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全国空襲被害者連絡協議会結成1周年のつどい/決議(宣言)

2011年8月14日

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 第二次世界大戦が終わって満66年の今年、日本は未曾有の大災害に見舞われた。東日本を襲った大地震と大津波、そして原子力発電所からの放射能拡散は、私たち戦争の被害者を、再びあの忌まわしい日に引き戻した。
 相次ぐ空襲、機銃掃射、艦砲射撃、そして原子爆弾の投下。その下で日本本土、沖縄などで数十万人が亡くなり、それ以上の多くの国民・市民が傷つき、身寄りを失った。その多くは民間人、つまり勤め人や主婦、年寄り、子どもなどの普通の市民だった。生き残った者の多くは、戦後、平和と民主主義、人権の尊重をうたう憲法のもとで、いつかは国から救いの手が差し伸べられることを信じ、体と心の痛みや生活の苦しさに耐え続けた。
 しかし、国は元軍人や軍属などだった人たちには、昭和27年の戦傷病者戦没者遺族等援護法を手始めに次々と法律をつくり、今日に至るまで多様な国家補償を行ってきた。その総額は約50兆円に達するといわれる。しかし、私たち民間の空襲など被害者に対しては、未だに補償しようとはしない。
 その理由を国は「民間人は(戦争を行うに当たって軍人や軍属と逢い)国と雇用関係がなかった」「(地上戦が行われなかった)内地は戦場ではなかった」などと主張してきた。しかし、いずれも事実と異なっている。
 戦時中は、国家総動員法や防空法などによって民間人も戦争への参加・協力が義務付けられ、守らないと罰せられた。戦時災害保護法では、空簸などで死傷した民間人への国、地方自治体の援護を定めていた。また、航空機が戦争に使われるようになった第一次大戦以降は、空からの攻撃を受けるところも戦場であると国際的に認識されてきた。
 海外の実情を見ると、同じ敗戦国であった旧西ドイツは戦後5年の1950(昭和25)年に制定した戦争犠牲者援護法で、元軍人や民間人を区別せず、同じ戦争の被害者だとして公平に援護し、やはり戦争で多大な被害を受けた他の欧米諸国も、その後、同様に補償している。
 さらに日本では、手や足を奪われて裁判に救済を求めた空襲被害者に、最高裁判所は「戦争の被害、損害は国民が平等に受忍すべきものだ」として、訴えを退けた。加えて、約40年にわたり戦時災害援護法(仮称)の制定を運動してきた被害者に対しては、これまで国会は14回も提出された法案をすべて葬ってきた。
 その間に日本は、奇跡といわれた復興を遂げ、経済的には世界の大国となり、国際的にも主要国の一員としての地位を占めるに至った。その一方で、空襲などで戦争の犠牲となった民間人を切り捨ててきたのである。
 私たち全国空襲被害者連絡協読会は、結成一周年に当たり、自らの救済を求めるだけでなく、人間としての尊厳の回復と真の民主国家建設を目指し、政府、国会に次のことを要求し、一日も早い実現を求める。被害者たちは年老い、残された時間はわずかしかない。

1.空襲被害者等援護法(仮称)を制定し、死亡者に弔慰金支給、障害者に特別給付金と被害者手帳の交付、医療費の給付、両親を失った孤児に孤児給付金を支給する
1.空襲等による被害の全国調査を行う
1.空襲等による被害に対する追悼碑、記念館設置等の事業を行う

 右、決議(宣言)する。

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