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「死の町」つくり上げた者の責任はどこへ!

2011年10月 1日

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 「残念ながら市街地は人っ子一人いない、まさに『死の町』という形だった」。これは、極めて重大な事故を起こした福島第一原発周辺を視察した鉢呂吉雄経済産業大臣(当時)の発言である。「『死』という表現は長期の避難生活を余儀なくされながらも、なお帰郷へ一縷の望みをつなぐ地元民を絶望のふちに突き落とすに等しい」これは、河北新報に載った発言への批判である。

 本当にこの評価は妥当なのだろうか。「ゴースト‐タウン【ghost town】住民が離散して、ほとんど無人となった町。廃鉱になった鉱山町など」(広辞苑)と言う表現だとしたら、はたしてどう評価されたのだろうか。誰も住むことのできない「死の町」。何が原因でそのような町にならざるを得なかったのか。多くのマスメディアは、そのことに言及していない。自民党の大島理森副総裁が「深く反省しなければいけない」と非難したと報じられているが、市民の批判をよそに、虚構の「安全神話」をつくり「原発政策」を推進してきた自民党は、この「死の町」の現状をどのように捉えているのか。他人を批判する権利はあるまい。

 原発周辺の町が、まさに「死の町」となっている事実は隠すべくもない。この言葉は鉢呂前大臣としての偽らざる感想に違いない。彼はその言葉に次いで、「福島の再生なくして、日本の再生はない」とも述べている。全体の話に違和感はない。まさに「死」と言う言葉のイメージのみを捉えての感情的な評価としか映らない。

 この間の、政府の原発事故対応への不信感が大きいことは間違いない。私たちも政府や東京電力の言動、情報隠し・情報操作などに憤懣やるかたない思いでいる。しかし、特にマスメディアは、もう少し冷静にその言葉の指すものを評価しなくてはならないのではないか。福島県民の感情に寄り添うことは大切だが、その感情を冷静に受け止める態度も大切ではないか。

 まさに「死の町」と化したことへの原因究明は済んだのだろうか。そしてそのことへの責任ある立場のものは福島県民に、国民にどう謝罪し、今後どうしていくと表明したのだろうか。誰もが沈黙している。これまで原発推進を主張してきた者たちは、福島県民の怒りを利用して、国民に寄り添い脱原発の主張をしてきた大臣を更迭した。電力の闇は、ますます深い。

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