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今こそ、市民は闘いに決起するとき

2011年7月 1日

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 ドイツのメルケル政権が、とうとう脱原発に追い込まれた。原発稼働延長の主張は、市民の声にかき消されてしまった。スイスも脱原発を宣言し、原発のないイタリアも国民投票で「原発拒否」を明確にした。EU諸国は、脱原発と推進側とに二分される状況にある。イタリア市民の選択は、明らかに福島原発事故が影響している。イタリアは、王政問題や人工中絶問題などを国民投票で決定してきた。国を考えるより、自分を考えて投票する。専門家の意見に頼らない自分の生活から考えるという、市民主義の原点があると思う。

 日本に目を転じると、「割高LNG(液化天然ガス)家計に重荷」「国内原発すべて停止、年3兆円負担増」などの新聞記事が見える。福島の人々の命を削る原発事故があっても、エネルギーのコスト論が幅をきかせる。命の問題を経済コストで測ることはできないということを、今回の事故は突きつけているのではないか。しかし、まだ経済成長神話から抜け出せない議論だ。国のエネルギー政策のために福島を犠牲にしてはいけない。国のために一人の命を犠牲にしてはいけない。このことをきちんと考えなくては、脱原発へは進まない。

 新基地建設拒否を明確にした沖縄、その問題の普天間基地に、米軍は危険この上ないオスプレイを配備すると発表した。またもや米国の言いなりとなって、日本政府がそれを追認している。沖縄は怒りに燃えている。国の安全保障政策によって沖縄県民の生活は脅かされ続けてきた。普天間も、福島原発事故も、国民合意なき国策という中でつくられた危険性なのだ。

 国家のためという名で、市民一人ひとりの生活が脅かされることはあってはならない。そのことが国民主権、市民主義なのだろう。作家の大江健三郎さんは、「沖縄の抵抗から学ぶ私たち」と朝日新聞の「定義集」(6月15日付朝刊)に書いている。沖縄の県民大集会、辺野古の抵抗の持続、「いまは本土の私らがそれに学ぶ」と。

 もう、市民は我慢しているときでもなく国を云々するときでもない。闘いに決起するときだ。「さようなら原発1000万人アクション」の取り組みを全員一丸となって進めようではないか!

 

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