復帰33年、戦後60年5・15メッセージ
 
2005年05月15日 復帰33年、戦後60年5・15平和行進総括集会

 

   「1972年5月15日 沖縄の祖国復帰は実現した しかし県民の願いは叶えられず 日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された」と、辺戸岬に建つ祖国復帰闘争記念碑は訴える。
 人権蹂躙のアメリカの軍事占領の下で、私たち県民が、待ち望んでいた「平和憲法」への祖国復帰は、日米政府の恣意により「日米安保」の強要に変えられた。
 米軍占領以上に、日本政府の沖縄基地施策は嫌らしくも、県民を分断し、その極めとして、普天間基地の返還と引き替えに、名護市辺野古への代替という新たな基地建設が強行されようとしている。
 植民地政策とも言える高等弁務官時代に、時のキャラウェイは、「沖縄人に民主主義は神話」と言い放った。
 1997年12月21日の名護市民投票は、辺野古移設NOの市民意思を日本政府に突き付けた民主主義の勝利であったはずである。
 しかし、その民衆の勝利は、復帰33年を経た今も、平和憲法の下でないがしろにされ、海ん人の生きる、サンゴの生きる、ジュゴンの生きる辺野古の海で、「ボーリング調査」の鉄杭が心臓に打たれようとしている。
 日本国憲法の定める「国民主権」とはなんであろうか。「基本的人権の尊重」とはなんであろうか。「地方自治の本旨」とはなんであろうか。
 名護市辺野古の問題は、総じて日本および日本国民全体の問題である。今ここを私たちは死守しなければ、平和憲法を守れない。
 新たな基地建設を許し、「戦力の不保持と戦争放棄」を誓った平和憲法を失い、イラクをはじめとする人間の生きる国(場所)へ鉄の雨を、核の雨を降らせてはならない。中国や韓国、北朝鮮、アジアへ再び「侵略」を許してはならない。
 私たち県民が、まさに島ぐるみで闘ってきた祖国復帰運動は、憲法前文に示されている「平和的生存権」を勝ち取る大衆の運動であった。沖縄と全国の額に汗して働く人々の連帯と団結の闘いであった。
 5・15平和行進は、その運動を確実に継承している。
 レインボーカラーの青春の担い手たちは、力強く平和行進を導いた。東、西、南、宮古、八重山の正副団長は、地域と地域、人と人を結んできた。
 沖縄戦で多くの犠牲を払い米軍占領下で生きる土地を奪われながらも沖縄の「土地闘争」という大衆運動の先導となった伊江島を、サンゴ礁が織りなす楽園の島・下地島を、国体護持のため「捨て石」とされた沖縄の戦場を、治外法権のフェンスが続く基地の街を私たちは歩いてきた。「安保粉砕」「基地撤去」と沖縄と全国の連帯と団結と友情で歩いてきた。「基地の島・沖縄」を、日本・アジア・世界に、「平和の島・沖縄」を創るメッセージを携え歩いてきた。
 私たちは宣言する。平和憲法、教育基本法の改悪を許さず、憲法擁護・反安保の運動を前進させる。



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