平和軍縮時評20153月号

集団的自衛権と安保法制与党合意

塚田晋一郎(ピースデポ事務局長代行、集団的自衛権問題研究会)

 

 昨年7月1日の閣議決定によって、安倍政権は日本を集団的自衛権行使可能な国にするための、直接的な契機となる最初の一穴を空けた。その際も、そして現在に至るまで、安倍首相はじめ政府高官らは、これは憲法の範囲内での方針の変更であり、いわゆる「解釈改憲」ではないと一貫して主張してきている。

しかし現在行われようとしていることは、戦後日本が70年間かけて積み上げてきた平和・非戦国家としての「ジャパン・ブランド」としての国際的・歴史的地位を失墜させかねないものである。そして憲法を最高法規とするこの国の規範や民主主義そのものを、根底から破壊する動きに他ならない。

 

集団的自衛権の罠

 安倍政権は、集団的自衛権は国連憲章で認められた、すべての国が持つ権利であり、権利があるのに使えないとしている歴代内閣の解釈がおかしいのだという論理で、行使へ向けてひた走っている。しかし、集団的自衛権とはなにか、またどのように実際に行使されてきたのかという事実の検証はまったくなされていない。

集団的自衛権が国連憲章の中に盛り込まれた歴史的背景には、各国の政治的な思惑があった。多国間協調による集団安全保障の考えに基づき起草された国連憲章は、1944年の草案では、多国間における武力行使は国連安全保障理事会の承認事項としていた(当時、自衛権に関する規定は存在しなかったが、各国が個別的自衛権を有していることは暗黙の了解となっていた)。しかし当時すでに世界の覇権争いを画策していた米ソは、そのことを足かせと考えた。また、個別的自衛権のみでは生存できないと考えた中南米諸国が集団的自衛権の規定を要請したともいわれる。その結果、国連憲章に第51条(自衛権)が加えられることとなり、同条において個別的および集団的自衛権が初めて明文化された。

 戦後の米ソ対立構造の中で、この第51条を根拠に、北大西洋条約機構(NATO)およびワルシャワ条約機構が構築され、集団的自衛権の行使を名目にした他国への軍事介入が繰り返された。1956年のソ連によるハンガリー介入や58年の米英によるレバノン・ヨルダン介入、83年の米のグレナダ介入をはじめ、軍事大国が他国に介入をした事例は枚挙に暇がない。

冷戦後、2001年の9・11攻撃をブッシュ米大統領は「新たなタイプの戦争」と定義した。そして翌12日の国連安保理決議1368は、「国連憲章に従って、個別的又は集団的自衛の固有の権利を認識し……あらゆる必要な手順をとる用意があることを表明する」とした。この安保理決議の下で、米国は個別的自衛権として、その他の参加国は集団的自衛権の行使としてアフガン攻撃を行った(9・11は国家による攻撃ではなかったので、自衛権行使ではなく、刑事事件に対する法執行であったとの見解もある)。

1991年の湾岸戦争は安保理決議678によって根拠づけられた。2003年のイラク戦争で米英は、12年前の同決議を改めて援用しつつ決議1441(イラクの武装解除義務違反)と組み合わせて武力行使の根拠とした。しかしそれらの決議は、具体的に個別的・集団的自衛権のいずれにも触れていない 。コフィ・アナン国連事務総長(当時)は、イラク戦争は国際法上の根拠をもたない「違法な行為」であったと明確に批判している 。英国では、政府が誤った戦争に導いたことを問うイラク戦争検証委員会が設置され、経過の徹底検証が進められてきた。イラク戦争において、英国軍は数百人規模の死者を出している。こうしたリアリティを欠いた議論は無責任であり、許されない。また、集団的軍事行動に参加すれば、それに反発するテロ攻撃を日本が受ける危険も高まる。2005年の英・ロンドン同時爆破事件では50名以上が、04年のスペイン・マドリード列車爆破事件では、190名以上が命を落としている。このようなリスクについて現在の日本ではほとんど議論がなされていない。

まとめると、集団的自衛権の行使とは、@国連憲章によってすべての国が有する権利であることは自明である。Aしかし実際には軍事大国による他国への軍事介入の口実として用いられてきたものであり、集団的自衛権を用いる国は「普通の国」ではない。B結果として、自国民の生命をさらに危険に晒し、実際に多くの民間人被害を出すことに繋がっている。すべての議論の出発点に、こうした事実認識が置かれなければならないはずであるが、昨年からの議論では、この点がまったく無視されていることは非常に問題である。

 

安保法制の与党協議

 自民・公明両党は、2月13日から、集団的自衛権行使をはじめとする、安全保障関連法の国会提出に向けた与党協議を開始した。昨年7月1日の閣議決定に至る与党協議と同じく、自民党の高村正彦副総裁が座長を務め、公明党側は北側一雄副代表が協議のトップとなった。

 初回の2月13日の協議は、武力攻撃に至らない侵害、いわゆる「グレーゾーン事態」と呼ばれる事態への対処が主題となった。これは集団的自衛権行使にはならない事態に関するテーマであり、与党協議の入口として比較的議論しやすいテーマ設定がなされたことがうかがえる。現在、ほとんどのメディアは「グレーゾーン事態」という言葉をそのまま使用しているが、そもそもこの概念自体を慎重に捉える必要がある。

具体的に想定されているのは、尖閣諸島などへの国籍不明の武装船等の上陸した場合などであるが、仮にそうした状況が起きた場合は、これまで通り海上保安庁がまず状況確認を行うべきである。いきなり武装した自衛隊を派遣すれば、相手の態度を硬化させ、無用な戦闘行為を誘発しかねない。いざ自衛隊を派遣するという事態になった場合には、どのような装備を搭載した、どのような艦船や部隊が出動するのか、まずは情報収集が先になる。情報のない中でいきなり重武装の艦船を派遣することは返って事態を深刻化させ、延いては自衛隊員の命を危険に晒すことにもなりかねない。

安倍首相は、先般のシリアでのISによる人質殺害事件を利用し、邦人救出のためにも自衛隊を出動させることが必要であるとまで発言している。人質事件の経験から学ぶべきことは、まったく逆のことであり、情報収集や外交交渉などのインテリジェンス活動である。そのような事態が発生した際に、実力組織である自衛隊を送りこんでも人質の居場所の特定すら危ういという事実は、数度にわたる米軍特殊部隊による人質奪還作戦が失敗に終わっていることをみても明らかである。自衛隊の機関紙『朝雲』が、この安倍首相の発言に対して異議を表したことからも、いかに荒唐無稽な論理で自衛隊の海外派遣を無制限に拡げようとしているかがわかる。

 3月5日の朝日新聞は、「(安全保障法制)乱立、五つの『事態』 集団的自衛権行使へ改正案」との見出しの記事で、「新たな安全保障法制をめぐり、政府は現行の武力攻撃事態法を改正し、集団的自衛権の行使を可能とする方針を固めた。日本が直接攻撃される武力攻撃事態に加え、日本の存立が脅かされる『存立事態(仮称)』なども加わり、複数の事態をいかに整理するのかが課題となる。それぞれの事態に応じて手続きや歯止めのかけ方も、与党協議の焦点となりそうだ」と報じた。

五つの事態とは、日本への攻撃がなされた場合の、@武力攻撃事態、A武力攻撃予測事態、B緊急対処事態、それに他国への攻撃などの場合のC存立事態(仮称)、D重要影響事態(仮称)の五つである。このうちCとDが、政府が新設しようとしている概念である。「存立事態」は、「日本と密接な他国への武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」とされ、この文言は、7月1日閣議決定の、集団的自衛権行使の新三要件の一つ目と一致している。「事態」の定義がどのようになっていくかは、法案がより具体化していく中で明らかになるであろう。いずれにしても、国民にとって非常に分かりにくい議論がなされており、民意との乖離は非常に大きい。

これまで政府は、97年の日米ガイドライン改定や99年の周辺事態法における「周辺事態」の概念、または2003年のイラク派遣の際には「非戦闘地域」など、その時々の状況に応じて、自衛隊の活動範囲を拡げるために、様々な概念を生み出してきた。とにかくまずは自衛隊を海外に出す必要があり、そのために概念を生み出すという、手段と目的が倒錯した論理である。

しかし、今回の法整備がこれまでの根本的にことなるのは、第一に、国民世論の反対の中で強行された「閣議決定」という非民主的手段による事実上の解釈改憲の上に行われていること、そして第二に、今回の法整備は、これまでのアフガン派遣における「テロ対策特措法」や、イラク派遣における「イラク特措法」(いずれも失効している)のような時限立法ではなく、今後の日本の外交安保政策を規定し続ける海外派遣恒久法(名称未定)の制定を含んでいることである。

 

政治日程ありきの与党合意

3月20日、安全保障法制に関する自公与党協議は、「安全保障法制整備の具体的な方向性について」と題する合意文書を発表した。昨年7月1日の閣議決定を法案に落とし込むべく2月13日から週1回ペースで再開された与党協議は、わずか5週間で方針の合意に至った。

報道に寄れば、関連日程は以下のとおりである。

3月26日 高村自民党副総裁(与党協議座長)、ワシントンで講演

4月12日・26日 統一地方選の投開票

26日 安倍首相訪米

27日 日米外務・防衛閣僚会合(2プラス2)、ワシントンで開催

→与党協議再開(短期間)

5月中旬 安保法制閣議決定

→国会審議

6月中まで 日米ガイドライン改定作業完了

6月24日 国会会期末 (→8月上旬頃まで延長?)

 

このように、首相・関係閣僚の訪米日程と国内の統一地方選の間断を縫う非常にタイトなスケジュールで安保法制は進められようとしている。国会では、集中審議もなされるであろうが、国民の理解はまったく進んでいない。最新の世論調査でも、集団的自衛権行使や、今国会での成立および新たな法整備そのものへの反対は過半数を超えている。その問題性をまず指摘し、3月20日の与党合意の概要および問題点を以下に概観する。

 

与党合意の概要と問題点

 冒頭の項目、「全般」には、公明党の強い要望により、自衛隊の海外活動に当たって、@国際法上の正当性、A国会の関与等の民主的統制の確保、B自衛隊員の安全確保、の3点が盛られた。しかし、閣議決定における「新三要件」と同様に、与党合意には随所に抜け道が設けられており、いずれも時の政権による恣意的運用が可能であり、何ら歯止めになっていない。

●武力攻撃に至らない侵害への対処(自衛隊法改正)

米軍および他国軍の「武器等の防護」を可能とし、その判断には「国家安全保障会議を含め内閣の関与を確保」としている。日本への武力攻撃がない段階で、米軍および他国軍を自衛隊が守るということである。これまでの、日本が攻撃をされた場合にのみ反撃するという専守防衛の概念から逸脱している。自衛隊が進んで出て行くことにより、国民の生命および幸福追求権が、むしろ損なわれることにつながる。

 

●他国軍隊に対する支援活動(周辺事態法→重要影響事態法(仮称))

これまでの「周辺事態」(そのまま放置すれば日本有事に至るおそれのある事態)を廃し、「我が国の平和と安全に重要な影響を与える事態」(重要影響事態)の概念に。@武力行使との一体化を防ぐための枠組み、A原則国会の事前承認、の2点が要件。しかし「原則」には当然ながら「例外」がある。自民党はこの「原則」を書き込むことに執着した。

 

●他国軍隊に対する支援活動(海外派遣恒久法を新設)

 @武力行使との一体化を防ぐ、A関連国連決議、B国会事前承認を基本、C隊員安全確保、の4点が要件。@はこれまでの「非戦闘地域」ではなく「現に戦闘が行われていない現場」という、地理的概念に加え時間的概念を含むものに。例えば戦闘が休止した場所への補給任務を他国軍から要請され、出向いた時に戦闘が再開したとしても、自衛隊がただちに撤退することは不可能だろう。自衛隊の戦争参加に直結しうる。Aは、例えばイラク戦争も、過去の安保理決議の援用で開始され、当時のアナン国連事務総長は「違法な戦争」と批判した。同様に、今後も国際法が守られる保証はない。B国会承認を「基本」としている。つまり例外がある。C隊員の安全確保は、たとえば@で述べたような状況に巻き込まれた場合、不可能だろう。戦闘現場の実相を無視しており、机上の空論に近い。

 

●国際的な平和協力活動の実施(PKO協力法改正)

 「国連PKOでの業務の拡大、武器使用権限の見直し」を行う。PKO以外の多国籍軍による人道支援等の活動について、@PKO参加5原則と同様の原則、A関連国連決議等、B国会事前承認を基本、C隊員の安全確保、の4点が要件。PKO参加5原則は、以下のとおり。(1)紛争当事者間の停戦合意、(2)受入国を含む紛争当事者の同意、(3)中立的立場の厳守、(4)以上の条件が満たされない場合に撤収可能、(5)武器使用は要員防護のための必要最小限に限る。「業務の拡大」により、より危険度の高いミッションに自衛隊が参加することが想定されており、武器使用基準も大幅に拡大されるであろう。「平和協力活動」の名の下に、戦後初めて日本人が他国の民を殺す状況を生み出しかねない。

 

●憲法第9条の下で許容される自衛の措置(集団的自衛権=自衛隊法・武力攻撃事態法などの改正)

@「新三要件」によって新たに「武力の行使」が可能となる新事態について武力攻撃事態等との関係を整理し、名称・定義を現行の武力攻撃事態法に明記、A自衛隊法第76条(防衛出動)、第88条(防衛出動時の武力行使)の改正、B原則国会の事前承認、の方向性で検討するとしている。「新三要件」は歯止めになっておらず、無制限の武力行使につながりかねない。また、自衛隊法第76条は、防衛出動は「武力攻撃事態法第9条の定めるところにより、国会の承認を得なければならない」としている(武力攻撃事態法第9条は事前承認が「原則」だが、「事前に国会の承認を得るいとまがない」場合には事後も認めている)。この点がどうなるのかも注意が必要である。第88条は「わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる」の箇所が変えられると思われる。

 

●その他関連する法改正事項

 「(3)在外邦人の救出」はいわゆる「テロリスト」等により拘束された邦人の救出であるが、ISに対する米軍特殊部隊の人質奪還作戦が幾度も失敗に終わっていることなどからも、こうしたミッションに自衛隊を投入することの意義は非常に疑わしい。戦闘の現場を一番知る自衛隊の機関紙である『朝雲』が反論していることも想起したい。

 

おわりに

戦中派の方々は、現在の状況を「いつか来た道」と批判されることが多くなってきた。少し前まで、特に若い世代の中では「そんなの大げさだ」との受け止めも多かったように思う。しかし、現在起こっていることをこのまま見過ごし続ければ、その行く末は、戦後日本初めて、日本人が戦闘行為によって他国の民を殺し、また日本人も殺されるという日が来ることになろう。私たちはいま、戦後日本の歴史において、これまでになく重要な十字路に立っていることを改めて想起し、世代を超えてあらゆる努力を尽くさねばならない。