2010年、集会等の報告

2010年02月23日

ノ-モア・ミナマタ東京訴訟提訴報告集会

ノ-モア・ミナマタ東京提訴報告集会の様子

熊本で54年、新潟で45年を経た水俣病問題は、いままた正念場を迎えています。水俣病問題は1995年末の村山政権時の「政治決着」によって、不十分ながらも熊本・新潟あわせて1万2000人余の被害者に一定の救済措置がはかられ、終わったかに見られていました。全国の大半の原告が訴訟を取り下げるなか、かつて不知火海沿岸に暮らし関西に移住した人たちが1980年代に提訴した関西訴訟の原告は行政責任にこだわって訴訟を継続。大阪高裁で2001年、行政責任を認める判決を勝ちとり、2004年10月には、国の加害責任を断罪するとともに環境省の認定基準を否定してより幅広い病像で水俣病と認める最高裁判決が言い渡されました。これを機に、潜在化していた被害者が次々と名乗りでました。その数は本年1月末現在、熊本で3万2000人、新潟で500人を数え、いまも増え続け、水俣病の被害の深刻さと底知れない広がりをあらためて示しました。
2月23日には、東京、神奈川、千葉、埼玉、静岡など首都圏在住の水俣病の未認定公害被害者23人が、国と熊本県、加害企業のチッソ(本社・東京)を相手に損害賠償を求めるノーモア・ミナマタ東京訴訟を東京地裁に起こしました。同日夜、開かれた「ノ-モア・ミナマタ東京訴訟提訴報告集会」には、約100人が参加。平和フォーラムからも連帯あいさつを行い、関西訴訟時の署名での協力を報告するとともに、今次団体署名を中心にした協力を検討していくことを表明しました。
集会では、新潟平和運動センターの高野秀男事務局長が全国支援連絡会議の立場で提起。今年1月22日に熊本地方裁判所は、水俣病の国家賠償等請求訴訟において「和解勧告」を出し、現在、和解協議が進められていること。新潟でも和解協議入りのための事前協議を行っていること。政府・環境省は、2004年最高裁判決後も「司法判断と行政判断は別」として認定基準の見直しを拒み続け、昨年7月に、自民・公明と民主が賛成して「水俣病特措法」を成立させましたが、この特措法では、熊本の被害者が日弁連に「人権救済申立」を提出したように、加害者責任を放免するような法律であり、すべての被害者の救済につながらない恐れがあること。しかも、環境省は来たる5月1日にも特措」を強行しようとしていること。このなかで、すべての被害者救済に不可欠な住民健康調査を求める鳩山首相宛と、先行している熊本地裁における和解協議で突破口を切り開くべく裁判長宛の署名の2つの団体署名にとりくむことを訴えました。

全ての水俣病被害者の救済を求める署名(政府宛)・司法救済を求める署名(熊本地裁宛)  署名用チラシ

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