排外主義 | 平和フォーラム
2025年11月12日
戦後80年 未来につなぐ平和憲法 第62回護憲大会を神奈川県・横浜市で開催
「戦後80年 未来につなぐ 平和憲法 憲法理念の実現をめざす第62回大会(第62回護憲大会)」を11月8・9・10日の三日間にわたり、神奈川県・横浜市で開催しました。8日の開会総会・メイン企画には約1100人が参加しました。また、9日は分科会・ひろばやフィールドワーク、そして10日には閉会総会を開催しました。これらの日程のなかで、軍事基地の実態や人権の侵害の実態に触れ、問題状況を共有し、改めて日本国憲法の平和主義の意義について学習と議論を深めました。戦後80年を迎えたいま、「国のありよう」が大きく変えられようとしています。私たちは、日本国憲法のもと、戦争をしない「平和国家」としての立場を守り、差別や排外主義によって人間の尊厳が損なわれかねない危険な状況に抗するため、全国各地でのとりくみを一層強化していくことを確認しました。
8日、オープニングとして、横浜中華学校校友会国術団による「中国獅子舞」が会場を練り歩き、川崎市で活動するトラヂの会による「韓国・朝鮮舞踊と歌謡」が披露されたのち、開会総会を開催しました。
染裕之・実行委員長(平和フォーラム共同代表)から開会あいさつ、福田護・神奈川県実行委員会・実行委員長(神奈川平和運動センター代表)が開催地からの歓迎あいさつを行いました。続いて、林鉄兵さん(日本労働組合総連合会・副事務局長)、篠原豪さん(立憲民主党神奈川県連政策調査委員長・衆議院議員)、福島みずほさん(社会民主党副党首・参議院議員)から連帯あいさつがありました。そして、谷雅志・事務局長が大会基調案を提案し、全体で確認しました。
メイン企画としてシンポジウム「戦後日本は、どう人権を育んできたのか」を行いました。金子匡良さん(法政大学法学部・教授)をコーディネーターに、シンポジストに山花郁夫さん(立憲民主党・衆議院議員)、阿久澤麻理子さん(大阪公立大学経営学研究院都市経営研究科・教授)、海渡双葉さん(秘密保護法対策弁護団・事務局長)を迎えた本企画は、SNSなどを通じた偽情報の拡散や誹謗中傷、差別意識による人権侵害が深刻化するなか、現代日本における人権感覚のあり方を考える機会となりました。シンポジストからは、政治、教育、司法それぞれの現場からの視点で提起が行われ、共通する課題でクロストークを進め、今回の議論を通じて、私たち一人ひとりが社会の中で尊厳を守る主体となることの大切さを改めて確認しました。
9日午前は5つの分科会を開催し、それぞれのテーマでの問題提起と質疑応答が行われました(→分科会報告は準備中)。また、みっつ(「基地コース1 厚木基地・キャンプ座間」「基地コース2 横須賀軍港クルーズ」「青年企画 要塞島フィールドワークと意見交換」)のフィールドワークも行われました。午後は大会実行委員会主催ではなく自主運営企画として「ひろば」がみっつ(「地元企画」「基地問題交流会(企画:全国基地問題ネットワーク)」「被爆・戦後80年 高校生の集い(企画:高校生平和大使派遣委員会・神奈川)」)行われました。
10日の閉会総会では、特別報告として「原発・高レベル放射性廃棄物問題」(北海道平和運動フォーラム)、「外国人排斥・差別問題」(埼玉県平和運動センター)、「基地による人権問題」(沖縄平和運動センター)についてそれぞれ報告されました。続いて谷事務局長から3日間全体の内容についてのまとめ報告を行いました。その後「遠藤三郎賞」の授賞式を行いました。護憲・平和運動に貢献された個人・団体を表彰する「遠藤三郎賞」は、福井県の「坂井市勤労者協議会」、高知県の「戦争への道を許さない女たちの会 高知」の2団体に贈られました。最後に、大会アピール案(本記事下部に掲載)が提案され、全体の拍手で確認したのち、次回の第63回大会開催予定地が福岡県であることが発表され、福岡県より決意表明があった後、地元からの閉会挨拶で、第62回護憲大会が締めくくられました。
2025年9月19日、政府の有識者会議は安保三文書の前倒し・改定を提言し、原子力潜水艦の保有にも言及しました。さらに、自民党と日本維新の会の連立合意により、「憲法改正」と防衛力拡大を進める方針が示されています。決して再び戦争の惨禍を招くことがないよう、日本がその道を選ばないよう、平和フォーラムとしても憲法理念に基づいた平和な未来を切り拓くために全力を尽くしていきます。そして、私たちの職場・地域でのとりくみがよりいっそう大切になっていることを認識し、ともにがんばっていくことを呼びかけます。
戦後80年 未来につなぐ平和憲法
憲法理念の実現をめざす第62回大会アピール
2025年は戦後80年、敗戦80年、被爆80年を迎えました。国内外を問わず、日本国憲法に謳われている「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにする(平和主義)」、「主権が国民に存する(主権在民)」、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない(基本的人権の尊重)」、この三原則が、今こそ最も重要であると痛感する社会情勢となっています。私たちがこの間、一貫して共有してきた理念は、決して揺らぐことのない信念として生活に根づき、もはや当たり前のようになったと錯覚を起こしてしまっていたのかもしれません。
パレスチナ・ガザへの一方的な殺戮行為、ロシア・ウクライナ戦争など、世界での戦争行為を終結させられず、核兵器使用や核実験実施が、威嚇や交渉の材料として用いられています。国内においても、軍備拡張を強硬におし進める日本政府や、非核三原則の見直し、核共有といった話が政治の場で聞こえてくるようになりました。加えて、特に外国人をターゲットとした差別・排外主義を声高に主張する政党が、選挙において一定の得票を得る事態にまで至っています。「選択的夫婦別姓」については国会で議論されたものの、保守強硬派の高市政権の誕生により法制度化は大変厳しい情勢にあります。
26年にわたった自民党・公明党の連立政権に終止符が打たれ、自民党・日本維新の会の連立へと枠組みが変わりました。先の参議院選挙で議席数を伸ばした参政党などを加えた改憲勢力が多数の議席を有する現状において、憲法「改正」が前のめりに議論されることへの引き続きの警戒感を持ち続ける必要があります。国会における憲法審査会の動向を注視するともに、生活改善に速やかにつながる政策の実現こそが重要であると、広く訴えていく必要があります。
どれだけ多くの犠牲を払ったうえで、私たちはこの日本国憲法を手に入れたのでしょうか。戦争体験者・被爆者がこの間、必死に訴えてきた「私たちと同じ思いを世界中の誰にもしてほしくない」という思いに、一人ひとりの命の尊厳に、私たちは向き合えているのでしょうか。そのことが今、問われてるのです。
憲法理念の実現をめざす第62回大会は、全国各地から多くの参加者が神奈川に集まり、憲法理念の実現をめざすとはどういうことなのかを考え、議論を深めました。その大前提として、だれもが命の心配をすることなく、平和な明日が訪れるというくらしが必要です。世界中のどこでもそれを享受できるよう、日本国憲法の理念の実現をめざす「不断の努力」こそが求められています。過去の歴史から学び、現状の認識を深め、想像力を働かせて未来を切り開く、その中心にある今をどう行動していくのか、ともに考えていきましょう。一人ひとりの意識を高めるとりくみを継続して行うことが必要です。この大会に集まった、同じおもいを共有する参加者でそのことを確認し、大会アピールとします。
2025年11月10日
憲法理念の実現をめざす第62回大会
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2024年02月07日
【平和フォーラム声明】群馬県による朝鮮人慰霊碑の撤去代執行を許さない
平和フォーラムは2月6日付で、以下の声明を発表しましたので、お知らせします。
群馬県による朝鮮人慰霊碑の撤去代執行を許さない
1月29日、群馬県(山本一太知事)は、県立公園群馬の森に設置されていた「記憶 反省 そして友好」と書かれた朝鮮人追悼碑を、最高裁判決に従うとして撤去の強制代執行を行い、碑が掲げていたプレート以外の部分を破壊した。追悼碑の裏面には、「かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し(中略)過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する」とその理由が書かれていた。この碑は、2004年に県議会が全会一致で設置を決定している。この碑文が歴史的に見て至極まっとうなことは、1995年の村山首相談話など、歴代内閣が公式に維持してきた歴史認識から考えれば明らかだ。平和フォーラムは、県による暴挙が歴史修正主義の跋扈をさらに助長し、ひいては東アジア諸国との関係悪化を招きかねないことに、大きな懸念を抱いている。
差別発言を繰り返してきた自民党の杉田水脈議員は、「嘘のモニュメントは日本に必要ありません」「日本国内にある慰安婦や朝鮮半島出身労働者に関する碑や像もこれに続いてほしいです」と自身のX(旧ツイッター)に投稿した。また、ニュースの投稿欄では「平穏な公園が戻って来るのは嬉しい限りです」「やっと捨てることが出来たようだ!おめでとう~」など差別発言が繰り返されている。県および県知事の行為は、このような歴史修正主義者やレイシストを喜ばせ、市民社会に分断をもたらすもので決して許されない。
慰霊碑撤去に至る発端は、植民地時代における朝鮮半島出身者の強制連行はなかったとして、全国各地の朝鮮人慰霊碑の撤去を迫る「日本女性の会・そよ風」が、2014年に群馬県へ提出した追悼碑撤去の請願だ。自民党議員を中心として県議会が請願採択した直後に、県は追悼碑設置期間の延長不許可を決めた。県の短慮が問題を大きくした。市民らで構成する「追悼碑を守る会」は、地裁に不許可の取り消しを求めて提訴、一審は「不許可は裁量権の逸脱」として原告勝訴の判決を言い渡したが、控訴審は「強制連行の事実を訴えたい」などの追悼集会での発言内容が「追悼碑の中立性を失する」などの理由をつけて県の不許可を認める逆転判決を出し、最高裁は2022年上告棄却として控訴審判決が確定した。歴史に光をあてようとしなかった司法判断も糾弾されるべきである。
戦後50年の節目に出された村山首相談話には、「私は、我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに対し、深い反省の気持ちに立って、不戦の決意の下、世界平和の創造に向かって力を尽くしていくことが、これからの日本の歩むべき進路であると考えます」と書かれている。これは、広くアジア諸国へ発出されたもので、日本社会の世界への約束であり、私たちは決して忘れてはならない。
昨年10月、ユン・ドクミン(尹徳敏)駐日韓国大使は、兵庫県相生市を訪れ、戦時中同市の造船所に朝鮮半島から連行され死亡した人々を慰霊する「韓国朝鮮人無縁仏之碑」に献花し「慰霊碑への関心を持ち続けて欲しい」と呼びかけた。日本全国に少なくとも150カ所以上の朝鮮人関連追悼碑があるといわれている。多くの碑が、在日同胞と地元市民によって設置されたものだ。全国の慰霊碑が、心ない人々の讒言によって撤去されることのないよう、私たちはユン大使の言葉に耳を傾けなくてはならない。
平和フォーラムは、歴史修正主義、レイシズムを許さず、歴史の真実に向き合い、アジア諸国との新しい友好の関係を築くよう今後もとりくんでいく。
2024年2月6日
フォーラム平和・人権・環境
代表 藤本泰成
