集会等の報告

2018年07月29日

被爆73周年原水爆禁止世界大会が福島から始まる

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原発事故の現実を直視しエネルギー政策転換を

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今年の「被爆73周年原水爆禁止世界大会」は、7月28日に福島市の「福島県教育会館」で開かれた福島大会から始まりました。2011年3月の東京電力福島第1原発事故を契機として、毎年、福島大会が開かれるようになり、今年も県内や東北各県をはじめ、全国から640人が参加しました。
黙とうに続いて、主催者あいさつに立った西尾漠・大会副実行委員長(原水禁国民会議副議長・顔写真左)は、「原発事故から7年以上が経ったが、いまだ収束のめどもたたない中で、安倍政権は再稼働や輸出など原発推進政策を進めている」などとし、規制委員会の審査の不十分性を強く批判、「原発も戦争もない社会の実現に向けて、大会を成功させよう」と呼びかけました。
続いて地元あいさつとして、福島県平和フォーラムの角田政志代表は「今年6月に東京電力は福島第2原発の廃炉を表明した。これは県民が長年求めていたものであり、前進だ」としながらも、「避難者への支援策が縮小されるなど、事故の終わりは見えない。国・東電に責任を求めていく」と決意を表明しました。
大会の基調を藤本泰成・大会事務局長が提起し、原発事故の現状や課題、安倍政権の原発推進政策を批判し「フクシマを忘れないことを、確認しあおう」と強調しました。基調提起の全文はこちら
地元の訴えとして、「原発事故後の南相馬市の現状」と題し、元南相馬市長の桜井勝延さん(顔写真中)が事故当時の様子を詳しく報告。「市民を安全に避難させるために50日間市役所に寝泊まりしてきた。しかし、今も7千人が避難を続け、1万人以上が転出した」と厳しい現実を述べました。その上で、「事故は国が原発を進めた結果だ。南相馬市は2030年までに100%再生可能エネルギーでまかなう予定だ。原発から離脱して安心して暮らせる社会をめざそう」と呼びかけました。
今年の第21代高校生平和大使に福島県から選出された福島市内の高校生、鈴木真宝さんからは「原発事故は私たちから自由と希望を奪い、いまだに心の傷が残っている。しかし、平和大使として核のない世界をめざしていく」とし、8月に国連欧州本部を訪ねるなどの活動への決意を述べました。
講演は原子力資料情報室の山口幸夫・共同代表(顔写真左)が「科学探求心が生み出した『核』という災厄、市民は……」と題して行われました。山口さんは放射線のリスクとして、「どんない低い線量でも影響がある。外部被ばくは年間0.013ミリシーベルト未満にすべき」としました。また、今後の運動をする上で重要な点として、「福島の置かれている状況を全世界に発信し思いを共有する」「原発事故の真相を究明しないと、誤りを繰り返すことになる」「核兵器、核の商業利用の矛盾を明らかにしていく」ことを強調しました。
全体集会の最後に「フクシマ アピール」として「フクシマの悲劇を二度と繰り返さないためにも、フクシマの被害の実相を共有し、全国の原発再稼働反対の運動につなげていきましょう」などを全体で確認しました。「フクシマ アピール」はこちら

原発事故問題で3つの分科会で討議

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全体集会後、原発事故に関わる問題で3つの分科会が開かれました。
第1分科会は「放射線被ばくと健康・心のケア」として、浪江町議会議員の紺野則夫さんが当時の浪江町民の避難状況や現在の実態を報告、医師の振津かつみさんを助言者に討議され、被ばく者へ「健康手帳」配布を法制化するなど対策を求める声が上がりました。
第2分科会は「放射性廃棄物・除染廃棄物の処理問題」について、田村市で放射能に汚染された木を燃料とする木質バイオマス発電が計画されていることについて「大越町の環境を守る会」の久住秀司さんが報告、山口幸夫・原子力資料情報室共同代表は「放射能は閉じ込めることが原則だ。木を燃やすことは拡散につながる」と批判しました。
第3分科会は「賠償問題」をテーマに、「原発事故津島被害者原告団」の三瓶春江さん、「原発被災者フォーラム」の武田徹代表が報告、原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)による原発事故賠償の和解を東電が拒否し続けている問題や、自主避難者への賠償が打ち切られている問題で論議が行われました。

フィールドワークで被災地の実態を視察

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福島大会の一環として7月29日に、被災地を巡るフィールドワークが開催されました(参加者45名)。初めに昨年3月31日に避難指示が解除された川俣町山木屋地区を視察。町内に40ヵ所もある汚染土壌等を詰めたフレコンバッグの状況を視察しました。除染作業が始まった当初は業者任せにされていたため、安価なものを使い、破れることも多かったが、現在は三重に覆われ漏れの心配はなくなったが、全てが運び出されるまでの目処が立っていない。また、住居周辺の除染作業は進んでいるが、山間地は手つかずのため、ハウスで花卉栽培をする農家は戻ってきても、水田や路地野菜を栽培する農家はとても戻れる状況ではなく、帰還している世帯は1割ほどとの説明がありました(上写真の後ろにフレコンバックの黒い山)。
次に大きな被害があった浪江町の請戸漁港を視察。港の復旧が進み、漁船は20隻ほどが停泊するようになったが、水揚げした魚は南相馬の市場に運んでいて、その費用も漁業者を圧迫していることから、「来年3月に完成が予定される市場の再開によって、初めて本当の復興といえる」との説明がありました(下写真は請戸漁港の漁船)。また、津波被害で全壊した請戸小学校も視察、児童全員が避難して助かったものの、その後も子ども達が町に帰ってこない現実も報告されました。
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