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問われる日本人の歴史認識-建国記念の日を考える集会(全水道会館)

2009年2月11日

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 平和フォーラムは例年2月11日、戦前の「紀元節」を「建国記念の日」としていることに異議を唱え、集会を行っています。 自民党内閣のもとでは、東アジアとの関係、とくに歴史認識について繰り返し問題が引き起こされ、教科書問題はもとより、最近の田母神論文を象徴に、歪曲された歴史観が要人や公職者の間を跋扈しています。 これらを踏まえて、「問われる日本人の歴史認識-『建国記念の日』を考える2・11集会」を名称に、会場の全水道会館に250人が参加して学習会を行いました。 藤本泰成副事務局長の主催者あいさつにつづいて、「誤った歴史観は、核兵器同様危険だ-靖国・田母神論文を貫く聖戦思想の虚構」と題して弁護士の内田雅敏さんが、 「ともに歩むために-在日・アジアから見た日本」と題して朴慶南さんが講演しました。

 内田さんは、  昨年、田母神論文を読んだとき、1989年の「大喪の礼」への西独のヴァイツゼッカー大統領(当時)の返書を思い出したこと。 そこには「いかなる民族も各々の歴史にその高揚の時代と低迷の時代を含めて自覚を求めねばならない。 とはいえ自らおのれの歴史にけじめをつけねばならない」との一節があった。 ドイツはナチスの戦争責任を追及し、戦争賠償を実現するなかで他国からの信頼を勝ち取り、初めて隣国と友人となったと指摘。 歴史認識について「日本の近現代史を丸ごと肯定も否定もしない。真撃に歴史に向き合い、過ちは過ちとして認める態度が必要」と強調しました。 
 
 対して田母神論文は日本の近・現代の戦争を肯定し、日中戦争はコミンテルンの陰謀だったというものだとして、これは歴史の事実に反しており、「誤った歴史観は、核兵器と同じように危険だ」と。 「アジアの隣国すべてを敵にまわす内容」であるとドイツの歴史認識との違いを指摘しました。 
 
 さらに内田さんは、田母神論文や靖国神社の「聖戦思想」に貫かれているのはダブルスタンダード(二重基準)だとして、 a.靖国神社の遊就館展示では台湾や朝鮮半島を植民地支配しておきながら、「大東亜戦争はアジアを解放した」というウソで塗り固めていること、 b.「日本人として戦死した」として靖国神社は1959年に旧植民地出身者の韓国・朝鮮人、台湾人を勝手に靖国に合祀し、この取り下げ要求を拒否する一方、元BC級戦犯らに国籍条項を理由に戦後補償をしていないことに口を閉ざしていること-の矛盾を指摘。 いま、屈辱的で欺瞞的な合祀を取下げるたたかいがアジア規模でなされていることを紹介しました。 また、天皇や政治指導者から示される「今日の平和と繁栄は尊い犠牲の上に築かれた」という考え方は、一見、靖国思想と距離がある見解に見えても、 「特攻隊などの若者たちの犠牲がなければ平和な今はなかったのか」「平和のためには再びそういう尊い犠牲を必要とすることになる」と疑問を投げかけ、 「尊い犠牲を出さないようにすることが政治の役目であり、為政者の役目のはず」と主張。「戦死者のおかげで今の平和がある」という国家への犠牲を美化する歴史認識と論理は、ふたたび国家への忠誠と犠牲を求めることに結びつくと批判しました。 こうした認識は、靖国神社と同様に国が戦死を意味付けてほしいという戦没者遺族の感情を利用することで、為政者に対する「責任追及を封じてしまっている」と述べました。
 
 朴さんは「痛みを感じとる感受性、想像する力、そして歴史認識が、人と人、国と国とを結んでいく大事な力」と訴えた上で、 「戦後日本は戦争にどう向き合ってきたか。被害者たちにどういう姿勢で臨んできたか。どういう想像力を持ってきたか」と問いかけ、 復権した元戦犯とその後継勢力に牛耳られてきた日本の政治、それを許容してきた日本社会のあり方を検証する必要性を指摘。 とくに田母神前幕僚長がテレビの娯楽番組に出演している状況を指摘し、彼を一定の範囲で受け入れ支持する日本社会の土壌に対する強い危機感を表明し、 「戦争に向かうということの怖さを非常に感じている」と話しました。
 
 しかし、どんな状況のなかでも人間としての矜持を貫く人はいるとして、 関東大震災の時にで多数の朝鮮人が虐殺されたが、日本人暴徒の手からまもった身体を張って朝鮮人を守った神奈川県の鶴見署長大川常一を紹介し、 その孫が韓国にお礼に招かれたときに、「祖父がやったことは人間として当たり前のこと。それなのにお礼を言われるということは、日本があまりにひどいことをしたからです」と言って謝った話や、 「日本軍」性奴隷として辱めと暴力をうけつづけた宋神道さんが、ある集会で日本兵の残虐行為について問われたとき、彼女は、自分に暴行した日本兵を批判するのではなく「憎いのは戦争だ」ときわめて人間的な応答をしたエピソードを紹介。 しかし、裁判所はそんな彼女の戦後補償を認めなかったと批判し、ともに歩むためには、歴史認識に基づいて、日常への埋没ではなく「他者の痛みを感じることの大切さ」を提起しました。
 
内田雅敏弁護士「誤った歴史観は核兵器と同じように危険だ」レジュメ  
 
問われる日本人の歴史認識

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