2016年、ニュースペーパー

2016年12月01日

ニュースペーパー2016年12月



憲法理念の実現をめざす第53回大会
 11月12~14日の日程で、「譲れない命の尊厳!人権・戦争・沖縄憲法理念の実現をめざす第53回大会」が富山市内で開催されました。開会総会には全国から約1800人が参加。メイン企画では、3人の専門家が講演。金子文夫さん(横浜市立大学名誉教授、経済学)は安倍政権のすすめる経済政策の破たん状況について解説。清水雅彦さん(日本体育大学教授、憲法学)は自民党憲法改正草案の問題性を指摘。そして大城渡さん(名桜大学上級准教授、公法学)からは沖縄・高江で行われている警察による人権抑圧についての報告を受けました。2日目に行われた分科会では「非核・安全保障」、「地球環境」、「歴史認識と戦後補償」、「教育と子どもの権利」、「人権確立」、「憲法」のそれぞれの課題について問題提起と活発な討議が行われました。最終日の閉会総会では「沖縄」、「オスプレイ」、「もんじゅ」、「原発再稼働」の課題について報告があり、憲法公布から70年にして、本格的な改悪の危機を迎えるなか、この状況に屈することなく、憲法理念を実現するための「不断の努力」をたゆまず続けることを参加者全員で確認しあいました。(写真は閉会総会)

インタビュー・シリーズ: 117
いのちから問い直す~子どもたちの未来のために~
さようなら原発1000万人アクション呼びかけ人 落合恵子さんに聞く


撮影 © 2016 神ノ川智早

─福島原発事故の後「さようなら原発1000万人アクション」を立ち上げ、落合さんにも呼びかけ人になっていただいています。原発に関する思いをお聞かせください。
 クレヨンハウスは「いのちから問い直す」ということを、ひとつの大きなテーマとして40年前にスタートしました。大きな地震が起きるたびにその近くの原発は?
といつも不安で心配でした。2011年3月11日に東京電力福島第1原発で過酷な事故が起きた時のことです。その前の月に入れた新しいエネルギーについての原稿がまだ印刷されていない時点でしたが、このままでは何かが起きるのではないか、ということも書いていました。わたしたちは「まるで原発がないかのように」暮らしてはいるが、と。それが現実のものとなってしまいました。無念でした。悔しかったです。福島のかたがたへ、東京で暮らすひとりとして申し訳なさも痛感しました。
 震災後は被災地に私たちができることはなんでもしようと、いろいろ活動してきましたが、これだけでいいのかと思ったときに、呼びかけ人のお話をいただいて、重責ではありますが、引き受けました。
 あれから5年8ヶ月になります。この揺れ動く列島の地の上に、原発などあってはならないという答えが出ていながら、私たちはまだ止めることができないでいます。一方で再稼働をやっていこう、海外の国々にまで売ろうとしている政府を、私たちは持ってしまっています。ですから、先日の新潟県の知事選は私たちに希望を与えてくれたと言えます。争点がはっきりしている選挙では勝てるかもしれない。そのことがとてもうれしかったです。

おちあい けいこさん プロフィール 作家。「さようなら原発1000万人アクション」、「戦争をさせない1000人委員会」呼びかけ人。執筆や講演活動と並行して、東京、大阪に子どもの本の専門店クレヨンハウス、女性の本の専門店ミズ・クレヨンハウス、オーガニックレストラン、野菜市場などを主宰。総合保育雑誌『月刊クーヨン』、オーガニックマガジン『いいね』発行人。おもな著書に在宅での母親の介護を綴った『母に歌う子守唄わたしの介護日誌』等。最近の主な作品に3・11以降の生き方、反原発について綴った『天つく怒髪』(岩波書店)、『おとなの始末』(集英社新書)『質問・老いることはいやですか?』他多数。

─脱原発に取り組んでの苦労や悩まれたことをお聞かせください。
 自分が考えていることを言葉にしないことがいちばん苦しいことだと思います。そういう意味では、規制が厳しい時代と言われながら、個人的にはかなり自由に表現できています。その結果として、向かい風を受けても、それは引き受けて乗り越えていこうと思っていますので、そういった意味での苦しさはあまりないです。いままでさまざまな運動と呼ばれるものに関わってきて、いつも考えるのは、そこに新しく入って来ようとする人に対して、いつからでもいいよ、と腕を広げて待っている運動体でありたいということです。新たに参加した人が居心地が悪いと感じてしまったら、その運動に明日を見ることはできません。いつでも「ようこそ!」と言える運動、介護やもろもろの事情で一度抜けたかたにも同じように「お帰り」と言える運動を、ささやかですが呼びかけ人のひとりとして、提言できたらと思っています。もうひとつは、私たちが主張している反原発、脱原発の言葉に無関心であったり心を閉ざす人の、その心をノックする言葉を絶えず探しています。1ミリでも扉を開けてもらえる言葉ってなんだろうかと。呼びかけ人と言っても、ひとりひとりは自立した市民です。それは一市民として、日常どんな言葉を使っているかにもかかわるテーマでしょう。言葉はそれを使うひとの思想と姿勢を反映するものですから。それが自身への問いかけとして、いつも心の中にあります。

─安倍政権になって原発再稼働の動きが加速しています。
 東京電力福島第1原発の過酷事故はまったく収束していない。まだ我が家に帰れない人がいる、それぞれの苦しみを背負って、ため息をついている。子どもの甲状腺ガンも同様です。そんな状況の中で平然と再稼働しようとしているんです。熊本地震が始まってすぐに、同志の方々と一緒に川内原発即時停止の署名を送りました。すぐに耳を傾けるとは思えません。が、地震で消耗している人たちをこれ以上疲弊させることを続けるのは、人間性の問題でもあります。私たちが対峙しているのは、やはりこういう人たちなんだということをしみじみ思い知らされました。私たちは、「まるで原発などないかのように」暮らしているひとたちに、どれだけ多くのボールを投げることができるか、どれだけ有効な説得のボールを持ち得るか……。それを自らに問いかけなければいけないと思います。子どもたちにこういう社会を残していっていいのか。次の世代、その次の世代、誕生前のいのちも含めて考え、選択をしたいです。
 さらに原発の輸出の問題もあります。福島の事故以来、日本で新しい原発を造ることは世論の抵抗にあって、極めて困難になっています。それで原発産業の技術を輸出していこうということになり、安倍総理自らがセールスマンになっています。危険な火種を輸出して、そこで商売をしようという感覚が理解できませんね。日本の大きな企業はそれで潤うかもしれない。しかし、いのちへの思いを想像力の中から消し去って、いいのか。私たちは問いかけ続けなければいけないと思っています。武器輸出とか軍需産業とかにかかわる企業に勤めている人たちも、子の親であり、あるいは誰かの子どもじゃないですか。あなたにとってかけがえのない人が、原発や安保法制の犠牲にならざるを得ないとしたら、それを仕方がないと、あなたは本当に言えるのですかって訊いてみたいです。

─遅すぎる決断ですが、原発政策のひとつの象徴だったもんじゅが廃炉になります。
 おっしゃるように遅すぎましたよね。いままで消えていったお金はどれほどものか。これを人のいのち、福祉等のために使うことができなかったのか。ほんとうに無念です。私たちの税金は人のいのちのために使うべきです。それが私たちの社会が抱えてしまった原発的な組織や構造を富ませるために使われてきたことがとても腹立たしいです。彼らがあきらめるまでいかに無駄遣いをしたか、そのためにいかに市民が苦しんだか。この国の政治や組織論はすべて「原発的体質」の下で動いています。市民の声とか、民意などに耳を全く貸さない。原発はもとより、この「原発的体質」そのものを変えなければならないと思います。

─最後に皆さんへのメッセージをお願いします。
 集会でよく申し上げている言葉ですが、アメリカ合衆国にアンジェラ・デイヴィスという女性活動家がいます。その彼女が、壁も倒せば橋になるって言っている。そびえたつ壁を見てしまうと壁だけど、それが倒れれば橋になって、向こう側に行けて、またいろいろな人に出会えるということです。その言葉を大事にしたいと思います。そびえたつ壁が厚ければ厚いほど、高ければ高いほどそれを倒した時、こんなに大きな橋ができるということを忘れない。それから、自分の足が踏まれた時は「痛い」と声をあげよう、また誰かが足を踏まれたときには、踏んでいる人にその足を「どけなさい」と言おう。それが一歩前に進むためのひとつの入り口になると思っています。
 脱原発、反原発は、ひとりひとりの子どもが、自分の人生を充分に「生き切れる」社会と環境を作るということと同じです。そして、どんなおとなが身近にいるかで、その子の子ども時代は違ってしまいます。わたしは、すべてのそれぞれの子どもにとって、すべてのそれぞれのおとなは「もうひとつの環境問題」だと考えています。たとえば私たちがおかしいことにおかしいですと言っている姿を子どもたちが見ていたら、やっぱりおかしいことにおかしいですと言える子どもたちが育つでしょう。私たちがあきらめを迎え入れてしまったら、そして「どうせ」というところで立ち止まったら、それは「どうせ」という姿勢と選択を、子どもに伝え、教えることになると思います。子どもたちの未来がどうなっていくかと考えると、原発も安保法制も基地もTPPも、すべてがいのちを無視したものだから反対しているんです。
 それぞれの「わたしの幸せ」が、他の誰かの幸せになる生き方をしたい、と若いときから考え、ささやかですが活動をしてきました。クレヨンハウスの活動はその思いを具体化したものです。店内には「さようなら原発」のポスターをはじめとして、反戦や平和に向けてのメッセージも貼ってあります。店としてイメージがマイナスにはならないかと心配してくださるお客様もいらっしゃいます。確かに脅しとも思える電話も来るし、FAXもメールも入る。でも、私はあのポスターやチラシ、メッセージの言葉に足を止めてくれるかたがひとりでも増えればいいと願っています。次の世代の幸せや安心のために自分になにができるか、それしかないですね。山田洋次監督の作品『東京家族』に、病院の壁を遠くから映すシーンで、あの「さようなら原発」のチラシが映っていました。映画には、クレヨンハウスも登場します。山田監督は、クレヨンハウスへのオマージュだからとおっしゃってくださいました。感謝しています。
 歳をとるということは、「ねばならない」から少しずつ解放されていくことでもあります。私は、前掲のように多くの「原発的体質」に反対、アンチの姿勢を表現してきましたが、アンチエイジングに対しては「アンチ」なんですよ。歳を重ねるって悪いことではないです。アンチ・アンチエイジングという形で、私は自分の表面的変化も含めて、可能な限り自然に生きていきたい。あと何年元気で働けるか、活動できるかと、いろいろなことを考えて足をすくませるよりも、突破して、壁を倒し、橋をかけていきたいと思っています。

インタビューを終えて
 インタビューの会場にも利用させていただいたクレヨンハウスのオーガニックレストランで夕食をごちそうになりました。たっぷりの旬の有機農産物と少しの生ビールをいただき元気モリモリ。12月には4歳になる孫の誕生日プレゼントの購入と食事を兼ねてクレヨンハウスに家族で伺うことにしました。落合さんお世話になりました。
(勝島一博)

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辺野古基地建設 福岡高裁不当判決を最高裁は差し戻せ
民主主義と地方自治を軽視する司法でいいのか

 辺野古新基地建設をめぐり、国が沖縄県を訴えて県の全面敗訴となった9月16日の「不作為の違法確認訴訟」(福岡高裁那覇支部)判決について、多くの行政法の学者からも不当判決と指摘されています。その主要な論点をまとめてみます。

ねじ曲げられた裁判
 そもそも「不作為の違法確認訴訟」では、翁長雄志県知事の承認取り消しが適法であるかどうかを審理の対象とすべきでした。国はそれが違法だと考えたから「是正の指示」を行ったわけで、是正指示が適法であるかを判断するには、埋立承認取り消しの違法性を審査しないといけないのは当然です。ところが多見谷寿郎裁判長は国の主張を有利にするために、あえて仲井眞弘多前知事の承認の違法性を審査することに焦点を置いたのです。
 公有水面埋立法は埋立をしようとする人が民間業者なら、知事に免許を申請し、国だったら承認を申請することになっています。知事は、利用が適正か、環境保全に問題がないかなどの要件を審査して、免許や承認を与えることになります。知事の裁量権があるわけです。前知事の時代に、県の環境生活部長から環境保全の面で問題があると指摘されていたものの、結局承認してしまったのは、知事の裁量の範囲で違法性はない、それを取り消した翁長知事の処分に違法性があるとの結論を導くために、前知事の承認の違法性に軸足を置いたわけです。
 こんな福岡高裁判決ですが、地方自治と民意にかかわるトンデモ判決も抜き出しておかなくてはなりません。

「反対する民意に沿わないとしても、基地負担軽減を求める民意に反するとは言えない」
 沖縄の世論調査や各種選挙で幾度となく示された「辺野古新基地反対」の民意をいかに軽んじていることか。翁長県知事の承認取り消しを「日米間の信頼関係を破壊するもの」と断罪していることと合わせてみると、まったく民意よりも日米関係を重視している、この判決の露骨さが表れています。
 さらに、裁判官が国の主張を代弁していると批判が集まる”辺野古が唯一”発言では、反対する県民を、あたかも恫喝している記載には目を疑いたくなります。


9・16辺野古福岡高裁判決」の破棄・差し戻しを求めて
最高裁前でアピール(2016年11月21日)

「辺野古新基地建設をやめるには普天間飛行場による被害を継続するしかない」
 これが法の番人である裁判官の判断といえるでしょうか。いくら国寄りの判決を出す裁判官であっても、せめて「辺野古が唯一とする国の主張は、まったく合理的ではないとまでは言えず」くらいにとどめていましたが、ここまで国を忖度するとは、もはや「司法の独立」などはどこ吹く風と流れ去ってしまったのでしょう。

地方は国にしたがえ!?
 国と地方公共団体の紛争処理機関である国地方係争処理委員会(国地方係争委)を軽視している点も問題があります。代執行裁判で和解が成立した後、国はすぐさま法的手続きである「是正の指示」を出し、これに対して県は、国地方係争委に「是正の指示」の適法性について審査してほしいと申出をしました。国地方係争委の判断は、適法性を判断することなく、国と県に対して「真摯な協議」を求めることを判断したのです。
 福岡高裁の判決は、この国地方係争委について「勧告にも拘束力が認められていない」「適法性を判断しても、国と県が従う意思がなければ、紛争を解決できない」「協議により解決するよう求める決定する権限もない、もちろん国や地方公共団体にそれに従う義務もない」と、こき下ろしています。国と地方公共団体の関係が、それまでの主従関係から、対等・協力関係であることを基調として改正された1999年の地方自治法改正の意味を再度確認していく必要があります。
 判決で「公有水面埋立法の審査対象に国防・外交上の事項は含まれる」としながら、「国の説明する国防・外交上の必要性について、具体的な点において不合理であると認められない限りは、国の判断を尊重すべき」との判断には注意が必要です。県は、基地の集中、自然環境などで、米軍基地を辺野古に建設することはいかがなものか、と申し立てているだけで、国防・外交上の必要性の判断で辺野古移設に反対しているという立て方をしていません。”国防・外交は国の専管事項で、地方は口を出すな”という国と地方の主従関係という主張を導きたいがための、意図的な福岡高裁の判断と勘繰りたくなります。
 沖縄県はこの不当な判決に対して当然に上告をしました。最高裁に対して、中立・公平な審理を求め、不当な高裁判決の破棄を求めていく必要があります。これまでも団体署名運動や集会を行い、12月10日に「最高裁は地方自治の破壊を許さず、民意によりそう判決を!辺野古新基地建設を許さない!全国アクション」を行います。
(近藤賢)

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安保法制違憲訴訟の会に全国からの支援を
司法は今こそ憲法を守る職責を果たせ
弁護士 杉浦 ひとみ

法の違憲性と制定過程の反民主主義性
 昨年9月19日、安保法制法案が成立し、今年3月29日に施行されました。法律の中心的な内容は、集団的自衛権の行使や、兵站活動を認める「後方支援活動」、「協力支援活動」などの点にあります。
 安保法制法によって容認されるこの実力行使は、戦争を放棄し戦力の保持を禁止し交戦権を否認した憲法9条に明らかに違反するもので、違憲です。また、このように内閣及び国会が、憲法改正の手続をとることなく、恣意的な憲法解釈の変更を行い、閣議決定をし、法律を制定して、憲法の条項を否定することは、憲法尊重擁護義務に違反し、憲法改正手続をも潜脱するもので立憲主義の根本理念を踏みにじるものであって、これも違憲です。
 元最高裁長官や複数の元最高裁判事、歴代の元内閣法制局長官が、集団的自衛権の行使が違憲であることは、もはや確立した法規範となっているとの見解を示し、圧倒的多数の憲法学者、さらには日弁連や各都道府県単位の弁護士会も違憲であると意見表明しました。しかし、政府・与党は、これら無視し採決を強行しました。また、参議院平和安全法制特別委員会における採決は、識者からの意見を委員会が聞くために開かれる地方公聴会の内容が委員会で報告もされず、総括質疑も行わず、「議場騒然、聴取不能」としか速記に記録されない混乱の中で「可決」したとされる、異常な手続違反もありました。このような国会のあり方は日本の民主主義制度をも根底から揺るがすものです。

裁判で判断すべきだとの声広がる
 この一部始終を見ていた市民からは「これは違憲の法律だから『違憲審査権』によって、裁判でこの法律は憲法違反であるという判断を出してもらいたい」という声が高まりました。個人で「安保法制は違憲であるからそのことを確認せよ」という裁判を起こされた例もいくつかありました。
 しかし、日本の司法制度は憲法裁判所(この法律が憲法に反しているかどうかを判断する)としての機能は持っていません。具体的な事件が発生して初めて、事件の判断に伴って、適用される法律の憲法判断が行われるのです(この裁判制度はそれなりの理由があります)。
 そのため、個人でこの安保法制法の違憲確認を求めた裁判提起は、裁判手続の要件を欠くとして門前払いをされたケースがいくつかありました。
 このように、今回の違憲の安保法制について裁判を提起するのは簡単ではないのですが、法律が成立すると同時に、弁護士を会員とする安保法制違憲訴訟の会が発足しました。それは、このような憲法違反の暴挙に対して法律家が座視すべきではないという職業的使命感と、この権力構造の病理的状況に対して、司法は憲法の砦として動くべきであり、弁護士が裁判という形で司法を動かすしかないという思い、そして、この司法の場を軸足にした動きは、政治に絶望した市民に対して、民主主義の過程を通じてもう一度この問題を是正しようという運動につながるためにも有用な物と考えたからでした。
 この思いは全国の弁護士にひろがり、瞬く間に600人を超える弁護士が名乗りをあげ、また東京を中心に各地で弁護団が立ち上がり、裁判の準備が始まりました。地域によっては原告が結束し、弁護士を探して訴訟を始めたところもありました。4月26日の東京での提訴を皮切りに、福島、高知、大阪、長崎、岡山、埼玉、長野、広島、神奈川、そして東京で「女の会」が提訴し、今後も各地で提訴の準備が続いています。


第一回口頭弁論で入廷する原告と弁護団
(9月2日、東京地裁)

市民の期待を伝えることが大切に
 裁判は9月2日の東京の口頭弁論を皮切りに、全国で始まりました。当初、「法律の違憲判断請求である」として、裁判の中味に立ち入ることもなく却下されることも危惧しました。しかし、裁判所は法廷で複数の原告が意見を述べることも認めています。再び戦争が起こることにおびえる戦争被害者らの壮絶な体験などを裁判官らは現実に耳にするわけです。
 このように比較的寛容に始まった裁判ですが、問題は裁判所の腹がどこにあるかです。原告側にはガス抜き的に言わせておいて、どこかで法的には切り捨てるつもりではないかと懸念します。しかし、司法は今こそ、憲法を守るという自らの職責をもっと真剣に考えるべき時なのです。
 保守的でことなかれ的な判断をさせないために、しっかりした法的理論を提示することは弁護団の仕事です。しかし、それ以上に市民がこの裁判をどう見ているか、司法に対して大きな期待を寄せていることを伝えることが大きな鍵です。
(すぎうらひとみ)

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「TPP離脱」トランプ次期米大統領明言
協定発効は不可能に 進むグローバル化を注視

 「この採決は世界の笑いものになる」(民進党・篠原孝衆院議員)─環太平洋経済連携協定(TPP)の批准と関連法案は、11月10日、衆議院本会議で採決が強行され、自民・公明の与党と日本維新の会の賛成多数で可決されました。TPP協定は条約と同じため、30日間に参議院が採決をしない場合は、衆院の議決が優先されます。政府は承認を確実にするため、11月30日までの会期を延長して、今臨時国会で承認される可能性が高まっています(11月14日現在)。
 しかし、TPPの発効に不可欠となる米国では、11月8日の大統領選でTPP離脱を公約とするドナルド・トランプ候補が勝利し、オバマ現政権も来年1月までの任期中のTPPの議会承認取得を断念しています。このため、現状でのTPP協定の発効はできない可能性が高くなっています。


国会議員会館前の集会で訴える山田正彦元農相
(11月2日)

不十分な国会審議で採決強行
 衆議院のTPP特別委員会の審議は10月14日から始まり、先の通常国会とあわせて約70時間の審議時間となりました。しかし、通常国会では野党が求めた交渉経過の報告書が、黒塗りの「ノリ弁」答弁書であったことに代表されるように、政府は交渉経過を明らかにせず、野党の質問にまともに答えられませんでした。その典型が、これまでアメリカ等から輸入がされてきた売買同時入札(SBS)米をめぐり、輸入商社が卸業者に「調整金」を支払い、コメ卸は公表された落札価格よりも事実上、安く輸入米を買っていた問題です。政府は、SBS米の価格は国産の業務用米とほぼ同水準であることから、TPPで輸入が増えても国内農業に影響はないとしてきました。しかし、安い輸入米の流通で国産米の価格や流通に影響があることは明白であるにも関わらず、実態解明が不十分のまま、政府は調査を打ち切りました。
 また、山本有二農相の度重なる失言や、安倍晋三首相自身も国会答弁で「時間の無駄」と発言するなど「丁寧に説明する」(安倍首相)姿勢とはかけ離れています。
 委員会では参考人質疑も行われましたが、食の安全、投資家が相手国政府を訴えることが出来るISDs条項、特許などの知的財産権の分野だけに限られています。TPPは21分野にわたっており、審議すべきことはまだ多くあります。地方公聴会も北海道と宮崎で行われただけで、その内容も、多くは農業への影響を懸念した反対意見でした。しかも、重要議案の採決に欠かせない中央公聴会も開かれませんでした。こうした民主主義の基本さえ守られない議会のあり方は禍根を残すものです。

安倍政権の経済・外交政策の限界
 多くの予想に反してトランプ候補の米大統領選当選で、TPP発効の可能性はほとんどなくなっています。英国のEU離脱にも見られるように、この背景には、行き過ぎたグローバル化が中間層の没落を招き、格差と貧困が社会問題化する世界的な動きがあります。
 こうした反グローバル化の動きに対し、新自由主義的な通商協定の典型とも言えるTPPを成長戦略・アベノミクスの中核に位置付け、米国に依存してきた安倍政権の経済・外交政策は限界に来ています。それにも関わらず、TPPを成立させることにこだわるのは、世界の動きに逆行するものです。
 しかし、これでことは終わったわけではありません。トランプ次期大統領は「米国第一主義」を掲げており、自国の経済利益の最大化を追求し、日米2国間の自由貿易協定(FTA)で、日本に対して一層の市場開放や規制の緩和を迫ってくることが予想されています。その内容は、TPP協定で決まった内容をベースにさらに過酷な条件が提示される危険性があります。
 また、TPP交渉と併行して、これまで「日米並行協議」も進められてきました。その内容の詳細は明らかではありませんが、日本により開放を求めるものであることは確実です。日本政府は、「TPPが発効しなければ日米並行協議の中身は白紙になる」としていますが、日米FTAの基本となることが懸念されています。また、安倍政権はその米国の圧力を、国内の規制改革を押し進める材料として利用することが考えられます。
 こうしたことから、TPP協定が発効しなくても、グローバル化の動きが緩むことはありません。それに抗するためには、参議院のTPP審議や、その後の国会において、TPPの交渉の経過や数多くの問題点の解明を継続していかなければなりません。
 平和フォーラムはこの間、「TPPを批准させない!全国共同行動」の共同事務局として、国会議員会館前での座り込みや抗議行動、全国的な署名運動を展開し、野党議員との共闘を進めてきました。今後も、ともに運動を進めていく必要があります。
(市村忠文)

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中国・平和軍縮協会を訪ねて
国家と国家の『信義』が大切なとき

 平和フォーラム・原水禁は、10月16日、北京の中国平和軍縮協会と国際交流協会を訪れ、今後の関係の強化と歴史認識・情勢認識などについての意見交換を行いました。

民衆レベルでの交流の大切さを確認
 長らく私たちとの橋渡し役として駐日・中国大使館で活躍していただいた文徳盛さんが、本国に戻り、現在中国・国際交流協会の参事官に就任したこともあり、最初に国際交流協会を表敬訪問をした。秘書長(事務局長)の倪健さんも同席し、流暢な日本語で、両国をめぐる情勢認識を交わしました。お二人とも日本のニュースなどをよく見ており、日本の動向についても詳しく、特に日本のヘイトスピーチなどの排外主義の動きについては、心を痛めていることを話しました。
 尖閣列島(魚釣島)の領有権問題では、日中国交回復の際の「棚上げ」論の基本線を守るべきで、いまでもその立場は変わらないとし、今回の一連の緊張関係を生み出したのは、日本側からであり、いまも繰り返し報道や動きが続いていることに、中国側としては対応に苦慮しているなどが話されました。このような緊張を緩和にむけて、今後も民衆レベルでの交流を深めることが重要で、今後も両団体の交流を続けていくことが約束されました。
 中国軍縮協会では、秘書長の朱鋭さん、林麗さん、沈芳さんの3名が対応され、情勢認識と今後の原水禁との交流について話し合いました。朱秘書長からは、「原水禁・平和フォーラムのホームページはいつも見ています。今回を機会に、交流が活発化することを期待します」と挨拶、原水禁側からは藤本泰成事務局長が、「日中の関係は一衣帯水であり、日本の戦争責任などの過去の清算をきっちりしなければならない」ことを表明し、さらに尖閣問題や在日米軍基地問題、核問題など課題が山積していることが指摘されました。


国際交流協会(10月16日・北京市での記念撮影 右から
文徳盛さん、金子哲夫 広島県原水禁代表委員、倪健さん)

憲法改正は過去を否定するもの
 朱秘書長は、5年ほど前から軍縮協会へ来て「平和」への努力が重要と感じ、「500年かけての交渉は、5分の戦争よりまし」と述べ、粘り強い交渉が重要だと話されました。今年は、日中国交正常化から45周年となり、その長い間には様々な問題もありましたが、尖閣諸島や歴史認識の問題なども「正しい歴史観を持てば問題は必ず解決する」と強調されました。
 尖閣諸島問題では、領土問題となってしまえば、現状ではどちらも譲る余地がなくエスカレートするだけで、このままでは解決できないとして、「最大限の勇気と知恵であらためて『棚上げ』することが必要ではないか」と述べられました。した。
 歴史認識については、侵略された被害者の立場に立って考えることが重要ではないかと提起され、「中国は『信用』を大切にする。尖閣問題も歴史認識も国家と国家の『信義』が大切である」と呼びかけられました。
 それに関連して日本の憲法問題についても、「日本の内政問題ではあるが非常に関心をもって推移をみている」と言われました。現憲法が、第二次世界大戦後に制定され、被害国にとって日本が再出発するための「信用」でもあり、そのことに無関心ではいられないと指摘されました。憲法改正は過去を否定するものであり、「その影響はアジア諸国に及ぶだろう」と強調されました。

核の「先制不使用宣言」を貫く中国
 核問題については、日本も核の被害者で、ヒロシマ・ナガサキで無差別・大量の破壊があったことを忘れてはならないと指摘し、中国は核兵器を持ってはいるが、「先制不使用宣言」を出し、最終的には核兵器廃絶を目標とし、それに向かって努力をしたいと中国の立場が強調されました。一方、「日本はアメリカの核の傘の下、先制使用する国となる可能性もあるのではないか、現に安倍政権が核の先制不使用に反対している」、「被爆国であるにもかかわらず、理解できない」と、危うさを指摘しました。そして、引き続き非核三原則の堅持が求められているのではないかと述べました。
 さらに、日本にある大量のプルトニウム問題も取り上げられ、六ヶ所再処理工場の稼働によって毎年過剰に生み出されることは問題であるとの指摘や、北朝鮮の核については、東北アジアの平和のためにも反対しなければならないとも語られました。
 今回の訪問で、日中関係、歴史認識、核問題など多岐に渡って長時間の協議を深めてきました。このことを通じて、今後の日中友好のために協力を深める契機としたいと考えます。
(井上年弘)

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2017年に核兵器禁止条約交渉を開始
歴史的な国連投票で日本は反対

 2016年10月28日、国連総会第1委員会(軍縮・安全保障)で、非核兵器保有国30ヵ国以上が提案した「核兵器を禁止しそれらの全面的廃棄に導くため『核兵器禁止条約』の早期締結をめざして2017年から交渉を開始する決議案」が採択された。投票結果は核保有国・核安保同盟国と非核保有国の意見の相違が反映され、非核兵器保有国123ヵ国が賛成、核兵器保有国と”核の傘”に入っている国々等38ヵ国が反対、16ヵ国が棄権した。
 その中で、日本も反対票を投じた。決議案を「核兵器と非核兵器国を分断する」と批判し、「被爆国として架け橋になる」と主張してきたが、日本が反対票を投じて架け橋の役割は果たせるだろうか。アメリカは北大西洋条約機構(NATO)加盟諸国等に反対するように要請し、それも票数に影響したと思われる。
 この交渉により、核軍縮が加速される可能性が高い。核兵器から正統性を奪い、拡散要因を削減するのも、大きなポイントである。条約は核拡散防止条約(NPT)の上に築き上げられており、使用、配備、製造、移送、備蓄、資金提供等への包括的な禁止措置を備えることになる。現存する弾頭の廃絶という明確な曖昧でない法的義務が、非核兵器国と同様に、核兵器国にも課されることになる。
 2017年3月と6月、7月にニューヨークで会合が開かれる。決定は全員一致ではなく、多数決で行われ、拒否権はない。反対をした核兵器国も交渉を止めることは出来ず、核兵器禁止条約が成立する可能性が見えてきた。

非核保有国の核軍縮停滞への欲求不満の高まりがこの動きを作り出した。
 2010年のNPT再検討会議から、オーストリア等いくつかの政府が、核兵器の使用が作り出す人道的惨禍への懸念を表明し、国際人道法等の適用をすべての国、すべての事態に行うよう求めた。その後、2012年のNPT再検討会議準備会合で核兵器の非合法化を焦点とする共同声明が出され、その後、国連総会第1委員会などで賛同国を増やしていった。
 2013年3月にノルウェーのオスロ、2014年2月にメキシコのナヤリット、2014年12月、オーストリアのウィーンで会議が行われ、核兵器が人道法、また環境への影響から容認できないものであり、禁止する法的フレームワークを作ることが議論された。会議の主張をまとめ上げた「人道の誓約」が作られ、その後、国連総会で決議された。この流れから「多国間核軍縮交渉の前進に関するオープン・エンド作業部会」(OEWG)が生まれ、今回の決議につながったのである。
 核兵器禁止条約の効果を逆説的に明らかにしているのは、総会決議を前にNATO核プラングループがアメリカ代表部から要求されて回覧させた「国連総会核兵器禁止条約の防衛政策への潜在的影響」という文書(アメリカ代表部核拡散委員会担当メモ)である。国連総会での決議が通って成立する見通しのある核兵器禁止条約の防衛政策への潜在的影響を分析し、国連第1委員会で反対投票することを求めている。
 この文書は、2016年8月16日に採択された「オープン・エンド作業部会」(OEWG)取りまとめ報告書付属Ⅱに含まれている、法的拘束力を持つ核兵器禁止措置のために提案された内容が、同盟参加の核保有国と非核保有国の相互協力義務を果たせなくさせる直接的影響があると述べている。また「条約加盟国だけでなく、非加盟国にも影響する。条約発効以前にも、加盟国がその義務を履行し始めたら、影響が生じる」としている。
 そして、「開発、実験(シュミレーション含む)、生産、入手、所有、備蓄、移送、使用、使用するという威嚇、兵器級核爆発物質の生産」「使用、使用するという威嚇への参加」、「核戦争計画への参加」「核兵器を目標とする作戦への参加」、「他国の核兵器を管理・使用する要員訓練」「配備、導入、展開の容認」、「搭載した艦船や航空機の領域通過を含む持ち込みの認可」「核禁止条約に直接、間接に違反するいかなる行為の支援、激励」がすべて禁止されるとしている。
 さらに、次のことも安全保障政策に問題を引き起こすとしている。「条約違反行為を犯罪とする国内法を制定して、個人が通報する権利と義務持ち、通報者を保護すること」「紛争解決のための国際司法裁判所と安全保障理事会への通知」「加盟国は関連法を立法化する必要性を持ち、また執行機関を設立すること」「核抑止論に基づく行動への参加は禁止」、「核保有国は条約に違反しない限りでのみ同盟参加可能」、「核搭載を『否定も肯定もしない』政策が不可能」。
 核安保構築が困難になり、核に頼らない安全保障政策に向かう流れに掉さすことになるだろうということである。

日本は核兵器禁止条約への貢献をすべきである。
 日本は被爆国として、核保有国と非核保有国との架け橋の役割を果たすというなら、会議に参加し、核兵器禁止条約への貢献をすべきである。核保有国、核安保の傘下の国々が、どのように潜在的敵対者とする国々と信頼醸成を進めるかがこの条約の有効性を高める大きなポイントとなる。
 そのためには、ロシアと北朝鮮、中国、アメリカが関わる東北アジア非核兵器地帯を実現するのは、非常に重要な貢献になる。また再処理を止め、核燃料サイクル確立を断念することは、核兵器禁止条約の実効性を高めるのに大きな貢献をすると考えられる。核兵器国の圧力と闘い、核なき世界を実現するために、原水禁運動の役割は大きい。
(菊地敬嗣)

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急増する英国保管の日本のプルトニウム
──豊洲の闇とどちらが深い?

 政府は9月21日、高速増殖炉原型炉もんじゅについて、事実上、廃炉を決断したと思わせる発表をしましたが、「核燃料サイクルを推進する」といいます。民主党政権時代に策定された「原子力革新的エネルギー・環境戦略」(2012年9月14日)が、2030年代末までに原発ゼロの方針を謳いながら再処理政策は継続としたことを想起させます。日本は何がどうあれ、再処理だけはやめられないようです。今回のサイクル維持の方針は2014年エネルギー基本計画に沿ったものといいますが、その判断の基礎になったはずの「プルトニウム需給」のデータが正確でなかったことを原子力委員会での議論が示しています。

再処理終わったはずの英国で4トン強増加のなぞ
 2005年から2012年まで約17トンだった英国保管の日本のプルトニウムの量が2014年9月に発表された2013年末のデータで2.3トンも急に増えました(この純増分のほかに仏での保管分との帳簿上の交換で生じた増分約650kgがある)。その後、14年末、15年末でそれぞれ0.7トン、0.2トン増えた上、さらに英国の再処理工場の運転が止まる2018年ごろまでには後1トン増えるとのことです。合計すると4トン強の増加となります。核兵器500発分以上です。実は、この増加分は、英国に送った使用済み燃料のデータから予測されたはずのものですが、2005年の原子力政策大綱の作成の際も、途中で放棄された新政策大綱の議論の際も、また、2012年、2014年のエネルギー基本計画策定の際も、需給データの一部として説明されたことはありませんでした。

英原子力廃止措置機関(NDA)の回答で急増の仕組みが明らかに
 この急増問題について、英国の再処理施設監視団体「放射能の環境に反対するカンブリア人(CORE)」のマーティン・フォーウッドが情報公開法に基づいて英原子力廃止措置機関(NDA)に質問しました。回答(2016年8月31日及び9月29日)を要約すると次の通りです。
 「軽水炉の使用済み燃料の剪断作業は2004年9月に終了し、溶液からプルトニウムを取り出して酸化プルトニウムを製造する作業は2004年会計年度末(2005年3月31日)までに終了。THORP(酸化物燃料再処理工場)における使用済み燃料の再処理に関する顧客との契約の中には、グループとして一緒に扱われるものがあり、日本の各電力会社との契約もこのグループに入っている。この契約グループに属する燃料の再処理から得られたプルトニウムが、グループ内の個々の顧客に対し様々なタイムスケールで割り当てられる。この方式の下では、特定の顧客の燃料から得られたプルトニウムがその顧客に直接割り当てられるのではない。したがって、個々の顧客に対するプルトニウムの割り当てのタイミングは、その顧客の燃料が再処理されるタイミングとは独立したものであり、プルトニウムは、その顧客の燃料の再処理の前に割り当てられることも、後で割り当てられることもある」。

間違った説明を続ける原子力委事務局
 原子力委員会事務局は、例えば、2016年7月の原子力委員会の会合において「平成27年中に分離され、在庫として計上された0.2トン」が増え、残り約1トンが「英国の再処理工場が操業を終了する2018年頃までに分離され、在庫として計上されるという予定」と述べています。2013年以来、日本の使用済み燃料の実際の再処理作業が行われ、分離されたのが増加の理由であるかの説明です。原子力委員会の中西友子委員は2016年7月27日の会合でこの件について質問しましたが、誤解したままに終わりました。中西委員:「イギリスは少し増えているのですが、これは燃料をまだ処理していなかったということなので、これでお願いしていた処理分は大体終わると見てよろしいのでしょうか」。事務局「イギリス分につきましては、あと残り約1トンぐらい、まだ残っておりますので、今後、イギリスの再処理工場が終了する2018年までには、この残りの約1トンというのがプラス計上されていくという見通しになっております」。中西委員「ありがとうございました」

疑問:隠ぺいか無能力か
問題は二つあります。
1)2014年9月にこの急増問題が浮上してから2年経った2016年7月になってもまだ、委員(及び説明に当たった事務局担当者)でさえ正確な理解ができないでいる。
2)英仏に送った使用済み燃料の量と初期濃縮度、原子炉、燃焼度などについて細かいデータを持つ電力会社側はそれに基づき、当然、後、4トンあることを2005年から把握していたはずだが明示しなかった。(プリンストン大学のフランク・フォンヒッペル名誉教授は以前から日本から英仏に送られた使用済み燃料の量と英仏でのプルトニウム分離量データの間に矛盾があると指摘していた。)
 また、2014年になって2.3トンの急増が報告された際、後何トンあるのかとの阿部知子衆院議員事務所の質問に答えられなかった事務局は電事連に問い合わせ、同年11月に約1トンと答えました。合計3.3トンの計算です。ところが、2015-16年の発表で、実は合計4トン強であることが明らかになりました。今年の会合での説明によると、約1トンは軽水炉で燃やす核分裂性のプルトニウムの量で、全量だと1.5トン強であることを事務局担当者が理解せず、阿部事務所に伝えたようです。
 電気事業連合会と政府、原子力委員会は、この4トン強のプルトニウムの存在を意図的に隠していたのか。政府は把握できていなかったのか。隠ぺい、無能力、どちらにしても問題です。
(「核情報」主宰田窪雅文)

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《投稿コーナー》
「相模原事件」の問うもの 障害者が地域でともに暮らせない
元教員・「障害児を普通学校へ・全国連絡会」世話人 北村 小夜

 神奈川県北西部の相模原市は人口71万の政令指定都市です。今年7月26日、大量殺傷事件(19人殺害、27人重軽傷)が起きた障害者収容施設である神奈川県立「津久井やまゆり園」は市の北部、緑区千木良にあります。新宿から中央線快速で約1時間の相模湖駅から路線バスで10分ほどのところです。
 時が経つにつれて献花に訪れる人は稀になりました。門の前に立って驚きました。どっしりとした管理棟にふさがれ、何度も映像で見た建物は全く見えません。報道で見ていたのは人の目線でなく空からの目線でした。向こうの丘にはレジャー施設の観覧車などの遊具が見えるというのに、門から下がった所にある建物は木々や渓谷に囲まれて見えません。施設自体が近隣から沈んで隔離されている感じです。ああ、ここに150人もの人が収容されていたとは…。

社会を覆う優生思想の危険性
 事件後、朝日新聞の歌壇に「障害を持つも老いるも一つこと排除の刃われへと向きぬ」(栗平たかさ)という歌が載りました。優生という言葉や差別的な規定を除いて、優生保護法は母体保護法に変わりましたが、優生思想は、経済優先・弱者排除政策と相俟ってこの国を覆っています。尊厳死法制化を考える議員連盟の動きも活発です。その中で一線を突破したのが加害者ではありませんか。
 激しい怒りを覚えますが、同時にこの社会を作り出しているのが私たちであることを考えなければなりません。1999年、石原慎太郎都知事(当時)が重度障害者療育施設府中養育センター視察後の記者会見で「ああゆう人ってのは人格はあるのかね…」といって抗議を受けたのも、2015年、特別支援学校を視察した茨城県の教育委員、長谷川智恵子が「妊娠初期にもっと(障害の有無が)分かるようにできないのか。(教職員も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろう」と言って辞職しました。麻生太郎(財務大臣)は「90歳になって老後が心配とか、わけのわからないことを言う人がテレビに出ていたけれどいつまで生きるつもりだろうと思いながら見ていた」と言って憚りません。これらは彼らにとって常識の範囲のようです。
 私たちも徹底糾弾には至らず、結果として許してきました。石原元知事は今度の事件について文学界10月号の斉藤環との対談で「あれはある意味で分かるんです」と加害者の行動を肯定するような発言をしています。

再発防止を口実に監視隔離政策が進む
 1964年、ライシャワー駐日大使が精神障害と言われる少年に刺された事件では、政府は国際問題になることを恐れ、警察はこれを好機と精神病床の拡充を迫り、精神衛生法が改訂され精神病院への監視網が張り巡らされました。当時病床は13.6万床と国際的基準に達していましたが、増加を続け1985年には33.4万床と世界に類を見ない数になり、人権侵害事件が続発しました。
 政府は政策の誤りを顧みることなく、ことあるごとに監視隔離を進めてきました。2001年の大阪教育大付属小学校児童殺害事件では、精神障害者に対する偏見の下に「心神喪失状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(医療観察法)」を制定しました。これによる強制隔離では自殺者も出ています。
 今回の事件では再発防止と称して「再発防止対策検討チーム」を立ち上げ、強制入院の強化や施設の防犯強化を打ち出しています。厚労省の掲げる「入院医療から地域医療へ」にも反し警戒を要します。

本気で「ともに暮らす」ことをめざすなら
安倍政権と闘おう

 事件後、「幼い時から一緒に暮らしていれば…」「せめて小学校から共に学んでいれば」という声が起こりました。障害があっても分け隔てなく対等な人として娑婆で一緒に暮らしていれば、恐らく加害者は誤った障害児観を持つこともなく、障害者も地域で暮らすことができたと思うのですが、それが出来ないから事件は起こったのです。
 教育に限っても、学制の初めから就学の奨励とともに「就学猶予・免除」の制度を設けて障害者を排除してきました。また特殊教育は、障害児の教育の保障とともに、その排除で普通教育の能率を上げるという二つの目的をもって始まりました.この分離教育は2007年に特別支援教育と名を変えても貫かれ、障害者差別解消法が施行されても障害児が地域の学校で健常児と共に学ぶことは非常に困難な状況にあります。
 これに拍車をかけるのが政府の教育再生実行会議です。第9回提言では「全ての子どもたちの能力を伸ばし可能性を開花させる教育へ」と言って、障害児については障害の早期発見や継続的な「カルテ」の作成を目論んでいます。ますます分離が進みます。私は50年、子どもを分けるなと言い続けています。文科省は交流・共同学習を挙げていますが、分けた上での交流は分際の弁えに過ぎません。本気で「ともに暮らす」ことをめざすなら本気で安倍政権と闘わなければなりません。
(きたむらさよ)

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各地の1000人委員会の活動から
民主主義を取り戻すためにがんばろう!
戦争をさせない奈良1000人委員会 池本 昌弘 

 「戦争法廃案」「安倍政治を許さない」ため、奈良県でも「戦争をさせない奈良1000人委員会」を基軸に県内で様々なたたかいを構築し、市民と労働組合が連帯した活動を行っています。特に、昨年9月に戦争法が強行採決されてからは、「戦争法廃案」にむけた取り組みと参議院選挙勝利に向け「市民連合の設置」や「野党共闘の構築」に、1000人委員会がどうイニシアチブを持ち、運動を構築するかを重点課題とし取り組んできました。
 具体的には、昨年の9月19日に「戦争をさせない奈良県大集会」を1000人委員会が主催し、「九条の会奈良県ネットワーク」「奈良県共同センター」「憲法を守る奈良県民の会」などとともに開催しました。この集会の中で「強行採決で受けた屈辱を忘れない」を合言葉として、違憲の戦争法を廃止し、安倍政権を追い込む決意を固めました(写真)。
 また、参議院選挙に向けた取り組みにあたっては、これまで一緒に取り組みを行ってきた4団体が「戦争をさせない全国統一署名」を基軸に日常の活動を共に担い、安倍政権の暴走を止めるため一堂に会しました。戦争法強行採決から5ヵ月を経過した2月19日には、JR奈良駅前で「戦争法廃止、立憲主義の回復を求める奈良県民集会」を合同集会として開催しました。約800人が結集し、7月の参議院選挙で改憲勢力の「3分の2確保」を何としても阻止し、明文改憲を絶対に許さないことを全体で確認し、デモを行いました。
 こうした運動を継続し、奈良県内における共闘の発展と世論の高まりの中、3月18日に「市民連合・奈良」を結成し、その中軸を1000人委員会が担い、野党共闘を実現させるため、統一候補を擁立することなどを求める方針を確立、5月16日に野党統一候補が確認されました。参議院選挙公示前後においても「市民連合・奈良」を中心に1000人委員会が運動の主体となり、野党共闘を前面に出すための取り組みを行ってきました。
 今、安倍政権の数の力を背景にした暴挙が止まりません。私たちは、民主的な政治を取り戻すため、これからも奮闘していく決意です。全国の皆さん、ともにがんばりましょう!
(いけもとまさひろ)
(各地の1000人委員会の連載はこれで終了します。次号からは「各地の脱原発の闘い」を連載します=編集部)

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〔本の紹介〕
「なぜヒトラーを阻止できなかったか」
E・マティアス著 岩波書店 1984年

 ナチスは、選挙で過半数を一度も獲得したことはないまま政権につく。ナチスの勢力拡大も落ち込み、内部に財政危機と反ヒットラー派を抱え、ヒトラーがもっとも落ち込んでいる時期に首相に任命される。
 ドイツの左翼勢力はナチスの台頭をなぜ防ぐことができなかったのか?著書は当時のドイツ社会民主党の政治活動とイデオロギーを克明に描き、その責任を問う。著者はドイツ社会民主党史研究の第一人者である。
 当時、社会民主党は、世界最高水準の民主的憲法下、労働者層の広い支持を受け、1919年から1932年の7月まで第一党として、関係の深い労働組合とともに、大きな影響力を保持していた。ワイマール政権の初期の1920年3月、軍部によるクーデターが発生したが、労働者はゼネストと一大街頭行動で対抗、簡単に押しつぶした。この経験から、もしナチスが政権奪取の際には、労働者は武器さえ持って立ち上がる決意をもち、街頭闘争やゼネストなど、その闘う態勢の準備を怠らなかった。ヒトラー政権誕生直後、労働者たちは全国の仲間とともに立ち上がることを今か今かと待っていた。
 しかし、その立ち上がる好機に社会民主党の指導部は決断から逃亡する。決定的大事件の1930年7月、プロイセン州でのクーデター発生時も社会民主党は傍観したのだが、なぜこうなってしまうのか。著書は各種資料を示しながら1930年頃から、33年6月の社会民主党解体までのプロセスを軸に描く。
 「社会主義革命は歴史の必然。ナチスは政権を取っても必ず短命に終わる。その時こそ我々が…」─こんな甘い幻想とファシズムの脅威への軽視。要は能天気、組織維持優先と日和見である。その愚かさと無能ぶりが描かれる。1933年の6月までには社会民主党も労働組合も各本部がナチス突撃隊によって占拠され、壊滅。社会民主党の幹部の多くは国外逃亡するも、全国の党や労組の活動家は収容所等での虐殺・拷問が待ち構えることとなる。大局を見るのを誤り、目の前の組織利害だけを優先して事に当たる。いつの時代も保守であれリベラルであれ、指導部が愚かだと国民はひどい目に合うものである。さて、この現代日本はどうだろうか?
(富永誠治)

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核のキーワード図鑑


「わが国が第一!」求め世界は核でいっぱい

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「12・10 国際立憲主義の実現を!
~国連人権勧告と憲法~」集会

 日本政府に対しては国連の各条約機関から、ヘイトスピーチや「従軍慰安婦」、「高校無償化」制度からの朝鮮学校排除、沖縄・アイヌ等の先住民や被差別部落に対する差別などについて数多くの勧告が出されてきました。しかし政府はこうした勧告に真摯に向き合おうとせず、「国連勧告に従う義務はなし」という閣議決定をしたこともあります。日本は国際人権基準とは程遠いのが現実です。
 そうした中、今年も「世界人権デー」である12月10日に「国連・人権勧告の実現を!実行委員会」などの主催で集会とデモが開催され、一日も早い国連勧告の実現を訴えます。さまざまな課題に関する報告も行われます。

日時 12月10日(土)14:00~16:30集会後にパレード
会場 青山学院大学9号館4階940教室(「渋谷駅」より徒歩10分、地下鉄「表参道駅」より徒歩5分)
内容 講演(島袋純・琉球大学教授)、課題別報告(朝鮮高校の「無償化」問題、日本軍「慰安婦」問題、障がい者の人権、外国人労働者、性的少数者など)

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