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和田春樹東大名誉教授「鳩山政権の難題と中井拉致担当大臣」(京郷新聞コラム)

2010年4月 6日

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 連絡会顧問の和田春樹東大教授が4月6日に韓国の京郷新聞に執筆掲載されたコラムを紹介します。

鳩山政権の難題と中井拉致担当大臣

和田 春樹

 鳩山内閣が誕生してから半年がすぎた。自民党の永久独裁とみえたものが選挙で打倒され、野党が政権をとったことに、日本国民の多くが感動した。しかし、今日鳩山内閣は保守勢力の反発、難問の重圧、うづまく不信の中で立ち往生している。この危機の最大の要素が鳩山、小沢の政治資金問題と沖縄普天間基地問題であることは明らかである。
 新政権と与党のトップの秘書がともに政治資金問題で逮捕され、起訴されるということはあまりに深刻である。首相が母親から毎月1500万円を援助してもらい、秘書がそのカネの出所を市民からの寄付と偽って報告書に記載した、それが5年ほどもつづいたのを首相は知らなかったというのだから、国民は不信をいだかざるをえない。小沢幹事長の問題は前回党総裁を辞任したときの問題につづく第二弾なのであり、ことの真相はよくわからないものの、世論調査では、すでに7割以上の人が小沢氏は党のトップをやめるべきだと回答している状態である。
 このような検察の追及の背後にあるものは、民主党政権が戦後日本の政治体制の柱、日本官僚国家体制に挑戦していることへの反撃だという見方がある。しかし、疑惑は疑惑であり、政権の活動を制約し、時とともに政権の信頼を損ない続けていく。
 沖縄普天間基地問題は、明らかに、もう一つの日本の政治体制の柱、日米安保体制の根幹にかかわっている。普天間基地の異常な危険性を除去し、かつ沖縄海兵隊基地をさらに高度化するために、日米政府は辺野古(ヘノコ)に新基地を建設することで合意していた。自民党政権が13年間実行に移せなかったこの計画を、鳩山内閣は選挙のマニフェストにしたがって、白紙にもどし、あらためて代案を考えることに踏み切ったのである。その決断は勇気あるものであった。ヘノコ案を白紙にもどす以上、沖縄県内に他の新基地をつくることはできない。県外、日本本土に移すことも、その地の基地周辺住民の感情からしても、海兵隊の運用からしても困難である。だから、ヘノコ案白紙化は海兵隊の日本における地位に重大な変更をもたらすことにならざるをえない。つまり、このまま進めば、日米安保体制の根幹を変える方向に鳩山首相は踏み出すことになるのである。だから、米国政府の反発も強硬で、米国の「知日派」や日本のメディアからも一斉に批判があびせられた。
 そこで、鳩山首相はたじろいだ。日米関係も米海兵隊も重要だ、それを損なうつもりはない、代替案はある、日本の国益、米国の要求、沖縄県民の声がひとしく満足させられる案を5月末までに決定できると公言した。明らかに不可能なことを約束したのである。だから引き返して、首相はこう言いはじめなければならない。沖縄県民のことを思えば、もう沖縄に基地はつくらない、それで日米安保の運用が難しくなっても、我慢する、アメリカも受け入れてもらいたい、安保面での不足は友愛外交でカヴァーする、残るリスクは本土、沖縄の日本国民全体でひきうけよう、と。5月末は本当に大変な事態になるだろう。
 こういう難題に圧しつぶされて、鳩山内閣は万事防衛的にならざるをえなくなっているのである。在日外国人の選挙権にかんする法律案も先送りしてしまったのはその一例である。譲歩は右翼勢力を元気づけた。こんどは政権が一層その勢力を気にしなければならない。そういう悪循環の中にあるのが、この内閣の対北朝鮮政策である。政権出発時には、岡田外相は明らかに、対北朝鮮政策は当分のあいだ従来通りの線を踏襲するという方針を公言した。沖縄問題を控えて、北朝鮮とのことに注意を向ける余裕はないのだ。だが、このような待機政策の矛盾は中井洽(ヒロシ)拉致担当大臣の活動にあらわれた。
 中井洽(ヒロシ)氏は1942年満州長春に生まれ、戦後帰国、慶応大学を卒業した。三重県選出の衆議院議員であった父の秘書をつとめ、1976年その地盤をうけつぎ、民社党議員となった。94年羽田内閣の法務大臣をつとめたあと、新進党結党に参加した。98年には自由党に参加し、副代表をつとめ、2003年民主党に合流した。
 中井氏は民主党では、2005年12月より党の拉致問題対策本部長に就任し、超党派の拉致議連では副代表をつとめた。民社党から民主党へ一貫して行動をともにした西村真悟氏が拉致議連幹事長をつとめるのに対応して、中井氏の方は党内の強硬論をとりまとめてきた。2008年11月、追加制裁案が政府自民党で議論されたとき、民主党の対策本部長として、在日朝鮮人の対北送金全面禁止、出国したら再入国を禁止するなどの過激な追加制裁案を立案した。これは自民党委員会の案よりもさらに過激な案であった。このため党の機関により当をえないとされ、正式決定を見送らざるをえなかったと言われている。
 その中井氏が2009年9月、鳩山政権の発足とともに、国家公安委員長兼拉致担当大臣となった。既成路線踏襲という方針のもとでは無難な人事とみえた。しかし、中井新大臣は従来の政策を踏襲するという人ではなかった。就任時の記者談話で新大臣は「『対話と圧力』ではなく、『圧力と圧力』だと考えてきた。従来の政府の政策は生ぬるい。」(毎日、09年9月23日)と言い、また北朝鮮と「今の状況で話し合うつもりはない。まずは圧力を強める」(読売新聞、9月24日)と方針を明らかにした。
 民主党政権の誕生を歓迎した人々は、この拉致問題担当大臣が鳩山首相の唱える友愛外交にひどい不協和音を奏でることにならないか、心配した。
 中井大臣が真っ先にとりくんだのは内閣の拉致問題対策本部の改組強化であった。。10月13日、従来全閣僚から構成されていた対策本部を首相、外相、官房長官、拉致担当相の4人で機能的に構成するようにあらため、スタッフを30人から40人に増やすという方針を打ち出した。ついで10月22日には、拉致被害者の情報収集で韓国政府と連携を強化するためとして訪韓し、黄長燁氏を日本に招待し、国会で証言するように要請した。
 ついで、中井大臣は12月には、拉致問題対策本部に民間人の登用を決め、北朝鮮難民救援基金の加藤博理事長, 特定失踪者問題調査会の真鍋副代表らを大臣直属の参与とする手続きをとった。そして、情報収集のための予算が必要だと言い立てて、本年度の拉致問題対策本部の予算を一挙に倍増させた。2009年度予算が6億1800万円だったものを2010年度予算では12億4000万円としたのである。
 その上で、中井氏は制裁の強化をめざし、いろいろな画策をおこなった。先ず、北朝鮮女子サッカー・チームの入国阻止である。2010年2月に東京でおこなわれる東アジア女子サッカー選手権決勝大会に参加する北朝鮮女子サッカー・チームの入国について、2009年12月11日、千葉景子法相が会見で、「直接申請があったわけではないので、お答えする段階ではないが、(北朝鮮への)制裁措置がとられているので、基本的には入国は認められないと思います」と述べて、驚かせた。千葉大臣のこの発言の背後に中井大臣がいた。中井大臣はその前日、「制裁がかかっている段階だから、(入国には)当然反対だ」と話していた(産経新聞、12月11日)。この件では北朝鮮のサッカー協会から16日までに抗議文がよせられ、かなりの注目をあびた。国際サッカー協会(FIFA)の制裁措置も心配される状況で、政府部内での検討がビザ発給の期限までおこなわれ、ついに1月5日入国がみとめられることになった。このとき、中井大臣は「昨年7月、麻生政権下で既に入国を許可するサインが行われておりやむを得ない。今回は特別な措置として了解した」と述べ、その上で「北朝鮮に対する入国制限措置を緩和するものではない」と強調した(時事通信)。しかし、北朝鮮側はこの対応ぶりに抗議し、参加をとりやめるとの通告をおこなった。実際時間切れであったのであろう。中井大臣の思惑通りに運んだといえる。
 つぎは、目下大問題となっている高校無償化法の対象から朝鮮学校を除外する措置である。中井大臣は、2月23日川端文部科学相に、各地の朝鮮学校について、「制裁をしている国の国民ですから、十分考えてほしい」と対象除外とするように要請したことを明らかにした。川端大臣は同日、「外交上の配慮、教育の中身のことが判断の材料になるのではない」と中井大臣に明言したと説明した(朝日新聞、2月23日夕刊)。ところが、この件で、鳩山首相は動揺し、中井大臣の主張に理解を示すかのような態度をみせたため、混乱が生じた。朝鮮学校の対象除外は考え直せと朝日新聞が社説をかかげ、自由人権協会、各地の弁護士会も声をあげた。運動団体はもとより懸命の努力をおこなった。批判の声が広範に高まる中、高校無償化法案は3月31日に成立したが、朝鮮学校生が対象になるかどうかは、別個の検討に委ねられ、8月ごろまでには結論をだすということになった。
 子供手当の支給も国籍条項をはずしておこなわれ、この高校無償化の方策も国籍条項をはずして実施され、日本を開かれた国にするよき方策になるはずであったのに、朝鮮学校生だけを除外してスタートすることになってしまい、残念なことである。
 中井大臣は現在黄長燁氏を日本に招く計画を4月に実現し、さらに5月には金賢姫氏を招く計画を推進している。自民党政権のさいこの二人を日本に招くことはできなかった。それをやろうというのである。中井大臣は「黄さんが拉致の情報を持っていないのはわかっています。北の現状を語っていただきたい」と語っている(毎日新聞。12月8日夕刊)。要するに、北朝鮮を不愉快にさせることが考えられているのである。
 中井大臣は公然と鳩山総理の外交方針を批判している。「僕は平壌宣言を認めません。ただ鳩山総理は踏襲するおつもり」、北朝鮮には「友愛は通用しません」(毎日新聞、同上)と記者に語っている。この拉致担当大臣は、どの点から見ても、鳩山首相のめざす友愛外交の対立物である。鳩山首相はこのような人物をいつまで閣内にとどめるのであろうか。

 

(京郷新聞、2010年4月6日号掲載コラム)

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