【報告】平和フォーラム「中国平和の旅」
(2004年11月08〜13日 北京・南京・上海ほか)

  はじめに
 フォーラム平和・人権・環境は、11月8日(月)から13日(土)までの6日間、「中国平和の旅」を実施しました。現在平和フォーラムでは、東北アジアの安全保障確立のために、民間レベルでの平和交流を進めています。本年6月12日から16日には韓国を、7月19日から14日には朝鮮民主主義人民共和国を訪問しました。今回の中国訪問もその一環です。今回の旅には、中央団体・地域組織・事務局から13人が参加し、北京・天津・南京・上海の4都市を周りました。以下は、「中国平和の旅」の報告です。

11月8日(月) 北京 
中国人民抗日戦争記念館
「中国平和の旅」の第1日目の訪問先は、中国人民抗日戦争記念館と盧溝橋です。成田空港を出発した平和フォーラムの一行は、15時30分に北京空港に到着、北京市郊外・宛平城内にある「中国人民抗日戦争記念館」に直行しました。
この記念館は1987年に建築されたものです。1874年の台湾出兵以来の日本による中国侵略の歴史が、写真やパノラマ、当時の文献など様々な資料を使って説明されています。中国政府はこの記念館を「青少年の歴史教育基地」としており、毎年多くの中国の生徒・学生が訪れているようです。また、日本の青少年も積極的に受け入れているようで、私たちが訪れた時にも、日本からの修学旅行生が来ていました。
中国の政治・歴史関係者は現在、靖国問題と歴史教科書問題に大きな関心を寄せているようです。書籍コーナーには、記念館の解説パンフレットのほかに、靖国神社問題と歴史教科書問題のパンフレットが置かれていました。

 
01.中国人民抗日戦争記念館の正面にて   02.日本の侵略戦争を詳細に解説した展示物盧溝橋 

盧溝橋はいまから800年以上前、金朝の時代の建設物で、その美しさは、マルコ・ポーロによって広く世界に紹介されることになりました。またこの場所は北京八景の一つで「月見の名所」としても知られています。
1937年7月7日、盧溝橋の東岸で夜間軍事演習を行っていた日本軍は、中国軍側から発砲されたことを理由に盧溝橋から宛平城への攻撃を開始し宛平城を占領しました。この事件以後、日本軍は本格的な中国侵略を開始することになります。
宛平城の城壁に沿って、いくつもの碑が立っていますが、これは日本軍と闘って死んだ人々の墓碑のようです。
 この日の夜、ホテルにチェックイン後、訪中団のメンバーで前衆議院議員の金子哲夫さんより、中国人強制連行の歴史についてのブリーフィングを受けました。

03.盧溝橋は、周辺住民の生活に使われている。奥に見えるのが宛平城11月9日(火) 天津
 
天津盤山烈士陵園 
中国滞在2日目は、北京から車で3時間の距離にある、天津市の天津盤山烈士陵園を訪問しました。盤山は、抗日戦争の拠点の1つだった様で、数度にわたり日本軍の激しい攻撃を受けたようです。
天津盤山烈士陵園の中には、抗日烈士祈念堂、盤山烈士記念碑、無名戦士の碑があります。抗日烈士祈念堂は、現在は改装工事中のため見学することができませんでした。盤山烈士記念碑と無名戦士は、この地で抗日戦争に立ち上がった共産党員や解放軍、その他の人々を記念したものです。北京からも遠く周辺に観光地もないために、この地を訪れる日本人は少ないようです。
(写真)
 
04.抗日烈士祈念堂の正面にて   05.無名戦士の碑
 
06.盤山烈士記念碑  

黄崖関長城
 午後は、学習活動を少し休憩し、万里の長城に登りました。万里の長城といえば、北京郊外にある八建嶺長城が有名ですが、天津の黄崖関長城は、美しさでは一番と言われています。有名な観光地ではないため訪れる人も少なく、長城・山肌・雲が織り成す景色を、十分にたんのうすることができました。

07.黄崖関長城を登る11月10日(水) 北京 


中国平和軍縮協会
 午前中、中国平和軍縮協会を訪問し、秘書長の牛強さんと意見交換しました。私たちは、日中両国の友好関係や、ブッシュ再選後の米中関係、中国の核保有などについて話し合いました。牛秘書長は、最近の日中関係について「中日の友好関係は、中日両国を超えて東北アジアや世界の平和に寄与しています。そのため、両国の友好に携わる者の責任は大きいものがあります。私たちは、日本の友人の歴史認識、歴史を反省する姿勢を賞賛します。50年代・60年代と、中日間に国交が無い困難な時代に、両国の国民は友好のために努力してきました。これはすばらしいことです。しかしいま、中日の関係は正常ではありません。3年間も中日首脳会談が開催されていません。この最大の原因は、小泉首相の靖国神社参拝です。私たちは、日本の国民が、靖国神社に行くことは習慣として理解しています。しかしA級戦犯が合祀されているところに、首相が参拝することは、これまでの中日間の歴史認識を変更するものです。そのことは中国や韓国をはじめアジアの人々の感情を傷つけることになります。中国を侵略した兵士と、指導した政治家・軍部とは別のものです。その区別があったからこそ、戦後、中日友好を築くことができたのです。」と述べ、中両国の友好関係を存続させるためには、日本の政治指導者が過去の歴史を正しく認識し、反省することが必要であるとしました。

 
08.中国平和軍縮協会の研究者と記念撮影   09.北京市の中心 天安門広場にて

11月12日(木) 南京
侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館
 この日は早朝から、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館を訪問しました。日本では南京大虐殺記念館の名称で紹介されている場所です。広大な敷地の中には、南京大虐殺を解説した記念館の他、南京大虐殺の生存者の足型や、虐殺の様子を再現したレリーフ、殺された人々の名前を彫った記念碑、発掘された遺骨などが展示されています。
 私たちは記念館前で献花・黙祷を行い、その後、展示物を見学しました。
 見学後、南京事件当時の生存者にお会いし、お話を聞くことができました。現在81歳、当時14歳だった五さんは、南京市内に住んでおり日本軍による連日の爆撃と戦闘、その後の占領中の様子を、今でも克明に記憶していました。12月13日、南京市内にやってきた日本軍は各家を回って家人を表に連れ出し、男性を青年・壮年の者と、老人・子どもに分け、青年・壮年の者を連行し殺害したそうです。連行される中国人男性の列は、列の後ろが見えないほど長かったとのことです。また、日本軍は避難民区にもたびたび押し入り、女性を暴行したそうです。
 私たちは帰国後も、南京大虐殺の真実を正しく伝えることを約束して、記念館を後にしました。
(写真)
 
10.軍南京大屠殺遇難同胞記念館にある記念碑   11.日本軍に殺された人々の名前が刻まれた墓碑
12.発掘された人骨 13.日本軍による虐殺の跡を示す記念碑
14.南京の生存者から当時のお話を伺う 15.南京城の城壁
16.南京から上海へ向かう電車の中の様子
17.混雑する上海駅
18.上海の夜景 

中山陵
 午後からは、孫文の墓である中山陵を見学しました。孫文は辛亥革命成功後、南京市に首都を置きました。そのため孫文の死後、その墓は南京市を見下ろす小高い山の上に建築され、いまでも多くの中国人が参観する場所となっています。

11月12日(金) 上海
 この日は早朝に南京を出発し、電車で上海に向かいました。私たちの乗車した車両がグリーン車だったためか、食べ物や記念品の車内販売が、始終行き来していました。南京は中国の中で最も経済的に発展した都市であり、いたるところに高層ビルが建ち、高速道路の建設が進んでいます。
 夕刻には大阪国際経済上海事務所(大阪市上海事務所)を訪れ、所長の安倍博之さんから現在の上海の経済状態についての解説を受けました。

11月13日(土) 帰国
 一行は、関西空港組と成田空港組に分かれて、帰国しました。


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