インタビュー・シリーズ その20
「打って出よう!」を合い言葉に多数派形成を
日本私鉄労働組合総連合会 書記長 渡辺 幸一さんに聞く
【プロフィール】
1954年横浜市生まれ。高卒後、帝都高速度交通営団(当時)に入社。90年から同労組の専従役員、2002年から私鉄総連中央執行委員、06年書記長就任。将棋はアマチュア2段の腕前。日本将棋連盟東京メトロ支部の幹事も務める。ヤクルトファンだが、「野球界も二極分化で、優秀な選手が金で引き抜かれる」と、シーズンを前に気をもんでいる。
──渡辺さんが労働運動にはいるきっかけは何ですか。
1972年に交通営団(現在の東京メトロ)に就職したのですが、動機は単純に鉄道が好きだったからです。職場は上下関係が厳しい所で、ある日、副班長に「ここに行け」と言われ、会社の会議かと思って出てみたら、労組の支部会議だったのです。それがきっかけで青年委員会の役員にさせられたのです。単に断れなかっただけです。ずいぶん乱暴な話ですが、後年、同じようにして何人かを組合役員に入れました(笑)。
──その頃は、交通ストも盛んに行われていました。しかし、最近ではそうしたことも少なくなりました。
私鉄総連は、国鉄(当時)の国労や動労などといっしょに交運関係の共闘もありやっていましたが、交通機関がストライキを構えることで、社会的に大きな影響を及ぼしました。私鉄総連の大手組合は1992年までストをやりました。ストは手段であって目的ではありませんが、実際に突入するとかなりの影響を及ぼしましたね。ここ十年以上は大手の場合はストをやっていません。社会的背景もあるのでしょうが、交渉重視で解決が図られるようになってきたということです。ただ、そのため、労組役員でもストを経験していない人が多くなっているという面はありますね。
──運動のスタイルが変わったということですか。
経済成長の頃は、歴史的にはどこの国でも労使対決型が多かったようですが、その後はいわゆる労使関係の成熟したスタイルがでてきているように思います。私鉄総連の場合、伝統的にストライキを構えながら、中央集団交渉で横断的に交渉してきました。その歴史的意義は大きいものの、企業間の収益格差などがある中では、そうしたことも結果として難しくなっています。運動の基本を大切にしながら、時代の流れを的確に分析して、労働者の立場に立ったリアリティのある運動をめざさなければいけないと思います。
──私鉄総連の春闘の取り組み課題に「公共交通利用キャンペーン」を掲げています。
私鉄のバス関係の輸送人員統計を見ると、1970年前後がピークで、今はその半分程度になっています。地方ではもっと減少している状況です。規制緩和政策も加わって、特に過疎地域では公共交通手段をどう確保するかが大変な問題です。私の父母の出身地の福島の山奥では、バスが無くなって、子どもを高校に通わせるのに下宿をさせなければなりません。その負担は大きいものがあります。バスや鉄道がこうした地方から無くなっていいのかどうかも含めて、春闘時にも交通政策を訴えているのです。
──それは、労働組合としても大きな課題ですね。
やはり、輸送人数の減少とともに、組合員数も減少しています。地方では採算ベースに合わないので、賃金も引き下げられている実態があります。比較的利益がある都市間高速バスでも、長時間労働が常態化しています。そこに、規制緩和でツアーバスという形で乗客の多い時ばかり運行する新規参入が増えてきて、定時運行の公共輸送を維持することもできなくなっています。競争原理だけではどうにもなりません。規制緩和が安全緩和でいいわけありません。国の政策を変えていかなければ本当に駄目になってしまいます。
──そうした中で、今年の春闘では非正規労働者の賃上げ要求も掲げられていますが。
もちろん春闘ではベースアップを勝ち取ることが中心課題ですが、それとともに、非正規雇用労働者についての労働条件改善の取り組みもしています。07年秋闘では、産別統一要求のひとつとして、3年働いたら正社員化を求めました。いま、ワーキングプアーなど格差社会の拡大が問題になる中で、かなり反響が大きかったですね。交通の仕事に携わることは、人の命を預かっているわけですから、それが不安定な身分のままでいいはずはありません。それを何とかしたいと思っています。
──私鉄各社では非正規雇用は増加しているのですか。
2002年と比較して5%も増加しています。私鉄総連調査では、組合加盟の各社における非正規雇用労働者は16%を占めています。全産業では3分の1が非正規ですから、それに比べたら少ないのですが、安全に携わる産業として、非正規雇用労働者が増えている状況は看過できません。非正規の方々の多くは正社員になりたいと思っているのです。私鉄総連では05年秋闘で非正規雇用のあり方について労使協議のテーブルを求め、7割の単組で実現した第2ステップとして07年秋闘で正社員化を求めたのです。
──これは、労働組合全体、あるいは社会全体の取り組み課題ですね。
「連合」も非正規労働センターを作り、取り組みを進めています。今は親の世代に正社員が多いから何とかなっていますが、非正規雇用が多い若年層が親の世代になったらどうなりますか。社会は極端に二極分化になってしまいます。そうした社会は不安定で決して良い未来ではありません。それにストップをかけるのは、「連合」やフォーラム平和・人権・環境の役割だと思います。逆にチャンスではないでしょうか。
──平和の課題でも私鉄総連は民間労組の中心でがんばっています。いま政治状況をどう変えていくべきでしょうか。
まずは、政権交代をめざすべきです。そのため、野党は分裂しないで衆院選で統一候補を出す努力が必要です。私鉄総連も平和運動でがんばりますが、単に「憲法を守れ」と主張するだけで問題は解決しない面もあります。テロのことやアメリカの侵略戦争、北朝鮮の核問題など現実問題に対して、平和な世界をつくる視点でどう対応していくか、議論すべきです。実際、2011年には憲法改悪の発議の可能性があるのですから、今のままでは改悪されてしまうかもしれません。その時に失敗は許されません。今から徹底論議が必要でしょう。
──でも、他の民間の組合などへは、なかなかこうした運動が拡がりません。
それぞれの事情はあるのでしょうが、平和運動は大切なことです。平和フォーラムとしても様々な所に出向いて話をすることが大切だと思います。いま、昔の体験を語れる人が少なくなっています。被爆された方や軍隊経験のある人など戦争体験世代の生きたお話は大変貴重です。そうした体験者や被爆者の方々の貴重な経験を聞ける時間は、人間である以上限りがあります。それらのことをもっと活かしていく運動を考えたらどうでしょう。例えば、行政や会社、学校の研修などでも、広島や長崎、沖縄などに行くことを広める提案や運動も一つかもしれません。
──いま、労働組合運動も平和運動もまさに正念場を迎えています。
私は、「連合」や平和フォーラムなどがもっと社会的にアピールするべきだと思っています。「打って出よう!」を合い言葉にしてもいいと思います。労働運動や平和運動で多数派を形成するためには色々な所にも入っていくべきです。働く者のために、戦略を持って、時にはハレーションも恐れずに前に出ることも必要ではないでしょうか。そのために平和フォーラム・原水禁の役割はとても大事だと思います。
〈インタビュ─を終えて〉
非正規労働者の権利確立と労働運動の活性化、そして憲法9条の重要性について語りだした。とまらない。いま何が必要なのか明確に認識している。引き受けようとしている任務に対する熱い思いが伝わってくる。「打って出よう」と呼びかける。仲間たちに勇気をくれる。私も「よしがんばろう」と決意を固めた。(福山真劫)
非核・平和条例を考える全国集会in東京を開催
有事法制の整備が進む中で問われる「自治体の平和力」
「第8回非核・平和条例を考える全国集会in東京」が1月27日〜28日、都内で開催されました。この集会は1999年に函館で初めて開催され、この間、横須賀、鹿児島、神戸、新潟、小樽、長崎と集りを重ねています。集会では、「自治体の平和力」をテーマに、有事法制が整備される中での市民レベルでの平和の取り組みをどう構築していくのか、有事法制の空洞化を自治体レベルで模索していくために、全国的な交流を基本にして議論を積み重ねてきました。
岩国への露骨な「アメとムチ」に強い怒り
初日の全体会では新倉裕史さん(非核市民宣言運動ヨコスカ)が基調提起を行い、自治体が持つ港湾や空港の施設管理権の強さに着目し、自治体が戦争非協力の重要な現場であると指摘。「有事法制が作られた今も、米海軍が全国各地の民間港へ繰り返し寄港させているのは、自治体側からの諦めが生じることを期待しているからだ」と述べました。
「自治体の平和力」と題したシンポジウムでは、上原公子さん(前東京都国立市長)と田村順玄さん(山口県岩国市議会議員)が発言。米軍厚木基地からの空母艦載機移駐問題が大きな争点となった岩国市長選(2月10日投開票)が大きな論点となりました。田村さんは、もともと米軍再編受け入れとは関係なかった市の新庁舎建設への補助金を市の艦載機の受け入れ反対を理由にカットしたことについて、「岩国の問題を日本政府の防衛政策の根幹として、夕張市を破たんさせたのと同様な形で岩国を見せしめにする方向だ」と批判し、露骨な「アメとムチ」の政策への強い怒りを語りました。
また、国が米軍岩国基地沖合の公有水面埋め立て認可権を持つ県知事に対し、滑走路移設事業に関する用途変更申請を行なったことについて、目的が騒音軽減から艦載機移駐の受け皿づくりに変えられたと指摘。「井原前市長を痛めつけるもう一つの外側からの包囲網であり許せない」と語りました。そして、知事による認可の差し止めを求める岩国基地爆音訴訟を準備していると報告しました。
東北アジア非核地帯化こそ真の国民保護
講演は「国民保護計画の問題点と地方自治」をテーマに、ピースデポの田巻一彦さんが行いました。田巻さんは、広島や長崎における「国民保護計画」の策定過程やイギリスのスコットランド自治政府の非核宣言の動きを例に、「非核宣言」と「国民保護計画」の双方を持つ自治体が日本の約6割に達していることから、「今こそ自治体に対して『真剣に住民の保護を考えるならば、核廃絶の第一歩として私たちが住む東北アジアを非核地帯にすべきだ』と具体的に呼びかけることを通して、自治体の平和力をさらに力強いものにできるのではないか」と問題提起しました。
また、地域からの報告として、横須賀から米原子力空母母港化に反対する第2次「住民投票直接請求」への取り組み、東京から「石原都政下における防災訓練の実態、I女性会議からは「横須賀での米兵による女性殺害事件への取り組み」が報告されました。
エスカレートする実動訓練などが報告
2日目の分科会は@非核・港湾条例、A米軍再編、B国民保護計画の3つのテーマに分かれて討論・交流がありました。
「非核・港湾条例」の分科会では、米艦船入港問題や平和条例制定運動に取り組んでいる室蘭、小樽、函館の各地域からの報告と各地域からの発言がありました。
「米軍再編」の分科会では、沖縄の名護市の辺野古新基地建設、横須賀で8月に予定される原子力空母母港化問題、座間や相模原などの各地の基地問題が報告。
「国民保護計画」の分科会では、エスカレートする実動訓練の実態(石川)、「反テロ」国民保護訓練の現状(神戸)、県の国民保護計画案に対する市民共同パブリックコメントの取り組み(新潟)などが紹介され、討論・交流を深めました(詳しくは平和フォーラムHPを参照ください)。
永住外国人参政権は基本的人権確立の闘いの象徴
韓国に続いて日本でも早期の法制化実現を
在日韓国民団・地方参政権獲得専門委員会 委員長 柳 時悦
外国籍者に対する差別が根強く残る日本社会
私は日本生まれで日本育ちの在日韓国人二世です。
在日韓国・朝鮮人(以下「在日」)は、日本が1952年にサンフランシスコ講和条約を締結し独立して以降、外国人となり日本国憲法に言う「国民の享有する諸権利」から完全に排除され、生存するのが不可能なほどの差別社会を生き抜いてこざるを得ませんでした。在日にとって国籍の回復は植民地侵略被害からの回復とはならず、新たな迫害の歴史の始まりであったわけです。これ以降、在日は差別や侮べつとの闘いの連続でした。
日本の国際人権規約加入(1979年)と国連難民条約批准(1981年)により、在日が闘ってきた多くの差別システムが改善されました。しかし、これは在日の運動に日本が応えたのではなく、世界情勢のなかで日本の国際的要因によって改善せざるをえなかったものであったのです。したがって在日・外国籍者に対する差別は根強く日本社会のシステムや意識の中に残ってしまっているのです。
このような状況のなかで、21世紀の日本社会に外国籍者に対する不当な差別がなくなるよう、私たち在日にも基本的人権・職業選択の自由・幸福追求の権利・平等原則が認められることを要求する闘いを継続しなければなりません。
その象徴的で具体的な運動が永住外国人の地方参政権運動です。地方参政権が認められることなくして真に外国籍者に対する差別が社会から無くなることはありえません。もちろん地方参政権が実現すればすべての不当な差別がなくなるわけではないでしょう。しかし地方参政権の実現は真の差別撤廃の基礎なのです。
共生社会を築き上げる価値観の共有を
地方参政権の意義はそれに止まるものではありません。マイノリティーに対しても人種を尊重し、生活者としての住民として、異なった者同士が他方を吸収し、吸収されるのではなく、互いを必要とし必要とされる共生社会を築き上げるという理念や価値観を共有すべきではないでしょうか。それが21世紀の価値観だと思います。地方参政権の価値はこのような理念の運動でもあるのです。
さらに地方参政権を認めることによって、日本に二つの大きな利益があると思います。一つは、他国を植民地支配したという日本の負の歴史遺産を、逆に在日に地方参政権を与えることによってプラスの歴史遺産として創造することができるということです。
もう一つは、世界やアジアに対して、日本が人権を尊重し、多様性を尊重する共生社会であり、開かれた社会であることをアピールすることができるのです。今後日本がアジアにおいてリーダーシップをとろうとするなら必要不可欠な礎となるものです。
韓国では2006年に永住外国人の地方参政権による投票が実現しています。永住外国人の数では比較にならないほど日本の方が多いのです(日本の外国人住民は200万人以上。うち在日コリアンなど特別永住者44万人、一般永住者39万人)。だからこそ、日本において実現すればよりいっそう価値の高いものとなるでしょう。
この運動は主に在日韓国人によって1994年ごろから大きく政治課題として登場してきました。以来14年あまりの歳月が流れました。1995年には最高裁で外国人地方参政権は合憲であるという判決も出ています。この間、国会に法案が上程されましたが棚ざらし状態となって長期化していました。主に、自民党タカ派の反対などの動きがあったからです。
ところが最近、日本と韓国の政治状況の変化のなかで、11月7日の民団の5,000人による地方参政権実現を求める決起大会とデモにより事態は動き出しました。日本の国会において再度の盛り上がりを得ています。今度こそ、日本人と外国籍者がともに手をたずさえて外国人地方参政権を実現させなければなりません。
「フッ素洗口ガイドライン」撤回を求める署名41万筆に
子どもたちへ強制的に「劇物」を使わせるな!
日本教職員組合 養護教員部長 山本 春枝
日教組が呼びかけてきた「フッ素洗口ガイドライン」の撤回を求める署名は、41万筆以上を集約し、2月15日、厚生労働省・文部科学省に提出しました。改めて、この問題について考えてみたいと思います。
減り続けている子どもたちのむし歯
日教組は1981年以後、むし歯予防のためとした学校等での集団フッ素洗口の導入に対して、「疑わしきは用いず」の視点のもと、子どもの健康を守るために反対運動をすすめてきました。しかし、ここ数年「健康日本21」「健康増進法」により、フッ素洗口の推進派は各地区で勢力的に導入をすすめようとしています。06年3月現在、5131施設、49万人の子どもたちが保育所、幼稚園、学校でフッ素洗口をしています。
今、むし歯は劇物であるフッ化ナトリウムを使用してまで予防すべき状況ではありません。歯に対する健康意識が高まっており、全国的にむし歯は減り続けています。文科省の保健統計によれば、07年度の永久歯のむし歯保有数は1人平均1.63本です(01年は2.51本)。
学校等でフッ素洗口をする時は、厚労省から出されている「フッ素洗口ガイドライン」にそって、養護教員がフッ化ナトリウム等を希釈してフッ素洗口液を作り、給食後子どもたちに配り洗口をさせます。学校での劇物・劇薬の保管や取り扱い、洗口液濃度を均一にしなければならないこと等、医療従事者のいないところで不安をいだきながら洗口をしているのが現状です。
1994年、WHOのテクニカルレポートによると、「フッ化物応用によるむし歯予防は斑状歯(歯の表面のシミや斑点)なしにありえない」とし、「6歳未満の子どもへのフッ素洗口は禁忌」「8歳未満の子どもへは推奨されない」としています。過去に、フッ素を多量に含んでいる水源を飲料水にしている地域で子どもたちの多くは歯が赤褐色になったり、欠損を生じたりしました。「斑状歯から子どもを守る会」を発足させ、行政に水道水の適正化を求めていった経緯もあります。
フッ素過剰摂取による健康障害も
その他にもフッ素の毒性について、専門家は発がん性、腎障害、染色体異常、アレルギー等について警告を出しています。また、08年1月30日の琉球新報は、沖縄で米民政府統治下の時に水道水にフッ化物を注入していた所はそうでない所に比べ、子宮がんの死亡率が1.36倍に及ぶという記事を掲載しています。
このようにフッ素の過剰摂取による健康被害が科学的に明らかとなっています。また、世界的にも、@むし歯はフッ素利用の前から減少し始めていた。Aフッ素が歯の質を改善してむし歯を予防する効果はない。B水道水フッ素化のむし歯予防効果はほとんどない、などと論議されています。一方、日本学校歯科医会も、現在の日本では「かかりつけの歯医者さん」が機能しており、児童生徒のむし歯も減ってきているので、フッ素洗口などのフッ化物を使ったむし歯予防は地域の歯科医院に委ねてもよいと示しています。
学校等へのフッ素洗口を、行政は一方的・強制的に導入しようとします。説明会では「効果がある」「安全である」などの説明しかされません。また、同意書についても良いことだけが書かれています。しかし、現場での事故も報告され、集団で継続的に行うことは医療行為ではないかなど、問題はきりがありません。フッ素洗口は学校保健法にはなく、文科省が進めているものでもありません。むし歯が減ってきている現状から、集団で行う必要性や緊急性は全く見出せません。
日教組は毎年フッ素研究会とともに、フッ素問題の全国集会を開催し、新たな科学情報や各地域の状況、取り組みなどを交流しています。そして、子どもの健康のために、これは必要ないと確信してきました。今回の署名を機に「集団フッ素洗口」の問題を社会にアピールし、厚生労働省等に「フッ素洗口ガイドライン」の撤回を求めていきます。
ビキニ被災から54年 なお残る課題
核実験によって、今も故郷に住めなくなった人々
グローバルヒバクシャ研究会 共同代表 竹峰 誠一郎
原水禁が最初にマーシャル諸島を調査
「ビキニ忘れ何の原水禁運動か」と、原水禁国民会議が他に先駆けて、ビキニ水爆被災の現場である中部太平洋のマーシャル諸島に調査団を送ったのは1971年12月のことでした。
調査団は、米中央情報局(CIA)に監視され、最も深刻な被害を受けたロンゲラップに上陸することは米国に拒否され、退去命令が出されるなど、調査は困難を極めました。しかし、都市部のマジュロに移住していた被災住民との面談を果たし、「第五福竜丸の向こう側」で忘れられていたマーシャル諸島住民の現地被害調査に先鞭をつけました。
あれから36年余りが経過しました。ビキニ水爆被災から54年目を迎えた今、マーシャル諸島には日本航空(JAL)が不定期ながら直行便を運行するようになり、珊瑚礁が美しい「楽園」としてダイバーたちの注目を浴びています。1954年3月1日の核実験をはじめ、1946年から58年まで67回もの米核実験がマーシャル諸島の地で繰り返されたとは、訪問客にはとうてい実感ができないでしょう。
放射能汚染の恐怖におびえる住民
しかし、概して明るく迎えてくれる住民の中に、今も自分たちの土地が奪われ「核の難民」となっている人がいます。移住地では米国から配給される缶詰が住民の食を支えているなど、海洋民族としての伝統的な暮らしは奪われ、核実験は文化も変えました。
健康への影響として、マーシャル諸島全域の甲状腺腫瘍やガンの発生率の高さが医学的にも注目されています。「ポイズン」と呼ぶ、目には見えない放射能汚染の恐怖に脅えながら暮らしている住民もいます。住民の被害は何のためだったのか、人体実験の疑惑解明は今も重大な課題です。
「冷戦時代、マーシャル諸島の人びとが、核実験を通じて自由世界を守る貢献をしてきたことに、心から感謝の意を表します。世界の多くの場所に民主主義と自由を打ち立てるため重要な貢献をしました。この多大な貢献にマーシャル諸島の人びとは誇りをもつべきです」と、駐マーシャル諸島米国大使がマーシャル諸島住民を前に強弁したように、核実験は正当なものだったと米政府は今も言います。
米政府に補償を求め提訴
その一方、1954年3月1日の核実験で「予期せぬ」被害が、風下地域のロンゲラップとウトリックに及び、核実験場のビキニとエニウェトクを加えた計4地域に被害が及んだと、米政府は認めています。マーシャル諸島が独立した1986年に米政府は1億5千万ドル規模の補償金を支払いました。しかし「死の灰」による被災は4地域にとどまらず、マーシャル諸島全域に広がりをもっていたことが徐々に裏付けられてきています。
1億5千万ドルの補償金で創設された基金は底をつき、マーシャル諸島共和国政府は米議会を通して米政府に追加補償を求める請願書を2000年に出しました。しかし「決着済み」とブッシュ政権は拒否しています。昨年も米議会で公聴会が開かれましたが目立った進展は見られません。2006年ビキニとエニェトク両自治体が米連邦裁判所に提訴し、現在係争中です。
2007年11月マーシャル諸島共和国では総選挙があり与野党の力関係が逆転しました。今年1月、新大統領にリトクワ・トメインが選ばれ、新外務大臣にトニー・デブラムが就任しました。新政権が核実験やミサイル実験問題で、米政府にどのような姿勢でのぞむのか注目されます。
問題を残す六ヶ所再処理工場のアクティブ試験
本格稼働スケジュールありきの暴挙を許すな
これで第4ステップ終了?
2月14日、経済産業省原子力安全・保安院は、青森県六ヶ所村の再処理工場で実施しているアクティブ試験を、最終段階にあたる第5ステップへ進むことを容認しました。これまでアクティブ試験の第4ステップで、高レベル放射性廃液をガラス固化体にする試験を実施してきましたが、「炉内の温度が不安定」など技術的な課題を残しています。
「試験は行き当たりばったり。十分な結果は得られていない。落第寸前の試験結果」(デーリー東北)と核燃料サイクル安全小委員会の身内からも酷評されていました。しかし、それでも「ガラス固化体製造設備の試験状況について『問題なし』とする」日本原燃?の報告を追認する結果になりました。
地元紙・東奧日報の2月16日の社説でも「追加報告という“追試”を課しながら、追試の成績がどうなるか分かる前に合格扱いして進級させる。そんな変な手順で、極めて重要な最終試験入りを認めていいのか、安全性は大丈夫かという疑問、不安を抱く県民が少なくないのではないか」と指摘されるほど、第4ステップのガラス固化の試験に対する評価に厳しいものがあります。再処理技術の信頼性そのものが疑われているのです。
本来ならば、各ステップで問題点を把握し、解決してから次のステップに進むべきところ、第4ステップで解決すべき問題をあいまいにしたまま、第5ステップへ先送りしたもので、再処理本格稼働のスケジュールがまずありきの暴挙です。このような追認を到底認めることはできません。
これは遅れに遅れた本格稼働(予定では07年8月)を早急に実現するために第5ステップに移り、強引に国の最後の使用前検査に合格させ、地元と安全協定を結ぶことを急いでいるためです。しかし、早くも、07年度内稼働は難しくなりつつあり、本格稼働は「早くても今年夏ごろになる見通し」(東奧日報)などとの観測も流れています
ガラス固化体製造の問題点
今回の第4ステップで特に問題となったものは、使用済み核燃料を再処理して出てくる廃液(ゴミ)とガラスを混ぜて固化体にさせる作業の部分で、「溶かしたガラスと廃液を混ぜた後、容器に流し込む際にガラスの粘性が高まり、流し込みにくくなる」などの不具合が生じていました。
六ヶ所再処理工場のガラス固化技術は、もともと東海再処理工場(茨城・東海村)の技術を使ったもので、東海再処理工場でも同じようなトラブルを起こしており、その技術的問題が克服されていないとも言えるものです。原燃の報告では、粘性の問題について、「温度管理や炉内をかき混ぜることで防げる」としていますが、実際に混ぜて効果を確かめたわけではなく、あくまで「見通し」を示しただけです。
さらに原燃は、現在、その不具合を受けて固化体の製造試験を中断し点検中で、点検もカメラによる確認も終わっていない状況にあります。なのに「固化体の製造や安全面に問題はなかった」とする報告は、まさに問題です。
一方、高レベル廃棄物を固化体にして容器を安全・安定的に製造する技術は、核燃料サイクル事業の根幹を成す技術であり、その要の技術がいまだ不安定・不確かならば、現在進められている高レベル放射性廃棄物最終処分の問題にも影響を与えるものです。
第5ステップでは使用済み核燃料約100トンをせん断し、全工程を動かして、処理性能などを確認し、国の使用前検査に通れば本格稼働に移ることとなりますが、国も事業者も今回のやりとりを見ればどちらも無責任であり、技術的な面も含め、とても認めることはできません。
さらに高レベルで危険な再処理工場を絶対に動かしてはならないとの声を全国から強めることが必要です。
原水禁の基礎を築いた2人
池山重朗さん、関口和さんを偲ぶ
イデオロギーや体制対立を超えた原水禁運動
1965年の原水禁発足時より77年まで事務局次長だった池山重朗さんが昨年12月8日に亡くなられました(享年76歳)。さらに今年1月22日に、75年頃より90年代初めまで総務部長・事務局長を務めた関口和さんが亡くなられました(享年79歳)。
54年3月1日の米国による太平洋・ビキニ環礁での水爆実験でつくり出された大量の放射性物質は、太平洋と、第五福竜丸など多くの日本漁船を汚染させました。太平洋から持ち帰った魚の大半は、連日、廃棄処分されました。人々は日常生活のなかで放射能の恐ろしさを知ったのです。自然発生的に原水爆実験反対の署名運動が始まり、日本中に広がりました。その運動は思想・政党・宗派を越えた運動として広がったのです。それは日本における最初の市民運動といえます。第五福竜丸乗組員・久保山愛吉さんが亡くなられ、さらに運動は広がりました。
第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催され、参加者の多くが広島・長崎のヒバクシャの実態を初めて知り、放射能の被害の深刻さを改めて認識しました。日本の原水禁運動は世界にも大きな影響を与えていきます。池山さんは原水爆実験反対運動に積極的に参加し、第1回原水爆禁止世界大会の後に結成された原水爆禁止日本協議会(日本原水協=1955年9月発足)の事務局員になります。
ソ連の核実験再開と日本共産党の露骨な介入
原水爆実験反対の声が世界的に高まるなかで、58年10月末から米・英・ソ3国は、核実験の一時停止に踏み切ります。しかし米・ソは一時停止の期間中も、新しい核兵器の開発を進め、61年の第7回原水禁世界大会後の9月1日、ソ連は核実験を再開しました。
9月1日、2日と開かれた日本原水協担当常任理事会は、激論の後、「われわれは原爆被災の惨禍を体験し、また水爆実験のおそるべき災害をこうむった唯一の国民として……ソ連の実験再開に強く反対する」などの内容の声明を発表しました。しかし9月1日に日本共産党の「アカハタ」が「ソ連政府声明の趣旨を正しく理解しなければならない」書いたことから、日本原水協発表の声明は反故にされていきます。これ以降「いかなる国の核実験にも反対する」か、否かをめぐって、全国的に激論と混乱が広がっていきました。日本共産党はその力の限りをつくして、市民運動に政治的立場を持ち込んだのです。
ソ連核実験の後、米国も核実験を再開し、61年、62年と米ソは大規模な核実験を実施し、大量の放射性物質が世界に降り注ぎますが、日本の運動は十分な抗議行動がとれない状況に陥りました。池山さんは原水協に失望し、65年2月に発足する原水禁に参加しました。
池山さんのもっとも大きな功績は、原発反対の運動を、原水禁の中心課題の一つにしていったことです。当時は情報も資料も少ないなかで、武谷三男さんなど日本各地の原子力科学者と連絡しながら、原子力資料情報室の設立に協力するなど、原水禁運動として反原発運動へ取り組むことの重要性を確立していきました。
原水禁の反原発への取り組みは、各地の住民運動に大きな力となりました。またミクロネシアへも池山さん主導で調査団を派遣したことによって、日本で初めてビキニ核実験ヒバクの実態が明らかにされました。
統一大会と独自大会の開催を実現
一方、関口さんは国鉄労働組合(国労)の役員として、55年から69年まで闘われた砂川闘争に、三多摩労協事務局長として関わり、その後国労本部、原水禁専従役員を経て、80年代初めに事務局長に就任しました。
一方この頃より、原水禁運動を統一しようとする動きが出始めていましたが、その動きは77年5月19日の原水禁・森滝市郎代表委員と原水協・草野信夫理事長による「原水禁運動の統一のための合意書」によって現実のものとなりました。これらの経過は、「開かれたパンドラの箱と核廃絶へのたたかい」(七つ森書館)を参照してください。
しかし、この合意書は、原水禁が取り組んできた原発問題を外すという意図が透けて見えました。結局、原水禁は統一大会と独自の原水禁大会を、統一大会が終了する85年まで開催していきます。総評との間に立ち、関口さんは苦労しながら、二つの大会の開催に力をそそぎました。こうして途切れることなく、原水禁は原発問題に取り組んできました。
池山さん、関口さんのお二人の意思を引き継ぐことによって、お二人は原水禁で生き続けるでしょう。
★☆★☆★☆【本の紹介】★☆★☆★☆★
第五の被爆者─再びヒバクシャをつくらないために
被爆二世協・原水禁発行(08年2月刊 500円)
全国被爆二世団体連絡協議会(被爆二世協)は3冊目の本を出版しました。1冊目は1986年の「原爆被爆二世問題の理解のために」、2冊目は2001年の「被爆二世の問いかけ」です。それぞれ被爆二世の皆さんからの訴えです。
2冊目の出版から国内外の平和・核軍縮・被爆者をめぐる情勢も大きく変化しました。今回「第五の被爆者」を出版するということはそうした経過を踏まえたものであり、運動に関係している人たちから待ち望まれていました。
ここ数年、被爆者の集団認定訴訟、在外被爆者関連訴訟、日朝国交正常化への動きなどが、従来の政府方針・被爆者行政を大きく揺り動かしています。また日本原水爆被害者団体協議会など被爆当事者の取り組みの前進、被爆二世運動の前進、支援団体、政党の取り組みなど主体的な運動の高揚、昨年の参議院における与野党の逆転などの総合的な力の結集によって、被爆者や被爆二世・三世は、確実に従来の被爆者援護法を改正し、新しい施策を獲得しようとしています。
とりわけ被爆二世協を中心とする二・三世運動は、長年の闘いと被爆二世健康影響調査、政府に対する要求書提出交渉、36万筆を越える署名の提出など大きな役割を果たしています。もちろん原水禁・核禁会議・連合も支援してきました。こうした中での3冊目の本の出版です。
この本は、「被爆二世問題とはなにか」、「被爆二世の組織化と運動の経過」、「国家補償と被爆二世・三世への適用を明記した被爆者援護法の改正をめざして」など、8章にわたり、被爆二世・三世の実態、めざすべき方向などが、資料とともにわかりやすく展開されています。
現在、被爆二世の課題が、通常国会の中で前進するのかどうか山場になろうとしています。被爆者に関心をもつ全ての人がこの本を熟読することによって、二世・三世の苦闘の歴史とめざすべき方向、当面の課題を確かめ、そしてともに歩いてほしいものです。(福山真劫)
★☆★☆★☆【映画評】★☆★☆★☆★
いのちの食べかた(05年/オーストリア・ドイツ)
中国製冷凍ギョーザによる中毒事件が大きな問題になる中、この映画を観ました。数々の国際映画祭で受賞し、日本では昨年秋から各地で上映されています。
食のグローバル化が叫ばれる中、私たちの食べている肉や魚、野菜、穀物はどこでどのように作られているのか。食品偽装事件などで改めてそのことが問われています。この作品は、そうした食料を作り出している現場を描いたドキュメンタリーです。
「よくぞ、ここまで撮影が出来たものだ」と驚嘆せざるをえないほど、さまざまな現場を映し出しています。まだ生きたままつり下げられて血抜きや皮をはがされる牛、薄暗いゲージの中で卵を産み続ける数万羽の鶏、巨大なカッターナイフで瞬時に豚の腹部が切断されて飛び出す内臓。圃場では、重装備をしながらパプリカに殺虫剤を散布し、広大なひまわり畑の上を飛ぶ飛行機からは均一に萎えしぼませるための枯凋剤がまかれています。
人間の労働もそうした中では、ひとつの部品でしかありません。夜中でも機械の速度に合わせてキャベツを畑から採り、袋詰めする人々。アフリカ系の移民労働者を雇ってのアスパラ畑の収穫。ほとんど会話がない光景は、荒涼とした世界を見せてくれます。しかも、現場で働く人々はまったくカメラを意識することなく、淡々と作業をこなしていくだけです。
この映画にはまったくナレーションも音楽もありません。そのため、次々と切り替わる場面に、「あれは何だったのか?」と、最初はとまどいますが、次第にそうしたことはどうでもよくなり、画面に引き込まれてしまいました。徹底したコストと生産性をめざす姿は、危うさとともに無機質な美しささえ伴います。
食料自給率39%の日本に生きる私たちこそ、いま観ておかなければと思う1本です。(市村忠文)
5月頃まで全国上映中。詳しく下記のサイトへ。
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/
◆◇◆◇◆ 投稿コーナー ◆◇◆◇◆
国家補償と被爆二世・三世への適用を明記した被爆者援護法の改正を
全国被爆二世団体連絡協議会 副会長 崎山 昇
2月2日から2日間、全国被爆二世団体連絡協議会(全国被爆二世協 会長:山崎幸治)は、2年に一度の全国総会を広島市で開催し、全国から加盟団体の代表ら約50人が集まり、@再びヒバクシャをつくらないために核廃絶と平和を求める活動への積極的な取り組み、A国家補償と被爆二世・三世への適用を明記した被爆者援護法の改正、B放射線影響研究所の「被爆二世健康影響調査」についての取り組み、C在外被爆者支援と在外被爆二世との交流の継続強化、など今後の活動方針を決定しました。
実態調査や援護対策もなく放置され続ける
全国には30万人とも50万人ともいわれる被爆二世がいるといわれています。しかし、はっきりとした数さえわかっていません。そして、被爆者は被爆者援護法によって一号被爆者から四号被爆者まで定義されていますが、被爆二世には法的定義がありません。それは、国が被爆二世の実態調査さえ行わず、何の援護対策もせず放置してきたことを示しています。
国が行っている被爆二世に対する唯一の施策は、単年度の予算措置による年に1回の「被爆二世健康診断」です。非常に簡単な内容でガン検診もなく健康不安を解消するものとはなりえていません。また、健康に不安をもつ被爆三世が希望しても受診できません。
原爆放射線の恐怖は遺伝的影響として、次世代にも引き継がれます。被爆二世の中には、親と同じようにガンなどの病気で苦しみ、困難な生活を強いられている人や、親の被爆が原因で親と同じようにガンなどの病気にかかるのではないかという不安をもっている人もいます。被爆二世は、@健康に対する不安、A遺伝的影響、B病気と貧困の悪循環、C偏見や社会的差別といった問題を抱えています。
国会の付帯決議をもとに政治的解決を
被爆者援護法は、原爆被害の特殊性を法制定の根拠にしています。しかし、放射能障害の最たるものである遺伝的影響・被害については全く触れていません。私たち被爆二世・三世は「被爆者である親の身体を通して、その後、身体に原爆放射線の影響を受けるような事情の下にあった者」であり、「第五の被爆者」であると、援護法の適用を求めています。また、過去2回、参議院で可決された被爆者等援護法には「被爆二世・三世に対して被爆者と同様の健康診断を実施する。原子爆弾の傷害作用に起因する疾病にかかっている旨の認定を受けた被爆二世・三世に対して、被爆者とみなしてこの法律の規定を適用する」という「被爆二世・三世条項」が盛り込まれていました。私たちは、援護法に「被爆二世・三世条項」の追加を求めています。
さらに、援護法には、「被爆者とその子及び孫に対する影響についての調査、研究及びその対策について十分配慮し、二世の健康診断については、継続して行うとともに、その置かれている立場を理解して一層充実を図ること」という「付帯決議」がなされました。私たちは、この「付帯決議」に基づき、「被爆二世健康診断」の法制化、ガン検診の追加など内容の充実、被爆三世への受診拡大、医療の措置などを求めています。そして、被爆二世・三世はどこにいても被爆二世・三世であると、在外にいる人も含めてすべての対象者への適用を求めています。
昨年は、被爆者の裁判による闘いの勝利や参議院での与野党逆転によって、原爆症認定基準や在外被爆者の問題など残された被爆者問題について、国会や政府で検討が行われ、いまの通常国会に解決が持ち越されています。また、長崎の「被爆体験者」(注)が昨年11月に被爆者としての認定を求めて裁判を起こし、今後の課題となっています。
総会では、正念場を迎えている今、非常に緊迫した状況の中で、全国被爆二世協としては、被爆二世・三世の問題の政治的な解決をめざし、当事者としてがんばっていくことを確認しました。
(注)「被爆体験者」=爆心地から半径12キロ圏内で原爆に遭い、国が被爆体験に基づく精神疾患や関連疾病があると認めた人。しかし、被爆者援護法に基づく手当などは支給されず、「格差がある」と批判が出ている。
ナ
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ビ
希望はあるか。 希望を作ろう
日米軍事一体化・米軍再編成は許さない
平和に関する重要事件が続いています。2月10日に岩国市の市長選挙があり、井原勝介前市長が敗れました。45,299票を集めながら届きませんでした。しかし毎日新聞の出口調査によれば、それでも米軍の移駐反対派が多数派です。本当に残念ですが、闘いは続きます。岩国や山口の仲間を支援してがんばりましょう。またエンタープライズ佐世保寄港から40周年を経た2月11日、原子力空母「ニミッツ」を中心とする空母打撃群(CSG)が佐世保に入港しました。海上デモによる抗議や反対運動を無視しての入港です。
また一方、参議院選挙で与野党逆転という状況を受け、国会における与野党対決が激化しています。新テロ特措法、年金制度、ガソリン税をめぐる攻防と続き、福田自公政権は大きく揺らいでいます。しかし防衛省の腐敗による「守屋武正前事務次官」の逮捕、政権支持率の急落の中でも、戦争する国づくり・米軍再編成が強行されようとしています。
私たちはもう一度、米軍再編成とは何なのか認識しなおす必要があります。05年10月、「日米同盟・未来のための変革と再編」が合意され、06年5月「再編実施のための日米ロードマップ」が合意されました。「ロードマップ」には、@沖縄における再編、A米陸軍司令部能力の改善、B横田飛行場および空域、C厚木飛行場から岩国飛行場への空母艦載機の移駐、Dミサイル
防衛、E訓練移転の6項目と、2014年をめざしてのロードマップ(日程)が書き込まれています。そして原子力空母の横須賀母港化も迫っています。
この事態は、日米安保を明らかに踏み越え、米軍主導による日米軍事一体化であり、日本は米軍の出撃基地化し、自衛隊は米軍の指揮下に組み込まれようとしています。米軍基地の恒久化です。さらに、合意事項を実現するための費用は3兆円もかかります。敗戦後63年になろうとしているにもかかわらず、このありさまです。しかし闘いは全国各地で継続しています。福田自公政権への包囲網をもう一度作り上げましょう。
原子力をめぐる状況も緊迫しています。
3月末に六ヶ所再処理工場を本格稼動させようと政府・電気事業関係者は青森県や六ヶ所村などの地方自治体と連携しながら、動き出しています。再処理工場稼動の犯罪性は、その安全性、環境への放射能汚染、核拡散への危険性などきりがありません。私たちは、青森と東京で3月末に向け最大限の取り組みを組み立てようとしています。音楽家の坂本龍一さんも絶対反対でがんばるなど、闘いは大きく拡大しようとしています。柏崎・刈羽原発の再稼動めざしての動きも顕著です。反対署名など最大限の取り組みが必要です。
福田内閣の支持率は急落をしています。自民党もそれを支えた官僚機構ももう限界です。彼らに日本の舵取りをもう任すわけにはいきません。日々刻々、政権交代への大きな奔流が作られようとしています。私たちも野党、連合、平和団体、市民団体と連携してがんばろう。そして希望を作ろう。