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朝鮮半島への視点 第4回 変化が期待される9月

2009年9月11日

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朝鮮半島への視点 第4回 変化が期待される9月
                                                       連絡会事務局長 石坂浩一

〈対話に向けた世論形成進む〉
 8月18日にキム・デジュン(金大中)元大統領が亡くなり、あらためてこの人の業績を私たちは実感しました。しかし、日本では総選挙とはいえ、あまりに軽い取り上げ方であったように思われます。キム・デジュン氏の足跡や、その政策の東北アジアにとっての意味は、実は日本にとっても大きな恩恵であったはずですが、「親北」とか「北朝鮮を甘やかして失敗した」などといった歪んだ見方が少なからず支配していたようです。太陽政策あるいは包容政策は、東北アジア全体に関わる地域戦略であるという事実を、とくに日本のマスコミはよく考えてほしいところです。
 さて、今回は報告しておくべきことがらがあります。8月20日、日韓米3カ国の研究者や市民運動家ら110人が、東北アジアの平和のための声明をソウルで発表しました。声明は第1に米朝双方に対話を促し、第2に核保有国である米中ロがNPT条約に沿って核軍縮の具体的展望を示すとともに、日韓も米国の核の傘に依存しない道を探るよう求め、第3に日本政府に日朝国交正常化交渉再開を求め、第4に韓国政府に軍事的緊張を高めないよう求め、第5に中ロが対話と軍縮に努力するよう求めるものとなっています。
 声明全文と賛同者、および声明発表に至る経過についての当会顧問の和田春樹さんの文章(金大中追悼の文章の中で記述)は『世界』10月号に載っていますので、ご覧ください。韓国でイム・ドンウォン(林東源)とハン・ワンサン(韓完相)のふたりの元統一部長官、米国ではMITのノーム・チョムスキー教授、米国側にひとくくりに入っていますがオーストラリア国立大学のガヴァン・マコーマック名誉教授、日本では当会の福山さん、清水さん、顧問の和田さんと武者小路公秀さん、そして私が入りました。福山さんと清水さんは平和フォーラムとして、私は当会共同代表として出ていますが、『世界』では当会の名称が「日朝国交正常化全国連絡会」となっています。英語にしたり、さらに韓国語にしたりしたせいか、ちょっと団体名が不正確になってしまったことを、この場でお詫びします。
 韓国のマスコミのうち、『ハンギョレ』と『京郷新聞』がこの声明を大きく取り上げてくれました。ちょうどキム・デジュン元大統領が亡くなった直後でしたが、キム・デジュン氏の志を受け継いでいこうという和田さんの発言が紹介されていました。私も別途『ハンギョレ』には、当会の1周年総会の資料などを渡してきました。また、15日の朝に放送された、キリスト教放送(CBS)というラジオ局の日韓関係を考える番組に出る機会があったので、2010年の植民地化から100年目の年に日朝国交正常化への前進を実現すべく世論を高めていくべきだと話したのですが、編集でこの部分は短くされてしまったと聞きました。
 韓国ではさらに9月7日に「韓半島平和フォーラム」が120名ほどの会員で発足しました。4名の元統一部長官、キム・マンボク(金万福)元国家情報院長をはじめ、統一部次官級経験者や元大統領府補佐官ら、そしてペク・ナクチョン(白楽晴)ソウル大名誉教授ら研究者、オ・ジェシク(呉在植)、ハム・セウン(咸世雄)ら宗教界長老が結集したこのフォーラムは、創立宣言文でイ・ミョンバク(李明博)政権の対北朝鮮政策を批判し、北との積極的交渉を進めるように求めました。

〈米朝の決断がカギ〉
 ところで、キム・デジュン氏の弔問のために北朝鮮の代表団が韓国を訪問した際の様子を、チョン・セヒョン(丁世鉉)元統一部長官が興味深く伝えています。今回、弔問の意向を受けたのは金大中平和センターという民間団体であったわけですが、政府の公式ルートを通じた訪問ではなかったこともあり、キム・ギナム(金己男)朝鮮労働党書記ら代表団は慎重な行動振りだったといいます。22日のやり取りはこのようなものだったそうです。
 代表団(チョン・セヒョン氏はだれとは明示していません)「特使としてきたので誰とでも会えます」
 チョン・セヒョン「そんな言い方でどうするんですか」
 代表団「いや、客としてきたのに具体的に誰と会いたいとかいうのも失礼なようだし」
 チョン・セヒョン「それじゃ困ります。10時に統一部長官と会ったら大統領に会いたいとはっきり言うんですよ」
 こうしたやり取りの結果、北側代表団は23日にイ・ミョンバク大統領と会うことになったのだといいます。これはインターネット新聞〈プレシアン〉の「チョン・セヒョンの情勢トーク」(9月1日付)に出てくるのですが、北の代表団は韓国内部、政府内部に北への反発があるのを意識して躊躇していたのではないかと、チョン・セヒョン氏は指摘しています。確かに、現代グループのヒョン・ジョンウン(玄貞恩)会長の訪朝の際の、開城工業団地韓国人職員釈放やキム・ジョンイル(金正日)国防委員長会談はその日程を北朝鮮側のペースで進めたのでしょうが、キム・デジュンの逝去は日取りまでは予測できませんから、迷いがあったのかもしれません。
 北朝鮮に近い方面からは、9月に150日戦闘も終え、米朝交渉の転機が来るという見方がこれまで流されてきました。ですが、まだ米国の動きは腰が据わっているようには見えないため、北朝鮮側も状況を見守っているというのが正直なところでしょう。
 この間、クリントン元大統領の訪朝に関する経過が次第に明らかになってきました。7月18日に拘束された2記者が電話で「北朝鮮がクリントン訪朝を望んでいる」と家族に伝え、これをゴア元副大統領からオバマ政権に伝達して、動きが始まりました。ホワイトハウスのジェームス・ジョーンズ補佐官が7月24日にクリントン元大統領に対して訪朝の打診が行なわれましたが、クリントン氏が問題にしたのは二人の記者が釈放されるのは確実なのかということでした。ところが、北朝鮮側はこのいちばん重大な点について、すぐには確約を与えなかったといいます。結局、クリントン氏がカリフォルニアの空港を発つ直前の8月1日、金正日委員長との会談がセットされたという耳打ちがなされたようです(『週刊京郷』8月18日号)。
 ヒョン・ジョンウン会長の訪朝の場合も、ヒョン会長側からの働きかけがあったのは事実ですが、拘束されていた韓国側職員の追放形式での釈放や8月16日の金正日面談は北朝鮮側のペースで進みました。この会談での5項目合意によって、昨年末以来北側が実行していた陸路通行制限も解除され、離散家族再会も行なわれる見込みです。韓国の月刊誌『民族21』のチョン・チャンヒョン氏は、7月に発行された8月号において、近いうちに北側が離散家族再会を提案してくるだろうという情報を伝えましたが、そのとおりになっています。
 ただ、もっとも問題なのは米朝双方の相手方に対する根深い不信感でしょう。ヨンセ大のムン・ジョンイン(文正仁)教授は前出の韓半島平和フォーラム発足の会合において、昨年交渉が進まなかったのは指導者の健康異常説や急変事態説に惑わされて当事国が事態を前進させられなかったためだと指摘、時間が長引くほど核などの大量破壊兵器は増えてしまう現実をふまえ、早急に交渉を具体化しなければならないと警告しました。そして、核廃棄に至るまでは、現在保有している核兵器に対する透明性と管理を確実にする作業が必要であり、そのためには議論の余地はあろうが、いったん北朝鮮が核兵器を持っている事実を認めざるをえないのではないか、と述べました(〈プレシアン〉9月8日)。
 北朝鮮は建前としては6者協議が終わったように主張していますが、局面が変わればそれなりに柔軟に対応すると思われます。米韓両政府が北朝鮮は変わっていないという見解を示していることが報じられていますが、制裁・圧力と対話・交渉との「ツー・トラック」は、いつまでもツー・トラックのままでは政策として意味を成しません。米国が傍観や無視をやめ、状況を打開するしっかりした提案を示すことがカギです。北朝鮮も冷戦時代の不信感を脱却する積極性をもってほしいと思います。

〈新政権の方向性が問われる日本〉
 日本ではまもなく鳩山新政権が発足します。こうした情勢をふまえ、より積極的に朝鮮半島政策を提示するよう私たちから求めていかなくてはと思います。今年の日朝ピョンヤン宣言の7周年は、東京では日程的に大きな会合を準備できませんでしたが、9月17日(木曜日)の6時半、総評会館で当会の学習会を開き、新政権への働きかけの方法や情勢分析について議論します。今後の運動のために首都圏の皆さんを中心にともに話し合っていけるように呼びかけます。
 

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