神奈川の米軍基地、現状と課題
野本陽吾 (基地のない神奈川をめざす県央共闘会議)



1.神奈川の位置関係
 神奈川県は首都東京の南隣に位置しています。その東南部は太平洋に面し、東京の海の玄関口ともなっています。
 このため、日本帝国時代には国内最大の海軍基地が、県内・横須賀に置かれました。また昭和期に入ってからは、陸海両軍の航空部隊が整備されるにつれて東京都内の軍事基地が手狭となり、これに伴って神奈川県中央部に、新たな軍事拠点が作られました。
 戦後、これら全てが米軍に接収されました。後にその一部が日本国「自衛隊」との共同使用基地ともなりつつ、現在に至るまで沖縄に次いで多くの米軍基地をかかえるのが神奈川県です。
 県内の米軍基地は、米軍のアジア全域への戦力投射拠点として、常時大きな役割を担いつづけています。なかでも陸軍の「キャンプ座間」は、6・25「朝鮮戦争」停戦後の1954年以来、朝鮮半島における「国連軍」の後方司令部基地とされていました(2007年11月2日、国連軍司令部は横田基地へ移転)。また、横須賀の海軍基地は1973年以降、米軍にとって海外で唯一の空母母巷であり、イラク戦争ではここから発進した空母戦闘団が、海上発射のミサイル攻撃において最大の役割を果たしています。
 地元への日常的な環境被害の点で最も目立つのは、横須賀の原子力空母の艦載機を常駐させている厚木基地での軍用機爆音です。爆音被害に対する訴訟については高橋さんから発表があるかと思いますが、昼夜を問わず飛行する戦闘攻撃機の轟音が地元市民の生活を日々脅かし続けています。

2.2004年以降の動き
 いわゆる「米軍再編」がブッシュ政権のもとで本格化して以降、神奈川の米軍基地も全体として、さらに機能を強化されつつあります。
 2005年10月28日(日本時間)、横須賀に配備されている空母キティホークの後継艦を原子力空母としたい旨、米海軍が発表。翌29日には、日米政府が『日米同盟:未来のための変革と再編(いわゆる「米軍再編の中間報告」)』という合意文書に共同署名、そのなかではキャンプ座間に米本土から陸軍第一軍団司令部を移転させる計画が含まれていました。 
 さらに、翌2006年5月の「米軍再編の最終報告」の中では、キャンプ座間の管理下にある「相模補給廠」に米陸軍の戦闘指揮コンピュータ・シュミレーション訓練センターが新設される計画も公表され、県中央部の基地が司令部機能として強化されようとしていることが明確になりました。あわせて、相模原や横須賀基地に近い池子地区での米軍住宅増設計画も既定方針とされています。
 一方、同じ米軍再編の日米合意文書には、厚木基地の軍用機爆音を軽減させるとの名目で、同基地配備の空母艦載機部隊を山口県岩国基地に移転させる、かわりに岩国の自衛隊機を厚木に移す、との計画も示されているほか、すでに遊休化している横浜市内5ヵ所の基地用地は再編計画全体の進行を前提に日本政府に返還されること、相模補給廠についても機能面が強化される一方で遊休地となっている17ヘクタールについては同じく返還されることが盛り込まれています。このような「地元の基地負担の軽減」のうち、目玉である厚木基地に関しては、地元の住民運動が、米本土への撤退以外の部隊移転そのものを「被害のたらい回し」として反対していますが、その他に関しては地元自治体が「返還そのものは歓迎」との姿勢を示すほかなく、具体的な返還日程は全く不明確であるにもかかわらず、県内一般の世論が「地元の基地が強化されている」との認識を共有していないことの背景のひとつとなっています。
 以下、個々の問題について簡単に記述します。

3.横須賀の原子力空母問題
 地元の強い反対の声を押し切って、2008年9月25日には横須賀への原子力空母ジョージ・ワシントン配備が強行されました。
 この過程では、横須賀に向けて米本土を出港したジョージ・ワシントンが、2週間あまり後に洋上で艦内火災を起こし、一旦ひきあげて応急修理を受けるというハプニングも。これによって横須賀配備は1ヶ月あまり遅れましたが、結局はこれを阻止することはできませんでした。
 入港後もジョージ・ワシントンをめぐって新たな問題が起こっています。横須賀にこれを配備するに際し、米海軍は、原子炉に関わる修理等の作業については横須賀では一切行なわない、と合意文書で言明していました。ところが、2009年1月5日から5月はじめにかけての4ヶ月にもわたって行なわれた修理作業では、原子炉の一次冷却系にかかわる作業が行なわれたばかりか、低レベル放射性廃棄物を艦体から搬出する作業までが横須賀港内で行なわれたのです。日米合意外交文書はジョージ・ワシントン入港後たった3ヶ月で反故にされたことになります。これに対し、日本政府・横須賀市長のいずれも、抗議することすらしませんでした。
 そもそも入港まもない時期にこれほど長期をかけた修理作業を行なうこと自体、火災後の応急修理そのものが米軍自身の目で見てさえ万全でなかったこと、原子炉部分を含めて安全性に不安の残る状態のまま配備が強行されたものであることを示しています。
 ジョージ・ワシントン配備後に起きていることは他にもあります。同空母入港のわずか3週間後には、戦略ミサイル発射用の最大級の原子力潜水艦オハイオが寄港して数日間滞在。その後も2009年にかけて、原子力潜水艦の横須賀への寄港回数は、例年にも増して多くなっています。
 そして2009年8月24日、ジョージ・ワシントンが遠洋へ航海に出ている期間中に、別の原子力空母ニミッツが横須賀に寄港しています。この寄港について米海軍当局は、乗務員の休養と地元との親善交流とが目的、としていますが、常駐艦以外の空母がわざわざ寄港してくること自体が、これまで頻繁にあったことでは全くありません。

4.県央地域の陸軍基地増強問題
 米軍再編の最大の目玉とも言われるキャンプ座間への第一軍団司令部移転に関しては、2007年12月19日に司令部の出先である「第一軍団・前方司令部」が同基地内に発足、一つの区切りを迎えました。これに至るまでの間、イラク戦争でも大きな役割を果たしてる重要司令部が米本土からわざわざ移転してくるとの事態に対する地元の反発は非常に大きく、元来「保守系」であり米軍との親善にも積極的だった座間市長が基地との友好関係断絶を宣言、座間市および隣接する相模原市が各々自治体ぐるみの反対署名運動を展開して、それぞれ有権者の半分および3分の1に当たる数の署名を集めるに至りました。このような反発を受けてか、当初2008年秋には第一軍団司令部本体が約300人体制で移転してくる計画であったものが、07年12月時点では出先機関30人体制のみでの発足、以後増員は行われているものの司令部本体の移転には至らず、との、やや縮小された形にはなっています。が、2012年には陸上自衛隊の対テロ作戦部隊である中央即応集団司令部が同じキャンプ座間に移転されることとなっており、また相模補給廠に2008年4月2日から建設されている戦闘指揮訓練センターでも当初から自衛隊との共同演習が予定されているなど、自衛隊を米軍の下により強く組み込んでいく体制は着々とつくられつつあります。

5.地域的な環境被害について
 県内には、以上に述べたほかにも、以前から基地の存在に起因する以下のような環境被害がありました。
 空母に限らず常時さまざまな軍用艦船が出入りする横須賀軍港の、海水および周辺土壌に対する重金属等の汚染。軍事物資の集積基地である相模総合補給廠で、過去にPCBなど大量の汚染物質が保管され、これの安全管理が危惧された問題。同じく相模補給廠で、カドミウム・メッキ部品の洗浄排水が付近の川に流出、関連物質の埋め立てによる汚染も疑われた問題、などなど。また、キャンプ座間では基地内の相当部分を占めるゴルフ場から周囲の住宅地にゴルフボールが飛び出し、近隣住民がその直撃を受けて重態に至った例が1980年代にありました。
 これらに加え、キャンプ座間の機能強化に伴って、同キャンプ周辺では軍用ヘリコプターの飛行騒音被害も近年急拡大しています。また、同キャンプのゴルフボール飛び出し被害については、2008年春からゴルフコースの変更のためか更なる急増を示しています。2008年4月からの1年間に、周囲の住宅地で発見・カウントされているだけで、飛び出しボールは144個。うち81個は隣接する中学校の敷地内への飛び込みで、同中学PTAが基地内ゴルフ場の即時使用中止を要求するも黙殺されつづける状態。このような中、2008年5月には小学生がボールで負傷、09年4月には同じ場所で保育園児の目の前にボールが落ちる事故が相次いでいますが、米軍側はゴルフコースの一部の使用禁止を約束しながら数週間を経ずに撤回するなど、隣接住民の人命の危険を公然と軽視しつづけてきました。

6.「被害者にも加害者にもならないための運動」 の再興に向けて
 神奈川の基地撤去の運動は、長年の努力の積み重ねで、戦闘攻撃機の爆音被害の違法性認定を確立判例化させ、またベトナム戦争では出撃しようとする戦車部隊を市民の座り込みで48日間にわたって阻止するなどの歴史があります。一方、その力が十全ではなかったことにより、自らも苦しむと同時に、それ以上の被害がアジア・世界に及ぶことを食い止めきれなかったのも事実だと思います。今後とも先輩達の努力を受け継ぎつつ、皆さんとの協力によって新たな力をつけ、より平和なアジアに貢献しうる運動を広げていきたいと切に思います。


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