俣病関西訴訟の最高裁判決です。最高裁は、行政が水俣病と認めなかった被害者を水俣病と認めました。
つまり、症状の組み合わせを必要とする現行の認定基準ではなく、一定の条件があれば被害者に共通してみられる感覚障害だけで水俣病と認めたのです。
2004年10月15日の水俣病関西訴訟の最高裁判所の判決内容(要旨)
1) 国が1960年(昭和35年)1月以降に、「水質二法」に基づく規制権限を行使して被害の拡大防止をしなかったのは違法で、国は賠償責任を負う。
2) 熊本県が漁業調整規則による規制権限を行使して被害の拡大防止をしなかったのは違法で、熊本県は賠償責任を負う。
3) 国の定めた認定基準で水俣病と認められなかった原告を、水俣病と認めた高裁判決は妥当である。
これを機に、熊本・鹿児島・新潟の三県で水俣病の認定を求める被害者が続出しました。その数は9月末現在5500人で、新保健手帳交付者とあわせると1万7千人にのぼります。最高裁判決前に補償・救済された1万5千人を超えており、水俣病の奥深さと底知れぬ広がりにあらためて気付かされています。
ところが環境省は「最高裁は行政認定基準を直接否定していない」と詭弁を弄し、「司法判断と行政判断は別」と居直り続けています。その一方で、認定申請や提訴をしないことを条件に医療費を補助する「新保健手帳」の交付を行い、他方で、与党水俣病問題プロジェクトチームに「新たな救済策」をはかるよう問題を丸投げしました。
与党PTは今年4月に認定申請者らを対象にアンケート調査を行い、それをもとに7月に新たな救済策の中間案を発表しました。しかし、新たな救済策は最高裁判決をまったく考慮せず無視しています。内容も1995年の政治決着を上回るものではないとしており、それでも年内の政治決着をめざすと伝えられています。
司法判断を無視する政府、与党
このことは法治国家としてあるまじき行為であり、三権分立を自ら崩壊するものとして許されません。そもそも最高裁判決に従わない行政に第一の責めがありますが、そうした行政を正すべき役割の立法府が逆に行政とつるんで司法をないがしろにしているのです。水俣病問題は被害者の枠を超えて、この国の民主主義の瓦解を看過するのかどうか、市民に投げかけられた問題にもなっています。
こうした中、熊本・鹿児島・新潟三県の平和センターは、水俣病解決に向けて互いに連携をとることを確認し、平和フォーラムにも協力を求めています。
7月の参議院選挙の結果をうけ、まっとうな政治に対する期待とそれを実現させる我々の運動、そして世論の高まりがここでも求められています。
ナ
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ビ
語ることのできなかった「浅沼さんの演説」をもう一度胸に刻もう
10月12日、浅沼稲次郎さん(元社会党委員長)を追悼する集会が土井たか子さん、横路孝弘さん等の呼びかけで開催されました。1960年10月12日、浅沼さんが日比谷公会堂で演説中に、右翼の凶刃に倒れて今年は47年目です。演説することのできなかった「演説原稿」の最後に、「当面最大の課題」として、「中国との国交を回復すること」、「憲法を擁護すること」とあります。今風に言えば、「朝鮮民主主義人民共和国と国交を回復すること」、「憲法9条の空洞化を許さず、憲法理念を実現すること」となると思います。そういう意味では、47年前も今も最大の課題は変わっていません。
日朝国交正常化を
朝鮮人民民主主義共和国をめぐる情勢は現在大きく変化しつつあります。6ヵ国協議は、10月3日、2月に続き、共和国の「核施設の無能力化」を基本とする「次の段階の措置」を公表し、ノ・ムヒョン韓国大統領は、陸路で38度線を越えて、共和国を訪問し、金正日総書記と会談し、「南北関係の発展と平和繁栄のための宣言」を公表しました。内容は、「休戦体制を終息させ恒久的な平和体制の構築。終戦宣言を進めるため4者首脳会談開催。核問題解決のための努力」などです。
事態は、共和国の核関連施設と核兵器廃絶・NPT体制への復帰、南北統一への加速、休戦協定からテロ支援国家指定解除、米朝国交正常化へと大きく動き出しました。日本政府も交渉を通して、2002年の「日朝ピョンヤン宣言」を基本に日朝国交正常化交渉を強化することが求められています。拉致の問題もその中で解決することが求められています。
在朝被爆者への補償を
10月6日から10日まで、原水禁の代表団は在朝の被爆者の実態調査と水害支援のため共和国を訪問しました。被爆62年になり、在朝の被爆者は「非核平和のための朝鮮人被爆者協会」が把握しているだけでも、被爆者は約1960人、生存者は900人余りで、現在、改めて調査中とのことでした。
日本国内の被爆者と共和国を除く在外の被爆者に対しては、被爆者援護法に基づきながら、不十分ではあるが一定の補償が実施されています。しかし、共和国の被爆者に対しては、国交正常化ができていないため、現在も放置されたままです。
彼らは、「日本政府による謝罪と補償を直ちに実施してほしい」と訴えていました。被爆後62年で被爆者は高齢化しています。猶予はありません。
水害に対する人道支援を
また朝鮮赤十字社を訪問したところ、8月中旬の水害で604人が死亡、被害者は約96万人、家を失った人は約17万人、農地の11%が被害を受けたという深刻な実態が報告されました。米国を含む世界各国の政府から人道支援を受けているとのことでした。
しかし、日本政府は「水害に対する人道支援」をいまだ実施していないばかりか、10月13日には共和国に対する「経済制裁の継続」を決定しました。日本政府の態度に悲しくなります。拉致の課題は、信頼関係を作りあげることの中でしか解決できないのは明白です。
もう一度「日朝ピョンヤン宣言」の精神に戻るべきです。正常化交渉の中で、両国政府の信頼関係を醸成し、拉致の問題の解決も図るべきです。安倍ではない福田自公政権に強く求めたい。