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8月15日に思う

2011年9月 1日

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 「あらゆる犠牲を払っても自衛権を行使する」―尖閣諸島への侵略があった場合を想定して、枝野幸男官房長官は、8月10日の参議院沖縄北方特別委員会でこう発言した。尖閣諸島が属する沖縄県では、戦争を容認する不穏当な発言との受け取り方がされている。尖閣諸島は、昨年不法操業で中国人船長が逮捕される事件が起き、日中の外交問題に発展した。枝野官房長官は、そのときの中国の対応を非難し「悪しき隣人」と呼んだ。政治家としてどうあるべきなのか。

 北方四島や竹島(独島)、そしてこの尖閣諸島問題など、日本政府は全く解決できずにきた。このことは政治の怠慢と言われても仕方ない。あれだけもめていた中ロ間に、もはや国境問題はない。政治家は軍人ではない。政治家は平和的な外交手段を通じて国家間の問題を解決することが役割だ。すぐに侵略の恐れがない中で、わざわざそのことを想定する政治家がいるであろうか。侵略されないために外交手段を通じてことの解決を図るのがその役割ではないか。政治家の軽佻浮薄な発言が続く。

 同13日には、自民党の石破茂元防衛相が、琉球新報のインタビューに答えて、極めて不謹慎な発言をした。米軍の沖縄からの撤退後を想定して「島嶼国で海兵隊がないのは日本だけ。抑止力を維持するため、北海道など全国で郷土部隊を構成できればいい」と。先の沖縄戦は「軍官民共生共死」の方針の下で、多くの民間人が亡くなった。その沖縄のメディアに答えての発言である。郷土部隊は徴兵なのか志願なのか、どう訓練を行いどのような武器を持つというのか、はたしてその存在が他国の侵略の抑止になるのか。政治家の発言とは思えない。沖縄戦で22万人を超す人々がどのように死んでいったのか。彼らは、一人ひとりの死を思う想像力に欠ける。想像力の欠如した政治家はいらない。

23歳で戦死した竹内浩三の詩「骨のうたう」(1942年)
「戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ/遠い他国で ひょんと死ぬるや/だまって だれもいないところで/ひょんと死ぬるや/ふるさとの風や/こいびとの眼や/ひょんと消ゆるや/国のため/大君のため/死んでしまうや/その心や」

 今年の8月15日も猛暑だった。1945年8月15日の後、日本人は何を思って生きてきたのだろうか。語り継ぐことの難しさを思う。

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