インタビュー・シリーズ その22
基地がなくならない限り、沖縄に平和は来ない
沖縄県選出参議院議員(社民党)山内 徳信さんに聞く

【プロフィール】
1935年沖縄県読谷村生まれ。琉球大学卒業後、高校の社会科教師。 74年に読谷村長に当選。憲法を実践する村政を展開し、自治体外交で米軍基地読谷飛行場の返還を勝ち取る。 98年に大田県政の出納長。2000年に「基地の県内移設に反対する県民会議」共同代表。 07年の参議院選挙で社民党から立候補し当選。

 ――山内さんの平和運動の原点は何ですか。

 やはり、沖縄戦の体験です。当時、私は小学校4年生でした。沖縄戦の前には学校で、 軍国主義教育や皇民化教育を徹底的にたたき込まれました。鬼畜米英と教えられ、日本は絶対に勝つと思っていました。 ところが、完膚なきまでに叩きのめされました。私の故郷の読谷村は米軍の上陸地点でしたから、 上陸作戦の3日前から、空爆や艦砲射撃で焼き払われ、4月1日に米軍は上陸しました。 沖縄戦で私たち家族が米軍の捕虜になるのは、敗戦後の8月下旬でした。 両親は「日本が負けるはずはない」「米軍の捕虜になってはいけない」と思って、 父親の兄弟家族を中心に20〜30人で、山の中を逃げまわっていたのです。
 米兵に捕まったときに、彼らは沖縄の人びとが餓死状態なのを知っていました。だからすぐにお菓子をくれました。 ところが母親が、「毒が入っている。食べるな」というのです。米兵は察したのか、自分で食べて見せるのですよ。 「ほら毒は入ってないだろ」と。それから米兵が、沖縄の方言で話しかけるのを聞いて、びっくりしました。 戦前の日本では英語教育は禁止でした。ところが米兵は沖縄の言葉で話しかけるのです。 戦前の教育への疑問が、次々と沸いてきました。
 山中の逃避行動では、ありったけの地獄を見た思いです。戦争の惨めさ悲惨さ。 人間は極限状態に追い込まれると、どんな悪いことでもする。日本兵が壕から沖縄の人を追い出す。 子どもが泣くと口をふさがせて殺す。沖縄やアジアに送り込まれた日本兵も、 出征前は「いいお兄さん」「いいお父さん」だったのです。 ところが、「殺すか」「殺されるか」になったときに野獣になる。 それは、人間がもともと悪いのではなくて、人間を野獣にしてしまう「戦争という行為」が悪いのであり、 それを否定しなければいけないのです。

――読谷村長として基地の返還に尽力されました。


県内の反基地団体を率い政府へ要請(05年11月外務省)

 戦後、私は琉球大学歴史学科で学び、高校の教員になりました。読谷村長選挙に出たのは、 役場に勤めていた高校の教え子たちから推されたからです。彼らの思いは、 「沖縄は日本に復帰しても思うような村づくりや街づくりができない」です。 それは基地が多すぎて、都市計画ができない。道路も上下水道もまっすぐ通せない。 米兵関連の事件も絶えない。そうした中で、役場の職員が「読谷村の行政は、 村民を守るためのものであるべき」「基地を減らすべきだ」「そのためには山内先生が学校を辞めて村長になれ」というのです。 しばらく逃げ回りましたが、「先生は、人権や正義のために生きろと教えてくれた。 青年は地域社会が必要とするときはいつでも起てと教えたではないか」─その言葉が心に突き刺さりました。 青年の思いを裏切るわけにはいかないので、立候補を決意したのです。
 私は当選直後の村議会の施政方針演説で、「読谷飛行場225ヘクタールは絶対に取り返す。 飛行場の中に、読谷村の将来の拠点を打ち込む」と話しました。そうすると反対派の議員は、 「日米安保と地位協定があるのに、基地を取り戻す、基地の中に役場を作るのはナンセンスだ」というのです。 私は「実現するまで村長を続けます」と、皮肉を込めて話しました。 こうして読谷村の反基地・街づくり闘争が始まったのです。
 あらゆる知恵を絞りましたよ。夜間のパラシュート演習では、降下地点に車を持ってきて、 ライトをつけてクラクションを鳴らす。昼の演習では、工場から使い古しのオイルをもらってきて燃やす。 真っ黒い煙が、ヘリより高く上っていきましたね。4メートル四方の大タコを作って、 ヘリの飛行コース上に飛ばしたこともあります。米国政府へも5回要請に行きました。 ハワイにある第7艦隊の司令部にも5回行きました。そこで司令官が、読谷飛行場の返還を約束したのです。 あれだけ演習に抵抗され、訴えられると、もうたまらないと思ったのでしょう。私は24年間、 村長を務め、読谷飛行場の返還の道筋をつけ、現在は跡地利用が進められています。

――憲法についての考えを聞かせてください。


地位協定改定を求める沖縄上京団の集会
(08年4月14日 星陵会館)

私は政府などへの要請文を書くときに、必ず日本国憲法と米国独立宣言を入れました。 憲法の基調は平和主義・主権在民・人権尊重です。また独立宣言には「人は生まれながらにして、 他に譲りわたすことのできない権利がある。その権利のなかには自由・生命・幸福追求の権利が含まれている」と書かれています。 こうした文書を入れて、沖縄の人にも人権があることを訴えたのです。 たとえ憲法を改正したい政府や役人でも、憲法が改正されていない状況では、 憲法の原則を否定できません。いま憲法はいじめられていますが、 まだまだ、政府の暴走を許さない力があるのです。
 憲法は守ることも大切ですが、実践することがより重要です。朝鮮戦争・ベトナム戦争・イラク戦争…、 沖縄から米軍が出撃しました。嘉手納基地から、朝鮮やベトナムを爆撃する飛行機が飛んでいきました。 戦争がなくならない限り、沖縄に平和は存在しません。戦場に直結する基地を認めることはできません。 ましてや、辺野古に新基地を作ることを認めることはできません。 基地を作らせない闘いが、アジアの平和、日本の平和、憲法を守ることにつながるのです。

──地位協定の改定が政治問題化してきました。

 先日、国会で高村正彦外務大臣と顔を合わせました。 私は大臣に「地位協定は、運用改善の時代は終わっていますよ」「時代の要請として、 米国に地位協定の改正を求めるべきではないですか」と言いますと大臣は、 「山内さん、米国が了解してくれますかね」と言うのです。米国が了解するかしないかではなく、 日本は主権国家ですから、米国との関係が主従ではいけません。地位協定を改正して、 はじめてイコール・パートナーになれるのです。 諸外国と比較しても日米地位協定には改正しなければならない面が多すぎます。

――いまの政治状況をどう見ますか。

 ねじれ国会、これは国民の意思です。ねじれ国会になったから、 いろいろな問題がよく見えるようになってきました。昨年の選挙で野党が負けていたら、 憲法だって改正に入っていたでしょう。だから選挙を通して、 労働者・市民が大切にされる政治を作らないといけないのです。社民党は、小さくなったとはいえ、 護憲政党として平和を大事に、働く者・市民・弱者を大事にして政治の場で闘っています。 平和問題や労働問題では、絶えず平和フォーラムの皆さんに協力をいただき感謝しています。 また、今のように世の中が混乱してくると、指針を持って確信を持って動いている人が、輝いて見えます。 その時々の波や風にあおられない生き方が必要ではないでしょうか。

〈インタビュ─を終えて〉
 国会情勢が緊迫する中で話を聞いた。沖縄読谷村に生まれ、10歳の時に沖縄が戦場に。 戦後占領下で復帰闘争を、基地の縮小・撤去の闘いを、憲法理念の実践闘争を、 平和の闘いを、そして今、米軍地位協定の改定、辺野古への基地建設阻止の闘いに全力で取り組んでいる。 座右の銘は「力必達」。「つとめれば必ず達成する」。そうだ、その通りだと思う。 山内さんにほめられるように、もう一度決意を固めよう。今年も平和行進が始まる。
(福山真劫)


平和フォーラム・原水禁「中国平和の旅」レポート
戦争被害者は事実と憎しみを忘れない
北海道平和運動フォーラム 代表 住友 肇(訪問団団長)

 平和フォーラム・原水禁の中央団体・各県代表など9名は3月10日〜17日、 重慶、南京、上海などの戦争史跡訪問と戦争被害者との交流を行いました。

「憎しみを忘れ、歴史を忘れず」
〜重慶大爆撃対日民間賠償原告団と交流〜


日本軍の大爆撃の賠償を求める原告団(重慶市内)

 最初の訪問地である重慶市は、日中戦争時代は臨時政府がおかれ、 1938年から43年までの5年半にわたって、日本軍が300回近くの無差別爆撃を行った所です。 死傷者は重慶をはじめ四川省で10万人を超え、史上空前の大爆撃といわれています。 この被害に対して、現在、日中両国の市民が連帯して日本政府の戦争責任と謝罪・賠償を求める裁判を行っています。
 私たちは、裁判の原告団を訪ね、多くの犠牲者を出した防空壕の跡地で献花を行った後、 事務所内で交流しました。王立喜召集人(事務局長)は「『憎しみを忘れ、歴史を忘れず』 という言葉を座右の銘として運動をすすめている。裁判は、歴史を鏡にして中日両国の人民が 子々孫々友好的につきあい、アジアと世界の平和を実現するために行っている」ことを強く訴えました。 また、原告の皆さんは70歳以上の高齢ですが、当時の筆舌に尽くせない悲惨な状況を まさに昨日の出来事のように鮮明にかつ切実に私たちに訴えかけました。

「1945年8月、抗日戦争の偉大な勝利を勝ちとった」
〜南京事件の被害者と南京大虐殺遇難同胞記念館〜

 南京では、昨年の12月13日に新装された「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」を 候副館長の案内のもと訪れました。戦争犠牲者の霊に献花し、 南京事件の被害者である常志強(80歳)さんにお話を伺いました。 家族10人が日本軍から受けた虐殺・強姦・暴行について、10歳であった当時の悲痛な思いと現在に至る悲しみ、 憤りを切々と語りました。戦争は絶対起こしてはならない強い意思を満身で私たちに訴え続けました。
 その後、館内の展示物を見学。入口の案内文は、「1937年12月13日、日本軍は南京を占領したあと、 武器を手放した兵士と身に寸鉄も帯びない平民たちを大量虐殺した。 その期間は6週間にもわたり、犠牲者総数は30万人以上にも達した」と記載されていました。 これを裏付ける多くの証人や証拠によって、大量虐殺の実相を日本はじめ世界に、 そして後世に伝える強い願いが込められていました。小・中学生をはじめ一般の見学者も多数いました。 新館1階の前書きには「1945年は中国が近代100余年来、外敵の進入に反抗して勝ちとった初めての全面勝利であり、 中華民族の衰退から復興への重大な転機である」と未来に向けての決意を表していました。

歴史は立場によってとらえ方が大きく異なる

 現在、中国の経済活動は活発化し、古い建物が壊され高層ビルが猛スピードで建てられています。 その中で、人民の生活や歴史に対する考え方も少しずつ変化しています。 アメリカの中国に対する脅威もここにあるように思えました。
 中国市民は、太極拳やダンス、ウォーキングなどを通して健康づくりに熱心でした。 このような日常を見る限り中国の若い世代は日本の侵略戦争・植民地支配に対する憎悪の気持ちが 少しずつ薄れているようにも見えました。しかし、戦争被害者は今なお苦しみの中におり、 戦争被害の事実と憎しみ、悲しみ、怒りなど、決して忘れてはいないことも同時に感じました。
 1945年は中国が勝ちとった全面勝利の年としているように、 歴史のとらえ方はその人の生きている立場によって大きく異なります。 一人ひとりの人間の崇高さと弱さ、権力の傲慢さと愚かさ、戦争は権力の利益のために引き起こし、 いつも民衆が被害を被るという構図をあらためて思い知らされました。 私たち、一人ひとりが身も心も主権者として「主人公」になるには、 まだまだ時間がかかるとの思いを強くしました。

原子力空母・横須賀母港化の是非を問う住民投票を!
条例制定を求める署名52,417名分を提出

空母の配備や安全性に重大な疑念


署名の集約作業を進める市民(横須賀市内)

 「原子力空母が横須賀に配備されるって?原子力空母って安全なの?」 これは市民の自然な感情です。原子力空母が原子炉を二つ積んだ船だとしたら、 その安全性に疑問を持つ人は少なくありません。
 今年の8月19日に配備が予定される原子力空母ジョージ・ワシントンは、 2基合わせて出力120万Kw(発電用炉に換算して約40万Kw、福井美浜原発1号機に相当) の原子炉を動力源とします(ピースデポ調べ)。平和フォーラムは、多くの団体との連帯のもと、 国や横須賀市に対して、原子力空母の安全性について納得いく説明を求めて取り組みを進めてきました。 しかし、米政府が示すファクトシート以外に安全性について言及する資料は出てきませんでした。
 それにもかかわらず、蒲谷亮一横須賀市長は「母港化は国の専権事項だ。国が安全と言っている」 との無責任な姿勢で、原子力空母母港化のため港のしゅんせつ工事を認め、 受け入れの準備を進めています。原子力空母ジョージ・ワシントンの艦長ダイコフ大佐は 「原子力空母はエンタープライズの就航以来50年にわたって事故を起こしていない、 原子力に関する不安は根拠がない」と述べています。また、ジェームス・ケリー在日米海軍司令官は 「仮に事故が起きても放射能は基地内に止まる」と発言しています。
 しかし、1999年11月には原子力空母ステニスが座礁し冷却水循環ポンプが故障して 原子炉が緊急停止した事故が現に発生しています。あわや大惨事となるこの事故は、 基地を離れた直後に発生しています。横須賀を中心とする三浦半島は、知られるだけで5本の活断層が横切り、 その活断層が動く確率は阪神大震災を起こした六甲淡路断層帯と同じか、より上位に位置づけられています。 地震による津波で原子力空母が座礁し、原子炉に大きな被害が出ることは十分予想されます。
 米の環境学者ジャクソン・デイビス博士は、横須賀で原子力艦船の原子炉(出力10万Kwの想定) が炉心融解(メルトダウン)事故を起こした場合、被爆被害で死者の想定される範囲が直径約100q圏内に及び、 死亡予想は数日間で25,000人、1年以内の総数は77,000人と推定しました。 さらに放射能による各種ガンの発生による死者を含めると15万人超の命が奪われると予想されています。 実際の原子力空母の原子炉1基は、その10倍近くの出力を持っています。

住民投票は市民の声だ。前回を大きく上回る署名

 平和フォーラムも参加する「原子力空母母港化の是非を問う住民投票条例を成功させる会」は、 このような現状では市民の安全を確保できないとして「投票条例制定を求める直接請求」 のための署名活動に再度取り組むことを決めました。3月6日からの1ヵ月間、 神奈川県平和運動センターや三浦半島地区労などが中心となり進められました。 女性たちだけで毎日駅前に立つ「エプロン署名」活動や、 自衛隊のOBも署名に応じるなど前回を大きく上回る活動となりました。
 その結果、集まった署名数は52,417筆にのぼり、前回(06年11月)より10,826筆も多くなりました。 これは、請求に必要な署名数の7.4倍、市内の有権者の7人に1人が署名したことになります。 署名は4月11日に横須賀市の選挙管理委員会に提出。選管で審査の後、 5月中旬には市長に対する本請求が行われ、5月末〜6月初旬に住民投票条例案が市議会に諮られます。 この運動には、小説家の井上ひさしさん、女優の吉永小百合さん、 小児科医の毛利子来さんら多くの著名人からも賛同が寄せられています。 横須賀市長・市議会が「住民投票」の決断を望む声が大きく広がっています。
 さらに現在、平和フォーラムは、横須賀市長及び議会に対しては「住民投票条例」の制定を求め、 国に対しては「原子力空母の母港化の拒否」を求める署名活動を全国で展開しています。 この署名運動を通して、米軍再編・東北アジアの平和の視点からも、 全国で空母母港化に反対することが重要です。7月19日には横須賀市において、 1万人規模の「原子力空母母港化阻止全国集会」が予定されています。 この集会を成功させて、1ヵ月後の入港を絶対に阻止しましょう。

連載・食問題──その背景にあるもの(後)
世界の穀物不足─食料争奪の時代

 4月2日、世界銀行のロバート・ゼーリック総裁は、 33の開発途上国で食品価格が急騰し、貧困層が食料危機に直面しているとし、 先進国に緊急支援を求めました。世界の穀物相場を決めるシカゴの商品取引所では、 06年秋頃から価格が上昇し、大豆とドウモロコシは約2.3倍、小麦は3.2倍も上がっています(06年1月比)。
 日本でも小麦粉や牛乳、しょうゆなどが値上がりし、今後もそば粉やバターなどが値上げされます。] しかし、世界はもっと深刻で、コメ輸出国のタイの米価は昨年3月に比べて68%も上昇。 このため、輸入国のフィリピンの大統領はベトナムにコメの融通を懇願しています。 一方、農産物輸出国は、自国内の供給を優先するため、次々と輸出制限措置を取っています。 インドはコメや小麦を禁輸、ロシアやアルゼンチンでは小麦などに輸出税を導入して規制を強め、 中国でも食料100品目を含めて輸出数量割当を実施しました。 ついにアフリカでは「食料暴動」が起き、死者も出ています。

需要の増大、バイオ燃料への転換などが要因

 異常な「食料の争奪戦」はどうして起きているのでしょう。その背景として、3点が指摘されています。 1つは中国やインドなどの急激な経済発展に伴い、それまでの穀物主体から肉食が増えたことです。 畜産の飼料に多くの穀物を必要とします。牛肉1キロを作るために10キロの穀物が使われます。 その上、世界人口は毎年7,600万人増加する一方、農地の4割が劣化しており、 今後は生産の増加は難しくなっています。
 第2に、世界的なバイオ燃料ブームで、原料としての穀物の需要が増大していることです。 米国では、ブッシュ政権の方針のもと、トウモロコシをバイオ燃料の原料に転換することが進められています。 このため、トウモロコシの作付けが増大し、そのあおりで大豆生産が大幅に減少しました。 これにより大豆価格が高騰し、輸入大豆に頼る日本のしょうゆや植物油の値上げにつながっているのです。 トウモロコシは日本の輸入飼料でもあるため、畜産のエサ代が上がり、牛乳などの価格にも影響を与えています。
 さらに、追い打ちを掛けるように、地球規模の気候変動の影響があります。 輸出大国のオーストラリアは今年、過去に例のない2年連続の激しい干ばつに襲われました。 平年の6割程度の生産にとどまった小麦は、 そのまま日本のパンやうどんなどの小麦製品の価格高騰に直結しています。
 こうした点から、需要量が生産量を上回り、国際的な穀物在庫率は、 かつて食料危機に直面した70年代前半の水準を割り込み、食料確保が困難になっているのです。
 さらに、投資マネーが穀物市場に流れていることも指摘されます。石油高騰も招いている ヘッジファンドなどの投機資金が、穀物にも流れ、 マネーゲームとして価格のつり上げを起こしているのです。 穀物価格高騰はこうした構造的な要因によるものであり、今後も中長期的に続くと予想されています。

食料自給率の向上へ抜本的な対策を

 こうした事態に対して、まず食料自給率の向上が必要です。日本の食料自給率は39%と、 先進国中で最低です。しかし、日本農業は、これまでの輸入自由化や価格の低下で、 減反・減産、耕作放棄の増加、担い手不足、高齢化が進み、衰退の一途をたどっています。
 そうした中で、政府は昨年から新たな農業政策として大規模農業に集中した「経営所得安定対策」を実施しました。 しかし、これによって中小農家や山間・過疎地が切り捨てられる危険性があります。 新政策が自給率の向上や担い手確保、耕作放棄地の解消につながるのかどうか、 地域の中から徹底した検証が必要です。また、 欧米などで行われている農家への所得補償制度などの抜本的な政策が求められています。
 平和フォーラムでは、各地で集会等を開催し、農業・食料の現状や農業政策について検討し、 地域における要求課題を取りまとめる運動を進めています。これらの要求をまとめ、 今後の農政に反映させるために6月に政府要請などを行う予定です。
 また、自由貿易を進めてきた世界貿易機関(WTO)や二国間自由貿易協定(FTA)交渉でも、 各国の農業生産を拡大する方向に貿易ルールを転換すべきです。
 さらに、消費者も、不安定な輸入に依存する食生活からの転換が必要です。 地域で生産されたものを食べる「地産地消」や、旬の時期を選ぶ「旬産旬消」を心がけることも大切になっています。

東京電力を告発する長尾原発労災裁判
「原子力発電所の暗闇を照らす判決を願います」
長尾光明さんの裁判を支援する会(全造船機械労組石川島分会) 内山 俊一

福島原発で大量の放射線をあびる

 造船重機械のメーカーの石川島プラント建設社員であった長尾光明さんが、 東京電力(東電)を被告として04年10月に提訴した裁判は、5月23日に判決を迎えます。 07年12月7日の結審にあたって、原告の鈴木篤弁護団長からは、本人の声を届けてほしいと、 次の意見陳述が口頭補足されました。
「私は1977年から82年1月まで東京電力福島第一原発の配管工事に従事して大量の放射線をあび、 98年に第3頚椎骨折があり、その後、多発性骨髄腫が確定しました。 07年10月からは右鎖骨病変で入院中です。原因は被曝であり、 阪南中央病院(大阪)の村田三郎先生にかかり、国も労災として認定しました。 しかし東電は私が診察も受けたこともない清水一之医師を出してきて病気は偽りだというのです。 この東電を許せません。私が働いた時期にあった大量のアルファ核種という放射性物質の漏れを 隠していた問題も明らかになりました。原子力発電所での仕事は本当に苦しいものでしたが、 私は精一杯働いてきました。その結果が、多発性骨髄腫です。 もし原発で働くことがなかったら、今のような苦しみを背負うこともなかったと思うと、 本当にくやしくてなりません。日本の原子力発電所の暗闇を照らす判決をお願いしたします」
 結審の6日後、長尾さんは判決を迎えることなく、82歳で亡くなりました。

被曝との因果関係を否定する東電


本人陳述後、弁護団とあいさつする生前の長尾さん
(中央・06年4月6日東京地裁)

 長尾裁判は被曝賠償に係ることから「原子力損害の賠償に関する法律」 を根拠に損害賠償を請求しています。この法律は、原子力事業者の無過失責任を認め、 故意または過失であるかどうかを問わずに損害賠償責任が発生します。 そのため、通常の裁判のような東電の過失を示す安全配慮義務違反は争いとならず、 長尾さんの被曝と多発性骨髄腫との間に因果関係があるかどうかだけが主な争点となりました。
 ところが、東電は被曝と多発性骨髄腫罹患との間に因果関係は認められないという主張だけでなく、 診断は誤診であり病名違いであるとまで主張しました。 その裏付けとして国立大学の多発性骨髄腫の権威とされる教授が4度にわたり意見書を提出し、 長尾さんの病気が多発性骨髄腫であることを否定してきました。
 しかし、最新の診断基準では、臓器障害など他の基準を満たせば多発性骨髄腫と診断できることとなっており、 長尾さんはこの基準を満たしています。それなのに、意見書は異例と言えるほど、 長尾さんの骨髄に形質細胞が10%以上見つからないから診断基準を満たさないなどと固執し続けてきたのです。
 このように、長尾裁判は原告の業務と罹患の因果関係が肯定されれば解決する、 極めて簡潔な裁判であるのに、診断経過一つをみても東電は豊富な財力に物を言わせ、 病と闘い、生活費に汲々とする弱い立場にある原告を突き放してきたのです。

東電の後押しをする国へも判決

国(厚生労働省)が認めた労災認定の結果すら無視する一方で、 東電は裁判への文部科学省の補助参加を受入れました。その理由は、 長尾さんのように被曝後10年以上経って電力会社が賠償した原子力損害については、 国が電力会社に補償することになっているためです。 東電は利害関係から、原告を敗訴させるための支援を国から得ているのです。
 その東電と国に対する判決が下されます。若い同僚に同じ苦しみを味わせたくないという 長尾さんの遺志を実現するため、「原発は安全である」という神話を覆し、 原子力政策の転換を目指します。
 その第一歩となる5月23日の東京地裁判決を受けて、私たちは当日、 東電や文科省への要請行動や報告集会を行います。ぜひ注目をしてください。

再稼働を強行した志賀原発2号機が一週間で停止
北陸電力の安全軽視、隠ぺい体質がまたもや鮮明に
石川県平和運動センター 事務局長 北野 進

52万署名を無視し再稼働を強行

 北陸電力(北電)は3月26日、全国からの抗議が殺到する中、 約1年9ヵ月停止していた志賀原発2号機の再稼働を強行しました。 再稼働へのシナリオは電力・行政一体となって練り上げられたものでした。 まず3月3日、社外委員からなる臨界事故隠しの再発防止対策検証委員会が、 「対策の進捗率は100%完ぺき」と手放しで北電をほめあげ、御用委員会として運転再開への露払いを行いました。
 翌4日には北電が自ら取り組んできた2号機の設備総点検で、全設備の健全性を確認したと発表。 7日には原子力安全・保安院が「安全対策は確実に実施」という特別保安検査の結果を報告しました。 こうした100点満点のオンパレードを受け、北電は3月14日、石川県と志賀町に対し再稼働を申し入れました。 県や志賀町は、シナリオ通りに議会などの了承を一気に取り付け、わずか1週間でゴーサインを出しました。
 これに対し私たちも、3月が最大のヤマ場との判断から、全国から寄せられた約52万筆の署名を受け、 2月22日の県への申し入れを皮切りに、北電、志賀町、国への申し入れを重ね、 富山市での北電本店包囲行動や志賀町での緊急抗議行動なども展開してきました。 北電の再稼働申し入れや知事の回答に対しては、県会議員団とも連携し、 直ちに記者会見をおこない抗議声明を発表し、再稼働の問題点を広く訴えてきました。
 結果的に再稼働を許したとはいえ、この間の取り組みによって、志賀原発の危険性に対する県民の 関心はかつてなく高まり、北電の強引さと、行政の異常なまでの追随ぶりを浮き彫りにすることができました。

耐震の安全性評価も疑問だらけ


再稼働に抗議するデモ行進(3月21日 志賀町)

 北電は再稼働を申し入れた3月14日、新たな耐震設計審査指針に基づくバックチェック(安全性評価)の中間報告も発表しました。 16本の断層について評価を修正し、最大マグニチュード7.6の地震による600ガル(従来490ガル)の揺れを想定しました。 これまでの断層の過小評価が明らかになりましたが、北電はこれでも設計や建設時の「余裕」を根拠に 耐震安全性は確保されていると主張します。この耐震バックチェックの評価が、 3月25日の国への申し入れ行動の最大の争点となりました。
 まだまだ原発近くで隠している断層があり、酒見断層など評価に疑問がある断層もあります。 そもそも600ガルの想定が妥当かどうか、そして600ガルに耐えられるかどうかも疑問です。 私たちの指摘に対し、原子力安全・保安院は、耐震評価と志賀原発の再稼働は別問題とし、 北電のバックチェックはこれから確認すると繰り返すのみで、安全性を明言することはできませんでした。 「それならば、26日に予定される再稼働は中止せよ!」と、 地元から申し入れのために貸し切りバスで乗り込んだ参加者は、一様に怒りを爆発させました。

再停止の緊急事態も軽視する北電と県

 5月の連休明けの営業運転開始を目指し再稼働した志賀2号機ですが、 1週間後の4月1日、気体廃棄物処理系の水素濃度が異常上昇するという事故が起こりました。 水素は爆発の危険性がある可燃性ガスであり、濃度管理の重要性は言うまでもありません。 ところが北電は、警報が鳴っているにもかかわらず、営業運転開始の日程に影響が出ないよう、試運転を続行しながら原因究明にあたり、翌日早朝になっても原因が判明しなかったため、やむなく原子炉停止作業に入りました。 北電は停止作業開始後に、原因究明の過程でさらに8回の警報が鳴り、 うち4回は測定限界濃度の5%を超え、針が振り切れていたことを明らかにしました。
 北電も県も、原子炉の安全性に直接影響はないとして事態を軽視しています。しかし、試運転の作業を優先し、 さらに測定限界値を超える事態を伏せていたことは、 臨界事故隠しで問われた「工程優先」「安全軽視」「隠ぺい体質」が、 そのままであることを意味します。県や志賀町は再稼働の了承を撤回すべきです。

急速に軍事の近代化進むロシア
米ロは新たな緊張関係へ

新型核ミサイル開発を進めるロシア

 4月2〜4日にブカレスト(ルーマニア)で開催されたNATO(北大西洋条約機構)の首脳会議は、 クロアチアとアルバニアの加盟を決定し、28ヵ国体制を実現したものの、 ウクライナとグルジアの加盟は見送らざるを得ませんでした。 その後、4月5〜6日にロシア・ソチで開催された米・ロ首脳会談も、 米国が東欧に計画するミサイル防衛(MD)施設についての合意は成立しませんでした。
 これは、冷戦崩壊以降続いてきた米国の一極主義がもはや通用しなくなったこと、 ロシアがめざした多極化の世界が現実のものとなったことを示しています。 しかし、それは同時に世界、特に米ロに新たな軍事緊張をもたらしていくことでもあるといえます。
 ソ連崩壊後のロシアは、厳しい経済的困難に直面しました。 そのため、ロシアは経済立て直しのために、軍縮政策によって軍事費の削減を図ろうとしました。 大幅な軍隊の削減、通常兵器だけでなく、戦略核兵器の削減も進めていきました。
 しかし、ソ連時代、米国との軍事的均衡を追い求めてきたため、 大幅な軍事力削減はロシア軍部の強い反発を招くとともに、ロシア指導層にも不安感をもたらしました。 とくに米国で強まってきたMD構想に強い危機感を抱きました。 それによりロシアは軍縮と同時に、米国との軍事的均衡を図るための新型核ミサイルの開発に取り組みました。 それはまた93年に調印された第2次戦略核兵器削減条約(STARTU)によって、 陸上発射の多弾頭核ミサイルの全面廃棄に対応するための措置でもありました。

曲折が続く米ロ間の核軍縮の流れ

 アメリカとロシアの核軍縮の交渉は次のように行われてきました。

核兵器廃絶の道を放棄する米ロ

 97年12月に、ロシアのエリツィン大統領は「トーポリM」(単弾頭・射程10,000q)の実戦配備を発表しました。 トーポリMはレーダーで捕捉されにくく、米国のMD網を突破するミサイルといわれています。
 2000年、ロシアでプーチンが大統領に選ばれ、同年4月のロシア議会はSTARTUの批准承認を可決しますが、 批准書交換に、米国に弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約合意書の批准を要求しました。
 一方、01年に米大統領に就任したブッシュは12月、ABM制限条約から一方的な脱退をロシアに通告。 このためロシアはSTARTUの批准書交換を取りやめます。
 その後02年5月、モスクワで米ロ首脳会談が開催され、2012年までに戦略核を1,700〜2,200個に削減する 「戦略攻撃兵器削減条約」(モスクワ条約)が調印されますが、 この条約には、核弾頭の廃棄も義務づけず、条約からの脱退も3ヵ月前に通告すればできるという内容でした。 米ロは誠実な核兵器廃絶の道を破棄したのです。

米国の東欧へのMD推進とロシアとの対立

 陸上発射の多弾頭核ミサイルの保有が可能となったロシアは、 トーポリMの多弾頭化に成功し、移動可能な形で実戦配備を進めていきます。 さらに米国のミサイル防衛に、より対応する新型多弾頭核ミサイルを開発し、 07年5月末に実験を成功させます。同じ日にロシアは、新型巡航核ミサイル・イスカンデルMの 実験も成功させました。イスカンデルMは射程300qで、 あらゆるMDシステムの突破が可能と伝えられています。
 ロシアの軍事費は米国に比較すればまだ少なく、多くの核ミサイルは老朽化しています。 しかし、ロシアは次々と最新のミサイルを開発し、 その核ミサイルは原子力潜水艦にも配備されつつあります。 あくまで東欧にミサイル防衛施設を建設したい米国と、 反対するロシアは一層厳しく対立すると考えられ、 世界は新たな緊張と軍拡の時代を迎えることになります。

★☆★☆★☆【本の紹介】★☆★☆★☆★

写真版「東京大空襲の記録」
早乙女 勝元 著編


1987年刊 新潮文庫

 1945年3月1O日。一夜のうちに東京の下町一帯を焼け野原に変え、 10万人にのぼる死者で街や河を埋めつくした東京大空襲。その実相は、 戦後もなかなか明らかにされてきませんでした。その中で、 自身12歳のときに東京大空襲を経験した被災者でもある早乙女勝元さんは、 その半生を実相の解明のために尽力してきたことで知られています。
 1970年には「東京空襲を記録する会」を結成し、戦後も理もれていた資料を発掘し、 空襲当時の模様を正確に掌握してきました。 また、2002年には、江東区北砂に「東京大空襲・戦災資料センター」を開設しています。 東京大空襲にかかわる編著書も多数あります。
 本書もその1冊ですが、東京での空襲の歴史、東京大空襲の夜の模様、 惨禍、被害の全貌をコンパクトに、かつ写真を豊富に使って著したものです。 本年3月はじめにTBS系列でドキュメンタリードラマとして放映された 元警視庁カメラマンの石川光陽さんの貴重な写真も掲載されていて、 私たちにとって戦争とは何だったのかを訴え、 いかに悲惨で非人道的な爆撃が行われたかを克明にわかりやすく示しています。
 東京大空襲から62年目の2007年3月、被災者112名が原告となり、国に対し、 謝罪と損害賠償を求める訴訟を東京地方裁判所に提訴しました。 戦後長く民間の被災者に対して何らの援助もせず、切り捨て放置した国の責任を問う重要な訴訟です。 今年に入って原告も増加しました。また、支援の署名もとりくまれています。
 東京大空襲は過ぎ去ってしまった問題ではありません。いまもつづいています。 その意味でも、本書は、東京大空襲の歴史と実相を学ぶ最適のテキストです。
 日本政府が戦争・戦後責任を果たさず、いかにとんでもなかったかは、 多額の軍人恩給の一方、一般戦災者に対する無補償の問題に示されています。 それどころか、本書の最後に記載されているように、東京大空襲を企図し、 全国諸都市の対日焦土作戦に直接指揮をとったアメリカのカーチス・E・ルメー将軍に対して、 1964年12月7日、天皇と日本政府は「勲一等旭日大綬章」を授与しています。 理由は、ルメー将軍が「日本の自衛隊の育成に貢献した」というものです。 戦争犠牲者のことも、憲法のこともまったく無視されてきたことを改めて考えさせられます。

(五十川 孝)

★☆★☆★☆【映画評】★☆★☆★☆★

戦争をしない国 日本
片桐 直樹監督(06年/日本)

 この作品は、「日本国憲法」をテーマに、社会的な話題作を撮り続けてきた3人の監督(大沢豊、片桐直樹、橘祐典)が 構想を練り上げ、108人の各界を代表する呼びかけ人によってシリーズ化された第一作です(90分)。
 戦前の太平洋戦争、軍国主義に突入していく日本の政治の動きに始まり、戦後まもなくの 「自主映画運動」の貴重な映像を交えながら、ポツダム宣言(敗戦)、 日本国憲法の制定、東西対立に伴うアメリカの日本に対する政策転換、 戦前の支配層の利用・復活(岸信介らの戦犯復帰)、保安隊から警察予備隊、 そして自衛隊に至る過程や、日米安保条約の現在に至るまでの変遷などを映し出しています。 中学・高校では戦後政治史を学ぶ機会がないからこそ、映像を通じて考えさせられます。
 今、日本は米軍の再編成に完全に組み込まれ、戦争ができる国になろうとしています。 60年前、戦争をしない国を世界に誓った日本。それはなぜだったのだろうか? 日本国憲法の成立過程と9条をめぐる 今日に至る経過を、膨大な事実の映像を積み重ねながら、淡々としたナレーションを通じて真実を解明しています。
 私たちの運動を振り返り、今般憲法改正論議が喧しい中で、 いま市民一人ひとりが憲法とその平和主義について学び考えるためにも、 若い世代の皆さんにも観ていただきたい映画です。ちなみに私は1963年生まれで「沖縄返還」「スト権スト」のときは小学生でした。 佐藤内閣以降しか社会的事象の記憶はありませんが、安保改定やベトナム反戦など、 映像が訴える当時の社会や平和運動のエネルギーに改めて驚かされました。
 去年、地域の上映会で、憲法学者鈴木安蔵を中心とした民間研究グループの 「憲法研究会」の草案が、GHQや今の憲法の制定過程にいかに影響を与えたかを描いた 映画「日本の青空」(大沢豊監督・123分)を観ましたが、 どちらも現在の日本政治のありようを考える上でもお勧めの内容です。

(鈴木 智)
詳しくはhttp://www.filmkenpo.net/

★☆★☆★☆【投稿コーナー】★☆★☆★☆★

米軍基地はいらない!
550人が怒りの防衛省包囲
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック 吉田 正司

 ブォオ〜、ブォオ〜、ブォオ〜。ジャン、ジャン、ジャン。
 4月6日の午後、防衛省前で合図のホラ貝とドラが鳴った。
集まった550人の手をつないで「人間の鎖」が実現された。「基地は、いらな〜〜い!」。  沖縄・岩国・横須賀・座間など、米軍基地のある所からやって来た「基地をけとばせ!」メンバーらは防衛省に強く抗議。 沖縄から来た「ヘリ基地反対協」の安次富浩(あしとみ・ひろし)さんと、 「沖縄平和市民連絡会」の高里鈴代さんも、「名護・辺野古に新基地をつくるのは止めて!」、 「基地が平和と安全を守っているとはうそです!」と強烈な訴え。 山口県岩国市議会議員の田村順玄さんも「米軍再編交付金をちらつかせて基地を受け入れさせるやり方は卑怯だ」 と満面に怒りの表情。

軍事基地はけとばそう!


防衛省正門前を3度にわたって完全封鎖(4月6日)

 この日の行動は、沖縄の「ヘリ基地反対協」「沖縄平和市民連絡会」と、 「辺野古へ基地建設を許さない実行委員会」(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックなどで構成)の三者が呼びかけた。
 多額の賛同金が集まったばかりでなく、この時だけで14万7千円もカンパが集まった。 このまま黙っているわけにはいかない、何とかしなくてはならない、 それなら軍事基地はけとばそう!という、参加者の意気込みによるものだ。
 3回にわたって、人間の鎖はつながった。午後3時過ぎ、用意してきた防衛省あての抗議・要請文を、 沖縄からの二団体は全文を読み上げ、他の団体は団体名を確認し、門前で防衛省に手渡した。
 最初に吹かれたホラ貝は、昔は合戦の時を告げるものだった。私たちは争いも戦いも好まない。 軍国主義にも「不朽の自由作戦」にも反対だ。 しかし、住民の意向を無視して強引に軍事基地をつくったり移設したりすることには抵抗する権利がある。 それがたとえ閣議決定であろうとも、日米合意であろうと、われわれはその不正義を止める行動をとることができる。
 そのためにわれわれはこの日、「人間の鎖」で「基地は、いらな〜〜い!」と意思表示した。 参加した安次富さんは、「労働組合の参加が少ないね」と言っていた。 この日の行動は、自発性重視の草の根運動。いわゆる組合動員的なものではない。 かといって、市民運動だけでもない。環境・人権など様々な志向の人が加わった集まりだ。

米軍への土地提供をストップさせよう

 在日米軍基地を75%も沖縄に集中させておいて、 この上さらに新基地を名護市・辺野古に作ることは許されない。 住宅街の真ん中にあって「世界一危険な基地だ」と、 ラムズフェルド元米国防長官を驚かせた普天間基地。 その所属海兵隊8,000人を、グアムに移設するための費用7,100億円は なんと日本側負担! しかも普天間基地は、2014年までに辺野古に移設するという。 米軍は「グアムも辺野古も、両方いただき」というわけだ。 それに応じてしまう日本政府は、いったい何を考えているのか?
 われわれは米軍用地の強制使用に反対してきた。地主が「戦争のために基地を使わせたくない」という意思を踏みにじり、 日本政府が米軍に土地を提供するのは、必ずやストップさせるまで闘い続けるつもりだ。

◆一坪反戦地主会とは?
「反戦地主会」は沖縄の軍用地強制使用を認めず、契約拒否している地主会。 正式名は「権利と財産を守る軍用地主会」、現在の会員は約150人。 他方、契約している軍用地主会は通称「土地連」。会員は29,000人。
 日本政府は地主と強制的に「契約」し、米軍基地として提供している。 これに対して反戦地主を支援し、嘉手納や普天間などの米軍基地内の共有地返還を要求している地主たちが、 一坪反戦地主会。会員は3,000人弱で、 スローガンは「軍用地を生活と生産の場に!」。
 関東ブロックは会員約900人、機関誌『一坪反戦通信』は月刊(会員向け)。
ホームページはhttp://www.jca.apc.org/HHK


「歩くことで知る沖縄」
ピースアクション2008 沖縄5.15平和行進


昨年の平和行進の様子(国頭村で)。
詳しくはこちらをご覧ください。

 1972年5月15日、沖縄は本土に復帰しました。 しかし沖縄には未だに米軍基地の重圧が押し付けられています。 沖縄平和運動センターと平和フォーラムは今年も平和行進を次の通り行います。

日程 5月15日(木)18:00〜
「米軍再編NO!辺野古への新基地建設を許さない全国集会」 会場:名護市役所前広場

5月16日(金)〜18日(日)平和行進
東コース 辺野古〜嘉手納基地〜沖縄市 西コース 名護市役所〜嘉手納基地〜読谷村 南コース 那覇市役所〜平和記念公園〜普天間基地 どのコースも最終は宜野湾市海浜公園到着

5月18日(日)15:00〜
「5・15平和とくらしを守る県民大会」 会場:宜野湾市海浜公園屋外劇場

ナビ もう一度原点から

 政局は、大きく揺れています。福田自民党政権の政権担当能力のなさが次から次へと明らかになっています。 そして、それを支えてきた官僚体制の制度疲労現象も深刻です。 年金制度、医療・保険制度は、国民の信頼を喪失しつつあります。 格差社会による不平等と生活不安が拡大し、そして物価上昇が追い打ちをかけています。
 また官僚体制では、防衛省、厚生労働者、文部科学省へと汚職と腐敗が拡大しています。海上自衛隊のイージス艦による漁船衝突・沈没事件は、背広組だけでなく、制服組までの自衛隊の腐敗を暴露しました。
 野党は、日銀総裁人事でも、道路特定財源でもこの間、攻勢に出ています。 そして国民は確実に崩壊に向けてダッチロールを続ける福田自公政権に対して見切りをつけ、 政権交代と官僚体制の抜本改革を求めています。 野党の奮闘を期待すると同時に私たちも連帯の輪を拡大してがんばらねばなりません。

沖縄、在日の怒りをわが怒りに

 米軍による暴力事件が続いています。 2月に沖縄では女子中学生に対する性暴力事件が発生しました。 3月に横須賀では、タクシー運転手に対する殺人事件も発生しました。 これらは、米軍人・家族による犯罪の一部です。沖縄や横須賀市民の怒りは沸騰しています。
3月23日、沖縄では、「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」を土砂降りの雨の中、 6000人の参加で開催し、4月14日〜15日に66名の代表団が沖縄から上京し、政府・政党に要請活動を展開しました。 しかし、福田政権は、「地位協定を変える必要はない。 運用改善で良い」「基地の縮小・撤去ではなく、辺野古への基地建設」と答えるのみです。 沖縄の代表団は怒りをさらに強めています。
 4月11日、政府は朝鮮民主主義人民共和国に対する「制裁措置」の延長を決定しました。 平和フォーラムなどが開いた4月2日の「東北アジアの平和と日朝国交正常化〜制裁を止め対話を」の集会で、 在日の女性から、「共和国」に対する制裁措置は在日の人々に対する多くの人権侵害を引き起こし、 生活を脅かしているとの訴えがありました。一つの事例として、 「本名を名乗っていた」小学4年生の女の子が、 学校で「キム・ジョンイル、キム・ジョンイル」とからかわれ、 いじめられ、結果として通学ができなくなり、 転校すると同時に名前を日本名(通称)に変えたということでした。 現代版「創氏改名」だと訴えていました。 私たちが在日の人々の置かれている実態をどれだけ知っているのだろう、どれだけ連帯してきたのだろうか。
 沖縄の課題も、日朝国交正常化・在日との連帯強化の課題も、 私たちに突きつけられている最重要課題です。もう一度原点からがんばらねば。

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