【インタビュー・シリーズ その25】
被害者の顔が見える戦争責任と戦後補償を
早稲田大学大学院客員教授・恵泉女学園大学名誉教授 内海 愛子さんに聞く

【プロフィール】
1941年東京生まれ。学生時代に日本朝鮮研究所所員。インドネシア国立パジャジャラン大などの講師を経て、恵泉女学園大教授を歴任。在日韓国・朝鮮人の人権・戦後補償運動を担う。専門は、日本アジア関係史、戦後補償論。日本平和学会前会長。アジア人権基金理事。戦時捕虜リサーチネットワーク共同代表など。

──内海さんの戦争体験はどういうものでしたか。

 空襲で空が真っ赤になっていたことをおぼろげに覚えている程度です。戦後の占領軍の印象が強く、巨大に見えた米兵への恐怖感があって、その後もアメリカ嫌いでした。最近、第五福竜丸展示館で、中学1年のとき私が久保山愛吉さんに出した手紙が出てきました。「原爆への補償もしないのにアメリカはビキニの水爆実験をした」と批判していました。自分の体験から考えても、感謝される占領はありません。それを考えれば植民地支配への朝鮮人の感情も少しわかってきます。

──学生時代の思い出や印象に残ることは。

 女性差別に抗しないと、大学進学も自分の道も開けない年代です。中学・高校は、良妻賢母をつくる女子校でしたが、文部省の教科書を使わない先生や砂川闘争を闘ってきた若い先生もいました。その影響で久保山さんに手紙を書いたのだと思います。私も教師になりたいと、先生を目標に勉強や活動をしました。
 早稲田大学入学が60年で、高校からいきなりロックアウトで何がなんだかわからなくて安保闘争を見ていました。構内に入れないまま、演説はよく聞いていて、夏の全学連大会に一人で行ったりしました。秋になって自治会や歴史研究会に入会し、反戦運動に参加しました。3年ぐらいまでそんな活動をしていましたが、行き詰りました。自分に心からの怒りがないのに、スローガンを叫んでいることに気づいて、自己嫌悪に陥り、方向を見失ったまま就職しました。
 悩んでいる時に「ドキュメント朝鮮人」(日本現代史の暗い影、藤島宇内監修、日本読書新聞編65年)を読んでショックをうけました。強制連行や関東大震災の朝鮮人虐殺も知らない、私たちの習った歴史は何だったか、女性差別に敏感な自分が、なぜ在日朝鮮人の差別は見えなかったか。そんなことを思い、もう一度勉強し直そうと早稲田の社会学に学士編入しました。

──「ドキュメント朝鮮人」で視野が広がったのですか。

 歴史学研究会で、朝鮮植民地支配のことは勉強したはずでした。知識はあったにもかかわらず、被害者の痛みも顔も見えなかった。そのドキュメンタリーで、多少とも心で考えられるようになりました。それで、在日女性の聞き書きのグループにも参加しました。在日の人たちからは「日本人は…」とよく批判されました。日本国のパスポートをもつ日本人として、朝鮮や在日の人たちに対する歴史的な責任がある、そう考えて、在日朝鮮人差別をテーマにしてきました。69年の出入国管理令の改悪反対運動では、在日への差別と同時に今問題になっている技能研修生の新設を問題にしました。在日に対する制度的な差別が強まる一方、日本企業の本格的な海外進出に対応する国境管理の変化がおこっている。その具体的なあらわれが研修生問題であり、入管法改悪だというのが私の位置づけでした。

──韓国・朝鮮人の元BC級戦犯との関わりはどこで。

 75年から2年間、インドネシアで教師をしたときに、「大東亜共栄圏」レベルで日本の戦争を考えるようになりました。バンドンには、朝鮮人が捕虜監視員として送られていました。その中にはBC級戦犯になった人も、インドネシアの独立英雄になった人もいます。
 戦後、インドネシア独立軍に入った日本兵が多数いることは知られていますが、私の滞在中にも「3人の日本兵」が独立英雄になりました。1人は朝鮮人で、元捕虜監視員でした。彼の調査をしているなかで、ほかにも10人近くの朝鮮人がインドネシア独立戦争で死んだことがわかりました。戦犯と独立英雄─対極のようですが、おなじ捕虜監視員でした。オランダが銃殺した一人は日本軍から逃亡して、独立戦争でつかまり銃殺され、その後、インドネシア共和国の独立英雄として顕彰されました。逃げそびれてオランダの戦争裁判を受けて死刑になった朝鮮人はBC級戦犯として韓国で指弾されてきました。英雄、戦犯を、一人一人の生き方の中で考えていきたいと思いました。
 BC級戦犯の問題はとくに日本の戦後処理とかかわっています。朝鮮人戦犯は、罪は日本人として受け、援護は外国人だから排除する。そのような処遇をうけてきました。巣鴨プリズンにいても、日本人の戦犯には盛んに慰問が来ますが、朝鮮人は日帝協力者だというので誰も来ない。日本の軍隊は植民地の青年を編入しています。アメリカもイギリスもフランスも植民地兵を編入していますが、戦後はしかるべき処遇をしています。戦争に動員しながらそれをしないのが日本です。ドキュメント「忘れられた皇軍」(大島渚監督、NTV63年)がそのテーマを扱っています。
 韓国朝鮮人のBC級戦犯は総数148人で、死刑23人、有期刑125人です。当事者はほとんど亡くなりましたが、オーストラリア裁判で死刑の判決をうけ、その後減刑になった李鶴来(イ・ハンネ)さん(同進会会長)を中心に、半世紀以上、日本政府に補償要求しています。自分たちを「ボロ雑巾」のように使い捨てた日本への怒りです。なぜ、朝鮮人が戦犯になったのか、彼らが問われた罪とは何か、日本に責任はないのか、かれらと国会議員へ説明したり、資料調査をしてきました。

──現在の中心テーマは何だと考えていますか。


東京都豊島区巣鴨(現在の東池袋)にあった巣鴨プリズン(拘置所)。多数の戦犯が拘置され、極東国際軍事裁判関係者の死刑が執行された。現在は池袋サンシャインシティとなっている。

 なぜ韓国や中国が靖国公式参拝に抗議するのか、それを説明できる戦後史の認識が必要と思います。ポツダム宣言の戦争犯罪の追及と賠償という2本柱は、ともに冷戦で不十分となり、私たちは加害責任を自覚化しないできました。法務総裁(現法務大臣)が戦犯を国内法上の犯罪人ではないとの見解を出すのは、サンフランシスコ講和条約発効3日後です。刑死した戦犯は、死刑ではなく公務死とされ、軍人恩給や援護法の年金の対象となり、靖国に合祀されます。
 戦犯のなかに、こうした動きや再軍備と引き替えの釈放はいらないと拒否した人たちがいます。私は「スガモプリズン―戦犯たちの平和運動 」(吉川弘文館04年)で書きましたが、戦犯が戦争犯罪を考え抜いている。その手記が「壁あつき部屋」(理論社53年)で、安部公房の脚本で映画「壁あつき部屋」(小林正樹監督、松竹配給56年)が制作され、A級戦犯などの戦争指導者を強く批判しました。やはり戦犯の手記を橋本忍が脚色したのが、岡本愛彦監督の「私は貝になりたい」(TBS58年)です。いずれも巣鴨で、自分たちがなぜ侵略戦争に加担したかを見直し、再軍備反対運動をしていた人たちの手記をもとにしています。

─戦後補償では当面、何が課題ですか。

 戦後補償問題は、90年代から「慰安婦」問題を通して大きなうねりになり、裁判も全部で80件を超えました。判決では負けても、西松訴訟のように企業責任を求めた付言をもとに、新たなとりくみがつづけられています。東京大空襲裁判のように、日本人の戦争被害者の主張も広がってきました。民間の被害者には補償ゼロなのに、なぜ軍人には補償があるのか。おかしい問題です。世界の34ヵ国を相手に戦争したので、全体像はなかなか見えませんでしたが、被害者が声をあげることで、視野が広がってきました。戦後補償の裁判や運動にかかわり当事者の証言を記録したり、関連資料を調べて証言を裏付ける作業をすることは大切です。

──若い人たちや平和フォーラムに提言を。

 動きながら考えることです。日本でも、アジアでもアメリカ、オーストラリア、イギリスなどどこへいっても日本の戦争と関わります。現在の平和を戦争の歴史の文脈の中において考え、被害者の顔を通して平和を論じていけば、具体的に問題をとらえられるのではないでしょうか。アジアや日本の被害者の声を心で感じていくことが大事だと思います。

〈インタビュ─を終えて〉
 たいへん元気に、日本のアジアへの侵略の歴史を語る。戦争責任と戦後補償をどうするのか。抽象的な議論ではない。具体的な事実、証人と向き合い、そこから出発することが重要と語る。私たちが向き合わなければならない現実と果たさなければならない責任は重い。
(福山真劫)


【集中連載】STOP! 原子力空母の横須賀母港化〈3〉
配備延期が決まった原子力空母ジョージ・ワシントン
母港化阻止実現をめざして これからが正念場

火災事故で9月下旬以降になる見通し

 8月19日に横須賀基地への配備が予定されていた原子力空母ジョージ・ワシントンは、5月に発生した火災事故によって配備の延期が正式に発表されました。7月初めに、在日米海軍司令部は「配備が9月以降にずれ込む」とし、米海軍太平洋艦隊のボブ・ウィラード司令官は記者会見で私見であるとしながらも、配備は「9月下旬以降」とする見通しを示しています。
 狭い船内に原子炉が置かれて、絶えず振動や衝撃にさらされる原子力空母。ひとたび原子炉事故が起これば、基地で働く人々に限らず、首都圏にいる多くの人々に大きな被害が及ぶことは間違いありません。当初、ボヤだと言われたこの火災事故は、実際には配備が延期されるほどのひどい事故だった訳です。
 しかも、原子力空母が「危険ではない」という理由が、「米国が安全だと言っているから」とされるだけのお粗末な状況下にあって、まるで今後起こりうる、事故のデモンストレーションを見せつけられたような事態でした。今回の状況から、配備後に事故が起こっても、実際に被害が広がるまでは、私たちには何も知らされないということになります。

米軍の出撃拠点の機能が強化される


横須賀基地の米海軍イージス艦と警備艇

 横須賀基地に配備され母港化されれば、ただそこに存在しているだけで、市民の生活を危険にさらす原子力空母ですが、もう一つの側面として、横須賀基地の機能強化ということもあります。
 横須賀に空母が初めて配備されたのは1973年のことです。当初、日本政府は「おおむね3年」としていましたが、以来空母は交代しながら、横須賀に押しつけられています。そして35年目の今年、原子力を燃料とする空母ジョージ・ワシントンが、通常型空母キティホークに代わって配備されることとなったのです。
 イラク戦争のとき、横須賀から出撃した米軍空母の戦闘機が、最も多くの攻撃を行いました。最初にイラクにミサイルを発射したものも横須賀のイージス艦でした。さらにさかのぼって、湾岸戦争のときも横須賀の米軍艦が攻撃の中心を担いました。このように、すでに横須賀が米軍の出撃拠点とされています。原子力空母の配備を許せばその傾向が一層顕著になることでしょう。そのことが全国の港にも米軍艦が入港することを許してしまうことにつながるのです。

高まる市民の意識 現地でゲンキに活動


会場を埋めつくした集会参加者(7月19日)

 7月19日に横須賀で開催された「原子力空母の横須賀母港化を許さない全国集会」は、全国から会場一杯の1万5千人の参加者で大きく盛り上がりました。この間、現地闘争本部では街宣活動を中心に元気に準備を行ってきました。
 2回にわたる住民投票の成果もあってか、街宣中に多くの人々がチラシを受け取ってくれ、中には自分からチラシをもらうために近づいてくる人もいました。小さな子どもを自転車に乗せて、両手がふさがっていながらも、「(チラシを)カゴの中に入れてくれませんか?」と声をかけてきた若いお母さんの姿が印象的でした。
 普通の市民が、普通に暮らしていくためにも危険な原子力空母の配備は何としても阻止しなければなりません。これからが本当の正念場です。

具体的な成果示さないG8サミットに批判高まる
国内外のNGOが一堂に会して活動展開

過剰な警備に批判が相次ぐ

 7月7日〜9日に行われたG8サミット(主要国首脳会議)は、異様な警備に囲まれた中で開かれました。サミットに平行して、国内外の市民団体などが主催する集会やイベントに参加するために、日本の在外公館にビザ査証の申請を行った海外の参加者予定者に対して、理由不詳のままビザ発給が拒まれました。また、多くの海外ゲストに対して、空港の入国審査において数時間に渡る事情聴取が行われ、20名以上が入国を拒否されました。特に、韓国の農民団体、労働組合には徹底的に入国を拒み、総計24名が理由もなく、新千歳空港内の狭い部屋に数日間に渡って監禁されました。
 さらに、札幌市などのデモ行進では、数万の機動隊が盾で参加者を抑圧し、合法的なデモ参加者と報道関係者を逮捕するという事態に至りました。全国の主要都市でも、私服・制服の警備関係者の姿がいたるところに見られ、「日本はいつからこんな警察国家になったのか」と、仏の反グローバリゼーション理論家で、自らも成田空港で4時間の尋問を受けたスーザン・ジョージさんは憤りました。「地球環境の悪化や貧困、食糧難が大きな問題となっているこのサミットのために、これほどの人員とエネルギーを費やすことに、疑問を感じる」と、市民団体のG8サミットNGOフォーラムも、過剰な警備を批判しました。

自由貿易が食料危機を招くと国際シンポ


市民など5000人が参加した集会(7月5日・札幌)

 サミットそのものには成果があったのでしょうか。焦点のひとつとなった地球温暖化について、政策提言を行ってきた気候ネットワークは、「宣言は、何ら具体的な成果を示すことのない、あいまいな全く中身のない文章のみを残すことで終了し、結局、多くの首脳の時間を浪費しただけとなった」と厳しく批判しています。世界最大の環境団体のWWFも、「G8が気候変動問題への取り組みで責任を回避した」と非難し、「2050年の目標は不十分であり、温室効果ガス排出量のより大幅な削減が必要」と声明を発表しました。
 もうひとつのサミットの焦点となった、食料問題について、平和フォーラムは札幌市内で、オーストラリア、タイ、インド、中国(香港)の農民や市民団体代表を含めてシンポジウムを開きました。「インドでは農業経営が苦しくなって、10年間に農民が15万人も自殺している」「国際的なコメ価格の暴騰が続いているが、利益は流通業者が奪って、タイ農民の経営はより苦しくなっている」「オーストラリアは各国と貿易の自由化を進めているが、石炭の輸出増による地球環境悪化を招いている」などと、自由貿易を進めるG8の姿勢は、ますます食料と環境問題を深刻化させていると批判が相次ぎました。
 その上で、1)食料危機に対しては農産物貿易の拡大を改めることがまず必要であり、WTO(世界貿易機関)交渉の中止、日豪FTA(自由貿易協定)交渉の中止を要求する、2)世界各地の食料危機の原因は農産物輸出国、多国籍穀物メジャー、種子企業などによる世界戦略にあり、それに加えてマネーゲームの横行も混乱を拡大させており、この構造を変えていく必要がある、3)各国の食料主権を尊重すること、等を確認しました。

新自由主義に反対する世界のNGOが結集

 この他、アフリカなどの貧困・開発問題や、核軍縮などの人権・平和問題でも成果は見られませんでした。G8のあり方を批判している「G8サミットを問う連絡会」は「非公式な政府の集まりとして1975年に設立され、30年以上が経過して、この体制は民衆および地球の幸福の進展にとってきわめて重大な足かせになっている」(同連絡会の閉会宣言)と批判しました。
 その一方、貧困問題などに直面する日本の若者たちが数多く活動に参加を始めたことや、新自由主義に対する「もうひとつの世界のありかた」を模索する国内外のNGOが一堂に会したことなどを成果として強調しています。

合成洗剤追放第30回全国集会を秋田で10月開催
“きれいな水といのちを守る”ために議論と行動を!
合成洗剤追放全国連絡会 事務局長 和田 滋

 私たちの運動は、会の名称が示すとおり“きれいな水といのちを守る”ことが目的であり、そのために一番身近で多くの人が使用する洗剤・洗浄剤に着目し、家庭の排水口から地球環境を見つめ、それらの実践を通じて有害な合成洗剤追放運動を進めてきました。
 1974年11月に東京・社会文化会館において「きれいな水といのちを守る合成洗剤追放第1回全国集会」が開催され、「合成洗剤追放全国連絡会」が結成されました。「全国連絡会」は、労働団体と市民団体および住民が共通の課題・目的を持って、全国的な規模で運動を継続している数少ない組織です。
 この間、全国連絡会は、全国集会を通じて、各地で起こっている合成洗剤や有害化学物質などをめぐる問題の共有化と、国や自治体、メ−カ−などに対する要請を行うとともに、各地域や団体、個々人が関わっている運動の情報交換などを行ってきました。また、2年に1回、全国持ち回りで全国集会を開催することで地域運動のきっかけ作りなどを図ってきました。

世界的に「水」の重要性が叫ばれる時代

 いま、世界そして日本の環境を取り巻く状況は、さらに厳しさを増しています。世界のいたる所で異常気象が頻繁に発生し、多くの人が犠牲となっています。そして、アフガニスタンやイランの戦争状態、中東における紛争など戦禍の火が消えることなく、多くの尊い人命が失われています。戦争は最大の環境破壊です。改めて、戦争の愚かさと、自然を守る取り組みの大切さが問われています。
 一方、21世紀に入り、「水」の重要性、大切さが改めて認識されています。人だけでなく、地球上のあらゆる生物にとってなくてはならないのが「水」です。その水が各地では深刻な状況を迎えています。世界では5人に1人が水を十分に利用できない暮らしをしています。また、5人に2人がトイレなどの設備を利用できず、非衛生的な生活をしています。
 水へのアクセス改善が乳幼児死亡率問題や貧困問題の解決につながり、水の効率的利用が人口増に伴う食料問題の解決につながるカギです。さらに、地球温暖化問題も最重要課題となっています。

秋田の水汚染も集会の課題に


水質改善のため八郎湖のヨシ原復元の環境学習(秋田)

 このような中、30回の節目の「きれいな水といのちを守る合成洗剤追放全国集会」を10月11日(土)〜12日(日)に、秋田市の秋田テルサ(秋田勤労者総合福祉センタ−)において開催します。メインスロ−ガンは、「かけがえのない生命と地球のために あなたができること」、サブスロ−ガンは、「米どころ、酒どころから考えよう山・川・湖(うみ)へと渡る水」です。
 1日目の全体集会では、東京医科歯科大学名誉教授の藤田紘一郎さんから「日本人の清潔がアブナイ─きれい好きの功罪検証─」と題する記念講演を受けます。また、秋田の八郎潟干拓地周辺の八郎湖の汚染問題などの特別報告もあります。さらに、2日目は5つの分科会で、課題別に報告や意見交換などを行います。
 秋田市は昨年、水道開設100周年を迎え、市民・住民の水に対する理解が深まり、期待が高まっています。また、昨年6月に、日本海沿岸、特に秋田から青森にかけて赤潮が発生したり、八郎湖も大量のアオコが発生して、昨年、湖沼法の指定を受けました。これらは、秋田県民に大きな衝撃を与えました。
 日本や世界においても、21世紀の重要な課題である「水」をめぐる議論が多くのところでおこなわれています。そのことからも、この集会は大きな意義を持つ集会であり、多くの皆様の参加と共に議論をおこないたいと考えております。ぜひ、積極的な参加をお願いいたします。

被爆者支援のために原水禁が北朝鮮を訪問
高齢化する被爆者─早急な援護が必要に

放置される在朝被爆者

 在外被爆者の中で、日本との国交がないために、補償や援護が一切なされていないのが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の被爆者たちです。広島・長崎で被爆した背景には、日本による朝鮮人の強制連行などの植民地政策があります。被爆者問題と同時に戦後補償の観点からも問題にしなければなりません。
 現在の在朝被爆者数は、20007年末の時点で1911人に上り、このうち80%にあたる1529人が既に死亡し、生存者は382人であることが「反核平和のための朝鮮被爆者協会」の調査(06年12月〜07年12月)でわかりました。被爆者は高齢化し早急に援護が求められています。
 そのような状況を踏まえ、6月24日〜26日にかけて原水禁と在朝被爆者支援連絡会は、被爆者支援の具体化にむけた協議と被爆者自身の聞き取り調査をするために北朝鮮を訪問しました。6月25日に平壌において「反核平和のための朝鮮被爆者協会」から、先の実態調査の具体的な内容の報告を受け、いまも新たな被爆者が判明していることが明らかになりました。
 さらに被爆者の病気の現状も報告され、医学科学院による被爆者200名を対象にした調査では、循環器系(40.6%)、脳神経(34.4%)、消化器障害(30.5%)、感覚器(30.5%)、末梢神経(21.7%)、呼吸器系(16.5%)、皮膚病(9.1%)、がん(7.8%)、打撲火傷(6.6%)、造血器(4.6%)、内分泌(3.3%)の疾患にかかっており、状況は極めて厳しいことが明らかにされました。

体調不良が続く被爆者の聞き取り

 今回、5人の被爆者(うち1人は被爆二世)と面談し、3人の方々から詳しい聞き取りを行いました。

呂 一淑(リョ・イルスク)さん
 1933年10月14日生まれ。広島で被爆し、当時は、安芸郡船越小学校の6年生。広島へ父と弟と3人で入市し、被爆。被爆した後から40度を超える高熱と下痢とともに貧血が続く。1973年に北朝鮮に帰国。いまは高血圧と貧血、膀胱炎に悩まされているとのこと。一緒に入市被爆した弟が広島の宇品に住み、被爆者健康手帳の交付を受けています。

孫 敬淑(ソン・ギョンスク)さん
 1945年2月22日生まれ。広島県祇園町の兄の妻の実家で被爆、家の中にいて外の納屋まで吹き飛ばされたが、大きな怪我はありませんでした。父母も兄夫婦も日本にいて被爆者健康手帳を取得しているといいます。数年前から歯茎から出血が続き、さらに7〜8年前から脳血栓循環障害を患っているとのことです。

李 徳任(リ・トギム)さん
 広島被爆者・李文溶(リ・ムニョン)の長女。被爆二世。父は強制連行で広島へ連れて行かれ、市内中心部の木造建家で作業中に被爆。3日後に意識を取り戻しました。その後の発熱と脱毛、全身のできものなど症状を示したということです。1945年に帰国するも、病気がちで1979年に肺ガンで死亡。子どもは第1子、2子とも死産で、1952年に3人目の李徳任さんが生まれました。頭が非常に大きく、下半身が小さく、2才になるまで歩けず、いまもよく歩けないとのこと。被爆二世に対しても日本は責任をとるべきだと語りました。

日本政府の責任ある対応を


訪問団の向井団長(前列中央)と被爆者(前列女性)

 北朝鮮には被爆者が存在し、これまで日本政府も2000年に当時の小渕首相が日本で北朝鮮の被爆者協会のメンバーと会い、その後、2001年には、外務省・厚生労働省などによる政府調査団が訪朝し実態を調査してきました。しかしその後の日朝関係の悪化により、これまで何の対策もありません。今年6月に援護法が改正され在外被爆者の健康手帳交付が在外公館でも行えることになりましたが、国交のない北朝鮮の被爆者は、枠外として放置されたままです。
 このように、本気で在朝被爆者を援護しようという姿勢がみえず、このままでは、何の援護もないまま在朝被爆者は死に絶えてしまいます。「被爆者はどこにいても被爆者」であり、差別なき援護を求めることが重要です。日本の戦争責任を果たす上でも人道的立場から政府が率先して動くことが求められています。

全国に拡げよう! 上関原発建設反対の声
1000回を数えるデモ行進。中国電力は計画強行へ
広島県原水禁 常任理事 木原 省治

 中国電力が山口県熊毛郡上関町に原発を建設しようとする、上関原発建設計画が起こったのは、1982年頃のことです。計画が浮上して今年で26年が経過しています。建設反対運動の拠点といわれている上関町祝島は、建設予定地の対岸約3.5キロの距離にある、お椀をひっくり返したような島です。
 原発問題が浮上した当時の島の人口は、1300人を超えていました。その当時の島の反対組織は「愛郷一心会」とい名前で、文字通り「愛する郷土のために心を一つにする」という気持ちから付けられました。現在は約500人強の人たちが住んでいます。
 島では、1982年11月頃から毎週月曜日の夕方、「上関原発絶対反対」の島内デモが始まりました。雨天などを除いて毎週行われるこのデモは、原発建設反対をアピールするとともに、島内の人たちの「反原発」の気持ちを固めるデモといえるかもしれません。 

26年間のデモを支える女性のパワー

 「原発絶対反対エイエイ オー!」「きれいな海を守ろう」などの声を張り上げながら行われる島内デモが、この6月で1000回に達成することになりました。そのため6月14日「上関原発反対!デモ1000回記念行動」が、島内はもちろん、島外からも山口、広島、大分などの人たちも参加して、総勢350人で行われました。
 「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の山戸貞夫代表が「26年間、強引な手法で進められてきた計画を阻止するため、今後も頑張っていこう」とあいさつ。原水禁山口県民会議などのあいさつの後、いよいよデモの出発。
 デモの先頭は島の女性たちで、なんといっても元気の良いのは女性たちです。デモ隊は、漁港沿いの広い道から集落の細い路地に入ると、一段と女性たちの声が大きく聞こえます。26年間このデモを続けられたのは、まさに女性たちの支えだと思います。

予定地の埋め立て申請。希少生物の死滅の恐れ

 この『記念行動』が行われた3日後の6月17日、中国電力は上関原発予定地の埋め立て申請を、突如山口県に行いました。海面約14万uを埋め立てるというものです。
 埋め立てが計画されている海域は、祝島の主力産業である漁業にとっては非常に大切な漁場です。タイ・メバル・ハマチ・イカ・タコなどの多くの魚類をこの海域から水揚げしています。また世界最小のクジラである「スナメリ」をはじめ、せきつい動物の祖先といわれるナメクジウオ、世界的にも希少なカクメイ科のヤシマイシン等の貝類が生息している、世界的にも貴重な『生き物の宝庫』と言われています。
 埋め立てが行われると、これらの生物たちは死滅してしまう恐れがあります。
 この埋め立て申請に対して、祝島の人たちは早速、6月27日に行われた中国電力の株主総会に合わせて広島の中国電力本店前で抗議行動。引き続いて、山口県庁に向かい抗議を行いました。
 山口県議会で二井関成県知事は「祝島の住民と直接話し合う」ことを求めた県議の質問に対して、あっさりと拒否の答弁を行い、中国電力の山下隆社長は株主総会後の記者会見で「祝島の同意が得られなくても計画は進める」と言い放ちました。
 祝島の人たちが、中国電力本店前で配ったチラシには「上関原発反対!瀬戸内海と離島に住む人々を皆さんで守ってください!」と書いてあります。島の人から「被爆地広島に住む人たちは、私たちが原発建設に反対する気持ちを一番わかってもらえるだろう」と聞きました。この言葉に大きな衝撃を受けるとともに、改めて「上関原発を許すまい」という気持ちを強くしています。「上関原発の建設計画反対」の声を全国に広げ、是非とも計画を白紙撤回させたいと思います。

米、テロ支援国家指定解除へ
北アジアの新時代始まる

加速する朝鮮半島非核化への動き

 6月26日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が核計画の申告書を、6ヵ国協議の議長国・中国に提出したことを受け、ブッシュ米大統領はテロ支援国家指定解除を決定し、議会に通告しました。
 この北朝鮮の核計画の申告書提出は、05年9月19日に合意された朝鮮半島の非核化を目標とする「6ヵ国協議共同声明」(9.19共同声明)に基づくものです。
 これまで北朝鮮の非核化への動きは、進展するかに見えると、米国・ネオコン派から妨害が入って動きが停滞・中断という事態が繰り返されてきました。ブッシュ大統領自身、北朝鮮の核廃棄実現に重きをおく現実派と、北朝鮮の政権の弱体化から崩壊をめざすとするネオコン派との間で揺れ動き、北朝鮮との直接交渉を拒否してきました。
 こうしたなか、北朝鮮は06年10月9日に地下核実験を行ったのです。ブッシュ大統領の拙劣な外交がもたらした結果といえます。
 しかし、任期が少なくなったブッシュ大統領は、07年に入って方針を転換します。07年2月に6ヵ国協議が再開され、2月13日に「共同文書」(2.13共同文書)が採択されます。
 その後も妨害は続きますが、中国、ロシアの仲介などがあり、北朝鮮による核放棄の初期段階として、寧辺の黒煙減速炉、放射化学研究所(再処理施設)、核燃料製造施設の稼働停止、封印などが行われ、国際原子力機関(IAEA)の査察も実施されました。
 さらに07年9月30日、10月3日と開催された6ヵ国協議首席代表者会合で、北朝鮮の核3施設を無能力化することで合意。核燃料棒の抜き取り、冷却水槽への貯蔵など、無能力化は順調に進展し、08年6月の核計画の申告書提出となったのです。

日本は合意に基づく支援が求められる

 ここで私たちが確認しておきたいことは、9.19共同声明、2.13共同文書では、北朝鮮の核廃棄(非核化)ではなくて、1)「朝鮮半島の非核化を目的とする」ことを明確にしたこと。2)北朝鮮が一切の核兵器と核計画を放棄し、核拡散防止条約(NPT)に復帰し、IAEAの査察を受けることに合意したのです。
 これに対応して、米国は3)北朝鮮のテロ支援国家指定を解除する作業を開始することに合意し、日本と北朝鮮は4)日朝共同宣言に従い、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決することを基礎に国交正常化のための協議の開始を合意したのです。
 さらにこれらの合意が、同時行動の原則に基づいて実行されるということです。
 2.13共同文書では、初期段階と核施設の無能力化を含む次の段階の期間中、北朝鮮に上限100万トンの重油に相当する経済、エネルギー、人道支援が提供されると明記されており、共同文書に署名した日本は、拉致問題に関係なく経済、エネルギー、人道支援を行う義務を負うことになります。
 北朝鮮は日本との直接交渉で、拉致被害者の再調査を約束しましたが、北朝鮮が米国との交渉で、同時行動の原則を貫いたことを考えると、拉致問題の解決なくして支援なしの姿勢では、なかなか事態は動かないでしょう。被害者家族にとっては辛く納得できないとしても、日本は9.19共同声明、2.13合同文書に署名しているのです。

東北アジアの安全保障へ市民の運動を

 2.13共同文書では5つの部会の設置が合意され、その一つに「北東アジアの平和と安全保障メカニズム」の設置があります。また「初期段階の措置が実施された後、共同声明の実施を確認し、速やかに閣僚会議を開催し、地域の永続的平和と安定のため共同の努力を行う。当事者は適当な話し合いの場で朝鮮半島の恒久的平和体制を協議する」と述べています。
 ライス米国務長官もまた「6者協議の枠組みを、北東アジアの平和と安全保障に関するメカニズムとして制度化することで、この地域における最初の安全保障フォーラムに向けた第一歩としたいと考えている」(フォーリン・アフェアーズ・日本語版、2008.6)と述べています。この構想は09年に誕生する米・新大統領にも引き継がれるべきでしょう。
 米国は冷戦のさなか、アジアに対しては2国間協議だけを求め、多国間協議は一貫して拒否してきました。しかしいま6ヵ国協議の進展のなかで米の2国間協議体制が崩壊し、新しい時代がアジアで出現しようとしているのです。
 日本はこの新しい状況のなかで積極的な関与を果たさなければなりません。しかし 自公政権はこの状況に対応できず、孤立しようとしています。
 私たちの運動や市民が、この状況を理解し、運動にしていくことが求められています。

★☆★☆★☆【本の紹介】★☆★☆★☆★

徹底批判G8サミット
ATTACフランス編


2008年 作品社刊

 今年のG8サミット(主要8ヵ国首脳会議)は、北海道・洞爺湖で行われました。かかった経費は600億円以上ともいわれ、首脳一人当たりでは100億円近くを使った政治ショーが行われたと言わざるをえません。
 しかし今、サミットは、世界の反グローバル・反戦平和を求める市民運動の中心的ターゲットとなっています。死者も出した2001年のイタリアでのジェノバ・サミット以降、世界から多くの人々がサミット会場近辺に押し寄せ、抗議行動がくり広げられています。今年も1万人近くが北海道や各地の関連会合も含めて行動に参加しました。
 なぜ世界の人々は、サミットに反対するのでしょうか? 本書は、1998年にフランスで創設され、現在、世界50ヵ国以上に設立されているグローバルNGO団体である「ATTACフランス」が、サミットの歴史、いかにサミットが世界を変えてきたか、そして、いかに世界の人々が反対しているかをまとめた、初めての書です。そこでは、「G8サミット」は、国際法に何の規定も根拠もなく、また国連など国際機関から何の権限も与えられていない“非公式な会議”にすぎないこと。それにもかかわらず、サミットは世界の指導者を自称し、国連がなすべき役割を奪い、この34年間、新自由主義的な経済政策を世界に押し付けてきたこと。そしてその結果、途上国は重い債務を負い、貧困と飢餓に追い込まれ、先進国でも非正規雇用者や失業者が大量に生み出され、格差化が進んできたことが様々な角度から検証されています。
 こうした批判や動きは、日本ではほとんど報道されていませんが、札幌などに集った各国のNGO活動者からは当然の前提として語られます。「G8は私たち民衆を邪魔している。今こそまさに、リッチかつパワフルなこのマフィアを解体すべき時である。団結かつ連帯して、北海道洞爺湖サミットを最後のG8にしよう」(「G8サミットを問う連絡会」宣言より)も、決して誇張ではないことを実感させられます。
〔215ページ/1,800円〕

(市村 忠文)

★☆★☆★☆【映画評】★☆★☆★☆★

つくられる自白
〜志布志の悲劇
(08年・池田博穂監督)

 昨年日本でヒットした痴漢の冤罪をテーマにした映画「それでもボクはやってない」(脚本・監督周防正行)は、日本の「代用監獄」の問題点を明らかにしたものとして、07年5月、国連拷問禁止委員会の開かれていたジュネーブでも上映され、関係者から高い評価を受けました。そして、同委員会は、日本の「代用監獄」について、「無罪推定の原則、黙秘権及び防御権を尊重しないこととなり得るものである」との強い懸念を示し、日本政府に対して、ただちに制度を見直し、警察において拘禁できる最長期間を国際的な最低基準に適合させるよう求めました。
 ただ、映画は創作なので日本の中でも外国でも、こんなばかげたクレージーなことが本当にあるのか、作り話ではないかという感想が少なからずありました。そこで、日弁連が制作したのが、この短編ドキュメンタリー映画「つくられる自白〜志布志の悲劇」です。実際に起きたえん罪事件をドキュメンタリー映画にしたもので、題材となった「志布志事件」は、2003年4月の鹿児島県議会議員選挙で志布志町(現・志布志市)から初当選した中山信一さんが票を買収したとされ、公職選挙法違反で合計13名もの人たちが起訴された事件です。
 2007年2月、鹿児島地裁は自白の信用性を否定し12名全員(1人は公判中に死亡)に無罪が宣告されました。漫画「家裁の人」原作者の毛利甚八脚本、池田博穂監督で、無罪となった住民自らが出演し、取調べの様子を生々しく証言するとともに、任意取調べという名の下で連日12時間以上もの長時間の取調べが行われたり、警察署の留置場を「代用監獄」にした長期勾留や自白を強要する過酷な取り調べ、家族のことを勝手に書いた紙を踏ませる「踏み字」など、事件で明らかになった捜査の問題点を45分の短編にまとめました。被害者が裁判で証人として出廷する直前に検察官からかかってきた「勝手なことはしゃべらないように」という内容の電話を録音したテープも初めて公開されています。判決が自白の任意性を認めている等の問題点が明示されていないなどの問題点もありますが、裁判員制度の始動前に見ておきたい1本です。
〔DVD版/税込2,415円〕

(五十川 孝)

★☆★☆★☆【投稿コーナー】★☆★☆★☆★

農村現場から
「水田振興新法」を提案する
秋田県労農市民会議顧問(農民) 高橋 良蔵

年々減少する米消費 アメリカの食糧戦略

 昭和30年はじめの頃、日本人は1人あたり100sの米を食べていました。それが40年代に入って、消費がガタガタと落ち込み、1年に2sずつ減り続け、2003年には、ついに59sに減退しました。このままでいくと30年後には、日本の水田農業は7割減反となり、農業の持続が困難になると予感されます。
 この40年間に、日本人は年間400万トンの米を食べなくなってしまいました。日本人の米離れ、食生活を変えた大きな原因の1つは、1953年に結ばれたMSA協定(相互安全保障法)だと言われています。これは正にアメリカの食糧戦略でした。その証拠の1つに、アメリカの資金援助でキッチンカーなる立派な車12台を買い込んで、全国各地で食生活の洋風化、パンや小麦粉を食べることは文化だと誘導して回りました。「昭和31年から4年間で、全国で2万回もの講演会を開き、キッチンカーの走行距離も実に57万5千q。地球14周に相当する距離を走り回った」という資料があります。
 こうして、1955年から学校給食が始まり、米、みそ、納豆、野菜、魚を主とする日本の米飯から、小麦粉、パン、肉食など洋風化の食習慣へと除々に移行してきました。このようにして、日本人の胃袋の半分以上は米を食べなくなり、この半世紀の間に胃袋の半分をどこかの国にまんまと占領されてしまいました。
 米の消費量が70sを切る頃から、ガン患者、肥満、糖尿病など、かつての日本人の体質にあまりなかった病気が多発するようになりました。この30年間、日本の医療費は膨張の一途を辿り、現在は国家予算の3分の1の30兆円を超えるようになりました。
 いま日本で消費されているパン、ラーメンなどの原料小麦の需要量は、およそ550万トン。国内産小麦は80万トン足らずで、500万トン前後はアメリカ、カナダ、オーストラリアからの輸入でまかなっているのが実情です。500万トンの輸入小麦が日本人の胃袋を満たし、その分、米を食べなくなり、米の過剰を作り出し、40年もの間、減反の拡大を繰り返してきました。
 加えて日本の畜産は、トウモロコシを中心に飼料穀物を2000万トン(90%)も海外からの輸入に依存しているのが実情です。この2つが絡み合って、日本農業の混乱と荒廃、担い手が育たない、食料自給率が極端に低いなど、悪循環を繰り返してきました。
 水田は、洪水防止、国土保全、外気温の調整、稲による酸素の放出、地下水の供給、景観の保全など、計り知れない多面的な役割を果たしています。金額に換算すると、実に8兆2260億円と評価されています。しかし、山間地の作付放棄に限らず、平坦部の美田でさえも作付け放棄に追い込まれ、その面積は年々拡がって、いまや40万ヘクタール(秋田県の水田面積の4倍)を超えると言われています。

輸入小麦・飼料を国産の米・稲に替えるべきだ


担い手不足・過疎化が深刻な山間地農業(徳島)

 そこで、私は日本人の生命の源である水田を、後世に引き継ぐため、次の2点を提案します。  第1は、輸入小麦550万トンの30%(約165万トン)を国内産の良質米による米粉に切り替え、パン、めん、うどん、菓子など、需要の多い商品の原料として活用することです。既に、輸入小麦と遜色のない微細粒粉末製造の機械が開発されています。山崎製パン系列の幹部にパンに米粉の分量を何%混ぜることができるかを聞いたら、20%でも40%でも対応できる技術はある、と答えたそうです。
 第2に輸入飼料穀物2000万トンの20%(400万トン)を飼料稲の栽培に切り替えることです。飼料としての稲の利用は、ホールクロップサイレージ(イネの茎葉部分と米の部分を一緒に収穫して飼料にする)など様々で、家畜への効果も農家の現場で体験しています。
 以上のようにして、600万トンの新たな需要拡大を実施すると、減反も過剰米も解消することになります。これを国の「水田振興新法」(仮称)として立法化し、予算を裏付けて実施すべきです。
 これが農村現場から提案する水田を潰さない農業改革です。予算の裏付けが欠けていると言われますが、私は、5兆円にのぼる国防費の1割を振り向けて、荒廃田の防止と食の安心・安全、食料自給率向上を図るべきであると提案します。武器弾薬より優先して農業に財政負担をすべき時です。

【新刊案内】
東京湾の原子力空母
─横須賀母港化の危険性
原子力空母横須賀母港化を許さない全国連絡会 編
A5判/134ページ 定価:1500円+税(新泉社)

本当に大丈夫? 原子力空母

 安全審査を行わない、原子炉が東京湾に浮かぶ。活断層が走る三浦半島で大地震が起こったら、原子力空母は、そして首都圏はどうなるのか!
【目次】
 なぜ横須賀に原子力空母なのか/空母原子炉の危険性/大地震と原子力事故/母港化をやめさせるには
 ※平和フォーラムでも取り扱いをしています。




ナビ 平和への誓いをもう一度

広島、長崎から

 広島、長崎に原子爆弾が投下されて、63年目の8月がまたやってきます。一瞬にして20万人を超える人々が亡くなり、そして現在まで広島の原爆死没者名簿には253,008人、長崎の原爆死没者名簿には143,124人(ともに07年8月現在)の名前が書き込まれています。そして20万人を超える被爆手帳保持者の皆さんが、いまも生活と健康不安の中にあります。被爆二世や三世の課題もあります。在外被爆者の課題もあります。
 原水爆禁止日本国民会議は、今年も広島、長崎で原水爆禁止世界大会を開催します。広島、長崎に行こう。そして広島、長崎で63年前に起こった事態を体全体で学びとろう。犠牲になった方々の悲しさと「どんな言葉をもってしても表現しきれない」怒りをわがものとしたいものです。そして私たちに課せられた任務をもう一度確認し、再出発したいと思います。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウオー

アジアから

 8月15日は終戦記念日です。1945年の8月15日、この日まで、日本は朝鮮半島から中国大陸、インドシナ半島、台湾、フィリピン、太平洋へと侵略戦争を続けました。とりわけ朝鮮や中国の人々に「何度お詫びをしてもお詫びのしきれない事態」を引き起こしました。侵略の過程で、何百万人の人々を殺し傷つけたのでしょうか。どれだけの土地と財産を奪ったのでしょうか。どれだけの都市や町や村、自然を破壊したのでしょうか。日本政府とそれを許してしまった「私たち」は加害者なのです。
 1995年8月15日の村山首相談話には「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」「深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません」とあります。これが政府の見解です。
 平和フォ−ラムは、8月15日、千鳥ケ淵戦没者墓苑で「戦争犠牲者追悼、平和を誓う集会」を開催します。村山首相談話の通り、日本と「私たち」が「多大の損害と苦痛」を与えた人々に思いをはせ、「平和の誓い」をしたいものです。広島の原爆慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」、憲法前文には、「政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」と書き込まれています。
 その日本と私たちは、予算規模で世界第5位の軍事力を保有し、イラク、インド洋へ自衛隊を派兵し、米軍を北海道から沖縄まで展開させています。そしていままた米軍とともに戦争をする体制を打ち固めるための「米軍再編成」を進行させています。そして横須賀には、原子力空母の配備も決定されています。暑い夏に今もう一度、平和への誓いを。

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