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原水禁世界大会・広島大会に3400人 被爆70年-あらためて「人類と核は共存できない」を確認

2015年08月04日

広島開会総会 

   ヒロシマというとき-被爆詩人・栗原貞子さんの詩が日本の侵略戦争の映像を背景に朗読されて、被爆70周年の原水禁世界大会・広島大会はグリーンアリーナ大アリーナ(広島県立総合体育館)に3400人の参加者を得て始まりました、第17代高校生平和大使だった中村祐理さんの司会で進行されました。犠牲者への黙とう後、主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)はヒロシマやナガサキの被爆についての認識が風化している問題点を指摘、被爆者がかかえた問題がいまなお多大にあることに加え、安倍内閣による戦争法案制定の動きを強く批判、核兵器廃絶と戦争法案廃案を訴えました。
   松井一寛広島市長のあいさつ(代読)や湯崎英彦広島県知事がメッセージが紹介された後、切明千枝子さん(広島県被団協)が被爆者の訴えを行いました。85歳になる切明さんは、戦前、15年戦争の申し子だった自分や軍国主義下の教育などを省みるとともに、被爆時に壊滅的となった街のなかで自分や周りの人たちをはじめみなが全身にやけどを負い、その治療もままならないまま、死に直面したこと。友だちや下級生の遺体を焼かなければならなかった体験を切々と語り、これが戦争であり、二度と起こしてはならないと述べました。
   また、毎年、国連欧州本部を訪ねて核廃絶を訴えている高校生平和大使の活動について、第18代大使となった井上つぐみさんと脇原華怜さんが、それぞれの思いを語り、ヒロシマの被爆者の声や平和を世界に伝え発信していくことを誓いました。
   福島からの訴えでは、福島県平和フォーラムの角田政志代表が、「原発事故から4年以上。11万人が避難生活を強いられ、不安と苦しみを続けている。もとの生活に戻せと県民は求めてきました。加害者である国と東電は被害者である県民の支援打ち切りを許してはならない。原発廃炉は県民の総意。脱原発の方向性を国に求めてたたかう」と決意表明しました。
   大会の基調提案を藤本泰成・大会事務局長が行いました。安倍首相の「ひたぶるに平和を希求してきた」と称して日本の侵略戦争と植民地支配を覆い隠す姿勢を命を軽視するものとして強く批判、森瀧市郎原水禁初代議長が核廃絶の運動に邁進した姿勢を命の尊厳をもとにしたとりくみとして、その意義をさらに広げること。戦後70年、原水禁50年の言葉を噛みしめてがんばろうと訴えました。
   つづいて大会に参加したドイツ、イギリス、ポリネシア、台湾、韓国、アメリカ、フィリピンの大人14人、子ども4人のメンバーが紹介されました。代表してアメリカの市民団体ピースアクションのポール・マーチンさんは、今年のNPT国際会議で最終文書採択できず失敗したこと、今後の課題といて核拡散がつづくなかでオバマ政権が核兵器削減できるかどうかと問題指摘するとともに、フクシマに数十年にわたるゴーストタウンを生み出した核の利用を許さない国際的な連帯を呼びかけました。
   最後に参加者全員で「原爆を許すまじ」を合唱し、佐古正明・広島実行委員長のあいさつでて閉会しました。広島大会は5日に分科会・ひろばや国際会議、6日に原水禁国民会議結成50周年記念シンポジウムが開かれ、長崎大会に引き継がれます。

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